2019-12-02

親切にされるのにも親切にするのにもスキルがいる。

と、いうことをしみじみ思う。でも若い頃はそんなこと全然思わなかった。子供を産み育てるようになってから、人に親切にされたりしたりする機会が増えたから、そう思うようになった。

・昔の私は人に親切にされるのがすごく下手だったと思う。

・例えば子供の靴や靴下を落としたとき赤ちゃんを抱っこして歩いていると、気づいたら履かせてたはずの靴が行方不明、ということがよくある。で、それを通りすがりの人が拾ってくれることがしばしばある。

・「あのー、これ、落としませんでしたか?」と声を掛けられたとき、昔の私は、ままならない子連れでの買い物などにイライラした気持ちを切り替えられずに、「はい!?何ですか💢」と、半ギレで振り向いてしまうことがあった。

・「すみません、急に呼び止めてしまって。嫌でしたよね?」と、親切な人は怯えた目でそう言って、私に靴を託して逃げるように去っていった。

・今なら、声をかけられると瞬時に余所行きの顔が作れる。親切にし甲斐のある母親の顔、というか。お礼を口だけではく表情と動作でも表現出来るようになった。昔の私は手負いのメス虎のようだったなぁ。

・そういう態度早替え技が身に付いたのは、子供を連れてる時に声を掛けてくる人は、大抵何か親切をしてくれようとしている、と、経験から学んだからだと思う。

・いうなれば、自分の中で、世間への信頼感がUpした。沢山の人に親切にしてもらったからだ。

・あと、自分だけの力ではどうにも出来ないことは多いという自覚が強化された。

・私はどう頑張っても完璧にはなれず、人に助けられることがある。ならばせめて助けてくれた人をがっかりさせないようにしよう。という発想が、私の行動を変えた。

・今は子供が少し大きくなったから、そんなに人に手助けしてもらうということはない。昔自分が沢山見知らぬ人に親切にしてもらったので、恩返しのつもりで人にささやかな親切を、しようと思ったら、キレられた、ということが何度か。

過去自分が同じようなシチュエーションでキレ対応をして相手を恐れさせたときのことを思い出す。

・あの頃は単に気持ちの余裕がなかった。全部完璧にこなさなければならないと思っていた。話しかけてくる見知らぬ人に対する信頼が0だった。いわば、私は世間というものを全く信じていなかった。だから、助けられて恩を仇で返すようなことを平気でした。

・どうしてそういう私だったのだろう?と考えてみたが、若い頃の私は何でも自分一人で出来ないとダメだと思っていたし、人に頼ったら負けだと思っていた。実力の伴わない全能感と異様なまでの義務感、それを願望ではなく正義真実と思っていたというか。

・それが若いということなのか、それを正義と私に思わせた何かがあるのか、知らないけど、とにかく、人を助けるということと同時に人に助けられる場面は当然にあること、という発想がなければ、人からはいずれ助けてもらえなくなるだろうし、助けられた経験がなければ人を助けるという発想も生まれない。

私の場合はそうだった。

  • 社会人になる、って本来こういうことだと私はおもう

  • >だから、助けられて恩を仇で返すようなことを平気でした。 結構若い時こんな感じの人いるよね。 そういう一人で生きてるつもりの生き方してる人の方が人に頼るのが上手い人より...

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