はてなキーワード: 非道とは
善にはいろいろ種類がある。
Aさんが救われているのに、Bさんが救われてないことがある。これが許せないだろ? ズルいじゃんだって。
そう言う考え方は、実際ある。
現代リベラルへのかなり有効な、反論できない批判、弱点でもある。"かわいそうランキング"とかスラング的に言われているのがそれだ。助ける側が助ける相手を好きに選んでいるんだよね。お前の言う通りなんだ。よくないことが起きてしまっているんだよ。「平等」は無視されている。しばしば議論の俎上にもあがっている。
でも、じゃあ平等ってを目指したいと思ったお前は、何をするか?
目の前の相手を助けず見捨てる、「非道」という悪徳を成してしまうんだな。
善にはいろいろあって、悪にもいろいろある。しかも同時に同じ行為に発生し得るということだ。
しかもだ。『罪と罰』が言うように、善と悪が相互に打ち消しあって、大義の前に小悪が許されるとは、俺は思わない。けどそれにしたって、おそらくお前の行為では達成できないであろう「平等」という善に対して、確実に達成されている「非道」の悪徳は、ちょっと大きすぎるんではないかね。リスクリターンがあわないよ。
「優しさ」という善徳を達成するべきだ。
その上で、「平等」かどうかという観点は、お前の手の届く範囲について考えるべきだと思う。お前自身が、障がい者もKKOも分け隔てなく助けるならば、それでいいじゃん。それで平等だ。たまたまお前の前に現れなかった奴は平等に救われたりしないわけだが、それは運だったという観点で、あるいみ平等と言えるじゃん。
目の前の人だけを助けるんだよ。
お前んちに来たら、老犬にも子犬にも餌をやれ。
どうやら、大学の試験日は大事を起こさない為に痴漢も泣き寝入りするから痴漢のチャンスデーだ!
当然こんな非道で卑劣な性犯罪・性犯罪者は許されるべきでは無いし、法律が許す限りの厳罰を下すべきだろう。
もし可能ならば去勢刑に処したいとすら思う。身近の大切な女性がこんな奴らの被害に遭ったとしたら絶対に許せない。
絶対に復讐してやるだろう。痴漢がゲスで卑劣な存在であり只管憎いという思いには、痴漢冤罪の恐怖もあり、大抵の男性が同意するだろう。
しかしネットでは「男性の大半は痴漢予備軍」という言説を主張する女性が散見される。
曰く、男は女性を常に性的に狙っており、アニメや漫画を通して女性を見下し性の対象として見ているのだから、痴漢も本当はやりたがっているのだろうと。
まるで意味が分からないが、女性達は上記の事を『根拠』にして、男性に対し差別的な言動をするだけでなく、男児への加害をも肯定している。
ある女性によると「男は小さい男児の時に去勢すべきだ!」とまで言っている。それに賛同する女性達は少なくない。
痴漢を憎む気持ちは同じなのに、そんな汚らしい性犯罪者と男全体を同一視するのは、最大限擁護しても、背後から味方(男性)を撃つ利敵行為だろう。
もしかしたら「痴漢とは卑劣で唾棄すべき性犯罪者であり、男女共に許容出来ない存在である」という大前提が女性には認識されていないのかもしれない。
しかしそれは余りにも女性は男性を、ひいては女性は社会を知らないのでは無いか?という疑問に繋がる。
痴漢の様な性犯罪・性犯罪者を忌み嫌うまともな男性程、忌み嫌う存在と同一視される事には困惑する。
自分はまだ困惑するに留まっているが、忌み嫌う性犯罪と同一視される事に傷ついたり、怒りを覚える人もいるだろう。
そういった男性達に対し、セカンドレイプの如く「何故痴漢では無く女性達に怒るのだ!?やはり痴漢をしたがっているんだろうなw」
と煽る女性も少なくないが、「何故~」の下りは別に間違ってはいない。
何故なら、まともな男性を性犯罪者の様に罵倒する、という加害行為を直接行っているのは女性達だからだ。
直接の加害者に対し、被害者が憤る事を不審がる加害者というのは、痴漢という卑劣な性犯罪者に通じるものがある。
痴漢という穢らわしい性犯罪者連中と、男性全体を同一視する行為は、まさに女性達によるネット痴漢行為そのものなのだが
痴漢を憎むあまり、自分達が痴漢と同じ様な思考回路で異性に対しセクハラを超えた痴漢行為を繰り返すのは、ハッキリ言って理解が出来ない。
痴漢をする様な異常者は、女性達のそういった反応すら楽しむので、いくら痴漢行為に対し嫌悪感を訴えた所で何も意味が無い。
そして痴漢を憎む余りに一般男性に八つ当たりの様な形でネット痴漢行為を繰り返し男女対立の火種にしかならない嫌がらせ・同士討ちを繰り返すのだから
痴漢を憎んでいる筈の女性達が、痴漢を結果的に喜ばせるネット痴漢行為を繰り返す事が、本当に意味が分からず只管困惑している。
芸人として当初は根暗で虐げられたオタク(元増田の表現)の強者へのカウンターであったことは確かでも、根暗で虐げられたオタクだって、自分よりも弱い者をいじめる。だからダウンタウンは後輩芸人に数々の非道な仕打ちといういじめを繰り広げていたし、YOUを延々ラジオで無視し続けるといういじめをしていたし、篠原涼子に性的ないじめをおこなっていた。これは笑いとして許容されるか否かという話ではなく、元増田の主旨である「いじめの笑い」をしていたか否かという話。ダウンタウンは若くして多くの大衆に受け入れられたため、根暗で虐げられたオタク芸人としてくすぶっていた時期はとても短く、すぐに根暗で虐げられたオタクをいじめて笑いをとる側にまわった。芸人を志した根本はどうあれ、芸人としてのダウンタウンが「いじめの笑い」をしていたということは事実。
けものフレンズ2への暴言を目撃したので、その仮説に同意しかない。
…
けものフレンズに感動した同志たちが、あんな邪悪で残虐で非道で汚い魑魅魍魎のごとき言動をするなんて、未だに悪夢としか思えない…………………。
キミら、アニメに感化されても、心がキレイになったりはしないんだな、って。
たぶん俺も例外ではないんだろう、何かの噛み合わせで運が良かっただけで。
あの人は「殺人犯は報いを受けろ、生まれのせいとか時代のせいとか言い訳だろ」という確固たる信念を持つ
るろうに剣心の時はそれがわかりやすい形で爆発し、明治維新のため人殺しとなった剣心は妻子を顧みずに全国行脚で人助けの旅を繰り返し、息子はグレて家庭崩壊し、病人の世話をして梅毒に感染しボロボロになって死ぬ末路を辿った
ハンター×ハンターの時はプロデューサーに反対されてやめたものの、絵コンテまで作られてメーターに配られた末にヤフオクに売られたシナリオでは、人殺しのクラピカは人殺しのクロロと一騎討ちして両方とも惨死
人殺しを当たり前のこととして育った非道のキルアは結局その血を断ち切ることができず、ゴンを捨ててゾルディック家に帰還、やがてハンターとしての依頼を受けたゴンが正義のためにキルアを葬りに向かうところで物語は閉じる
そんでスパイファミリー、両親に先立たれた貧しい女が殺し屋をしているという設定
これは古橋倫理に触れるだろ
年を取って丸くなった可能性もあるけど
丸くなってなかったらまたやらかすんじゃないか
※タイトルや以下における「エンジニア」とはソフトウェアエンジニア的なものを指すとする。
この時期に各種アドベントカレンダーで見かけるような、あるいは平時でもはてブの「テクノロジー」タブに上がってくるような記事は魂に訴えかけるものが皆無な浅い記事ばかりだ。マネジメントがどうのだとか、○○プログラミング言語で△△してみましただとか、無味乾燥なこと甚だしい。それはなぜかというと、そうした記述はいわば児戯を一生懸命やっているだけであって、社会や世界のことをなんら考慮しておらずなんの影響も与えることができないものだからだ。
求職側において、個人ブログ等で発信することでポートフォリオ代わりになり、転職活動に有利になるというインセンティブがある。求人側から見ると、自社ドメインの技術ブログ等で発信することで採用市場におけるプレゼンスを高めたいという動機がある。この双方向の動きにおいては、情報を多く出したもん勝ちであるため、浅い記事が量産されるというわけだ。
求職者は人材会社の陰謀に嵌められて義務的に情報発信させられていることも多く、被害者だとも言える。しかし、求人側がこの動きに加担するのは非道徳的である。たかが採用のために競合と人間の認知許容量を巡るゼロサムゲームを繰り広げて貴重な人類の知的エネルギーを浪費しているのは端的に反社・売国奴である。
IT業界は、火のない所に無理やり火をつけてからなるべく複雑な消火のソリューションをなるべく高値で提供するというブルシットジョブの宝庫である。何社もの企業がキラキラ業界ヅラして犇めいている分野においても、冷静に見るとその分野自体が社会に不要(それどころか有害)であるということはよくある。自分が携わっている分野においては正常性バイアスでそう感じないかもしれないが、他分野を見たときには同じように感じる方は多いだろう。
そもそもがブルシットジョブなのだから、それについて何をどう語ったところで本質的に伽藍堂なのである。
AIは身体性を持たないため、記号を記号としてしか処理できず、現実の実体が持つ意味と結びつけられないという記号接地問題が課題となっていた。特にサーバーレス環境において、エンジニアもAIと同様な状況に陥っている。コードを書いてCDでデプロイしてクラウドで動かすという開発のサイクルは現実の物体との関わりがなく、自分の行いが現実においてどういう意味をなすかという意識が希薄になるからだ。そのような状況では空論を弄ぶことしかできなくなるのは当然の帰結だ。
記号接地問題を解決する側にいるはずのエンジニア自身が同じ問題に囚われるとは、なんたる痛快事であろうか。
エンジニアというのは誰でもできる職業なのに高給取りだというイメージが付いており、思考停止しているくせに一発逆転を狙う馬鹿を呼び寄せている。
また、仕事それ自体によって、あるいは仕事で金を稼ぐことによって自己実現をしようと企むナイーブな価値観が蔓延している。もともと馬鹿ならそのままぬくぬくと馬鹿のまま育つし、大学で一般教養を学び大学院でコンピュータサイエンスを学んだような本来は"頭の良い"人までそうした朱の馬鹿共に交わってより赤き馬鹿に成り下がってしまう環境なのだ。
西側諸国メディアは今回の大規模なパレスチナ侵攻ではじめてイスラエルの非道を報道したが、
もとより「アメリカの子分」ではない中東や中南米やアフリカ諸国では前々から普通に報道されてみな知ってたので、
ウクライナ侵攻に対してアメリカと欧州が憤怒して騒いでるのを冷ややかな目で見てた。
「ゆうてお前らイスラエルの非道は批判も制裁もせず、それどころか支援してただろ」って。
西側諸国のいう「国際法違反の実力による現状変更はダメ(←イスラエルも何度もやってきてる)」とか、「侵略はダメ(←イスラエルが植民地拡大で繰り返してる)」とか、「人道犯罪だ(←イスラエル軍が民間人を意図的に殺害して何度もやってる)」とか、おためごかしの建前で、実際にはアメリカの国益を守るための代理戦争だろって見抜いてたんだよね。
35歳二人の子持ち専業主婦。これを書くのには勇気が言ったが、誰かの心の支えになるという確信があるので書く。
息子は中2、ASDで娘は高校2年の健常者。夫は確定診断はないが自閉症スペクトラムの気質持ちだと思う。
これを書こうと思った動機は「吐き気で苦しんでいる母にASDの息子がダイの大冒険がどうのと声をかけてきた」というツイートを見て、その日ずっと涙が止まらなかったからだ。ツイート主の苦しみが目から血を流して死んでしまいたいくらいのものだということが心の底からわかる
それでも案外母の気持ちに寄り添う引用リプが多かったのには救われた気分だった。私の母の時代だったらこうはいなかっただろう。
はっきり言うけど、オスの障害者は家父長制維持のための部品だ。それを産んだ時点で母親は原罪を背負われる。そして産んだものに対する無償で魂が擦り切れるほどの献身が当然のごとく要求される。
それに対して女がほんの僅かでも苦しみを吐露したら「鬼」「お前が産んだのが悪い」と罵られる。私が自殺するときが来たら巻き添えにして殺すのは義母だろう。
障害者のオスはそうやって女を無限地獄のケア労働に縛り付けるための「重し」として機能することを15年の育児で骨の髄までわからされた。
夫のように多少頭の回る障害者もっとストレートに憎しみの対象だ。彼らは女に心身ともにたっぷりケアされないと簡単に逆上する。自分が障害を持っているからというコンプレックスを女にぶつけてくるのだ。
(なぜそんな男と結婚したのかという匿名のミソジニストの罵倒が予想されるだろうけど、そういう質問をすること自体が自閉症の弱男的なのだという”ニンゲンの常識”を死ぬまでに身に着けておいてください)
今の私にとって支えとなるのは娘。娘がいるおかげで正気を保ってる。人の感情が読めない夫とその遺伝子を濃く受け継いだ息子を育てる苦しみに耳を傾けてくれる第一の存在が彼女だ。娘と私はたぶんフェミニストだし、教育の程度はいいからリベラルな価値観を共有していると思う。
障害という錦の御旗を通してなお卑劣に女を抑圧するこの男性社会のサバイバーとしてお互い生きてきた絆が娘と私の間にある。
去年の秋、娘がボロボロに泣き腫らして帰ってきた。冷静な彼女なので一体何をされたのかと気が動転したが、聞くと歴史の授業で「第二次大戦中のドイツ政権」※にたいして肯定的な意見をいったところ、教師に吊るし上げられ「あなたどういう親に育てられたの」と大声で指弾されたらしい。
娘をリンチした馬鹿教師は私が色んな仲間にかけあって教育委員会にまで上げて飛ばしたけど、あのことがあってから娘と私は「昔のドイツ政権」がした女性を解放する政策について時々話すようになってる
そして今の世界情勢を見て、私はあの時のドイツはある部分では正しかったと私には思えてならないし、私の家族たちのような人間に関わる別の政策についても、絶対悪と呼べるような時代は終わりつつあると感じている
フェミニズムの観点からの「第二次大戦中のドイツ政権」の再評価が必要だと本気で思ってる。
私は結構色々な運動に首を突っ込んでいるし、障害を持った人間を育てるフェミニストの仲間といえる方とも出会っているから、少しずつこうした話を広めていけると信じてる。
残酷だけど、命は至上の価値じゃない。ましてや本来なら尊厳ある生を歩めたはずの女性の足かせになることが、劣った器質を持っているからというだけで正当化されていいわけがない。
※補足します。私が第二次大戦中のドイツ政権に対して一般的によく知られた政党名を使わないのは、そうやって悪の権化であるイメージがついた名前を使うことで女性が非道な悪人の濡れ衣を着せられ偽善的な左翼男性のミソジニーに利用されるだけということをよくわかってるからです。
・私のことをある呼称で呼びラベリングして鬼の首を取ったかのように誹謗する自閉傾向を持つミソジニー持ちがここにはたくさんいるでしょう。私がそれでもこれを言うのをやめないのは、もはや男性が人権や政治的正しさやあまりにも覆しずらい歴史的評価の重みという圧力をもってしても虐げられた女性の声を封殺することはできないと信じているからです。私は息子に手をかけません。世界はいずれそういう女性たちにもっと敬意を払うべきと認識するでしょう
結局その社会規範が行き着く先は「可哀想ランキング©白饅頭」のランカー争いになってしまう。
米国では既に「トランスの弱者性は女性を上回る」というランク認定が済んでおり、
無謬の存在であるトランス女性に異を唱えるシス女性は、職を追われるのが当たり前の社会となっている。
起きていないことにされてしまう。
シス女性が職を追われる理由は、「強者による弱者への差別行為」だ。
ランク認定が済んだ状態では、上位弱者であるトランス女性は無謬の存在として全肯定を受けるようになり、
「無謬の仮定」に従い、トランス女性を全肯定する義務を負う。そこに衝突は発生しない。
もし、トランス女性を全肯定できないシス女性がいたらどうなるか。
それは社会からは「無謬ではない存在が無謬の存在を迫害した」という差別行為として認識される。
だから、トランス女性を全肯定しないシス女性は職を追われる。差別主義者として。
「無謬の仮定」を崩して平和な話し合いを行う世界を想像しているのだろうが、
人間はそこまで賢くない。
シス女性は「無謬の存在を否定する非道徳的な存在」という社会的認識を与えられることとなった。
いい加減いつまでこの話を続けるんだ?と言われてしまいそうだが、
このツリーの感想を読んでいて思ったことを性懲りもなく付け加えてみることにする。
水星の魔女は若者向けを目指したと言われているが、あまり若者向けの作りになっていないのではないか?という話だ。
ツリー内に共感できる感想が多かったので、引用が多くなることを許してもらいたい。
この投稿の「スレッタが酷いことを言われても耐えるキャラのまま終わった」、
この投稿の「スレッタとグエルの毒親受容」「ウテナ要素の中途半端なサンプリング」に同感である。
特に、決闘による花嫁争奪戦という現代の価値観では人権侵害でしかない制度を否定せずに終わったのはいただけない。
スレッタとミオリネがお互いの意思で一緒にいようとする・グエルが自分の意思でミオリネをスレッタに譲るという展開では駄目だったのだろうか?
そもそも何故そんな制度がまかり通っているのかということにも、制度に反対していたのがミオリネ一人だけという異常な状況にも、詳しい背景の説明がない。
正直なところ、本編の描写だけではべネリットグループやレンブラン家が政略結婚を必要とするほど切羽詰まっているようには見えなかった。
ミオリネだけではなくスレッタやグエルも当事者なのだからデリングに制度のことを問いただすシーンがあっても良かったし、
最初はデリングに反抗的だったミオリネも制度は父なりに娘を思ってのことだったと納得してしまったように見え、非常に残念だった。
この投稿の「格差描写が無意味、作品としての倫理観が粗末だった」、
中でも子供ばかりが罪を負い、大人は罪を償ったはっきりした描写がなかったことが引っかかる。
(オリジナルエランは自分の影武者として作られたエラン4号や5号ら強化人士たちの扱いをどう思っていたのか?
ラウダが学生たちの乗った宇宙船を攻撃し、グエルを殺害しかけたことはどう処理されたのか?という点も確かに気になるのだが)
デリングはテロ事件で一時昏睡状態に陥り、プロスぺラも体が不自由になり、一応痛い目に遭っていると言えるかもしれない。
それに比べてペイル社の4人のCEOたちは、財産は失ったらしいもののなぜか私服でティータイムを過ごしているシーンで終わった。
この4人にネタ人気が出たせいなのか分からないが、非道な人体実験を行い(少なくとも)4号を殺害した罪を曖昧にしてはいけないだろう。
御曹司のグエルがやたら視聴者に持ち上げられる脚本になっていて
(それこそスレッタが落ち込んで行動不能になるのを繰り返していた2期中盤などは、グエルこそが真の主人公だ!貴種流離譚だ!なんて言われていた)、
シャディクの掘り下げがなかったことで、「イスラエル可哀想!パレスチナ人は死ね!」の目線だけで終わった感があるんだよな水星の世界観。
シャディクが学園の生徒を殺したのは犯罪だが、スペーシアンがアーシアンを一方的に搾取する構造がなければシャディクは何もしていなかったわけで。
その辺りの掘り下げがなさ過ぎて、ただ視聴者のヘイト集めて終わって、水星の魔女って何が言いたかった物語なんだ?になってしまってる。
フィクションには、特に子供が見るようなアニメには、「愛人の子なだけあって全部がグエルに劣ってる」といった差別には反論できるように作る義務があると思うんだわ。
しかし本編を見る限り、ラウダを擁護できない。ラウダを擁護している人々は憶測と願望といった本編に無いものが主な根拠になっている。
フィクションは意図によってコントロールできるものなのだから、現実で差別や不利益に晒されがちな非嫡出子の扱いはもっと考えて欲しかった。
愛人の子だからジェターク姓でなくニール姓を名乗らされ、23話で「ラウダ・ジェタークが!」と叫んだのに、
客観的には「状況が分かっていない人による迷惑な横やり戦闘」でしかなく、3年後でも当たり前みたいにニール姓のままだったのは酷い話だよ。
兄は正妻の子なのにスレッタに振られ、弟は愛人の子だけどペトラに好かれているようだという点以外、一切の救いがない。本当に酷い。
ある程度年齢の行った視聴者なら、「紛争地帯出身の孤児でスペーシアンとアーシアンのハーフであるシャディク」
「正妻の子・グエルと同い年の異母弟で愛人の子であるラウダ」という設定を聞いた時点で
シャディクやラウダがどんな目に遭ってきたのか、これまでの知識や経験から何となく想像できる人が多いのではないかと思う。
シャディクは「アカデミー」に入るまでは貧困生活に加えて危険と隣り合わせの毎日だったかもしれないし、
ラウダはジェターク家に引き取られてからも「愛人の子」という本人には責任のない中傷に苦しんだかもしれない。
こう考えればシャディクがテロを起こした理由や、ラウダが神経質で他責的な性格になった理由にもある程度納得が行く。
ただこれらは本編に描かれていない以上想像にすぎないので、「そんな描写はない」と言われてしまえば反論できない。
個人的に、兄のグエルと比べて弟のラウダは大した苦労をしていないかのように言われがちなことにも無情を感じる。
ラウダも兄のグエルが行方不明になり、そこへ父親のヴィムが死亡し、10代にして経営が傾いた大企業のCEOに担ぎ上げられるという
なかなか壮絶な経験をしているのだが、何せ絵的には地味であり直接的な命の危険はなかったため主に若者の共感を得にくかったのだろう。
(恐らくペトラはそんなラウダをそばで見ているうちに助けたくなり、それが恋に発展したのだと思うがこれも描写がないので想像でしかない)
寮を追い出されて野外でキャンプをする、家出をして偽名でアルバイト生活をする、事故で父親を死なせてしまう、地球でテロリストに監禁される、と
視覚的にわかりやすくバズりやすい描写があったグエルの方が同情を集めたのも無理もないのかもしれない。
制作側としては「シャディクやラウダの過去を詳しく描くと生々しいのでカットしてしまおう、
描かなくても視聴者が何となく想像で補ってくれるだろう」という考えだったのかもしれないが、
果たして若い世代が本当にそれを想像できるのかどうか、もっと熟慮してほしかったところだ。
大人であれば「御曹司で純血スペーシアンで正妻の子であるグエルが視聴者に持ち上げられ、
そうではないシャディクやラウダがグエルと比較されて叩かれる」という状況の倫理的なまずさに気が付いても、
若者であればそれが分からず無邪気にグエルを持ち上げシャディクやラウダを叩くこともあり得る。
(というか、実際ネット上でもこのツリーの中でもそれが起こってしまっている)
グエルのような(中略)キャラクターに自己投影して持ち上げて、それに比べて貧困アーシアンを鉄砲玉として使い捨てして学生大勢殺したテロリストシャディクや
例えば15話なんて、グエルはもう他に充分良いシーンをもらっているのだから
それこそシャディクやラウダ、スレッタのフォローに時間を使った方が良かったんではないか?
最終的に、こう言われても仕方がない脚本になってしまったと思う。
シャディクやラウダへのヘイトも酷かったが、グエルは人気キャラクターであるのと同時に
「主人公であるはずのスレッタを食っている」とアンチも多く、グエル役の声優がSNSで攻撃される事態にまでなっている。
人気キャラだからと言って持ち上げすぎても作品のバランスを損なってしまうのだ。
本題からはズレるが、特定のキャラクターを活躍させすぎるとプラモやキャラ商品の販売にも支障が出る。
できるだけ多くのキャラクターを魅力的に描いた方がそれだけ多くの種類のプラモやキャラ商品が売れることに繋がるはずだが、
シャディクやラウダは本編内の描写だけを見るとさながら「お星様(グエル)の引き立て役B」になってしまっており、
(グエルと比較されることこそあまりないが)やはり悲惨な境遇であるエラン4号や5号も目立った活躍や掘り下げが少なかった。
その割にスレッタ・ミオリネ・グエル以外のキャラもそれなりの人気を獲得しているのは、ファンが想像でキャラの過去や長所を補っているからだろう。
だからと言って制作側は視聴者の想像に頼りすぎず、必要な描写はアニメ本編内でしっかり描くべきだったと思う。
・子供が大人から受けた酷い仕打ちを許し、大人の分まで罪を被ってくれるという大人に都合のいい形で終わったアニメだった
・「信賞必罰」「勧善懲悪」があやふやであり、血統による差別を推進する、道徳的に子供や若者にふさわしくないアニメだった
と言わざるを得ない。
制作側に良心があるなら、今からでも作中の大人の罪やモラハラ行為をきっぱりと否定し、
作中で不遇だったキャラクター(特にシャディクとラウダ)について何かしら擁護できるような情報を出してほしい。
そして次回こそは上記のようなことに気を配った、一本筋の通ったアニメを制作してほしいものである。
(ハマス)
・イスラエルを攻撃しイスラエルから攻撃されることが存在意義(ファタハとの違い)でそれをアピールしないと他のアラブ人から資金が集まらない
・よって反撃を受けやすいようにイスラエルを攻撃する際も軍民問わずに攻撃する。
(イスラエル)
・ハマスの軍事拠点が民間施設内部にある以上まとめて攻撃せざるを得ない(これ自体は戦時国際法上合法)
・それを口実にしておけば無差別に攻撃しても言い訳が立ちやすい(テロリストと誤認しての民間人攻撃はギリギリグレーだけど無差別は完全違法で)
うん両者の想いがかみあっててWin-Winだね
相思相愛とも言える
そもそも民間人に犠牲が出る(戦闘に巻き込まれるだけじゃなくテロリストと民間人の厳格な判断なんてできない)から戦時国際法上もテロリストは保護されないんだけど、その理屈を双方が活用しているとも言える