2007-11-03

核に近づけるなら何でもいい

どんなことでも根本まで突き詰めるとあらゆる分野で通用する力が身につく。とよく言われるけど、それはほんとなんだろうか。

例えば読書読書と言ってもいろいろあるので小説を読む場合に限定する。

ひたすらにページを捲って物語を読み漁る。それで得られるものと言えばなんだろうか。

おそらく大半は物語に入り込むことで生まれる擬似経験とそれに引っ張られて生じる自分の擬似感情だろう。

想像の中での擬似経験を楽しむ、あるいはストレス発散であるとかカタルシスを得るとかの不満解消の意味が、それらの擬似体感にはある。

魔法が使える世界でのお話であれば、その設定だけで一時的にであれストレスが解消される。

自分と似たような環境での話であれば、主人公と一体化して現実ではやりたいができないことを体験し不満を解消できる。

小説メリットを求めた場合どんなものがあるかの話になってしまった。

小説を読む、ということを突き詰めると、どんな力がつくだろう。

よく言われるのは想像力だ。ものごとを予測して備えるのに役立つ脳内シミュレーション機能である。

小説を読むときには少なからず想像が行われる。フィクションを頭の中で具体化してみる作業だ。

これは何にでも応用できる。

人間の体験していることは脳が見せているものだからこそ、想像は全てにおいて適用される。

これを現実に当てはめるといろいろと役立てられる。どのような場面であれ、先を予測できることはメリットになる。

つまり、小説を読むと言う行為を深く突き詰めていくと、多分野で役立つ力が得られるのだ。

ここで一応の仮説はできた。具体的な例は小説を読む人の場合だけだが、一つの筋は通ったわけだ。

ここで言いたかったのは、

何かを突き詰めていくといずれは人間固有の(かつ根底の)能力の部分をどうこうしていくことにつながるから、何かのプロは別のプロにも通ずる部分があるんじゃないかな、

ということだ。

いまでこそ分野もモノも増えたわけだけど、それらを扱うのはどこまでいっても人間なわけだ。

思考回路が整備されてるか否かで能力は変わる。思考回路を作っていくのは何かを突き詰める場合だ。

故事成語や名言と言われるものを読んでると、そういう根本ルールぼんやりと感じられる。

何をやるかじゃなくてやれることを底の底までやりきるかを重視したほうがよいんじゃないかと思ったのだ。

かっこいいことを言うと馬鹿も極めりゃ能力だ。


なんすかこの空気。すいませんでした。

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