セックスするのはさておき、一緒に暮らしてもそこまでぶつからず、話していてそこそこ楽しい知り合い、あるいは友人と暮らして、生活費を出し合い、貯蓄をし、急病や何か問題があったときは対応し合うような。
ほんとにな。羨ましい位だわ
一行一行から「俺は悪くない 被害者だ」という気持ちが溢れており、苦しい気持ちが伝わってくる。誰かを否定して叩くと一時的に気持ち良くなれるけど、それは麻薬だからやめといた方が良い。自分の利益になること楽しいことに情熱を傾けよう。
あなたからこういう反応が返ってくるとは思っていなかったので返答してみる。
増田でこの題名だとそういう内容を想像する人も多いだろうと思ったのと、初手に軽くユーモアを入れて雰囲気を緩くするためです。
ユーモアも感じられず終始深刻な雰囲気だし、そもそも無職中年男が若くてきれいな女性とセックスできそうな状況になるとこのタイトルを見て思う人間はいないだろう。
書く必要がないからです。読むのに6.6分かかるのはネットの記事としては長く、重要でない記述を削ってようやくあの文字数に収めています。
私が興味深いと思ったのは、それを書く必要がないとしたあなたの判断だ。中年男と若い女の間で問題が起きた、という話をするなら普通はこのような構成にする。
ところがあなたは自分についての説明を二行ですませて、みゆさんについての説明に移っている。これはかなり独特だと思う。
そして、みゆさんについてはそれなりの分量の説明をした上で、一番詳しく書かれているのがあなたが問題だと思った発言についてなのだが、その発言があったときの状況についての説明がまったくないのも独特だ。
「その日はいつものように〇〇駅で待ち合わせて、いつもより少し奮発して××で食事しながら楽しく会話をしていた」などのように、発言が出てくるまでの経過について軽く説明してもいいのだがそれをしない。
発言が出てからどうなったのかについても同様で、「なんだか気まずくなり、その後も会話は盛り上がらずその日は早めに解散した」などの説明があってもいいはずだ。
しかし、あなたはそうはしないで、自分が傷ついた発言があった瞬間のあなたの気持ちしか描写していない。
更に言うなら、みゆさんに「失望」した上であなたがこれからみゆさんとどうするのかも書かれていない。これからも数か月に一度の指名を続けるのか、別の女性をレンタル彼女で探すのか、レンタル彼女の利用をやめるのか、そういう将来のことについて説明してもいいのだが、あなたはそれをしていない。
「重要でない記述を削っ」た上で残ったのが、嫌なことがあった瞬間のあなたの気持ちなのだとしたら、あなたにとって一番重要なのは傷ついた自分の気持なのだろう。しかし一方で、あなたは自分自身についての説明をすることに価値を感じていない。これはアンバランスだと思う。
以前の職に戻ることを否定されたような気がして傷ついた気持ちを大事にするのなら、以前の職で自分がどのように働いていたか、なぜうつ病になり職をやめなければならなったのか、そのとき自分はどう思ったのか、などその根底になる気持ちについても語りたくなるだろうと想像するのだが、それをせず自分が傷ついた瞬間で時が止まっているかのような描写が続くのはかなり独特だし、それが逆に切実さも感じさせる。
「話を聞いてもらう」と書いているのに、他のコメントでも「相談」などと勝手に書き換えられています。読み手の先入観が伺えます。
話を聞いてもらうことと相談することは日常的にはほぼ同じ意味で使われている。
いやいや、ここで自分の話ばかりしてたらますます「自己中のおっさん」「人の気持ちがわからないオタク」と非難されるでしょう。
あなたが誰に非難されるのを恐れているのか知りたい。あなたはレンタル彼女というサービスを利用している客で、金を払って相手の時間を買い取っているのだから、自分の話ばかりしても何の倫理的な問題もないはずだ。
あなたが相手の気持ちを考えて話を聞くようにしていたのだとしたらそれはあなたにとっても良いことだと思うが、もしもその場にいない誰かの非難を恐れてそうしていたのであればそれは不幸なことだと思う。
自分の話だけして気持ち良くなるのであれば少なくともそのことであなたは幸せになっているし、相手に気持ち良く過ごしてもらうために相手の話を聞くのであれば相手の幸せを思って行動したことでやはりあなたは幸せになっている。
しかし、その場にいない誰かの非難を恐れて、自分が「自己中のおっさん」ではないのだというアリバイのためだけに相手の話を聞いているのであればそれはあなたにとっても不幸だし、相手にとっても失礼なことだ。
店員はそういうものなので何とも思っていません。不満に思ってたら危険な客です。「おおむねいい感じ」というのは、会話が滞りなく進んだり笑いが起きたりといったことです。
あなたがホワイトワーカーだとします。うつ病で休職しましたが、復職を目指しています。そこに同僚がやって来て「君なら工場労働ならできるよ」と言われたらそれは「復職は諦めろ」という意味になります。これは常識レベルです。
なんとも思っていない相手に同僚と同じようにあなたやあなたがやっていた仕事について理解することを要求するのはおかしいだろう。
なんとも思っていないというのは嘘だと思う。
そんなこと書いてないっつーの!
ならば、会えない間の数か月をどのように過ごしていたのか書いてほしい。予約をするときはどういう気分だったのか、待ち合わせ場所にはどういう気分で向かうのか、苦しく思うことや楽しく思うことがあったはずだと想像する。
みゆさんの発言は常識的に考えておかしいし、「他の人に相談したらフォローされた」(その人は失言だと認識した) って書いてるのに、批判する人は全員そこを無視するよね。
みゆさんはあなたと数か月に一度会うだけだし、私を含めあなたの文章を読んだ人々も、あなたがどのように働いていたか、あなたの病気がどのような経過を辿ってきたか、あなたが書かなかったのでまったく情報を持たない。
あなたが相談した相手と、みゆさんや、ネットであなたの文章を読んだ人は、同じ人間ではないし、あなたについて同じ情報を持たない。
あなたが書いた文章から読み取れるのは、みゆさんは不用意な発言をしたな、という程度のものだ。
ネットに限っても、無職中年男と若い女性とを対比させる風潮はそこまで強いだろうか?若い男性アイドル、資産家、スポーツ選手など、中年男を馬鹿にするためにダシに使われるものは他にもいくらでもある。
あえて意識を若い女性に集中して劣等感を持っているのはあなただ。
それも私の結論とほぼ同じですよね? 他にも「きれいだからって中身までいいわけないだろ」とか私の結論と同じことをドヤ顔で書いてるコメントがありましたが、他人の褌で相撲を取るなー!
全部の部分、特に最後の部分に返答をもらえなかったのは少し拍子抜けだが、読んで何か感じてくれていたら嬉しい。
言われたとおりにしなくてもまったくかまわないが、こういうやり方もあるのだと、記憶の片隅にでも残しておいてくれればそれでいい。
どうしたらいいか教えてほしい。
年齢は30手前ギリギリ、性別は男で、正社員ではあるけど大して収入はない。
結婚願望はゼロ超えてマイナスだけれども、今後の人生を考えると結婚するのは今の時期がラストチャンスなのかもしれない。
ただ、女性に性的欲求がない。別に男性にもない。中学生の頃から全く興味がなくて、未だにアダルトビデオすら借りたことも見たこともないし、これから見るつもりもない。
その代わり、個人的な趣向はものすごく冒涜的で(現実で絶対に実現できないものなので犯罪とかにはなりようにないのだが)、誰かに公にすることは絶対にしたくない。
一度学生時代に彼女を持ったことはあるけど、全く相手にできず、信頼もできずに別れた。
友人も殆どいないし、会社でも人脈はほぼ無いし、能力も乏しい。健康さも弱い。今後なにかで躓いたらそのまま死ぬまで真っ逆さまだと思う。
数少ない知人は、だからこそ結婚するべきだと、結婚すると人間が変わると言ってくる。
同じようなことを言って上司に無理やり風俗に連れ歩かれたときは全くそういう気分にならず、ただ吐きそうになっただけだったけれど、結婚は人を変えてくれるのだろうか?
誰とも交流せずに人が変わることはないとは思うのだけれども、それを人に期待して、騙して結婚するなんてあまりにも失礼なんじゃないか。
でも、こんな感じのウジウジした人間は、結婚でもしてなければそのうち仕事クビになってずるずる金を失って病気になって40代くらいで野垂れ死ぬのだろうな。
「お祝いムードに水を差すようで申し訳ないが、わずか半年前に起こった彼の風俗発言を振り返りたい。
推しのソシャゲが夏にサ終を迎えてから数ヶ月、心が虚無になってしまったのか何の作品にもハマれなくなってしまった自分がいる。
推しのソシャゲは元々売上が芳しくなく、ツイッター検索でタイトル名を検索しようとすると、ほぼ常にサジェストにサ終の文字がくっついてくる程だった。定期的にセルランが低い旨のツイートが流れてきて、その度にユーザー同士が「私たちが課金して支えよう」「みんなもっと課金しよう」という空気になっていたのだが、正直毎月使えるギリギリの金額まで課金していた私は、その空気に「もう出せる人は出せるだけ出してるよ、ユーザー同士で圧をかけあっても仕方ないよ、怖いよ」と勝手に怯えていた。
思えばこれはただ私が勝手に圧力だと受け取って勝手に怯えていただけの話ではあったのだけど、サ終の告知があった直後、匿名掲示板の推しソシャゲスレは「ゲームは良いのにユーザーが課金しないせいで終わった」という意見が少なからず書き込まれていた。その件もあって、やっぱり怖いというイメージは今でも捨てきれない。
ソシャゲはサ終=死ではないという意見もある。しかし夏にサ終した推しソシャゲはその後細々グッズ展開を続けるのみで、フラグを殆ど回収せず完結扱いになってしまったストーリーの続きが見られるかどうかというと、流石に希望が持てないと思う。
周りの推しソシャゲクラスタは新しい作品にハマっていき、そんな中で既に更新がなくなってしまったソシャゲジャンルに残り続けてくれる人は決して多いとは言えない。元々収益が見込めなくてサ終してしまった作品が、この状態から立て直すとは、申し訳ないが、とても思えない。
私は推しソシャゲのことが、作品として本当に好きだった。アツい展開のストーリーに魅力的なキャラクター達、クオリティの高い音楽、どれをとっても最高の作品だった。けれど私の課金額は決して多くはなかった。その事実が私の頭の中で、「私にもっとお金があれば良かったのだろうか」という後悔を生んでいて、推しソシャゲを好きだった気持ちよりも、「つらい、もう二度とソシャゲはやらない」という負の感情を後押しし続けている。
もちろん、たかが一人が少し多くお金を出せるようになっただけでソシャゲの命運が変わるわけがない。事実はそうだが、理解しているはずなのに気持ちを切り替えられないでいる。
前記の圧力を感じてしまった話に戻る。ここからはぶっちゃけオタクのお気持ち表明だ。(というかここまでもただのお気持ち表面だ。より主観が強い文章になるのをお許し頂きたい。)
推しソシャゲは「作品の出来はいいのに運営の課金誘導が下手」と各方面から言及されるほど、課金要素が緩い作品だった。裏を返せば無課金でも楽しめる要素が豊富で、そんな開発や運営側のサービス精神がユーザーの信用を買っていたのだと思う。
ただ、その運営への信用が、私にはユーザー同士の圧の掛け合いを生んでしまったように思えて仕方ない。
予め私の主張を表明しておくが、"この話は運営が悪かったわけでも、ましてやユーザーが悪かったわけでもない"。ただ、"大好きな作品を何としてでも終わらせたくないという皆の愛情が、拗れて表面化してしまった悲劇"なのではないかと思っている。全て一個人の主張であり、主観的な意見であることをお許し頂きたい。そして文章が長くとっ散らかってしまっているのも申し訳ない。
実は、推しソシャゲはサ終告知の前から、徐々にイベント配布の(スキルのようなものである)モーションの使い回しをするようになったり、さらにはその使い回しすら無くなったりしてしまっていた。
この時クラスタは(少なくとも私の見える範囲では)、使い回しにガッカリする人や、売上が下がっているから仕方ないんだと解釈する人や、さらにはお気持ち表明ツイートをする人、その人に対してお気持ちを表明する人、などで少々荒れた空気になってしまった。
推しソシャゲは3Dのモデルを使用しているゲームだ。3Dのモーションを一から作るのには、2Dのイラストを動かすよりも明らかにコストがかかる。それなのに、売上は下がり続けていた。そんな運営状況が続けば、課金に繋がりにくいイベント配布からコストを下げられるのは仕方のないことだと思う。
だけど、「せっかく課金したのにモーションが使いまわされるなんてガッカリだ」という意見が出るのも仕方のないことだと思う。そのイベントでは、前イベントでのガチャ排出のモーションが、配布イベントに使いまわされていた。せっかく課金したのに、ガチャ産が配布に使いまわされるなんて、と不満に思うのはある種ユーザーの権利だとも思う。
ただ、その後のイベントが問題だった。今度は配布カードには使い回しのモーションすらなく、そのもの自体がなくなってしまった。そして告知にはただ、「今回のイベント報酬にはモーションは付きません」というお知らせしか書かれていなかった。(運営が内情まで説明できるわけなんてなく、これも仕方のないことだと思うが。)
そこで、様々な憶測がユーザー同士で飛び交ってしまった。「ユーザーが使い回しを嫌がったからモーションそのものが無くなったのでは」や、「使い回しすらできないほど運営がピンチなのでは」など、様々な意見でクラスタ(重ねて言うが、私の見ていた範囲の話だ。)内は荒れてしまった。これらの意見は全て憶測に過ぎないのだが、運営からの説明がない以上、ユーザー側は推測でなんとか納得しようとせざるを得ない状況だった。
けれど、ここで運営がコスト削減の理由を説明なんてしてしまったら、憶測のうちどれかが事実だと確定してしまったりしたら、クラスタはさらに荒れてしまっていたかもしれない。この件に運営が上手く動けなかったのも、仕方がないのではないかと思う。
大事なことだからもう一度言う。これは運営が悪かったのでもなく、ユーザーが悪かったのでもなく、ただ私が勝手に疲れてしまったと言う話だ。
運営の状況がわからず、サ終に怯えるユーザーは推測で物を語ることしかできない。運営は悲鳴すら上げてくれない。大好きな作品が突然終わってしまうかもしれないという恐怖で、誰もが気持ちを落ち着けるための納得がいく理由を欲しがっていたのだと思う。それがユーザー同士に向いてしまったのでは、と捉えている。大好きだからこそ、絶対に終わって欲しくないからこそ、愛情が生んでしまった悲劇なのではないかと思っている。
私が、ただ勝手にそう思った、という話だ。
サービス終了の告知を見た時、実は私は、少しだけ安心してしまっていた。ようやく「大好きな作品が終わってしまう恐怖」から解放されたような気がした。推しのソシャゲのサ終に安心するなんて、我ながらとんでもない親不孝、ならぬ推し不孝だとも思う。
そんなことが夏頃にあって、現在私は特に何の作品にハマることもなく、特に好きなものもなく、虚無の日々を過ごしている。また何かにハマった時、こういった「クラスタに対し勝手に恐怖を抱く」ことで、作品愛を疲弊が上回る"推し不孝"の状態になってしまうのでは、と思うと、何かに対して好きという気持ちが湧いてこない。
自分はものすごく一般人だ。挫折も苦労も、あまちゃんなこともしてきた。社会人だ。
そんなやつでも悪いやつは普通にいることを知っている。
例えば、○市では顔を知らないやつは居ない
○麻やってるやつとか
バイクで轢き殺そうとするやつとか
でも自分はしない。そして混じらない。仲良くしない。
流されない心。それが一番大事。
わかる 俺も困ってる たぶんだけど世の中みんな同じように困ってて汚い服の積み上がった部屋で俺やお前のように臭い服着て生きてるんだよ
増田もブクマカもハンガー推しだったので、ハンガーラックを買うことにする。キャスター(苦手)のついてない安定感がありシンプルで安いのを探して買おうと思う。クローゼットは既にハンガーでギチギチだけど下の部分を活用してみたいなあ。
売ろうとするな、捨てろという声に従おうと思う。私服勤務だから服の数は人より多いと思う。ファッションに無頓着だった時は人権が少なかったからおしゃれをやめるのが怖い。あとできれば普通の人みたいにしたい(無理なのは十数年かけてわかったけど)。友達な家とか泊まると羨ましくて泣きそうになる。ワンピースについては、スカートが苦手なので残念ながら履けない。ワンピース一枚で生きるの楽そうで羨ましい。あと、親が物を捨てることを激しく批判する人達だったので捨てるのが怖い。特にパジャマが溜まっていくのが苦痛(でも便利)。一年きたら捨てていいんだよね?
床の山はハンガーに全部かけてドアの上に引っ掛けた。くしゃくしゃの服にまとめてアイロンをかける必要がありそう(じゃないと一生くしゃくしゃのままだと思う)。8日前に靴下のカゴを作ったのがいまのところうまくいっていて嬉しい。
とっても欲しい。すごく欲しい。いっぱいブクマしてる。でも宿舎暮らしで数年以内に引っ越す可能性も高いから買えない。悲しい。生活のルーティンが作れない病気なのに引っ越しの多い仕事についたのはアホとしかいえない。
増田を書いた時はすごくやる気があったんだけど今は憂鬱でもう嫌な気持ちしかない。浮き沈みが激しくて、突然ちゃんとしたいと思い立つけどいつもうまくいかないよ。こんな暮らしがいつまで続くかって……死ぬまでだ……。
夏物は1日着たら洗って仕舞えばいいからまだわかるけど、秋冬物は何回か着なきゃならんからどうしていいかわからない
何回来たら洗うべきなのかわからないからその辺に積んでるうちに山になってしまった
引越しのときの圧縮袋がまだクローゼットに入っているし、そこから時折服を引っ張り出しながら生活している
引き出し…を使いこなせたことがない
干した服を畳んでしまうような高度な家事が果たして自分にできるのか……そう考えるとなかなか引き出しを買うことに踏み切れない。一応下着と靴下をしまう小さな引き出しはあるのだが、ほとんど活用されず天板の上だけが物置になっている。
服を着る、着た服を洗う、干して乾かして収納する、のような難しいことを本当にみんなできているのだろうか。どうすれば出来るようになるのか助けて欲しい。
より分けて洗濯して干す、そのあと収納しなくてはならないということはわかる。コツなどがあれば教えて欲しい。
これが分からなくていつも困っている。引き出しを買えば良いのか?一人暮らし分の服をどれぐらいの容積の収納に、どのように仕舞えばいいのか教えてほしい(今の部屋はドア2枚分の横幅のクローゼットと小さな4段箪笥がある。スタンダードな3段のカラーボックスも一応ある。)
苦手なのが、着る→洗濯の間にもう一回着るが入るセーターなど秋冬物。これを床に積んでしまうのがいつも一番の問題。これをどうすればいいか教えて欲しい。それから、着る洗濯収納サイクルの回し方、洗濯機は週に何回回せばいいのか教えてほしい。
ちなみに下着のローテーションはかなりうまくいっていて、脱衣所の洗濯機の上に洗濯バサミがいっぱいついたやつを釣っており、脱いだら洗濯機、干すときは洗濯機の上のとこ、着る時はそこから取るという素晴らしく便利なサイクルがある。
どうしてみんなそんなに服上手く服をリサイクルできるのか教えた欲しい。まじでこんな難しいことを365日毎日出来るやつ意味わからない。東大は3年ガチれば受かるけど、服は一生じゃん。難しすぎない?