はてなキーワード: 月刊とは
文系のオピニオンリーダーと呼ばれる人たちと話していて、ときどき驚くことがあります。彼らには理想やビジョンがほとんどなく、ポジション取りこそ最重要事と考えているのです。たとえば『朝日新聞』の書評委員になる、月刊『文芸春秋』に原稿を書く。そんなポジション取りに熱心で、かつ、どの雑誌に書いているかで、「あいつは最近、落ち目だ」などと評するのです。
まさに実用主義そのもので、日本という部分社会における"おいしい部分"を取ろうと腐心しているように見えます。そこに「世界に届くような普遍的な思想を出そう」といった熱意は感じられず、実際そのような思想は日本から出ていません。
http://smoothfoxxx.livedoor.biz/archives/51991452.html
「救世の法」という本を、知り合いの会員さんからゴミ処分的な感じでもらった。
ただ、最後の「幸福の科学の活動一覧」を観て、うわすげぇ、と恐ろしく感じたのでなんとなくまとめておく。
彼は、大川隆法のことは割とどうでもいいかんじでした。「彼の言ってることはイミフ」といってました。
というか、そもそも自分が宗教団体に属しているという認識が薄いようです。
あくまでボランティアの仲間がそういう人達だ、という感じだとか。
彼自身ボランティアに参加していたらそこが幸福の科学のグループだった、とかその程度らしいです。
社会貢献を求めてボランティアに参加すると、いつの間にか中に入り込んでる、という仕組みなのかもしれないっすね。
そのつもりがなくても、楽しんでいるうちにどんどんのめり込んでいって、代替が登場するまで抜け出せなくなる状態。
以下「救世の法」から面白げなところピックアップ。別に読まなくてもいい。読んでも時間のむっだったったと思うのがオチ。
世界の人々は知らないかもしれませんが、1980年代には日本の幾つかの宗教の中で「われこそは再誕のブッダである」と言っていた人は、わたしが知るかぎりでも5,6人はいました
幾つかの教団が、自分のところこそ本物だ、という形で競争をしていたのです。それから二十年あまりの歳月が過ぎ、決着はついた、結論は出た、と私は考えています。
世間の人々が本物か偽物かを見極めるために、十年、二十年の歳月を欲しいと思うのは当然かも知れないので、この教を信じてきただけない期間があったことを責めるつもりはありません。
・人間の本質は霊的な存在であり、その霊的な存在が肉体に宿り、地上で人生を送っているという真理があります。
しかし、日本にはこの第一関門を乗り越えられない人が、数多くいます。
地上から見た善悪ではなく天上界から見た善悪においては、この世の法律で決めた善悪を越えて、人間として、本当に神仏の心を心として生きたかどうかが問われる。
上記の真理に反すると地獄に落ちてしまいます。知らずに落ちるのはかわいそうだしフェアではないので、真理を知っている宗教者は真理を説き続けているのです。
霊的人生観を教え、正しい生き方が何かを教えるのが宗教の役割なのです。善とは何かを語る宗教を善なるものとして受け入れ、それを元に生きることが必要なのです。
エル・カンターレは世界宗教をすべて束ね、精神的な柱になる使命を持った存在です。
魂としては、インドに生まれた歴史上のブッダに一番近いのですが、インドのブッダを越える大きな使命を持っています。
そしてエル・カンターレの魂の核の部分が、現代の日本に、大川隆法と言う名で生まれて活動しているのです。
私はすべての人々のすべての霊を救うために地上に現れました。
なぜなら、私は創造そのものだからです。私はこの地球の創造力の顕現であり、この大宇宙の創造力なのです。
これは、幸福の科学の、そして人類にとっての、最大の秘密です。
クラスノミンナニハナイショダヨ今こそ、その秘密が明かされるべきです。
他力の宗教のマーケットは自力の宗教の十倍あると言われています。
わたしの教えには自力の部分が多いのですが、他力には、そのまま他力で押して行けば、それなりに自力と同じ結論になります。
2009年には、店名が下り、幸福実現党を立党して政治活動を開始しました。
この世を救うということにおいては、単に教えで救うだけでは済まないものもあります。
この世において政治的に置き去りにされている人は数多くいるので、足らざるところを少しでも改善していくように努力する現実的な力もいるのです。
店名が下り、世直しに努力せよと言われたのですから、活動しなければならないと考えています。
本当はCO2ではなくてフォトンベルトなのです。
地球はやがてフォトンベルトから出ます。したがってCO2を削減しようとする今の政策は基本的に間違っていると思います。
むしろフォトンベルトが地球を通り過ぎた後は地球の寒冷化が始まるので、温暖化は良いことなのです。
国の財布の下が閉まるような政策を取ると、経済は必ず悪くなります。
本当は子ども手当を支給するよりも、わたしが著した経営書を政府が買い上げ、
これで会社を大きくしてくださいといって各企業に配ったほうが税収を増やすには効果があるかもしれないのです。
今の政府にはドリームがありません。私たちはこの国をもっと希望に満ちた国にして光り輝く未来をつくっていく
日本がまず私達が説く「国をとませる方法」を実証してみせ、他の国を導くことが重要なのです。
アフリカにも信者がいますが、アフリカの人たちは、「幸福の科学の教えを勉強すると、自分たちの国のやるべきことがわかる。
こうすれば良いのだということがわかる。まさしくこの教えで国が発展する」というようなことを言っています。
漢文のお経の読経を聞いて、何らかの霊波動を受けることは殆どありません。
しかし幸福の科学の経典「正心法語」は、わたしが読みあげたCDをかけると、私の場合数秒くらいで例反応が出てきます。
信じるか信じないかということはこの世では五分五分なので賭けのようなものです。
わたしの言っていることが正しかった場合、それを信じていた人は来世において極めて大きな功徳を得ることになります。
また、もしわたしの言っていたことが全部外れていた場合出会っても、それを信じていた人は、死後存在しないので、何も損をすることはありません。
死んだら何もかもなくなるのであれば、死後は騙されたと思う自分も存在しないのですから何の損もないでしょう?
わたしの言葉を信じる人の場合、あの世があるときの利益はかなり大きく、逆にあの世も霊もないときでも、あの世で騙されたといって怒る人はいないわけです。
親鸞風にいうとするならば、わたしにだまされても諦めてください。もしわたしが嘘つきだったならば、その時には「まな板の上の鯉」だと思って騙されてください。
幸福の科学は、地域宗教の枠を超えて、人類全体を幸福にするための手段や方法、理論としてありとあらゆる物を探求。だから科学も否定しない。
慈悲とは善きものを他人んい与えようとする性質のことです。
ひたすらに心を平和に保ち、心を穏やかにしてください。
他人を愛する人々、他人を愛そうとしている人々を愛して下さい。
そのような人々をこそ、あなた方は愛するべきです。そうすれば彼らもあなた方を愛するでしょう。
そうしているうちに、もしあなた方に、心の奥底から湧き出る豊かな愛の思いが生まれたなら、それが慈悲と呼ばれるものなのです。
慈悲は生まれつき備わっているものではありません。あなた方の日々の努力の蓄積によって慈悲は生まれるのです。
そのために人はみな修行をする必要が有るのです。
さすがに此処から先は引用だけでは面白さが伝わらないので実際に読んでください。
ミハエルとムハンマドが組んずほぐれつ。そこに大川隆法も参戦。父なるイエスがお前ら程々にしておけよ、となだめる。
九次元霊マニがゾロアスターにアッー!されてヘルメス神がグノーシスにピー。
霊的紛争の途中になぜかマルクスの霊が登場。日本からは松下幸之助と坂本龍馬が参戦だーっ!松下強い!
争いが最高潮にまで達した所でエル・カンターレ降臨。秩序に満ちた自由な社会が実現。
読んでいてがっつり体力を削られる本でした。腹筋を鍛えたい人にはお薦め。
幸福の科学グループのご案内。
主な活動は以下のとおり
「ヘレンの会=身障者を助けるためのボランティア」
「学校法人 幸福の科学学園(滋賀県)」 2016年には幸福の科学大学も開設予定。
「幸福の科学出版」
入会すると正心法語が授与されます。入会の奉納は1000円が目安です。
月刊『致知』の2005年12月号に掲載されたいた「縁を生かす」をいうある先生と生徒のお話がある。
ネット上に全文が掲載されている。
↓
http://www.chichi.co.jp/enwoikasu.html
※これも教わった話とあるので本当の大元はわかりませんけどね…。
これが『致知』に掲載されたのが2005年11月頃、どのタイミングでwebにアップされたかは不明ではあるが、ここからブログ・facebookへ転載され、多くの人の目に触れている。
自分が確認できた限り、ブログで一番初めに掲載したのは、有限会社てっぺんの大島啓介さんのブログ
↓
http://ameblo.jp/k-teppen/entry-10388082855.html
本来の「縁を生かす」ではなく、「招待状」というタイトルに変更されている。
そして、クリスマスの午後に関するエピソードがごっそりなくなっている。
私が初めて目にしたのもこのバージョンであった。大島さんのブログではなく、2chのまとめ記事ではあったが。
そして、今、facebookへとまたまた転載され、多くの人に感動を与えている。
今回、転載したのは、どっかの会社の取締役らしいですが、先の社長も含め“引用元を記載する”ことができないんですかね?
今現在、作:facebookの転載者となって多くの人のブログへと再び転載されている。
この転載者さん、現時点で6000を超えるシェアを集め、多くの友達を集めていますが、どのくらいの人が“転載”されたものであることに気づいているのかな?
私はこの案には反対ではあるんだけれど、ただ、そもそも提案の核の部分が受け取られてないっぽいのが気の毒。
多分分割方式での販売というところからスタートして、新しい「作り方」というか制作体制を模索しようよ、って言ってるんだと思う。
それこそジャンプだって、ゲームみたいに先に全体を作り込んで、それを一つのパッケージとして売るという作り方をしてもいいけど今のところは週刊や月刊という方式を選んでる。
ゲームだって一から考えればこういうのをやって見ることはカノじゃないかと主張する事自体はありだと思う。
少なくともそういう販売方式が成り立つ製品はいくつかはあるのだろう。同人の規模ではしょっちゅう見かけるし、
エロ漫画業界ではちょっと違うけどほんといろんな工夫をして作者を食わせていき、かつ作品を融通する高度なネットワークが出来上がってる。
もちろん、大企業がやるような主流には成り得ないだろうけれども。
ただ、この二階堂さんトイウ人も、成功例としてFF4とか逆転裁判とかを出したのは、自分の言ってることをわかってないのかも知れない。
こういうのは既に出来上がったものを別のプラットフォームで売る時に最適の売り方を模索しただけに過ぎないので
制作費などのコストと言うかリスクを無視出来る作品なわけで、そこで売上数だけを見て「どうしてこうしないのか」っていうのは制作陣をカチンとさせるよね。
っていうか、販売方式の話もええのんですけど、ソレより大事なのは誰に売るかだと思うのよね。
俺PSPのゲーム購入は英雄伝説とイース系とあとP3Pだけだったんだけど、この度ろうキューブPSP版が追加されたよ。
これはロリがやばいという明確な売りポイントがあったからであり、そっちがしっかりしてれば別に価格が多少高くても問題ない。
ちなみにプレイしてみたら、実はロリ要素は大したことなくて、ゲームとしての出来もいまいちだったけど、まぁ購入前の胸の高鳴りを与えてくれたことに感謝して文句は言わない。
これも原作付きかつアニメ化までしたからこその作品だからFF4とか逆転裁判といっしょやん、って言われるかもしれんけど、
それこそ、ロウキューブがアニメとかになるまえにこういう作品を作れるゲーム業界であってほしいなぁ。
この発言してる人が何者かしらないけれど、制作の哲学はよろしいのだけど、
それこそ顧客の隠れたニーズなんざくさるほどあるので、その哲学を貫きながらでも余裕で顧客のニーズ満たせると思うわけよ。
まぁ販売方式はともかく、こういうこといってユーザーにまったく響かない内輪だけに受ける作品作ってるクリエーターとか見るとつばを吐きかけたくなるね。
そもそもロリキャラっは色がついてないとあんまり魅力を感じないのと真っ裸よりも、体操服というかブルマで汗かいてそれが透けてるのが大事だと思うわけで
2011年10月25日、スクエアエニックス(=SE)から新雑誌「増刊ビッグガンガン」(=BG)が刊行された。
元々は、SEから刊行されている青年誌「ヤングガンガン」(=YG)の増刊号である「増刊ヤングガンガン」。それを連載作品を増やし、雑誌の綴じ方も、中綴じから平綴じに変えて2011年にリニューアルされた「増刊ヤングガンガンビッグ」(=YGB)が前身となる。連載陣も増刊ヤングガンガンビッグからの移籍連載が多い。従って、雑誌の特色も増刊ヤングガンガンビッグを引き継いでいる。
月刊ビッグガンガンの特色に他社での活躍が目立つ作家が多い事が挙げられるだろう。
創刊号の表紙を飾った『群青』(原作:坂本虹)の作画を担当する桐原いづみは、先日『アキラとひより』をSEから刊行したが、他に高校の演劇部を舞台にした『ひとひら』(双葉社)、異世界から来たお姫様との冒険譚『白雪ぱにみくす!』(マッグガーデン社)など他社での活躍が目立つ。
他にも、別冊少年マガジンで『浪漫三重奏』(講談社刊)を連載しているあわ箱、『でろでろ』(講談社刊)で人気を博した押切蓮介や、週刊少年サンデーで連載していた経歴を持つ『射~sya~』の大塚志郎など、他社で活躍していた作家を増刊ヤングガンガンビッグ時代から多く起用している。
今回新しく連載が始まった『学園革命伝ミツルギ なかよし』(原作:河田雄志 作画:行徒)は月刊コミックラッシュ(ジャイブ刊)からの移籍連載。『雛見沢停留所~ひぐらしのなく頃に原典~』(原作・監修:竜騎士07)の作画を担当するともぞも電撃大王GENESISで連載を持つ『外部組』だ。
一方でSE内での作家の起用も『シスターハニービスケット』のおみおみは月刊Gファンタジーで活躍していた。『西悠々記』の忍はガンガンJOKERで連載を持っている。
さらに、漫画製作ソフト「コミPo!」を使用する異色の漫画家ダ・ヴィンチ・恐山の『くーろんず』『4コマくーろんず』はガンガンONLINEでも掲載されており『4コマくーろんず』は10/27からガンガンONLINEと並行しての連載が開始する。
読切作品でも、ガンガンJOKERで連載中の『黄昏乙女×アムネジアン』(めいびぃ著)の特別編が掲載。
ヤングガンガンの増刊ながら雑誌の枠にこだわらない人選が目立った。
もちろん、ヤングガンガンからも実力作家がやって来ている。先日、円満終了した『はなまる幼稚園』の勇人が描く、シスコンの兄と3人の妹が織りなすコメディ『シスプラス』、アニメ2期が好評放送中の『WORKING!!』の高津カリノのお役所4コマ『サーバント×サービス』、小林立麻雀漫画『咲-saki-』をパロディにして描く木吉紗の4コマ『咲日和』はヤングガンガンですでに連載されていたが、今回より本紙とYGとの同時並行での連載となった。
YG連載陣からは、前述の『WORKING!!』を始め、『死がふたりを分かつまで』(原作:たかしげ宙 作画:DOUBLE-S)、『天体戦士サンレッド』(くぼたまこと)、『オシエシラバス』(高尾じんぐ)の特別読み切りが掲載された。
また『魍魎の揺りかご』の三部けいはオリジナルのダークヒーロー読み切り『DARK RABBIT』を掲載した。
メディアミックスも盛んだ。
これまでSEの各紙で竜騎士07氏の作品をコミカライズして来たSEだが、今回も竜騎士07氏が原作・監修を担当するコミカライズ作品が2本連載している。
前述の『雛見沢停留所~ひぐらしのなく頃に原典~』は大ヒット同人ゲーム『ひぐらしのなく頃に』のプロトバージョンとでもいうような作品で、雛見沢を舞台にしつつも、登場人物の年齢や、役回りが微妙に変わっている。新人の伊東フミが作画を担当する『うみねこのなく頃に翼』は『うみねこのなく頃に』のパロディ漫画。原作のキャラクターをかわいく、そして面白く描いている。
現在、SEがガンガンJOKER、YGでコミカライズを行っている裕時悠示の『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる』(GA文庫/ソフトバンククリエイティブ刊)も、稲瀬信也が作画を担当する『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる+H』(キャラクター原案 るろお)として新連載が始まった。
加えて、2012年に放送が予定されているアニメ『輪廻のラグランジェ』も同タイトルでの連載が始まった。Production I.Gの原作を新人作家のIsII(いしー)が漫画化した。
メディアミック作品ではやはり、伊東フミ、稲瀬信也、IsIIなどの新人作家の起用が目立っが、オリジナルの連載作品でも新人の登用にも意欲的だ。
読切では、『きっと可愛い女の子だから』のミハルは主にweb漫画で活躍している作家だが、かつてはガンガンパワードにも作品を掲載した事がある。コミックギアでは九品そういん名義で活動していた、星野蒼一朗の『なんだかんだでたのしい』もYGBに続き2作目の掲載。
連載作品でも、YGBからの移籍組の一人『化けてりあ』のたかはし慶行は増刊ヤングガンガン時代から読み切りを掲載していた。『極道チェリー』未須あゆみもかつてSE刊行のドラゴンクエスト4コマの他、YGに読み切りを掲載した事がある。YGBで掲載された藤村歩実『春になるとウズウズしちゃう』は今回の新創刊に合わせ連載化、香の『Behavior』は『彼女と彼女のBehavior』に改題して短期連載が決まった。
他に、3人の偉人と2人の父娘がおりなすドタバタコメディ『教育。』の蔵人健吾、男性には分からない"禁断(?)の女子ワールド"を女性漫画家キャンディーサトウと、担当の女性編集が探索するルポ漫画『男子の知らない"○○女子"の世界』などがある。
また、今回の新創刊に合わせて、ビッグガンガン漫画賞を設立。第1回の締め切りは2011年12月31日(土)当日消印有効。2012年2月25日(土)発売のBG2012vol.03にて発表される。
雑誌の枠を超えて様々な作者を起用する一方で、新人の育成にも力を入れる新雑誌「月刊ビッグガンガン」の今後の展望が期待される。
大阪駅の一風堂当りで演説してる人からただでもらったので読んでみた。
ひとことで言うと「大人のためのセカイ系中二病のススメ」という感じ。
誤解がないよう、本の内容の前にwikipediaを引用しておく。
設立当初は霊言集の刊行などによる「霊知識」の普及を中心とした啓蒙活動が展開され、信仰に関することが説かれることはあまりなかった。後に、教団内で組織ができるようになるが、多くの会員は入会する前に持っていた信仰に従い、会を指導(支援)しているとされた「高級霊」(例:日蓮宗系の人は日蓮、浄土真宗系の人は親鸞)を信仰していた。1989年からは、「三宝帰依」など信仰心について説かれるようになり、1990年「信仰と伝道」の法話が説かれ、1990年からは組織的な伝道活動が開始されるようになった。また、宗教法人となった1991年には、『月刊Asahi』4月号で幸福の科学の紹介記事が掲載されたほか、東京大学での野外講演「黎明の時代」(5月)、東京ドームでの「御生誕祭」(7月)、講談社フライデーへの抗議行動(9月)などで世間の耳目を引いた。1992年12月には、会員でも代理本尊の一つである「家庭御本尊」を安置することが可能となった。1994年4月10日には、主宰により「方便の時代は終わった」と宣言され、根本経典や基本書の『太陽の法』が改訂され、教団の運営体制の整備が進むとともに、三宝帰依を中心とする信仰へと移行し、1994年6月からは三帰誓願式が始まっている。
現状は、仏教の中でもとくに浄土真宗をベースとした教義を説いている印象を受けた。
他力信仰、来世での救済をベースとした互助組織のようなカタチをとっている。
言ってみれば戦国時代における石山本願寺から、武力的要素を引いたようなものである。ってそれ引いたらもう別物か?
今までの宗教は、仏教しかりイスラムしかり、発祥した地域の束縛を受けているとし、
それゆえに争いが絶えない。特に旧いものを新しいものが倒そうとしてしまう傾向があるとして諫め、
そういったものを、より広い視野から、至高存在「エル・カンターレ」によって調和・調停させる。
これによって未来の最終戦争を防ぎ、地球平和を実現しようというのが最上の目的。
要するにセカイ系。
ただし、普通のラノベと違って、そこそこ現実感覚があるため主人公一人だけというのは無理があると理解している。
また、大人は若者と違って基本的に殺し合いや戦争といったものに憧れよりも嫌悪を抱く。
そのために補足が行われている。
・その一は「一人で戦わない」こと
「大勢の人間が一つに集まって、セカイ系の主人公の役割を一緒に果たそう。みんなでセカイの敵と戦おう」と促す。
・そのニは「武力を持って戦わない」こと。
平和を目的とし、手段にしても「争いの調停者」という形を取る。武力介入しないソレスタル・ビーイング?・・・うーん。
・その三は「支配するのではなく模範となる」ことを目的とする。
世界宗教によって世界を統合し、争いをなくすことが目的なのだが、自らが世界に広がろうとはしない。
あくまで日本に理想の宗教国家をたて、モデルケースとして運営することで、世界がソレに倣うように仕向ける。
なぜ日本にモデル国家を建国するかというと、日本は未熟ながら、最も理想を実現するのに適した下地だから、だそうです。
こうやって中途半端に自分のコトを賢いと思っている大人の心をくすぐるのが上手だな、と感じた。
何事も斜めに構えてケチを付けるけれど、ちょっと合理的な説明を返されるところっと信じてしまうタイプの人ははまっちゃうんだろうな。
成り立ちからして明確な教義を持ってスタートしたわけではないことから、信仰によって他者を排斥するということはあまりない。
唯一のルールは教祖である大川隆法を信仰することであり、ソレ以外を強要されることはない。かなり自由。
(逆に言えば、他の「個人崇拝」型の宗教や論理的に厳密な人間を極端に嫌う)
「幸福の科学」という言葉にあるように科学についても寛容、というより手段や戒律に厳格な要素は少ない
あくまでも幸福を実現することが目的であり、その目的にかなうのであればそれは全てエル・カンターレの意に沿うものである。
それは他者への愛(作中では「慈悲」)と大いなる存在への感謝(作中では「信仰」)によって成し遂げられる。
要するに目的が正しいならなんでもありってこと。
大事なのは「信仰心=大いなる存在を信じ、その愛に感謝すること」をもって生きることだけであり、
その基礎さえできていれば他の宗教についても非常に寛容。
社会全体の幸福を増大させる限りにおいて自由を尊重し、格差社会も肯定する。
彼らは「みんなで不幸になりましょう」という教義を持った異端なんだそうです。詳しい説明はなし。
セカイ系の文脈で見れば、明確に戦うべき敵が存在する。それは「世界の幸福量を減らす存在」である。
非常に漠然としているが、それだけ個人によって想像力を働かせる余地があるということでもある。
幸福実現党の人たちが、実にいろんなバラエティに富む政策提言をしているのはこのあたりのユルさがポイントか。
人間を霊的な存在と捉え、より高次な視点から世界全体を把握する
あくまで天上界から見ての善悪を重視する。一番大事なのは信仰を持つことであるとする。
ちなみに、人間が霊的な存在であるということを認識し、ソレを極めると過去の偉大な霊との交信なども可能になるらしいです。
世間一般では「幸福の科学=大川隆法が○○の霊との対話をしてなんかテキトウなこと言ってる」というイメージがあると思うが
あの対話はこの「人間は霊的な存在」=「霊的な存在には制約がない」=「現世と来世の境界も超えられる」という教義によるらしい。
現代の日本や世界情勢の分析について、中途半端に現実的で、そこからはじまる怒涛のオカルト臭い説明がなんとも言えない。
一昨日の夜はスタクラ2のスーパートーナメントを見た後、AVA関連のブログを読んでいた
寝る前に音楽ファイルの整理をしてDAPに一つ音楽を移して枕上のアクティブスピーカーに接続して子守唄にした
昨日は14時過ぎに起きて、PCをスリープから復帰させようとしたら休止状態になっていたのでWindosの電源オプションを確認するとPCの物理電源ボタンの設定がスリープではなくて休止状態だった
子守唄に効いていたアーティスト?アレンジャーの曲を1曲しか持っていなかったのでAmazonMP3で全て視聴しながら気にとまった曲をカートに追加していった。
グーグルリーダーでブログをチェックしていたら9,11 3,11の次のことが書いてあった。つまり6,11だ
おそらく16時ごろ、食事をとるために家の2階に上がり、自分の食事の前にトイプードルをしばらく抱いてやった。
18時ごろまで本屋に散歩に行き精神世界カテゴリーの本を二、三冊立ち読みした。
ホビー雑誌やスポーツ雑誌の棚に置かれている月刊ムーに個人用シェルターの記事があった。
シェルターは地下に作るようなタイプではなく部屋を改造するタイプとのことで250万円程度で提供しているらしい。厚さ15CMの壁や、空気清浄機、ガイガーカウンターなど。
帰ってお風呂に入る前にGSLスーパートーナメントを1試合観る。
お風呂から出て二階に上がりご飯をお盆に載せて一階の部屋で試合を見ながら食べる。21時半頃までかけて食べた。
そら豆ご飯、かなり濃い味噌汁、ポテトサラダ、卵豆腐、エビフライ、クリームコロッケとレタス、マックポテトよりも美味しい何かを頂いた。
レメロンを飲んで、眠くなるまでAmazonで曲の視聴をしていた。
買う前に確認をしていると15秒ほどの曲と知らずに150円で買おうとしていたことが分かった。
今日の1時35分ごろ起きた。
暗い部屋で豆乳を飲んだ。
PCの前に座ってラジオを聞いたあとスリープから復帰させてローカルのVideoと海外動画サイトでビデオを見た。
プロチームのEvilGeniusとFnaticの1時間ほどの試合を見て、JustinTVのStrategyカテゴリーでViewer数TOPが何かの大会だったのでそれを見ている途中だ。
こうして隔月刊化第一号を、装いも新たに、皆様のお手元にお届けすることができました。ご講読いただきました読者の皆様、そして社内外を問わず、この号に関わった全ての方に御礼申し上げます。
誠にありがとうございます。
これからの「コミック百合姫」が目指すこと、それは到ってシンプルです。百合人口を増やすこと、これに尽きます。
繰り返しになりますが、もはや百合が今までほどに特別なものではなくなった今、本誌自体が特別な存在とならなければいけません。そして、今まで百合に興味がなかった人に、その存在を知らしめることが使命だと考えています。
百合人口を増やす、それは必ずしも、本誌の読者を増やすことイコールではないとも考えています。ですので、万が一、本誌をお気に召さなかった方は、他社の百合アンソロジーを手にとってみてはいかがでしょうか。ひょっとしたら嗜好が合うかもしれません。気に入ったら、ぜひそちらを続けて講読して頂きたいと思います。
同業他誌の講読を勧めるのも変な話かもしれませんが、現状、百合業界は全く狭い世界です。今は、その世界全体を少しでも広げていくことが急務です。また、類誌とは、市場の多様性を示すバロメーターにすぎず、ライバルではありません。
ライバルは、我々と同じく、百合を追い求めて止まない人たち。すなわち、読者の皆様方なのです。
これからも、ともに歩んで参りましょう。
そして、末筆となりましたが、『ハーモニー』のコミカライズ企画は次号以降からの開始となりました。楽しみにお待ち頂きました皆様、また関係者各位に御詫び致します。申し訳ございません。我々としても忸怩たる思いではありますが、全力を尽くしてまいりますので、引き続きお待ちいただければ幸甚の至りであります。
http://www.ichijinsha.co.jp/prebrowse/yurihime/201101/_SWF_Window.html
togetterが見難くて仕方ないのでまとめてみた。
昔書いた記事→問題多いTVゲーム「有害指定」』 完全版は左記リンクから購入できますが、5年前の記事ですが、この後どうなったのか、これからのことを考えるのに有用だと考え、僕が書いた本文だけは公開しちゃいます。
今年5月、あるテレビゲームソフトが神奈川県で「有害図書類」の指定を受けた。地方自治体の条例で規定される有害図書類指定とは、悪影響となる恐れがある書物・映像作品を、18歳未満の青少年に販売することを禁止するものだ。
主に成人誌など性的な表現を扱う媒体になされてきた措置で、テレビゲームソフトを指定したのは、神奈川県が全国で初となった。
「有害指定」を受けたのは、米国のロックスター・ゲームス社が開発した「グランド・セフト・オートⅢ」(GTAⅢ)。日本国内ではカプコンが「大人のエンターテインメントの形成を狙い」、
プレイステーション2用のソフトとして2003年に発売した。世界で1000万本売れている大ヒット作で、国内での販売数は35万本とスマッシュヒットとなっている。
ゲームは、マフィアやギャングの依頼で盗みや殺人、破壊工作を含むさまざまなミッションをこなすというストーリーで、「バイオレンス・アクション・ゲーム」というジャンルに属する。
GTAⅢが「有害」とされた理由は、これまでのような性表現ではなく「暴力・残虐表現」なのである。
テレビゲームは通常、ゲームの本筋から外れる動きはできない。モンスターを攻撃することができても、それ以外の対象を攻撃したり、商店を襲って商品を強奪することは不可能だ。
しかし、GTAⅢはプレーヤーの自由度が非常に高く、本来マフィアと戦うはずの主人公が、意味もなく通行人を射撃したり、バットで殴りかかったりすることができる。究極的な高いリアリティーを誇っており、そのゲームシステムは当時高く評価された。
家庭用ゲームの業界団体であるコンピュータエンターテインメント協会(CESA)は毎年、優れたゲームソフトを表彰しているが、GTAⅢは03年度の優秀賞3作品のうちの一つに選ばれたほどだ。
ところが、過激な暴力表現を含むその内容は倫理観などの観点から物議を醸し、青少年がこうした内容のゲームをプレーすることで、何らかの犯罪を誘発するのではないかとの声が一部で囁かれ始めた。
これらの声は、GTAⅢのヒットとともに大きくなり、主に児童保護団体などが自治体に規制を呼びかけ、神奈川県による有害図書類指定へと結びついたのである。
〝残虐ゲーム規制〝の動きは各地へ波及している。神奈川県に続いて埼玉県が9月にGTAⅢを有害図書類に指定。東京都や大阪府、京都府などもテレビゲームの規制について検討に入った。
GTAⅢは、ゲーム業界関係者などの専門家を含まない児童福祉審議会のメンバーによって、「あんな酷いものを子どもにさせるのは良くない」という、非常に観念的な基準に基づいて「有害認定」されたといえるからだ。
しかもテレビゲームが与える影響について、科学的な根拠が提示されたわけではない。残虐・暴力表現を含むテレビゲームが、青少年に悪い影響を与えるか否かは、諸説飛び交う微妙なものであり、とても十分な議論を経たとは言えない。
また、わざわざ行政が規制を行うことの必然性もきちんと議論されていない。
家庭用ゲーム業界は、コンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)という特定非営利活動法人(NPO法人)により、ゲームの内容によって、対象年齢別にソフトを分類する「レーティング」を行っている。
レーティングによって、ゲームソフトは「全年齢対象」「12才以上対象」「15才以上対象」「18才以上対象」の4種類に分けられ、現在ほぼすべてのソフトのパッケージに、その年齢以上の表現が含まれることを示すシールを貼っている。
しかし、CEROのレーティングはあくまで、その年齢層への〝推奨 でしかなく、対象年齢以外の顧客に販売することを規制するものではない。
神奈川県をはじめとする行政サイドは、この点を突き、「有効性に乏しい」として規制に乗り切ったわけだが、こうもあからさまに家庭用ゲーム業界の自主努力を無視しては、反発を招くのも当然だ。
経済的な影響もどこまで考慮されたかは疑問だ。家庭用テレビゲーム市場は、国内だけで4000億円規模の巨大なマーケットである。
「規制される恐れがある」という事実は、これまで、ある程度自由にユーザーのニーズを追ってきたメーカーの大きな足かせとなることは明白である。
任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)以来20年間、家庭用ゲーム業界が年月をかけて模索してきた「面白いゲーム」が制作しづらくなるのだ。
「CEROのレーティングで『18才以上対象』の指定を受けることは大ダメージ。
一部の大手量販店では、『18才以上対象』のソフトは最初から仕入れないところもあり、それだけで当初の見込みより販売本数が大きく落ち込むこともあり得る」。大手メーカーのマーケティング担当はこう本音を語る。
「推奨」に過ぎない自主規制の枠内ですらこうなのに、行政のお墨付きで規制が行われたら、どのくらいの機会損失が発生するかは想像もつかない。
拙誌の『隔月刊ゲーム批評』(05年11月号)において、お茶の水女子大学の坂本章教授は、テレビゲームの有害図書類指定について、以下のように問題点を指摘している。
「第一に、表現の自由を侵害する。第二に、クリエーター育成の障害になる。自分の仕事が法律違反と背中合わせの状況では、クリエーターは十分に創造性を発揮できないであろう。
第三に、思考停止をもたらす。法的規制によって、『ゲーム悪影響問題』は法律で解決するものと捉えられるようになり、多くの人々がこの問題にどのように取り組むかについて考えたり、議論することを止めてしまう」
特に注目すべきは、3点目の「思考停止」である。坂本教授は「ゲームに限らず、さまざまなメディア・作品とうまく付き合えるようにする『メディアリテラシー教育』を重視すべきだ」と続けている。
法規制に伴う思考停止は、こうした教育の機運も損なわせる恐れがある。もう一度考えておきたいのは、「暴力・残虐表現のあるテレビゲームをプレーすることは、本当に青少年に悪影響を及ぼすのか」ということだ。
「ゲームの悪影響」を叫ぶ動きはファミコン時代からあった。凶悪な少年犯罪が発生するたびに、テレビゲームはマンガやアニメなどと共に槍玉に挙げられてきた。
容疑者の部屋からは、残虐表現を含むテレビゲームが発見され、さらにそのゲームを好んでプレーしていたという「事実」がマスコミで報道される。
GTAⅢも今年2月の大阪府寝屋川市で起きた教職員殺傷事件で逮捕された少年が好んでいたとされる。
だが、ゲーム機を所有していない子どもは一体どのくらいいるのであろうか。家庭用ゲーム機の世帯普及率は70%以上ときわめて高く、持っていて当然である。
GTAⅢと同様、残虐表現を含むとして問題視される「バイオハザード」シリーズは、各作品とも国内だけで100万本クラスのヒット商品だ。
家庭用ゲーム機所持者の大半は、バイオハザードシリーズのいずれかの作品をプレーしたことがあると言っても過言ではない。本当にテレビゲームソフトが子どもに悪影響を与えているのなら、少年犯罪はもっと増えることになる。
技術の発展によりテレビゲームの表現や描写は、現実と見まがうほどリアルになってきた。それが現実とバーチャル世界の混同を招き、ゲーム世界を模倣した凶悪な犯罪を発生させる引き金となることは、可能性として否定できるものではない。
ゲームを制作するメーカーは、こうした点も憂慮し、確たる倫理意識を持って青少年に有意なテレビゲームを提供する責任について、考えていかなければならないだろう。
また、今回の行政による規制が家庭用ゲーム業界の危機感を煽り、大きな問題提起となった側面もある。
CESAといった業界団体は、GTAⅢの有害図書類指定を受けて、明らかに18歳未満とわかる購入希望者には「18才以上対象」ソフトを販売しないなど、より強制力の強い自主規制プランを発表し、その実施を販売店各社に要請した。
今後、行政と家庭用ゲーム業界の間で共に「テレビゲームの有害性と規制」について、大いに議論がなされるのであれば、今回の規制は良い結果を生むことだろう。
ただし、「臭いモノには蓋をする」だけの場当たり的な規制でしかないのであれば、やはり強制的な法規制はあまりにも問題が多い。
表現・言論の自由の尊重という観点や、ユーザーのニーズを満たせずに産業として衰退する可能性という、経済的な視点からすれば危険ですらある。
そして議論の場に、「悪影響」を受ける対象者である青少年の声を反映させなければならない。
今回の論争は、筆者のような「大人になったファミコン世代」と「ゲームを知らない世代」ばかりが熱い論争を繰り広げ、肝心の対象者が置いてきぼりになっている。
『月刊Big Tommorow』という雑誌がある。青春出版社が発行しているビジネス雑誌だ。流通点数が多く、コンビニでも良く見かけるので、知っている人も多いと思うが、実はこの雑誌、表紙のコピーが毎月同じような内容であることをご存知だろうか。
例えば、今月号の表紙を見てみよう。『【大特集1】 ひとつの思いつきが1億円になった例も! 「カネなし」「コネなし」!30代で成功した人たちの人生が変わる儲けの仕組み 【大特集2】 お金持ち10人の24時間研究1億円が手に入る「賢いお金の習慣」』。
先月号はこんな感じ。『なぜかお金が増える人 知らずに貧乏に向かっている人 このやり方で決まる!』『0円で不動産を買う方法から自動的にFXで稼ぐやり方まで 日本人の5%の人がやっている 「毎月大金が入ってくる仕組み」』
先々月号はこんな感じ。『【総力特集】 一生分のお金を5年で稼ぐ 「人生逆転プラン」の作り方』
このように、『いかに本業とは違う方法で稼ぐか』という記事を毎月毎月掲載しているわけだが、流通点数が多いということはそれだけ記事の内容に対して需要があるということだろう。だが、需要が多いということは、裏返せば『本業』に対する不満も大きいということだ。僕にはこの雑誌から、『労働から解放されたい』というサラリーマンの怨念を感じる。(僕自身からもそれは感じるわけだが)
要は労働から解放されれば良いわけで(自己実現願望を除いて)、そのための方法を何個か考えてみたのだが、どれもリスクが大きいか、労働から解放されるために更なる労働を強いられるものばかりで、考えただけでげんなりしてしまう。そういうのってやっぱりないよな…と思った瞬間、閃く。
「そうだ、美人でお金持ちの女性に自分を養ってもらえばいいじゃ~ん!」
すぐに『出会い系サイトの広告かよ』とか『ただしイケメンに限る』という文章が頭の中に展開したが、少し思い直す。待てよ。社会的に嘲笑の対象になると思うが、同時に今の時代でこの思考・考え方・生き方は案外メジャーに行けるんじゃないだろうか。何しろニートが大量増殖している時代だし、『女性に養ってもらう』という考え方がメジャーになってもおかしくはない。昔から『ヒモ』とか色んな言葉はあったと思うが、もう少し『ニート』のようにメジャーなものとして。
要は、『女性に養ってもらう』方法を、一つのビジネステクやLifeHack、裏技として捉えれば良いのだ。今は価値観が多様化して何でもありの時代だ。だったら『男性に養ってもらう』という考え方が反転して『女性に養ってもらう』という考え方が流行したとしてもおかしくはない。
何しろ女性は強い。男性よりも圧倒的に強い。女性は強者で男性は弱者だ。女性は気が強くて、男性は引っ込み思案だ。男性を守るのは女性で、男性は女性から『守られるべき存在』になってしまったのだ。だからそんな時代で、男性はキャピキャピと、「アタシのカノジョ~、ちょ~金持ちで~」「ワタシも~カノジョから『アナタのこと、一生面倒みてあげる』って言われちゃった~」という会話をすればよいのかもしれない。ガールズトークのようにメンズトークをすればよいのかもしれない。「『男性は女性を守る』という本能が働いていて(キリッ」という人もいるが、僕には『男性本能』『女性本能』なんてとっくにぶっ壊れているように思えてしょうがない。
「アニメイトがアニメ店長と東方を絡めたミニPVやりまーす」というだけでTwitterのTLがあちこちでザワザワザワ。まとめサイトでザワザワザワ、
まとめサイトの閲覧者がこの件と無関係のアニメPVにコメント乱入してガチャガチャ。以前に「アルティメットトゥルースを使った手書き動画」のコメントでアニメ化するべきしないべきと騒がしかったし、「夢想夏郷」でも一騒ぎあったよねえ。「アニメ化幻想」って結構根深いのかねぇ。神主のツイッター垢に質問凸多かったし
「公式」は二次と違うと言っても、ミュージックガンガンって音ゲーで「東方音銃夢」って東方アレンジが普通にプレイでき、現在も2本の連載漫画が「フェブリ」と「コンプエース」で掲載されているわけですよ。9月30日には小説「香霖堂」の単行本が出るのよ(amazonでも情報が掲載されたのよ)
で、特に漫画はれっきとしたZUN原作でありオフィシャルなんだが話題にしてる人少ない…「東方茨歌仙」の載ってるフェブリの2号は今日25日の
発売というのに話題がネット上にあんまり無いと来る。それだけじゃなく結構前からやってる「東方三月精」の方もだ。あれも感想書いてる人あんまりいないんでガッカリです。自分も最近感想書き出したばっかなので偉そうには言えんのだが。三月精を題材にした「妖怪大戦争」の紹介動画でも三月精を知らんコメが結構あってビックリやで。あとな「東方儚月抄」。本編もアレやったのもあるけどあまりにも話題に出来る場所が少なかった(したらばの東方板か、ふたばの東方板くらい)んで蟲毒状態や。みんなが「ねーよwww」とか「モブの月兎ハァハァ」とかブログとかそこらでやっていれば毒化する事もなかったんや。「公式村の村人かっつーの」ってくらい公式言うくらいならフェブリとかコンプエースとか買って読んでくだしあ。あぁコンプエースの三月精は隔月連載になので気をつけろ。あと月刊コンプティーク連載中の神主の酒コラム「博麗神主のゲームが先かお酒が先か」。これは東方関係ないが「神主の酒呑みマップ」となってるので神主ストークしたい人必見
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はてなキーワードに投稿しましたが、編集合戦を避けるため、こちらに転載します。
エホバの証人とは
● http://www.watchtower.org/j/ 雑誌のバックナンバーや聖書研究の手引き書などがいくらか読める。
● http://www.jw.org 機関誌のポッドキャストフィードの受診、書籍、電子雑誌などがダウンロードできる。
● http://www.jw-media.org 広報室の公式サイト
名称の由来は旧約聖書のメシア預言のひとつであるイザヤ43章10~12節に基づく。
エホバの証人についての解説(公式サイト): http://watchtower.org/j/jt/article_02.htm
(個人サイト): http://biblia.milkcafe.to/thesis009.html
「ものみの塔聖書冊子協会」は、彼らが用いる代表的な法人の名称である。世界本部はニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会にあり、出版物の著作権表示はペンシルバニアのものみの塔聖書冊子協会となっている。(ただし、「わたしたちの王国宣教」は、2009年4月以後、著作権表示がエホバの証人のクリスチャン会衆"Christian Congregation of Jehovah's Witnesses"となっている。)
なお、ものみの塔とは1879年に創刊された雑誌の名称であり、ジェームズ王欽定訳のイザヤ21章8節などを由来としている。聖書預言と照らし合わせながら世界情勢を見張っている、という意味がこめられている。さらに、1884年、この雑誌の出版社として現在のものみの塔聖書冊子協会が米国ペンシルバニア州の非営利法人法に則って登録された。したがって、彼らは自分たちを「ものみの塔の信者」とは言わない。ものみの塔協会は法人名に過ぎないからである。
また、「エホバの証人」という語は彼らが構成する集団社会と、信者各個人の両方を指す。(英語などの場合、複数形と単数形で区別する。)したがって彼らは、「エホバの証人の信者」という表現は使わない。ちょうど、「クリスチャンの信者」とか「ムスリムの信者」などと言わないのと同様である。
1870年米国にて、チャールズ・テイズ・ラッセルらが聖書研究会を結成したことに始まり、1931年、米国オハイオ州コロンバスの大会で、「エホバの証人」という名称を採択する決議が可決された。この大会は短波放送で中継されており、日本にいた数名の信者も決議に加わった。(なお、戦前・戦中の大日本帝国下では、「灯台社」という名称で活動しており、天皇は被造物であるなどと主張し、本土および台湾・朝鮮において、治安維持法違反で検挙されている。―参考: 灯台社または燈台社または燈臺社を調べるぺえじ http://www.geocities.jp/todai_sha/)
聖句と聖句を比較しながら論題別に掘り下げてゆくという19世紀の聖書研究者ヘンリー・グルーの聖書研究のポリシーが、現在でも一貫して守られており、エホバの証人出版物の特色となっている。聖書は文字通り神の霊感(インスピレーション)を受けた神の言葉であり、普遍、無謬であって、絶対に矛盾していない、という前提で聖書を調べ、矛盾と思われる箇所がある場合には、ほかの聖句を持ってきて説明しようとする。聖書で聖書を説明するのである。(ものみの塔2006年8月15日号12~15ページを参照。)
((聖書は矛盾している、との主張に対するエホバの証人の反論については、「ものみの塔出版物索引」の「聖書の信ぴょう性」の項の「聖句間に見られる調和」という見出し以下から資料を探せる。))
信者数は日本で21万人ないし30万あるいは40万とも言われ、2009年現在全世界で731万余の伝道者が活動している。
全世界の統計(公式): http://www.watchtower.org/e/statistics/worldwide_report.htm
エホバの証人の実勢信徒数の数え方: http://jwpc.milkcafe.to/media03.html
機関誌「ものみの塔」や「目ざめよ」などを配っている。最近は雑誌の朗読版(mp3およびaac(m4b))やオーディオブックのポッドキャスト配信、アメリカ手話(ASL)や日本手話(JSL)をはじめとする手話版のビデオキャスト配信、オーディオドラマやPDFによる電子書籍のRSS配信も行っている。
「目ざめよ!」は2006年以後月刊誌となり、「ものみの塔」は2008年から一般大衆向けと研究用(信者向け)とに分かれた。
出版物のダウンロードサイト(公式): http://www.jw.org
モルモン教、統一教会と並び、カトリックの総本山であるバチカンの法王庁(教皇庁)からキリスト教系三大カルト(または異端)の一つとされている。
また、カトリックと対立関係にあるが、プロテスタントではない。プロテスタント諸派もエホバの証人との教理上の相違が大きく、エホバの証人自信も自分たちをプロテスタントであるとは主張しない。
http://www.watchtower.org/j/20091101a/article_01.htm
エホバの証人のスポークスマンによると、ときおり、日本基督教団の牧師が「保護説得」などと称してエホバの証人を拉致、監禁して強制棄教を試みるといった事例が生じており、アメリカ大使館は日本の警察当局に、これを事件として取り締まるよう勧告している。((なお、宗教監禁の実態(統一協会の信者)に関する情報は、こちらの月刊現代の記事を参照。))
参考:2003年 国別人権報告書 http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-j20050601-50.html
ただし、SDA―セブンスデー・アドベンチスト教会―はエホバの証人に比較的好意的であり、国によってはセブンスデー・アドベンチスト系の病院がエホバの証人の望む無輸血医療を積極的に提供していることもある。
神の名はエホバであり、敬意を込めてその名を積極的に用いるべきである。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_01.htm
なお、「エホバ」であるか「ヤハウェ」あるいは「ヤーウェ」であるかは彼らにとって大きな問題ではない。マタイ福音書の主の祈りの冒頭にあるように、神の固有名を用い、それが神聖にされることが重要である、とする。(マタイ 6:9)
さらに、聖書を翻訳する際、神聖四字(YHWH(JHVH)テトラグラマトン)を「神」や「主」といった称号に置き換えると、読者は一般名詞としての神と固有名であるエホバとの意味の相違が識別できないという弊害が生じる。「神」(エローヒーム)と「エホバ」の違いについて、インペリアル聖書辞典(P・フェアベアン編、ロンドン、1874年、第1巻、856ページ)は次のように例証している。
「それ[エホバ]はどんな箇所でも固有の名であり、人格的な神を、そしてただその方だけを表わしている。一方、エローヒームはどちらかと言えば普通名詞の特徴を帯びており、確かに普通は至上者を表わすが、必ずしも、またいつも一様に至上者のことを指しているわけではない。……ヘブライ人はあらゆる偽りの神々に対立する方のことをthe Elohim、つまりまことの神と言う場合があるが、決してthe Jehovahとは言わない。なぜなら、エホバとはまことの神だけの名だからである。また、わたしの神とは再三言うが……決してわたしのエホバとは言わない。というのは、わたしの神と言う場合、エホバのことを意味しているからである。また、イスラエルの神について語りはするが、決してイスラエルのエホバについて語ることはしない。それ以外のエホバはいないからである。さらに、生ける神について語りはするが、決して生けるエホバについて語ることはしない。生きている方ではないエホバなど考えられないからである」。(訳文は、聖書に対する洞察、第一巻、「エホバ」の項より。)
ヘブライ語聖書中に「サタン」が登場するすべての箇所において、定冠詞が使われており、悪魔は固有の実在者であって、人の心に内在する抽象的な概念などではない。(ヨブ 1:6 脚注)
http://watchtower.org/j/20091001a/article_01.htm
神は愛の動機からすべての良いものを創造された。生きる喜びを分かち合うため、み使い(天使)や人間を、倫理的に自由な行為者、つまり神に仕えるか仕えないか、どのように仕えるかを能動的に選択できるものとして創造された。
やがて天使のある者が自由意志を誤用・悪用して神に反逆し、神の主権の正当性、妥当性、義にかなっているか否かに疑念を差し挟むようになった。その天使は、ヘビを使ってエデンの園にいた最初の男女アダムとエバ(イブ)を罪へといざなった。こうして、完全だった人間は不完全になり、原罪を受け継いで死ぬようになった。
悪魔となったその天子が投げかけた問いは、もっぱら倫理的な論争であった。つまり、悪魔は神の力を否認していたのではなく、宇宙の主権者としてエホバがふさわしいか否かを問題にした。したがって、悪魔と叛逆した人間を即座に滅ぼしても、この種の問題の解決とはならなかった。
神からの独立を望む人類社会には、神から倫理的に独立してやっていけるかどうかを試す時間が与えられた。そして、数千年の歴史の中で、君主政治、軍国主義、全体主義、共産主義、自由民主主義などあらゆる政治形態を試みることが許された。
神を愛する人には人間の政治に希望を寄せるのではなく、エホバによる神権政治を支持する機会が差し伸べられている。人間一人一人は、エホバの側につくか悪魔の側につくかを選ばなければならず、エホバの主権を受け入れることによって神の心を喜ばせることができる。―箴言 27:11。(←この側面は「忠誠の論争」とも呼ばれる。)
http://watchtower.org/j/bh/article_11.htm#q10_src
http://watchtower.org/j/bh/article_12.htm#q6_src
なお、悪魔の投げかけたこの論争は、当初から矛盾(論理破綻)していた。悪魔は、自分が論争に勝つなら、エホバは自分を生き続けさせる義務を感じるであろうと考えていたからである。神の公正に疑念を差し挟む一方で、神の公正をあてにしていたのである。(聖書に対する洞察、第一巻、「主権」の項を参照。)
イエスは、人類を罪と死から救済するために天から地に遣わされた。イエスの贖罪死と流した血によって、罪の許しの法的根拠が据えられ、人類には永遠に生きるみこみが差し伸べられた。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_05.htm
http://watchtower.org/j/bh/appendix_04.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_05.htm
http://www.watchtower.org/j/20090401a/article_01.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_07.htm
http://biblia.milkcafe.to/21-ec-12-07.html
クリスチャンは天に設立された神の王国の国民であるゆえ、地上の政治論争には一切「内政干渉」せず、神の王国の大使また公使として振舞うことが期待される。―ヨハネ 17:16。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_15.htm#q12_src
神を愛する者は暴虐を憎まなければならない。―詩編 11:5。
http://www.watchtower.org/j/kn37/article_01.htm
(誤解されがちな点だが、彼らはいかなる戦いをも否定する絶対的平和主義者ではない。旧約聖書(ヘブライ語聖書)にある数々の戦いの記録は、将来神があらゆる悪に報復されることを表しており、「復しゅうは神のもの」と聖書にもある。また、クリスチャンは各自「信仰の戦い」をしなければならない。なお、戦争には不参加となるが、政治的な中立の観点から、戦争反対のデモなどの活動に加わることもしない。)
http://www.watchtower.org/j/hb/index.htm
地抜きされていない肉を食べてはならないという聖書の禁止事項は、イエスの流した贖罪の血に敬意を示すべきであるという考えを根底にしている。したがって、これはもっぱら宗教的な性質のものであり、物理的な意味で1ミクロンも血を摂取してはならないという意味ではなく、血抜きのための合理的な努力が払われていればそれでよしと彼らは考える。
日本臨床麻酔学会誌Vol. 26 http://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjsca/26/3/_contents/
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_10.htm
エホバの証人はユダ王国の滅亡を西暦全607年に起きたと考えている。考古学の主流の学説とは意を異にしているが、この点は、「聖書に対する洞察」というものみの塔協会発行の聖書百科事典の「年代計算、年代学、年代記述」の項で、かなりのページを割いて論じられている。
http://www.watchtower.org/j/20051115/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/20051201/article_02.htm
裁くのはイエスであり、誰が救われ、誰が救われないかを決めることに、エホバの証人は関与しない。―ヨハネ 5:22。
http://watchtower.org/j/jt/article_08.htm#saved
週に2回ある集会への参加および非信者への証言活動が求められる。(ヘブライ 10:24-25; マタイ 28:19-20。)また、年に1回、地域大会、巡回大会、特別一日大会という、より規模の大きな集まりがある。(詩編 35:18。)
http://watchtower.org/j/rq/article_14.htm
唯一の式典として、年に1回、キリストの死の記念(主の記念式)が行われる。これは、いわゆる最後の晩餐(最後の晩さん)を記念するもので、カトリックのミサ(聖体祭儀)に当たる。―ルカ 22:19。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_06.htm
彼らは「新世界訳聖書」という独自に翻訳した聖書を用いている。
オンラインバイブル(インターネット聖書)新世界訳: http://www.watchtower.org/j/bible/
「恣意的な翻訳だ」「自分たちに都合の良い内容に改竄している」という批判もある。
また、エホバの証人側はこれに反論している。
公式: http://www.watchtower.org/j/20080501a/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/
機関誌・書籍などで、しばしば古今の有名人の発言・著作を引用するが、前後の文脈を無視して極めて恣意的な引用をする傾向にある。(例えば、有名な古生物学者であるスティーブン・J・グールドの著作を、あたかも彼が進化論を否定しているかのような形で引用する)
しかし、この点は近年改善されてきており、2010年に発表された創造を指示する小冊子では、相当の配慮が示されている。
近年では全人類の平等を謳っているが、同協会に批判的な主張によれば、ローマカトリックを始め、他のキリスト教諸派よりもずっと後(1970年代)まで「黒人は神に呪われた種族であり、知的にも劣っており、終わりの日に遂に彼らが救済される時、彼らの肌は白くなるだろう」と主張してきたという。(下部の参考リンク「エホバの証人情報センター」の記述による。同センターは論証的な立場に立っているが、エホバの証人に対する論調は全般に批判的。1970年代およびそれ以前の、エホバの証人における有色人種の扱いについて、より信頼性の高い情報源があればご教示ください。)
世界各国に支部があり、信者のうち白人は1/3程度と推測される。「統治体」と呼ばれる最高指導部は、設立以来多年にわたり白人男性のみで構成されてきたが、1999年にメンバーにサミュエル・F・ハードが加わったことにより、統治体にも有色人種が加わることとなった。
1933年、ドイツで政権を握ったナチスがエホバの証人の弾圧を始めると、協会のドイツ支部は大会を開催して(ベルリン大会)、ナチスの政策を支持し、自分たちとユダヤ人は無関係だと主張する「事実に関する宣言」を全会一致で採択した。この大会には、当時のものみの塔協会の会長ラザフォードも出席している。しかし、世界各国に支部があり、本部がアメリカにあるエホバの証人は、この「宣言」以後もナチスの弾圧の対象となり続けた。
しかし、エホバの証人側は、ナチスを政治的に支持していたわけではないと反論する。
公式: http://www.watchtower.org/j/19980708/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/07-jg-11-40.html
1985年、ダンプカーに轢かれたエホバの証人の子供大ちゃんが、両親の輸血拒否にあい、死亡。輸血をしても助からなかったとの見解もあるが、マスコミに大々的に取り上げられた。大泉実成著「ASIN:4768455646」に事件の様子が描かれている。
1994年、過剰な体罰、虐待によりエホバの証人の信者の子供が死亡した。
参考:http://www.jwic.com/abuse.htm
エホバの証人である高専生が宗教上の理由で剣道実技を許否した結果、退学処分を受けたが、1996年3月8日、最高裁判所は、この退学処分は違法であるとの判決を下した。
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319123008290359.pdf
なお、これは教育と信教の自由に関する日本国憲法下における重要な憲法判断である。
エホバの証人の婦人が、事前にいかなる場合においても輸血を施さないでほしい、なおかつ輸血しないことによって障害を負っても医師に責任を問うことは一切しないとの合意書に署名していたにもかかわらず、医師たちはひそかに、事前に示し合わせて、当初から輸血を断行することにしていた。手術後、内部告発によってこのことが明らかになり、裁判となった。2000年2月29日、最高裁判所は患者の人格権を侵害したと判決した。
ここでの問題は、強制的に輸血を施したことの是非ではなく、また緊急事態には輸血を施すというその病院の方針が裁かれたのでもない。むしろ、病院はそのような方針をもっているならば、密約をしたりダブルスタンダードをとったりするのではなく、誠実に病院の方針を説明し、患者の信条に沿う別の医療機関を紹介すべきであった、ということである。
エホバの証人のプレスリリース(英語): http://www.jw-media.org/jpn/20000229.htm
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120604218580.pdf
このほかにも、エホバの証人は国内外で、後に重要な判例となる裁判を起こしている。
参考:衆議院議事録―第159回国会 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第2号(平成16年3月11日(木曜日)) http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/010715920040311002.htm?
元KinKi Kidsファンがお送りする現在のKinKi Kidsとそのファンの動向について
ファンに嫌われ戸惑われ庇われ続けながらどんどん自分の世界に没頭していく堂本剛と、
ひたすらにひたむきに技術を身につけ才能を伸ばし一流のエンターテイナーに登りつめて行く堂本光一。
対局に位置するふたりを内包するKinKi Kidsというグループが、
今後、どういう衰退の一途を辿っていくのか?
KinKi Kidsとしての活動に火種を撒き散らすのは常に剛。
かつてファンだった人にここまで本気で嫌われるジャニタレは初めてではないかと思われる。
ネット上にはKinKi Kidsに対し解散要求を出すファンがいる。
これは異常な状況である。
KinKiファンは、大きく3つの立場に分かれている。
どちらかと言えば剛が/光一が好きなどを含め、KinKiの二人ともを好きな人たち。
通称「剛オンリー」。
しかし光一を否定する人が少ないため実質的にはほぼKinKi Kidsファン。
半数以上は剛アンチを兼ね備えたファンと思われる。
剛を受け入れることができず、KinKiファンを辞めざるをえなくなった人、またはKinKiにいる光一を楽しむことができなくなった人。
病的なまでに剛を嫌っていることもある。
「一番好きな男の横に、常に一番嫌いな男がいる」光景を見続けなければならない辛い立場。
KinKi Kidsとしての活動のクオリティは光一ソロ活動のクオリティより低い。
剛がKinKiとしての活動のクオリティを下げているとも言える。しかし剛ソロ活動のクオリティはKinKiとしての活動よりも劣る。
<図式>
光一ソロ>KinKi Kids>>>>(越えられない壁)>>>>剛ソロ
なので剛ファンはKinKi Kidsに固執する。(剛はソロでいるときよりKinKiでいるときのほうがかっこいいため。)
対して光一ファンは剛がKinKiの足をひっぱっていると思っており、「光一はソロでのみ輝く」と言う。
KinKi Kidsの黄金期の活動の根幹は10代の頃から音楽・演出の勉強を重ねた光一が作っていた。
光一が主軸となってスタッフと相談し、意見を言い、切磋琢磨しながらKinKi Kidsを盛り立てていた。
当時、剛のご機嫌にコンサートの出来不出来が左右されるため、
「今日の剛は機嫌がよかったから、よかったねー」「剛、機嫌悪かったね。体調良くなかったのかな」などの会話は当たり前。
※この頃、剛も光一の方針に協力しているものと思われていたが、
実際には剛は後になって「周りの大人達の言うことを聞いてきた」と述懐している。(後述)
「自分は優しい人間であるから、周りがやって欲しいことに従ってきた」と、KinKIの活動方針に口を出し始めた剛。
しかし、ショービズについて真面目に取り組んで勉強してきた光一とはすでに雲泥の差がついており、
技量がないため何もかもうまくいかず、
などの暴挙を繰り返す。
一例:
演出に介入した結果、よかれと思って光一を蔑ろにする剛(『月刊テレビジョン』2006年7月号)
剛 「今回は曲が持ってるパワーを大事に考えて、どういう歌割りや構成がいいか考えながらやりたいっていう話をスタッフの方にして」
光一「ふ~ん、そうなんや」
剛 「知らんかった?歌割りも、サビをユニゾンにして二色(二人の声)が一つになることで曲の要素を壊すようなら、いさぎよくやめようっていう話もした。で、今回は主旋律とハモになって」
光一「そうなんやぁ~。いつもはレコーディングのときにいろいろ試して、この組み合わせがいいかなとかってやってるやん?でも今回は“光一全部ハモ”って言われた。だから俺、『夏模様』のサビの主旋律、知らないもん、…って言うとだいぶウソだけど(笑)」
剛 「ウソなんや(笑)」
上述の流れにより、KinKi Kidsは加齢に従い剛色が強くなっている。
光一ファンは異常なまでに剛を拒絶し、KinKiの解散を望んでいるが、
KinKiファンはKinKiの二人の立ち位置が近い(仲が良く見える)だけで歓喜するレベルに堕ちている。
KinKiでの活動では本気出してない。(剛色が強いので出しようがないとも言える。)
光一ファンは「KinKiでは本気出してる光一は見られない」ので、KinKi Kidsの活動に金を落とさなくなっている。
これはKinKi Kidsにとっては痛手。
しかし剛色を薄めるためには光一自ら剛を否定しなければならない現状。
(剛が自分から態度を改める見込みがないため。)
31にもなって、未だに「大人は汚い」「自分の気持ちを理解してくれない」と言い、
ジャニーズ事務所を否定し、アイドルを否定し、それでも、ジャニーズ事務所やアイドルに固執。
剛を否定しないファンは剛をとにかく甘やかしてちやほやする傾向。
KinKi Kidsの今後の活躍にご期待ください!
とあるアイドルの話。
ゆっくりと衰退の一途を辿っていくのをおもしろいと思うのもおかしいけど。
ここまでファンに嫌われ戸惑われ庇われ続けながら、どんどん自分の世界に没頭していく堂本剛と。
ひたすらにひたむきに技術を身につけ才能を伸ばし、一流のエンターテイナーに登りつめて行く堂本光一。
対局に位置するふたりを内包するKinKi Kidsというグループが、今後、どういう衰退の一途を辿っていくのか。
そして、5年後、10年後、彼らがどうなっているのか。
未来は見えない。
だから、興味深い、と思う。
ネットでのかくある論争(とも言えないほど、ただひたすらに平行線をたどる3つ(ないし2つ)のお互いに話を聞かない、押し付け合いっぱなしの話だけど)。
ネット上でのことなんて、リアルな世界の一部でしかないとも思うし。
実際、そこまで真剣に彼らを応援したり、解散要求を出したりしてるファンがどれほど居るんだろうとも思うけど。
それでも、そういう話がでる自体が異常なことだとも思うし。
ただ単に、どこかの熱狂的なファンが、なんかしらの思惑で煽っているだけなら、こんなに長く、根深いモノにはならなかったと思う。
常に、火種は剛の口から、行動から発信されていて。
それは、たぶん、剛自身が意図してない方向で、次々と自身のアンチを生み出している。
否、少なくともジャニタレでも、特異な行動をしたり、分かりやすいくらいに特別扱いをされていたり、仕事を真面目にやらないタレントは、Jr.、デビュー組に問わずアンチがつきやすく、嫌われるものだけど。
ここまで、本気でかつてファンだった人に嫌われるジャニタレは初めてじゃないかと思う。
と、先入観を抱かせるのもどーかと思うけど。
自分がもう嫌いっていうか、自担にはこういう風にはなってほしくないと思ってるし。
本気で近づかないでくれ、影響受けないでくれ!常に反面教師にしていてくれと願わずにはおれないもんで。
どうしても中立的な立場にはなれないんだな。すでに。
KinKiファンは、大きく3つの立場に分かれている。
KinKi Kidsのファン。
堂本剛のファン。
堂本光一のファン。
同じじゃん、と思われるだろうが、全く違う。
KinKiのファンはグループのファンで、どちらか寄りとかがあったりはするが、少なくともKinKiのふたりとも好きな人たち。
こちらは、剛に心酔し、信者とまで揶揄されるほどのファンが多くを占めていると思われる。
が、ほとんどはKinKiファンになるので、本気で剛オンリーとなっている人は意外と少ないんじゃないかと思う。
たとえば、光一アンチ化するまでの剛オンリーは、そんなに居ないと思う。
こちらは、ほぼ半数以上が剛アンチを兼ね備えたファンだと思う。
剛を受け入れることができなくなって、KinKiファンを辞めざるをえなくなった、KinKiにいる光一を楽しむことができなくなった。
ある意味、病的なまでに剛を嫌い、ときにはそれ完全に思い込みじゃ。。。という持論も捲くし立てるけど。
少なくとも「一番好きな男の横に、常に一番嫌いな男がいる」光景を見続けなければならないことを考えれば。
その時には脊髄反射的な反応もしょうがないと思うし。
逆に、そこまで嫌われる剛って何者だよ、とも思うが。
結局、クオリティがKinKiでの活動<光一のみの活動となっている現状を見ると致し方ないと思う。
そりゃ、剛ファンはKinKiに固執するよ。
かつて光一が作り上げたアイドルKinKi像を、はちゃめちゃにして壊し続ける剛の行動の結果が現状によく出ていると思う。
まあ、剛本人は壊していると思っても居ないし、剛ファンもKinKiファンも、きっとそう思ってるんだろうけど。
簡単に嫌いになれれば、それが一番楽な道筋だ。
でも、光一本人に嫌いになる要素がない。
ただただ、彼が一緒に仕事をしている剛を知れば知るほど、嫌いになっていく。
剛の言動に「どうして?」「なんで?」と疑問を持ち、考えれば考えるほど、嫌になっていく。
終いには、観ているだけで虫酸が走ったり、名前を見るだけで悪寒を抱くほど嫌いになるのに。
否が応でも眼に入る。
そして、剛が発言する度、行動する度、怯え傷つき、ますます拒否反応を抱く。
それでも、光一がいる、好きな人がいる、笑っている、歌っている、踊っている。
そんな状況、正直体験したこともないし、想像もつかないけれど。
ある意味で幸いなのは、年数を重ねる度に、KinKiが剛色に染められていったこと。
光一の表情が明らかに違うこと。
(まあ、KinKiファンはそう思ってはないし、それもファンの見方次第なんだろうけど)
KinKiで本気の光一を見ることが出来ないのならば、応援する必要はない。
大切な金銭を消費する理由はない。
そう判断をくだすことができたということ。
KinKiにとって不幸だったのは。
光一ファンが(一部でも)そういう判断を下してしまったこと。
下してしまえるグループに成り下がってしまったということ。
10代の頃に、芸能界で生きることを決意し、音楽に限らず、演出の勉強もした。
今の光一の仕事ぶりをみれば、並々ならぬ努力を10年以上重ねていたんだろうと推察されるほどに。
うまく廻っている時期があった。
それが黄金期だった。
剛があまりその辺に興味がなく。
のちに剛自身が「周りの大人達の言うことを聞いてきた」というようになる時期だ。
光一がメインとなって(しかし、それを必要以上にアピールすることもなく)。
スタッフと相談し、意見を言い切磋琢磨しながらKinKiを創っていた頃。
ファンも当然、剛もそうなのだろうと思っていた。
たとえ、コンサートで剛の顔色を伺いながら、今日のコンサートの出来不出来を伺うことに何の疑問を抱いてなくても。
のちに「おみくじコン」と揶揄されるKinKiコンでは、それが当たり前だった。
ファンは常に剛の顔色を窺う。
今日の剛の機嫌がどうかをまず確認する。
機嫌がよければ、コン中もにこにこしているし、MCでもよく喋る。
しかし、機嫌が悪ければ、ムスッとしたり、MCでは押し黙る。
コンサートが終わって「今日の剛は機嫌がよかったから、よかったねーw」とか「剛、機嫌悪かったね。体調良くなかったのかな」とか。
そういう会話が当たり前だった。
(否少なくとも、今でもそうだと思う)
ちなみに「ドーム規模の公演でもKinKiコンはおもしろい」そう思っていた時期もあった。
毎年行っていたツアーで、「今回はちょっと構成が間延びしてたよね、微妙だったなぁ」と感じるコンサートがあった。
光ちゃんどうしたのかな?と思ったら、雑誌で意気揚々と剛が「今回のコンサートはオレが演出した」と言っていた。
お前かwwwwやっぱりだめなんだな、剛はw
で、当時は済んでいた(自分的に)。
でも、それから先、コンサートがおもしろくなることなくなった。
それから。
剛が「これからは戦っていく」という発言を皮切りに、KinKiに剛が意見を出してくるようになった。
それが、光一を含め、スタッフとお互いに納得するまで、とことん話し合い、意見を出し合い、そうして共通のKinKi像を成立させるために。
最強のグループにするためのものだったらよかった。
というか、普通そうだろうと思ってた。
そもそも、それまで剛が話し合いに参加していなかったのは。
剛曰く「自分は優しいから、周りがやって欲しいことに従ってきたから」で。
それは、光一やスタッフが「剛どう思う?」「こういうのはどう?」と意見を聞いてきたときに、ただ「それでいいと思う」と答えてきただけと推察されるわけで。
そんな剛が意見を言い出したら、ただの暴君だった。
後出しジャンケンのように、全てが終わった後で「自分はそんな風に思ってなかった」「ホントは違うことがやりたかった」という趣旨の発言を繰り返したと思えば。
そのうち「周りの大人が自分の意見を聞いてくれない」「僕は常に戦っている」と言い出す。
結局、自分の思うようにならなかったら機嫌を損ね、事後にメディアを使ってスタッフ批判、相方批判を繰り返す。
コンサートで口を開けば愛を語り、自分は優しく傷つきやすい人間で、しまいにはパニック障害や過呼吸症候群も持っていると病気まで持ち出す。
病気を持ち出されたら、何も言えない。
どうすることもできない。
ステージ上で薬を飲んでも、笑って踊らなくなっても、MCでダンマリを決め込んだり、光一を置いてその場から離れても。
ファンは心配することしか出来ない。
そして、ふと我に返る。
コンサートって、ファンを楽しませるためにあるんじゃないの?
なんで、剛の体調を常に気遣う必要があるの?
なんで、剛の機嫌を伺う必要があるの?
なんで、楽しむために来ているコンサートで、剛の心配をしなきゃいけないの?
気付いたファンは、疑問を抱く。
そうしてモヤモヤした気持ちを抱える日々が始まる。
光一がきている公演で「僕は長い間人間不信だった。バンドのメンバーに逢って救われた」と言ったこと。
光一の数々の音楽活動を知っているはずなのに、新聞で「光一は音楽に興味がない」と発言したこと。
自身のソロ活動でコンサートをする度、名前を変える度に、それまでやっていたことを完全否定すること。
ジャニーズ事務所を否定し、アイドルを否定し、それでも、ジャニーズ事務所やアイドルに固執していること。
年齢を重ね、社会人となりそういうファンの前に、いつまでも成長しない剛があり続けた。
10代後半、20代前半なら笑って「若いからね」と赦される言動も、ファン自身が幼いために見過ごされる言動も。
どうしても引っかかってしまうファンが増えた。
31にもなって、未だに「大人は汚い」「自分の気持ちを理解してくれない」と言う剛。
若い頃から自分の未熟さを認め、多くのスタッフにぶつかり、若さゆえに否定され、それでも食らいついて努力を重ね続けた光一とは、すでに雲泥の差がついている。
それは傍から見ていても判るほどに、顕著だ。
彼が携わった作品に、全てが顕れている。
本人がどれだけ努力をしたか、どれだけの勉強をしたかを語ることがなくても。
出来上がったものが、全てを証明している。
私自身にとっても、エンタメを享受する人間として、理想とする「ショービズに活きる人間」の理想像は光一だったりする。
観客のために、ショーのために、最大限の敬意払い、努力をし、楽しんでいる人。
どんどん要求が高くなる観客を相手に、その要求、理想を満たすものを自ら生み出し提供し続けていけていること。
歌って踊って、自分のみならずステージに上がっている人たちを輝かせることができる人。
口先だけの言葉はすぐにバレる。
全部、作品に出るから。
しない、のではない、できないのだ。
剛が観客を巻き込む。
スタッフを巻き込む。
妄想かもしれない。
でも、結局、剛は自分を否定する人たちを残していかなかった。
誰でも見れる雑誌で、友達を否定し。
真剣に剛を想ってくれている人たちが、どれだけ周りに残っているんだろうかと思う。
仕事として、真剣な議論がどう想像しても成り立っているとは思えない。
そういう風にしか生きられない彼を可哀想とも思うし。
そんな彼と15年以上2人きりのグループとして仕事をし続けてきた光一を単純にすごいと思う。
(どう想像しても、私は絶対、剛とは一緒に働きたくない)
KinKiは衰退して行く。
KinKiファンが異常に、ふたりが接近することに歓喜することも。
ふたりが仲がいいことを望み、渇望し、そういうふたりを見せておけば納得するほどまでに、レベルが堕ちてしまったことも。
少しでも剛の批判をすればファンによる集中攻撃を受け、批判ではなく「愛あるダメ出し」や単なる批評であっても。
剛を否定することは許されないネット上の状況も。
光一ファンが異常なまでに剛を拒絶し、KinKiの解散を望んでいることも。
剛を心から愛し、ファンとタレントとして共に切磋琢磨しながら成長しようというファンがいないということも。
結局、剛も、剛ファンも、KinKiファンも、光一ファンも、みんなが光一を望んでいるということも。
剛やファンから、光一はたくさんの責任を背負わされ、それらによって批判も賞賛も得るけど。
剛はみんなが甘やかして、ちやほやして、いいよいいよーと褒め称えられるだけ。
どちらが不幸で、どちらが幸せなのか。
たかがジャニヲタの。
たかがいちアイドルグループの。
本当の実情なんて、メディアに出ている以外には知らない人間の戯言ですが。
すでにKinKiファンの間から光一ファンが立ち上がり、剛アンチが声を上げ始めてから4年ほど経つ。
これから先、彼らがどういった経緯を辿って、どんな未来に落ち着くのか。
こんなに興味深い観察対象はない。
ちなみに光一ファンを剛アンチ化した顕著な一例を付記しておく。
T「今回は曲が持ってるパワーを大事に考えて、どういう歌割りや構成がいいか考えながらやりたいっていう話をスタッフの方にして」
K「ふ~ん、そうなんや」
T「知らんかった?歌割りも、サビをユニゾンにして二色(二人の声)が一つになることで曲の要素を壊すようなら、いさぎよくやめようっていう話もした。で、今回は主旋律とハモになって」
K「そうなんやぁ~。いつもはレコーディングのときにいろいろ試して、この組み合わせがいいかなとかってやってるやん?でも今回は“光一全部ハモ”って言われた。だから俺、『夏模様』のサビの主旋律、知らないもん、…って言うとだいぶウソだけど(笑)」
T「ウソなんや(笑)」
K「知らなくはない(笑)。しかしこの曲、歌うと難しいな」
これがなんなの?と思っても、これでKinKiを捨てた光一ファンが確かにいる。
自分が好きなグループは、提供される曲をどうこうしてるということは全くないし、コンサートDVDの編集に自ら口を出すこともないけど。
こういう風にはなんないでね、と、勝手に思っている。(ホントに関係ないんだけど)
「良質な記事」(*)という試みがはじまった。
そこそこよく書けてて、出典が付いてる記事を集めたリストを作るというもので、
今のところ、けっこううまく行きそうなかんじ。
これまでのウィキペディア日本語版にも似たようなものがいくつかあったけど、それぞれ一長一短なところがあった。
「良質な記事」では、過去の月刊賞で選ばれた記事を全部集めるところからリスト作成を始めている。
いまのところ、集まった数は366本。
こうやって最初にたくさん集まっていると、
「いい記事がたくさんまとめられている場所」として、とりあえず見る人が出てきていいと思う。
なんだかんだいって、見る人が多くないと、作る人も多くならない。
立ち上げ直後にパワー不足・持久力不足で徐々に企画倒れになるケースが多かったけれど、
この試みはスタート時点に補助がついているので、少し安定感がある気がする。
残っている問題は、過去の賞からさらい終わったあと、そこからどう増やすか。
最低限、月刊賞から流れてくる月数本は確保できるだろうけど、それだけでは足りないと思う。
使う人・参加する人が少なくなって、過去の試みと似た状況に陥りそう。
包み隠さず言うとぼくは「総理萌え」だ。総理の男の子は個人的にかなりポイントが高い。これは長い間隠していたんだけれど、最近、意外と「総理萌え」に共感していただける方が多数いることが判明した。すばらしい。しかし、検索しても「総理萌え」が全然ヒットしない。ぼくは声を荒げて言いたい。みんな、総理萌えをカミングアウトするべきだ、と!
共感してくれる人はどれだけいるのか分からないけど、共感していただけたら、はてブしてほしい。
「総理萌え」とは何か?
要するに総理男性に対する萌えだ。特筆すべき点を以下に述べたいと思う。必ず「総理萌え」を理解してくれる人はいると思う。大事なことだからもう一度言うけど、実は「総理萌え」という方、以下のことに共感できる方がいれば、ぜひ、はてブして欲しい。
清楚で地味でデフォルト設定:
総理の男の子は社長みたいに株主総会も無ければ、役員会で打ち合わせに出ることもない。せいぜい、年頭会見ぐらいだ。マスゴミや野党に叩かれるので、政策もデフォルト設定のままだ。だから服装が清楚で地味だ。だから、それがいい。最近はやりの若手女性議員と完全に対角をなす。
それは、素材の味をそのまま出している。若手女性議員はカレールーの中で煮込まれたニンジンみたいなもので、しゃれたスーツと化粧で元のテイストが一切分からない。対して、総理は生野菜サラダのようなものだ。男性としての美しさがそのままにじみ出ている。そう、「デフォルト設定」。それが総理男性の最も特筆すべき点だ。
誰か「総理ばっかりの写真集」とか出してくれないだろうか?できれば、月刊とかで出して欲しい。
さらに言えば「総理喫茶」なんかが出店されるとうれしいけれど、総理のウェイターという時点でもう総理ではない気がする。なんにせよ、本当に素材が無くて困っています。
総理萌えの知名度があまりに低すぎる。ぼくは、「総理萌え」は足フェチよりランクは上だと思っている。せめて、地デジに切り替わるまでにその存在を世間で知られるようになって欲しいと思う。