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2022-02-27

NATOからロシア

https://www.nato.int/cps/en/natohq/115204.htm

ロシアからNATO印象操作が垂れ流されているので、NATOの言い分「Top Five Russian Myths Debunked(ロシア神話トップ5を覆す)」を確認した。

以下DeepLの翻訳

神話1:NATO冷戦後ロシアに拡大しないことを約束した

事実: そのような合意はなされていない。NATO1949年の創設以来、新規加盟国に対して門戸を開いており、それは今も変わっていない。この「門戸開放政策」は、NATOの創設条約10条に明記されており、「この条約原則を推進し、北大西洋安全保障に貢献する立場にある他のいかなる欧州国家も」加盟を申請できるとされている。加盟に関する決定は、すべての同盟国の合意によって行われる。米国欧州ロシア署名した条約NATO加盟に関する条項が含まれているものはない。

特にワルシャワ条約がまだ存在していた1989年には、統一ドイツを越えてNATOが拡大するという考えはなかった。このことは、2014年インタビューミハイル・ゴルバチョフ確認している。"NATOの拡大 "という話題はまったく議論されなかったし、あの時代には持ち出されなかった。私は全責任を持ってこれを言う。1991年ワルシャワ条約消滅した後も、東欧諸国は一国もこの問題を提起していない。西側指導者もそれを持ち出さなかった。"

ホワイトハウス機密文書によると、1997年ビル・クリントンは、旧ソビエト共和国NATOに加盟しないという「紳士協定」のボリス・エリツィンの申し出を一貫して拒否していたことも明らかになっている。「私はNATOに代わって約束することはできないし、私自身がどの国に対してもNATO拡張拒否権を発動する立場になるつもりはない、ましてあなたや他の誰かにそれをさせることはない・・NATO合意に基づいて動いているのだ」。

神話2:NATO攻撃的であり、ロシアにとって脅威である

事実NATO防衛同盟であり、その目的加盟国を守ることであるNATO公式方針は、"同盟対立を求めず、ロシアに脅威を与えない "というものだ。NATOグルジアに侵攻しなかったし、NATOウクライナに侵攻しなかった。ロシアがやったのだ。

NATO過去30年間、一貫して公然ロシア接触してきた。麻薬対策テロ対策から潜水艦救難や民間緊急事態計画まで、NATOの拡大期であっても、さまざまな問題で協力し合ってきた。しかし、2014年ロシアウクライナに対する攻撃的な行動を受け、NATOロシアとの実務的な協力を停止しました。我々は対立求めないが、ロシア国際ルールを破り、我々の安定と安全を損なっていることを無視することはできない。

ロシアウクライナに対して軍事力行使したことを受け、NATO2016年バルト三国ポーランドに4つの多国籍戦闘団を配備した。これらの部隊は、この地域に恒久的に拠点を置くものではなく、同盟国の国際公約に沿ったものであり、約5,000人の兵力となる。ロシア100万人規模の軍隊に脅威を与えるものではない。ロシアによるクリミア不法併合以前は、同盟東部には連合国軍存在しなかった。

NATOロシアとの有意義対話に依然として前向きであるNATOイェンス・ストルテンベルグ事務総長が、NATOロシア理事会の全メンバーを、ウクライナ周辺情勢、NATOロシア関係、軍備管理・不拡散を含む欧州安全保障について話し合う一連の会議に招待したのはこのためである

神話3:ウクライナNATOに加盟できない

事実NATO加盟国ウクライナNATO加盟希望を歓迎し、2008年ブカレスト首脳会議でのウクライナの加盟という決定を支持している。

NATO加盟に関する決定は、個々の加盟申請者と30カ国のNATO加盟国次第である。他の誰でもない。ロシアはこのプロセスに介入する権利を持たず、拒否権を行使することもできない。

すべての国と同様に、ウクライナにも自国安全保障体制を選択する主権的権利がある。これは欧州安全保障の基本原則であり、ロシアヘルシンキ最終法(1975年)、パリ憲章(1990年)、NATOロシア建国法(1997年)、欧州安全保障憲章(1999年)などを通じて署名してきたものである

神話4:NATOロシアを包囲し封じ込めようとしている

事実: NATO防衛同盟であり、その目的加盟国を守ることです。我々の演習や軍事配備は、ロシア、あるいは他の国に向けられているわけではない。

この神話は、地理的なことも無視している。ロシア陸上国境のうち、NATO諸国と接しているのはわずか6%であるロシアは14カ国と陸上国境を接している。そのうち5カ国だけがNATO加盟国である

NATO領域外では、同盟コソボイラクにの軍事的プレゼンスを有している。平和維持活動(KFOR)は、国連安全保障理事会委任を受けて実施されている。

イラクにおけるNATOの非戦闘任務テロとの戦いに貢献し、イラク主権を完全に尊重した上で、イラク政府要請により実施されています。これに対し、ロシアグルジアモルドバウクライナの3カ国に政府同意なしに軍事基地と兵士駐留させている。また、ロシアウクライナ国境10万人以上の軍隊を集結させ、ウクライナに侵攻すると脅している。

神話5:NATO旧ユーゴスラビアコソボリビアへの介入は、同盟防衛的でないことを証明している

事実旧ユーゴスラビアは、NATOのせいで崩壊したのではない。同盟は、旧ユーゴスラビア国境を変更するために軍事力行使しなかった。1992年から1995年にかけて、NATOボスニアで飛行禁止区域強制国連平和維持軍への航空支援など、いくつかの軍事作戦実施した。これらの活動は、ロシアメンバーである国連安全保障理事会によって委任されたものである1995年ボスニアセルビア軍への空爆は、10万人以上の犠牲者を出したボスニア戦争終結させるデイトン和平合意への道筋をつけるのに貢献した。1996年以降、NATOロシア軍を含む多国籍平和維持軍ボスニアで指揮した。2004年欧州連合(EU)がその任務を引き継いだ。

2011年NATOが主導したリビアでの作戦は、1970年1973年の2つの国連安全保障理事会決議(UNSCR)に基づくもので、いずれもロシアは反対していない。UNSCR1973は、国際社会が「攻撃の脅威にさらされている民間人および民間人の居住地域を保護する」ために「あらゆる必要措置をとる」ことを認めている。これは、地域国家アラブ連盟加盟国政治的軍事支援を得て、NATOが行ったこである

1999年NATOコソボ作戦は、国連ロシアメンバーであるコンタクトグループ紛争終結のために1年以上にわたって行ってきた激しい外交努力の末に行われた。国連安全保障理事会は、コソボでの民族浄化と増え続ける難民国際平和安全への脅威と繰り返し烙印を押したのであるNATOミッションは、大規模かつ持続的な人権侵害民間人の殺害を終わらせることに貢献した。NATOコソボにおける継続的平和維持活動であるKFORは、国連安保理の委任状(UNSCR 1244)を受けており、ベオグラードプリシュティナ双方から支持されています

2021-07-03

anond:20210702215058

調べてみました!

 

ホロコースト犠牲者 600万人

ほとんど確実。何故なら、人口統計調査により、ユダヤ人戦前戦後人口差は550万人程度はあり、人口統計調査の誤差を踏まえれば600万人程度のユダヤ人が殺されたことはほぼ確実である。別々の研究機関研究者によって何度も推定は繰り返されているが、めちゃくちゃ極端に低く見積もっても約450万人程度とされており、大差はないと考えて良いだろう。ちなみに、否認派向けに言っておくと確認できる限り、否認派できっちり人口統計調査をした人は存在しないようである否認論が嘘であるとバレるからか?w 出典は、『ホロコースト大事典』(柏書房)、芝健介ホロコースト ナチスユダヤ人大量虐殺の全貌』など。

 

奴隷貿易アフリカから拉致された人数 1000万人

これは数字は概ね合っているが、明らかに亡者数ではない。英語圏でいう「リンゴオレンジ比較している(compare apples to oranges)」であろう。

3世紀に及ぶ奴隷貿易大西洋を渡ったアフリカ原住民は1500万人以上と一般には言われているが、学界では900万人-1100万人という、1969年フィリップ・カーティンの説を基にした数字が有力である。多数の奴隷船の一次記録の調査で、輸送中の死亡率がそれまで考えられていたほど高くなかった[注釈 2]、輸出先での人口増加率が意外に高いと推定される、というのが説の根拠である。ただし、カーティンの説(彼自身は900万人強を提唱していた)には、一次記録が存在しない16世紀 - 17世紀初頭に関しての推定数が少なすぎるという批判もあるが、そうした批判を踏まえても1200万人を大きく超えることはないと考えられている[7]。

Wikipedia

 

スペインアステカ征服犠牲者 1000万人

んー、これはよくわからん。以下では1000万人は正しいかのように思えるが、はっきりしない。

その犠牲者征服前の人口はおよそ1100万人であったと推測されるが、1600年の人口調査では、先住民人口100万程度になっていた。スペイン人は暴虐の限りを尽くしたうえに、疫病により免疫のない先住民短期間のうちに激減した[29]。

Wikipedia

何故はっきりしないかというと、こんな記事を見つけたかである

さらなる批判を浴びたのは、ラス・カサスが挙げるインディオ犠牲者数が大幅に水増しされているとの“疑惑”だ。

 たとえばラス・カサスは、征服前のイスパニョーラ島現在ハイチドミニカ共和国)の人口を300万と記しているが、当時の複数の記録でも現代研究者の評価でもその人口100万を超えていない。同様にラス・カサスは、メキシコ中央部で400万、ペルー副王領でも同じく400万の生命が奪われ、1502年から42年までの40年間に2580万から2880万人のインディオ征服戦争犠牲になったとしているが、当時の人口調査統計では正確な数字を出すことは不可能で、「被害」の規模に確たる根拠があるとはいえない。

16世紀に新大陸で虐殺を行なったスペインが、当時もっとも「啓蒙的、人道的」だった[橘玲の世界投資見聞録] | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン

何にしても一体、1000万人はどこから出てきた値なのか知識がないのでよくわからない。ここに書いてあるように、正確な統計値があるとも思えない時代数字にどれほど信憑性があると判断すれば良いのだろうか?

 

スペインのインカ征服犠牲者 1000万人

んー、これも上と同じで、正確な統計があるとは思えない時代の話だし、ちょっと調べた程度ではさっぱりわからない。しかし以下のような記事を見つけた。人口がもしそうだとするなら、1000万人はあり得ない。

インカ帝国は、13~16世紀にかけて繁栄した、アンデス山脈沿いの南北4000kmに及ぶ、現在南米ペルーを中心とした広大な大帝国であり、最盛期には人口600万を有した。有名な遺跡として、標高2500mの高地に作られたマチュピチュ都市がある。

健康アラカルト(91)インカ帝国はなぜ滅びたか? | 大石内科胃腸科医院

追記;↑と思ったが、Wikipediaインカ帝国」によると、上の記事は間違いの可能性が高いように思われる。

前身となるクスコ王国13世紀に成立し、1438年のパチャクテク即位による国家としての再編を経て、1533年にスペイン人のコンキスタドールに滅ぼされるまで[1]約200年間続いた。最盛期には、80の民族と1,600万人の人口をかかえ

しかしこの記事でも、虐殺の話はまるで出ておらず、「伝染病が壊滅的な打撃」ともあり、「リンゴオレンジ比較している(compare apples to oranges)」の疑いが強い印象。

  

インディアン戦争犠牲者 1000万人

英語版Wikipediaを調べた。英語版は流石にやたら詳しい。これによると、1000万人は完全な出鱈目・デマであるデマ源を突き止めたいんだけどなぁ。

2010年アメリカ合衆国国勢調査では、自らがアメリカインディアンまたはアラスカ先住民である認識しているアメリカ人は293万2,248人で、アメリカ人口の約0.9%でした[50]。 2011年カナダ国勢調査では、自らがファースト・ネーション(またはイヌイットやメティス)である認識しているカナダ人は183万6,035人で、カナダ人口の約4.3%でした[51]。 ヨーロッパ人が到着する前にアメリカ大陸に住んでいた人の数については意見の一致を見ていませんが、広範な研究が続けられています[52][53]。 52][53]現代推定では、ヨーロッパによる植民地化以前に北米大陸に住んでいた人々の数は210万人から1800万人とされているが[54]、アメリカ国勢調査局は1894年に、1492年の北米大陸ほとんど何もない大陸であり、インディアン人口は「50万人をはるかに超えることはなかっただろう」と主張している[55][56]。

インディアンの数は、感染症ヨーロッパ人との衝突、部族間の戦争同化カナダメキシコへの移住出生率の低下などにより、19世紀には50万人を下回るまでに減少したという。主な原因はヨーロッパ探検家商人が運んできた伝染病であった[57][58] 米国国勢調査局(1894年)は1789年から1891年までの102年間の戦争による特別な死亡者推定値を示しており、その中には「個人的問題」で殺された8,500人のインディアンと5,000人の白人が含まれていた。

米国政府の下で行われたインディアン戦争は40回以上にも及びます。彼らは、個人的戦闘で殺された人を含めて、約19,000人の白人男性、女性子供の命を奪い、約30,000人のインディアンの命を奪ってきました。実際に死傷したインディアンの数は、この数字よりもはるかに多いに違いありません。5割増しというのが安全見積もりだろう[59]。

American Indian Wars - Wikipedia

 

スターリンの大粛正の犠牲者 1000万人以上

スターリン粛清により大量の処刑者を出したのは史実であろうが、一千万はいくらなんでも盛り過ぎである(実際には明らかにあり得ない非現実的無茶苦茶誇張された数字もあったくらいであるが)。これは冷戦末期以降にソ連ロシア情報公開をしていて、確定はしていないが、概ねの数字はわかっている。おそらく粛清処刑されたのは90万〜120万人程度と考えられる。

ソ連政府ミハイル・ゴルバチョフ時代にNKVDの後身ソ連国家保安委員会 (KGB) が「スターリン支配した1930年から1953年時代に786,098人が反革命罪処刑されたこと」を公式に認めた。さらソ連崩壊後にはロシア連邦国立文書館 (GARF) がNKVDグラーク書記局が1953年作成したという統計報告書を公開した。それによるとNKVDは1937年1938年の2年間に1,575,259人の者を逮捕しており、このうち87%以上の1,372,382人に及ぶ人が反革命罪および反国家扇動罪などに問われた政治犯であった。ソ連時代統計[16]の開示[17]や、第三者による検証[18]を経ても、粛清された人物の合計数は今もなお公式に確定していない。

大粛清 - Wikipedia

 

ホロドモール犠牲者 1000万人以上

ウクライナへの人工飢餓として、ジェノサイド認定をしたらしいが、ジェノサイドと言えるのかどうかは議論余地がある。しかし、何にしても、ホロコーストのように殺戮目的とはしておらず、これもまた「リンゴオレンジ比較している(compare apples to oranges)」であろう。

飢餓による餓死者の総数に関しては未だ議論が続いており、飢饉犠牲者数についても学説によって250万から1450万人までの幅がある[7][2]。

この飢餓の主たる原因は、広範な凶作が生じていたにもかかわらず、ソ連政府工業化の推進に必要外貨を獲得するために、国内農産物飢餓輸出したことにあった。その意味で大飢饉人為的に引き起こされたものであることは否定できない。ウクライナユシチェンコ政権は、これをもってウクライナ人に対する大量虐殺であったと主張し、国際的同調を募った。一方、現代ロシア歴史家を中心に、大規模で悲惨飢饉があったという事実認識には同調するが、飢饉被害ウクライナ人のみならずロシア人やカザフ人にも広く及んだと指摘して、これがウクライナ人に対する民族的なジェノサイドであることを否定する議論もあり、見解の相違は埋まっていない。

Wikipedia

 

ベルギーコンゴ統治犠牲者 2000万人

全然知らない話だが、以下を読む限り、「2000万人」は盛っていると思われる。しかもその大半は天然痘などの疫病であるようだ。しかし、相当規模の残虐行為を働いたのは事実であろう。

自由国政府は当初は象牙を、後には貴重な商品となっていったゴムなどの天然資源開拓した。自由国軍隊である公安軍(Force Publique)の支援を受け、その領土複数私的採掘利権に分割された。英白インドゴム会社英語版)はとりわけ、その領土から利益を得るために武力と残虐行為を用いた。コンゴにおけるその政権強制労働をさせ、ゴム収集ノルマを満たしていないコンゴ先住民殺害し切断した。何百万人ものコンゴ人がこの期間に犠牲となったが[4]、死者の多くはコンゴ下流地域人口の半数近くが死亡した天然痘を含む、ヨーロッパ人入植者との接触によってもたらされた新しい病気が原因だとも特定されている[5]。

自由国時代には過剰死によってコンゴ人口が急減したが、死者数の推定値にはかなりのばらつきがある。数字推定であるものの、この時期に死亡したコンゴ人は人口のおよそ5分の1にあたる1000万人にのぼるとされている[6][7][8][9]。最初人口調査実施されたのは1924年であるためこの期間の人口減少を数量化することは困難であり、ウィリアムルービンスタイン(英語版)のように、アダムホックシールドが引証した数値はほとんど証拠に基づかない推測であると主張する者らによって、これらの数字議論されてきた[10]。

ベルギー植民地帝国 - Wikipedia

 

イギリスインド統治犠牲者 3000万人以上

これは適当解説サイトが見当たらないので、自分知識だけで言うけど、これも飢餓でしょ。数値は知らないけど、これもまた「リンゴオレンジ比較している(compare apples to oranges)」。

 

残り二つの中国のは自分で調べて。文字数制限で書けない。ともかく、人数の精度に問題あり過ぎだし、ホロコーストと同レベル比較対象にできるものはない。ホロコーストはほんとに民族抹殺を狙った大量虐殺で、そんなもの人類史上見当たりません。かのアドルフ・アイヒマンは「欧州すべてのユダヤ人1030万人を殺したかった」と述べたアルゼンチン逃亡中の録音記録があったりしますが、そこからもわかるようにユダヤ人絶滅は本気だったのです。

 

2021-05-18

日本必要なのはペレストロイカ

ソビエト連邦共産党による一党独裁制が60年以上も続いたことにより、硬直した政府を立て直すため、1985年共産党書記長就任したミハイル・ゴルバチョフ提唱実践した。あわせて進められたグラスノスチ情報公開)とともに、ソビエト連邦政治民主的な方向に改良していった。

2019-03-25

anond:20190325133302

ソ連政府ミハイル・ゴルバチョフ時代にNKVDの後身KGBが「スターリン支配した1930年から1953年時代に786,098人が反革命罪処刑されたこと」を公式に認めた。

さらソ連崩壊後にはロシア連邦国立文書館(GARF)がNKVDグラーク書記局が1953年作成したという統計報告書を公開した。

それによるとNKVDは1937年1938年の2年間に1,575,259人の者を逮捕しており、このうち87%以上の1,372,382人に及ぶ人が「反革命罪」・「反ソ扇動罪」などに問われた政治犯であった。

そして逮捕された者のうち85%が有罪にされており、有罪者のうち半数強が死刑判決を受けているのである(それ以外の者もほとんどが強制収容所送りか流刑だった)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%B2%9B%E6%B8%85

サヨクはこんな人殺しを良く信奉できるよね。

 
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