はてなキーワード: 深夜バスとは
22時以降に23区内を起って、どこかひとりで泊まりにいける場所はないだろうか。
できれば東京の近郊で、海の近くとか、山の近くだと尚いい。温泉とかもいいな。
夜発のフェリーに乗って大島、とかは考えたのだけどちょっと出発時刻の22時に間に合う自信がない。
そして関東出身でないので土地勘がなくあまり候補地が思いつかず。
どこかないですかね?
……………………
以下どうでもよく恥ずかしすぎる事情なので見たい人だけ見て
最終的には自分で判断したことなので辞めるという出来事に対しては納得しているけど、
やっぱりしたくて就いた仕事だったので、
正直後悔や自分がだめだったことへの気持ち的な苦しさがものすごくあって。
このままでは送別会(たぶんここでは大して飲まない)の後、
気持ちを抱えきれずに街に飲みに行ってまあめちゃくちゃになってしまうだろうなという予感があります。
めちゃくちゃというのを詳しく言うと、たぶんもう自己肯定感が下がってるんだろうな、
飲み屋でたまたま隣り合った人とかと泥酔して記憶もなくしてヤッてしまう。
でも一番ダメな日にそんなことをしたら、本当に今度は立ち直れない気がする。
なんとかして送別会のあと、旅の高揚感で下がった気分を上方補正して、
酒癖に関しては結局人恋しさを埋めるために飲みに行ってしまっているので、
本当のひとり酒では大して飲まないんです。だからどこかに自分を隔離したい。
そしてここまで読んでくれてありがとう
……………………
たくさんの反応をいただいて&みんな優しくてびっくりしています。
(全然反応がないか、それか「そのまま死んで帰ってくんなビッチ」とか言われると思ってた)
そしていっぱい指摘頂戴してはずかしい限りですが「発って」ですよね…
「起って」どうする。元気かよ。
いや、聞いてみるもんですね…
思いつかなかったような路線がいっぱいあって超おもしろいです。
1時近くに河口湖まで行ける深夜バスの存在とか初めて知りました。
気になったホテルのチェックイン時間が22時までだったりして、
今回は難しそうですが、富士山が見える大浴場とかいつか絶対行きたいなあ…
寝台特急で四国まで行けることや、深夜便でパリや香港を目指せることも、ほかにもほかにも、
また今度のために覚えておきます。
※※※※そして手練の方のハイパーなトラバに今気づいたので、ここにさらに追記で驚きと感謝をお送り致します。
すっごい!!永久保存版だ!!!そうそうチェックイン時間が結構ネックなんですよね。
挙げていただいたうちの昇仙峡とほったらかし温泉は昔に行ったことがあってサイコーでした※※※※
今後しばらく求職中の身ゆえ、
ハイクラスホテルの大きな贅沢は勇気がなく決済ボタンが押せなかったので、
でっかいお風呂のあるホテルの、ちょっとだけ広いベッドの部屋を予約して、朝ごはんをつけてみました。
友人にはまだほとんど退職のことも話せていなくて、まだ楽しい会にできる自信がないんですよね
実家は味方になってくれると思うけど、年始にめいっぱい心配されてしまってちょっとしばらく会いたくないというか…
結局どこに行っても自分の問題は解決したりしないってわかってるんですけど、
ちょっとだけいなくなりたい、気分を変えたい、みたいなたわごとに
皆さん付き合っていただいてありがとうございました。
同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。
県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大進学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。
自分はというと文化系と運動系の狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器と寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。
親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器の練習をしない方が厳しく怒られたし、数学で10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しか許さない」と宣言されており、真に受けた私は私立のすべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学のテストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく。
これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校の担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。
正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテストは免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対うかると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学と英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語で高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベや推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史は文化史だけ異様にできた。
身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルがキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?
専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース(翻訳・通訳など)」と「海外の大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。
なんで大学編入が英語学科に属するかというと、ほとんどの大学の編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)
授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師も日本人講師もいたが、とにかく英語。リーディング・リスニング・ライティング・スピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEICや学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除、しかも学費も一部免除の特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初のTOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラスに所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。
残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなものを選択できる)の他、第二外国語、小論文対策、PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択で教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。
大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマなくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコースの人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。
【学生】
上記の通り様々なコースの人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単なテストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。
同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止めの私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後の最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。
コースの人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。
あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線で帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身で学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。
【学費】
高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除は簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準に学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)
本来国公立にしか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対に学費を無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人の努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境にお金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。
1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。
3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)
編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつは8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。
面接の練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月に試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験は受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶があいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学を卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入にチャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立や偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICでマックススコア出した人もいる。
あとTOEICのスコアで試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。
英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってからも英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。
小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人の文章センスや知識量がモノをいう感じだった。国語と世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。
編入試験の過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校で過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。
面接指導は就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生の研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。
【試験】
どの大学も小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格を覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。
第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかもバスからまた電車で移動するが乗換をミスり試験に遅刻。席に着くために荷物を通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろ楽しかった。1週間後には結果が開示され、無事合格。
そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり、面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドのライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブはギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。
進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。
上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位を大学の単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律や経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)
1年大学ライフを満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークル!バイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語の資格(TOEICスコア700前後と英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日の面接対策と小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身の編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。
大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。
色々書いたけどあくまで文系の話です。理系の編入はもっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。
東大や京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っからの文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。
あと社会人なってから編入で大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。
私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費の関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集や勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。
いよいよセンターが近づいてきて、不安な受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。
来週から中2の息子と私の2人で父子のふたり旅に行くことになった。
去年の夏の終わり頃に私が思いつき、ついに実現の日が近づいてきた。
そこからは青春18きっぷを使い、のんびりと移動しながらこちらへ戻ってくる計画。
移動時間がどうしても多くなってしまうので、なにか新しい3DSのゲームを買っていくことを息子と相談し、昨年リリースされたがまだ手付かずになっているドラクエXIをやることになった。息子がドラクエをやっている時間は息子のオススメゲームを借りてやってみることにしよう。
秋田では10年以上ぶりに会う知人と昼食をし(息子とは初対面なので会わせるのも楽しみだ)、岩手ではわんこそば(蕎麦が大好きな息子のリクエスト)と中尊寺(寺社仏閣好きの息子にこれは見せねばなるまい)、東京ではVRゾーンでゾーマを退治すること(私は戦士をやりたいが息子に譲ることになりそうだ)、あとは宿泊地くらいしか決まっていない。
息子は「一度カプセルホテルに泊まってみたい」と言っていたので東京ではカプセルホテルを予約した。
帰ってくる頃にはクタクタになってそうだけど、息子は来年は受験で忙しいだろうし、今年の夏を全力で楽しむことにした。
息子が大人になって夏休みの思い出を思い出すとき、その1つにしてもらえるような旅行にしたいと思う。
中2の息子とどんすればそんな関係になれるんだってコメントをいただいたので、自分なりに今までの子育てを振り返ってみました。どんな子供に対してもそれが有効だとは思わないし、子どもによっては逆効果になることもあると思いますが、私は以下のようなことを心がけながら子育てをしてきました。
私は毎晩眠る前に息子も娘もハグする時間を確保するようにしてます。その時に「今日も◯◯(子どもの名前)に会えてよかったわぁ。嬉しいなぁ。また明日も元気に会おうな」と言ってから「おやすみ」を言うようにしてます。毎日会えるなんて最高に幸せなことじゃないですか。これをちゃんと伝えないともったいない。「うちに生まれてきてくれてありがとう。隣の家に生まれてこなくてよかった!」って言ってよく笑いあってます。
仕事から帰って子どもがまだ起きていたらその日のうちに、眠っていたら翌朝などにはよく聞くようにしてます。「最近学校どう?」「何か困ってることない?」「何か困ったことあったらすぐに言ってや。何があってもお父さんとお母さんはお前の味方やからな」と言うのを何回も伝えるようにしてます。
悲しいことや悔しいことがあったら一緒に悲しんだり悔しがったりするようにしてます。でもそのな中から本人が気づいていない前向きになれるポイントや、違う視点で考えれば見えてくる別の考えなども、気持ちが落ち着きつつある時に伝えて心の重りを少しでも軽くできるようにしています。
「マラソン大会で学年10位以内に入る!」と目標を立てて練習に取り組んでいた子どもが惜しくもその目標に届かない結果だった時も、まずは子どもに寄り添って悔しいね、とは言いますが私としては最後まで元気に走りきれたことだけでも万々歳なので、「でも途中でリタイアもせずに最後まで走り切れたのが最高に嬉しいよ。目標に向かって頑張ってたのはちゃんとわかってるから無駄じゃない。何の努力もせずに1位を取っちゃうより、10位に入れなかったとしてもそこに向かって努力したことの方がお父さんは嬉しいって思うよ」って本人がわかる言葉、ペースで伝えるようにしてます。また、漢検など学年のレベルからしたら取れてしかるべき級のものであっても取れたら全力で喜びます。ハイタッチしてハグして「よくやったなー!すごいやん!」って言って写真を撮っておじいちゃんおばあちゃんたちに即送信。みんなからおめでとうを言ってもらえるようにしてます。賞状を飾って何回も嬉しいなぁ、嬉しいなぁって言ってます。子どもはそんな私の姿を見て誇らしい顔をしてくれます。
「パパー、コーラ飲むー?」と息子はよくコーラのペットボトルを冷蔵庫から取り出し、グラスを片手に来てくれます(私は下戸でコーラが大好きです)。そう言われても喉が乾いていなくて、いらないときでも「いや、今はいいわ。でもありがとう」と、何かにつけて「ありがとう」と言ってます。子どもたちもそれに慣れて「ありがとう」と言うことに照れなどの感情はなく、小さなことでもお互いに「ありがとう」を言い合える関係になりました。私の父のお見舞いに行ったときにも「おじいちゃんの回復の一番の薬は君たちの笑顔だよ、一緒にお見舞いに行ってくれてありがとう」、一緒に近くの公園に出かけた時も「一緒に公園行ってくれてありがとう。たのしかった〜」って事あるごとに「ありがとう」を伝えています。
騒ぐのが好ましくない場所にどうしても子どもも連れていかなければならない場合もあります。そのような時は家を出る前など、落ち着いた時間に前もって伝えるようにしてます。「今日は電車に乗るからね。お仕事に行く人もたくさん乗ってるから大きな声で話したり走り回ったりしたらあかんよ。」とか、「今日はお父さんがお世話になってる人に一緒に会うからね。会ったらちゃんと挨拶せなあかんよ?」というように言うようにしてます。電車に乗ってテンション上がってからだと伝わらなかったりするので、家を出る前、そろそろ電車に乗る前などに段階的に伝えてます。もしちゃんと約束を守れたら全力で褒めます。「電車の中でちゃんと大人しく乗れたやん!やるやん!めっちゃ助かった、ありがとう!」って言うようにしてます。
他にもあるような気もしますが、上記のような感じです。私はもともと子どもと遊ぶのが好きなタイプの人間なので、割と子どもと普通に遊ぶ中で、人生において好ましいこと、好ましくないことを少しずつ伝えることができたように思います。
子どもと遊ぶのが好きかそうでないか、など子どもに対する考え方は人それぞれですから参考にならないことも多いかもしれませんが、うちの場合は上記のような感じで子育てをしてます。
公費で男性のみ・女性のみの団体を作ってはいけないということになると、全国にある国公立の男子校や女子校も憲法違反になってしまうがな。
既に住んでいる住居から追い出すとかは確かに差別だけど、それも都市計画とかで立ち退きを依頼されることもあるし「女性だけの町」を作ること自体は全く違法性がないよ。
まして民間団体が自治体の一部を買い取ってそこを特定の人しか移り住めなくするというふうにすることを制限するのはむしろ国による営利活動の妨害になるから財産権とかの観点から認められる方が適当。
ただまあ、最近は女性のみマンションとか深夜バスの女性専用車両はむしろ犯罪をする男性にとって狙いやすい場所として認知されやすいということがわかってどんどん撤廃方向にあるから、「女だけの町を作れば犯罪がなくなって幸せ」という発想はいささか世間知らずではないかと思ってるけどね。
(追記)ウザがらされない→ウザがらせられない ですね。日本語が不自由になってました。恥ずかしい。
後、importuner と Un porc, tu nais がどちらもアンポルチュネで発音同じことに言われて気づきました。これも恥ずかしい。
そして、さらに恥ずかしいことに、最後の段落抜けてました。大急ぎで追加しました。
_______________
ちょっとフランス語を翻訳してみたくなったので、最近の増田の流れで、一つ記事を訳してみました。
Leïla Slimani (レイラ・スリマニ)というモロッコ出身のフランス人女性作家の Liberation のサイトに昨日掲載された«Un porc, tu nais ?» (「あなたは、豚として生まれたの?」)という記事です。
なんで、これを訳したかというと、先の「ウザがらせる自由」が、何やらフランスを代表するもの、英米系からのmetooブームに対する、大陸系からの批判みたいな取られ方をしている向きがあったからです。全然そんなことありません。twitter を見る限り、あの記事叩かれまくっています。
現在も、テレビの討論番組で、Brigitte Lahaie という元ポルノ女優(あの記事の署名者の一人です)が「レイプの最中だって、楽しめるわ」と発言した件で、絶賛大炎上中です。(この発言が、あの記事の後半部につながっているのは明らかでしょう)。
フランスでは #metoo に加えて #balancetonporc というタグは使用されていて、意味は「あなたの豚野郎を叩き出せ!」です。ものすごく攻撃的ですね。Le Monde 誌の記事はそんな流れの中でのカウンターとして出されたもので、まぁ、要するに両者ヒートアップしてるってことです。
「あなたは、豚として生まれたの?」は明確に「ウザがらせる自由」に対する反論として書かれています。いくつかの言い回しが、あの記事から来ているので、増田での訳語にその辺はあわせました。この記事の文脈では「ウザがらせる」は生ぬるい気もしますが。
--------
(追記)ブコメで指摘がありましたが、あちらの翻訳は「ウザがられる自由」でしたね。完全に見間違いをしていました。
でも、これはしょうがないところがあって、原語 importuner は他動詞の能動形以外のなにものでもないので、まさか受動形で訳しているなんて思わなかったのです。
「ウザがらせる」が正しいです。
「不器用・勘違いから来る過失のニュアンス」は日本語訳から生まれたものであって、原文にはそうした解釈の余地はありません。
--------
小説家による平明に書かれた文章なので、致命的な誤訳はないと思いますが、気づいた点があれば、じゃんじゃん指摘しちゃって下さい。
_______________________________________
通りを歩く。夕方、地下鉄に乗る。ミニスカート、胸の広く開いたシャツとハイヒールをはく。ステージの真ん中で一人で踊る。派手めの化粧をする。ほろ酔いでタクシーに乗る。半裸で草むらで伸びをする。ヒッチハイクする。深夜バスに乗る。一人旅をする。テラスで一人グラスを飲む。ひと気のない道を走る。ベンチで待つ。男を誘い、意見を交わし、歩き続ける。イル=ド=フランスの人込みに紛れる。夜勤する。公共の場で子どもに乳をあげる。賃上げを要求する。
こうした、日常的で平凡な生活において、私はウザがらせられない権利を、そんなことにかかずらわされない権利を要求します。 私は、私の態度、私の服装、私の歩き方、私のお尻の形、私の胸の大きさについて、とやかく言われない自由を要求します。私は、私の平穏と孤独の権利を、恐れることなく前に進んでいく権利を要求します。私はただ、内的な自由だけを求めているのではありません。私は、外での、広々とした場所での、私もまたその片隅を占めている世界においての自由を求めているのです。
私はちっぽけな壊れやすい品物ではありません。私は守られることを求めているのではなくて、安全と尊重についての私の権利を認めるよう求めているのです。そして男性たちは、皆が皆、豚であるわけではありません。そんなことは全くありません。この数週間、どれほどの男性たちが、彼らの能力でもって、今起こっていることを理解し、私を魅了し、驚かせ、大喜びさせたことでしょう。どれほどの男性たちが、もう加担することをやめ、世界を変え、これらの行為から、彼ら自身をもまた解放しようとする意志を示してくれることで、私を驚嘆させたことでしょう。
というのも、例のいわゆるウザがらせる自由は、その奥底に、男性性についての極めて決定論的な見方を隠しているからです。すなわち、「あなたは豚として生まれたのだ」と。
私の周りの男性たちは、私を侮辱するものたちに対して、怒り、抗議してくれます。朝8時に、私のコートに射精した誰かに。私の出世に何が必要か理解させようとした上司に。研修の対価にフェラチオを求めた教師に。「キスしないか?」と尋ね、「淫売」扱いして去った通行人に。
私の知っている男性たちは、この男らしさについての反動的な見方に、うんざりしています。私の息子は、そう私は希望するのですが、きっと一人の自由な男になるでしょう。その自由とは、ウザがらせる自由ではありません。制御できない衝動にとりつかれた捕食者としてではなく自分を定義する自由です。私たちを魅了した男たちが持っているようなたくさんの素晴らしい仕方で、魅了することのできる一人の男に、息子はなるでしょう。
私は一人の犠牲者ではありません。しかし何百万もの女性たちはそうです。これは事実なのであって、道徳的判断やそうした女性たちを(犠牲者として)本質化するものではありません。
そして、世界中の何千もの街の通りを、うつむいて歩いている全ての被害者たち、付け回され、ストーカーされ、レイプされ、侮辱され、公共の場で場違いなものとして扱われている彼女たち、その恐怖が、私の中で瞬きます。うずくまり、恥じている彼女たちの、辱められたという理由で通りに投げ出され除け者になった彼女たち、彼女たちの体がウザがらせる行為を招くからという理由で、黒く長いベールに隠させられている女性たちの叫びが、私の中で響いています。
カイロ、ニューデリー、リマ、モースル、キンシャサ、カサブランカの通りで、歩いている女性たちは、失踪、誘拐そして(下心ありの)慇懃さを心配しているのではないでしょうか?彼女たちに、誘惑し、選び、ウザがらせる権利などあるでしょうか。
私は、いつか、娘が夜中に通りを、ミニスカートと胸の開いたシャツを着て歩き、一人で世界旅行をし、真夜中に何も恐れることなく、そんなことを考えることもなく、地下鉄に乗れることを望みます。その時、彼女が生きるその世界は、清教徒の世界ではないでしょう。私は確信しています、それはより正しい世界、そこでは愛と歓びに満ち、魅了し合う場だけが、より美しくより豊かである世界になるだろうと。それはまだ想像すらできないものだけれど。
http://www.liberation.fr/france/2018/01/12/un-porc-tu-nais_1621913
この前深夜バスで旅行をしてきたんだけど、どの場所でも夜になるとカップルがいろんなところに現れる。
そんな中考えたんだけど、俺の顔が作画崩壊しているとか重度のコミュ障かつ被害妄想家であるとということは置いといても、二十数年生きてきて、彼女が一度もいない状況っていうのはやっぱりどっかおかしいんだろう。
そもそも日常生きている中で、彼女が欲しいと思うケースが少ない。夜に一人散歩している時に少し哀しくなるとき以外。
ならば別に彼女ではなくても良いんだろう。これから別の人との家庭や未来を作ることができる他人を俺のごときに巻き込むのは迷惑だ。
こう考えていたんだけどやっぱり俺は変なのかな。ほかの人達はそんなことかんがえないだろうか。