はてなキーワード: 甲斐とは
父は私が小学生の頃単身赴任先で倒れた。以後ずっと寝たきり生活。頭もはっきりしない。
状態が安定して転院した父と一緒に、なぜか父の不倫相手も私の実家付近に引っ越してきた。父の面倒をみたいらしい。
「お父さんの彼女だよ」と紹介されたその女は幸が薄そうで、地味で、派手で勝ち気な母とは正反対だった。
女は甲斐甲斐しく父の面倒をみた。父が正月に入院先からの一時帰宅が許された時には、父の実家まで来てご飯を食べさせオムツ替えをした。
正月に不倫相手の実家で、不倫相手の親戚と食事を取って、同じ屋根の下寝泊まりするなんて、なんて図々しい女なんだろうと思った。
祖父母も母も、その女が細かい面倒をあれこれみてくれることが助かっていた側面もあったのか(少なくとも子供の前では)非難するような事は口にしなかった。
でも私はその女の事が大嫌いだった。
ずっと大好きだった父の事も、私を抱きしめていたその手であの女を抱いていたかと思うと憎くて吐きそうになった。
その女の事を、いつか大勢の人の前で、恥知らずのクソアマめと罵ってぶん殴ってやりたいとずっとずっと思ってた。
その女が死んだらしい。
病気が見つかった頃にはもう末期で、あっという間だったらしい。
まじか。
清々しいような、ざまあみろと言ってやりたいような、でもちょっと悔しいというか、やり残した感があるというか。
墓にしっこでもかけたろうかな。
女は甲斐性がない
そもそもの問題として自己肯定感が低いので人の好意をうけとめることが出来ない。
いい人だ、優しい人だ、と言われると「この人は私に対して間違った評価をしている」と思ってしまう。
学校や職場などを離れたあと、自分のことを覚えている人間がいるのかどうか、自分はあの時友だちだと思っていたけれど本当はそう思われていなかったのではないか、とぐるぐる考えてしまう。結局メールアドレスが変わったことの連絡もできず、新しい環境になる度に真っ新なアドレス帳になる。
話しかけるのも話すのも話を聞くのも好きなので初対面の場はすごく得意だ。目の前の相手は未知にあふれていて、相手から見た私もなんの情報がない。色々な人の話を聞くのが好きだし、自分の色々を話すのも好きだ。
ある程度情報を持った相手と話すのが難しい。この人はなんの話しが好きで、嫌いで。私はこの話をして、これはしていなくて。諍いをしたことはあっただろうか?この人は誰と仲が悪かったっけ?
考えなければいけないことが多すぎて疲れてしまう。
人々個々のエピソードに興味があったとしても、その人自身に興味が無いから関係が継続しないのだろうと思う。
自分が人に覚えられているかを気にするくせに、自分は人を覚えていないのだ。自業自得だ。
私は私の考える範囲で人に平等だと思う。人に差別ができるほど区別がついていないからだ。誰が何をしたとかの「何を」は覚えてられるけれど、「誰が」はすっかり抜け落ちている。
自分ほど、仲良くする価値がない人間はいないと思う。糠に釘。のれんにうでおし。豆腐にかすがい。
自分はともだちがいないまま、一生を過ごすのだろう。
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正直に言うと自分はこの現状に満足している。
地元を出てから、より一層その思いは強まった。近所の○○さんがどうしたこうしただの。元同級生の▷▶︎さんがどうだのから開放されたからだ。地元はそれなりに田舎で、田舎なりの人間関係の閉塞感があった。
あと、自分として人のことが覚えられないことで得をしていることは集団圧力によるいじめや差別をしない(できない)ことだと思う。
ある時期から完全に人間関係の諸々を覚えるのをやめた(できなかった?)。誰にでも話しかけるし、誰に話しかけられても答えていた。
いじめや悪口をする人間よりも、しない人間といる方がまぁみんな楽なんだろうし安心するんだろう。周りには人が沢山いた。
めんどくさいことはいじめを受けているor集団で無視をされている人にたまたま話しかけた後、つきまとわれたり、行動を監視されたり等、異常に執着されるのはめんどくさいなぁと思う。誰かに特別扱いされたとしても、こちらがその人を特別扱いすることは無い。
先にあげた執着する人はしばらくすると、こちらの対応に不満を持ち、自分を責めて落ち込むor私を異常に嫌うのどちらかになった。
伝統や文化の消失に対して「そういうのは変化するものだから」と保存に対して理解を示さない人がいる。
それに対して私が言いたいのは、変化した結果が良いか悪いかは別の話。変化するからと結果が無条件に良いわけじゃない。
ゲームの新たなジャンルの登場のように何かが追加されたなら良いけど、既存のものが無くなるならば慎重になるのは当然だと思う。
評価基準は知らない。でも、美しいものかとか、親しみやすいかとか、その地域や国の個性が現れていて独自性が強いかとか、既存のものに対する影響はとか色々あると思う。
もちろん新しいものが生れない社会は問題だと思うし、古いものをもとにして新しいものが生れないのも問題だと思う。
でも今生きる時代の人たちが一生懸命作った文化もサブカルチャーも、未来で「そういうのは変化するものだから」と軽視されて消滅したらどうだろうか。
そんな世界で新しいものを生み出す甲斐ってあるのかなーと思った。
ま、受け売りだけど。
女は甲斐性がない。
当方エンジニア。30前半にして今の会社に危機感を抱いた。転職したいと思った。まあ、よくある話だろう。
古い組織文化の中で全く新しいことに取り組めなていない。それを補うために個人的に勉強を続けてきた甲斐もあっていくつか内定をいただけた。
だが大きな壁が現れた。妻が「報復人事が怖い」と言う。
私と妻は社内結婚だった。元々同じ職場で働いていたが、結婚を期に妻は移動になった。
だが私が転職などすれば、報復人事で元の職場に戻されるのではないか、と言うのだ。今さら元の職場の仕事なんかできない、と。
自分たちでコントロールできないことを恐れてもどうしようも無いと思う反面、たしかにその可能性はある。事実、同じく社内結婚していた同僚は離婚を期に奥さんが会社を離れる事になり、同僚がその後釜に就いたのだ。
子どももまだ小さい。住宅ローンはまだ無いが、いずれ家も買いたい。そんな中で望んでもいない職場へ移動して激務で体調を崩して休職するハメになったらどうするのだ、私は転職なんかできない、と妻は言う。
夫婦となった以上、妻に起こる悪影響は私にも責任があるだろう。それでなくても転職はリスクを伴う。それに妻は30半ばを過ぎて時短勤務している、そんな中で転職するのは確かに難しいだろう。
だけれど妻が言っていることは「私は何があっても今の会社以外では通用しない。会社にしがみつくしない。」ということだ。私の転職関係なしに人事異動は起こるかもしれない。その時はどうする?
転職できるスキルや経験が無いのは、今の会社が無くなったら、自分の市場価値を高めなければ、そのような危機感を持たずに行動を起こさなかったからではないか。
もちろんその相手と結婚したのは私なので全面的に妻を責めるつもりは無い。
だけれど、これでいいのか?普段は平気なフリをして今の生活に満足している風を装って、その裏では会社を恐れて夫婦そろって会社にしがみつき家庭を会社に握られているんだぞ?それが幸せなのか?
話の落とし所が見つからない。
本物の健康優良児や、本当に真面目だったり親から教育を受けてた育ちの良い奴らはみんなそれなりに成功しているように思う。
明るくて、問題もたまに起こすけどコミュニケーションを取れる奴らは、各々の道でやり甲斐を見つけているように思うが、成功してるかどうかは半々くらい。
消極的な選択としていい子を演じていた奴らは、あまりぱっとせずに、2度目の大学を中退したやつや、職を点々とするやつもちらほら見られて上手く行ってるように見えないが、完全にドロップアウトしてるやつもそれほど居ないように思う
俺とつるんでたような悪ガキは完全に二極化して、叩き上げだったりで根性入れて外資やエネルギー系に入ったやつもいるし、ちらほら結婚するやつも出てるのに未だにパチスロやって親のスネかじってるやつもいる。
そいつらの生活レベルと比例するのはコミュ力な気がする、ちゃんとした意思の疎通が出来るやつは陰キャでもメーカーでプログラマーやってたりである程度立ち位置出来てる気がするが、陽キャに混ざってたやつでもコミュ力がなかったり空気が読めないやつはなんとなくぱっとしない。