はてなキーワード: 甲斐とは
お互いに35歳。
ここ5年ほど嫌がる妻に頼み込んで月1でやる状態が続いてた。
揉め事があるとすぐに、セックスさせない!と妻が持ち出すので、月1でできないこともしばしば。
基本こちらから不平は言わないようにし、機嫌をとることで平穏を保ってきたわが家であったが2ヶ月連続お預けがあり、なんかもう疲れてしまった。
もうセックス頼むのやめる。
普段、年甲斐もなく家ではベタベタしてたが、付き合ってあげてる、てなこといつも言われるのでもうやめ。
そうすると一気に会話が減った。
なんか妻が一気に家族から他人感が出てきて、なんでこんな奴を大事にしてたんだろ?と思えてきた。
そういや話しがだいたいクソつまんねーなあと今さら気づいた。
セックス断る奴らに言っとくが、よっぽどのセックス以外の奉仕力、包容力がないと愛されるとか思わない方がいいぞ。普段と変わらず生活してるように見えて、それは相手の演技やと思うよ。
もういや、幸いそこそこ収入があるのでセックスは金で買うことにした。もうそれでいいや。風俗なり出会い系なら適当に探したら一人くらいセックス契約できる奴いるだろ。
と、いうことをしみじみ思う。でも若い頃はそんなこと全然思わなかった。子供を産み育てるようになってから、人に親切にされたりしたりする機会が増えたから、そう思うようになった。
・昔の私は人に親切にされるのがすごく下手だったと思う。
・例えば子供の靴や靴下を落としたとき。赤ちゃんを抱っこして歩いていると、気づいたら履かせてたはずの靴が行方不明、ということがよくある。で、それを通りすがりの人が拾ってくれることがしばしばある。
・「あのー、これ、落としませんでしたか?」と声を掛けられたとき、昔の私は、ままならない子連れでの買い物などにイライラした気持ちを切り替えられずに、「はい!?何ですか💢」と、半ギレで振り向いてしまうことがあった。
・「すみません、急に呼び止めてしまって。嫌でしたよね?」と、親切な人は怯えた目でそう言って、私に靴を託して逃げるように去っていった。
・今なら、声をかけられると瞬時に余所行きの顔が作れる。親切にし甲斐のある母親の顔、というか。お礼を口だけではく表情と動作でも表現出来るようになった。昔の私は手負いのメス虎のようだったなぁ。
・そういう態度早替え技が身に付いたのは、子供を連れてる時に声を掛けてくる人は、大抵何か親切をしてくれようとしている、と、経験から学んだからだと思う。
・いうなれば、自分の中で、世間への信頼感がUpした。沢山の人に親切にしてもらったからだ。
・あと、自分だけの力ではどうにも出来ないことは多いという自覚が強化された。
・私はどう頑張っても完璧にはなれず、人に助けられることがある。ならばせめて助けてくれた人をがっかりさせないようにしよう。という発想が、私の行動を変えた。
・今は子供が少し大きくなったから、そんなに人に手助けしてもらうということはない。昔自分が沢山見知らぬ人に親切にしてもらったので、恩返しのつもりで人にささやかな親切を、しようと思ったら、キレられた、ということが何度か。
・過去の自分が同じようなシチュエーションでキレ対応をして相手を恐れさせたときのことを思い出す。
・あの頃は単に気持ちの余裕がなかった。全部完璧にこなさなければならないと思っていた。話しかけてくる見知らぬ人に対する信頼が0だった。いわば、私は世間というものを全く信じていなかった。だから、助けられて恩を仇で返すようなことを平気でした。
・どうしてそういう私だったのだろう?と考えてみたが、若い頃の私は何でも自分一人で出来ないとダメだと思っていたし、人に頼ったら負けだと思っていた。実力の伴わない全能感と異様なまでの義務感、それを願望ではなく正義で真実と思っていたというか。
・それが若いということなのか、それを正義と私に思わせた何かがあるのか、知らないけど、とにかく、人を助けるということと同時に人に助けられる場面は当然にあること、という発想がなければ、人からはいずれ助けてもらえなくなるだろうし、助けられた経験がなければ人を助けるという発想も生まれない。
私の場合はそうだった。
人様に気分ようなってもらおうというもん作って運営しとる会社に勤めとります。
ちっちゃい会社ですがなかなか順調にいっとりまして、お金に疎い僕のようなもんでも年甲斐もなくワクワクすることもたまにあり、所詮自分のモンではないですがこの会社で働いててオモロイなと思いながら生きとるという実感はあります。
でもちょっと今やっとる課題の解決が難航しとりまして、ついに今日のお昼の会で締め切りが延びました。
社長の「もうちょいジックリやった方がみんな気楽やろ」という鶴の一声、これが決め手。
これで今年中に公開が予定されていた新しいもんは来年に持ち越す事になりました。
まあ社長は社長で更にえらい壮大な構想出してきた事からも僕ら下のもんを慰める為に言うたんとは違う言うんは分かりますし、雇われとる僕としてはもちろんありがたいお言葉なんですが、僕がもうちょい手際よーく進めとれば社長にもこんな事言わさせんで済んだんかもなあと思うフシも確かにあり、落ち度を感じ素直に喜べないというのが正直なトコなんですわね。
しょうもない仕事にいつまでも時間かけとったらホンマにおもろい仕事でけへんと思とりますんで、ここいらでもうちょいシャキッとやったるぞと決意をあらたにして、来年に持ち越します。
それでは皆さん、よいお年を。
はてな匿名ダイアリーは自分が社会人になる直前から知っていたサービスだが、未だに健在で多くの投稿がされていてどことなくノスタルジックな気持ちになった。
そんな自分もアラサーになった。社会人になってからは失敗の連続で満たされない毎日が続いて、生きていくことに必死で恋愛とか考える暇も無かった。転換期となったのは転職をしたことだろう。転職をして時間的にも金銭的にも余裕ができはじめたころ、初めて自分に伴侶……というと大げさだが、恋人、あるいはパートナーと呼べる存在が居ないことを自覚した。転職をしても鬱屈とした毎日が続いていたし、エロゲーの主人公みたいなことをいっているが満たされない日々が続いていた。そこで、恋人という存在ができれば、自分の中で何かが変わるのではないかと思い至った。
そこからはいろいろと紆余曲折があったものの、恋人という存在ができた。自分は掛けていたのだろう。今まで自分に圧倒的に足りなかった女性という存在によって何かが満たされることを。
結果としては何も変わらなかった。些細なことで喧嘩をして別れた。何が残ったかと言われればつまらない感情だけだった。別れてからも元恋人とは仲良くしていたが、自分が原因なのだが些細なことで喧嘩をして連絡を取らなくなった。
いつだったろうか、自分が生まれてきた意味とか、存在価値とか、ありもしないことを考えたことがある。きっと誰もが思春期の頃に考えたことだと思うのだが、結局のところ生まれてきた意味なんて存在しないし、己の存在価値なんて自らが定義できなければ存在しない。生まれてきてから、存在に意味を持つ人なんてほとんど居ないのだ。
だから、自分が誰かの特別な存在になりたくて、恋人を作ろうって思ったのかもしれない。結果として残ったのは虚無感と、年甲斐もなく自覚した肉欲だけだ。
本当にくだらない。人生ってくだらない。誰かの特別な存在になんてなれない。
歩いた後に残るのはゴミだけだ。結局、自分は交換可能な部品に過ぎない。もちろんそうだ、そんなこと当たり前だ。ずっと自覚していた。ただ、それを再認識したのが辛かった。
いいや、ちがう。
人間は、本当の加害者よりも助けたいと声をかけてくれたけど力不足で助けられなかった人のほうを恨む。
好意を持った分、期待を裏切られた時のほうが、自分たちは人を恨む。
普段、マスコミは信用できないだの、上級国民だの、韓国がどうだの、いろんなものを叩いた挙句、結局、おまえらはいざ、政権の腐敗を目にすると、決まって、野党がふがいないと言い出す。
で、野党の誰が不甲斐ないんだ?ルール守って、選挙に勝って、そこにいる人を、ルール破って大きな顔をしている首相よりも、不甲斐ないって!?
きっと、おまえらはそうやって、普段の生活では経営者の不正に対して、賃金上げればやる気出るのにねーと言いながら、行動するとしたら、中間管理職にそれを経営者に言ってくれない?と水を向けて、愚痴ってるだけなんだろうな。
そして、その中間管理職の苦悩なんて知らずに、あの人、ほんと頼りないよねーなんて愚痴ってるんだろう。
与党は議席が三分の二だ。その中で、まちがいを指摘する虚しさがわかるのか?どうせ、賛成する人間ばかりの中で、間違いを指摘し続けられるのか?
国会見てたら、野党が不甲斐ないなんて言えなくなる。少なくとも自分は言えない。
テレビを叩きながら、結局、おまえらはテレビの傀儡なんだよ!資料を自分で探すこともできやしない。適当なまとめサイトを読んで、その意見に同調するだけ。
そうやって、ずっと野党を叩いて、事実上の独裁政権を擁護しておけ!
一体全体どうしちまったっていうんだ。
食パンにスライスチーズをのせて、ピッ ってすればスグできるから。
オーブンレンジの操作パネルに ”トースト” って書いてあるから。だからそれを押せばいいんじゃん。
俺が大学に行くために独り立ちして以来、十年以上は離れてた。そういえば正月や盆休みに顔を合わせることはあっても、こうして平日に一緒に生活するのは久々だったよな。
受験勉強のときには、よく夜食を作ってくれたな。いよいよ切羽詰まってた夜、寒い冬。夜中に届けてくれた月見うどんはうまかったぜ。
「おにいちゃん、うどんあるんだけど」。ありがたかった。ちょっと出汁が強かった気がしたけどな。
あのころお前は、なんだか唐突に料理に凝りだして。俺は不甲斐なくも、いいなあ中学生は暇でなあ、なんて思ってたぜ。のほほんと。
妹よ。
そんなお前は学生時代に唾つけといたイケメンのケツをつついて某メガバンクに就職させて、炊事・洗濯その他家事に対応させフルカスタムにし、いつのまにか一児の母になって、母親の葬式だって兄貴を振り切って手を回してくれて、あらゆるシーンでテキパキと如才なくて、地頭のクロック数が高いっつーか、先読みが効くっつーか、PDCAサイクルがタイトなのか、人生を回していくスピードそのものが俺なんかとは段違いで。何が二人を分けた? 生まれつきの差か? それとも強い目的意識の下のある努力の成果だったのか? いや身につけたスタイルなんだっけか。いつぞやの飲みのときにドヤ顔で”注意の節約がコツっすよ”とか言ったっけな? いつもなんか考えてんだよな。やっぱりスゲーよ、さすがは自慢の妹。
そう思ってた矢先。
「娘ちゃんは夫さんに割り当てました」。実家で羽根を伸ばして、きょうだい水入らずの平日。世界のどこにでもありそうな、でも欠けていた穏やかな日の、昼食が。
ツナサラダのツナ缶のオイルを切っただと? ツナサラダだぞ? そして現れる、柔らかいチーズトースト。
糖分多めの食パン。
それはいい。我々の生活には現実的な制約があるから。だからこそいまこの瞬間を大事にする。ここにあるものを味わう。妥協ではない。これが生きるということ。日々をやっていくということ。チーズトーストを焼くということ。