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はてなキーワード: 教養課程とは

2020-05-20

anond:20200520092011

電話線引かなくてもアンテナ建てれば電話網は構築できるんやで。大学教養課程普通習うやろ

2020-04-22

anond:20200422132811

今年度入学だとまだ教養課程殆どなんだが

(多少の専門科目もあるだろうが、1年なら先延ばししても何とかなるだろ)

やっぱ大学行ってないんだろうか

2019-11-17

それでも学問政治活動を分断させてはいけない

とある理系大学文系教養課程。最終日のテーマは「原発についてどう考えるか」であった。震災からまだ数年、明らかに政治的な」設問である。それまでの重厚で如何にも学問的な講義とは、明らかに様子が異なる。先生は、「あなたが望むと望まないとに関わらず、これから社会はこのようになるだろう。そこであなたは何を考える?」と問うた。

私は、問われていることの意味もわからず、ただその時の素直な「気持ち」をレポートに書いて提出した。今思えばそれは全くナンセンスな回答だったのだろう。書き直せるものなら書き直したい。

人間は根源的に自由である」とは、講義中に何度も先生が口にした言葉だ。すなわち、この世界にどのような強制力が働いたとしても、最終的な意思行動決定権を握るのは自分なのだと。その言葉意味を、当時の私も理解していたつもりなのだが、それを実践するまでには至っていなかったのだろう。あの日先生が問うていたのも、結局は「そこ」だったのだ。

原発のあり方に賛成か反対か。賛成/反対だとして、どのような具体案を持っているか。そんなことはどうでも良かったのだ。ただ、「この社会に、私はアクションを起こせる」こと、それだけを問うていたのだろう。それこそ純粋に、ただ学問的に。

そして伝えたかったのは、何らかの政治的思想ではなく、「学問実践できる」ことだったのだろう。


別の授業。上記とは分野も、先生性別も異なる。その先生がふと、自分経験について語る場面があった。

とある論文について、テレビ番組からコメントを求められたのだ。それは嬉しいことだと取材を受けたのだが、どうも番組としては「目指したい結論」があるらしく、そのようなコメントを「断定的に言ってもらえないか」と打診された。先生学者として嘘はつけないと断ったものの、放送された内容を見ると、やはり結論ありきの構成に利用されてしまっていた。

以降、先生はしばらくそのような取材は全て断っていた。しかし、ある時「本当にそれでいいのだろうか?」と考える機会があった。「仮にあの時自分が断ったとして、それで何かが変わっただろうか?」「コメントの場を与えられることは、それ自体社会意識を変えるチャンスなのではないか?」と。

それからは、取材のお願いも可能な限り断らないようにしているそうだ。やはり結論ありきの構成に利用されることは承知の上で、しかし、「その中で自分にやれることを探している」と言っていた。


学問政治活動に毒されてはいけないというのは、確かにその通りだと思う。一方で、政治活動にはもっと学問を持ち込むべきだろう。現状のように、宗教疑似科学、「気持ち」で動くばかりの活動いつまでも続けてはいけない。

そのためには、学問から拒絶するような態度をとり続けていてはいけないと思う。決して迎合するわけではなくとも、ただ一方的な「批判」では為せない仕事もあるのではないか。雲上人のままでいることなく、この汚く泥臭い社会の中に身を投じ、正しい学問実践していく必要もあるのではないか

2019-02-27

anond:20190220020904

そうだね。まあ、東大教養課程のくだらない授業はもう必要ないだろう。

2018-10-16

anond:20181016224403

お前みたいな学部教養課程数学物理すら理解できない低能ノータリン障害者には言っても通じないだろうが、お前が知らないだけで世界未来可能性に満ち溢れてるって話だよ。

お前が理解できないということは即ち存在しないということを意味しないし、お前が「狭い狭い分野」だと信じたがってることは即ち実際に狭いということを意味しない、わかる?

2018-10-10

anond:20181010123331

戦前旧制高校(今でいう大学教養課程)の学生制帽マントはおって寮歌を歌いながら町を闊歩してたとかいうのはよく聞く

憧れるよな

2018-09-21

anond:20180919164125

単純に勉強量が足りんのでは?

教養課程でやるような教科書一冊でも高校三年分の数学ボリュームよりはるかに多い。

ムキムキの大胸筋目指しといて、1日100回の腕立て伏せでヒーヒー言ってるような、

大して時間も負荷もかけない間違ったやり方で勉強して伸びない言ってる感じ。

2018-09-20

anond:20180920183434

そもそも今の大学っていわゆる「教養課程」が存在しないか非常に少ない場合が多いし

一年・半期にとれる上限の単位とかあるし

教養部がないから室の高い教養教育提供できる教員があまり居ないし

リソース的に厳しそうなイメージが有る、昔に比べると。

数学に当てられる時間が増える要素としては第二外国語の削除くらいか

2018-08-16

オレも感想文嫌いだったー!

anond:20180815104513

お前はオレか!っていうくらい同意w

 

なんていうか、知識吸収の方に全振りみたいな傾向で、小中学生のころは、どんな本を読んでもそのまま素直に受け入れるだけで、「ふ〜〜ん。そうなのか。」という感想しか無い。

別に内容がつまらなくて頭に入って来ないとかじゃなくて、それなりに興味を持って最後まで読むんだけど、特にどこが面白いとか、自分ならどうするだとかいう出力情報がないんだよねー。

他の人が書いた書評というか、解説みたいなのを探してきて、それをパクって無理やりヘンな社会正義ぶった感想文モドキを捏造して提出とか、今考えるとかなりイタい行動をとっていたw

高校になったらそういう宿題は無かったので、やれやれ...と思っていたら、大学教養課程とある著名な学者の著書を読んでレポート出せっていう課題が出て「うゎ〜〜これって読書感想文じゃん?」って思ってしまって頭抱えた。どうにかこうにかヘンなこじつけ文章をひねり出して、ようやく「可」で単位取れたけど、アレ落としてたら卒業も危うかったぜww

2018-06-22

anond:20180621151900

声優になりたい人の根本的な欲求って「声の仕事をしたい」じゃなくて「アニメゲームに関わる仕事に就きたい」なのに、これまでの専門教育経験もったいないと感じて、声の経験が活かせるけど全く興味がない司会業とか俳優業とかに進むことで自分人生台無しにすることを、大学生教養課程で「コンコルドの誤り」と呼ばれる本物の馬鹿だけに許された愚行として「絶対にやらないように」と習うんだよね。

声優になれなかった時に自分人生を豊かにするために検討すべき別の選択肢は「プログラマ」とか「キャラデザ」辺りが正解であって、今まで受けた専門教育が完全に無駄になることを理解した上で情報工学科や美大入学し直したり、全く経験がなくてもそっちの業界就職するのが、馬鹿以外に許された正しい選択

2018-04-26

anond:20180426005051

教養課程数学知識とか数学科じゃなくても理系ならある件について

さらに専門分野の存在なんてぶっちゃけ文系ですら何かしらはあるものだしなあ・・

というかそうなるとバイオはどうなるんだか

2018-04-21

オタク差別存在せず、オタク差別けが存在する

オタク差別」というのはオタクの大好きな言葉で言うと、それこそ「筋が悪い」と思っている。オタク差別があるのではなく、オタク差別があるのであり、要するに容姿差別があるのだろうというのが私の主張だ。

容姿差別反対!」というのは賛同できても、「オタク差別反対!」というのは意味がわからない。そもそもオタク差別などされていないからだ。

アニメゲーム漫画等は日本世界に誇れる文化である宮崎駿世界でも評価されてるということは誰もが知っているし、ジブリアニメ国民作品で、何度も何度も繰り返しテレビ放送されて、いまだに視聴率は悪くない。

日本サブカルに傾倒している外国人もたまにいて、ナルトコスプレなんかをしたりしている。

東大を始め、日本代表する大学であるいわゆる旧帝の生協ラノベが売れているというのは学生なら誰もが知っていることだ。

実際に大学に通ってみるとわかるが、インテリ層にもオタクは多い。うちの大学では教養課程とき教授講義のつかみで漫画ネタを使っていたし、気持ち悪がる学生などおらず、みんな楽しんでいた。それに大学にはサブカル研究自体もあり、アニメ漫画などを研究している人たちも普通にいる。

ONE PIECEドラゴンボール名探偵コナンドラえもんクレヨンしんちゃんなどは広く受け入れられているが、その事実否定する人はいないだろう。

ポケモン国民ゲームだし、ポケモンGOはもう話題にこそならないものの広く浸透して、根強い人気だ。

妖怪ウォッチは大ブームだったとき、いまだに高視聴率をとる国民イベント紅白歌合戦」にも出場もした。

これだけ広く浸透しているオタク文化を愛するオタクのどこが差別されているっていうんだろうか。本気でわからない。

オタクって気持ち悪いよなw」というのは、顔が気持ち悪いということを意味している。

オタクコンテンツ批判されているのではなく、オタクの顔が気持ち悪いことが揶揄されているだけだ。

もちろんそれは許せない。容姿差別反対だ。しかしそれはオタク差別ではない。

オタク差別」などというのは主語がでかい名探偵コナンファン美少女女子高生名探偵コナンファンであるという理由差別されているだろうか?

現実は「オタク趣味オタク顔のオタクバカにされている」ということなのだ。

これは完全に容姿差別だ。

オタク差別されている」では主語がでかく、問題本質を正確に捉えられていない。当然、オタクでかつ美少女という人物差別などされていないという反証可能からだ。

すべてのオタク差別されているわけではない。しかし、差別されているオタクは確かに存在する。私はそのことを否定しない。だが、重要なのは差別されているオタクもいるが、それはそのオタクの顔が気持ちいかである」という事実真摯に受け止めることだ。

そして容姿差別反対の運動をしていこう。

オタクではないにもかかわらず、「絵に描いたオタクっぽい見た目」という理由で「お前オタクだろw」とバカにされる人もいるのだ。これはオタク差別ではなく、容姿差別である

2017-09-12

anond:20170912080042

あなたの言いたいことは

リベラルアーツ的な総合的な知識必要とされる職業が少なくないわけだからアカデミックな面だけでなくリベラルアーツを学べるという面で大学必要

ということやね。

確かにそれは一理ある。

ただ、それは職業によると思う。

確かに分野横断的な教養大事職業もあるわけだけど、

特にWebエンジニアのような専門的な知識経験必要職業では大卒ブランドって必要ないよねって思う。

あと、「楽単」「一夜漬け」「出席のみ」で教養課程を進んできたような大学生果たしてどれだけリベラルアーツ素養が備わってるのか疑問もある。

2017-06-27

発達障害にとって大学のほうが快適だと言ってるみなさんへ

数年前まで快適だったかもしれませんが、今は1年目の教養課程からグループ課題が課されるなど発達障害排除する流れが強くなっております

このままでは、いわゆるペーパーテストの成績だけが良いアスペと呼ばれる人たちは大学卒業するが非常に困難になり、予備校下駄を履かせたような金持ちの子弟だけが卒業して要職に就くようになり、健常者しかできない空気を読む忖度でこの国を大きく変質させるでしょう。

いや、もうなってるか。

2015-12-21

大学つらい

端的に言って大学行きたくない

自分が興味があったり、研究をしたい分野の基礎を固めるために大学に来たはずなのに、それ以前の、いわば教養課程(それも、自分の興味のある分野と関係ない科目)の講義に出て単位を取るのが苦痛しかない。

英語なんかはまあ将来使うだろうし何とかこなしてるつもりだけれど、第二外国語を学ぶのが嫌になった。

前期は真面目に講義に出て、ノートを取って、単位を取ってきたが、後期になって急に出席することができなくなった。

寒いし、硬い椅子に座って、分野に関係ない上に興味の湧かない話を聞いて、必死こいてノートを取るのがつらい。

たぶん4年で卒業するのは不可能だ。

から電話がかかってくるようになったし、はっきり言ってつらい。

講義に出るより、図書館で本を読んだり、ふらっと観光旅行に行ったり、サークルのみんなと集まってわいわいやる方が楽しいに決まっている、という思いが日に日に強くなっている。

講義に出ていないことがばれたり、単位を大量に落としたりしたら、仕送りが止まる可能性がある。

親の管理から独立して、安定して暮らせるようになれば少しは落ち着くのだろうか、と思っているけど、仕送りがなくなるのが怖い。

何より、自分が安定した職に就いてやりくりしている姿が思い浮かべられない。

好きなことだけして暮らしていけたらどんなに楽だろうか。

僕には行動を起こすだけの勇気がない。

もうだめだ。

また日付が変わり、苦痛な日々が続く。

2015-02-13

精神科受診する踏ん切りがつかない

中学生の頃にADHDの可能性を指摘されてから10年以上。

診断は受けずに、親からADHDというのはこういう特性があるらしい、正直、お前は間違いなくADHDだと思う」という話を聞いて、

そういう特性を出しては社会ではやっていけない、なるべく普通であろう、何とか社会適応しようとして自分なりに努力してきたつもりだった。

教養課程で興味のない科目の勉強をするのはきっと無理だろうと考えて自分が好きそうなことの専門学校を選び、

定時とスーツ仕事は無理だと判断して、私服フレックスタイム制会社に潜り込んで5年以上、

仕事中も周囲の気配や音で気が散りっぱなしで日中ほとんど仕事が進まないので、

夜中や、たまに周囲の条件が整って集中できた時に一気に進めて、なんとか遅れを取り戻すような形でだましだましやってきた。

高校の時にできた彼女をがっちりホールドして、なんと結婚もできた。


ところが、最近急に対人恐怖やら社会不安のような症状が重くなって、家から出られない日が増えてしまい、

会社を辞める辞めないみたいな話が出る程度に色々と不都合が出てきた。

これはちょっとマズイと思って改めて調べてみたところ、普通であろうとして無理やり頑張るというのは、どうも二次障害まっしぐらな選択だったらしい。

今まで私のことを「ちょっと変わってるし甘い部分もあるけど、なんだかんだしっかり社会適応できている普通の人」と認識していた妻から理解は今一つ得られないし、

自分自身で今後のことを考える気力も少し萎えしまっていて、投げやりに今の社会的地位放棄してしまいそうな感じがするので、

この機会に一度精神科で診断をしてもらって、現状と今後の対策を立てる上でのバックボーンをはっきりさせるべきなのかなと考えている。

しかし、単なる甘えたクズ認定されてしまうと生きていく自信を完全に喪失してしまいそうで怖いとか、

薬漬けにされるだとかいう話を見るにつけ、受診、診断してもらうことが本当に自分と周囲にとっていいことなのかわからなくなって不安になる。

かといって他に自力で打てる手があるかというと自分では思いつかない状況なので、このままではおそらく破滅を待つばかりだと薄々わかってはいるのだけれど、

これまで多少不安定なことがあっても受診せずにやってきたじゃないかという思いが邪魔をしてどうにも踏ん切りがつかない。

誰か背中を押してほしい。

2014-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20140915133356

俺も遊んでるだけの大学生が減ればいいと思ってるけど、それはどうかなあ。

高校学歴差別するとなると、高校浪人が増えるね。

六四四で大学教養課程まで教えるのが、六三三で短大専門学校に進学するのと比較してどれだけ優位性があるのかいまいちわからない。

俺は単純に、高校大学卒業を厳しくすれば良いと思うけど。

生半可な姿勢では卒業できるかわからないわけだから、自信がない人は入学しなくなるだろうし。

日本の学制って六四四制くらいがちょうどいいんじゃないかと思うんだけど。

義務教育でやること増えてるけど、これ以上詰め込むのはきついから義務教育一年延ばす。

高校大学教養課程くらいの範囲まで教える。

高校単位制にして飛び級も認める。

高卒現在学士と同じくらいの資格を与えて、新卒採用させる。

大学基本的修士まではいものとして、研究専門職目指す人が進学する。

高卒大卒就職後の待遇が違うから無駄大学進学する人が多いんだと思うんだよね。

六四四制からの四年制大学にすると、現在で言うところの中卒と高卒と院卒しかいなくなるから

大学で遊んでるような人はさっさと社会に出せるし、理系研究室に配属したのに院に進まないとか意味ないこともなくせる。

専門教育できないなんちゃって大学も淘汰できる。

学歴差別大学名じゃなくて高校名ですればいい。

だめかねえ。

2014-03-15

東大首席というものはない

時々、東大卒有名人首席を名乗る場合がある。伝記の類でその手の記述がされることもある。一般人でも自称する場合がある(先日は取引先の部長が、自分の息子が東大首席だと言っていた)。そんなものはない。15年ほど前の自分のまわり(文学部しか知らないのでひょっとしたら違っているかもしれない。

前期の教養課程を終える段階で、成績の平均評点がでて、文学部工学部などではそれによって進学先が決定される。我々の時はシンフリと呼んでいた。客観的に示される学業総合指標というのものは、この平均評点しかなかったように思う。この平均評点は、あくまでシンフリ用のものなので、成績表にも載せられていないし、第一、学年で順位が付けられたりだとか、優秀者の実名リスト掲示板で公開されたりだとかそういうものではない。平均評点が1位がだれなのかはわからないし、通常誰も興味がない。

卒業式の総代、というものがある。あれは確かに、1名のみが選ばれて、かつ、同学年のものも誰が総代なのかを認識可能ではある。しかし、総代は成績によって選ばれるものなのか、また、成績優秀な学生は総代に選ばれることを目標学業に励むのか、といった点に関しては私は知らない。おそらく私以外の大多数も知らないはずだ。

あとは、学部学科ごとにどのような評価・表彰をしているのかという話になる。例えば、ある学科では毎年一人の学生に返済不要奨学金を付与していたので、その学科においては奨学生=最優等生ということになる。しかし、特定学科優等生首席を同一と考えることはできない。

ちなみに海外大学では、優等の卒業を示す公式資格呼称のほか、平均評点としてのGPAがあり、Web上で公開されている研究者大学院生履歴書を見ると、その手の記述が書かれている場合が多い。

http://en.wikipedia.org/wiki/Latin_honors

http://en.wikipedia.org/wiki/Honor_society

http://ja.wikipedia.org/wiki/GPA

※追記(3/17)

総代は成績・卒論等によって選出がされる、というツッコミいただきました。内的にそのような基準があるにせよ、在校生一般にはそうした選出過程が知れ渡っているわけではなく、また総代=首席とみなされているわけでもない。ゆえに仮に総代であっても、「首席自称ちゃうのはカッコ悪い」というのが私の認識です。

2012-11-11

東京大学○○分校

東日本大学は全部東大にしよう。

じゃなかったら、関東大学だけでも。

東京大学宇都宮分校。

東京大学茨城分校。

東京大学千葉分校。

いや、割とマジで

予備校がやってるみたいに、オンラインなり衛星放送なりで同じ講義を全員が受講出来ることは技術的に可能でしょ。

教養課程英語とか数学とかなんて、大学ごとに授業してテストするなんて経費の無駄でしょ。

よい講義は数多くの学生に聴かせることが、学生の基礎能力アップにつながるし、同じ試験受けさせて同じ合格ラインで単位認定することで、質を担保できるっていう具合だ。

教務課も学生課も就職課も学校ごとに置くのって面倒じゃん。

企業が募集だしたりするときにさ、どういう人材を探してるかを言えば、

「どこどこ大学の○○研究室がその分野で強いですね。就職希望学生がいたら連絡しますよ。」

って具合に出来ればお互いWinWinじゃん。

なんか、協力できない理由でもあるの?

ICUみたいに独特なカリキュラムだと、他校と協調しにくいとかあるだろうけどさ、国公立にそんなものないでしょ。

建前上はポリシーとか建学の理念とかあってもさ、実際のところは放任主義か超放任主義か超超放任主義かくらいの違いしかないでしょ。

2012-05-19

小学校から大学院までのゴール

ふと思いついたのでメモ書き (c.f. http://anond.hatelabo.jp/20120519214834 )

  • 小学校のゴール
    • まわりの大人が言っていることを理解できるようにする
  • 中学校のゴール
    • 選挙権を持つ公民として生きていくのに最低限の、世の中の基本的なきまりごとを理解する
  • 高校のゴール
    • 仕事をするための最低限の知識を習得し、なすべき仕事に対して手順を守って実行できる
  • 大学教養課程のゴール (1、2年)
    • 先人が残した専門知識を吸収するための土台を作る
  • 大学専門課程のゴール (3、4年)
    • 先人が残した専門知識を吸収できる (← この段階ではじめて「勉強のしかたがわかる」と言える)
    • 設定された課題を範囲が指定されていない(教科書に書かれていない)知識セットを応用して解決できる
  • 大学院修士課程のゴール
    • 先人が残した専門知識を応用できる
    • 課題を設定できる
  • 大学院博士課程のゴール
    • 専門知識に新しい何かを追加できる

今のところ大学教員にはなれなさそうだけど、将来大学教員の職につくチャンスがあったらこういうことをまず学生に話したい。

あなたたちはどんなことを期待されているのか、ということと、この先どれだけたくさん勉強する喜びがあるのか、ということ。

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