はてなキーワード: 新大陸とは
調べてみました!
ほとんど確実。何故なら、人口統計調査により、ユダヤ人の戦前戦後の人口差は550万人程度はあり、人口統計調査の誤差を踏まえれば600万人程度のユダヤ人が殺されたことはほぼ確実である。別々の研究機関や研究者によって何度も推定は繰り返されているが、めちゃくちゃ極端に低く見積もっても約450万人程度とされており、大差はないと考えて良いだろう。ちなみに、否認派向けに言っておくと確認できる限り、否認派できっちり人口統計調査をした人は存在しないようである。否認論が嘘であるとバレるからか?w 出典は、『ホロコースト大事典』(柏書房)、芝健介『ホロコースト ナチスのユダヤ人大量虐殺の全貌』など。
これは数字は概ね合っているが、明らかに死亡者数ではない。英語圏でいう「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」であろう。
約3世紀に及ぶ奴隷貿易で大西洋を渡ったアフリカ原住民は1500万人以上と一般には言われているが、学界では900万人-1100万人という、1969年のフィリップ・カーティンの説を基にした数字が有力である。多数の奴隷船の一次記録の調査で、輸送中の死亡率がそれまで考えられていたほど高くなかった[注釈 2]、輸出先での人口増加率が意外に高いと推定される、というのが説の根拠である。ただし、カーティンの説(彼自身は900万人強を提唱していた)には、一次記録が存在しない16世紀 - 17世紀初頭に関しての推定数が少なすぎるという批判もあるが、そうした批判を踏まえても1200万人を大きく超えることはないと考えられている[7]。
んー、これはよくわからん。以下では1000万人は正しいかのように思えるが、はっきりしない。
その犠牲者は征服前の人口はおよそ1100万人であったと推測されるが、1600年の人口調査では、先住民の人口は100万程度になっていた。スペイン人は暴虐の限りを尽くしたうえに、疫病により免疫のない先住民は短期間のうちに激減した[29]。
何故はっきりしないかというと、こんな記事を見つけたからである。
さらなる批判を浴びたのは、ラス・カサスが挙げるインディオの犠牲者数が大幅に水増しされているとの“疑惑”だ。
たとえばラス・カサスは、征服前のイスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ共和国)の人口を300万と記しているが、当時の複数の記録でも現代の研究者の評価でもその人口は100万を超えていない。同様にラス・カサスは、メキシコ中央部で400万、ペルー副王領でも同じく400万の生命が奪われ、1502年から42年までの40年間に2580万から2880万人のインディオが征服戦争の犠牲になったとしているが、当時の人口調査や統計では正確な数字を出すことは不可能で、「被害」の規模に確たる根拠があるとはいえない。
16世紀に新大陸で虐殺を行なったスペインが、当時もっとも「啓蒙的、人道的」だった[橘玲の世界投資見聞録] | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン
何にしても一体、1000万人はどこから出てきた値なのか知識がないのでよくわからない。ここに書いてあるように、正確な統計値があるとも思えない時代の数字にどれほど信憑性があると判断すれば良いのだろうか?
んー、これも上と同じで、正確な統計があるとは思えない時代の話だし、ちょっと調べた程度ではさっぱりわからない。しかし以下のような記事を見つけた。人口がもしそうだとするなら、1000万人はあり得ない。
インカ帝国は、13~16世紀にかけて繁栄した、アンデス山脈沿いの南北4000kmに及ぶ、現在の南米ペルーを中心とした広大な大帝国であり、最盛期には人口600万を有した。有名な遺跡として、標高2500mの高地に作られたマチュピチュ都市がある。
追記;↑と思ったが、Wikipedia「インカ帝国」によると、上の記事は間違いの可能性が高いように思われる。
前身となるクスコ王国は13世紀に成立し、1438年のパチャクテク即位による国家としての再編を経て、1533年にスペイン人のコンキスタドールに滅ぼされるまで[1]約200年間続いた。最盛期には、80の民族と1,600万人の人口をかかえ
しかしこの記事でも、虐殺の話はまるで出ておらず、「伝染病が壊滅的な打撃」ともあり、「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」の疑いが強い印象。
英語版Wikipediaを調べた。英語版は流石にやたら詳しい。これによると、1000万人は完全な出鱈目・デマである。デマ源を突き止めたいんだけどなぁ。
2010年のアメリカ合衆国の国勢調査では、自らがアメリカインディアンまたはアラスカ先住民であると認識しているアメリカ人は293万2,248人で、アメリカ人口の約0.9%でした[50]。 2011年のカナダの国勢調査では、自らがファースト・ネーション(またはイヌイットやメティス)であると認識しているカナダ人は183万6,035人で、カナダ人口の約4.3%でした[51]。 ヨーロッパ人が到着する前にアメリカ大陸に住んでいた人の数については意見の一致を見ていませんが、広範な研究が続けられています[52][53]。 52][53]現代の推定では、ヨーロッパによる植民地化以前に北米大陸に住んでいた人々の数は210万人から1800万人とされているが[54]、アメリカ国勢調査局は1894年に、1492年の北米大陸はほとんど何もない大陸であり、インディアンの人口は「50万人をはるかに超えることはなかっただろう」と主張している[55][56]。
インディアンの数は、感染症、ヨーロッパ人との衝突、部族間の戦争、同化、カナダやメキシコへの移住、出生率の低下などにより、19世紀には50万人を下回るまでに減少したという。主な原因はヨーロッパの探検家や商人が運んできた伝染病であった[57][58] 米国国勢調査局(1894年)は1789年から1891年までの102年間の戦争による特別な死亡者の推定値を示しており、その中には「個人的な問題」で殺された8,500人のインディアンと5,000人の白人が含まれていた。
米国政府の下で行われたインディアン戦争は40回以上にも及びます。彼らは、個人的な戦闘で殺された人を含めて、約19,000人の白人男性、女性、子供の命を奪い、約30,000人のインディアンの命を奪ってきました。実際に死傷したインディアンの数は、この数字よりもはるかに多いに違いありません。5割増しというのが安全な見積もりだろう[59]。
スターリンが粛清により大量の処刑者を出したのは史実であろうが、一千万人はいくらなんでも盛り過ぎである(実際には明らかにあり得ない非現実的な無茶苦茶誇張された数字もあったくらいであるが)。これは冷戦末期以降にソ連・ロシアが情報公開をしていて、確定はしていないが、概ねの数字はわかっている。おそらく粛清で処刑されたのは90万〜120万人程度と考えられる。
ソ連政府はミハイル・ゴルバチョフの時代にNKVDの後身ソ連国家保安委員会 (KGB) が「スターリンが支配した1930年から1953年の時代に786,098人が反革命罪で処刑されたこと」を公式に認めた。さらにソ連崩壊後にはロシア連邦国立文書館 (GARF) がNKVDグラーク書記局が1953年に作成したという統計報告書を公開した。それによるとNKVDは1937年と1938年の2年間に1,575,259人の者を逮捕しており、このうち87%以上の1,372,382人に及ぶ人が反革命罪および反国家扇動罪などに問われた政治犯であった。ソ連時代の統計[16]の開示[17]や、第三者による検証[18]を経ても、粛清された人物の合計数は今もなお公式に確定していない。
ウクライナへの人工飢餓として、ジェノサイド認定をしたらしいが、ジェノサイドと言えるのかどうかは議論の余地がある。しかし、何にしても、ホロコーストのように殺戮を目的とはしておらず、これもまた「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」であろう。
飢餓による餓死者の総数に関しては未だ議論が続いており、飢饉の犠牲者数についても学説によって250万から1450万人までの幅がある[7][2]。
この飢餓の主たる原因は、広範な凶作が生じていたにもかかわらず、ソ連政府が工業化の推進に必要な外貨を獲得するために、国内の農産物を飢餓輸出したことにあった。その意味で大飢饉が人為的に引き起こされたものであることは否定できない。ウクライナのユシチェンコ政権は、これをもってウクライナ人に対する大量虐殺であったと主張し、国際的な同調を募った。一方、現代ロシアの歴史家を中心に、大規模で悲惨な飢饉があったという事実認識には同調するが、飢饉の被害はウクライナ人のみならずロシア人やカザフ人にも広く及んだと指摘して、これがウクライナ人に対する民族的なジェノサイドであることを否定する議論もあり、見解の相違は埋まっていない。
全然知らない話だが、以下を読む限り、「2000万人」は盛っていると思われる。しかもその大半は天然痘などの疫病であるようだ。しかし、相当規模の残虐行為を働いたのは事実であろう。
自由国政府は当初は象牙を、後には貴重な商品となっていったゴムなどの天然資源を開拓した。自由国の軍隊である公安軍(Force Publique)の支援を受け、その領土は複数の私的な採掘利権に分割された。英白インド・ゴム会社(英語版)はとりわけ、その領土から利益を得るために武力と残虐行為を用いた。コンゴにおけるその政権は強制労働をさせ、ゴム収集のノルマを満たしていないコンゴ先住民を殺害し切断した。何百万人ものコンゴ人がこの期間に犠牲となったが[4]、死者の多くはコンゴ川下流地域の人口の半数近くが死亡した天然痘を含む、ヨーロッパ人入植者との接触によってもたらされた新しい病気が原因だとも特定されている[5]。
自由国時代には過剰死によってコンゴ人口が急減したが、死者数の推定値にはかなりのばらつきがある。数字は推定値であるものの、この時期に死亡したコンゴ人は人口のおよそ5分の1にあたる1000万人にのぼるとされている[6][7][8][9]。最初の人口調査が実施されたのは1924年であるためこの期間の人口減少を数量化することは困難であり、ウィリアム・ルービンスタイン(英語版)のように、アダム・ホックシールドが引証した数値はほとんど証拠に基づかない推測であると主張する者らによって、これらの数字は議論されてきた[10]。
これは適当な解説サイトが見当たらないので、自分の知識だけで言うけど、これも飢餓でしょ。数値は知らないけど、これもまた「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」。
残り二つの中国のは自分で調べて。文字数制限で書けない。ともかく、人数の精度に問題あり過ぎだし、ホロコーストと同レベルで比較対象にできるものはない。ホロコーストはほんとに民族抹殺を狙った大量虐殺で、そんなものは人類史上見当たりません。かのアドルフ・アイヒマンは「欧州すべてのユダヤ人、1030万人を殺したかった」と述べたアルゼンチン逃亡中の録音記録があったりしますが、そこからもわかるようにユダヤ人絶滅は本気だったのです。
服装や建物はだいたい天外魔境だよね。職業は侍、忍者、芸者、力士、陰陽師、僧侶など。武器は刀、槍、弓、中国の武器。魔法は火の玉の術や癒やしの術など。敵は妖怪やもののけということになるので妖怪ウォッチ的な感じでドラクエのコミカルなデザインに近づける。
ドラクエは多くの国が中世ヨーロッパ風なので、こちらの世界は古代~中世の日本・アジアの文化が基本。特に中国は大国なのでこれをベースにするとよい。
スタート地点の日本みたいな島の外には高麗、唐(から)、遊牧民の国、天竺、羅馬(ドラクエIIIのジパング的な異文化)などのような地域がある。地形が実際の地球のものと異なっていてもよい。
暗黒大陸か北か南の寒冷地にラスボスの居城がある。城は日本式でもよい。新大陸には裏ボスがいる。暗黒大陸や新大陸を未開の地として描くのは差別的だが、全然地形が違う地球Bなら大丈夫。
1582年夏 本能寺の変。信長親子脱出成功。山崎の合戦で光秀滅亡。
1583年夏 信忠・秀吉による九州攻め開始。信長による小田原城砲撃で後北条家滅亡。柴田勝家が小田原からの帰路で謀反。
1583年秋 第一次関ヶ原合戦。勝家勢が信長を追い詰める間際、勝家勢後方に下品な金成瓢箪が現れ勝家勢崩壊。お市に会いたく無い勝家が安土城で自刃。
1584年夏 「三州騒乱」勃発。伊達、上杉を巻き込んだ徳川家康による信長への叛逆。岐阜城攻防戦で家康勢遅滞。
1584年秋 秀吉による近江口への誘引で「第二次関ヶ原合戦」発生。
1585年頃 信長により天下統一完了。日本皇国成立。海外進出が本格化、大陸方面では無く東南アジアや北海道方面へ。
1587年頃 スペイン帝国主力の欧州連合による東洋派遣艦隊を撃破。印度以東の欧州権益取得。信長は南海覇公と呼ばれる。
1620年頃 新大陸で新出雲新界成立。その後スペイン帝国領ヌエバ・エスパーニャ副王領を併合。日本皇国領大和州となる。
1762年 日本皇国大和州派遣軍が大和民国軍に新出雲の戦いで敗れる。これにより大和民国独立が確定。
1813年 プロイセン陸軍参謀本部が九州攻めを参考にした「ライヘンバッハ・プラン」でナポレオンの内線作戦を崩壊寸前にまで追い込む。
1814年 ウィーン会議。ナポレオンは失脚せずフランス帝国も存続。
1848年 大和民国の武力恫喝によってヴァージニアが割譲される。欧州の新大陸領土消失。
1898年 大西戦争によって大和民国はスペインからキューバをはじめとするカリブ海領土を得る。
1937年 「満州戦争」勃発。中華連合共和国が中華民国領満州へ侵攻開始。日本皇国は中華民国との同盟により渋々介入。
1938年 大韓帝国が日本皇国に宣戦布告。大英帝国大艦隊が大和民国領キューバを奇襲攻撃し「大西洋戦争」勃発。
1939年 中華民国が中華連合共和国に降伏。林彪上級大将率いる中華沿海州装甲軍が日本皇国沿海州で攻勢に出る
1940年 日本皇国・大和民国を中心とする「大東洋同盟」が成立。
1941年 大韓帝国が日本皇国と休戦。中華連合共和国に宣戦布告。
1942年 中華連合共和国・大英帝国が大東洋同盟に降伏。大西洋戦争終結。
たとえば「ルーマニア料理・チェヴァプチチ」なんかは今の今まで存在すら知らなかったし当然食ったこともないんだが、写真を見るとまあケバブ系のものかと思う
この「ああ、〜系か」ってのがないものが食いたいんだよな
例えば麺料理ってものを知らない状態でパスタなんかを見せられたらウオーなんじゃこりゃ!ってなるじゃん多分
「ああ、小麦粉系か…」ってテンションで流すってことにはならない気がする こんな形状の食い物があったのか、こんな料理の発想があったのかと感動するんじゃなかろうか
そういう感動って残ってねえのかな
「〜に似た」「○○風の△△」みたいな説明が不可能な料理、新体系に出会いたいんだよ
ただ、「食ったことなくて何にも似てない」っていうのをかなりしっかり満たしてるベトナムのバロットなんかを実際食いたいかっていうとそうでもないんだよな
新しい物に出会おうと思ったらもうゲテモノしか残ってないのか?ゲテモノとか言ってるからダメなのか?
魚を丸ごと直火で焼くことしか知らなかった人がつみれ煮に出会う、みたいなさ そういう体験がしたい 食の新大陸に上陸してえよ
夏が来れば思い出す遙かな尾瀬というけど
私は西武球場で聞いたサマータイムブルースが夏が来れば思い出す歌です!
とか言いながらもう夏終わっちゃうわよね。
変な天気続くけど雨とか大丈夫かしら?
あっと言う間だったような長かったような8月でもあったわ。
あ、そうそう。
お魚売り場でたまに見かけるマメ鰺。
気になるんだけどあれってどうやって食べたら良いのか分からないわ、
小さすぎて手開きにして
スナック感覚のマメ鰺チップスパンチ味にでもしたら美味しそうかしら?
もうすっかりマーケットの魚売り場コーナーでは
切り身の魚しか売ってないんだけど、
私は出来たらまだおろしてないまるまるのままの魚をありのままありったけ買ってみたいのよね。
一時期魚をさばくのにハマって楽しい時期があって、
鯖さばきまくってたわよ。
丁度いいと言わんばかりに、
そのままで良いので鯖くださーいって言うのよ。
お店の人は最初これどうするんですか?って野暮山野暮夫みたいなこと聞いてきたけど、
お魚さばくの練習したいのでまるまるのまま欲しいんです!ってありのまま言ったら納得してくれたわ。
で、
だだんだんだん使っていったら文字通り歯が立たなくなってきたの。
そこで出刃包丁を新調したんだけど、
まだ使ってないわ!
ゲームとかで、
新大陸の新しい街の武器屋で買った武器を早く使いたく装備だけしてフィールドを歩いてもこういう時に限って敵が出てこない感じの、
まさに今は魚がない!って感じなのよね。
あまりにも魚が楽しみすぎて週末のトゥードゥーリストに「魚!」ってだけ書いてあって
当日見たら何のことだか分からな過ぎたってことが何回かあったわ。
これなんだったっけ?って
サザエさんですらお財布は忘れるけど魚は買いに行ってるって言うのに
忘れないようにしなくちゃね。
うふふ。
アイスコーヒーだけ頂いてきたわ。
お腹をたまにはうんと空かすのも良いわと思う月末よ。
実家に寄った時、
梨あったから1つ貰ってきて半分は食べちゃって、
梨はそのままで食べるが美味しっしょって。
マジ秋間近ね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
表現の自由を守りたいという意見は、それを原則論として語りつつも、背後にある危機感はなんだろう。
ようするに、「快不快」によって表現の流通が左右される社会が是か否か、ということが動機のように思えた。
そうであれば、すごくよくわかる。いや、わかるというのは、同意しているわけじゃなくて、なるほどな、だから日本の表現の自由ってふわっとしてるんだなということ。
振り返ってみる。
日本の表現規制の有り様は、戦前のエロ・グロ・ナンセンス発禁にあるように、当局が国民の大多数が不快と思うであろう「不健全」で「公序良俗」に反する表現を対象としてきた。
つまり、割り切った言い方をすれば「健全」と戦っているのが表現の自由の戦士だというふうに思える。
でも、ひとたび、「表現の自由」の思想的な出発点をヨーロッパやアメリカの歴史から振り返ってみると、戦士の動機づけとしてはあまりにも心もとない。
表現の自由とひとことでいっても、思想的な背景は、それぞれ背負っている歴史が異なる。
この国の憲法や憲法判例が示してきた表現の自由は、ヨーロッパのそれとはかなり異なる。
17世紀にアメリカに最初に渡ったピルグリムファーザーズの世代は特に、当時のヨーロッパのプロテスタントに対する不寛容の被害者であった。
メイフラワー号の協約に象徴されるように、お互いに異なるFaith(信条)を持つ者同士が、どちらが正しいとして糾弾することなく、社会を構築しようという、社会の多様性の確保が原点だ。
1970年代には、ヘイトスピーチを巡ってさまざまな紛争が連邦最高裁まであがり、不協和音こそ社会の強さとまで判決の意見で述べているものがある。
当時の裁判官のたとえを援用すれば、空気を浄化しようとするやつが社会の敵なのだ。
人間は不完全なのだから、正しいものなど、最初から先験的に決められない。ということから、この国では、思想の自由市場などという言い方も生まれてくる。
しかし、他方で伝統的な価値観や習慣もそれなりに強い。いやかなり強い。
そういう土地柄では、動機づけとして、多様性の確保というのは、正直、あまりピンとこない。
むしろ、彼らの原点は、教会から弾圧された経験であり、その反動としての「神を冒涜する権利」だ。
伝統的にカトリック教徒でありながらアンチクライストを叫ぶ、そんな権利を求めている。
とくにフランスでは、公共空間を設計するにあたり、真理の判断権を持つかのように振る舞う教会がとてもまずい存在だった。
権力をふるいたがる教会に口出しをさせないことが重要なテーマだった。
それゆえ、その解決のため、一方では、表現の自由というコンセプトで権利を宣言し、他方で、政教分離という原則を確立して、公共空間設計のための理論武装をしていく。
だから、イスラムのスカーフを公立学校から排除しようとしたりする動きが起きるし、
ひとたびムスリムの神を冒涜するような表現をしたことで、襲撃を受けたりすると、社会は「涜神の権利はいずこに」とがぜん盛り上がるわけだ。
アメリカにしても、フランスにしても、それぞれ動機づけは異なるものの、表現の自由を守ろうとする信念というか確信の力は、
極めて強い。テロがあったり、社会情勢の変化で揺れ動いたりするものの、いざ事が最高裁までいくと、
じゃあ、国づくりの原点に戻ろうじゃないかという話になって、17世紀の悲惨な経験が思い出として蘇ってくる。
その動機づけの強さにこそ、新大陸にしても、旧大陸にしても、表現の自由を将来に渡って確保しようとするエネルギーの再生産があり、いわば持続性がある。
翻って、日本。
快不快のような勝手な基準で決めつけられたくはないよね、誰しも。
でも動機づけとして、やっぱり弱いんだよね。
ここで、仮に、日本は、アメリカ式の表現の自由を真似っ子しているのだ、としようか。
でも、日本社会は、アメリカほどには、多様性を求めてないでしょ。むしろ移民なんか大嫌いでしょ。
多様な意見なんか、どの組織でも出てこないでしょ。会議でも右に習えでしょ。
普段から多様性を確保しようというマインドがベースにあって成り立っている社会とは全く違う。
そんな社会では、エロい表現のときだけ急に表現の自由だのと盛り上がるのは、歯が浮くような思いがする。
公共空間におけるエッチなものの取扱なんて、はっきりいって、社会が合意していればどっちだっていい。
じゃあ今度は、大陸が17世紀に経験した熾烈なコンフェッショナリズム、この思想的な背景を
表現の自由として日本国憲法が参照している、と仮に想像してみる。
この場合、仮想敵は、いってみれば、国家神道とファシズムかな。
(*ところで大河ドラマの「いだてん」って、健康ファシズムの視点でみると面白いらしいね。みてないけど)
「国によって右へならえを強制され続けた結果、自分たちが戦争に動員されてひどい目にあった思い出」とでもいうべき動機づけは
定期的に思い出す機会があるかぎりは、ある程度は持続的たりうるのかもしれない。
でも、第二次世界大戦を思い起こしてみると、国民が国家のキャンペーンに煽られて動員させられる、というのは、
なにも敗戦国のドイツや日本に限った話じゃないし、アメリカ含め、あちこちの国でウイルスのようにファシズムが蔓延しかけていたのが現実。
またファシズムをコントロールできた国もない。その意味で、真の意味でファシズムに抗し切った国はないように思う。
表現の自由っていったところで、自然の摂理かのように、神がバランスをとってくれるわけじゃないんだよね。
そうすると、いざ日本にとって対外的な脅威(例えばアジアの隣あたりの国らへん)が増せば、
表現の自由なんか、どうでもよくなっちゃう程度のものなんじゃないか。
このあたりの感覚は、動機づけとしては重要なんだけど、日本の場合、ちゃんと思想として、自分たちの言葉で自分たちを守る武器として昇華してないんだよね。
敗戦で混乱していた時期にすかさず、日本国憲法を戦勝国からもらった、というところで思考停止になった、という面はあるかもしれない。
もらったもので、とりあえず勉強して運用してみよう、という時期が最初はあってもいいかもしれない。
でも、戦後30年、40年、とりいそぎ運用していたものが定着していく、という過程で
例えば「思想の自由市場」ってよくよく考えてみると、日本社会では、あまりピンと来なくね?みたいな気づきがあっても良かった。正直、「思想の自由市場」って日本社会じゃ、なんの役にも立たない理屈だと思うんだよね最近。
また、フランスの公立学校でのムスリムのスカーフ論争。大方の日本人は、何あれ?状態。背景となる歴史が違うんだから
それを知らずに無理やり、政教分離って憲法に書いてあることを適用しようとしてきて、実は消化不良を起こしているんだけど、
そういうことがよくわかったという話。
Facebookの問題だろうがTwitterの問題だろうが色々あって、みんな新しいSNSは必要だと認識しているけど、ユーザ数が未知の世界には誰も飛び込めないんだ
新しいSNSは現実の無人島や新大陸とは違うってことはみんな理解している
何も無く衣食住に不安のある現実の無人島や新大陸とは違い、Webサービスとして提供される新しいSNSはちゃんとテキストやメディアをポストできるし、何なら今まで使っていたSNSが抱えていた問題を解決する機能すら用意されている
でも、それでも、どんなに嫌な思いや罵詈雑言を浴びても人々は従来のSNSへ固執する
あろうことかマイナーなSNSで仲良しこよしのグループを作って遊んでいる連中をFacebookやTwitterを使ってないんだと奇異の視線を向けたりする
マイナーなSNSで争いもなく、気が合う仲間たちと趣味の話をしたり、オフ会で一緒に食事して楽しんだり、リアルイベントに参加して人生を謳歌している人たちへ対して奇異の視線を向けるのだ
自分たちはFacebookやTwitterでやれ人権だ、政治だ、自由だと叫びながら、誰かに傷付けられ誰かを傷付けているのに、争わず人生を謳歌している人たちへ奇異の視線を向けている
新しいSNSが必要だと理解しているのに、新しいSNSが必要だと移住した人たちに対して奇異の視線を向けるのだ
日本の企業体制が原因で外資企業へ人材流出することを「日本の企業体制が悪い」と言って転職する感情に理解を示す言葉を投げつつ、その同じ口で明らかに悪い環境である現在のSNSへ固執する動きを見せる
企業体制を変えようとする労力に比べれば転職したほうがマシと言いつつも、FacebookやTwitterを変えようとする労力を惜しまないのはどういうことか
モンハンワールド購入を悩んでて、実況動画を見た。びっくりした。
生態調査が目的のはずなのに、危険だからと在来種を討伐。火薬バンバン使ってあれも討伐。これも討伐。
いやそれ生態系に悪影響与えまくりでしょ? 古龍の渡りの謎を解明って、理由に臆病な小さいモンスターが関わってて、ハンターたちが火薬バンバン使ったせいで住居を追われ、新大陸の生態系が変わっちゃったら調査成立しないよね??
納得いかなくて購入は見送り。新大陸で野生のままに生きていたのに人間の都合でバンバン殺されていくストーリーはある意味人間のエゴ丸出しでとてもリアリティがあるのかもしれないけど、せめてゲームではそんな現実忘れたいんだよ・・・。
二話までの感想
元々アビスの作者がオススメしてたんどけど、「まあつくし卿はそうだろう」という感想だった
ネットの書き込みではアニメ映えしないとか何も起こらないとか散々言われてた
で期待してなかったんだけど
見てみたらほのぼのBLAMEでいい感じだった
二瓶好きや、アビス好きは好きだと思う
けもフレ好きにも刺さるかも
こういうタイプの作品は、徐々に世界観が見えていくのが面白いんだ
徐々に明らかになる設定で、過去に何か凄いことが「起きた」ということを感じられる
おまけに旅物なので、いろんな出会いがあることだろう(それは人ではないかもしれない)
良い出会い、悪い出会い、何にせよそういうのはワクワクするもんだ
そうした時に主人公は何かに秀でていなくてもいい(これはアビスに近いね)
けもフレでもあったけど、ちょっとした背景に気づいてゾッとしたとしても
彼女たちはそれほど大事と捉えていなくて、むしろ日常の何かに夢中になっている
「これ何だろうね」「不思議だね」といった感情だけを共有して次のステージに進むんだ
ああ、でも寝る時は一緒にくついて寝たほうが良いと思う(力説)
___
ちょっと追記
あの一ページめくったら角から何かが現れて突然殺されそうな、ひりつく感じ
完全に終わってるような世界と、それでもそこで当たり前のように生きる住人
始めは絶望しかないのに、いつの間にか不思議とあの世界に魅力を覚えていく感じ
とても完成されているよ
けもフレが動物園、少女終末旅行がサファリパークだとしたら、BLAME!は新大陸でサバイバルする感じ
全部良い
あとシボかわいいだろシボ
映画見ろよ
本当だ!!!
これヤバイね。
揚げ物語
作者:そらが
02.砂糖まみれの中世盛期 2017/01/04 22:02
03.中世晩期のレシピ 2017/01/10 21:12 (改)
05.中国古代の伝統 2017/01/27 21:01 (改)
06.中国中世のイスラム様式 2017/02/07 20:55 (改)
09.17世紀フランス──揚げないカツレツとじゃが芋抜きのコロッケ 2017/03/12 20:15
10.アンシャンレジームの新揚げ物 2017/03/24 21:51 (改)
11.女料理人たちのフィッシュフライ 2017/03/29 20:29
12.スルタンの揚げ菓子──三大料理の三番手 2017/04/06 20:29
13.近世イタリア──フランス料理の逆襲 2017/04/14 21:18
14.ポテトコロッケと大革命 2017/04/28 20:11
15.古典フランス料理の完成 2017/05/01 20:10
16.双頭鷲のシュニッツェル 2017/05/06 20:55 (改)
17.イタリア料理のリソルジメント 2017/05/13 21:39 (改)
18.英国における揚げ物の状態 2017/06/13 20:56 (改)
20.素食から満漢全席まで 2017/07/15 21:26
21.中華料理の成立 2017/07/30 20:51 (改)
22.ソヴィエトロシアではバターを揚げ物で包む 2017/08/12 21:11
じっくり読んでみる。
昔はインターネットの情報なんて本当の事半分、デタラメ半分だったような気がする。
ひろゆき氏の有名な画像で「嘘を嘘と見抜ける人でなければ難しい」とある。これは真だ。
WELQは、上場している企業が行っているから信じてしまうのは仕方がないかもしれない。
だがしかし、あるある大辞典で信用できるはずのメディアにも騙される事をわかっているはずだ。
自分語りが入るが自分語りは気持ち良いらしいので自分語りをする。
自分が中学生の時の話だが、インターネットは魅惑への入り口であった。有名なコピペで「ようこそアンダーグラウンドへ」というのがある。それに近いぐらい魅惑の世界だった。
中学生であれば誰もがエロを夢見る。pixivやエロ絵を定期的に流してくれるTwitterなんてないし、Xvideosもない。
エロ絵を掲載している個人サイトを探すか、どこかの掲示板にエロ画像が貼られるのを待つぐらいだ。萌駅というサイトを発見した時はまさに新大陸を発見した気分だった。
エロを取得するためにいろんなサイトを回った。検索の仕方もわからない無垢な自分は独自の理論から「半角二次元板は収集率が良い」と判断して張り付いていた。
著作権も知らない雛鳥のような自分は毎日毎日張り付いて餌を待つ。それは親鳥(エロ画像を貼ってくる人)に全幅の信頼を置いていたからだ。
ある日、雛鳥のような自分はいつものようにエロ画像を待っていた。そこにURLが投下される。専ブラなんてない時代だ、餌に飢えている雛鳥は即アクセスするにきまっている。
その後なにが起こったのかは語るまでもない。気がつけばタスクキルしようが再起動しようがデスクトップに表示される「3万円払わないと消えません」という広告。
自分だけは大丈夫。アンダーグラウンドの住人の自分はひっかからない。そう思っていたのだ。
その後、システム復元という禁じ手を知り直したものの、こういう事が1ヶ月に4回あった。週一でウイルスだ。
流石に学んだ。それ以降は「アドレスの末尾が.jpgや.png以外は開いてはならない」事を知り、そこからjpgとはなにか、pngとはなにか、よく見る.zipとは?.htmlとは?となし崩し的にいろいろ知っていくことになる。ちなみに偽装拡張子に騙されるのはまた後の話。
そういう経験があったからこそ、基本的にインターネットは疑いから始まる事を学んだ。
だが、今の時代、インターネットに騙されることが少なすぎるのだ。ネットの情報にデマがあることは頭では知っているが、騙される経験が少なすぎるために自分は大丈夫という自信がつく。
虚構新聞が一時期問題になった。名前に虚構と入っていて、サイトの下部にもフィクションと書いてある。虚構新聞の運営者には人を騙すというつもりは全く無いのになぜか騙される人が続出した。インターネットでは餌の付いてないしかも電球で装飾されたような釣り針でも引っかかる魚がいるのだ。
本当に鍛えるべきはネットリテラシーである。もちろん、WELQのようなサイトは正常な運営を目指すべきではあるが、こちらとしても自衛手段は必要なのだ。
ウォーリーを探していたらいきなりびっくり画像になるフラッシュ。えっちなサムネイルをみてクリックしたらスプラッターだった昔のニコニコ動画。
もうない。あまりにもインターネットは安全すぎる。言ってしまえばインターネット平和ボケである。
自分たちが利用しているこのインターネットが、いかに容易く嘘を書けるかを考えてデマ耐性をつけるべきだ。
ちなみに、この日記にも一部嘘を混ぜた。月に4回ウイルスといったが、週に4回だ。こういう小さなことからデマ耐性をつけていってほしい。