なんというか、所属してる意識無さすぎて完全に忘れてた
]]>Cまでの知識を前提としている、と、Cまでの知識を前提とした本に書かれた知識を前提としている、では全くレベルが違ってくると思うので。
結局理系は学者として極まると本ではなく論文を読むのが日常になってくるようですね。そしてそういう雑誌はいわゆる本、分厚い重厚そうな単行本という見た目はしてないんだと思います。
知識人だという人が「私は読書家で本をたくさん読んでいる」といったらむしろアカデミックな世界の人間としてはもぐりというか、中途半端ってことなんでしょうね。だって最先端の発見をし続けるためには「本」を読んでいる暇なんてないでしょうから(笑)
ちなみにこの質問はこの↓本のレビューを見て生まれたものです。
圏論による論理学
それと
葉層のトポロジー
これら二冊はそれぞれ
A: 高校で学習する知識。
B: 大学の教養課程で教える知識。
C: 大学の専門課程で教える知識。
D:大学の専門課程でも教えない知識
このうちどこまでを前提知識とした本に分類されると考えますか?
]]>文理でおおよそ同じ内容やるのって語学ぐらいじゃない?
どっちでも選べる自由選択の科目はあるけど自由選択だから誰もが知っていて当然みたいな内容ではないし……
Fランとかだとどのみち文系学科理系学科どっちの学生もどっちのこともロクにわかってないから文系も理系も同じ内容をやるのかなあ
]]>米大学は大学院からが本番
]]>チョイスがいい。大学の教養課程で文系がはじめて物理や化学を習うときに使うようなものとかおいてある。大学の教科書って一般向けと違ってちょっと高いじゃない。3000円〜とかで。そういうのが揃ってて羨ましい。羨ましいというのは市立図書館にはそういうのはないから。推理小説はかなり充実してるんだけどね……
]]>どちらにしろ、「受験は公式を覚えれば良かったけど、大学の数学は異次元だ〜」みたいなこと言ってるのが馬鹿みたいなんだよ。
大学の教養課程の勉強こそ、受験みたいな(ふるい落とすための)応用力の要る問題とか出ずに、定義を覚えて適用しようみたいなことを延々やってるだけだから、あの漫画はあり得ない。
数学科の学生とかは、おちゃらけて「全然違って死ぬかと思った」とか言うけど、少なくとも優秀な学生がそんなことで落ちぶれたりはしないから。
文系(または低学歴)の妄想。
]]>私はファインマン物理学を挫折した大学中退フリーターです。
専門家の意見が聞けると思い質問しましたが、教養課程程度の知識しかないなら失礼します。
]]>人によってはかなり鼻持ちならない文章に感じられるとも思う。そのような感想を抱いた方には予めお詫び申しあげる。
自分で言うのもなんだが、私は勉強がかなりよくできた方だと思う。(※1)
小学校ではいじめられていたが、勉強がよくできたので中学ではそこそこクラス内での「地位」が上がった。
地方でいわゆるトップ校というやつに進んだ。自称進学校では恐らくない。東大にも割と行くし、生徒に一律に大量の課題を出すようなこともないので、まあ自称ではないだろう。そこでもだいたい上位20位くらいにはいた。
高校では部活動に所属しており、部自体県予選をたまに突破するくらいには上手く、その部の中でも割と上手い方であったと思う。
つまり、勉強にしろ部活にしろ割と「できる」方であったのだ。たかが高校の話と言えばそれまでだが。
大学は東大に進んだ。教養課程で留年してしまったが、自分の興味関心にうまくはまる専攻を見つけてからは毎日がとても楽しかった。(東大は2年の夏に専攻を決める。それまでは「文科一類」「理科三類」といったざっくりとした区分があるだけで全員教養学部所属である)
まあ、自分は「できない」のだなあ、と深刻に思うような事態にはほぼならなかった。
そして新卒入社して3年目。
同期に置いていかれること甚だしい。なんなら、1年遅く入ってきた人にも劣る。
同期は既にプロジェクト内で自分から提案をしてプロジェクトを動かしていると言っている。私は新人同然の立ち位置だ。自分からの提案ではなく上司からタスクを振られ、会議では特に発言も期待されず勉強のために参加が許されるだけ。
自分の担当のタスクは遅延している。
サボっているわけではない。このままいくと遅れそうだという報告は3日前・1週間前などに適宜上げているつもりではあるし、上司とタスクの方向性の相談を適宜行って手戻りを防ごうとしたりはしている。でも、結局上司と会話する度にひっくり返され、遅延している。知識不足のせいで完成形に必要なものを私がイメージできていなさすぎるのか、単にコミュニケーションの問題なのか、上司の指示が曖昧すぎるだけなのか、よくわからない。
「できない」立場がこれほどつらいものだと知ったのは初めてかもしれない。
「できない」人には成功体験を積ませて褒めればいい。そう思っていた。実際、そういう指導を学生時代の塾講師のアルバイトでもしていた。
でも、そういうことではないのだ。「同期はあんなにできるのに自分はこんな簡単なことで褒められるような存在なのか」という落ち込みがあるのだ。これではどうしようもない。
昇進などでできる人が先に上に行くのは当たり前で特に落ち込むようなことでもないと考えていた。
そういう話ではないのだ。明らかにできる人というのは確かにいる。そうではなくて、同期の中でも普通のレベルの人にも大きく劣る状態なのがあまりにも情けなく、悲しいのだ。
勉強しろ、その通りだ。会議資料を見返して疑問点を整理したりするのはよくやるし、必要と思われる知識や過去の成果物などを適宜調べたりもする。ただし、疑問点があまりにも多すぎて追いつかないのだ。疑問点は日々増えていき、解消が追いつかない。疑問点解消の優先順位づけすら困難だ。まさしく「何が分からないのか分からない」状態である。
そんなことを言いやがって、仕事なら何が何でも役に立てよ、価値を出せよ、全くその通りだ。そのためのやり方が分からないから苦しんでいるのだ。
まあ、やれることをやるしかないというのはその通りだ。まあ、やるしかない。
さすがに去年よりは今のほうが仕事ができている。でも、仕事で活躍するイメージが湧かない。悲しいなあ。
(※1)あ、さすがに灘や開成の中高一貫トップ校の上位層とは比べないでほしい。例えば理三や数オリ日本代表なんて人たちと比べられても困る。地方の非中高一貫校の話としてとらえてほしい。
]]>ADHDって飽きっぽいからこの教養を身につける課程をクリアしてジェネラリストになるのが難しい(興味のないことを継続するのが難しい)が、東大出身とかだとド根性でクリアした人とかいて、これがまた強いなって思うのよ。
ADHDは飽きっぽく考えが飛び飛び、これは裏を返すと発想が次々に浮かぶクリエイティブな人とも言えるわけで、その発想が教養知識に裏付けされるとまあ、強い。俺みたいな凡ADHDはせいぜい発想が飛ぶと言っても
目の前の課題→小学生レベルの発想→中学生レベルの発想
とかだけど、教養のある人はこのジャンプが全部教養だからね。思考スピードやばいわ
]]>つまりどの大学にいっても規定数の教養課程あるよ。
大学で教えたことないの?https://anond.hatelabo.jp/20210724171857
]]>その程度の知識さえない。勉強不足なら勉強不足を認めて謙虚になればいいんだけど、でも「自分は賢い」とどこかで思ってしまう人が
はてな民には多い。その結果が国会ウォッチャーやKnoaに沸いたあれらなのでしょう。
]]>全て完全に理解出来た訳ではないから、分からないところは“分かったつもり”になって取り敢えず先に進むという感じでやっている。
全く馴染みが無かった数学の記号に、何となく親しみを覚えるようになった。
教養課程レベルの微積分と線形代数の写経が一通り済んだら、ε-δ論法の写経をして、微分方程式、ベクトル解析、複素関数の写経もしようかと思う。
]]>世界のどこの大学を見ても教養はある程度取るし嫌な科目も当たり前のように取らされる
東大ですらそうだろ
よく分からんのだけど、「国際教養学部」で東大みたいな教養課程と専門課程の厳密な分別ってあるものなん?
全部英語の授業ってコンセプトなんだし、学部独自のものは全部3年から、みたいなノリではないものと思ってたが。
教養はある程度と言うか全部が教養で、かつそれを「英語で」っていうのだと思ってたわ。
]]>職業訓練高等学校とか、基礎教養課程とか適当なモラトリアム機関を作ったらええのでは?
← それって正に今の大学じゃんw
今は大学の医学部になっているところの多くは、以前は専門学校と呼ばれていたんだよ。(旧制医学専門学校)
他にも今は農学部になっているところが以前は高等農林学校だったり農林専門学校だったり。
]]>高卒で教養足りんってのはわからんことはないので、職業訓練高等学校とか、基礎教養課程とか適当なモラトリアム機関を作ったらええのでは?
]]>その遅れを加味して22歳ってわけで、より早くやってる教養課程なのに遅いところと同じだったらちょっとなあ
]]>あっちは学部は教養課程っぽい感じで一つのまとまりなのが前提に結果的になっちゃってるじゃん。
]]>おれがどれくらい阿呆であるかというと、知性以前に人として当たり前のことができない。例えばコミュニケーションだ。コミュニケーションというものは大まかな枠組みとして通信の確立、通信本文、通信終了の三つに分けることができ、それぞれで発信者が発信した後に受信者が返信を行なうことでその部分が終わることになる。このプロトコルは不足ないように簡潔にまとめたものであるため、三つすべてを含まないコミュニケーションというものもある。(例:広告。広告は"広告を打つ"という段階で通信が確立していることは前提と扱われるし通信終了は広告枠の制限で示されるのでそこについても返信は必要ない。)こうしたことは人間として生まれたならだれでもできることだ。人の話は人の目を見て聞く(通信の確立)、話を聞いているなら相槌を打つ(通信本文を受信していることの確認)。けれどもおれはそれができないままずっと育ってきたしこれからもできないであろう。
あるいは他に、おれはマルチタスクができない。よく「女性はマルチタスクができるが男性はシングルタスク向きだ」などという与太を吐くやつがいるがあれは嘘っぱちだ。水を飲むときのことを考えてほしい。口に含んだ水を飲むためにはまず鼻への侵入を防ぐために口蓋帆を上げて鼻への通り道をふさぐ必要があり、それと同時に喉頭蓋を裏返らせて気道を塞ぎかつ呼吸自体も水が通り抜けるまで止めなければならない。都合3種類ものタスクをこなさなければ水を飲むという行動はできず、おれはしょっちゅう一つ抜かしてえらい目に合っている。しかしよほどのバカか力の衰えた老人でもない限り水を飲むということはむずかしいことではないだろう。
そんなわけでおれはどうしようもない愚か者でありおそらく軽度の知的障害を患っているのだが、しかし両親はそんなことを疑わなかった。これはおれが一人っ子であったが故の不幸である。そしておれは適切なケアを受けることなく地元の公立小学校に通い、当然のように勉強についていけず落ちこぼれていた。テストで満点を取ったことなど小学校でさえ一度もなかった。どうやらクラスメートにもいじめられていたらしく、このままでは地元の公立中学校に通わせると深刻なダメージを負うと判断した両親は何を勘違いしたかおれを地元の学習塾に入塾させた。もっとも小学校の授業にさえついていけなかったおれであるから当然箸にも棒にもかからなかったのだが、入学試験ができなかったにもかかわらず県下二番目の中高一貫校に入学することとなった。確認はしてないがおそらく裏口入学という奴だろう。
中学校に入ったおれはますます授業についていけなくなり、ノートをとる習慣さえ失った。受けるテストはすべて赤点スレスレであったが中学校は義務教育であるからたとえどんな阿呆でもエスカレーター式に高校に進学した。今までの人生が万事こんな調子であるからそのころのおれはたいそう人生をナメており、高校一発目の進路指導で「両親の母校の医学部へ行きたい」などと大言壮語し担任に切々と諭されたのであった。当然である。2ケタのかけ算さえ間違え英単語の綴りさえ危ういような奴が高校(しかも進学校)へ進学しているのが間違いであろう。もっともおれ自身は阿呆であるから本一冊まともに通読できないままのほほんと高校へ通い、教師陣のお情けによって卒業した。両親の母校の医学部は最高でもC判定のまま受験をし、お話にならない点数で不合格と相成った。(センター試験は9割を下回っていた。)
どうにもならなかったので予備校へ入学した。予備校は商機を見つけるのがうまいので「医系への進学を目指すボンクラどもを自習室に縛り付け無理やりにでも勉強させるコース」というおれにうってつけのコースが存在し、わけがわからぬまま通学を続けた。2ケタのかけ算もままならぬままなぜか成績は上がっていたが、今から思えばあんなものはあてになるまい。というのも予備校としては「ボンクラが惜しいところまで伸びてもう1年通う」というシナリオが一番稼げるであろうから、ボンクラであるおれの成績が粉飾されていることは間違いなかろう。予備校の誤算としてはおれの志望校は両親の出身大学であることだった。ボンクラがボンクラなまま入試の日を迎え、愚にもつかぬ答案を根拠なき自信に満ち溢れたまま提出し、なぜか合格してしまった。すくなくとも自己採点では0点だった。(センター試験は結局歴史も数学も理科も満点を取れずじまいであった。)おそらく裏口入学というものだろう。
猫のほうがなんぼか賢かろうという馬鹿が大学に入ったが当然授業にはついて行けなかった。勉強する習慣さえないのだから当たり前である。教養課程は何らかの圧力ですり抜けたが専門科目は全くどうにもならず、2年生と3年生を2回繰り返している。そもそもこの学部に来たのだって父方の親戚がみな医師か医学者で母方の親戚はごたごたして面識がないのだから医師しか職業を知らぬせいであった。モチベーションなどあるはずもなく、解剖は2度やってかろうじて覚えたがそれ以外はどうにもならず教授に土下座してお情けで可をもらった始末である。現在は大学のカリキュラムの都合で研究室に遊びに行って研究ごっこをして遊んでいるが、自分が何をしているか微塵も把握していない。ただ聞こえてくる単語が授業で聞いた覚えのあるものだからわかったようにうなずいているのだが、先方もおれの阿呆具合など百も承知だから深くは追及されない。おれの阿呆を何とかしようと息巻いているのは父親だけで、母など最初からあきらめて「せめて清潔感を身に着けてヒモにでもなっていなさい」と言う次第だ。大学も3年生まで進級したもののここから先どうにかできるとは思えない、ましてどこかの病院で勤務するなど不可能としか言いようがない。かといって阿呆が研究者になれるほど世の中甘くない。おれの前に道はない。おれは何一つできないままここまで来てしまった。どうすればいいんだろう。
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