はてなキーワード: ヒドラとは
牙で刺されると焼けるような痛みに襲われる。
鳴き声を聴くと焼けるような痛みに襲われる。
噛まれると焼けるような痛みに襲われた後、焼けるような痛みに襲われる。
刺されると焼けるような痛みに襲われる。
見ると焼けるような痛みに襲われる。
歯を磨くと焼けるような痛みに襲われる。
刺されると焼けるような痛みに襲われる。
車を停めると焼けるような痛みに襲われる。
休むと焼けるような痛みに襲われる。
入ると焼けるような痛みに襲われる。
斬られると焼けるような痛みに襲われる。
一年中焼けるような痛みに襲われている。
顔を食べると焼けるような痛みに襲われる。
道具を出すと焼けるような痛みに襲われる。
Amazonプライムで観てた。で、
⇒ 一応仲間ちゃあ仲間(国内って意味で)。でも、暴走気味のシールド嫌い、長官(首相)も更迭させたい。
ヒドラ→外敵(北とか中とか)
って構図に見えたんだけど、これってアベを許さない人たちからすると・・・
シールド → 主人公だし自分らだ! ヒドラ → 国を滅ぼしかねない悪の結社 自民党。では、真のシールドはなんだろう?
いくら国内とは言え、そりゃもう、許さないんだし自民党や公明党とかありえないだろ。
・・・では、北とか中とか、中とかになるの?
終始、人の話を聞かない
相手の主義主張を一考して尊重するプロセスも余地も持ち得てないので基本的に自己完結型の非コミュニケーション人間
同じ作られた存在の王蟲はファンだから許すが新人類の卵は嫌いだから焼き殺すダブスタの典型
新人類の卵も、過去の人類が導き出した答えの1つであるにも関わらずその答えを全否定
現人類が唯一生き残る方法かもしれない墓所を個人的な判断で破壊する
例え墓所が騙すつもりだったとしても技術だけを盗めば済む話であって戦争に勝利した時点でそこに交渉の余地は十分あった
墓所を批判しておきながら自分も巨神兵やヒドラを騙して死ぬまで酷使したのに私って酷い子…で済ませる度胸
いくら戦争状態に突入したとしても結末が敵国民の皆殺しという風の谷の蛮族さながらの着地点、子どもをあれだけ大量に焼き殺すヒロインは後にも先にもナウシカだけだろう
とにかくキレたら躊躇なく人を殺す
信者たちからは無条件で肯定される、唯一冷めた目で見れるのは自立してるユパ様だが触らぬ神に祟りなしで矯正する気なし、ユパ様のエロ同人は希少
主義主張が違うはずのブ王やクシャナでさえ認めてしまうほどのカリスマ性で、咎めるべき対立存在がいない、対立すると死ぬので認める話に強制的にされる
結果として描いてる宮崎駿でさえ「こいつ頭おかしいわ」と振り返るほどのキャラになって暴走のまま決着したラスト
独裁者であり破滅主義者でもあるナウシカが許されるのは全てカリスマ性のおかげ
そもそも自然であるべきというこの手の自然主義が陥りやすい「人間のやることは自然に含まないのか」というパラドックスを解消どころか問題視すらしていない
所詮はナウシカのいう自然に任せろという自然の定義はナウシカの中にしかおらず、たまたまナウシカが絶対的なカリスマによってそれが肯定されているに過ぎない
だから私はナウシカよりもののけ姫が好きだしもののけ姫をナウシカ扱いして悦に浸る馬鹿とは絶対に同じ釜の飯を食いたくない
超絶強いSJWが自分色のポリコレ棒片手に敵をぶっ殺しまくった話
ナウシカに心酔してるものほど漫画版ナウシカを庇いたがる当たり、業は深い
長編をやめると言ったのは自分の手で描くのがたいへんになってきたからではないかと。
取材の前日にCGのスタッフと顔を合わせる機会があって、おもしろそうなことをやっているらしいという感触を得た。
自分で描かなくてもCGで思い通りに動かせるのであれば、長年温めてきた企画ができるかもしれない、という発想。
CG自体が不快なのではなくて、生命を得てもがいているようなCGの動きを「気持ち悪い」と表現する態度が不快、という意図だと感じた。(これは自分の主観)
twitter で「ナウシカ相手に「墓所のテクノロジー見てください!」って、粘菌やヒドラをプレゼンしたような感じになってる。」と発言してた人がいたけど、的を得てると思う。
・「これは実験」→「どこを目指してるの?」→「人間と同じように絵を描く機械」の流れは恐らく宮崎や鈴木も期待していた答え
・ところが実際にデモを見て生命に対する侮辱なのではないかと感じてしまい困惑→「人類が自信を無くしている」宣言
(数年前はCGが全然ダメだったのに今は全然使えるのと同じようにAIもいずれは使えるようになることを恐らく宮崎駿は体感している)
短編に「夜の魚」を入れる発想は川上さんのプレゼンより前だった気がする。うろ覚えだけど。番組の構成が時系列通りならば、か。
長編は生命の尊厳を題材にするのではないか、というのが自分の個人的な感触。
イマジネーションの衰えは本人がいちばん感じてるのではないかな
「夜の魚」もあれを入れたことで良くはなったけど、言っちゃ悪いがナウシカのヘビケラの焼き直しにも見えるし
①痛覚について
宮崎駿自身も「痛覚の無い生物」を作中に登場させることはある。
ラピュタのロボットや、ルパンのシグマやラムダもそうかもしれない。
ただし、「痛覚の無い生物」を登場させたからといって、それを「気持ち悪い」と嘲笑する対象であるようには決して描かない。
人間の傲慢さによって生み出された哀しい存在として描かれていると思う。
(本人が本当にそう考えているのかはわからないけど、彼の作品から私が受け取った印象として。)
あのCGは「人間の傲慢さによって生み出された生き物」であり、
頭まで使うくらい必死にもがいている姿に見えた。
あのCGをただ「気持ち悪い」と笑うのは(宮崎駿にとってではなく)一視聴者である私にとって、許しがたい態度だった。
②障害について
個人的には川上さんのプレゼンの方法が下手糞だったとか色々あってまぁ思考的にも宮崎駿よりである。
なんか川上さんのやってることがナウシカのヒドラ作ってた旧人類側みたいじゃねーかwwwww
とか思ったので少なくとも宮崎さんの前では見せるべきではなかったと思う。
でも宮崎さんも別でやってくださいって言ってたようにあれはあれで
将来的に別の道につながる可能性もあるのかもしれないし全否定はしてなかった。
なんかここ数年間川上さんとかに付き合って宮崎さんも結構そういう文化を頭ごなしに否定するべきではないとも思ったのかもしれない。
少なくとも吾郎監督が作った3DCGアニメのプロデューサー担当したのはカワンゴだし、宮崎駿がペンタブとか3DCGを使ってみようかなって思ったのはそういう影響もあったと思う。
それでカワンゴさんもなんか色々思うところはあったのかもしれないけどあのプレゼンはあんまり良くなかったかなとは思う。
でも言って見れば社内ミーティングの一環だったわけですよ。
なんか始まる前はめっちゃわきあいあいとしてたし、「3人だけのところがめっちゃ増えた」とか笑ってたし。
で、その後自体は急転直下して空気最悪になるわけだけど(あれ怖すぎだろw)、あれを全国放送するのはちょっと流石にカワンゴかわいそうや。
いや了承したのかもわからんけどね。
言ってみりゃ社内で社員がプレゼンミスって上司に怒られた話であって別にそんなたいした話じゃない。
別に宮崎さんも怒鳴ってたわけじゃなく静かに淡々と怒ってたし、酷い叱責の仕方ってわけじゃない。
駿の考えを変えた会議ってことでTV放送的には重要なのかもしれないけど正直みててちょっときついわ。
折からトルメキアの王都トラスから戦線の崩壊に業を煮やしたヴ王がシュワに向けて自ら出陣していた。彼もまた墓所を狙っていたのである。敗走した生き残りの兄皇子たちもまた、国境警備を命じられたものの、ヴ王の目を盗んでシュワに向かう。そして偶然ナウシカは兄皇子たちの斥候部隊と遭遇する。嬉々として彼らを撃滅する巨神兵を制止したナウシカは、彼を立派な人になるようにさとし、エフタル語で無垢を意味するオーマと名づける。
名を与えられた巨神兵は急速に知能を発達させ、自らを調停者と称する。ナウシカは巨神兵についての伝承に疑問を抱く。巨神兵とは単なる兵器ではなかったのではないだろうか?
一方難民終結地は一瞬即発の危機状態にあった。クシャナによる、ナウシカを追ってシュワに行く為の船を貸してほしい、との要請が火種になり皇帝と僧会という重石がとれ権力の真空状態にあった土鬼難民の間に、侵略者トルメキア軍への憎悪がクシャナを標的として再燃する。クシャナももはやかつてのような攻撃性は失ったものの、自体を平和的に打開する手を打つでもなく、「所詮血塗られた道か・・・」と呆然とすべての終わりを待っているだけであり、
チャルカもまた圧制者たる僧会への民衆の憎悪をなだめるのに手一杯で後手に回ってしまう。しかしユパがクシャナを殺到する兵の刃から身を持って庇ったその瞬間、マニの僧正の霊が彼の体を借りて再臨し、人々の憎悪は打ち消され、衝突は回避される。「そなたには王道こそふさわしい」と言い残しユパは死に、「友達になろう」と差し出されたチククの手をようやくクシャナはとる。
ナウシカとオーマは兄皇子たちの艦隊に合流するが、ナウシカの身体はオーマの発する「毒の光」によって衰弱しきっていた。テレパシーで伝わったユパとほぼ同時に、彼女の旅にずっと同伴してきたキツネリスのテトも死に、テトを埋葬する為ナウシカはオーマとともに艦隊を離れる。ナウシカを逃がすまいとする兄皇子たちはオーマの「裁定」により艦隊から引き離され、身一つでナウシカに伴わなければならなくなる。
テトを埋葬するために降りたオアシスでナウシカは奇妙な牧人に救われ、彼の庭園の館で治療を受ける。彼女の身体はみるみる回復し、とうに滅びたはずの動植物をヒドラの農夫が世話するこの館で、彼女はくつろぐと同時に記憶をなくしていく。しかし同じように記憶をなくし、かつての権力への妄執から解き放たれて別人のようになった兄皇子たちの奏でる、「火の七日間」以前の古典音楽の調べが呼び覚ました「青き清浄の地」のイメージとともに、彼女は忘却から醒め脱出をはかるが、牧人に制止される。
目覚めた彼女は牧人のテレパシーによる誘惑をもはや受け付けず、牧人に真実を語ることを求める。しかし牧人は、二百年ほど前にこの庭を訪れた「そなたに良く似た少年」のことを語る。彼はやがて人類を救いたいと書き置いて、ヒドラを連れて脱出し、初代神聖皇帝になった。「そなたのしようとしていることはもうなんども人間が繰り返してきたことなんだよ」。
くじけそうになるナウシカのもとにセルムがテレパシーで救援に駆けつける。しかし、牧人もまた一種のヒドラであることを指摘するセルムの前でも、彼(彼女)の奏然たる様は揺らぐことはなく、逆にセルムを問い詰める。「青き清浄の地」に今の人間は適応できずに死んでしまう。そのことを森の人は知っておきながら何故それを希望と偽るのか、と。
しかし、問答をきっかけにナウシカは一気に自体の真相に肉薄する。実は「腐海」の地球環境浄化機能は、自然にできたものではなく人為の所産である。そして腐海の周辺の汚染された環境に対する人間の耐性もまた、人為的な改良の所産である。つまり産業文明末期、「火の七日間」の前後に巨大な地球環境復元プロジェクトが組まれ、そのために「腐海」という人工の生態系が創造され、プロジェクトの期間中、「腐海」が副産物として生成する毒物に耐えて生延びていけるように人間も改造されたのだと。
そしてこの庭は復元された環境の中に開放されるべきものたち、農作物や家畜、文学や芸術を保存したタイムカプセルのようなものなのだと。
「この庭にあるもの以外に次の世に伝える価値のあるものを人間は造れなかったのだ・・・」つぶやく牧人にナウシカは「何故墓所には伝えるに値しない技が遺され死の影を吐き出しているのですか?」と問う。答えない牧人に「沈黙もまた答えです」と言い放ち、牧人ももはや彼女を止めようとせず、「そなたのためにこの庭はいつも開けておこう」と別れを告げる。そしてナウシカは館を脱出し、ガンシップで追ってきた風の谷の従者たち、蟲使いの若者たちと合流する。すでにオーマは、病んだ彼女を置いて一人シュワに出発していた。ナウシカたちはシュワに急行する。
シュワにはすでにヴ王の軍勢が到着し、制圧を完了していたが、墓所の門は閉ざされたままあらゆる攻撃を跳ね返し、逆に激しく反撃してくる。そこに到着したオーマは裁定を申し入れ、墓所に対して門を開くように通告し攻撃を加える。これにさしもの墓所も損壊するが、反撃でオーマは傷つき倒れ、シュワの市街ともどもヴ王の軍も全滅する。辛くも生き残ったヴ王とその忠実な道化の前に、門は其の新しい王を迎えるためついに開かれる。
ヴ王に遅れてナウシカも到着し、ともに墓所最深部、主の前に立つ。主はその表面に旧世界の知を記した古文字を浮かび上がらせた巨大な肉塊である。そこから人々(浄化計画を設計した旧世界の科学者達?)の幻影が立ち現れ、「腐海の尽きる日」「青き清浄の地」の復活を予告し、其の準備として用意された技術の貯蔵庫である墓所を守るように要請する。しかしナウシカはそれを拒絶し、「真実をかたれっ」と迫る。
幻影はかき消え主は新たに道化の口を通し、お前は人類を滅ぼそうとするのか、と責めるが、ナウシカは未来と引き換えに現在を犠牲するプロジェクトをあくまで拒絶、かろうじて生きていたオーマを呼び出し、主を攻撃させて破壊する。断末魔の主の反撃からナウシカを庇ったのはヴ王であった。オーマは母の名を呼びながら絶命し、その死を哀しむナウシカはオーマとともに解体する墓所の中に沈もうとするところをアスベルに救われて脱出する。
救出されたヴ王はクシャナに看取られ、彼女に王位とトルメキア再建の責務を託して死ぬ。クシャナは「わたしは王にはならぬ すでに新しい王を持っている だが帰ろう!! 王道を開くために」と、ユパとヴ王の遺志に従うことを決意する。
ナウシカは青き衣のものとして民衆の歓呼に迎えらる。彼女は自分の知りえた真実については黙して語らず、人々を欺き続けることに決める。ただ秘密をセルム、森の人とのみ分け合って。
後日談としてナウシカはその後土鬼の地にとどまり、チククの成人まで風の谷にもどらなかったこと、また一説には森の人の元に去ったとも伝えられていること、そして後に「トルメキア中興の祖」とたたえられたクシャナは生涯王位につかず代王にとどまり、以後トルメキアは「王を持たぬ国」になったこと、が記されてこの長い物語は終わる。
ところがちょうどそのころ聖都シュワの墓所に戻った皇弟は、神聖皇帝の片割れ、超能力を持たないが故に組み敷かれてきた皇兄ナムリスのクーデターによって殺されてしまう。皇兄は人工生命、不死身の怪物ヒドラの軍勢を従え、「恐怖と歓喜の火のような日々を生きるために」自ら出陣する。
ついに本格化した大海嘯の中、いまや戦線は完全に崩壊し、トルメキア軍も土鬼各国の軍勢も撤退を開始し、大量の土鬼の民衆が難民となって動き始めた。その混乱の中ナウシカを探すユパたちは、脱出の方法を失い、兄皇子捜索隊が来たらその艦を乗っ取ることに一縷の望みを賭けて待ち伏せていたクシャナたちを発見する。
クシャナは部下の生命と引き換えに降伏する。アスベルはペジテの仇を前に激昂するが、ユパの説得により復讐を思いとどまる。救出されたクシャナはユパに、大海嘯の後にこそ、残された土地をめぐって戦火が再燃し、より多くの命が失われるのではないか、と問う。かつて古エフタルがそうであったように。「真の王道を歩むものが出現しなければ人間は滅びる。」と彼女は他人事のように言う。
ナウシカたちは粘菌の追跡と難民の救出に奔走するが、粘菌の勢いはとどまることなく大地を呑み込んでいく。「どんな生命でも喜びや充足を知っているのに、憎しみと恐怖しか知らない」粘菌にナウシカは深い哀しみを覚えるが、その粘菌を追跡して力尽きた「腐海」の蟲達の死骸を苗床して生えてくる「腐海」の植物の芽を見て、新たな結論に到達する。
「助けを求めている南の森」とは、人間の作った粘菌に蹂躙される自然のことではなく、異質な環境に放り込まれて恐怖に怯えていた粘菌自体のことだったのである。蟲達は粘菌を攻撃するためにではなく、それを食うことによって「腐海」の生態系の中に取り込んで安定化するために来たのだ。この結論に絶望したナウシカは、暴走する粘菌の合流地点で蟲の群の本隊、王蟲たちの到達を待ち、そこで、ともに「森になろうとする」。しかし死に際の一匹の王蟲が彼女を飲み込み自らの漿液で保護し、かのじょはそのまま眠りに付く。
ユパとクシャナはクシャナの軍が立てこもるサパタの都城に到着するが、そこはすでに瘴気に覆われ、本隊は脱出した後で、わずかな留守番の兵士達はヒドラに襲われて全滅していた。さらにそこに襲来したヒドラの部隊にクシャナは拉致され、後を追ってヒドラの母艦にとりついたユパは皇兄に会う。
彼はクシャナを妻としてそのトルメキア王位継承権と第三軍を手に入れ、トルメキアに侵攻して土鬼トルメキア二重帝国を作り上げようと野心を抱いていた。生き残りの兵を救う為にクシャナはその提案を受け入れる。
難民達を指導して何とか秩序を取り戻そうとするチャルカは、民衆が大海嘯の到来に絶望し、彼らを救いに飛び回ったナウシカを「青き衣の者」、ただし現世において救いを示すものではなく彼岸へと救済をもたらす者と信じ、腐海に没した故郷で安らかに死にたいと願うのを見て焦燥に襲われる。「おなじ予言が時には生への希望と成り時には彼岸への憧れとなる」。「僧会は人民になにをしてきたのだ虚無をはびこらせただけなのか・・・・」
> 【補足】
> 人造人間が生き残ったが、最後には腐海が世界を浄化するので汚染された大気でしか生きられない人造人間は
原作7巻の中盤あたりで、ナウシカが庭園で沐浴することで身体が変化する。
庭園の主が言うには「ここの空気は甘い」、「人が火を知る前の組成になっている」
つまり、ナウシカは完全に清浄化された地でも生きていける身体になったと
考えられる。
この千年の間に、何人もの(ナウシカと同じような)人間がやってきて、時には
これって、某SFじゃないファンタジーマンガの騎士の血みたいに一般人に拡散していったりしてな。
ついでに、墓所の博士たちは人間をヒドラにできるし、王蟲のクローン化くらいの
テクノロジーは手に入れている。ほろびかけた技術のマネとはいえ、滅亡はまのがれるかもね。
「私たちは血を吐きつつ くり返し くり返し その朝をこえて とぶ鳥だ!!」
そういうこと。
> 【補足】
> 人造人間が生き残ったが、最後には腐海が世界を浄化するので汚染された大気でしか生きられない人造人間は
原作7巻の中盤あたりで、ナウシカが庭園で沐浴することで身体が変化する。
庭園の主が言うには「ここの空気は甘い」、「人が火を知る前の組成になっている」
つまり、ナウシカは完全に清浄化された地でも生きていける身体になったと
考えられる。
この千年の間に、何人もの(ナウシカと同じような)人間がやってきて、時には
これって、某SFじゃないファンタジーマンガの騎士の血みたいに一般人に拡散していったりしてな。
ついでに、墓所の博士たちは人間をヒドラにできるし、王蟲のクローン化くらいの
テクノロジーは手に入れている。ほろびかけた技術のマネとはいえ、滅亡はまのがれるかもね。
「私たちは血を吐きつつ くり返し くり返し その朝をこえて とぶ鳥だ!!」
そういうこと。
> 【補足】
> 人造人間が生き残ったが、最後には腐海が世界を浄化するので汚染された大気でしか生きられない人造人間は
原作7巻の中盤あたりで、ナウシカが庭園で沐浴することで身体が変化する。
庭園の主が言うには「ここの空気は甘い」、「人が火を知る前の組成になっている」
つまり、ナウシカは完全に清浄化された地でも生きていける身体になったと
考えられる。
この千年の間に、何人もの(ナウシカと同じような)人間がやってきて、時には
これって、某SFじゃないファンタジーマンガの騎士の血みたいに一般人に拡散していったりしてな。
ついでに、墓所の博士たちは人間をヒドラにできるし、王蟲のクローン化くらいの
テクノロジーは手に入れている。ほろびかけた技術のマネとはいえ、滅亡はまのがれるかもね。
「私たちは血を吐きつつ くり返し くり返し その朝をこえて とぶ鳥だ!!」
そういうこと。
私が二次エロで好きなジャンル、近親相姦(母子)モノと獣姦モノ。
多分こう、背徳感と快楽の間で揺れるとかそんなのが好きなんだろう。
双方とも特異なジャンルなんで、そう頻繁に見れるもんでもなかったんだけど、最近“よくわかる「魔界・地獄の住人」辞典”って本読んで、もう大喜びしたわけ。
「エキドナ」って女神(?)が載ってるんだけど、これの説明文読んだだけで興奮。
『上半身は美しい女性、下半身は蛇という姿をしており、ヒドラやケルベロス、オルストロの母として知られている。
(中略)なお、自分の子供であるオルトロス(ケルベロスの弟。番犬)との近親相姦によってできた子供としてスフィンクスがいる』
どうよ、このエキドナ、自分が大好きなジャンルを二つ見事に兼ね備えてる!!1
近親相姦モノをこなしつつ、更には犬との獣姦要素まで!
これさ、凄いよ!
人の子が「犬」であることなんてまず有り得ない。
で、その結果できたのがこの「母子相獣姦」だ!
すっごい興奮するよこのシチュエーション。
自分の息子と関係を持つだけでなく、人の形を留めていないオルトロスと交わることになったエキドナの、背徳感と快楽の間で揺れる姿とかさ、
もう考えただけで興奮する。
この妄想が八割方間違ってたとしても、二割あってればそれでいい。