はてなキーワード: プラスチックスとは
ガイナックス、つまり庵野秀明とかのオタクが宇宙戦艦ヤマト世代だったはず
コミケで女性が森雪とかうる星やつらのラムのコスプレをするようになったのもあの世代の気がする
自分の中でもオタクというのはDAICONフィルムのようなイメージがあった
つまり、エンタープライズ号とか、宇宙の戦士とか、カニみたいな金星人とか、ゴジラやガメラ、ウルトラマン、ダースベイダー、ストームトルーパーとかだった
自分は小学校時代は周囲がジャンプを読む中、ホビージャパンや朝日ソノラマの宇宙船、ファンゴリアを読むのが楽しみだった
そういえば、マイ・ケミカル・ロマンスの「I'm not Okay」のPVはそんな出だしだった気がする
https://www.youtube.com/watch?v=dhZTNgAs4Fc
あー、トラウマが蘇るなあw
あれをチャンスだと宅八郎が考えたのは間違いないと思う
後に暴露されているように、宮崎勤の部屋にあったポルノ雑誌は記者が部屋の奥から探し出して見える位置に置いたものだった
スナッフネタもあるギニーピッグは宮崎勤以外にも多くの人がレンタルビデオで借りるなどして観ていたはずであるが、宮崎勤事件以降同様のケースを聞かない
また、ギニーピッグには多くの比較的知名度のある芸能人や俳優が出演していた
今で言うなら、怪談新耳袋や本当にあった怖い話、世にも奇妙な物語、トリハダなどの類である
そもそも、宮崎勤はそんなにホラーやスプラッターが好きだったわけでもないようだ
テレビでは宮崎勤の部屋にあったウルトラマンの切断技のシーンだけを集めたビデオを取り上げ、ウルトラマンの切断技が猟奇趣味に繋がったと煽り立てた
当時はインターネットなど存在するはずもなく、映像マニアは郵送でVHSのビデオを交換し、ダビングし合っていた
宮崎勤はポルノやウルトラマン、猟奇趣味というより、映像の収集に執着していたようである
つまり、部屋中に敷き詰められたビデオはほとんど観ていなかったとさえ考えられる
全巻そろえることが目的であって、読むことが目的ではないようなものである
ドラマなどの全話収集を目的に執拗にダビングを要求してくるくせに、宮崎からはネタを提供しなかったからである
また、宮崎はコミケに参加していたが、それは当時はワープロもなかったため代行で文字を清書する担当があったからである
ここまで書いてみても、自分の中のオタク像と宮崎勤はあまり被らない
何をオタクと定義するかによるが、鉄道オタクとか広く考えるなら彼は映像収集オタクではあったのだろう
小林よしのりが公開討論を断っているように、宅八郎は売名行為にいつも必死だった気がする
彼はブラウン管の向こうの視聴者が観たいキモいオタクを演じることを考えた
それがマジックハンドや紙袋を持ち、森高千里のフィギュアを持ち歩いては舐め回すオタク像だった
学校では漫画やアニメが趣味というだけでDQNに後ろから蹴られるようなことが起こった
今になって自分以外にも被害者が全国に大勢いるということは、それだけメディアの影響は大きかったのだろう
宇宙戦艦ヤマトやうる星やつらがそういったブームをもたらした一因であることは否定できない
ヤマトやうる星がなければガンダムもイデオンもマクロスもない、エヴァだって今はなかっただろう
ヤマトや高橋留美子作品だって、元々は手塚治虫だったり、その元々は田河水泡ののらくろだったりする
しかし、Aは駄目、とルールを決めるとき、A#やAbはどうなのか?A'はどうなのか?
それから、Aが駄目ならBやCも駄目になるし、Cが駄目ならDもEも駄目になるんだけどいいの?ということはよくあるわけだ
その線引きや人権との兼ね合いはこれからも人類が滅びるまで永遠に議論されるべきテーマなのだろう
逆に言うなら、今すぐ答えが出るようなものでもないし、拙速に求めていいものでもない
これからもエンターテイメント作品等とそれに対する規制は永遠に議論されるべきであり、文系的には文化の研究にもなる話と思われる
マクロスのプロトカルチャーだのデカルチャーだのではないが、思想や宗教が異なる者同士の交流は異文化交流と言えるだろう
個人的に思うに、宅八郎はそういった文化の衝突を売名行為に利用し、議論の余地をぶち壊すことを扇動した人物だった
オタク評論家と称している割に、教条主義が嫌いと誤魔化して、エンターテイメント作品に対する知識も浅く、オタクにしては薄っぺらい印象があった
というか、当の本人も売名のためにオタク評論家を名乗っているだけで、オタク文化自体にはあまり興味がなかったように思える
それより、YMOは単なるインテリであり、ヒカシューやプラスチックスをテクノ歌謡と持ち上げるとかの方にご執心だったようだ
YMOのメンバーの学歴から考えればそう感じてもおかしくない気もする
しかし、宅八郎はそういったコンプレックスよりも、とにかく天邪鬼なことを言って目立ちたい、売名したいが優先している嫌いがある
公開処刑だのストーカーだのオウム擁護だのも、とにかく逆張りで目立ちたい、他人のひんしゅくを買って目立ちたい気が満々だったようにしか思えない
中学生の頃、厚生委員会の委員長を務めた。ペットボトルキャップやプルトップ、ベルマークを集めることが主な委員会の仕事だった。環境問題について考え、社会にどのように貢献できるのか。そのような目的を掲げた委員会だった気がする。
実際はそんな高尚な目的など上っ面なだけで実態は意味があるのか正直疑わしいものだった、と現在の自分は振り返りながら思う。
ペットボトルキャップを集めれば環境保護になるし集めた数だけ発展途上国のワクチン活動に貢献できる。エコキャップ活動だ。これが掲げられ、委員長が毎年変わる中学校では活動が慣習的に引き継がれてきた。何も考えず慣習的に実行していた。私たちは本来必要な目的を見失い、地域のゴミ箱を漁りまわったりクラスの雰囲気という圧で半ば半強制的に集め、どのクラスが一番多く集めることができるか競い合った。例年はどうなのか興味もないし覚えてもいないが、個人的には学校内を盛り上げることができた。これは私の成果ではなく、自分の担任の先生が学校を盛り上げるのが上手かったのと、委員会の担当の先生の委員に対する圧力と指導方針がよかったのである。中学校は先生の立場がとても強かった。自主自律を掲げる高校に進学し、とある委員長になった私は大失敗した。高校では生徒が主体的に活動しなければならなかった。私には荷が重すぎた。中学校の頃の私は先生の傀儡であり、私には物事を動かしていく行動力と目的意識が欠けているのだと思い知らされた。
ゴミ箱から集めたペットボトルキャップは汚いので、学校に持ち帰ってシールなども剥がしてキレイにする必要がある。水もたくさん必要だし、乾かす時間も労働力も必要だった。クラス全員とまではいかないものの、何人かで協力したので、文化祭の準備みたいな青春の甘酸っぱい思い出にはなっている。手は色々な清涼飲料が混じった甘酸っぱいベトベトで覆われていた。いい思い出の反面、今思うと完全に無駄ばかりだった。大量に水を使うことは直接的に環境に悪だし、乾かしたりする時間や労働力という面でも部活をしたい人からすれば無駄に極まりない。数さえ集まればよくて、自分のクラスが目立てるのであれば、という意識が盲目にさせた。
そもそも学校でペットボトルキャップを集めるというのも結構意味がないことらしい。家庭で発生したペットボトルキャップを回収して学校へ持ってきたり、ゴミ箱などからキャップを回収する。汚いキャップやシールのついているものはキレイにしたりシールを剥がす。回収した分はまとめて、配送業者を呼んで回収業者へ送る。配送業者を呼ぶにもお金がかかる。そのお金を寄付した方が良いだろう。私の代は、先生の車でキャップ回収を行っているスーパーに送ったっけ?だと配送業者は使っていない気がする。もう覚えていない。ゴミ業者はペットボトルとキャップを密度の差によって分別するし、元から回収されるペットボトルをゴミ箱から回収しするのは本末転倒である。
本来の「環境問題に意識を向ける」という目的に基づくならば、家庭内のゴミの分別の具体的内容を伝えるとか、生徒の意識調査をして向上に繋げるとか、根本的かつ最終的に効率のよいやり方があったはずだ。でも目に見えやすい”実績”には表現しにくいから小中学校では通用しにくいのかもなぁ。色々と調べて、エコキャップの意味を伝える紙面を作ったことがあった気がするけど、そのときに現状の活動は無駄ばかりであることに気づくべきだった。
詳しくは知らないけど、最近はゴミ袋有料化とかプラスチックストロー廃止とか、色々と環境に対する活動があるようだ。それらに根本的に効果がある方法なのかは知らないけど、目先の”実績”にばかりに盲目的にならず、長期的な目をもって自分の活動に意識を向けていきたい。
嵩張るけどお出かけのときは水筒を持参し、出先でペットボトルを買わないようにしている。実際はペットボトルを買うお金を節約したいだけなんだけどね。
いやしょうもないダジャレはともかくとして、最近やたら多いじゃない?
プラスチックゴミで海が汚れていかんぞってことで、紙だの木だの竹だののストローがまあ次々とさあ
こないだテレビで見たのは、カンナ屑みたいな木に接着剤つけて、それをわざわざ人の手で丸めて、さらに何日も乾燥させてできあがりなんだとさ
たかが一回使うだけのストローに手間かけすぎだろ、内職じゃねえんだぞ
いやそりゃさ、プラスチックゴミが減ること自体はとてもいいことだと思うよ
ストローばっかりじゃなくてレジ袋も最近いろいろ言われてるし、なんかカップラーメンの箱も植物性の何かに変わるらしいし、世の中ちょっとずつエコに向かって動き出してる
だいたい普段ストローなんかそんな使わないし、こじゃれた店行くような文化圏の人間でもねえから、あんなもの明日なくなろうが別に構やしない
ただ思うわけよ
「真っ先になくすべきもの」として槍玉に挙げられて、意識の高さをアピールするためにとりあえずといった感じで今日も迫害されてるプラスチックストローを見ると、なんか正直つれえんだわ
他人事と思えなくて
それをストロー代わりにしようと思っても全然吸えないことに気が付きました。
脚光を浴びる予定でしたが無理そうです。
それが駄目ならチップスターで
スプーンのようにしてすくって飲めばいいじゃないって
それは無理だわ。
ちなみにとんがりコーンでやってみようと思ったら
よくよく考えてみたら三角であれ穴が空いてないのね。
魔女の指か!って感じだし
じゃがりこなら頑張って吸ったらストローにできるから試してみて!
でもさ
ゴミとして落ちているのあまり道ばたで逆に見かけたことないんだけど、
あれはあれで
どこでそうストローが悪くなってるのかしらと思うし
いつもいつも
設定してもしょっちゅう0%になるのなんでよって。
いわば私と電卓との戦いよ。
手のひらを太陽に透かして見たらみんなみんな生きているんだ理論で導き出されているように
だとしたら、
もう電卓はすでに死んでいるのかも知れないわ。
うふふ。
クオカードを6000円分ぐらいいただいて、
もうその6000円分を全部餃子の王将で使おうとしようものなら、
店ごと買えるんじゃね?って思うほどものすごく注文できて食べれちゃうけど、
そもそもとして、
それじゃお店は買えないし
クオカードも使えないし
ちなみにお冷のグラスにアサヒビールの「アサヒ」ってスポンサードされて書いてあると思ったら
急須って案外思ったより使わないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
音楽のはなし。
30代の自分からすると、70年代後半から80年代前半くらいのニューウェーブというジャンルの人気や影響がどんなものだったのか全くわからない。
プラスチックス、P-MODEL、ヒカシュー、一風堂、有頂天あたりの曲を聴くと、電子楽器とバンドを組み合わせた新しい音楽を模索するぜ!みたいな流れを感じる。
ニューウェーブ系のバンドはたくさんあったようだし、斬新だから当時のヒットチャートを賑わせたバンドがいくつかあってもおかしくないんだが、そんな話を全然聞かないのはなぜだろう。
YMOだけしか聴かなかったのか、それとも大ヒット曲がないから話題にするほどでもないってことなのか。
うーん、不思議だ……。
いろいろアドバイスいただいてありがとうございました増田さん。
その後の話を。
ケーキ屋なんてどこも開いてるわけもなく、
仕方がないのでコンビニで彼女の好物・ハーゲンダッツを5つほど買って帰りました。
帰宅すると、流しのところにビールの空き缶が2本。
この増田さんの言う通り、やっぱり悲しませていたんだな、とあらためて反省。
初めて見たよ本物。
ってゆーか、これは「このインポ野郎!」というメッセージなのか?と
ドキドキしつつお手紙作成へ。
まず「ゴメンなさい」。
そして「言い訳だけど」と前置きして、「寝てしまうのはきっと安心してしまうからだと思う」とかつらつらと書き連ねて
そしていよいよ寝床へ。
彼女を起こさないように入ったつもりだったんだけど、起きてしまった。
「おかえり」と寝ぼけた声。
「今帰ってきたん?」
「いや、終電」
いつも通りの様子だった。
この増田さんの言う通り、もう溜飲は下がってたのかな?
いや、それなら酒なんか飲まないよな。
ドキドキしてあまり眠れなかった。
「あのハーゲンダッツ全部食べていいん!?」
声が<うっひょー>という感じで踊ってました。
増田さんたちのおかげで、どうにかうまく機嫌を直してもらうことができたみたいです。
よかったー。
これまでそんなことはなかったんだけど
もし「キイーッ!」とヒステリックになられたらどうしようかとガクブルものでした。
今度からは元気なときだけ迫るようにします。
それでは。