「Live Grooveの間だけだし、やることも簡単だから、大丈夫大丈夫。じゃあさっそく仕事の説明するね」
「はい」
「お客さんが一番右のmasterっていう選択肢を選んだら、属性を確認して、レベル28の曲をなるべく選んで、出すだけ。簡単でしょ?」
「まあ…そっすね」
「28出せないときは27でもいいよ。必要なのは殺意だから。頑張ってね」
「わかりました」
この法案を覚えている人、いらっしゃるだろうか? 10年程前、日本で人権委員を設立し、ヘイトスピーチを取り締まろうとした法案だ。
この法案が出た当時、表現の自由の観点からさまざまな批判が行われた。選抜基準が不透明であり、実質的な言論弾圧になりうる。そうした批判が主だったように思える。
当然……と、言うか、なんというか、2ちゃんねるでも、当時山ほどあった個人サイトでも人権擁護法案に反対する運動が起こった。
人権擁護法案反対の同盟(あぁ、「同盟」って単語も懐かしい)も作られた。
そして、その反対運動は、最近の言葉で言えば「カジュアルな差別」とともに行われた。
「実質的な言論弾圧になりうる」という、その一点をきりとれば、至極尤もな主張は「在日や利権を持っているマイノリティだけが得をして、普通の日本人は損をすることになる。それどころか、実質的に、やつらに日本の言論を支配されることになる」という、明らかに間違った被害者意識、と言うか差別的な主張とセットで行われた。
当時、世界各地で、人権委員の設立が行われていた。具体的な事例は、当時は法務省のHPに掲載されていた。現在ならば、師岡康子「ヘイト・スピーチとは何か」(岩波新書)やエリック・ブライシュ「ヘイトスピーチ 表現の自由はどこまで認められるか」(明石書店)などで、当時の流れをつかむことができる。
だが、そうした観点から、実際の外国人での人権委員の活動や議論を調べ、紹介するような者はいなかった。
結局、振り返ってみれば、当時の人権擁護法案の反対運動とは、「『他人の自由や尊厳を侵害しない限りは』何を言ってもかまわない」と言う本来の表現の自由ではなく「カジュアルな差別をしたい」と言う欲望を守るための言論だったのだろう。
別段、驚くべきことでは無い。
YAHOOでホロコーストについて検索すると、悪名高き世界史コンテンツが真っ先に出てきた。
中国人は王朝の変わり目に数千万、あるいは億単位で人口が増減し、現在の漢民族は漢民族でもなんでもない得体の知れない雑種と言う、どこから突っ込めば良いのかわからない発言をすることが、「中国史通」の条件だった。
当然、教科書に書かれている、日中戦争ならびに太平洋戦争当時の日本軍の問題行為はすべて中国と朝鮮のでっちあげと主張する連中が、面白い人、そして、「一方の情報を鵜呑みにしない人」の条件だった。
保障された権利を行使する連中を冷笑し、「プロ市民」とあざけり、スイスの民間防衛を引用しながら中国のスパイ呼ばわりすることが、「良識的で政治に関心がある人」の条件だった。人権の保障などあきらめ、あるいは現状で満足し、お国の迷惑にならないことを第一に考え、軍事増強を唱える。それこそが、「知的」な人間と呼ばれるための条件だった。
現在、そうした妄言を垂れ流していた個人HPのほとんどは消滅している。
だが、うっかり信じてしまった連中は残った。おそらく、掲示板に書き込みをしていたヘビーユーザーは氷山の一角で、その何倍ものROM専の人間が、上記、カジュアルな差別で塗れたデマを信じ、「新しい知見」と考えたであろう事は想像に難くない。
やっかいな事に、そうした連中のほとんどは、当時自分が疑問に思った事について、情報の更新を行っていない。ヘイトスピーチ、そして、その規制法案について語るとき、上であげた該当問題の入門書を読むこともせずに、人権擁護法案反対のコピペを唱え続けている連中のなんと多いことか。
挙句、何の根拠も無く「日本は外国と違う。日本においてヘイトスピーチと呼ばれているものは、虐げられた日本人の正義の怒りであり、理由の無い差別ではない」などと恥ずかしげも無く言ってみせる。言っていることとやっている事はネオナチとほとんど変わらないのだが、彼らに言わせれば違うらしい。
ホロコースト否定論は相変わらず上位に出てくるし、トンデモ中国史は倉山満によって、よりおぞましい物に進化を果たした。
そして現在、twitter、togetterには、それらトンデモを真に受けた馬鹿共が今日も元気に、それも大量に発言を投稿し続けている。
だが、忘れてはならない。
彼らを作り上げたのは、10年前のわれわれだ。中公文庫や講談社学術文庫の中国の歴史を読むこともせず、
あるいは、出版されている本を読み、自分が攻撃する相手が具体的にどんな主張をしているのか調べることもせず、
そのくせ、井沢元彦「逆説の日本史」や小林よしのり「戦争論」を読み、新たな知見に目覚めたとか大それた事を考え、検証の手間を惜しんで、自分のHPで全世界に発信してきた私たちだ。
入門書一冊読まないくせに、そのくせ上記の本を読んだだけで満足し、自分は知識欲旺盛な人間だとのぼせ上がり、そのうぬぼれをwebで全世界に公開した、厚顔無恥な私たちだ。
私たちの馬鹿を信じた結果、今の、肥溜めのようなweb界隈がある。それを作ったのは、間違いなく、私たちだ。
かつて、ネットは誰でもメディアと呼ばれた。その文句のとおり、私たちは多くの情報を発信した。
だが、振り返ってみて、10年前の私たちは、後世に胸を張れるような情報を発信してきただろうか。
数日前に増田にあった、オタクだった女の子が、結婚して子供出来たら、子供を守りたいという欲求が強くなって、その子供と同年齢の女体に性欲を向ける美少女ゲーなどオタコンテンツとかが嫌いになるというルートもあるって話について考えてたんですね。
そういうルートがあるだろうことは、俺の知人の子持ちになった層を見ても、何人かはそれに近い感じだったから前々からなんとなく感じてた。
でもその手の、ある程度頷けなくもない心情的アレコレを経てアンチオタになった人に対してどうすりゃいいんだかわからん。
彼ら彼女らの心情を否定するのは躊躇われるけど、オタ作品に反対されてもオタクとしては困るんだよな。
まあ罵倒はしない方がいいのは分かる。(っていうか罵倒すべきでないのは常にそうだが)(そしてそれでも罵倒する奴はどの陣営にも、自分や相手にどんな事情があっても存在するからこの世はクソでみんな死ぬのが最高だが)
アレコレ反論したりせず、聞き流せばいいんかね。でも、今の時代って彼女らの発言もウェブに発信できて、それなりに潮流を作れるわけで、それを聞き流してるとオタクの立場がますます悪くなりかねないんだよね。
話を広げると、「事情があることは分かるが、それでも意見としては相容れず、放置しておくとこっちの首を絞める遠因になる相手」にどういう態度で接したらいいかがわからん。
これって、テロとの戦いとか、職場の揉めごととか、色んな場面で似たような難しさあると思うんだけど、どう処理するのが無難なの?
なぜなら、家が裕福だからだ。
一人暮らし先の月6万円の家賃抜きで12万円の仕送りが毎月振り込まれる。
京都で月6万円は相当いいアパートに入れるのは確かで、日当たりは最高に悪いが、とても広い。
夏休み、ずっと都心の賃貸マンションの一室の実家でオナニーをしていた時も12万円を父親は振り込んだ。
本当は頭が良ければこんな年間学費200万の京都の頭がすごく悪い大学の底抜けのバカが集まる学部になんか行かなくてよかったのに、勉強がとても出来ない人間だから来てしまった。
実家からは法政大学や明治大学の立派なタワービルが見えるけど、馬鹿だからこんなところへ入ってしまった。
とても後悔している。
自分が愚痴を吐き出す、友人なのかよくわからない存在のやつもアルバイトをやっていないが、日本学生支援機構に300万円の借金がある。
どうするのかはよくわからない。
北海道の付属校から来るとても頭の悪い奴らは親が田舎の医者だったりするので同じくアルバイトをしていない。
彼らと接すると田舎の金持ちの子供というのは性格が悪い。補助金ありきの仕事での金持ちが多いから、卑しくなるのだろうか。
まぁ、年間学費200万円の金蔓学部に入る子供はなんだかんだ金が家にあるのだろう。
下宿生なのにだ。
アルバイトをしないで仕送りが多いからといって、生きているのが楽しいかといえば嘘である。
京都は学生が多い街だから、アルバイトも買い手市場な気がする。
気がするだけでよくわからない。まぁ働いている人間の容姿が良いのだ。
同じ学部にとてつもないドブスがいて、たまに自分の脳内に現れて自分を苦しめるのだけど、アイツのような容姿の女が大学周辺で働いている感じではない。もちろん彼女に男はいない。
まぁ、もしかしたら彼女にもバイト先はあるのかもしれないが、大学で容姿が悪いが為に孤立している彼女は働いても地獄に違いない。
彼女が自分より裕福な感じもしないので、僕は彼女の将来が非常に苦しい物になることだけはわかる。
おけしょうや美容整形じゃ焼け石に水な容姿の彼女が働ける場所があるのかといったら都内で働いている人を見ると、なんだかんだ彼女ほど皆、醜くないからどこにあるのだろうと思うし、可哀想になる。
じゃあ、お前が救ってやれよ 似た者同士でお似合いだとか言ったらそれは違う。自分は彼女の姿を近くで見たら吐く。
セックスなんて言ったら泣いて、首をつる。
金だって出したくない。容姿が悪いというのはお互いそうだけど、彼女を救いたいかと言ったらそんなことはないのだ。醜いから。
ゴブリン同士で嫌いあう最悪で、嫌になって来る様だ。
学部のパンフレットを見てくれれば分かるがNTTに就職した女も某映画配給会社に就職できたという男も容姿がいい。
自分は働ける容姿がないが、働ける場を用意できる家でよかった。
夏休み用意された働き場でアルバイトをしたが、自分の背景には父親がいるのだから社員は悪口や酷いことなんかしないし、まるで美人に接するように一生懸命無理して酷く醜い容姿の自分に笑顔を送ってくれた。
無理して働かなければいけなくなった時、容姿が悪い自分やあのドブスな彼女は苦しむだろう。
アルバイトを少しして、授業で寝て、彼氏とセックスする容姿の良い女の子が一番羨ましい。
仕送り12万円で、醜い容姿のせいで人は近寄らずに、イライラしながら容姿のいい女を羨んで、金を稼ぐ父の死が来ることに怯えながら、バカメイカンにうんざりする日々である。
http://anond.hatelabo.jp/20151001212231
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:anond.hatelabo.jp/20151001212231
別に女がどうこうって話をするつもりはないんだけど、女性のオタクの人を傍から見ていて「これは男性のオタクではあまり見ないなー」って思うものがある。
「○○(カップリング名)って××(曲名)のイメージなんだよね」みたいな話がよく出る。
曲の歌詞とか雰囲気とかにそのカップリングを当てはめて萌えているらしい。
映画とか小説とかとにかくいろんな物語に自分の推しカップリングのキャラを当てはめてパロる。
その世界観にキャラを放り込むのではなく、登場人物にキャラを当てはめる。
単純に面白い組み合わせだから、じゃなくてストーリーとか世界観を踏まえたうえでのパロディ。
「○○(カップリング名)で△△(映画名)パロやったら絶対やばいと思うんだけど」ってよく聞く。
わかる。
ちゃんと体系的に(なるべく実地に)学んで、自分の中で生きた知識になってないと、
本当は発言するのが恥ずかしいはずだと思うんだよね。
意図的に誤字を残して突っ込ませるテクニックがたまに増田やはてブで批判されるけどさ、
フックを用意してそれで相手の意識をこっち側に引っ張ることや相手に考えさせることで当事者の側に近づけてしまうのってプレゼンの基本テクだよね。
はーい。してまーす ノシ
昔は、局部をぼかしてない(=修正)絵を見ると、「やめて! なんでそんなもの見せるの!」ってなってたけど。
うん、オトナになったなー。
銭湯の最大のメリットは自分とは違う性別のロリやショタに会えること。
これは誰も異論がないでしょう。
これ駄目でしょ。
詐欺でしょ。
羊頭狗肉もいい所ナットマトンバッドホットドッグファッキンジンギスカンアーユーキディングミーですよ。
オッサンがショタのおちんちん見に銭湯来ると思ってるんですか?
オバサンが他のオバチャンの贅肉見て優越感に浸るために来てると思ってるんですか?
間違いなく潰れます。
奥田 泰弘 魔法少女リリカルなのはシリーズ(キャラクターデザイン)
浅野 恭司 参加作品:PSYCHO-PASS(キャラクターデザイン)
http://kogabunka.com/%E6%9C%AA%E5%88%86%E9%A1%9E/momoka.html
久保田 誓 参加作品:ワンパンマン(キャラクターデザイン)
紺野 大樹(原案はringo) 参加作品:物語シリーズ(劇中絵巻など おそらくアニメーターと思われるが、謎)
http://www.city.mizunami.lg.jp/docs/2014092922728/
吉田 和香子 参加作品:俺がお嬢様学校に「庶民サンプル」としてゲッツされた件、のんのんびよりりぴーと(作画監督)
http://ogaki-kyun.com/story.html
松原 秀典 参加作品:サクラ大戦、ああっ女神さまっ(キャラクターデザイン)
http://trap-takaoka.jp/index.html
http://www.mhr-cci.or.jp/cci/miharin-takojii/
ウシロさんがこんなイラストを描くとは知らなかった。
はじめはそんなもんだろ頑張れ
○朝食:なし
○昼食:鶏そぼろご飯
○夕食:一平、カニ雑炊
○調子
また月曜日から頑張るためにたっくさんむきゅーむきゅーして体を休めた。
Netflixで全話視聴。
きららを支え続けてきた荒井さんの初アニメ化がきららじゃない四コマ雑誌からってのは、
何故かきらら系列ではメディアミックスは本誌よりキャラットの方が強いってのを表して面白いな、と思いました。
Netflixで一話を視聴。
なかなか面白いな。
シノハユとかワートリとかコレみたいな、
「負けてもいい」って作品がいいのかも。
今ある本を読んでいるのだけど読み進めていくといまいち理解出来ない部分も多く、そんなときネットでワードを検索するのだけどその検索結果の一番上に上がってくるのはその本を参考にしたと思われるブログで、一応ブログの中身を読んでみると言い回しを変えたりくそつまらない修飾をしてるだけでその本、それに関連した本の中身をそのまま写しただけのものが多い。もちろん学んだ知識を吐き出すのはいいことだと思う。俺が気に入らないのはそれをさも自慢げにあるいは謙虚なふりをして学んだ知識を見せびらかしたいというのが文章から読み取れるからだ。映画「グッドウィルハンティング」で本を丸暗記して他人にひけらかすのがいたけどそれと同じようなものだ。匿名の筆者は只思ったこと書けばいいと思ってるかもしれないけどを文章一つでかなり不愉快な印象を与えることを承知しておいてほしい。