はてなキーワード: セフレとは
セフレとの待ち合わせだが、セフレの仕事が終わるまでどこか喫茶店はいるかどうするかーっていう状態。
同じところを何度か行き来したからだろうか。警察が声をかけてきた。二人組である。
『へいへいなんでしょう』
「今何やってるの?」
『この後人と会う約束で、その人が仕事終わるまでどうしようかなーっていう状態ですよー』
「へー。持ち物見せてもらってもいい?」
『どうぞどうぞ。何もないですけど』
「これは?」
『財布ですよー。開いてもらっても』
「これは?」
「こっちのポケットは?」
『鍵入ってるだけです』
『あ!そそれ、、、は、、!!』
急に目の色が変わる警察二人。一人は急いで中身を確認し、一人は俺との間にはいる。
「ふふふッ」
「多いねwww」
『俺の追っているVにもどうせ彼氏ぐらいはいるだろう』という分別ぐらいは持っていたはずだ。
だけど……『追っていたVに言葉や■で近づいた■■■■のチンコが■■セクしているかも知れないんだ』というのは想像もつかなかった。
確かに■■■■のような人間が界隈でウヨウヨしていてるというイメージはついていた。
ああいったメンがヘラりがちな界隈では■■の濫用が蔓延っているらしいというのも認識していた。
ウシジマくんにいつ『Vtutber君編』が来てもおかしくないことぐらいは想像できる。
日本における動画配信界隈の民度というものを理解しているつもりだった。
つもりだっただけだ……。
でもいざ生々しい現実を見せられると心臓が凍りついたようなショックが広がるものだな。
無意識の奥底で生まれた閃きは、半日ほどかけてゆっくりと認識の氷山を掘り進みその姿を現した。
その不安は無意識下にあるうちは■■■■のチンコが入っていたかどうかに限定されていた。
だが意識に浮かんだ途端に、経験則や確率論といったものと結びついた。
「ゴキブリは一匹見たら百匹いると思え」
HNさえ知らぬ■■セク野郎に■■■漬けにされて股間を揺らすどこかの中の人が浮かんだ。
もう終わりだ……。
「可能性を生み出しただけでアウトなんだよ」なんてキチガイの戯言だって思ってた。
だってこの世界には最初から無数の可能性が広がっていて、あらゆる可能性はすでにあるんだから。
この宇宙にまだ生まれてなかった可能性が突然発生したと言わんばかりの発想は「自分の頭の中にある宇宙はすこぶる狭くて自分に都合がいいだけの出来損ないです」という馬鹿の自白じゃないかと……。
どう考えたって十二分にありえることだったじゃねえか。
それから逃げていただけなんだ。
俺はもう無理だ……。
Vの中の人なんてどうでも良かったはずなのに……。
声帯と刹那のあいだだけ思考を提供するための装置、パソコンでいえばオーディオデバイスとメモリ程度のものだと思ってた。
本体であるOSは構成作家が作り出した架空のものであり、Vの本質はバーチャルなモノだと信じようとしていた。
そしてそれは無数の観測によって仮想空間に浮かぶ本当に非実在のものになると信じていた。
でも違うんだ……。
構成作家が作り出していたのは、それとガワの整合性を取るための無数のソフトウェアでしかなかった。
Vは創作物だから配信者という形を取っていてもキャラクターだなんてのはオタクに都合の良い空想だった。
少なくとも俺というオタクは心の奥でそう認識し続けていたかった……。
だからこんなにもショックなんだ……。
Vは結局人間だ。
それとセクッた奴がいるかも知れない……。
セクれるということは実体があるということだ。
彼氏なんかじゃなくて無数にいるセフレとしてセクった奴もいるかも知れない……。
その可能性を感じた瞬間にショックを受けてしまった自分が一番ショックだ……。
俺はVにバーチャルを見ていると思いこんでいた。
でも違ったんだ。
そうじゃないなら……声と瞬間記憶しか担当していない奴が何をして立ってキャラクター自体に影響はないはずじゃないか……。
でも違う……そうしたら何もかもが変わってしまうと俺は感じているんだ……。
俺は結局Vを通して中にいる生身の女に惚れていたんじゃないかってのが苦しいんだよ。
バーチャルのガワを被ったリアル女に惚れていただけなんじゃないかってことが辛いんだよ。
俺はバーチャルなキャラクターだけを評価して、中身なんて替えの効くパーツだと割り切っているはずだったんだ。
進歩した価値観を持っていると自分に対して過大な評価を下していたんだ。
夢が醒めたんだよ。
空想の力で飛び上がっていた意識が現実へと自由落下している最中だ。
摩擦熱で燃え尽きそうだし、風圧で内蔵がひっくり返りそうだ。
だけど案外平気でもある。
地面に叩きつけられてもきっと生き延びるだろう。
むしろ、そのあとどうすればいいのかの手応えのなさが一番怖い。
腹に空想を溜め込んでフワフワと雲の上に浮かんでいるつもりでずっといたかった。
早めに戻ってこれてよかったねなんて思うには、ふと見下ろした地表の姿が薄汚さすぎる。
ガチ恋女が自分から玉砕して現実を見た、という言ってしまえばそれだけの話なんですが諸々の事情からどこに書くこともできなかったのでこちらに。
キラキラしたテレビや映画、大きな劇場での舞台などとは無縁。映像の仕事は再現VTRの背景のひとり、小劇場の舞台に出ても端役。
彼のファンは私以外にほぼいない、ツイッターのリプライもほぼ私。舞台の面会で彼に話しかけるのは私だけ、チェキを撮るのも私だけ。もっと大きくなって欲しかったし、いろんな仕事をして欲しかった。表向きは。
でも本音は、それで良かったんです。だってあんなにかっこいい彼を見ているのも私だけで、あんなにかっこいい彼が気にかけるのも私だけだったんです。
彼のためならなんでも出来たし、なんだって差し入れしました。彼がツイッターでチョコレートが食べたいと言えばチョコレートを差し入れしたし、靴が欲しいと言えば靴を差し入れしました。
彼のファンサはファンサというには少し過剰なものでした。誕生日にはわざわざツイッターのDMにメッセージをくれました。私が映画のチケットをあげれば日にち時間を合わせて一緒に見てくれました。チェキを撮れば向こうから指を絡めてきたり、抱きしめてきたり。
舞い上がっていたんですよね。正直。
どう見てもただのガチ恋だったし、きっと彼もそれを分かっていたんだと思います。自分のことを彼女か何かだと思っていたんです。
ある日、彼の友人の舞台に行きました。そこにちょうど彼が舞台を観に来ていました。わざわざ私の席まで挨拶に来てくれて、今はプライベートなのにそんなことしなくていいのになぁ、と思いました。舞台の面会が終わり、彼のプライベートを奪うことに申し訳なさを感じながらも、劇場を出て舞台終わりに喋っていました。そうしたら、そのまま駅まで一緒に帰ろうか、と言われ。彼はファンサのつもりだったのかもしれませんが、私にはもう耐えられませんでした。
「もし良ければ、LINEを教えて貰えませんか」
だって彼女になりたかったんです。本当に好きだったんです。プライベートな彼の隣に立ちたかったんです。でも。
彼はそう言いました。頭をガツンと殴られたような衝撃を受けました。でも、何となく分かっていました。だってそんなに悲しくなかったから。
そして、やっぱり私はそちら側には行けないんだなぁと思いました。どんなに手を繋いだって抱き締められたって一緒に映画を見たって私はただの「ファン」だったんです。
距離をとるというのは本当に大事な事なんだなと感じました。恋愛もろくにしてこなかったメンヘラが狂うには十分な距離感でした。
だからもう辞めるんです。彼にこれ以上迷惑を掛ける前に自分から引かなければ、そう思いました。
もう私は応援できないけれど、これからももっとたくさんの舞台に出て、もっとたくさんの映像作品に出て、その姿で沢山の人を楽しませる存在になってください。
もう全部終わったと思っていた時、彼の友達のファンの美人の子から相談があるので会いたいとLINEが来ました。二つ返事で飲みに行って、そこで相談をされました。
「推し(彼の友達)に誘われるままセフレになってしまった。半年ほど関係が続いていたけど連絡が取れなくなって捨てられた。最悪。」
と言う内容でした。
地下俳優の全てがそんな人だとは思いません。今のところ彼がファンをつまみ食いしたと言う話も聞きません。でも美人なら捨てられたとしても一度は推しとそう言う関係になれるんだなぁと思ってしまいました。
私の何がいけなかったんでしょうか。顔でしょうか。性格でしょうか。全てだったんでしょうか。
私が担降りしても、友達が担降りしても、彼も彼の友達も今でも元気に地下で俳優をやっています。
担降りした今、一時期俳優界隈で話題になった「りさ子のガチ恋俳優沼」のDVDでも見て過去の自分を笑いたいと思います。
お粗末様でした。
私は人生の中で、周りが女の人ばかりの社会でずっと生きてきている。
女兄弟しかいないし、部活は吹奏楽部だったし、仕事は女性向けの商品を扱う会社で働いている。
当然、友達は男より女の方が圧倒的に多い。
その周りにいる女友達を統計的に考えると、クズ男に引っ掛かっている女がめちゃくちゃいる。
「私、なんでクズ男ばかり付き合っちゃうんだろ」と自覚していながら前進するつもりもない悩みを抱えているバカ女が一定数いる。
だから「”なぜ”バカ女はクズ男ばかり付き合ってしまうのか」を個人的主観のみで色々と考えてみたので、備忘録用にここに書いておく。
まず、個人的な感覚としてバカ女は総じて「可哀想に見える」ことが特徴だと感じる。
どんな理由であれ、オーラや話し方で「この女は可哀想に見える」と思われてしまう女は、基本的にバカ女だと感じる。
これを前提として、バカ女に近寄ってくる3種類の男(全員がクズ男では無い)を挙げてみる。
これはもう完全にクズ男。
幸せの定義を「お互いが好き同士で、ある程度付き合って、結婚する」とするならば
ヤリ捨てポイするセフレ男、もしくは「ずっと好きだよ」と甘い言葉で誘ってくる既婚者の2パターンがほとんどだ。
これはクズ男ではない。
ただ、バカ女はこういう同じ種類の男とは仲良くなれない。仲良くしたくないのだ。
いわゆる弱者男性で、金もなけりゃ見た目も悪く、性格も捻くれている。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので、バカ女は自分の境遇や見た目や考え方を棚に挙げて、同じ可哀想な男を”気持ち悪い”と判断をする。
これもクズ男ではない。
いわゆる理解のある彼くんで、一見「優しい男なら良いではないか」と思いがちだがこれはイケメンに限った話なのだ。
そうなると市場にいるのは優しい性格のブス男しか余っていないのだ。
こうなると「黙って妥協して優しい性格のブスでいいじゃん」と言いたくなるが、ここであの”ヤリチン男”が効いてくるのだ。
そうなると「なぜ、イケメンにもモテる私が、優しいだけしか取り柄がないブスと付き合わないといけないんだ」という思考になる。
ただ、そのイケメンヤリチン男は、可哀想な女とは付き合いたくないし、生涯を共にしたいとは微塵にも思っていない。
だって、どうせ付き合うならもっと可愛くてお金を持って安定している人がいいんだから。
これによって「可哀想な女」は他の種類の男には魅力を感じず、クズ男に振り回されながら1人で孤独に死んでいく”バカ女”になってしまうのだ。
そういうセフレ作ればいいじゃん
何かまだ信用してくれていない雰囲気がある。
セフレ始まりだけど本気で好きだと気付いたから告白して付き合ったのに、まだ俺に対して遠慮があるし俺の愛情表現を真っ直ぐ受け止めてくれない。これはほぼ俺の責任で、まだ彼女をそういう目でしか見ていなかった時に「お互い都合の良い関係で」とか「彼女は要らない」って繰り返し言ってしまった事が恐らくは原因だと思う。そのせいで「この人は初め私をセフレで妥当とジャッジしていた」という意識がずっとあるようで、どんなに好きだと言っても可愛いと褒めても自分を俺より低く見たり下げて考えるのを辞めない。プレゼントしても「こんなにしてもらえるなんて」って申し訳なさそうにして、ご飯どこに行く?って聞いたら迷わず一番安い店選んで、奢りたくて奢ってるのに頑なに財布を仕舞わなかったり「次は私がご馳走するから」って絶対返そうとする。「私には贅沢」なんて言葉もたまに聞く。ずっと自分が俺からそういう扱いをされるに相応しくないと思っているみたい。
俺に甘える時すら「迷惑じゃないですか」「我儘を言ってごめんなさい」って言われる。迷惑なわけないし我儘だと思った事もない、構って欲しいなら沢山甘えてくれ、つらい時はいつでも話を聞くから打ち明けてくれ・・・って何度も言っているのに、自分の気持ちをセーブしてまず俺の顔色を伺おうとされる事が悲しい。「ごめんなさい」じゃなくて「ありがとう」でいいんだよ、って何回言えば良い?デートして「くれている」って言い方をやめなさい、好きだから会いたいしデートしたいんだ・・・って何回言えば信じてもらえる?「この人はどうして私に優しくしてくれるの?」みたいな顔をしないで、愛されて当然!って堂々と受け止めて欲しい。曇らせたくないし笑ってて欲しい。だけど、セフレ始まりの事実がある時点で俺は一生信用して貰えないのかな。当時の俺の発言も、この先ずっと響いてくるのかな。どうしたら挽回できる?