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はてなキーワード: 故事成語とは

2017-05-01

兵法だか故事成語だかが思い出せない

記憶では孫子とか老子とか莊子を読み漁ってた時期だと思う。

確か、「敵を支配するにはまず施せばいい」みたいな内容。

最初その言葉を読んでも全然意味がわからなかったのだけど、例えばインフラを与えておいてそれが当たり前の生活になったら、その後は止めるなり金銭請求するなりそれを条件に何かしらの交渉をするなり好きにすれば良いというものだった。

サイコパスじみてるけど、的を射すぎててしばらく鳥肌が止まらなかった。

今になってビジネスだろうと人間関係だろうと、イニシアティブを握りたいならこれがどれだけ効果的なのかを思い知る毎日

社内標語にしたいのだけど、どなたか原文を知ってたら教えて欲しい。

2016-10-01

たとえ話で議論をしないことが常識になってほしい

たとえ話は、一見すると分かりやすい。

しかし、多くの場合議論におけるたとえ話は、欺瞞はらんでいたり、議論拡散・混乱させる効果しかない。

例えば、「AはBであるか否か」の議論をしていたとしよう。

ここで、「AはBである」という論者が、Cのたとえ話をするとき、そこには、

①AはCにたとえられる(A≒C)

②CはBである

③①及び②ゆえにAはBである

という論理が背後にあるはずである

大抵の場合、たとえ話においては、②については異論がでにくいようなCが設定されるので、問題は①である

ときどき、②すらあやしいたとえ話もあるが、それは措く。)

多くの場合において、①A≒Cと言えるかどうかは議論余地があり、たとえ話によって結局、議論拡散してしまうのである

そもそも、①及び②が当然に認められるなら、「AはBである」ということにほとんど疑いはなく、「AはBであるか否か」ということが議論になっているということは、①か②を当然視しない人がいるというこのなのである

最近の例では、元アナウンサーブログ記事炎上に対する芸人コメントがある。

このコメントでは、「壁ド突いたら手の骨折ます、でもド突いちゃった」患者がたとえ話として出されている。

Twitterでのコメントであり、言葉不足となっているが、ここでいいたいのは、

自己責任人工透析を受けることになった患者と、壁を殴ったら骨が折れることが分かってるのに殴って骨を折った患者は同様である

②壁を殴ったら…の患者医療費は全額自己負担にすべきである

自己責任人工透析を受けることになった患者医療費自己負担にすべきである

ということだろう。

このケースでは、そもそも②が当然に同意できるものではない上、①についても、それらが同様といえるかについて議論余地がある。

結局、元々の議論に①、②という論点を新たに付け加えているだけであり、議論の促進に資するところがないばかりか、議論を混乱させるものだと言える。

そもそも記事炎上の原因は③の命題の当否ではないという点でも的外れ気味な擁護ではある。)

このようにたとえ話というのは、多くの場合百害あって一利なしである

議論においてたとえ話をしない、ということが常識として広まるようになってほしい。

※なお、本来A≒Cとして扱うべきところ、差別意識からA≠Cとして扱れている、ということを炙り出すためには、たとえ話が有用場合がある。男女を入れ替えるたとえ話がこの役割を果たすことは多い。もっとも、この場合でも、男女をいれかえることによって変化する要素がないか注意が必要である

※追記

ここでいうたとえ話というのは、比喩アナロジーであって、例示ではない。誤解している人もいるみたいなので念の為

※追記2

故事成語寓話の(世間話レベルにおける)説得力とそれが議論で使えるかどうかは別問題だと思うんですが。

2016-06-21

はてブ害悪性について

はてな歴浅いので既出だと思うが

 

ナレッジ共有系について

 

ナレッジ共有サイトブログなどで、ゴミみたいな一次ソースが出る

ツッコミによるブコメがついて盛り上がる

ナレッジ共有サイトブログなどで注目度トップになる

ゴミみたいなナレッジの閲覧数が増える

 

みたいなことがあるんだな

どっかで見たことあるなと思ったが、2chまとめブログ関係

悪貨は良貨を駆逐する」って言葉あるけど、「悪い情報は良い情報駆逐する」みたいな故事成語って無いのかね?

 

あ、良い点もいっぱいあるけどね>はてな

2016-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20160501232542

おもしろい。

知らなかったからとか考えたことなかったからじゃなく、説明の仕方がすごくおもしろい。

だってまれて初めて見た気がするんだ。こんなAA

故事成語四字熟語辞書を少し見たけど、同じことをやろうとしても中々ここまでピッタリ来るものは見つからない。

自分の頭が気持よくて喜んでるので、ありがとうと言っておきたい。

2016-05-01

四面楚歌勘違いしてた

四面楚歌」の故事成語を、意味自体は正しかったんだけど、(周りが敵に囲まれていて絶望する状態

その由来が全然違ってた

勘違いしてたとき四面楚歌

  \♪楚の歌♪/
楚楚楚楚楚楚楚楚楚楚楚楚
楚          楚
楚  敵(もうだめだ) 楚
楚          楚
楚楚楚楚楚楚楚楚楚楚楚楚

本当の四面楚歌

  \♪楚の歌♪/
敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵
敵          敵
敵  楚(もうだめだ) 敵
敵          敵
敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵

そっちが楚の歌を歌うのかよ!

楚はそれを聞いて、諦めちゃうのかよ!

ていうか、よく敵は楚の歌を知ってたな!

なんかいろいろ突っ込んでしまった

2016-04-17

もらしてヒーローになりたい

今まで誰にも注目されずに生きてきた。

これからもそうなる予定はない。

増田を見ているうちに一度でいいからヒーローになってみたいなんて思うようになった。

もらせばヒーローになれるチャンスがある。

俺にもチャンスがある。

だが俺は便秘症で排便は週一回くらいあるかないかってところだ。

増田でもらした人はもれなくヒーローになれる。

もらしたのにもれなく・・・

もらさないのにもれる・・・

故事成語ってやつか。

2015-05-25

藺相如とかい故事成語打線組める名宰相

1三「怒髪天を衝く

髪が逆立つほどの闘争心を見せながらも、冷静に点を取り返す狡猾さも併せ持つ、攻撃的なリードオフマン

2二「布衣之交」

庶民でさえ約束は守るでしょ」と厭味ったらしく相手を責める、地味ながらも失点の隙を与えない堅守が自慢。

3遊「智勇兼備

野球評論家司馬遷も絶賛。攻撃でも守備でも活躍する、まさに智勇兼備と言うべき遊撃手

4捕「刎頸の交わり」

投手との阿吽の呼吸で巧みにリードする名捕手契約更改の前に「チームのためならクビを切られても悔いはない」と言い放ったエピソードは有名。

5中「肉袒負荊」

諸肌を脱いで棘付きバットを振り回すパフォーマンスで知られるスラッガーエラーをするたびに厳罰を望むようなストイックなところがある。

6右「両虎共闘」

危険を察知するのが得意な守備の名手だが、中堅手共倒れにならないようにフライの処理を譲る場面が多く見られる。

7一「琴柱に膠す」

技術はあるのだが融通がきかないために一軍に定着しきれていない。今回のチャンスをものにできるか。

8左「紙上談兵」

読書家で野球の知識は豊富。他球団からマークされる期待の若手だが、実戦経験が少ないことに懸念の声も。

9投「完璧

球界の盟主・秦を相手に完全試合を達成した大エース。「石ころ」と呼ばれるくらいの低評価だったが才能に磨きをかけて名選手となった。

2015-04-16

教育共依存

バイト先の後輩と割と仲がいいのだけど、知能に一抹の翳りがある。いや、一抹どころじゃない。

勉学が基本的に一人でできない。文字を追うことに慣れてないし、読解力がないから

また、義務教育の知識がかなり欠けている。消費税計算ってどうやるんですか?

蛇足(などの故事成語)」ってなんですか?この「ear」って意味なんですか?etc

マジかよと思いつつ、軽く教えるうちに気がつけば私が何故か教育係になっていた。

後輩もこちらが物事を教えるのがさも当然のように振舞う。

店長も「あいつな(苦笑)。ま、一つよろしく」というような態度でイラっとする。

後輩は常に周りに流されて、自分意見もない。マニュアル人間として動けば上出来だ。

知識的に自立して思考力があれば、手取り足取り教えなくて済むんだけど。

私にはそのようなスペックの子物事を教える義理はあるのだろうか。

普通に話す分には全く問題がないのだけど、手取り足取り教えるとなると私には荷が重すぎる。

けど、私がいないとこの子は多分だめになるという共依存待った無しの思考に陥りそうですごく怖い。

というか若干なってる。皆どんな風に折り合いをつけるんだろうか。

魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えればそこで終わりなんだろうか。

2015-03-17

http://anond.hatelabo.jp/20150317104053

増田は「隗より始めよ」という言葉を知らないのかな?

詐欺師が「私のようなつまらない人間を雇えば優れた人材がやってきますよ」と言って王様にうまく取り入ったという故事成語だよ。

まらない投稿をしているのも、そうすると出世できるからなんだね。

みんないろいろ考えてる。郭隗とか。

2014-11-23

どうもjpはとったけどcomはとってないよ作戦で行くつもりみたいだな

なんかしばらく泳がせとけば河原スマホ埋めそう(故事成語)

2014-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20141112172616

いやいや、「ファースト・イズ・カイ」 だろ。

中国故事成語で、最初に重用するのは、カイさんな訳だし。

人鬼と書いてカイと読みます。(違

2014-10-16

それでも歌い続けるのをやめない

そもそも「歌い続ける」というテーマ普遍だよねって話。

「君がッ 泣くまでッ 殴るのをやめないッ」とは某ジョジョセリフだが、

そういえばマザーでも「歌をやめろ」ってギーグのセリフがあったっけ?

「わたしと共にマザーシップに乗りなさい」 「歌うのをやめなさい」 「歌を…やめろ」 「う、うたをやめろ!」 「うたをやめるんだ!」 「地球のむしけらども!黙れ!歌うな」 「うたを…」「やめろ!」

ユング原体験じゃないけどこういうのってあるよね。わからないって人は慎重に話を聞いてくれ。

断っておくが現実リアル混同するのは俺の主義に反する。

DQ8では全員で杖に向かって祈り1人でも死んだら祈りは中断される仕様だったし、

魔法詠唱が中断されると台無しになるという仕様は多くのファンタジー作品で共通している。

それがどうした?と思うかもしれないが、よく考えてみるとあまりに独特な仕様なんだよね。

1.祈りや歌を継続しなければ効果がない

2.一瞬でも途切れる(または条件から外れる)とリセットされる(=台無しになる)

3.祈りや歌を継続すると強大な力が得られる

この仕様が無批判に受け入れられて広まっているのは、単に都合のいい設定だからパクられているといったレベルではなく、

物事の真理を言い当てているからなのかもしれない。もう少しリサーチを続けてみよう。

卑近になるがPCアラートの類いを入れると集中力が途切れるから一切入れないって人がいる。

熟考中に話しかけられると考えてたことが木端微塵に大破するがごとくリセットされるという経験も皆様には数多いことだろう。

また百年の恋が一秒で冷めるとか、信頼を失うのは一瞬取り戻すのは一生という故事成語の通り、

詠唱わずかでも一瞬でも構成要件というか要件定義から外れると台無しになる。

ピアノの練習だって一日でも休むとすごく鈍るのは多くの人が経験しているだろう。

これでもまだ「抽象構造から偏在して当然」と思うだろうか?それとも精神重要性質を表していると思うだろうか?

現代社会多忙で突発タスク割り込みが多い。歌がすぐ途切れる時代といえよう。

そんな今、歌い続けることに如何ほどの意味があるのか、歌い続けるならどんな歌を歌うべきなのか?

それをみんなで考え始める時期に来ていると言えるだろう。

2014-10-06

若きウェルテルの悩みとラノベラブコメ青年男性の目移りについて

古いアニメを持ち出すが、ゼロの使い魔アニメ2期のED歌詞に『よそ見してたでしょっ 他の女の子

という歌詞がある、これは主人公であるサイトルイズ視点から見るとしょっちゅうシエスタやキュルケに色目を使い目移りしているように見えるということを示唆している。

しかし読者や主人公からすれば主人公であるところのサイトがずっとルイズが好きなのは明らかである

では何故そのようなすれちがいが発生するのか、これをゲーテの名作であるところの"若きウェルテルの悩み"を読んでいたところ思いついたのでここに記してみる。

若きウェルテルの悩みはウェルテルがロッテに猛烈な恋をするが、既婚者であるロッテとの恋はどうやっても叶えられないことに絶望最後には自殺をするという壮絶な内容である

ロッテ結婚たからといってすぐ自殺をしてしまったほけではなく、当然そこには過程がある。

ウェルテルはロッテがすでに婚約者であったがためにいったんよその土地へ行くがまた戻ってきてしまう、そして戻ってきたときにはロッテはすでに結婚しており以前住んでいたとき住民の近況は変化していた。

作中のエピソードでウェルテルがある口下手な作男と非常に仲良くなり、その男はある後家さんのところで働いており非常にその女主人を慕っており、女主人のほうも作男を優遇しておりにくからず思っているということが語られる。

ウェルテルがよその土地から戻ってみると、その男はウェルテルが留守にしているあいだにその女主人と腕ずくで思いを遂げようとしたがそれを快く思わない女主人の弟の介入もあり拒否され解雇されてしまう。

もちろんウェルテルはこの作男にロッテへの強烈な横恋慕をしている自分を重ねあわせて同情する、そしてこの作男は最後には後任の男を殺してしまうのだ。

作男がこの後任の男を殺したのにはもちろん理由があって、何故か女主人はこの後任の男と結婚しそうな気配があったらしい(なぜこうなったのかは私にはわからない)

ウェルテルは後任の男を殺してしまったこの作男を強烈に弁護するが周りからは受け入れられない。

他にもロッテに恋し、それを打ち明けた結果免職になり気が狂ってしまった書記の話などが語られる。

もしもまともに恋愛ができたならば当然この書記はウェルテルにとっての恋敵なわけだが、ウェルテルはこの気が狂った書記の話に対してはげしく感動をしてしまう。

なぜなら、この書記はウェルテルがやりたいと思ってできなかったことをした結果狂気の道におちいったからだ、それに対して深い同情を覚えて感動をしたわけだ、しかしこれはウェルテルにとっては絶望への一歩だったと思う。

さて前述の作男の裁判をした結果、弁護は受け入れられずウェルテルはロッテとの交流も断たれてしまい、最終的に自殺の道を選ぶことになる。

では何故ウェルテルは自殺をしたのか? ロッテ婚約しているにしても、結婚前に告白すれば万が一でも受け入れられたのではないか?もしくは他の女性を探すとかロッテを略奪するとかさまざまな道があるのではないかと読者が思うのは当然である

しかしこれらの道はすべてウェルテルからするとすでに検討された、というか現実試行してみたようなものなのだ。ウェルテルは発狂した男や殺人を犯してしまった作男を見て、自分の思いをうち明けたり略奪をしようとすれば同じ結末になることに気がついてしまったのだ。

はいっても、他の土地へ移るというのもすでにやってしまった道であり、どうやってもロッテへの想いを抑えることはできないと悟ったから最終的に自殺をするわけである

ではどうしてこういう考えに至るのかというと、告白やら略奪といった行為男性にとって非常にリスクのともなう行為からだ。

古来から女性には恋愛結婚に弱い拒否権はあっても、誰々と結婚したいといった能動的な権利は与えられてこなかった、つまり求婚は基本的男性から行われてきたのである、これは現代でもある程度同じ傾向が見られるといっていいだろう。

フィクションであれば"すばらしい新世界"などで女性から直截なセックスを求められ野蛮人(旧世代人)のジョンがショックを受けるといったような話があるが、だからこそ現実ではそうはなっていなかったということがわかる。

それはともかく、女性から求愛をするというのは稀であるというのがわかると思う、これは"据え膳食わぬは男の恥"という故事成語からもめったにあることではなくそのような事までさせてしまったのだから男は責任を取れという意味合いであると思う。

まり求愛は男性から基本的に行われ、女性はせいぜい思わせぶりな行動しかとれずあなたは私をどう思っているのか?ということは聞けないのである、聞けば実質それは告白と同じである

そして万が一その告白拒否されればそれは恥ずかしいことであり自分自尊心を大いに傷つけることになる。しかしそういったことを聞かずある程度まで仲良くする分にはまったく問題がなくノーリスクなわけである女性の側からするとやきもきするかもしれないが男性の側からすると告白リスクの伴う行為であり確証を得るまでは動けないのである

告白を行うムードまでもっていけたら実質告白前に勝負は決まっており勝ちも同然である

ある程度の仲まで持っていくのはノーリスクなのだから青年男性はいろんな女性とある程度に仲よくなったりするわけであり、それは意中の女性がいたとしてもまだ彼氏彼女関係になっていなかったらそうなのである

それはリスク分散という側面もあるし、単に女性と話すスキルを上げたいというのもあるだろうし、告白し失敗した場合自分精神を守るための布石だったり、一人の女性だけに入れ込んでいるのは怖がられそうという判断のためだったりするだろう。

しかしこれは女性の側から見たら、男性はいろんな女性に目移りしたりデレデレしているように見えるのではないかと思った。私は好きとは言わないけどあなたからは言って欲しいというわけである。好きと言ってくれなかったらそれまでの愛が憎しみに変わったりすることもあるわけで、

たとえ男の方は意中の女性のことをずっと一途に慕っていたとしてもそうなったりする。

こういうことを考えていたら、そういえばゼロの使い魔EDにそういうような歌詞があったなと思いだされてたので文章にまとめた。

ともあれ恋愛弱者に対して死刑宣告をするような本だった、途中まであまり面白くなかったがロッテ告白して爆死した男にウェルテルが同情したあたりから面白かった。

この本に興味を持って読むような読者はもれなく恋愛弱者であることが予想される。

2013-08-29

泣いて馬謖を斬る

有名な故事成語がある

蜀(蜀漢)の武将馬謖が、街亭の戦いで諸葛亮の指示に背いて敗戦を招いたことにより、

諸葛亮が「軍律の遵守が最優先」と涙を流しながら切ったという話である

なぜ諸葛亮は切らなければならなかったのか?

馬謖ほどの有能な将を」と彼を惜しむ意見もあるほど馬謖はい人材だった。

そこにはルールを守らねばならないという理由があった。

このルールを守るということ

これって何らかの目的のための手段だよね?

諸葛亮ほどの人間がなぜ目的じゃなく手段を優先したのか?

それとも目的の奥には更に深い目的があったのか?

思うにこの深い目的って馬鹿を操るためなのかな。

規律を守らなくても良しとすると、

途中馬鹿が出てきて制御不能に陥ってしまうから切ったのかな。

もし小さな組織であれば全ての状況でも判断できるだろうけど

大きな組織になればなるほど全ての状況で自分が判断するということはできなくなる

その為のルールなんだ

コンプライアンスとかルールとか大事って言われるけど、

大きくない組織の場合必ずしもコンプライアンスとかルールが優先されるものではなく

管理者の能力によってルールよりも状況判断が優先される場合があるんじゃないかな?

ステレオタイプのようにコンプライアンスって連呼している人はきっとバカの一つ覚えなんだと思う

2013-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20130820111526

41代より前なんて淡海三船がまとめてつけちゃったって話だし、

それ以降も多くは公卿会議で決めてたようだし

天皇諡号をつけられるのは天皇だけ」なんていう伝統はこの国にはなかったようだよ。

いろんな故事成語とか知ってる学者センセイに良い字の候補を選んでもらってその中から決める、って感じ。

2013-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20130412110515

それ間違える奴ってなんなんだろうな。

略語が何の略なのか考えないってことなのか?

マジで理解できない。

いや、大体「メンタルヘルス」の略だったら、正常な人じゃないか

メンタルヘルス板住人がおかしいって扱いだから2ch用語としてこうなったけど、2chなんて誰も覗かん状況で用語だけ広まってるんだから理解されないよ。

略語っていうより故事成語じゃないかな。

2009-10-06

へたくそな文章だと思わせないための、たったひとつ法則

これから書くことは、あまりにもシンプルで、誰かがもうすでに書いてるんじゃないかと思う。

けど、今朝こんなの(※1)がホッテントリ入りしてるのを見て、なんでこんな誰も使えないようなくだらないテクニックがもてはやされるんだろうと疑問に思ったことだし、一つ書いてみることにした。

へたくそな文章だと思わせないための法則は、

  • 繰り返しを避ける

これ一つだけだ。

あらゆる文章について、この「繰り返しを避ける」という言説を当てはめて、文章をより良いものにすることが出来る。それは何も難しい事じゃないし、誰でも、今からすぐにできることだと思う。

ひとつの文の中で同じ言葉を何度も使わないことはもちろんだが、もう少しこの法則について吟味してみよう。

まず、へたくそな文章を書く人の大半は、

  • 語尾がいつも同じ

なのである。よく見かける、「~だ。~だ。」の一本調子では、読んでいる方が疲れる。もちろん、新聞のように厳しく字数制限がある場合は節約の必要もあるだろうが、特に字数を気にしない場合、「~だ。」をアレンジし、「~であった」「~なのだ」などといろいろ使い分けることで、簡単に同じ言葉の反復を抜け出すことができる。もちろん、慣れてきたら、体言止めや時制などにも気を遣ってアレンジしていくと良い(※2)。

次に、へたくそな文章の特徴として、

  • 短い文の反復がやたら多い

ということも挙げられよう。

森博嗣大先生なんかこれがひどくて、いま手元にあった「カクレカラクリ」をひもといてみると、

「○○○○」○○は言った。

「○○○○」○○は言った。

「○○」

「○○○○」○○は叫んだ。

とこんな表現がいくらでも出てくる。いくら量産が必要な人気作家でも、これはひどすぎやしないだろうか? 異常ですらあると思う。いくらストーリーが良くてもこれでは興ざめだ。だから、短い文はできるだけ目立たないように、それでいて、自分の主張を特に強めたいときだけに使うとよい。基本的に短い文は強い印象を与え、なおかつ文中でよく目立ち、一方で長い文はその内容の印象を薄める効果があるからだ。それゆえ、長い文を書いた上で、短い文でダメ押しすると強い。Yes, we can.

あとそれから

  • 使い古された表現はやめておく

のが吉だ。とくに故事成語はヤバイ。こういう言葉は、日本人なら何度も何度も小さい頃から聞かされているから、たとえその文章全体の中で初めて使われたとしても、一気になんか古くさい、繰り返しがまた来たという印象を与えてしまう。これも「繰り返しを避ける」原則の発展としてとらえることができるだろう。

まあ考察は面倒だしそれくらいにしておいて、あとはTips的なものとか、個人的好みの話とか。

  • 読点を適切に入れる

ことも大事だよ、ってことを忘れないで欲しい。読点はダテについているものじゃないのだ。本田勝一が「日本語の作文技術」で読点の付け方について、章を一個割いてクドクド説いているのも、当たり前のことだが、理由がなくてやっているわけではない。へたくそな人は、読点をどこに入れるかを全く意識しないから、結果として文章は読みづらく、陳腐に見えてしまう。

  • 書いてみたら音読してみる

ってのもやっぱり大事だ。頭の中で良い。実際に読むスピードで、自分の書いた文章をもう一度読み直すこと。向田邦子自分小説だか台本だかを執筆しながら朗読して、それをテープに残していたらしい。そこまでする必要はないと思うけれど、そういう姿勢が大事なのは確かだ。音読してひっかかるような文章を書いているのはよろしくない。

さらに主張しておきたいのは、

ということだ。よく「自分言葉で書きましょう」なんて事をいけしゃあしゃあと抜かすヤツがいるが、自分言葉なんて、そんなもの元からありはしない。どんな大作家だって、誰かに影響されて、それが少なからず現れながら文章を書いている。「作文は借文」、この原理原則を忘れずに、出来るだけ素直に、努めてわかりやすく、相手に「自分の心のイメージを、相手のわかる形で伝える」こと。オリジナリティなんて言葉にだまされて変な表現を使ったら一気に興が冷めてしまう。ましてや自分が「これは名文が書けたぜウッシッシ」と考えたりしたことがあるなら、猛省して欲しい。もちろんこれは自戒も込めて。オナニーした後の紙は、ゴミ箱へ捨てるのが常道だ。こびりついた精液を他人様に見せてはいけない。何も、肩を張らなくてもいいのだ。あなたが語った時点で、その言葉は「あなたのもの」なのだから。

最終的に、

  • 文章は、いつでも苦しんで生まれるものだ

ということも忘れないでおくと、相手に自分の心が伝わる、良い文章が書けることだろう。いつでも文章は「書き飛ばせる」ようなものではなくて、努力と苦悩の果てに成り立っている。良い文章が書けなくて苦しんでいるのはあなただけではないし、苦しまなくなったときが、まさに文章を書く人間としての終わりなのだ。どうやったら自分イメージを、誤解なく、ありのまま伝えることが出来るだろうか? そのひたすらの煩悶が、文章を成長させてくれる。だから、へたくそでも、伝えようという意志を必死で込めることで、相手にその熱意は伝わることだろう(もちろんその熱意を期待してはいけない! 文章を書くことは常に「伝わらない」恐怖との戦いだ)。

(そういえば、読点が多いという指摘があったが、全くその通りだと思う。どうも自分は読点が好きすぎる)

※1:http://www.lifehacker.jp/2009/10/091005writingtips5.html

※2:ただし、よくちまたで言われているように、体言止めはなるべく避けた方がよいのは確かで、その理由は、強く言い切る形になり、語調に与える影響が大きいからだ。従って、原則として使わないという指針は間違ってはいない。間違ってはいないが、体言止めという手法がなぜ存在しているかと言うことも考えると、どうしても必要と信念が訴えるならば使うことになるだろう。もちろんそうやって、みんな失敗するのだ。

2008-08-14

僕の増田☆記事を集めてみたよ!ものすごくキチガイだよ!

こんにちはこんにちは

今日は僕が書いたキチガイみたいな増田☆記事をまとめてみたよ!☆が入るとなんだかスタイリッシュだよね!

古いのからいくよ!

OpenOppaiについて

なんでこんなの書いたかよくわかんないけど内容も意味不明だよ!

無題

意味が分かんないよ!なんだか自分の心の闇を感じてしまうよ!

馬鹿に関する投資と利益

読む価値ないよ!

悟りを開きて小五ロリが如し

もしかして自分って病気なんじゃないのかな!おもに頭の!

ガラパゴスチンコ

もうなんだか頭がやばいよね!僕はもうダメ人間だよね!

☆変態★宣言☆

即興で書いた意味が分かんない宣言だよ!

右手左手チンコ

もし他人が書いたらこいつ頭くるってんじゃね?と思うけど問題なのは書いたのが僕なんだよね!

釣り

確実にニコニコ動画釣りができるよ!

ふと考えたエロサイトの経済学

これはlevel1だね!

無題

なんで書いたかよくわかんなけどたぶん自分の中での理由付けがあったんじゃないかな?

虎穴に入らずんば虎児を得ず

故事成語の正しい解釈だよ!間違ってるよ!いろいろと!

ビールの飲めない若者はそんなに問題ではない

これはお酒を飲まない僕だからこそたどりついた境地だと思うよ!

夢とおっぱいとマシュマロ

語呂がいいよね!

やばい、エロサイトがやばい

Level2だよ!

すごい、エロサイトがすごい

もうさ、僕はダメ人間だよね!

悲しくなったら

もう、コメントしようがないよね!

人は匿名だとありえない人間性を発揮するよ!こんな人間でも大学で首席候補なんだから人生を悲観するのはよくないよ!

どうにかなるさ!人生どうにかなるさ!たぶん、どうにかなるさ!

2007-11-26

この中にひとり

中国故事成語が大好きなやつがおる。




(・∀・)9mおまえやー!

2007-11-03

核に近づけるなら何でもいい

どんなことでも根本まで突き詰めるとあらゆる分野で通用する力が身につく。とよく言われるけど、それはほんとなんだろうか。

例えば読書読書と言ってもいろいろあるので小説を読む場合に限定する。

ひたすらにページを捲って物語を読み漁る。それで得られるものと言えばなんだろうか。

おそらく大半は物語に入り込むことで生まれる擬似経験とそれに引っ張られて生じる自分の擬似感情だろう。

想像の中での擬似経験を楽しむ、あるいはストレス発散であるとかカタルシスを得るとかの不満解消の意味が、それらの擬似体感にはある。

魔法が使える世界でのお話であれば、その設定だけで一時的にであれストレスが解消される。

自分と似たような環境での話であれば、主人公と一体化して現実ではやりたいができないことを体験し不満を解消できる。

小説メリットを求めた場合どんなものがあるかの話になってしまった。

小説を読む、ということを突き詰めると、どんな力がつくだろう。

よく言われるのは想像力だ。ものごとを予測して備えるのに役立つ脳内シミュレーション機能である。

小説を読むときには少なからず想像が行われる。フィクションを頭の中で具体化してみる作業だ。

これは何にでも応用できる。

人間の体験していることは脳が見せているものだからこそ、想像は全てにおいて適用される。

これを現実に当てはめるといろいろと役立てられる。どのような場面であれ、先を予測できることはメリットになる。

つまり、小説を読むと言う行為を深く突き詰めていくと、多分野で役立つ力が得られるのだ。

ここで一応の仮説はできた。具体的な例は小説を読む人の場合だけだが、一つの筋は通ったわけだ。

ここで言いたかったのは、

何かを突き詰めていくといずれは人間固有の(かつ根底の)能力の部分をどうこうしていくことにつながるから、何かのプロは別のプロにも通ずる部分があるんじゃないかな、

ということだ。

いまでこそ分野もモノも増えたわけだけど、それらを扱うのはどこまでいっても人間なわけだ。

思考回路が整備されてるか否かで能力は変わる。思考回路を作っていくのは何かを突き詰める場合だ。

故事成語や名言と言われるものを読んでると、そういう根本ルールぼんやりと感じられる。

何をやるかじゃなくてやれることを底の底までやりきるかを重視したほうがよいんじゃないかと思ったのだ。

かっこいいことを言うと馬鹿も極めりゃ能力だ。


なんすかこの空気。すいませんでした。

2007-03-29

http://anond.hatelabo.jp/20070329193007

あれ、中国かなんかの古語だか故事成語だかでなかったっけ?

あー、もやもやしてきた。

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