はてなキーワード: 違憲とは
憲法九条は変えないままでよくて、自衛隊も安保もまあまあOKで、しかも安保法制を違憲にしてくれる理屈が支配的って思い込ませたいようだけど、そんなことを言っている憲法学者が本当にいるのか?本当に大多数なのか?
憲法学者が一致しているのは、「安保法制は違憲」である、ということだけだ。君があげたその他の条件は人によって異なるだろうし、大多数かどうかは知らない。ちなみに国会に呼ばれた長谷部先生と小林先生は改憲賛成派。
言葉足らずだったか。君が言う通り、学者の意見は傾聴に値する参考意見にすぎない。法律論とか、権利とかの話なら、最終的に問題になるのは、国民の意志だ。国民は政権の説明より学者の意見に同意している、というだけ。衆議院議員総選挙に安部自民党は大勝したが、憲法を自由に解釈変更するには十分な権限ではない。自民党の経済政策を是とした国民が、軍事政策を否とするというのは理論的にありえるし、実際問題そうだろう。
憲法はそういう間接民主主義でゆるく変えられると困る。ちゃんと国民投票してくれ。「支持率のために政治をやっているのではない。やるべきことはやっていきたい(安部首相 7/20)」とかいいながら、憲法を変更するのはダメだ。十分な議論のために決定が遅くなったり、その議論の結果周辺国にさざなみを立てたりして外交上不利な結果を被るのは、民主主義のコストとして負担すべきだ。
| 政府の判断によって、制約の具体的一形態がべつの具体的一形態に変化するのは元々ありえたはずじゃない。
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これはそう。政府は憲法の解釈において、ある程度の自由度を与えられていると考えるのが妥当。ただ、その「ある程度の自由度」は当然限界があり、その限界は世論とか今までの経緯とか学説とか現在の政府が直面する状況とかによって決まる。集団的自衛権は憲法で明示的に禁止されていないから行使可能だ、というのは君の解釈だが、学説の圧倒的な多数説は、昨年の集団的自衛権を認めた閣議決定は、政府に与えられた解釈権を乱用する違憲な解釈変更だ、というものだ。
「当然限界があり」って言うけどさ、その限界っていったいどこにどんな法的根拠があるの?(憲法の改正限界の話ではなくて、内閣法制局の解釈の限界のほうね)俺が一票を投じたこともない日本国民であることの保証すら無い「憲法学者」のご意見は、まあ、ご意見としては承っておきましょうか。神妙な面持ちで。でも彼らには国会議員の立法を是非を決定する法的機能はない。それを持つのは最高裁だけだ。これも憲法に書いてあることだ。憲法学者の意見で日本国の立法を縛れるなどという習慣が横行するならそっちのほうが立憲主義の危機だ。悪意ある外国政府はこぞって日本の憲法学者を堕落させにかかるだろう。
法的根拠があるなら、それをもとに内閣法制局の解釈変更の違法性を正せばいい。裁判を起こせばいい。
そもそも行政府の一部門に過ぎない内閣法制局が解釈を決めることになってるわけだよ。そして前文や他の条文と違って統治行為論があるから憲法違反だろうとなんだろうと憲法九条については解釈を悠然と変えてしまえる。あとで違憲無効の審判を司法府にくだされる気遣いもないから、何を言おうがもうカエルの面に小便だ。
そもそも、この不安定な状況は実は何十年も続いていて、昨年、安倍総理が証明しただけだ。
「実は、そんな限界、どこにもなかったんだよ!」
と。そしてその後、総選挙で国民はその自民党・公明党からなる与党に圧倒的多数を与えてその解釈を追認したんだよ。これは「ある程度の自由度」の範囲を広げる要素でもあろう。また君が言うような総合的な判断によって限界が定まるとするなら、それへの見解がわかれた時に多数決を用いるのも自然なことだと思うが、それは脇道だろう。今は言うまい。
つまるところ立憲政治が危機などというなら、何十年も前からすでに危機だった。我が国の憲法の制度上の欠陥がついに白日のもとにさらけだされた。そう言うべきだ。
さて、俺がもともと明らかにしたかったのは、圧倒的な多数の憲法学者なる人々の具体的な理屈の作りなんだよ。
憲法九条は変えないままでよくて、自衛隊も安保もまあまあOKで、しかも安保法制を違憲にしてくれる理屈が支配的って思い込ませたいようだけど、そんなことを言っている憲法学者が本当にいるのか?本当に大多数なのか?
本当にそうだとしても傾聴に値するのか?
それは自分の知性で検討するべきことだろう。「学説の圧倒的な多数説」などと安易に権威と多数に訴える前に。彼らの権威よりも自分たちが選んだ代表の権威と多数決の方が重いはずなのがデモクラシーなのだから。
集団的自衛権の行使は違憲という憲法解釈の元、今まで生活が脅かされた経験ないでしょ?
現状維持でOK、というのでは納得できないの?
そもそも論で混ぜっ返すと、本当に集団的自衛権なん?、個別自衛権の延長じゃね?、安倍内閣の功名心で集団的自衛権と偽装しているだけじゃね?、思うのだが、どの辺の法律が集団的自衛権なのでしょうね。
※ 憲法九条は事実上、何十年も停止されている状態なのに、本当に反しない範囲である必要があるのか?というのは今は論じない)、
もちろん憲法に反しない必要はある。「事実上何十年も停止されている状態」は君の解釈であって、共産党や公明党の国会議員と、その支持者に聞いたら違う意見を言うだろう。
ならば、憲法九条に反しない範囲でなら、政府の判断によって、制約の具体的一形態がべつの具体的一形態に変化するのは元々ありえたはずじゃない。
これはそう。政府は憲法の解釈において、ある程度の自由度を与えられていると考えるのが妥当。ただ、その「ある程度の自由度」は当然限界があり、その限界は世論とか今までの経緯とか学説とか現在の政府が直面する状況とかによって決まる。集団的自衛権は憲法で明示的に禁止されていないから行使可能だ、というのは君の解釈だが、学説の圧倒的な多数説は、昨年の集団的自衛権を認めた閣議決定は、政府に与えられた解釈権を乱用する違憲な解釈変更だ、というものだ。
私はそれがどこまで妥当か君と議論し、説得できるほど憲法学に詳しいわけではない。ただ、安保法案は、憲法学会をまとめて無視してまで強行すべき緊急性があったとは思えない。学会を無視し、世論を無視し、野党を無視し、メディアを無視し、憲法まで無視するようなら、現に政権を担っている政府を制御する制度はすべて無効になったということだ。結果として法案そのものが日本の「国益」に資する行為かどうかにかかわらず、長期的に見たら、今回の法案制定プロセス全体の、日本国の民主制度に対するダメージは大きいと考えている。
たぶん君と私では、政府の暴走に関する危機感が違う。日本は十分に大きな国だし、地理的環境も恵まれているから、他国政府の脅威より、自国政府の暴走のほうが、国民の福祉に関しては警戒すべき対象だと私は考えている。中国ができることはせいぜい沖縄を独立させ衛星国にすることぐらいだけど、日本政府そのものがおかしくなったら、国民全体が悲惨な事態になる。大日本帝国は、海外領土を一夜にして全て失い、本土すべてを焼け野原にし、沖縄では悲惨な地上戦を行い、多数の国民を餓死させ、多数の国民に自殺攻撃を強い、全土が他国の軍隊に占領されるまで戦争をやめず、天皇の死刑リスクおよび国土の分割リスク(ドイツ、韓国)にさらした。
現在も、日本会議だとか、自民の憲法草案とか、まず96条を変えたがることとか、メディアに対する規制が強まっていることとか、暴走の兆しはすでに見せている。大正デモクラシーの時代は、治安維持法とか想像できなかっただろうと思うよ。
ありえる立場かもしれないけど、そういう功利的な面だけで議論をするなら、憲法に関する議論、不要じゃん。
安保法制でメリットがあるかないか議論して、メリットがないことを説得すればいいだけでしょ。国会で大いに論ぜられるべきだと思う。
え、なんで正当化を試みるの?
ずるいと思われるかもしれないけど、国際社会では主要国は大なり小なり、どこかでこういう恣意的なずるい運用をしているもんだ。日本も利用できる立場は利用すべき。
日本政府が日本政府の行動に制約をかけていると理解してきたわけでしょ。日本政府が日本政府みずからに掛けた制約をみずからの判断で変えるのはありえることじゃない?
憲法は日本政府が制定したものではないよ。主権者たる日本国民が制定し、日本政府に与えたもの。制約をかけているのは日本国民。だから、政府は自由に制約を外すことはできない。このフィクションが「立憲主義」の意味するところ。そういう意味で、今の安倍政権の行動は「立憲主義の危機」なわけ。だからで憲法学者が口をそろえて反対している。もちろん「日本国民」という主体はないから、実際は政府が政府に制約をかけていることになるけど。
「中国を含め、どこの国とも、誠意を持って話しあえば戦争は避けられる。自衛隊は災害とかで役に立つから存在して良い。」とか?日本が西ヨーロッパとか北アメリカにあったら、実現不可能な理想、というわけではないと思うし。私個人の中国に対する意見とは違うけど。
あとは、真性の人かな。「殺しても殺したくない」っていうプラカードを掲げている人もいるしね。
あ、そうかもね。私は9条の議論はもううんざりだから、個人的には消したいんだけど、二項を削除すれば盲腸的な存在になるから、それでいいかなー。
そりゃ細かいところ抜きで「集団的自衛権を認めてくれ」というだけなら普通だからな。
日本にはこういう憲法があって、ほとんどの人間が今回の法案は違憲だと認識していて、…なんて、
そんなところまでは、たとえニュースになるとしても、それほどの関心を持たれることはない。
日本政府が日本政府の行動に制約をかけていると理解してきたわけでしょ。
日本政府が日本政府みずからに掛けた制約をみずからの判断で変えるのはありえることじゃない?
そんなこと、当然だと思うんだけど。
権力を縛る憲法の存在意義が無くなるって言うけど、こんなことが許されるのは統治行為論があるからで、統治行為論を最高裁が使ったことがあるのは9条だけじゃない?
そしたら憲法全体の存在意義がなくなるってのは、君の主観ではそうなのかもしれないけど、言い過ぎってことになると思う。
とりあえず君が改憲を前提としたうえで、安保法案に反対し、かつ日本国民の幸福追求の権利と矛盾しない見解を持っていることは分かった。
僕とは見解が違うが、それは一理あると思う。
でも、俺が見る限り、安保法制に反対してる人の多くってそうじゃないと見えるんだよ。
で、議論は発展し、新たな質問をしなければならなくなった。あるいは新たな質問ができるようになった。
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ちなみに9条を改正するなら2項を削除するだけでいいと思う。そもそも個別的自衛権の行使が可能なことすら憲法にはかいてないんだから。
そして1項はごく一般論でしかない「国家の政策としての戦争を禁じている」と解すればよいんじゃないのかな。
ま、もはやこれは脇道で、いつか君と別の機会があれば、そのときに話をすればいいと思う。
自衛隊と日米安保は合憲で、なおかつ今回の安保法制で認められる範囲の集団的自衛権の行使が違憲だって言う議論って、おだやかに言ったとしても恣意的に聞こえるじゃない?
これがあなたにとって恣意的かどうかは関係ない。日本政府と日本国民はそのように合意してきた。1954年から2014年まで、日本政府は
と言い続けてきた。それを聞いた日本国民は、憲法9条によって政府の行動に制約をかけていると理解してきた。
でも、突然、政府が自分にかけられた憲法上の制約を外した。そういうことされると、権力を縛る憲法の存在意義がなくなる。それがしたいのなら、9条の現代的意義について国民的な議論を行い、改憲するのが筋だ。安倍自民党は確かに先の衆議院総選挙に勝ったけど、総選挙に勝っただけでは、政府に課せられた憲法上の制約を外す権利はない。
法的安定性が崩れたら、安倍さんよりもクレイジーな人が出てきた時にとんでもない国に日本がなりそうになっても、歯止めがなくなる。実際日本には70年前に絶対勝てない戦争を始めるクレイジーな人たちが出てきたわけだし、それに、自民党の憲法草案おぞましいと思わない?あんな国に日本がなったらと思うとゾッとする。自民党はもっとまともな党だと思ってた。
ということで、私は安保法案に、反対。ちなみに9条を変更して軍隊の保有と集団的自衛権を明記することには賛成。
ちなみに、1954年に憲法上の制約外してるじゃん、という話については、1953年に一番近い隣国が2つに分割された、ということを指摘しておきます。そのくらい現在の情勢が切羽詰まっているなら、法的安定性よりも目先の国の安定を取るのはわからなくもない。でも、たとえば現在の中国の脅威って、そのときのソビエト&中国に比べたら、全然ヌルいと思うけど。予見しうる将来に日本が分割統治される可能性なんて、ほぼゼロでしょう。
中国の南沙辺りでの暴挙を考えると、急がないといけないのも納得。
中東とかホルムズとか同盟国ガーとか言っちゃうのは、日本の世論(国民)が中国を直接刺激しないためだろう。
今はけっこうありがたい観光客も減るかもしれないしね。
それが、国民の理解とやらを得難い理由になってるんだろうが、マラッカあたりが実効支配されれば完全に国家存亡の危機に直面する。通商破壊に近いもんな。
同盟国の軍事支援こそ建前なんだろう。本当の目的である中国から目をそらさせるための。
今の状況なら中国からいちゃもんがついても「被害妄想でしょ?中東とかその辺りの海掃の話してるのに。」としらを切り通せる。
仮に安保が改正しても、NATO諸国と中国がガチで揉める事はしないだろ。中国だってそこまでバカじゃない。かれらも武力衝突のコストくらい分かってる。
アメリカや欧州の状況を考えると、アジアの軍事バランスに物を申せるのは日本くらいだろうし、全体的な動きは納得せざるを得ない気がする。
でも俺みたいなふつーの人は毎日の生活が変わるとこまるじゃない?
つーかなくされるほうが怖いわけじゃない?
だとするとこれは合憲じゃないとこまるじゃない?
自衛隊と日米安保は合憲で、なおかつ今回の安保法制で認められる範囲の集団的自衛権の行使が違憲だって言う議論って、おだやかに言ったとしても恣意的に聞こえるじゃない?
だから聞きたい。
追記)
その後、ある増田が憲法九条の改正を前提とすれば、納得できる説明が可能なことを示してくれた。
しかし、安保法制違憲論者の多くは、むしろ憲法九条の改正を拒んでいる人々と見受けられる。
そこでアウフヘーベン(というのか?)された新たな問いが生まれた。
違憲かどうかは君が決めることではない。
意味の明瞭度合いで言ったら、個別自衛も集団自衛も武力を持ったらその時点で違憲、という主張だけが唯一明瞭。
他の党は一体どうしたいのかな?
後者には完全に同意なんだけど、前者には意義はあると思ってる。
というのも、その議論の末に導かれるのは俺が一番最初に書いた4つのパターンのうちの③と④だからです。コレ↓ね。
「違憲だから議論しなくていいよね」という考えで議論が進まなかった場合、その法案が③なのか④なのかが明らかにならない。
④であった場合(立法が不要だった場合)は何も対応する必要が無いので問題ないけど、③である事が明らかになった場合には問題が発生してしまう。
本来であれば③のケースでは「憲法改正⇒立法」という2つのステップでの対応をする必要がある。
でも、そもそも議論がされていなければ③・④のどちらかであるかが明らかにされずに、③であった場合に必要な対策が取れなくなってしまう。
その結果、日本は必要な法案が作られておらず、なんらかのデメリットを被る事になってしまう。
なので、「集団的自衛権が合憲か違憲か」と「集団的自衛権の必要性」については両者同時に議論する必要があると思っています。
で、今現在、そういう動きがされていないにも関わらずヒステリックな人々の声ばかり聞こえてくるのでバカバカしさを感じているのです。
→いや、実際「戦争法案」だと思うし、、閣議決定で解釈改憲できちゃうなら、(現政府は違憲だと否定している)「徴兵制」だって閣議決定で解釈改憲できちゃうだろ、という意味だろ。別に「国民」を馬鹿にしているとは思わんし、煽りとは思わんよ。
横からで申し訳ないんだが、これさぁ、なんで「戦争法案」だと思ってるの? 煽りとかじゃなくて単純に疑問として。
個人的には自民党が出した「新3要件」が厳密に守られる限りにおいては今回の法案は専守防衛に合致すると思ってるので合憲であり「戦争法案」という呼び名は不適切だと思っているのだけれど。
今回の法案が「戦争法案」だと思ってるという事は「新3要件」が守られても、それは違憲であり専守防衛に合致しないと思ってるってこと? なんとなくこの理由だと集団的自衛権どころか個別的自衛権すら違憲である…という意見になっていないと論理の一貫性が保たれていない様に思えるんだけど。
それとも集団的自衛権の行使時に「新3要件」が厳密に守られる事が現実的にあり得ない…と思ってるってこと? もしくは他の理由?
元増田だけど俺の頭の中では憲法学者は今回の安保関連法案が「合憲」か「違憲」かを判断しているだけであって、集団的自衛権の行使の是非に関しては判断していない…という認識だよ。
だから俺の中では憲法学者は「喚いている人々」の中には入っていない。(集団的自衛権の行使の是非に関して意見を述べてる憲法学者がいたら後学のために教えてくれると助かります)
俺が「喚いている人々」と表現したのはザックリいうと政治家・マスコミ・政治団体…あたりの世論に大きな影響を与えそうな声の大きな人々の事を指してる。
特に与党と野党。どっちも話し合う気ないだろ、あいつら。この辺りの人々がもっと理性的に話し合ってくれないと俺の感じてるバカバカしさは解消されないんだよなぁ。
集団的自衛権関連のお話に関しては賛成派・反対派共に意見が全然、食い違ってて議論が出来るレベルに到ってないので、本当にバカらしい。
とりあえず賛成派・反対派共に自分の主張と理由のリスト化でもしてお互いが何を言い合ってて何をどうしたいのかを明白にする努力から始めたらどうかと思う。
手始めに賛成派・反対派共に「集団的自衛権が合憲 or 違憲だと考える理由」と「集団的自衛権の行使の必要性」の説明から初めてみたらいいんじゃないか。
ここら辺の議論が詰められれば集団的自衛権に関して以下の4つのパターンが導き出せる様になるはずだ。
①:集団的自衛権は合憲であり、必要である ⇒ 現行憲法のまま通常の法律と同様に立法すればよい
②:集団的自衛権は合憲であるが、不要である ⇒ 現行憲法のまま立法しなければよい
③:集団的自衛権は違憲であるが、必要である ⇒ 憲法改正の後に立法すればよい
④:集団的自衛権は違憲であり、不要である ⇒ 現行憲法のまま立法しなければよい
今はこの様な結論を導き出すための議論の席にすら付けていない状態だ。
にも関わらず賛成派・反対派共にヒステリックに自分の意見を(根拠と理由を提示する事なく)喚き続けている。本当にアホらしい。
<賛成派に対して>
<反対派に対して>
<両者に対して>
<憲法とその周辺>