「東京芸大」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 東京芸大とは

2011-11-23

コピーコピーコピーで記事の体裁をなしていないJ-CAST

今更言っても無駄だと、それがJ-CAST連中のやり方だと言ってしまえばそれまでかもしれない。Jカス絡みでこんなのはよくある事だ。けどやっぱり今回の仕業にはあまりにも目が余る。

これについてだ。

「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (1/2) : J-CASTニュース

この記事は、朝日新聞社サイトで連載されている小原篤の連載コラム「アニマゲ丼」を発端として書かれてるもの

こちらがそれ

asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能

そもそもは11月12日東京芸術大学で開催された、「第2回 映像メディアサミット LOOP-02 マンガアニメ映像メディア学的再考」というセッション押井守が参加し、トークした内容が大本になっている。

その模様はユーストでアーカイブとして見れたが、20日までの限定配信で現在は見れない。


まず「アニマゲ丼」の記事は、見出しが示しているように「若者は夢は持つな」という旨の発言を軸にしている内容である事がわかる

以下引用

asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能

 「やさしい、というのは、励ますとか慰めるのとは違う。『親身になれた』という意味で、それまでは若者のことはどうでもよかったのが目を向けるようになったということ。で、若い人のことを考えれば、本当のこと、残酷なことを言わざるを得ないと思い、ちょうどそのころ中学生高校生と話す機会がたくさんあったので、こういう話をした。あなたたちは限りなく凡庸で無名で何の個性もないんだ、『一人一人がかけがえのない存在だ』なんて大人のウソを信じるのはやめて、早く幻想を捨てろ、夢を持つな、あなた方の未来にいいことなんて何一つないんだ――というところから始めたらどうでしょうか、と」

 なんて身も蓋(ふた)もない、と思いましたが08年8月11日の本欄で私は「スカイ・クロラ」について「あまりに救いのない、というか身も蓋もない結末ではありませんか」と書いていたのを思い出しました。

ここが「アニマゲ丼」で一番取り上げたい部分なのだろう。

この押井守の主張に関する是非は置いておくとしても、この記事自体はバイアスがかかっている気がする。

実際の講演は第2部「アニメーション日本戦後社会ロボットサイボーグアンドロイド、そして人間」というタイトルが付けられている通り

パトレイバー攻殻機動隊監督した者として押井ロボットアンドロイドのあり方を問い、技術論を語り、さらに原発の話題にも振れていくところが主体の講演だった筈だ

ここのスカイクロラの部分はほとんど寄り道であって、「アニマゲ丼」の記事を書いた小原篤主観として誇張気味に書いている節がある。

いわば押井の講演内容からコピーしてトリミングして、そこに小原自身の主観を交えながら書かれている記事だ。

J-CASTはそこから更に、何故か突然「萌えアニメ」「ハーレムアニメ」などと言った単語を挿入し、押井守が今の萌えハーレムだらけのアニメ業界に苦言しているようにも取れる記事を書いている

それが冒頭のURLなのだが、かなりおかしい。

まずアニマゲ丼から押井が今のアニメに苦言しているという部分を引用する

asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能

そして現実劣化コピーに過ぎない実写と違い、「現実に根拠を持たない」アニメは珠玉の工芸品となり得、アニメはその根本から細部までコントロール可能であるがゆえにその力を使ってアニメ監督は、全世界・全歴史に向けて自分の言いたいことを完全な形で言えてしまうという誇大妄想の極限を味わうことができる。これは悪のにおい、危険なにおいがする。ゆえに若い人をひきつける。しかし僕の見る限り現在アニメほとんどはオタク消費財と化し、コピーコピーコピーで「表現」の体をなしていない。

これはどちらかというと、アニメ監督をすることで「誇大妄想の極限を味うことができる」部分に目が行くと思うのだが

前後をぶっちぎって、今のアニメほとんどはコピーのコ(略)の部分に脊椎反射している人間が多いようだ。

しかしこの記事のこの部分は全貌するとこうなっている

asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能

 押井監督は、日本人科学技術の表面的な受容と円滑な運用のみにかまけ、その技術の核たる思想、技術ゼロから立ち上げる思想を持たなかったことが今回の原発事故を生んだと指摘。様々な当事者認識を改めるために今回の事態をヒロシマナガサキに続く「第3の原爆」と呼ぶべきだと訴えました。「技術の思想」の欠如は、ロボットに「かっこよさ」のみを求めるアニメ製作者の思考にもあてはまる、と自作機動警察パトレイバー」をもとに批判を展開し、そして訴えかける核を持たない日本アニメは、その表層を細緻(さいち)に描き込み磨きあげることで「極東の島国の珍なる文化」として世界に地位を獲得したと分析工芸品的に細部を作り込みたがるその日本人的な意識が、細緻(さいち)な映像表現に好適なロボットアンドロイドサイボーグなどへと向けられた結果、肉体や自意識をめぐるテーマへと結びつき、つまりアニメという表現形式が発展過程テーマをはらんでしまったのだと説き明かしました。そして現実劣化コピーに過ぎない実写と違い、「現実に根拠を持たない」アニメは珠玉の工芸品となり得、アニメはその根本から細部までコントロール可能であるがゆえにその力を使ってアニメ監督は、全世界・全歴史に向けて自分の言いたいことを完全な形で言えてしまうという誇大妄想の極限を味わうことができる。これは悪のにおい、危険なにおいがする。ゆえに若い人をひきつける。しかし僕の見る限り現在アニメほとんどはオタク消費財と化し、コピーコピーコピーで「表現」の体をなしていない。あと、ユニコーンガンダムのツノはアイデアとして面白いけど、だからどうなの?

 ってな話を約2時間、相変わらず、とうとうとまくしたてたのでありますが(上のまとめは少々わかりやすくかみ砕いてますメモをとるのが疲れました。私はそれより、新作の話はないの?って聞きたかったんですけど。

ここで「アニマゲ丼」の記事は終わる。

訓練された押井信者(笑)ならば、ここは「ああ、最後はいもの押井で終わりだな」と、顔をほっこり緩めるところだろう。

「アニマゲ丼」としてはこれをオチの部分にしたかったに違いない。

アニメはコ(略)などはほんの極一部分にしか過ぎないし、これだけでは押井真剣に憂いているのかどうかもわからない。

さて、J-CASTの方を見てみよう

「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (1/2) : J-CASTニュース

朝日新聞2011年11月21日付けの電子コラム「アニマゲ丼」で、押井さんの東京芸術大学大学院映像研究科での講演(11月12日開催)を紹介した。講演で押井さんは

「僕の見る限り現在アニメほとんどはオタク消費財と化し、コピーコピーコピーで『表現』の体をなしていない」

と語ったという。つまり制作者には新たな創造性や、作品を通じて訴える思想的なものが欠如し、過去にヒットした作品の焼き直しばかり。例えば「萌え」が流行すればそうした作品ばかりになっている。また、今のアニメオタクと呼ばれるファン層に媚びたものが多く、こうしたことから表現」が制作から無くなった、という批判だ。

確かに119月から始まった20本近い新作テレビアニメを見ると、さえない男性主人公の周りに美少女が群がる「ハーレムアニメ」が驚くほど多く、過去にヒットした「ハーレムアニメ」作品と共通する内容がかなり多い。

突然どこからか「萌え」「ハーレムアニメ」という単語が出てきた

それどころかかなり履き違えて解釈しているのではないか

押井が言いたいのは「アニメという現実に縛られない媒体を使うことで、監督自己主張を完全な形で広められる。こりゃたまんねえ(快感)。でもそこまでやる奴ぁもうほとんどいないよね」という事を言いたかったのでは?これも俺の主観ですけど。

どちらにせよ「オタク消費財」や「コピーのコ(略)」が萌えアニメハーレムアニメだけを指しているというのは暴論だろ

その発言の直後に出てくるのはガンダムUCだし

J-CASTはあくまで「ネットでそう反応されてる」と言い訳のように使ってる

「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (2/2) : J-CASTニュース

今回の押井さんの発言についてネットでは

萌えクソアニメの乱発は誰が見ても異常」

アニメ業界が飽和しすぎで、コピー品を粗製乱造しなきゃ回らなくなってる」

「売らなきゃ食っていけないからな。安定して売れるのがオタク向け萌えエロ

などと納得する人もいるのだが、現在主流となっているアニメのファン達は、自分達の趣味趣向、好きなアニメを批判するのは許せない、と激しく反発。しか理論で立ち向かえないからなのか

押井アニメくそつまんねーんだよ」

押井信者向けの消費財じゃん」

などといった作品批判や、人格批判へと発展し、大混乱となっている。

これでJ-CASTの記事は終わる

J-CASTとしては、「ネットでは押井守萌えアニメを非難していると言ってる」として、そこを拡大解釈しまくってこんな記事を書いたのだろうか

そもそもそのネットってのはどこのネットを指してんの?2ch

ちなみにニュー速+では

【話題】「今のアニメオタク消費財と化し表現の体をなしていない」押井守さんの発言でネット上は騒動に

というスレッドが立ったが、それはJ-CASTの記事を受けてのものだったし、★4まで伸びたがそれ以上の次スレは立っていない。(追記、★6辺りまで伸びたっぽい?)

一体どこで"大混乱"になってるのか全然思い辺りが無いんですけど。

押井守東京芸大での講演が、「アニマゲ丼」がダイジェスト記事にしている時点ですでにコピーだし

それを読んで、どこかのネットでは「押井守萌えアニメ馬鹿にしている!」と憤慨しているならさらに劣化コピーで伝わるべきもの全然伝わってない

その劣化コピーをさらに劣化コピーして記事を作ったJ-CASTはまさに「コピーコピーコピー」だ

こんなのを個人ブログでやるならまだしも、企業ぐるみで金を回しながらやってるんだから狂ってるよJ-CASTは。

2010-05-09

学歴主義と反知性主義の結びつき?

大学院を出て五年近く、今頃になってやっと気がついた。

なまじっか「高学歴」と呼ばれる経歴を持っていると、ときどき「高学歴の奴は勉強しかしていないからダメだ」(勉強「しか」していない奴なんてどこにいるんだ)とか「欧米の一流大に比べれば東大カス」(「欧米の一流大」や「東大」の実態をあんたはどれだけ知ってるの?)とか「お前は高学歴だからって俺のこと見下してんのか」(はあ????)とか、何も言う前から勝手喧嘩売ってくる奴にたびたび出くわしてそのたび辟易してたのだが、これは案外「学歴コンプ乙」だけで片付けて良いものではない、もう少し根が深いのかもしれない。

実際、こいつらの考えは別に事実認識としては間違っていない。「学歴が高いから優秀だとは限らない」「試験のための勉強が実社会で役立つとは限らない」その通りだ。誰もそんなことを否定はしないだろう。だったら、そんなこと黙っておけばよい。黙っておけば「学歴」のことを意識に止めることもなくなり、自ずと「実力」だけが浮かび上がってくるのだから。問題は、こいつらがその辺でやめておかないことだ。何が何でも、学歴と「実力」は無関係だとか、あるいは高学歴人間は実際は「実力」が低いだとか、そういう風に決めつけたがる、あるいはそういう色眼鏡で人を見る。うざいことこの上ない。

そしてそういう奴に限って「ネットは知の高速道路」とかそういうわかりやすいフレーズマンセーして、生半可な「知」にしがみつきたがる。単に特定のプログラミング言語コーディング技術が高いか低いかというのが「IT」の全てだと思っていたり、あるいは「やる夫で学ぶ」程度のわかりやすいお話歴史政治経済について、「『マスゴミ』に騙された愚民」とは違う「真実」を知った気になったりしている。

不思議なことこの上ない。「業務システムコーディング」は「IT」の氷山の一角にすぎなかったり、「リフレ」は学説の一つに過ぎなかったりという発想がまるでないのだ。たとえば「IT」でも経済学でも、音声・画像処理だとか近代経済学だとかの分野はかなり高いレベル数学に基づいていて、これらは「知の高速道路」とやらで促成栽培できるものではないということにまるでお気づきでないらしい。

別に誰しもが「学歴」を追及する必要はない。スポーツ選手料理人を「学歴」で測るのは無意味なことだろう。それらに限らず「知の高速道路」を辿って行き着ける分野で活動する限り、「学歴」に価値を見出さなくともそれは当然だ。しかし、そういう自分の狭い知見だけで、「あらゆる分野で学歴無意味だ」といってわざわざ他人に喧嘩を売り出すとなればもはや「コンプ乙」だけですまされるものではなく、もはやこれは反知性主義としか言いようのないことだ。到底「仕分け人」を馬鹿にできる筋ではない(実際、「光より速い通信手段」云々といって盛り上がっていた連中のうちのどれだけが、電話回線の中を電気信号光速で伝わるという事実に気づいていたのだろうか)。

酔った勢い愚痴を垂れ流していたら結論をどこに持って行こうとしていたのかもはやわからなくなってしまったが、ともかくこういう風潮は健全でない気がする。「学歴」がないことに劣等感を持つ必要はないが、「学歴」の価値自体を躍起になって否定しようというのはどう考えても頭の良い考えではないだろう。東大よりもよっぽど入るのが難しい東京芸大卒業生劣等感を抱く人は少ないだろうし、東京芸大卒業生に並大抵の素人がその専門分野で勝てるわけがないということをわざわざ否定してかかる人はいないだろうに、どうして東大だの京大だのは同じように扱おうと思わないのか、クリリン君達はその辺をもう少し考え直してみて欲しいものだと思う。

2009-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20090408121545

同じく美術の教師だけど、「才能」なんて言葉はあてにならんから、ドブにでも捨ててしまえ!

気持ちは分からんでも無いけど、高校生技術感性の発達の程度で、将来の可能性までは見通せないって。ほんと、そう思う。才能がものを言うのは、成功への最後の一歩を踏めるか踏めないかという時だ。そこまでは、努力でいける。

あと、もう一点。俺もあなたと同じような経歴をたどっている。決定的に違うのは、そこまで芸術に心酔していないことだ。絵を描けることっていうのは、そこまで崇高なことではないよ。たとえば、風景を見て感動した気持ちを誰かに伝えたい。その手段として、ある人は写真に収め、ある人はスケッチする。大事なのは伝えたいという気持ちであるし、人によって手段が違っていいはずだ。絵を描くということは、人生を豊かにするための一つの方法だよ。決して、作品を作り世間に認められ大成するためだけに存在する行為ではない。

いいじゃない。夢かなわなくて、最高峰東京芸大は無理だとしても。

代わりに学科の勉強を頑張って、美術系の私大や専門学校に進んでもいいじゃないの。いい学校はたくさんあるよ。生徒が望んだ進路が無理だった時に、代替案を提示してあげることがあなたの責務だよ。我々には、夢を摘んでいいほどの権利は与えられていない。

それに、自分がやりたいと思っている道を進んで、仮に力が及ばず最善の人生を歩めなかったとしても、その人生は豊かだと思う。美術系に進んだからって作家になる必要はない。職人になるとか、頑張って店を開くとか、いくらでも生きていくための方法はあるでしょ。回りにもいるよ?

美術教師の仕事才能発掘ではなんじゃないかな。

2009-03-26

とある一貫校の青春白書

 

進学校の話が出たから、

あんま関連性がないけど、

ちょっと特殊な某共学小中高一貫校高校時代の話をする。

進学校なのに、文理でクラス分けしないし、きっちり男女同数だし、

もしかして生徒の恋愛模様まで研究対象だったんじゃないか、

と思うような学校だ。

まあ、中にいた人にはどこかバレバレだけど、

多少脚色して書いてみるよ。

 

まず用語解説から

スーパー内部 小学校から高校にあがって来た連中のこと。基本的に金持ち
内部 広義には小・中校から高校にあがって来た連中のこと。狭義には中学入学組。中学外部とも言う
外部 高校入学組。平均偏差値がいちばん高い。

 

恋愛に関して言えば基本的にスーパー内部はビバリーヒルズ高校白書状態。

クラスとか関係なく、くっついては離れ、くっついては離れ。

一応、中学から付き合って、そのまま結婚という一途なのもある。

恋愛経験は、

スーパー内部>>(越えられない壁)>>内部>>(やや大きな壁)>>外部

って感じ。

 

いや、マジで人間に貴賎があるということを思い知ったね。

恋愛経験と平均偏差値は、マスで見ると逆相関するんだけど、

本当に凄いやつは、スーパー内部にいたりする。

スポーツ万能でバイオリン弾きつつ、

国立医学部に行くか、東京芸大に行くか迷ってて、

「○○くんが医者になったとき、

 そばに居られる様に」

って看護婦目指している彼女が居る奴とか。

理不尽ネス炸裂だぜ、MA★JI★DE

 

外部は平均的にお勉強ができるけど、よくもわるくも大人しい秀才が多い。

あんまり恋愛しない。

外部で恋愛するのは、スーパー内部とウマの合う連中ばかり。

そういう連中は、雅俗の両方OKなところがあって

何で今まで公立校にいたんだろうってのが多い。

 

で、面白いのが、ビバリーヒルズ高校白書が、

大人になったら、ビバリーヒルズ青春白書になるところ。

やっぱり内部生は似たような空気を纏った人としか付き合わないのかね、

とよく思うよ。

 

(「あんな狭いコミュニティーで気持ち悪くないんだろうか」への返信)

http://anond.hatelabo.jp/20090327000611

2009-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20090114100432

東京芸大地頭いい人が多いよ。

ピアノの人なんかは少し勉強すれば東大普通にいけちゃう人も多いです。

http://anond.hatelabo.jp/20090114100432

そもそも評価軸が違うよなぁ。芸大って学問って感じじゃないもの。

しかも今どき東京芸大って美術系だけでも下手したら多摩美ムサビよりも格下なのに(by多摩美生なので。)

東京芸術大学 > 東京大学  ←(笑)



http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1410250494


>同じように東京芸大東大を比べると後者の方が評価は高そうですが、一ツ橋首都大学東京と比較するとどちらが高いか全く想像つきません。


>ただ、一ツ橋首都大学東京と比較されるほど藝大は堕ちてはいません。


>(東大より)芸大のほうがずっと評価が高いです。







もうだめ、芸大とかそっち系の人ってこんなにおめでたいの?

学歴コンプってわけじゃないけど、社会的にみたら明らかに格下じゃないですか(笑)

世間的に見たら、「へー、頭そこそこじゃん。ピアノとかもできんの?」って感じでしょう。

2009-01-05

なぜクリエイターは叩かれるのか?

世間ではクリエイターが冷遇されすぎだと思う。

もの凄く苦労して作った作品が叩かれるのは悲しいものがある。

なぜこんなに叩かれるのだろうか?どうも釈然としない。


アニメクリエイター給料も少なすぎる。一般にクリエイター賃金は極めて少ない。

ごく一握りの人気クリエイターを除き、高卒零細企業サラリーマンほどの賃金、ないしはそれ以下しかもらっていないという現実

東京芸大を出てもそういう人はごまんといる。


生活に苦しみながらも低賃金で汗水垂らして美を追究し作品を作り続ける生き様には美しいものがある。

敬意が払われてしかるべきだ。


なのに、実際には「クリエイター」を自称するだけで叩かれる。

作品価値も分からないような奴が叩いていることも少なくない。

俺はクリエイター職人をカッコイイ職業だと思う。

彼らは何が気に入らなくて脊髄反射的に叩いてしまうのだろう?

それを真剣に聞いてみたい。なぜここまで叩かれないといけないのか?


ご存じだろうが、ルネッサンスの時代には芸術家尊敬と崇拝の対象だった。

レオナルド・ダ・ヴィンチを初めとする宮廷芸術家が活躍した時代である。

当時は芸術家というと今のような貧乏臭いイメージとは正反対のものだった。

宮廷や貴族が積極的に芸術活動を奨励していたからである。


どこで間違って、芸術家の地位が失墜してしまったのか?

思うに、豊かな時代になり、芸術もまた消費物として扱われるようになったことが大きな原因だろう。

いつからか、「芸術を有り難がっていた鑑賞者」が「我が儘な消費者」になってしまったのである。

「崇高な美の結晶であった芸術作品」は、いつしか「大して味わわれることも無く消費される商品」へと変質してしまった。

そして、クリエイターたちも、そうした時代の変化に迎合して消費物として色合いの強い作品制作するようになった。

これが事の顛末ではなかろうか?


確かに現在クリエイターは、人々の欲を満たしたかと思いきやすぐ飽きられてしまうような消費物を作っているだけだとも言えるが、

それでもよく見れば優れたクリエイターがいるというのが俺の考えである。

クリエイターが消費物を作り、受け手がそれを消費する、という認識があまりに定着してしまってる。

この構図で認識することは害悪である。

新しい作品が現れても即座にこの構図に当てはめられて、盲目的に消費物として扱われてしまう。

そうして、本当に良い作品が正しく評価されることもなく、クリエイターはつまらないものばかり作るという認識が不動のものとなっているのだろう。

2007-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20071022020906

東京芸大って日本で唯一の国立芸術大学だったっけ

やっぱ国立だからセンターもできなきゃいけないのか

美大は勉強できない低脳が集まるところ

美大は勉強できない低脳が集まるところだって友人の東京芸大生が言ってたが。

- 転職ならen
- 派遣ならen
 
1ページ中1ページ目を表示(合計:10件)