実家ぐらしだが、一人暮らししてるみたいに親とは関わりをもたないようにしている。
正直、親の知的レベルが低すぎて、会話をするのが鬱陶しくなるときがある。
話をしていて相手の意見をあまり尊重しない態度や会話がどうにも我慢できない。
自分が、自分の子供を好きか嫌いかどうかってのは別軸であるからしょうがない
親子でも嫌いだったりすることは発生しうるから、それを否定することはできない
元増田は長女が嫌いで次女が可愛いという感じ方をする、価値観を持ってるんだろう
人間には深い理由もなく人を好きだったり嫌いだったりすることがある
ただ普通は大人だからそれを許容できたり、許容するようになる、表に出さないようになっていくんだが
元増田は育児ノイローゼなのか精神的な問題を抱えてたのかはっきりしないけど、もうそれができなくなってる
”社会的な親”なら、子供が嫌いでも我慢してちゃんと務めるのさ
”社会的”なことができなくなってしまってるのを元増田は自覚した方がいい
その状態では次女を育てるのも無理だろう
ドラマは観ていない。以前漫画を数巻だけ読んだぐらいの男なんだけど。
世の女性はこのドラマ・漫画を楽しんでいるのだろうか。もし自分がこの主人公たちと同年代の女性だったとしたら、馬鹿にされていると怒りを覚えるか、まあ少なくとも気分がいいものではないと思う。作者が女性だから許されているのだろうか。作者とその周辺で勝手に自虐するだけなら結構だが、それを世の中の女性へ一般化したり共感を狙うようなストーリーにするのは気持ち悪い。
文中、唯一の謝罪の言葉が追記の中の母親に向けられたものなのが気になる。
まともな大人なら、子供を泣かせたらたとえ他人の子供であったとしても罪悪感を感じるものだ。
子供の行動にイライラしてついカッとなって怒鳴ったり手をあげたりするというのはまだ理解できるが、その怒りが数時間も続くというのであれば子供にとっては虐待どころか拷問のような経験になるだろうし、その行為に対する反省はなく子供への憎悪をさらに燃やしているというのは明らかに情緒に問題がある。
子供の行動が「わたしへの嫌がらせにしか思え」ないというのは、子供を自分より弱い保護や指導の対象としてではなく、自分と対等な、自分の存在を何らかのかたちで脅かす存在として認識しているということなのだろう。
それはつまり、増田は成熟した大人としてではなく、子供と同じレベルにまで落ちて子供と接しているということになるわけで、そのように未熟な増田に接したカウンセラーが人格形成に大きな役割を果たす増田本人の親子関係について疑うというのは当然なことだ。
そもそも誰だって親との間に嫌な思い出のひとつやふたつはあるはずで、それを振り返ってみて自分の人格にどういう影響を与えたのだろうと考えてみる程度のことはやってみて損はないと思うのがまともな考え方だろう。
本当に「わたしと母の関係は良好で本当になんの問題もない」のであれば過去を振り返ることになんの苦痛も感じないはずだし、過去を点検しろというカウンセラーに増田が怒りを感じるのは、増田にとって母との過去は本当は振り返りたくなるような良好なものではなかったのではないか。
謝罪の言葉が向かう先が長女でも夫でも次女でもなく母親であることや、人格にこれだけ明らかな問題を抱えながら「親の悪口を言わせようとした」という理由でカウンセリングを中断してしまうことから、増田にとって「わたしと母の関係は良好で本当になんの問題もない」というのはほぼ信仰に近い信念と化していて、この信念が嘘である可能性を疑うことすら増田にとっては身を切るような痛みを伴う行為になっているのではないかと想像してしまう。
親と自分との関係が実は良好なものではなかったのかもしれないと疑うことは楽しいことではないかもしれないが、「毒になる親」(ISBN:9784062565585)や、「不幸にする親」(ISBN:9784062814812)などの親子関係の問題を扱った本を何冊か読んでみて、いちど過去を点検してみるということをしてみてほしい。
今のままの増田と関わり続ければ、虐待を受けている長女はもちろん不幸になるだろうし、次女も増田の過干渉によって不幸な人生を送るおそれが強いから引き離すのは妥当だろう。
もしこのまま子どもたちと他人になったまま生涯を終えるのが嫌なのであれば、親子関係に限らず自分の過去を点検して、専門家や書籍の助けも借りながら自分の問題の原因を自分なりに探ってみてほしい。
世界で誰よりも自分を愛してくれるはずの自分の母親に「生理的に好きじゃない」と精神にも肉体にも暴力を与えられ続けた長女に対して、申し訳ないという気持ちが自分から持てるようになるときが来たとしたら、それから初めて長女と次女の両方ともう一度親子としてやり直せるよう頑張って欲しい。
彼女いない歴=年齢の魔法使い予備軍で、もう恋愛だなんだと言ってる年齢じゃないんだけど、学生時代とか20代前半とかで恋愛したかったなぁとしみじみ感じている。
まあ顔も性格もアレなのでまずもって彼女はできないし、かなり昔から自分には恋人など過ぎた贅沢だと思って生きてきたんだけど、急にこんなふうに思えてきた。
中原茂と飛田展男、阪口大助と逢坂良太の声をぱっと聴いたときにどっちだ?と思う時はある
でも子安と杉田を似てると思ったことは一度もないのに似てるという人がわりといる
声の特徴の捉え方がそれぞれで違うんだなーと不思議
アメリカが世界一の経済大国で世界一の一人当たりGDP誇ってて金はあるのに、なぜか世界一の借金大国で急速に借金増えてて、国民の貧富の差が広がってひどくなって救済できてないのはアメリカの金持ちが自国に富の再分配できてないからでしょ?
そっちの方無視すんなよ