はてなキーワード: 判別とは
DNSブロッキング自体はダメだと思うが通信の秘密かと言われると微妙に感じる。
Q.
「DNSにおける名前解決のプロセスは通信の秘密の対象では無いことからDNSブロッキングは通信の秘密を侵害するものではない」とする見解があるが、これについてはどう考えるか?
A
第一に、利用者がウェブサイトにアクセスしようとする際に、名前解決のプロセスとその後の通信を意識して区別することはなく、両者は一体として把握されるべきです。
第二に、利用者は名前解決のプロセスにおいて「アクセス先」をプロバイダに伝えますが、一般に、アクセス先に関する情報が通信の秘密の保護の下にあることについては争いがありません。名前解決の場面においてプロバイダに委ねられたアクセス先に関する情報を保護の対象外とすることは極めて不合理です。
https://www.jilis.org/pub/20180411.pdf
1:キャッシュDNSは通信の利用者側で自由に設定することが可能で、プロバイダのDNSを使わないといけない決まりは全くないので通信と一体かは議論の余地があるように思う。
2:アクセス先に関する情報が通信の秘密だというが、DNSの問合せはプロバイダのDNSを宛先に送信された通信そのものであり、通信相手であるプロバイダのDNSがアクセス先の情報を受け取り、判別して何かしらの応答を返すことはDNSが本来行っている機能となる。そこでブロッキングとして127.0.0.1とか勝手に回答することは意図的に回答を間違えさせてはいるが、通信相手がどういった返事をしようが秘密自体は侵してはいない。
ただ、勝手に間違えさせることは通信の妨害を目的にしてるだとか正常な通信サービスを提供してないだとかブロック先のDNSの権利を侵害してるとかで結局違法にはなるんじゃないだろうか。
いちおうここにトラバ付けるが。
ビールは仕入れ値が一番高く、競争も激しいので利益率が低い。下手したら原価割れのサービスで出している店も少なくない。店の適正な利益の確保を問題にするなら、とりあえずビール!という選択肢はあり得ない。
サワーやハイボールの方が利益率が高い。ソフトドリンクだって高い。ビール飲んでいるヤツがなんで威張って「ソフトドリンクとか頼んでるんじゃねえよ!」と威張っているのか解らん。ビール飲まれるくらいなら、ソフトドリンクの方が儲かる。
今回の問題は、チェーン店で無い店のレギュレーションが外側から判別が付かず初入店の障害になるという事なので、飲食業協会みたいな所が雛形を用意して基本的なポイントを明記して張り出すようにすれば、初めての店でも入りやすくなるんじゃないだろうか?
酒を頼まない飲食は可能か?お通しや席料は発生するか、サービス料はあるか。基本的なメニューの価格帯。一人入店も可能か。など、知りたいポイントはもっとある気がする。
今回の騒動。
素敵な看護師さんのおかげで助かったようですね。
これ、フラットに考えてみたらどうなんだろうか。
どこに問題があるのか。
例えば、女性が医療従事者でなかったら、応急処置が全くできない人だったら。
ただの野次馬だったら。非常事態でも「あれはないわ」と思われるかも。
軍事境界線を越えたらダメレベルで、土俵に上がるなと言われるかもしれない。
そこまで危ない、そこまで上がってほしくないなら。
今回、助けに入った方がどうこうではないが。
身分証明書でも見せてもらったの??
見た目だけで、あいつは女性だと判断することについてはどうだろうか。
また性同一性障害だったとしたら???
「戸籍上、女性の方は土俵から降りてください」と言うべきなのではないだろうか。
今回は、
・場内アナウンスがひどい
色々な条件が揃って、この女性の味方をしてくれた。
これが、一つでも崩れていたら、世の中はどうだっただろうか。
観覧にいらっしゃる時点で、何かしら判別できるようにしましょうか。
土俵周りの警備の穴
そんなに土俵に上がるな!!!というなら警備を強化してみてはどうでしょうか。
とにかく、「原則として」的な話や、「緊急時は」的な話も多かった。
そうやって考えると、「女性は土俵にあがるな」と言い、それを押し通すのが一番ラクチンで、一番公平だったりする。
その「女性」というわけかたも、戸籍上なのか、自認している性別なのか、それを決めたほうがいい。
【追記】
この文章を見て、思い込みが激しい人であるし自己肯定が強すぎる方でもあるなと感じる。
まず、他でも指摘されているように同期全員と仲良くなるべきというのはあなたの勝手な考え。
飲み会の際に、”あまり喋らない彼らに話題を振って、なんとかその場をもたせていた”と書いているが、これはあなたの価値観の押し付けであり、しかもなぜか上から目線。
また、内輪ネタ(懇親会でもうそこまで仲良くなったらしい)と書いているが、それは内輪ネタではなくただの先ほどの話題だ。
話についていけない自分を正当化するために、相手を貶めるような表現をするのはやめた方がいいと思いますよ。
そもそも、たいして知らない相手をいきなり”やかましい”なんて(心の中であっても)形容している人と誰が喋りたいと思うでしょうか。
また、後半部分でも”一生懸命仲良くなろうとしているのに。同期だろ?”という分と、”グループごとに固まって行動する大学生活は終わったものだと思っていた”という2文が矛盾している。
後者は正しくて、別に一生懸命仲良くなって同期というグループを作る必然性はない。
別にその相手と親しくあろうがなかろうがそれぞれの業務をきちんとこなすのが社会人であるので、”一生懸命仲良くなろう”というあなたに幼さをより感じる。
また、決定的な一言だと書いている「後ろにいるやつら、なんで付いてきてんの?」という言葉も、飲み会でそれほど話してない相手が後ろをしばらく追いかけてきていたら、当然起こり得る発現だと思う。
もちろん、言い方に棘があったのかどうか私には判別できないが、他の箇所での記載を鑑みるに既にある程度のバイアスがかかってしまっているんでしょう。
加えて、自分も軽蔑の対象になっているだろうとあなたは書いているけれども、はっきり言ってそれほどの関心を持たれていないと思いますよ。
ちなみに、自分”も”という表現は、あなたも周りの人を軽蔑に値する人たちだと判断している証ですよ。
そして”変わり果てた境遇に行き着くのだろうか”って、たいして話したこともない相手に使う表現として、失礼だと思いませんか?
あと、こういう周りの環境が云々言う人に共通していることとして、あなたはその彼らと同じプロセスで同じ場所にいるという同程度の人間だということを忘れている。
もし、そんなことはないと考えるならば、文句を言わずに自分に相応しい環境にとっとと移行すればいい。
それはできない、というのであれば、あなたは結局周りにいる人と同じ程度の人なんですよ。
トラバレスが酷いのですがどうあがいても陳哲郎というか糾弾側に理があるでしょう。
陳哲郎嫌いなのは自分がネトウヨなので一番理解していますが、この問題で解決せねばならないのは政府が容易に官庁のコントロールをして改竄・我田引水をし、官庁官僚を脅迫できるシステムそのものであり、そこにネトウヨやネトサポとして自民を守らなくてはいけない理念を入れちゃいけないと思うんですよね。
ネトウヨとしてこの一件を注視するなら政府の無能たる面々と容疑者と関係者全てに着目すべきでしょう。
ネトサポとしてこの一件を擁護するなら安倍・アッキード無関係という路線で政府が秘書官を信用できず官庁コントロールができない無能だったと認めたうえで是正を願うべきです。
ネトウヨがネトウヨたらしめるものは無能・外敵・内敵を排除するという排他的価値観で、そこに政治的右翼主義はあまり介在していないと思います
(上念や百田といったバカ共をネトウヨと考えている方が多いと思います、彼らもまたもちろんネトウヨではあるのですが彼らはどちらかというとアジテーターや活動家と区分すべきでしょう、三橋貴明のようにネトサポ崩れのネトウヨ活動家みたいなのもいますね)。
ネトサポは利権や力に依存したり信仰したりする方なので今後さらに強くなる為に工作する存在でがこれは純然たる工作員で、自民や共産等暗躍している方が多いと思いますがこの一件に対する姿勢を見ればネトウヨかネトサポかの判別がつくと思います。
ネトウヨとネトサポを同一視している人がサヨク・パヨク・ブサヨ界隈で多いのですが、一般的なネトウヨたる人々は自民に阿る必要がないんですよ。
私はネトウヨとして自身が無能だと告白した政府を糾弾する側に立ちます。
追記:創価?しねばいいのに。希望?ない。維新?地方主義は地方にしか力無いのに国政で頑張ることできるの?これまでは消極的に自民を応援せざるをえなかったというだけです
これだけ長文でありながらも増田は都合の悪いことは書いてないような事情が伺えるし
一方の意見だけでも、いや、たとえ双方の意見をきいたとしてどちらが正しいとはわからないし判別できない
それができるのは神だけだ
よってこの件はコメントをしないのが正解
あるいは「勝手にせい」
とは思うがふと浮かんだ疑問
彼氏彼女の状態にあって風俗にいくのは不誠実という認識は実際問題いつからの認識なんだろうなと
それこそ冒頭にあるようにかつてはあたりまえではあった
女性側の不貞は早くから罪にはなっていたが男性のそれが法でもモラルでもいけないことになったのは
本当につい最近の話のような気がする
それでは当たり前であったから黙ってた女性は実際問題どう思っていたんだろうか
実際にいえないとしてもたとえば文献などにその旨は書いてないものなのだろうか
それは知りたいと思った
一人は楽でいい死にたくなるけど死ぬ意味もないから一人なら死ななくて済むと思いませんか?私にとって死は復讐の手段でそれは多分自分が愛されているはずという傲慢な思い込みの上に成り立った醜い子供の妄想をここまで持ち続けてしまった私・という存在、自体が悲劇、という劇中劇の様相を呈し、らせん状に渦巻いてどこまででも降りていくような感触がします。
とはいえ、私は今日もみっともなく生きていて私と死んだ人たちとの違いは何か?というと私は死んだ人たち・死にたい人たちのことをすべからく軽蔑していて、憎くてしかたないような気すらする日があるというのが正直なところです。
死んだ人の方が死にたい人の方よりはずっとましです。声も上げず死んだ人はなおいいですが、狼少年が如くじわりじわりと死にじゃれつき近づき気が付いたら後戻りできぬほど脚を絡め取られていたような死に方はみっともなくてたまらないように思えます。
なおわるいのは生に抱かれすがりつきながら死の方を胡乱に見やる自分、その自分を見て欲しくてしょうがない人々、そういうものです。精神的に辛かろうが何だろうが知ったことはないです。この世に精神的に辛くないということがあるでしょうか。至福の夢の中ですら頭にひっそり醒めた光が差してしまうこと以上にふしあわせなことなどあるでしょうか。みんな自分が肝要と、思っておきさえすれば傷つかないのに、どこかでふっとこの人はおのれよりわたしを優先してはくれまいか?と期待する、それがために精神が辛いという例の膠着状態に陥るのです。
ああ私はお医者様になればよかったなあ!
ひとの外側はなおったなおらぬがわかりやすくて良いです。傷だらけの人間にこそ価値があるようなことが一目でわかる。
死ねばそれまでと認めて終えばいいのに、たましいの話何ぞ始めるからややこしくなってしまうのです。「でも・たましいには・価値がある」というような話は無意味です。たましいなど。
たましいにあいた穴を誰が塞げましょう。よしんば、穴の有無など誰が見分けられましょう。さらに言えば、相手が本当にたましいを持っているのか、如何やって判別しましょう。馬鹿げています。
私たちみんな、「みんながたましいをもっているといいなあ」という稚児のふやけた妄想の中を生きているようです。たましいがあるからこの世は苦しいと、この子はまだ知らない。教えてやらなくてはなるまいよ、と私は思います。