はてなキーワード: 思想とは
親しい友人が、ディープステートをはじめとする陰謀論にハマりました。
趣味のSNSで陰謀論について積極的に発信するようになり、陰謀論者である主催者がおこなうパンデミック条約反対デモに参加すると言い出しました。
私は、陰謀論の主張内容にも、それを信じ広めようとする人たちの態度や振る舞いにも賛同できません。友人がそういった思想に染まることが耐え難く、陰謀論を信じることをやめてほしいし、最低限デモには行って欲しくないと思い、説得を試みました。結果、陰謀論への信仰(本人は自分の主張を陰謀論とは思っていない)を止めることは叶いませんでしたが、デモへの参加は思いとどまってもらえました。友人を説得するために手紙を書いたのですが、直接口頭で伝えることができたため、この文章を送ることはなくなりました。
せっかく書いたのにもったいない(笑)ので、供養と、私と同じように陰謀論デモへ行こうとする友人にモヤモヤしている方の気持ちを整理するきっかけになればと思い、ここに投げることにしました。また、手紙の本文中に挙げた書籍は、陰謀論の実態を知るために読んだ十数冊の中から、中立的な立場から書かれていると感じたものを選びました。特に「情報パンデミック」は読みやすくおすすめです。
なお、私の友人は「ここまで心配してくれる友達との仲を壊してまで行くのは止めよう」という気持ちからデモ参加を取りやめたのであって、陰謀論を信じること自体を思い直したわけではなさそうということを書き添えておきます。予断を許さない状況は続いています。
友人へ。もし、この投稿を見つけたのなら、陰謀論というワードで検索したか、少しでも疑問を抱いたか、だと想像します。正直、私の反対を押し切ってデモに行くなら絶縁もありうると思っていたし、陰謀論を信じ続けるのであれば今までのようには付き合えません。考え直してほしいです。
パンデミック条約反対デモに行く気持ちは変わらないと聞き、今の時点での私の思いを伝えておきたいと思い文章にまとめることにしました。返信しなくて構わないから、読むだけは読んでください。
あなたが心から日本の現状を憂い、未来を良いものにしたいという善意と熱意からデモに参加しようとしていることは、十分理解しているつもりです。その気持ちを否定したいのではありません。
でも、私との友人関係と「真実」を多くの人に知ってもらう活動、そのどちらかを選べと言われたら、今のあなたは後者を選ぶでしょう。そのことが本当につらく、悲しいです。実際にそうなるかもしれないという危機感と覚悟を持って、今この文章を書いています。
陰謀論を信じている人を説得することは困難、むしろ逆効果であることも承知の上です。本来であればスルー一択の状況だけれど、私はあなたとの友人関係を失いたくない。その一心からであって、決して非難や攻撃をしたいのではないということ、分かってください。
ここからは、あなたの信じる「真実」のことを陰謀論と呼ばせてもらいます。安易なレッテル貼りが良くないことは重々承知していますが、他に適切な言葉が見つからないので、ごめんなさい。
一部の権力者が外からはわからないように自らの利権を得るためのはかりごと=陰謀、陰謀があるという前提で世の中の事象を説明しようという試み=陰謀論、と捉えています。史料や証拠があり明るみに出ているものは陰謀、明確な根拠がないのに仮説をそのまま事実と主張するものが陰謀論、です。現在進行中で明るみに出ていない陰謀もあるかもしれませんが、明るみに出るか確実な証拠が見つかるまではそれも陰謀論の範疇といえます。正しくないかもしれないけれど、間違いを回避するためにはこのスタンスを取ることが健全ではないかと考えます。
今回のデモの主張内容、ワクチン関連死の真相解明・超過死亡の原因究明・パンデミック条約反対、これら自体は真っ当な主張に見えます。
しかし、主催者の発言などを見ていくと、おそらく陰謀論の論理、価値観を前提にしているのだろうと推測ができます。「日本を滅ぼしたい何者かがばら撒いた毒によって人がたくさん死んでいる」と言いたいのですよね。
陰謀論は、科学的根拠を精査しておらず論理が飛躍していることにも違和感があるのですが、それ以上に「全ての事象には必ず明確な原因がある」という二元論の姿勢こそに、問題の本質があるように思います。
あなたは、デモの主催者が陰謀論者であるという私の指摘に対し、彼の言うことを全て信じているわけではないと言っていました。陰謀論には、荒唐無稽なものから、真実に近そうなものまで多々あります。しかし、荒唐無稽なものは信じていないから、というのは、陰謀論を信じていないということにはなりません。
「根拠の不確かな」「それっぽい説を真実と信じ込み」「善悪二元論に帰結させ」「反論する相手のほうが間違っていると攻撃し」「自分の信じる真実を理解しない者は反対勢力に洗脳されていると憐れむ」「対話不可能な」言論に心当たりはありませんか。
あなたの主張には、おそらく正しいもの、現実に即したものも多々含まれる。しかしその根底にある信念(ディープ・ステートによる世界の支配)は、紛れもなく陰謀論のものです。ディープ・ステートの存在は、現時点ではあるともないとも証明のしようがない。それを「ある」と確信しているところに、危うさを感じます。
利権絡みで政治が歪むというのは普通にあることでしょう。歴史を紐解けば、そういった陰謀が実際に存在したこともありました。
しかし、少子化・報道・感染症対策をはじめ、あらゆる現象がそこへ帰結するというのは、いくらなんでも飛躍しすぎです。ディープ・ステートが本当にあると信じることが、認知を歪めてしまっていると感じます。
世の中には「わからない」ことがたくさんあります。答えが一つではないことも、立場が変われば意見が変わることもいくらだってあります。
ワクチン関連死の真相も、超過死亡の原因も、おそらく現時点では「わからない」のです。わからないなりに、未知の感染症になんとか対抗しようと手探りで行われた結果、思いもよらない被害が出てしまった。そんなところではないでしょうか。
もちろん、それで良かったとは言いません。原因も究明されるべきでしょう。それでも、わからないかもしれない。科学の、医学の力なんてそんなものなのです。
もし原因が判っても、今の政権は都合の悪いことを発表しないかもしれない。隠蔽を疑いたくなるのはごもっともです。だからデモで抗議する。理解できます。
しかし、それがなぜ「隠された陰謀によるもの」と結びつくのでしょうか。「明確な答えがないと不安」な気持ちを、絶対悪である何者かの所為にすることで安心したいのではないですか。
カルトやマルチや自己啓発セミナーと同じ構造です。不安を一発で拭い去ってくれる魅力的な何か、「気づき」、昨日までの自分とは違う覚醒したような気持ち。そういったものを陰謀論はもたらしてくれるのです。脳にとっては快楽です。だからハマる、依存性があるのです。
真実だからスッキリ納得がいくのではありません。スッキリするからそれを真実と錯覚するのです。
私は、陰謀論を広めようとする人たちの、自分たちの主張が絶対に正しいと信じて疑わない(ように見える)立ち振る舞いが苦手です。
世の中に、絶対的な悪や完全な正義はないと思うからです。世界の仕組みも人間の行動も、数十分の動画で簡単に説明できるほど単純ではないと思うからです。理不尽で不可解な状況に置かれたときも、一旦は現状をありのまま受け止めることからしか、理解は始まらないと思っているからです。この点において、陰謀論のスタンスとは相容れないのです。
そもそも、隠された世界的な陰謀が本当にあったとして、それを一般市民がYouTubeで手軽に知ることができるなんて、おかしいと思いませんか。
デモに集まるのは、陰謀論的な価値観の人、それに疑問を感じていない人たちだと思います。同じような意見の人に囲まれていると、その意見が多数派で正義のように思えてくる。リアルな陰謀論のコミュニティに参加することで、あなたがそちらの世界にますます傾倒してしまうことを恐れています。
デモはきっと楽しいでしょう。同じ意見の人たちと語り合い、声を上げ、この国の未来のために行動しているという実感が得られるわけですから。せめて、ここまで読んでもらって、陰謀論の「おかしさ」に少しでも疑問をもってくれていたらと思います。
また、陰謀論とスピリチュアル、自然派、マルチ、カルトは親和性が高いです。これらは、日常生活や人間関係に大きく影響します。コミュニティの内側にいると気づきにくいものですから、引きずられないよう気を付けてほしいです。
「陰謀論と言われても負けない」「陰謀論なんて信じてないけどこれは真実」「正しい情報は隠されているから自分で調べなければならない」これらは陰謀論に飲み込まれる人が必ずと言っていいほど口にする言葉です。
あなたは政治・経済に詳しい。それは誰もが認めるところです。けれど、政治に関心が高い人ほど陰謀論を信じやすく、逆に教育の高さや政治的立ち位置は陰謀論への染まりやすさに影響しないということは知っていますか。
ネットやYouTubeだけでなく、ぜひ一度関連書籍も見てみてほしいと思います。あなたに勧められた動画を見ていない私が言える立場ではないとは思いますしその点は申し訳ないと思うのですが(実はいくつかは観ようとしました。しかし冒頭から何を言っているのか意味がわからず、苦痛で、すぐに観るのを止めてしまいました)、少なくとも誰でも好きなように公開できる動画よりは、ファクトチェック体制のある書籍のほうが信頼できると私は考えています。
参考までに、陰謀論の歴史やそれを信じるに至るメカニズムを、心理学的・統計的な調査をもとに分析している書籍を挙げておきます。
「陰謀論入門」ジョセフ・E・ユージンスキ 作品社 2022年
「情報パンデミック」読売新聞大阪本社社会部 中央公論新社 2022 年
私は賛同できないけれど、陰謀論を信じること自体は個人の自由です。それなのになぜその世界観を否定するのかを、最後に書きます。
あなたは、「真実が一人でも多くの人に広まってほしい。生活が安定しなければ趣味も楽しめない。政治は生活だから、政治のことを発信していく」と言っていましたね。
しかし、まず大前提として、趣味のSNSではみんな趣味の話をしたい。人の家の生活、たとえば晩ごはんのメニューがどうでもいいのと同じように、人の政治的主張もどうでもいいのです。
もちろん発言することは自由です。時には「あ、なるほど」と思い、時には「ちょっと面倒臭いな」と思い、多くはスルーされるでしょう。平和的な、現実に即した発言であれば、ですが。
陰謀論の本質は、全てを二元論に帰結させがちなところにあります。つまり何かを語る時、一方的かつ断定的な物言いになる傾向があります。率直に言って「怖い」のです。反論なんかしたら百倍になって返ってきそうだし、話が通じなさそうに見えるのです。
それを見た人はどう反応するか。同じ意見を持つ人は賛同を表し、ますます先鋭化していく。反対意見の人は、反論して不穏な空気になるか、黙って去る。そしてほとんどの人は、そっと離れる。だって怖いから。
すると、いずれどうなると思いますか。あなたの周りには、同じように陰謀論を信じ広めたいと考える人が残り、先鋭化した思想についていけない大多数の人は離れていくのではないでしょうか。
陰謀論を広めようとする人たちは、自分たちの主張を絶対に正しいものと信じ、否定するものを断罪し、自分たちの主張に都合のよい事実のみを根拠としてつまみ食いします。
陰謀論は思想だから、言説を信じることで次第にその行動様式にも染まっていくのです。
最近のあなたの言動が、これに近づいていることは自覚していますか。陰謀論をひとつの説として受け止めるにとどまらず、その善悪二元論的な考え方を自分の中へ取り込んでいることに気づいていますか。
先月、攻撃的な言動や非科学的な情報の拡散を控えてほしいとお願いした頃、次第に過激化していくあなたの振る舞いをそばで見ていて、私はとてもしんどかったです。趣味のアカウントで積極的に思想を発信し、周りから静かに距離を置かれていることを察して切ない気持ちになっていました。非科学的な言説に対し、どう反応してよいのかわからず困惑していました。
しんどければミュート・ブロックしてくれとあなたは言いますが、実際にそれをしてしまえば、今後あなたと一緒に趣味を楽しむことはできなくなりますよね。
受け止め方は人それぞれだから、と言うのは、一見、冷静な態度に思えます。離れてもどうでもいい他人ならばそれで構わないでしょう。
しかし、私や親しい人たちに対してまで、気に入らないなら見なければいいと言ってしまうのは軽率ではありませんか。私はあなたにとってその程度の存在なのかと、悲しくなりました。
趣味を楽しむために始めた発信なのに、一緒に趣味を楽しむはずだった人々が離れていく。そして孤立すればするほどこの傾向が加速する。
信じることが自由であっても、思想を広めようと発信することには責任が伴います。その思想自体に賛否があることはもちろん、その他の発言も陰謀論的な価値観を持つ人の発言と受け取られるようになります。「結局、陰謀論を広めたいんでしょう?」「ヤベー奴の言うことはヤバい」となるのです。既に、趣味アカウントの一部のフォロワーの間ではそういう空気になっています。
陰謀論の主張内容や拡散方法に対して、不快感や嫌悪感を抱く人がいることを想像していますか。第三者にそういった感情を抱かせる発信をする人から、離れたいと思う人がいることは想像できますか。
陰謀論は、カルトやマルチと同じように、思想に染まることで人格を変え、周りに広めようとすることで人間関係を破壊するのです。
くり返しますが、あなたが心からこの国と未来を憂いて、善意と使命感から陰謀論を信じていることを非難するつもりはありません。
あなたはきっと世の中の不条理や無理解に対し、大変な憤りを感じているのでしょう。あなたが世の中の問題へ真摯に向き合った結果、周りへの影響を過小評価し、私との関係を犠牲にすることすら厭わない態度を取らせるに至らしめた陰謀論が憎いです。同時に、それをあなたへ広めた陰謀論者の人々もまた、心からの善意と使命感からそうしているのだということにやるせなさを感じます。
だれも悪くないのにどうしてこんなことになってしまうのか、言葉が見つかりません。ただただ悲しいです。
結局のところ、私が何を言おうと、あなた自身が気づかなければ私の言葉が響くことはないでしょう。あなたもきっと、私に対して同じように思っているのではないですか。私は体制側に洗脳されている、陰謀論とレッテルを貼ることで真実から目を背けている、結局は自分の力で気づくしかないと思っているのではないですか。
極端な思想を語ることのリスクはこれです。どんなに気が合うと思っていても、世界観、価値観の相違をあぶり出してしまう。関係の薄い相手であれば容易に分断を生み、親しい間柄にさえ話しても無駄という諦めが溝を生む。
自分は思想を押し付けたりしていないのに、私からは考えを押し付けてくるのは干渉しすぎだと思いますか。そうかもしれません。これが例えば宗教の話だとして、キリスト教や仏教なら何も言いません。でも、統一教会やオウムなら全力で止めますよね。陰謀論はそういう性質のものだからです。少なくとも無害ではない。これ以上深入りすれば、あなたは私の知っているあなたではなくなってしまうかもしれない。だから、行き過ぎを承知で言っています。同時に、陰謀論と言われても仕方ないと解っているのに、信じるのを止められないことへ無力感を覚えます。
初めにも書きましたが、もっと関係の薄い相手であれば、陰謀論にハマったと感じた時点で穏便に距離を置いていました。思想に洗脳された人を見るのはしんどいし、説得することは困難だからです。
それをせず、反感を買うかもしれないこんな長文をわざわざ送り付けたのは、私があなたを失いたくないからです。どうか、私のために頭を冷やしてほしい。
確かにそれは気になってた。フェミ戦争でフェミニズムサイドは押されつつあるのに
しかし何故かフェミっぽいお気持ち思想? のようなものの広がりは逆に加速して見える。
しかし君たち、フェミニズムの広がりを止められると本気で思っているのか。
ネットを眺めてみろ。
10年くらい前の話なので、ここのおっさん達は現在40~50代くらいになっている。今よりかは男女交際が盛んだった時代を生きたおっさんだ。しらんけど。
だから私が付き合ったおっさんが全員童貞非モテってわけじゃないよ。
↑”女と付き合ってる時点で陰キャではない”みたいなコメントがあったので。たしかにそうだね。
→最初からアレな人はいない。なにか背景があるはず。生い立ちを知れば、やさぐれた原因が紐解けるはずだと思っていた。
そして、幼少期のトラウマなどについては、かなり仲良くならないと聞くことができない。
→ダメっぽい人のほうが、なにか隠しステータスがあるのではないか?というワクワクがあった。
→これは若い男性が言うのと、40代が言うのとでは重みが全然違うのだ。
若い男子は、失敗談を聞いても悲壮感に欠けるし、主義・思想は今後変わる可能性が高い。
でも、ちょっとアレなおじ様であれば・・・どんなふうに歳をとってきたか、今度どんなふうに歳をとっていくか、想像することができる。
こんな人が、ゆくゆくはスーパーの店員に無駄にキレる客になるのかな・・・と想像したり、
この人はファッションセンスだけが変わらないまま歳だけとっていくのかな・・・と想像するのが興味深かった。
※自分の人生の糧になるか?という側面では、何の成果も!!得られませんでした!!
Z世代で顕著な思想、それは「何者かになりたい」という半ば強迫的な考えだ。
彼ら彼女らは生まれてからネット上で有名なYouTuberであったりインフルエンサーであったり
テレビ上の芸能人とは一味違う、「親近感を感じるのに、キラキラしている存在」にごく自然に触れている。
自分と年齢や環境は変わりないのに、楽しそうな刺激的な生活がひしひしと伝わってくる。
こういった点から、もしかしたら自分も「特別な」人間になれるのでは?と考える。
中には健全な学生生活、社会生活を手放してでもデジタルタトゥーを残してしまう若者がいるのは
思慮が浅いというよりは何者かになれるという、平凡な現実の中では大きすぎる名誉と快楽を追ってしての行動なのだろう。
普通の幸せであったり、日々の地味だが積み上げていく努力が軽視され(いわゆる近所のおじさん、おばさんが「つまらない」とされ)
まず反出生主義には、アンチ「出生主義」と、「アンチ出生」主義の2つがある。
そして日本語の「主義」という言葉自体に大まかに「国家や地域の運営方針」「個人もしくは集団の主張・思想」の2つがある。
の2つが存在するわけだ。
そしてこの2つも別に「子供を沢山増やすと国家がたち行かないぞ(一人っ子政策)」 「人間が存在していることが間違っている(ある主の原罪思想)」の2つだけという訳じゃない。
特に主張や思想は多岐に渡り「人生で得られる幸福を不幸が上回ってるから産まれてこない方がマシ」 「セックスはキモいからこんなことをするぐらいな滅んだほうがマシ」 「親ガチャ時代ガチャといった理不尽を子供が許容できる事前承認も得てないのに生命を作るな」 など個々人ごとの多様な考えが展開されている。
そしてこれがアンチ「出生主義」になると出生主義自体をどういうものとして捉えるのかについての議論が始まり更に状況は混沌とする。
なぜなら「出生主義」自体が上にあげた「アンチ出生」主義の様々なパターンを持っていうえに、それに対してアンチテーゼや対立政策を投げかける理由もそれぞれで違うからだ。
つまり、「A」を批判するために「B」を持ち出すという状況における、「A」「B」の中身がそれぞれいくらでも存在しており組み合わせ無限大状態なのだ。
「反出生主義」と一口に言ったときに、それが何を意味しているのかを整理しなければ全く別のものについて皆で議論することになるわけだ。
こんなのは「田中ってヤバいよな」といきなり語りだして、どの「田中」を指しているのかを誰も確かめることなく延々語り合うようなものだ。
話す内になんとなく「あれ?俺の考えてる田中と違うんじゃね?」と違和感を覚え、確かめてみたら結局全員が違う「田中」について愚痴や擁護をしあっていたという虚無空間が誕生する未来は確定事項とさえ言える。
マジで、何度でも言うが、「反出生主義について語りだすときに、その反出生主義の内訳を最初にちゃんと定義しないやつは相手にする価値のない馬鹿と断じてしまって問題ない」が現状だ。
https://x.com/aochanp/status/1791465458031608260
男は犯罪が多いって話で
「女は体を売れるから犯罪に走らない」と本気で言っている男が多いが男だって肉体労働があるだろう
「体力のない男だっている」なら「デブスで体が売れない女」だっている
元々、平成17年頃が犯罪検挙数がものすごく高く、これは平成不景気の影響を受けた
最も体を売りやすい20歳〜29歳女性の犯罪者数はバブルの時期に比べて1.6倍になった
体を売れるから犯罪に走らないなら、この時期の犯罪者数の増加は何なのか?
また、平成12年から17年のファッションヘルスの店舗数は5倍になっている
店が増えれば嬢も増える
こう言ってはなんだが、このようなことを言う男の「女は体が売れるから」って思想はそれこそ女に性的な価値があり
消費したいと言う心理なのではないのかとさえ思う
反差別アンソロの件でかなり精神的に参ってるので書き殴り日記。駄文で冗長、婉曲的です。事実誤認があったらすみません。
検索に引っ掛かりたくないのでグループ名をAとします。大体この件を知ってる人には名前も詳細もばれてると思うので。嫌だけど。
自分は三年前からAをゆるゆる追いかけてきた。もともとゲームが大好きでなんとなく見始めた動画が、いつの間にか楽しみになっていた。
ファンアートも描いた。本人たちのガワを使って自分の好きなシーンを書いて、誰かにこの動画面白かったよね、が届くのがうれしかった。実際好きな絵描きさんのところには、「あなたの絵がきっかけでAを見始めました!」とか、「あなたの投稿で(メンバー名)に興味がわいて見てます!」というようなコメントも見られた。自分の絵は稚拙で影響力もさほどないのだが、ファンアートってこういうものだ、とうれしくなり、誰かの興味を引くかも、と描くときもあった。動画を見るのが楽しい。メンバーが楽しそうにしているのを見るのが楽しい。ファンアートが楽しい。同じファンの人の呟きを見るのも楽しい。なんて楽しいコミュニティだろうか。
昔はしょっちゅう荒れるクリエイターの界隈にいた。学級会、大手絵師とその意見を絶対とするアカウントたち、いつも苦言を呈している人、本人に凸る人、本人の個人情報撒く人。クリエイター自身は好きだがファン同士でうまくやっていけなかった。ところがAの界隈はどうだ、ほどよい距離感でみんな穏やかに生きている。やさしい人がたくさんいた。楽しい人、面白い人、絵がうまい人。今まで歩いてきた界隈はそんなに多くないけど、きっとここは清流の水源に最も近い場所だと思った。
5月14日の夜。ふとTwitterのおすすめタイムラインを見て、あのツイートが目に付いた。初めは、自分の描いたファンアートを自分用にまとめて本にしたのかな、と思った。でも違った。表紙に書かれた文言を何度も読み直す。これって、Aを使って反差別を主張しているの? Aはそんな事一度たりとも言ったことがないのに? なんでAを題材に作ったの? なんで公開垢で投稿したの? 頭の中にいろいろな感情が駆け巡った。界隈のことを考えた。荒れる、と思った。私は少なくとも、このツイートを見て酷い嫌悪感を抱いた。誰か同じことを言っていないだろうかといろんなワードでパブサしたが、特にツイートは見つからない。まだこのツイートは拡散されてないし、寄稿者っぽい人が引用RTしてるだけ。いくつか本当に目を疑う文言もあるけど…このままみんながスルーしていれば、界隈で学級会…みたいにはならないかも。ーーでも、ALTにガッツリグループ名書いてない?見つかるのも時間の問題では?現に今自分のおすすめTLに流れてきてるわけだし。ていうか何だよおすすめTLって。どういうしくみだよ。泣きたくなった。どうかおおごとになりませんように、と祈って寝た。
翌朝、件のツイートに一つだけリプライが増えていた。話を広げたくない。実在人物でこういうアンソロを作って公開するのはやめた方がいい、鍵垢にしてほしい。そんな内容だったと思う。ああ、よかった、自分以外にもこれに疑問を持つ人がいてくれたんだ。ファンアートは自分の主義主張を乗せるものではないと思う。楽しさを表明するためのモノじゃないだろうか。自分は事態が良い方向になるようにと祈りを込めて、鍵垢でそのリプライに20数個目のいいねを付けて外出した。
昼、界隈はすでに火の手が上がっているように見えた。いろんな人がこの件に触れている。ああもうだめだ、と思った。このまま延焼を続け、やがてこの界隈をよく知らない人も野次馬精神の人もやってきて、好きなだけ意見という名の薪を投げて、次の日には忘れて暮らしていくのだろう。今も焼かれている村に住んでいた人たちなんてお構いなしだ。私は明日もここで暮らすつもりでいるのに。アンソロ寄稿者の多くは、Aのファンというわけではないらしい。アカウントを覗いたときAのファンアートはほとんどなかった。何もかもを呟くわけではないし今日び別垢の存在も大きいけど、本当に彼らがAのファンなのか、私は疑っていたかもしれない。彼らは自分の意見の狼煙が、より高くより遠くへ届くようにと、偶然そこにあったAのファン界隈という潤沢な森を選んで火種を落としたのではないか?--そんな根拠のない憶測までしていた。多分疲れていた。
いろんな意見が飛び交っていた。全部にダメージを受けた。自分がツイ廃であることをこの日ばかりは後悔した。
Aって反差別とか掲げてるグループなんだ→ちがうよ…一番危惧してたことが起こってるじゃん
反差別と思われたくないって何?→本人たちが表明してない思想を持っていると勘違いさせるものはそれがどんな意見であろうとよくないと思うんだよ…
nmmn界隈よくわかんないけど~→じゃあなんで来たの…ほっといてよ…
アンソロ参加者へ誹謗中傷→マジでファンのイメージ悪くなるからやめてくれ
だけど、フォローしている絵描きさんたちがぽつぽつと、しかし一言二言だけ、意見をツイートし始めた。「実在の人物はキャラクターじゃないよ」 「ファンアートはこういうことを気を付けてる」 「楽しく絵描いていこうね」私はそれに救われた。森の中でまだ焼けずに残っていた集落で、まだこの明かりはともっている。ひとつひとつにいいねを付ける。鍵垢にして閉じこもってしまった家々もあった。自分の絵を今一度顧みて消す人もいた。炎は確かに私の住む森を焼いたが、住人たちは生きていた。三年間かけて穏やかな人たちで形成してきたTLは私の心を救った。
延焼はだいぶ遠くへ行ってしまった。「Aが炎上!?原因は!?」みたいな早計な記事ができてたり、まとめサイトにまとめられてたりするが、今はたぶん、Aのことは関係ない思想とか主義とかの議論がボヤになっているぐらいだろう。私は絵を描いている。描きたいシーンがたくさんある。祝いたい記念日も、話したいこともたくさん。
本人たちももう見ているだろうな。「公開したやつより拡散したやつの方が悪い」みたいな意見もあったけど、もうどうでもよくなってしまった。本人たちがまた楽しくしてるところを見られたらそれでいい。
私は祈る。多くの人の「祈り」が宿ったツイートが森を焼いたことが、どうかあの人たちに1㎜でも伝わりますように。一連の流れを見て、「A界隈ってこういう人たちなんだ」 「Aってこういうグループなんだ」じゃなくて、「みんながみんなこういう人ってわけじゃないよね」 「界隈の人たち大変だっただろうな」と思ってくれた人が、どこかにいますように。そう思ってくれた人に幸せが訪れますように。そしてこの出来事をみんなが忘れて、でもやっちゃいけないことがあるってことだけ覚えて、明日も好きを表現していられますように。
同意なき性行為は強姦だし、同意なき買収は敵対的買収だし、現代では基本的に何をするにしても同意を取ることを求められやすい。
仮に逮捕や刑務所への収監のような原則ベースの人権侵害行為の場合でも、国民による立法によって社会的合意を形成した上で行われる。
だったら出生も同じことで、法律ベースの合意や、出生されるあかんぼう本人の同意を得るべきだと考えている。
実際には法律で白か黒かにしたら社会体制終わるし、生まれる前のガキに同意取れるわけないので本当に実現されたら困るのだが、思想としてはそうなのだ。
一応個人的には正解として「人格データも含めた既存の人間のクローン生産」というのはある。
要は生きてる人間に同意取ってそれを複製すればよくねえかって話。
こんばんわ、弱者男性です。
だけど、失礼ながら私は個人的な背景もあり、看過できません。
私は、世間から弱者男性と呼ばれる立場で、匿名ダイアリーでも自称する度に叩かれます。
ご存知ですか? 健康保険料って極めると月千円になるんですよ。
・・・話が逸れました。男らしさについて。
誰が誰を好きになってもいいだろ、という詠唱を伴って、好きの自由は主張されます。
確かに男女平等な扱いではないが、年収の高い男性を好きになってもいいじゃないか。
職場で言ったらハラスメントだが、身長の低い男性を好きにならなくてもいいじゃないか、個人の自由だろう、と。
旧弊なジェンダー観を内包した男性を好きになってもいいだろう、と。
女性個人がどんな男性を支持しようと、男性の生きづらさとは無関係だ、自由恋愛だろ、というロジックは、しかし落とし穴があります。
男らしさを理由に好かれた男性は、男らしさから降りれなくなるんです。
元の議論を思い出してください。古いジェンダー観を自分自身だけに適用するのはよくて、悪いのは他人に思想を押し付けることでしたよね。
自己完結してるならいいけど、思想を押し付けられたら生きづらくなってしまう。それが問題でした。
弱者男性は男らしく生きられません。
私だって本当は強くてカッコいい漢(おとこ)として肩で風を切りたいけど、でも無理なんです。
なのにもし、誰か女性が私の男らしさを見初めてくれたら・・・?
私は残りの人生で、男らしさを求め続けるでしょう。降りてラクになろうなんて考えられなくなります。
『好き』って内心の自由でしょ。
自分の内側だけに気持ちや思想を留めておけるならば、内心の自由だから好きにすればいい。
だが実際には、好んでいると表明してしまってるし、例えば古いジェンダー観のキャラがでる作品を推しているなら閲覧数として古いジェンダーが結果に反映されてしまう。
はてぶをそこそこやっていて思うけど、はてぶって原始的なSNSか弱いコミュニティなんだよね
一部の人は「単なるコメントシステム」って嘯いているけど、ならばあんなに特定の思想や意見にスターが偏るわけもないんだよね
コメントシステムが半ばハックされて現状は特定の人だけが生き残っていて、そういう人達が身内に向けたコメントで盛り上がっているのが現状
逆にそれ以外ではブクマカみたいな意見は無視されるので、他のSNSでは全然発信しない
はてぶは他のSNSとはちょっと違って、特定の集団で構成されるdiscordや特定の話題に集まる5chみたいなのでもない
ツイッターみたいに横の繋がりを求めず、何か特定の事柄を深掘りして知識を披露するってわけでもない
なんていうか、はてぶという場所に縛られているんだよね
【追記】
みんな楽しそうで何よりだ