はてなキーワード: おはようとは
自他共に認めるブサイク(ドッスン、金剛力士、閻魔様に似ているらしい)で身長も164cmの30代後半男。
高校では席が隣になった子と毎日「おはよう」「バイバイ」のやり取りをするようになって会話するようになって遊びに行ったのがきっかけで付き合った。5、6ヶ月で「やっぱりなんか彼氏ではない」って振られた苦い思い出。
大学生の時は家が遠いサークルの女の子と仲良くなって泊めるようになって付き合い始めた(セックスは付き合ってからした)。初体験の相手で社会人一年目まで付き合ったが向こうが配属で遠距離になって別れた。
配偶者は会社の同期の中で一番可愛くて、イケメンな先輩とかもガンガンアタックしてたからそもそも付き合えないと思ってたけど、気が合ったので一緒に帰ったり、飲み会一次で抜けてバー行ったりしてた。同期達との日帰り旅行で帰りの送りをしてたら人気のないサービスエリアで告白されてそのままカーセックスして付き合い始めた。
Homme mort ne fait guerre.
ある日からぬいぐるみを飼い始めた。クマのぬいぐるみで名前を「サモエド」にして、なんだか見た目がさびしいので右腕にピンクのリボンを付けた
朝には「おはよう」
夜には「おやすみ」
夕飯の時はテーブルに置いてなるべく残さず食べて「おいしいね」って言ったり
そんな生活をしていた
だが、それからしばらく経ったある夜、僕は仕事で怒られすぎて歯磨きもせずにサモエドを抱きしめたままいつの間にか寝てしまった。
気づけば、朝の9時である
公園はもう陽の居場所となっており、申し訳なさそうにベンチに座ってサモエドと食べた。
サモエドにとって初めての外の光り、眩しい光
「昨日の夜はありがとう」
そう言って私はそっとサモエドの頭を撫でた
鹿児島県に住んでんだけど、やっぱけっこう方言がハバをきかせているわけです
俺は一応鹿児島生まれ鹿児島育ちなんだけど、地元ではない部分の鹿児島に住んでいるということもあり、時々「何言ってんだ?コイツ……」となることがある
そういう、初見でわかんなかったフレーズのひとつに「だれんごとな」というのがあって、シチュエーションとしては、俺がバリバリ残業しているところに上司がやってきて、そう言って帰っていった
だれんごとな?誰ん事な?誰のことってこと?何が?
いや違う、「だれん」は「疲れる」の意味の「だれる」の否定系で、「ごとな」はわりとそのまま「ことだ」みたいな意味だ
つまり、「疲れないことだ・疲れないように」というような感じに訳される
頑張りすぎんなよ、倒れんなよ、体を労われよ、とそういう感じのニュアンスなんだろう、サンキュー上司!
と思うころにはもう上司は後ろ姿になっていた
で、俺はこの「だれんごとな」をひとつのイディオムだと思ってたんですよ おはようとかさようならみたいな、語の意味がどうこうじゃない、あいさつのようなものなのだと
しかしこの前みたんだ 激務部署の人に「疲れないでね〜」と声をかけているのを
だれんごとな、じゃん
つまり、疲れないでね、という意味で言ってんだよ「だれんごとな」はさ
よく考えると、ほかの上司もときどき「あまり疲れないようにしてください」的なことを言っていることが思い出されてくる
この「疲れないでね」という言い回しは、ヨソではしないと思うんですよね
「根つめすぎないようにね」「頑張りすぎんなよ」「体に気をつけて」 この辺の表現はするけど、「疲れないようにね」とは言わない
俺の地元でも言わなかった
これは鹿児島の、さらにいえば今俺が住んでるあたりの、特有の表現なんじゃないか?と思うわけですよ
意味はわかるけど、その言い方はしねえなあ、と思うような言い回しが、ナチュラルに周りでなされている
これは興奮するよなあ
しかも、単語レベルじゃなくて、考え方っつうかさ、言葉の使い方みたいなところなわけですよ
大変よろしいと思います
毒親を持っている人のブログを読んだり話を聞いたりすると思うことがある。
毒親持ちの人の体験談は、それはそれは凄惨で、進学させてもらえないとか仕事もせず家に居座る親が暴力を毎日振るってくるとか殺されかけたとか……。親元を離れて立ち直った人もいれば、今なお親の影に苦しんでいる人もいるだろう。そんな彼等を見て自分はこう思うのだ。
「この人に比べれば自分はマシな親を持っているのだろう」
そしてこうも思う。
「だから決して、自分の親が毒親持ちと思って甘えてはいけない」
けれど、ずっとそうして生きてきたのだけれど、最近親と共に過ごすことが辛くなってきた。「おはよう」と話しかけられるだけで動機がして、頭痛がする。眠れない夜が増えた。これは家族間の関係として健全なことなのだろうか。今一度自分の親が毒親ではないのか客観的に整理したくて、文章に起こすことにする。
彼は毎日仕事に行き、給料もきちんと家庭に還元しているし、私の進学を阻むようなこともなかった。大学まで出してくれて、一戸建てを持っており、ギャンブルや浮気の経験もない。
もうこれだけで私が数々見てきた毒親像とはかけ離れている。だから私は父に感謝をしなければならないし、軽い気持ちで毒親などと言ってはいけないとずっと思っていたのだ。
ではなぜこの男に声を掛けられる度に不愉快な気持ちになるのか。それは父の性格に起因している。
単刀直入に言って、父の性格は自己中心的で周り、特に家族のことを常に見下している。
例えば「明日出掛ける」と言うと「何時に?」と聞かれる。ここで少しでも返答が遅れると「なんでそんなことも分からないんだ」
例えば私が昼ご飯を食べようとすると「昼ご飯を食べようだなんて悪い奴だな」
私は何か悪いことをしただろうか。毎日のようにこういう無意味な罵倒をされ、どんどん神経がすり減っていく。もっと酷い人格否定をされたこともある。「子供は親の奴隷なんだから黙って言うことを聞け」と言われたこともある。けれどそれを本人にやめて欲しいと言っても「俺はそんなことは言っていない」「これもコミュニケーション」「冗談もわからないなんて心の狭い奴だ」。話にならない。
ではもし反撃してこちらが「馬鹿親父」などと言ったらどうだろうか。まるでやくざのような気迫で威圧し、怒声を浴びせ激高し、床を踏み鳴らし机を拳で殴る。それでも収まらないときは手近なものを破壊し、最終的には暴力に発展する。さすがに暴力に発展することは稀(というかそうなる前に謝ったり宥めたりしているの)だが、家でも外でもお構いなしに蹴られたり殴られたことがあるし、母に至っては数回骨折沙汰になったことがある。
力ではどうしても勝つことが出来ない。だから何を言われても、私は黙って受け流すしかないのだ。
もうひとつ私を苦しめていることがある。それは父の奇声だ。上記はまだ共感できる人も多いだろうが、これに関しては珍しい上に恥ずかしい話過ぎて誰かに相談することもできず、ずっと悩んでいる。
父は昔から声が大きい。最近耳が悪くなってきて殊更声が大きくなってきた。それは加齢によるものなのである程度は仕方ないのだが、問題は奇声を発することだ。
奇声といっても金切り声でなく、例えばYouTubeの動画でユーチューバーやゲーム実況者が驚いたり興奮した時にスマホが音割れを起こすほどの大声を出して、慌てて音量を下げた経験はないだろうか。あれを、何かの撮影でもなく家の中でやる。還暦をすぎた男が。
誇張なく、いきなりリビングで「うおおおおお!」とか「うぎゃあああああ!」とかいうのだ。病気だとしか思えない。しかも時間は問わない。父が叫びたくなった時に叫ぶ。毎日、毎日、何度も何度も。
だから朝、目覚まし時計より早く父の絶叫で目を覚ますことはざらにあるし、そういう時は心臓が縮み上がる程驚く。
一度気になってデシベル測定をしたことがあるのだが、結果は80~90デシベルだった。これは地下鉄の車内や布団たたき、ブルドーザーの音に匹敵するらしい。
もちろんやめて欲しいと何度もお願いしたし、精神の病院は勧めた。当たり前だが病院を受診するはずもなく、しつこく言ったところ「頭がおかしいのはお前だ」の言葉からはじまりあとは前述した通りである。
他にもおかしいところをあげればきりがないのだが、最後に一つ父の一番理解できない話をしたい。
私は生まれつき肺に病気を患っている。これに関して両親を恨むつもりはないし、長く生きられないと言われていたところを手術を受けさせてくれて、他の人と同じ日常生活を送ることができるようにしてくれたことに感謝をしている。
だが100%なにもかもが健康体になったわけではないし、今でも肺には他人よりもハンデを抱えている。だから掛かりつけのお医者さんには肺や心臓を大切にしてねとさんざん言われているのだ。
その子供を持ちながら、父は平気な顔で紙煙草を吸う。別に隠れて吸うのなら構わないのだが、私が幼いころ(手術前)からキッチンで、リビングで、果ては外食した時に私が食事中でも対面に座ってぷかぷかと吹かす。その量は1日に1箱近い量だ。父が家にいると一日中家が煙草臭くなる。
あまりにも臭いのでベランダで吸うようお願いしたら、窓を開け放したまま足だけベランダに出して吸っている。当然窓から副流煙がリビングに逆流してくる。だったらせめてと空気清浄機を近くに置いたら「音がうるさい」「俺に対する嫌がらせなのか」と不機嫌な顔をしながら空気清浄機を止める。
キッチンで皿洗いしていると後からやってきた父が「煙草を吸うから退け」と言う。せめて洗い物がキリのいいところまで待ってとお願いしても「待てない」と吸い始めるか、真横でものすごく不機嫌なオーラを出しながら急かしてくる。たった1分ですら待つことが出来ない。
このようなことは言いたくないのだが、私が煙草を吸わないで欲しいとお願いするのは、あなたの遺伝子を引き継いで作られた身体に欠陥があったからなのだが、父には何一つ思う所はないようだ。どうも母に聞いたところ、妊娠中も平気で母の前で煙草を吸っていたらしい(母は避けようと頑張っていたようだが、当時狭いアパート暮らしで限度があったようだ)
こんな父だが、ことあるごとに口先だけではこう言うのだ。
「俺はどんな時もお前の味方だからな」
ふざけるのも大概にしろ。人の人格を毎日否定して、やめて欲しいとお願いしたことを喜々として余計にやって、泣いて「もうやめてくれ」と言ったことには「人が泣いてるのをみると殴りたくなる」と言い放って、人が買って来たものを許可も取らずに盗んで食べたり使用したりして、電車で数駅のところに遊びに行っただけで土産をせびり、感謝を強要し、都合が悪くなると「冗談」「コミュニケーション」と逃げるか激高して無理矢理黙らせるかして、大声で絶叫して、持病もちの前で煙草をやめない。
父の言動を聞いていると、本気で自分は「娘を愛する良い父親」だと思っているようだ。仕事に行って金さえ払えば良い父親なのだろうか。自身の子供が眠れない日が続いて、悔しくて苦しくて涙が零れて、頭痛がやまなくなっても、父にはその姿は見えていない。
この父を毒親と言っていいのかずっと悩んでいる。この程度で毒親と言ってしまうと、「この程度で毒親持ちの被害者面するな」と言われてしまうのではないかと思ってしまう。
けれどこの男を父として認め普通の親として扱うには、もう精神の限界が出てきているようにも感じている。
自分はストレスに強い人間だと思っていたし、実際いわゆる「鬱」に当てはまるような症状や過呼吸や胃潰瘍もでていない。だからこの悲しさも辛さも大したことはなくて甘えなのだろうかと思う。身体に大きな不調が出れば、父はなにか変わるだろうか。いや、変わらないだろう。しかし、大手を振って家を出ていくチャンスになることは間違いないだろう。けれどそれもないのなら、もう少し耐えるべきなのだろうか。
家を出ていけばいい。それは間違いなくそうなのだが、父と二人きりにしたらいつか母が殺されてしまうのではないかという恐怖もある。両親から「お前は独り暮らしができない」と何度も言い聞かせられて、まるで呪いのように縛り付けられている感覚もある。一人暮らしをしたいと切り出したあとに、激高され毎日不機嫌なオーラを出される中過ごさなければならないのが怖い。踏ん切りがつかない。これは甘えなのだろう。
そういう中途半端な親元に生まれた私は結局今日も、本当の毒親よりはマシと言い聞かせながら父の顔色を窺う、情けない生き方しかできないのだろう。
おはようー
おはますー
2月ですわーっ!
今月は29日までありますの!
すごい!!
ウルウルドシってなんですの??!
「英語ではleap yearと言うんだ。leapは跳ぶとか飛躍とか増加などの意味がある」
「ウルウドシだね」
去年、自分は内定無しのまま大学を卒業し1年間就職浪人してようやく数日前に内定をゲットした。
なんだか、ここ数年間で自分のあらゆる能力が凄まじいスピードで退化していくのを日々実感している。これは一体どういうことだ。
自分でこんなことを言うのもアレだが、小中学生時代は100点以外ほとんど取ったことがない上、さらに夏休みの自由研究では小1〜中3まで毎年、学内選抜で市や県の科学展覧会に出展・表彰されるなど非常に成績優秀だった。高校は県内有数の進学校に入学できた上、卒業するまでの三年間、中間・期末試験では常に学年ベスト5に必ず入っていた。1位になったことも何度かある。
その後は有名私立大学に指定校推薦で入学したのだが、この頃から徐々に様子がおかしくなっていった。大学の講義は自分にとって興味深いものばかりで、毎日楽しく熱心に受講し、学内図書館に毎日何時間も入り浸って関連書籍を読み漁ったりと勉学に励んでいたにも関わらず、次第に学んだ内容が全く頭に入らなくなり(というか記憶できなくなり)、さらには講義を聞いても何を言っているのかサッパリ理解できなくなった。
文章力も極端に低下していき、レポート課題、小論文、定期試験の記述問題などを書くたびに物凄く時間がかかる上に内容も支離滅裂で意味不明なものばかりになってしまった。自分で後から読み返してみても、どれもこれも何が言いたいのか分からないようなグチャグチャでまとまりのない文章ばかり。そんなだから当然評価も低くつけられた。もともと自分は文章を書いたりレポートを上手くまとめるのが得意な方だったのに。大学4年間、レポートの評価も試験結果も本当に悲惨だった。よくこれで留年せずに済んだな、というギリギリのレベル。
自分がこの数年間で実感した能力低下は、こういった学業面だけではない。
周囲の人と喋る時もまるで思考が停止したかのように言葉が咄嗟に出てこない(他愛のない雑談ですら)、「うん」「そうだね」などの簡単な相槌すらもすぐに打てず、あはぁ、ふふ、などの辿々しい相槌とも言い難いような返事しかできなくなったり、ほんのちょっとした質問にもすぐに返答できなかったり、講義内で行われるグループディスカッションでも思考が停止し全く発言できない、そもそも何を話し合うのかも理解できないなど、コミュニケーション能力が著しく低下。さらには「おはよう」「こんにちは」「ありがとう」「すみません」など簡単な挨拶すら咄嗟に出てこず、「ありがとうございます」と言うべき場面で「いただきました」だの「おはようです」など意味不明なことを言ってしまう。
自分は子供の頃から社交的なタイプではなかったが、それでも対人関係で支障が出るようなことは今まで殆ど無かったのに。
就職活動でも面接時に全く言葉を発することができず、ようやく口を開いたと思えば質問された内容からかけ離れた支離滅裂な言動になったりして、結局どこにも採用されず、内定無しのまま大学卒業となってしまった。それから約1年間の就職浪人の末、ようやく先日内定を貰うことが出来たが。
日常生活においても、何かやろうと思ってもすぐに忘れる、しょっちゅう物を落としたり無くしたりする、食事の時にお茶碗やラーメンの丼をひっくり返したり落としたりする、ごく簡単な家事や作業すらまともに出来ず家族に叱られる、会話相手の言葉が理解できない、何に対しても気力が湧かない、1日のほぼ大半を寝て過ごす、イライラすると衝動的に自分の顔や頭を殴りつける(そのせいで奥歯が欠けたこともある)、自宅の住所や電話番号を忘れる、外出時に突然笑いが止まらなくなる、30分おきに歯磨きをする、意味もなく家族に電話をする、自分が今何をしているのか突然分からなくなる、など、ありとあらゆる面で異常な行動が出てしまう。
数年前の自分と比べても、明らかに知力や生活能力、社会性、人格などあらゆる面で退化していると感じる。
一体何故こんなことになってしまったのか全く分からない。日に日に様々な能力が低下し、異常行動が増えているのを身に沁みて実感する。そろそろヤバい領域に達していると思う。
4月からは内定貰った会社で働く予定だが、こんなことで務まるのだろうか。
ここに書いても仕方のないことだが、ストレスを吐き出す意味で。
少しだけ荒んだ心が和らいだような気がする。