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はてなキーワード: 明代とは

2024-03-08

「泥のように眠る」の「泥」は生物ことなのか?

まず、土と水の混合物という意味での「泥」(以下「ドロ」と書く)ではない、生きものとしての「泥」(以下「デイ」と書く)については、中国の沈如筠が書いた『異物志』という書物で紹介されているという。

泥为虫名。无骨,在水则活,失水则醉,如一堆泥。

泥は虫の名である。骨がなく、水に在ればすなわち活き、水を失えばすなわち酔う、一堆の泥のごとし。

『能改斎漫録』『夜航船』などにも同様の記述がある。なぜ「水を失えば酔う」のかといえば、言い伝えによると「デイ」は身体から酒を分泌しているので、周囲に水が無くなると自分の酒で酔って、ドロのようになって死んでしまうかららしい(が、この言い伝えソース不明なので信用できるかどうか)。おそらくナマコクラゲのようなものを指しているのではないかと思われる。

「酔如泥(泥の如く酔う)」という表現の初出は『後漢書』の周沢伝だ……という説が一般的なのだが、現在の『後漢書』の原文にはそういった表現はない。この周沢はとても生真面目な人で、祭祀管理する「太常」という役職に就いてから毎日のように斎戒をしており、彼が病に倒れたときに妻が見舞いにくると「斎戒中に妻子と触れてはいけない」と言って妻を投獄してしまうほどだった。そこで人々は「生世不諧,作太常妻,一岁三百六十日,三百五十九日斎(この世に生まれて楽しくないのは太常の妻になることだ、1年360日のうち359日は斎戒しているからずっと会えない)」と歌ったのだった。

この「三百五十九日斎」のあとに「一日不斎酔如泥(残りの一日は斎戒せずに泥のように酔っている)」という文章がくっついていることがあるのだが、それがどうも後世に補われた部分らしい。正確には唐代注釈後漢書李賢注)に「『漢官儀』にそう書いてあった」と書かれているとのこと。

たとえば唐代詩人李白は、

三百六十日 日日酔如泥 雖為李白婦 何異太常妻

私は360毎日泥のように酔っているので、あなた李白の妻だと言っても太常の妻と変わらない

と周沢の逸話を踏まえた詩をよんでおり、その頃には「酔如泥」という言い回しが広まっていたことがわかる。周沢が1世紀の人なので、ざっと700年くらいが経っている計算になる。なお先述の『異物志』も唐代、『能改斎漫録』は南宋代、『夜航船』は明代書物である

で、この「酔如泥」の「泥」は実は「ドロ」ではなく「デイ」を指しているのだ!……という説はどうやら中国でも根付いているようで、古くは『能改斎漫録』や『夜航船』においても「デイ」の説明と周沢の逸話併記されている。だが併記されているだけで何か解説が述べられているわけではない。

現代中国ネット上でも「実はドロではなくデイのことなんだよ」という雑学ネタ散見されるが(ということは中国人の多くも「ドロ」のことだと思っているのだろう)、いずれの記事も「古い本のなかでデイという生物が紹介されてるよね」「昔から『酔如泥』という言い回しがあるよね」「だからこの泥というのはデイのことなんだよ」というちょっと怪しげな論法であり、やっぱりウソ雑学なんじゃねーのと疑う気持ちを抑えきれない。

ちなみに日本ではどのように受容されていたのかと思って検索してみたが、天保年間に出された『燕居雑話』のなかで、『能改斎漫録』などを引用しつつ「蟲名とせしもたしかなる所見なし」「さして難解ことにはあらぬを斯る迂遠なる説を本説とするも奇なることなり」などと書かれていたのを見つけたので、昔の人もそう思っていたんだなあと感慨を覚えるなどした。

ともあれ、本当に「酔如泥」の「泥」が「デイ」に由来するとしても、その「デイ」の名前は「ドロ」に由来するのだから、どちらにしても酔った人間を「ドロ」にたとえているのと変わらないのではないかと思う。

さて、「泥のように酔う」についてはいろいろとわかったが、「泥のように眠る」はどうなのか。

中国語で検索してみると近いのは「酣睡如泥」だろうか。「酣」は「宴もたけなわ」の「たけなわ」のことで「まっさかり」という意味。つまり「酣睡」は「熟睡」という意味になり、全体では「泥のように熟睡する」という言い回しになっている。しかし、こちらの表現については「この泥とはデイのことである」という言説は見つからなかった。おそらく「酔如泥」よりも遥かに歴史が浅い表現なので、あんまり語源が気にされていないというか、「デイ」にまつわる語源説明するなら「酔如泥」のほうが例に取りやすいということではないか

もちろん「泥のように酔うのがデイに由来するのだから眠るほうもデイに由来するのだろう」という類推は成り立つだろうが、逆に言えばそれ以上の根拠はないということだ。つまり「泥のように眠る」には「泥のように酔う」とは別の語源があってそちらのほうは根拠も確かなんだぞ、というミラクルはなさそうである

2023-11-26

anond:20231126115335

吉川英治の『三国志』には、劉備曹操自分は竜の存在を疑うと述べている下りがあり、これが吉川創作でなく底本にある話なのであれば、少なくとも明代ごろには空想上の生物だという通念があったと言えるかも知れない。

2023-09-22

anond:20230922100855

使うことがないなんて証明出来ないやん

設備費の中に玄関の照明やら掃除やら全部含まれてる

俺の家の前は掃除しなくていいから安くしろとか、玄関使わない裏口から入るから玄関の照明代安くしろとか通るはずないやろ

2023-03-03

anond:20230303184136

https://ja.wikipedia.org/wiki/松竹梅

… もともとは中国の「歳寒三友」が日本に伝わったものである

(中略)

松・竹・梅を3種類の等級名として使うことがある。 松を最上級とし、次いで竹、梅とする場合が多いが、梅を最上級とする場合もある。もともと瑞祥としての松竹梅には明確な優劣があるわけではない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/歳寒三友

松と竹は寒中にも色褪せず、また梅は寒中に花開く。これらは「清廉潔白節操」という、文人理想表現したもの認識された。日本に伝わったのは平安時代であり、江戸時代以降に民間でも流行(…)

始原と考えられているのは、中国宋代において、文同、蘇軾等が竹を水墨画主題として描き始め、後、梅・蘭・菊・松と画題の広がりを見せていく。その中でも、松・竹・梅の三者が前記理由特に頻繁に取り上げられていくのである。元・明代には、陶磁器に描かれる主題としても好まれるようになる。

知らんかった。勉強になった。

2021-12-30

いやいや!草サッカーエンジョイしてる人、結構いるぞ

日本に足りないのは「めっちゃ楽しそうにサッカーをする下手なおっさん欧州で目撃した、勝利(とビール)を真剣に目指す大人たち

https://number.bunshun.jp/articles/-/851448

今日この記事を読んだのだが、私が知る現状とは違うと思ったので、少し書いてみる。

私は高校時代クラブチームプレーをし、その後は学生時代の友人や仕事を通じで知り合った人々と草サッカーを楽しんできた。そんなわけで、引退した今でもサッカー真剣ガチ勢や、テレビ試合ウイニングイレブンを通じて、ちょっと自分プレーしてみたいな」なんて思って飛び込んでくる、サッカーエンジョイ勢の両方を私は知ってる。

地域としては関東圏に限定されるが、他の地域もそれほど誤差は無いと思う。

見えない序列。草サッカー階層について

僕は、日本に一番足りていないのは、「めっちゃ楽しそうにサッカーをする、死ぬほどサッカーが下手なおっさん」だと思っています

 週末に、仕事終わりに、競技レベルの高低とは全く関係のない次元で、おっさんがユラユラと集まって、しか真剣に、サッカーをする。1111である必要は全くなくて(どうせ最後は走れなくなって2対3くらいになるのだから)4対4でも、6対6でも構わない。

 僕は大学卒業まで日本サッカーしましたが、各年代チームメイトで、週末だけでもサッカーを続けている人間は数えるほどしかいません。皆、短くない期間打ち込んできたにも関わらず、です。

 それはサッカープレーするに足らない、魅力のないスポーツからではなく、熱中していた時にあった序列的な空気構造サッカーを「つまらなく」感じさせてしまたからではないでしょうか。「サッカー自分蜜月関係」の間に、上手くいかない、嘲笑される、誰かにジャッジされる、という横槍ザクザクと入り込んで、サッカーを「誰かより劣っていた記憶」として、あるいは「自らを序列に当てはめた記憶」として刻んでしまう。好きで始めたサッカーが、ヒエラルキー象徴に化けてしまう。

引用:https://number.bunshun.jp/articles/-/851448?page=2

このようにあるが、これは一部の世界だと思う。と言うよりも草サッカーにも階層があって、サッカーの上手い人は上手い人同士でつるみたがる。サッカーの上手い人達にとって、素人と一緒にプレーするのは基本的には歯痒いモノなのだ

ボールの蹴り方からディフェンス時のボジション取り、チームメイトの狙いを汲み取っての連動的なオフボールの動き、挙げればキリが無いが素人プレーをすると、その全てがどうしても気になってしまう。

実際に草サッカーと言えど、ある一定レベルにあるメンバーがいないと分かると、予定をキャンセルするサッカー上級者も私は見たことがある。いわゆる介護プレイはゴメンだぜ」ってやつだ。悪く言えば差別と言えるかもしれないが、実際にハイレベル人間同士でないと実現できない領域はあって、それが実現できた時の快楽が何ものにも変えられない魅力に包まれてるのも事実だ。

エンジョイ勢を受け入れないと、存続が難しい草サッカーチーム

かに冒頭の記事中野遼太郎さんが語るように、見えない序列はある。ただし一部の世界で。ガチガチ序列がある草サッカーチームは、そもそもチームの存続が難しい。

東京都内で考えてみる。

サッカーグランドを借りようと思うと、2時間で5000円~10000円ほどかかる。しかナイターの照明代金が30分ごとに1700円なんでプラン場所がちらほら……。結構お金がかかる上に時間制限であるのだ。

「それなら埼玉千葉河川敷に行って勝手ボール蹴ってれば良いだろ?」と思うかもしれない。実はそれもNGだ。地域職員さんが勝手に利用してないかチェックするために車で巡回をしている。河川敷もその地域に住む人が抽選をして初めて使える仕組みだったりする。意外にも誰でも自由に使って良い場所都内には少ないのだ。

さらにまともにサッカーをやるには10人以上は確実に必要だ。10人でも5対5のミニゲームができるくらい。その人数を忙しい社会人の中から集めるのは至難の技だ。22人ならもっと難易度が上がるのは想像に難しくないと思う。

これは私の妄想だが、あらゆる草サッカーチームは慢性的人手不足なんだと思う。

変にサッカーの上手い人には従うべき」だとか、学生時代のノリでやろうと思うものなら、金はかかるしマウントは取られるしで簡単に人は離れ、そのチームは満足にサッカーができない状態に陥るだろう。

サッカー個人個人技術向上を常に考え、常に大会勝利することを目指すガチ勢のチームの運用は、本当に難易度が高い。だから私が知る限りサッカーをしたい人には、どれだけボールを蹴ったことがなかろうが、基本的にはウェルカム姿勢のチームが多いと思う。

サッカーガチ勢に。エンジョイ勢フットサル

上の項で書いたが、サッカー都心では金がかかる。しかも人数を集めるのが難しく、それを継続するのも、相当なサッカーに対するモチベーションメンバー同士の絆が無いと難しい。

フットサル場もサッカーと変わらずあるいはそれ以上の料金(10,000円以上など)を覚悟しなくてはならない。しかし、仲間内だけでやるなら10人集めれば条件はクリアさらに当日に集まった知らないメンバー同士でフットサルをする個サルのチョイスもある。個サルなら1人2000円程度で参加可能だ。

なのでサッカーよりもフットサルの方が、現状ではエンジョイ向きであり、そっちに多くの人が流れているのではないかと私は推測してる。

まとめ

おそらく冒頭の記事中野遼太郎さんは、草サッカーの中でも上手い人達世界しか見てなかったのかもしれない。ちゃんと目を凝らすとめっちゃ楽しそうにサッカーをする、死ぬほどサッカーが下手なおっさん結構見つけることが出来るハズだ。

今回の記事日本サッカー未来を憂いて書いたと推察する。しか僭越ながら言わせてもらうと、あなたもっと危機感を持つべきは、『金のかかるグラウンド存在だ。

現在東京を中心に関東圏では、どこでボールを蹴るにしても金がかかる。しか時間制限もある。サッカーフットサルにおいて2時間なんてスグだ。ちょっとプレイしてスグにその場所をどかないといけない。そんな状態で例え経験者と言えど、サッカーをわざわざチョイスする人が、どれだけいるのだろう??

また、これから未来を担うサッカー少年に対しても、この現状はマイナス自由無料サッカーができる場所があるから自分の技を磨けるのにその場所が有料で時間制限があるのだから、どうやってサッカーを上手くなるのだろうか??高校サッカーでもクラブユースでも、首都圏ではなく地方のチームが強い理由が、ここに表れてると私は思う。

本来サッカーとはボールと仲間さえいれば、どこでも楽しめるものだが、その本質とズレた状態が、今の日本の大きな問題なんだと私は思う。

2021-11-14

anond:20211114083142

まあ中国語検索すると普通に「屍山血海」が出てくるんだけどな。

出典は元代刊行された『三国志平話』。

尸山血海_百度百科

「血海屍山」というパターンもあって、これは明代の『王馬破曹』が出典。

血海尸山_百度百科

「屍積如山,血流成河」という形では清代の『説唐』が出典。

尸积如山_百度百科

2021-07-27

三国志演義水滸伝明代の風を感じる

その時代にはない武器処刑方法などが登場する

時代考証ガバガバでも許されたピュア時代だったんだな

2020-03-13

蒙古はもう来ない

応永の外寇という1419年李氏朝鮮対馬に攻め込んで起きた戦争がある。

この件で室町幕府朝廷が三度目の元寇かと勘違いする。

しかしすでに明代なので元は来ない。

そこでこの「蒙古はもう来ない」というダジャレツッコミとして使える。

この時をおいて他にない使い時だ。

2020-02-13

東京国科学博物館東洋館と「出雲大和展」に行ってきた。

二月一日

 間もなく、特別展「人、神、自然ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界-」が終了すると気づいたので足を運んだ。自分美術館に通う習慣を身に着けてから大体十五年が経過しているが、東京国立博物館東洋館をきちんと観たことはない。いい機会だと思い、東洋館全体をのんびりと回ることにした。

 特別展の会場は東洋館の二階にあり、会場そのもの常設展最初の部分、すなわち中国西域仏像のあるあたりを抜けた後にある。特別展の内容そのものは興味深かったが、コレクション全体が雑多なもの構成されているというか、あまりにも時代地域に幅がありすぎて、どのように展示したらいいのか少し迷っているような印象を受けた。とはいえ普段はなかなか見られないマヤ文明仮面などをじっくり見られたし、普段なら絶対しないような比較をする楽しみもあった。知らなかったのだが、グアテマラのほうがメキシコよりも良質の翡翠を産出するらしく、文明の中心地の人々は必死になってそれを求めたり、乏しい材料で何とか良いものを作ろうと苦心したそうである

 で、常設展に関してだが、展示スペースが地下階から五階にまで渡っており、ざっくり見ても三四時間はかかった。その中で特に面白く思われたのは、中国朝鮮半島の品々だ。というのも、青銅器勾玉などの作りが、日本とよく似ているところもあればまるで異なっているところもあり、比較する楽しみがあるからだ。また、饕餮の刻まれた祭器の類も自分は好きで、根津美術館に立ち寄った時にはのんびり眺めている。理由はわからないのだが、自分はそれと同じくらいに玉の類にも心惹かれる。西欧君主たちの王冠も立派だとは思うが、金やダイヤモンドではどうも少しまぶしすぎる。自分東アジア文化好きな人間だからそう感じるのだろうか。

 とはいえ自分が好きなのはどうやら宋代までらしい。どうも、明代になると技巧的になりすぎるというか、色が鮮やかすぎるように感じられる。確かに黄色などの発色は鮮やかだし、竜のうろこなども実に細かく表現されているのだが、技術的に優れていることが美しさに直結するかどうかは別問題だ。自分としては唐三彩と呼ばれる、赤や緑や土の色を活かした陶器が美しいと思う。ある程度の素朴さがないと、親しみが持てない。台湾で見た、清代象牙を削って作った細工なども、優れてはいるが技巧をひけらかしすぎているように思われる。

 あとは、天然の石を削ってザクロ見立てていたものはよかった。故宮博物館にあった、翡翠だか瑪瑙だかを削って作ったのと同じ発想で、天然の石の色彩や質感を生かしながら表現しているものだ。あとは漆を刻んだものもよい。色がおとなしくて上品だ。

 もう一つ興味をひかれたのは、漢代画像石だ。学生時代古典教科書の表紙に出ていたので覚えていたのだが、実物を見たのは初めてである。宴の様子が見て取れるようで、ある者は楽器を弾き、またある者はボードゲームをしている。そのボードゲームの盤は真上から見たように正方形表現され、遠近法無視されている。エジプト絵画と同じで、何が書かれているかがわかりやすいことが、写実性よりも優先されたのだろう。十字軍時代チェスをする騎士を描いた絵画でも、似たようなことをしていた覚えがある。

 そうだ。途中のフロアでは「生誕550年記念 文徴明とその時代」という、また別の企画展をやっていた。自分は書に対しては無知なのだが、解説によれば、文徴明は科挙には合格しなかった人物だそうであるしかし、温厚な人柄と勤勉実直な性格で、やがて文章校閲に関する職に就いた。九十年の生涯のうち三年しか勤務しなかったが、一流の人々と交わることでその才能を開花させた、とのことだ。人生仕事だけじゃないよな、という気持ちをまた新たにした。

 自分にはそれこそ古代中国官僚のように、職を退き水墨画に描かれたような山奥に引っ込んで、時折訪れる友人と琴棋書画をたしなむ、みたいな生活にあこがれる傾向があるのだが、ほどほどに働きつつ、土日に友人とボドゲをしたり美術館に足を運んだりするのは、十分近いんじゃないか、って近頃は思っていて、そんな気分になれたのも、今日気分転換成功たかなのだろうな、という気がした。

 近々、同じ敷地内の法隆寺宝物館にも行こう、と帰りの電車で考えた。あそこのカフェは閉館間際になるとほとんど人がいない穴場なのだ


二月八日

 特別展出雲大和」にふらりと向かった。前回の「正倉院世界」がとてもよかったので、これも行くしかない、と思われたからだ。

 おおよそ弥生時代から奈良時代初期にかけての日本美術を楽しめる。特に銅鐸などは、教科書で見たものもたくさんあり、懐かしく思われた。国宝重要文化財ごろごろとある三角縁神獣鏡も大量に見ることができた。恥ずかしながら、これが中国神仙思想と深い関係にあることを知らなかったので(忘れていたので?)、そこに刻まれていたのが解説を読むまで西王母だとはわからなかった。しかし、こう考えると日本への道教的な要素の導入は、かなり早いのだな、と思われた。

 他にも多くの埴輪があり、細かく当時の祭祀の様子が説明されていた。これは知らなかったのだが、出雲の周囲では四隅突出型墳丘墓という、独特の形をした古墳が広く分布しているそうである。そういうまじめなことをしかつめらしい顔をしながら読んでいると、自分は振り向く鹿を表現した埴輪肛門があるのに気づいた。正確には肛門ではないかもしれない。埴輪を焼くうえで必要技術的な要請から開けられた穴なのかもしれない。しかし、尻に穴が開けられていたのは間違いない。

 下世話な話だが、自分動物彫刻を見るといつもその性別を確かめたくなる。別に馬の彫刻に陰茎と陰嚢があって何が面白いのかと問われればそれまでなのだが、生真面目な騎馬像にもそういうものがついているかと思うとどことなく愉快な気持ちになる。それから、先週観たような民俗学的なものであっても、素朴な男性像と女性像ではどんな風に性器表現しているかを確かめるのは、文化ごとの感受性が端的に表現されていてなかなかに面白い。

 脱線が続くが、本当に不思議なのは世界中の文化男性器と女性器を絵にしたり彫刻にしたりすることが普通に行われているし、中には神々として崇拝することだってあるのに、ギリシアローマに由来する彫刻絵画では、女性器も陰毛もすっかり省かれてしまっていることで、これは男性像の性器も小さいほうがよろしいとされたことと関係しているのだろうか、などと何かと勘ぐってしまうのである

 閑話休題。この特別展で私が一番見たかったのは、七支刀である。「日本書紀」を読んでからぜひ見てみたいと思っていたものだ。刻まれた金の文字はかすかにしか読み取れないが、専門家でも何でもない私が「月十六日丙午」とある部分を読み取れたので楽しかった。だいたい、こういう文字の刻まれものを見るのは楽しくて、ほんの二つか三つの変体仮名をしっているだけでも、巻物を見る楽しみ増えるというものだ。

 ほかにも、神社奉納された刀剣や武具などもあったが、私はそれらには、古代の品々ほどには心はひかれなかった。あとは、「出雲国風土記」が朗読されているコーナーがあったが、そこでは本当にハ行がファ行で発音されて、チやヅがティやドゥと読まれていた。

 帰りは東京駅田舎そばを食べて帰った。非常に歯ごたえのあるそばだが、定期的に食べたくなる味だ。いつもは昼に寄ることが多いので肉野菜そば天ぷらそばだけだが、夕飯なので野沢菜と肉味噌れんこんをつけた。ちょっと贅沢をしたので気持ちよく眠れた。

2019-08-01

ジム筋トレしてて思ったんだけど

あの重いやつを人の力で上げたり下げたりするエネルギーで発電すれば照明代ぐらいは賄えるんじゃね?

って思った

2017-09-12

anond:20170912153649

本当だ!!!

これヤバイね。

揚げ物語

作者:そらが

揚げ物の歴史物語性は無いです。

01.古代から中世2016/12/25 20:09

02.砂糖まみれの中世盛期 2017/01/04 22:02

03.中世晩期のレシピ 2017/01/10 21:12 (改)

04.近世初期の南欧 2017/01/17 22:36

05.中国古代伝統 2017/01/27 21:01 (改)

06.中国中世イスラム様式 2017/02/07 20:55 (改)

07.中国明代唐揚げ 2017/02/16 20:59

08.イタリア文化の余波 2017/02/25 21:17

09.17世紀フランス──揚げないカツレツとじゃが芋抜きのコロッケ 2017/03/12 20:15

10.アンシャレジームの新揚げ物 2017/03/24 21:51 (改)

11.女料理人たちのフィッシュフライ 2017/03/29 20:29

12.スルタン揚げ菓子──三大料理の三番手 2017/04/06 20:29

13.近世イタリア──フランス料理の逆襲 2017/04/14 21:18

14.ポテトコロッケと大革命 2017/04/28 20:11

15.古典フランス料理の完成 2017/05/01 20:10

16.双頭鷲のシュニッツェル 2017/05/06 20:55 (改)

17.イタリア料理リソルジメント 2017/05/13 21:39 (改)

18.英国における揚げ物の状態 2017/06/13 20:56 (改)

19.新大陸食生活 2017/06/26 20:38

20.素食から満漢全席まで 2017/07/15 21:26

21.中華料理の成立 2017/07/30 20:51 (改)

22.ソヴィエトロシアではバターを揚げ物で包む 2017/08/12 21:11

23.多分これが一番古いと思います 2017/08/27 21:05

24.大衆時代の揚げ物 2017/09/11 20:36

現在進行形更新されとる……。

じっくり読んでみる。

2017-07-13

https://anond.hatelabo.jp/20170713140432

横だけど、運転免許保有者数自体は、まだかろうじて増えてる~横ばいぐらいではあるみたいよ、ググると出てくるグラフによると。

母数である人口は減少期間に突入たから今後は減るだろうが。

レンタカーとかカーシェアとかもあるし、車は持ってないけど運転はするって人とか、身分証明代わりにって人は多いんじゃ。

あと、就職活動で考えると、普通自動車運転免許必須って企業も多いよ。営業運転したりすることもあるだろうしね。

自動車通勤は、首都圏でもメーカー工場とか研究所だとありなところも結構あるよ。友人が某メーカー研究職だけど車で通勤してる。

何だかんだで物流自動車必須だしね。毛嫌いしたってしゃーない。

2016-08-01

[] 花押

(か‐おう)

文書の末尾などに書く署名一種。初め、自署のかわりとして発生したものが、平安末期より実名の下に書かれるようになり、

のちには印章のように彫って押すものも現れた。その形態により、草名(実名草書体さらに図案化したもの)、

二合体(実名の偏や旁(つくり)などを組み合わせたもの)、一字体実名の一字、または特定文字を図案化したもの)、

別用体(文字関係のない動物などの形を図案化したもの)、明朝体中国明代流行した様式で、天地2本の線を引いたもの

などに分かれる。また、まったく単純な略記号からなるものを略押(りゃくおう)という。花字(かじ)。押字(おうじ)。

https://kotobank.jp/word/%E8%8A%B1%E6%8A%BC-43241

2013-12-03

就職して8ヶ月、ちょっと生きるのが楽になった話

昨日から就活2014がスタートらしいですね。って思ったら違った。2015だった。

2年経ってた。びっくりした。

2年前の今ごろは、「社畜になるために何を必死になって……」とニヒルな笑みを浮かべつつ、1日5時間くらいリクナビに張り付いてました懐かしい。

まだ社会人8ヶ月目の新卒なんですけれども、子供のころから振り返っても今がいちばん楽しいです。

というか精神的に安定してる。

自分の変化に驚き過ぎて誰かに聞いて欲しいんだけど、延々他人に話したらドン引きされること請け合いなのでここに書いてみる。

以下、気が楽になった原因として思いつくものピックアップした。

お金がある

たくさんではないが、学生の頃よりはある。バイト、あまりしてなかったからね。

金のかかる趣味はないけど、定期的に服を買ったり好きなだけ漫画を借りたり、単価は安いが着実に浪費してる。

選択することに慣れた

仕事をしていると、「選ばなきゃいけないこと」が本当に多いと思う。まだ8ヶ月のひよっこが何をいう、って笑われそうだけど、簡単に言えば今の毎日

  • できそうなのでやる→間違えた→怒られる
  • からないので聞く→仕事が遅れる&場合によっては怒られる

のどっちかですね大体。まあどっちを選んでも自分で決めたんだし仕方ないかな~と思うようにしてから気が楽。

温暖な気候

生まれ育った土地よりも南に就職した。12月初頭の寒さの違いに愕然としております

暑さ寒さの厳しさが偉人を育む、という説もあるようですが北国の冬は心を蝕むからマジで一般人にはおすすめしない。

親離れ

親元を離れて半年ほどの間、すごく気持ちの浮き沈みが激しい時期が続いた。沈んでいるときは寝たきりでお腹が空いても布団から出られない。

から自分メンヘラ気質である自覚はあって調べてたので、各種精神疾患についてWikipedia程度の理解が身についた。

で、辿り着いた一つの可能性が「私、(森田)神経質じゃね?」

っていうか両親もじゃない?

明代わりにURLを2つ。

http://homepage2.nifty.com/mt-c/mt2-59.html

http://www.moritaryouhou.com/mypage2.htm

あとはググってもらえると嬉しい。

「~しなくてはいけない」が口癖の両親でした。

私はなーんも考えずそれに従う、反抗期も無いいい子ちゃんでした(の割には勉強してないけど)

最近は「~しなきゃ」と思ったとき「~してもいいかも」ぐらいに頭の中で言い換えるようにしてみた。

そうしたら友達から「毒気抜けたね?笑」って言われるし、簡単なやつだけど国家資格も取れたし、

彼氏とは別れました!

まとめ

早い話がやっと自我が形成されつつあるのだと思います

世間平均値比較したら)厳しめだったらしい両親と離れて、自分ダメ人間化していくことに半年ぐらい恐怖してたんですが、

私には私の良い所、というか行くべき道がある気がします。

気づくのが遅いですか? 普通中学生とか反抗期で済ませてるあれですか。

まあ、人生先は長いので楽しみます

2013-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20130308095054

様式の違いとテーマ性の大雑把さだな。

古典になればなるほど、テーマがある作品じゃなくて、この世のありとあらゆることを詰め込もうとしてる作品を目指してる。

聖書イリアスくらい、口伝が入り混じったような古い話だと、テーマもつかめなければ様式も無茶苦茶

「起」、「承」、「転」、「結」でなはくて、つらつらと始まり、説明がなくなにかがはじまり、延々と詩歌が続き、盛り上がり続け、盛り下がり続け、突然おしまい

記録と文学の境が曖昧伝説事実がまぜこぜだし、詩吟の要素まで含んでいてカオス

紀元後になってくると、さすがに散文と詩が区別されて、科学視点も含まれてきて書いてる人の頭の中で整理してから書き始めてるのがわかる。

っていっても、それは当時書かれた文章の中のごく一部で、大半はカオスで謎の文章だったんだと思う。

つい100年くらいまえの手紙とかでも、わけわかんない文章あるじゃん

識字率が低くて、ほとんど代筆屋に書かせてたんだろうし、口語と文章の違いについて考えなかったんだろうな。

で、洋の東西ほぼ同時に、様式美の整理がAD200~800くらいか

韻律、構成(起承転結、起承鋪叙結、序破急)がほぼ完成。

テーマを持たせるという概念はまだなさげ

現代に生きる俺らからすると、「様式美うんぬんよりまずテーマだろ」って思うんだけど、ただ様式美をなぞるだけとか、逆にこの世の全てを一つの作品に落とし込もうとする無謀なことを20世紀初頭くらいまでやったりしてる。

でもあれか、恋愛小説ミステリーラノベも、テーマなんかないな。

多少パラメータスキームを変えて、同じ様式をなぞるだけだしな。

15~18世紀、この辺からか、普通に読めるのは。

西洋ルネッサンス以降、中国明代以降に書かれてれば、様式もよくしった形、テーマも設定されてるし、エンターテイメント性もバッチリ

風刺目的だったりするわけで、権力者に楯突く手段としての文学ってことでなんか気合が違うわな。

19世紀、国家間の相互作用社会変革が目まぐるしくなったせいかな?

この時代はまた世界の全てを一つの作品に落とし込もうとする無謀なことばかりやってた気がする。

正義とは、悪とは、平和とは、愛とは、悲哀とは!みたいな。

でも頭冷やしてストーリーを整理してみると、ただの不倫の話じゃね?っという。

ヨーロッパ人の娼婦好き、人妻好き、年上好きは異常。

"モノガタリ"としての完成度は19世紀末から20世紀初頭が一番だったんじゃないだろうか。

20世紀以降は、既に固まった様式美から脱皮しようとする動きで、後退したり前進したり、多方向に向かってるけど、一つのピークは19世紀末だと思う。

 
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