はてなキーワード: 連体形とは
(終助)
①自分の判断を強く言い切ったり,主張したりするのに用いる。「ぼくの方が正しい」「これならきっとうまくいく」「そら,やる」
②疑問詞と呼応して,反語や疑問を強めるのに用いる。やや文章語的な言い方。「一体だれがこの難問に答えられよう」
(副助)
文中の疑問詞を受けて,不定の意を表す。「だれに聞いてくれ」「なん食べ物はないか」〔の終助詞は近世以降の用法,の副助詞は中世以降の用法〕→ぞ(係助)
ぞ
(係助)〔古くは「そ」。上代から中古にかけ次第に濁音化し,「ぞ」が一般的になる〕体言・活用語の連体形・種々の助詞などに付き,取り立てて強く指示する意を表す。
①一つの物事を特に取り出して強調する。「峰高く,深き岩の中に聖入りゐたりける/源氏物語」「野中に岡だちたる所に,ただ木三つたてる/更級日記」
②文の調子を整えるのに用いる。この場合,動詞の連用形に付き,サ変動詞「する」で受ける。「折りてみば落ちしぬべき秋萩の枝もたわわに置ける白露/古今和歌集」
文末にある場合。その文を強く言い切るのに用いられる。「我をいかにせよとて捨てては昇り給ふ/竹取物語」「この西なる家には何人の住む/源氏物語」→ぞ(終助・副助)
「い抜き」言葉、つまり「やっている」を「やってる」と言ったり書いたりする例は、文法的には間違いとされて(い)ますよね。こういうことは先に話すことのなかで起こるのでしょうか?
つまり、動詞の終止形を連体形と同じ形で書くのはもともと文法的には間違いだったわけですが、これが正しいとなる過程のなかでは、連体形と同じ形で表現することは、書くことにおいてではなく話すことにおいて先に始まったのでしょうか?
それで話しの中での使われ方に押されて、書くときにも使われるようになり、なし崩し的にそっちの方が文法的に正しいということになっていったということなのでしょうか?
い抜き言葉が話し言葉の中でいくら多数派になったとしても、それだけでは文法的に正しいということにはなりませんか?必ず書き言葉の世界でも圧倒的に多数派になる必要があるのですか?
どうにも「文法的に正しい」という表現自体が腑に落ちないのです。誰かなんの権限でもってなにを基準に正しいとか誤りとか断じられるのかと思ってしまうわけです。
文法=母語話者の表現のなかに見いだされる法則、なら、「い抜き」言葉はすでに法則と呼べるレベルに通用してると思うのですが。それを「いや、文法に即していない」といえる根拠ってなんなのでしょうか?たぶんその根拠に立つと、終止形を連体形で表すことだって「文法に即してない」ということになるように思えるのですが…。
あら、日本語覚えたて?
言われてみるとたしかに「〜から」の用法って一つだけじゃないから勘違いするのも無理ないかも。
[格助]名詞・活用語の連体形に付く。また上代では、助詞「が」「の」「のみ」にも付く。
㋐空間的起点、出所を示す。「目―大粒の涙が落ちた」「本人―直接話を聞く」
「波の花沖―さきて散り来めり水の春とは風やなるらむ」〈古今・物名〉
㋑時間的起点を示す。「会議は午後1時―始める」「朝―強い風が吹いている」
2 経由する場所を表す。…を通って。…に沿って。「東京を出て、名古屋―京都へと向かう」
「人の親の娘子児 (をとめこ) 据ゑて守山辺 (もるやまへ) ―朝な朝 (さ) な通ひし君が来ねば悲しも」〈万・二三六〇〉
3 理由・原因・動機・根拠を表す。…のために。…によって。「操作ミス―事故が生じた」
「恋草を力車 (ちからぐるま) に七車積みて恋ふらくわが心―」〈万・六九四〉
たしかに言い切りの形が「イキる」である動詞として考えると行き詰まるね。
「イキり」を語幹と考えてみよう。
明らかに活用形があり、末尾が「い」で終わらないので形容詞ではない。これは形容動詞だ。
基本形 「イキりだ」
ワタシもまた イキりで ある(連用形)
妹も今や イキりだ(終止形)
イキりオタク は、強がりな男 → 強がり男 のように連体形の「な」を省略したものではないか。
命令形はない。「静かにしろ」のように「イキりになれ」とする。オタクよ、イキりになれ。
参考・http://国語の文法講座.com/xn--hhrt0sk4cxr6d.html
「嬉しい」を「嬉C」,「卑猥」を「卑y」にしたりする表現方法ってあるよね。
これ,現代の文字ベースの意思疎通文化の特徴が如実に現われててすごく好き。
という訳で列挙してみる。
A: 知らん「良い」の口語変化「えー」を置換(「A(C)」など; b:id:type-100様より提供)
B: 知らん「乳首」の俗語「ビーチク」の「ビー」を置換(「B地区」; b:id:cj3029412様より提供)
D: 知らん
E: [:形容詞語幹:]−い(「可愛E」など)/「良い」(「E気持ち」など; b:id:nassy310様より提供)
F: 知らん。多分ない
G: [:形容詞語幹:]−じ(「饑G」など; 正直今考えた。誰も使わねーんじゃねーの?)
H: 知らん。多分ない
I: 「愛」を置換; Iしてる(ポケベル通信みたい? その世代じゃないけど)
J: 知らん。多分ない「自衛隊」の「じえい」を置換(b:id:mobile_neko様より提供)
K: [:形容詞連体形促音便:](「かK」(=「かっけー」←「格好いい」)
L: 知らん。ないでしょ準動詞「得る」(「ありL」など; b:id:yykh様より提供)
M: 知らん動詞「笑む」(「ほくそM」; b:id:sgo2様より提供)
N: [:下一段活用未然形:]+助動詞「ぬ」(「教N」など; b:id:wata300様,ありがとうございます)
O: “多い”,“大きい”の「多」,「大」を置換; 「Oきい」など
P: 無い。いや知らんけど
Q: 「球」を置換; 「Q団」,「野Q」など(「チョベリバ」/「アウト・オブ・眼中」っぽいナウさがある)
R: “である”の「ある」を長音化させつつ置換; 「でR」(これも“「チョベリバ」感”がある)
S: 知らん。多分ない
T: 知らん
U: 知らん「ゆ」または「いう」の口語変化「ゆー」(「醤U」,「そこまでU」など; b:id:savoy3様より提供)
V: 知らん。ないでしょ「大丈夫」を「大丈V」に(「ぶ」が「ゔぃー」なるのって不自然な気がするけど確かに見たことある)(b:id:kondoyuko様より提供)
W: 知らん。絶対ない
X: 寧ろ逆に英単語の一部を日本語にして「sex」→「せX」
Y: 「猥」を置換; 「Y談」,「卑y」など(「Y談」なんかは古くからある印象)/語尾「しいわい」を置換(「うれCY」; b:id:srgy様より提供)
Z: 知らん「抱腹絶倒」の「ぜっとう」を置換(b:id:sgo2様より提供)
(番外)
△: 「さんかっけー」を置換(「本田△」; b:id:madridNewyork様より提供)
(÷): 「かっこわる」←「格好悪(い)」を置換(b:id:kurotsuraherasagi様より提供)
意外と少ないね。僕の見聞が足りないだけかもしれないが
(追記)
「山P」や「阿Q正伝」を挙げてくれた人がいるけど,あれは固有名詞であってこの言葉郡とはちょっと趣旨が違うんじゃないかな。「山ピー」や「阿休正伝」という(これらはでっち上げ)元の単語がある訳じゃないから,〝置換した〟とは言えないと思います。
あとNを無視してすいません。ていうかN,「教えぬ」→「教N」っていう立派な置き換えがあるのに……。
(追追記)
反応が多めで嬉しい。こういう言葉遊びをみんなで共有するの,ほんとうに楽しいし,インターネットのいいところの一つだと思ってる。
この語呂合わせはABC文体と言うらしい(https://anond.hatelabo.jp/20180506021148)。結構起源が古いんですね,勉強になります。
「@で読む」(b:id:strow0343様)は笑った。@がゼムクリップに見えて一層〝栞/ストック〟っていう印象を受けるのも面白い。積極的に使っていきたい。
(追³記)
いつのまにか100ブクマを越えていて驚いた。みんなGW最終日をもっと有意義に過ごそうよ,というのは冗談,こういう言葉遊びが好きって人が多くて幸せです。
ところで,他の国ではどうなんだろう。少なくともアメリカではあまりなさそう。向こうは一種類しか浸透してる言語がない(間違ってるかも)のでto→2, you→Uといった同一言語内での置換しかできない。日本ではある程度英語という外国語が浸透してるおかげでこういう言葉遊びが生まれたんだというのは蛙の驕りだろうか? 韓国なんかは日本と似た状況(自分達の言語が基盤にあり,英語も大量に使う)を持っているので似たような文化がありそう。
あと固有名詞かどうかの判断はぶっちゃけると怪しい。上記した言葉のなかにもTV番組のタイトルにしか使われてないような言葉もあるし。そもそもABC記法自体,ある作家の独特の文体を指して呼んだものなんだから,〝固有〟とやらに拘るのは愚かなのかも。
「○○み」は概念そのもの、「○○さ」は定量的な判断を加味している。
だから両方の表現があってしかるべきだが、「○○み」が使われない表現の方が多いような気がする。
「○○み」はマ行五段活用動詞の連体形接続を使っていると仮説を立てようと思ったが、明らかに
そうではない例もたくさんあるので、使う場合・使わない場合の合理的な理解が難しい。
「○○み」はそういった合理的な理解よりも、その用法がどれだけ長く使われているかの方が、言葉
として定着している度合いを左右しているのかもしれない。
オナニーにおいて、
「コク」と言う。
転じて、
手で「コク」事を「手コキ」。
足で「コク」事を「足コキ」。
尻で「コク」事を「尻コキ」。
等と表現される。
色々な方法での「コキ」方があるわけだ。
自身で「コク」場合にそれが使われるのは勿論、
さて、
この「コク」とは、
1コキ、2コキ、3コキ、と。
そして、
1コキとは何をもって1コキなのかを明らかにしたく、
ここに明文化させていただいた。
原点として、
陰茎上部を握り、
1:下部へとスライドした段階で「1コキ」としてカウントするのか。
2:上部から下部、下部から上部へ戻した際に「1コキ」としてカウントするのか。
そこを明確にしたかった。
「半コキ」という言葉が好きだし、
「半コキ」でイってしまった。
など、より良い気持ちよさの表現や、
「半コキ」という言葉を成立させるには、
2:上部から下部、下部から上部へ戻した際に「1コキ」としてカウント。
の説がしっくりくる。
だから、
2:説を採用しようと思う。
「1コキ」は陰茎上部から下部へ、
そして下部から上部へ戻した時、
ちなみに「コク」は、
未然形/か・こ 例:コかない
連用形/き・い 例:コいて
終止形/く 例:コく
連体形/く 例:コく時
仮定形/け 例:コけば
命令形/け 例:コけ
「すべからく」の場合も、多くは「べし」と呼応するけれども全部がそうというわけでもないよう。
はたしてそうか?
とは
だから「べし」が無いから誤用とすべきというわけでも無い。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%A4%A4%EF%A4%E6%A4%EB&kind=jn
[三](形式名詞)
(2)〔漢文訓読で連体修飾の「所」を直訳したことから生じた用法。……〕用言に付き、「…ところの」の形で、連体修飾語をつくる。
だそうな。和語的には受身がしっくりきたんでしょうね。
辞書を調べてみたんだが。
べき=べしの連体形。
べきだ。などのかたちで使われるらしいが、「だ」を省略したのだと考えれば、文末がべきでもそう問題ないと思うのだが。だめなのか?