はてなキーワード: 恋愛対象とは
こんなこと言ったら今の時代炎上してしまいそうだけど言わせてほしい。しんどすぎる。
私は現在20代で性別は女(なんかこの性別がっていうのも叩かれそうだな、まぁいいか)、散々多様性のことを言ってるくせにどちらかと言うと多様性よりの職業に就いている。
最近テレビでも新聞でも携帯でも、ついには先日読み始めた小説にも「今は多様性の時代」という言葉が出てくるようになった。
あまりにも多様性多様性言われるので正直うんざりしているのだけれどそんなこと言ったら炎上してしまうから言えないが、ここでは書くことを許してほしい。
「今時の若いもんは」「俺たちの若い頃は」、いわゆる昭和の人間と言われる人たちがそう言うと私たちの世代は途端に眉を顰める。「また始まったか」「もう時代遅れなんだよその理論」そんな感情だろう。
私は自分がどちらかと言えば今時の若いもん、に当てはまることを知っているしそれを自覚してもいる、典型的なゆとり世代的思考だと思う。
結婚はしたくないし子どもも欲しくない、人と関わることが苦手すぎてお茶出しさえまともにできず、社会に馴染めないことを自覚して今はフリーランスで仕事をしている。
そんな自分がこんなことを言うと矛盾してると言われてると思うが言わせてほしい、とにかく多様性の押し売りがしんどいのだ。
もちろんいい時代だな、と思うことはたくさんある。私は幼稚園から高校まで通ったが、その間一度も学校を楽しいと思ったことはないのにその自分の感情を押さえ込んだ結果ストレスが原因の難病にかかった。
その時の私は「学校に行かなくなったら終わりだ」「世間ではまともに生きていけなくなる」そう思っていたからだ。だから身体を壊してまでも学校に行っていた。
でも今の時代は必ずしも学校に行かなければいけないという雰囲気ではない。私の親戚の子が学校に行くのをやめて数年、高卒認定だけは取り、今はネイリストとして海外で元気に毎日楽しそうに活動してるのを見ると素晴らしいなとも思う。
周りにも学校に行かなくていい、という言葉を聞いてホッとしたような顔をして自分の好きなことに没頭して夢を見つけて、今はその夢に向かってる人も大勢いる。それを経て確かに思う、いい考え方だなと。
ただそれはちょっと?と思う考え方もある。
典型的なのがLGBTQ(以下のカテゴリはここでは一旦省かせていただく)の問題。
少し前に聞いた話だが、心と身体の性別が一致しない方達の主張。私が聞いたのはトイレや温泉の話だったと思う。
少数派の意見も聞こう、というのは大変素晴らしいことだと思う。この場所のように少ない考え方の人間の話を聞いてくれる場所は必要だとも思う。
では世の中の法律や規定をその少数派に合わせるのか、そうなると話は変わってくる。
学校でも議会でも会社でもなんでも基本的に何か困ったら多数決を取ることがある。それはなぜか、通常意見が多い方が優先されるからだ。
たとえば会社でAという案とBという案があるとして多数決では今回はAに決まった。ただBがダメだというわけでは全くない、だが何かしらの理由があって大多数の人がAがいいと思った、ではAを弊社の意見にしよう。
ここまでが今までの流れだ。ただ最近は「じゃあ少数派の案からこちらにも使えるものを少し取り入れよう」とこうなる、正直これはものすごくいいことだと思う。
人間はどうしても白黒つけたがる、これがよくてこれが悪いと考えがちだがそんな中いいところを見つけてよりよくしていく、素晴らしいことだと思う。
正直最初に多様性の話が出て来た時、私はすごくワクワクしていたのだ。いい方向に変わりそうだぞ、このままいけば、そう思っていた。
ただ、このままではいかなかった。
そのうち出て来た意見は「私はAの案は好きではない、少数派ではあるがB案を好きだと言ってる人はいる、だからB案を採用しろ」これである。
先ほど出したトイレや温泉の話はこれに近いものがあると思う。少数派の意見に合わせろと。その結果何が起きたか、それを逆手に取った犯罪だ。
もちろんLGBTQを全ての人がそうだとは全く思わない、人々の必死の主張を逆手に取る奴らが悪い。それはわかっている。ただこういったことがあるため、感情だけではどうにもならない問題なんだと言うことをわかってほしい。
心には形がない、定義もない、だから何にでもなれるし逆に何にもならない事もある。それはとても素晴らしいことだと思うし、大事にするべきことだと思う。
ただそう言った考え方が恐らく少数派であり、明確な定義ができないということを考えると、それを世論としてしまうにはあまりに危ういと思う。
これは逆の立場でも言えることだ。
どちらか一つの意見を世論にするのは非常に危険だと思う、だからいろんな意見を聞いてそれらをまとめる必要がある。
ただその際に少数派の意見を世論にしてしまうと上記に書いたことが起こったりしてしまうのだ。
ここから少し話は変わるが私はいわゆるバイセクシャルと呼ばれるものに該当して、恋愛対象が一つの性別には限られない。ただ別にその話を誰かにしようとは思わないし、知ってほしいとも思わない。
性別とか恋愛とかそう言ったことに対して隠さないといけない人がいるのはおかしい、という意見も聞くがはっきり言わせてもらう、私はどちらかというと隠させてくれと思うタイプの人間である。
一度飲みの席で「バイなんですよね」という話をしたら、いわゆるそう言った偏見がないとされているバーの店長から「そのこともっとアピールしていこうよ!」と言われた。
なぜ、なぜわざわざそんなことを言わなければならないのだろう。カミングアウトしたい人はしたらいい。同性婚と言われるものも全然いいと思う、ただ全ての人が自分に当てはまるように権利を主張したいとは思わないでほしい。
最初に言った昭和の人のお決まりのセリフ、これは今の時代にも当てはまると思う。
「今はもうそういう時代じゃない、多様性の時代だから」「もう古いんですよその話」私がもし令和よりももっと後に生まれた人間ならばきっとその言葉を聞いて思うだろう、出たまた始まったよ多様性の話、と。
昭和の人間には自分たちの考えを押し付けるなと言うくせに、結局昭和の人に自分たちの意見を押し付けているではないか。
正直、昭和時代を見ていれば同性同士が恋愛をしたり結婚をしたり、何か干渉すれば○○ハラスメントと囃し立てられたり、お笑い番組で体を張ったことをすれば暴力だと言われたり、
そんな時代が受け入れられないことは普通だと思う。だってそれが所謂普通だったんだから。
今の時代にそぐわない考えが理解できないのはわかる、ただだからと言ってその人たちを馬鹿にしたり揶揄したり、それは結局私たちがゆとりだと言われて来たのと同じことをしてるのではないだろうか。
普通という言葉が嫌いなのに自分も普通という言葉を使ってしまっている、こうして私も今嫌ってる人間みたくなっていくんだろうな。
そして結局何が言いたいかわからなくなるまでダラダラ話してしまった、これを見た人は言うだろう「これだから今時の若いもんは」と。
20年だからこっちは汚くてキモいオッサンだし、向こうは綺麗だけどオバサンな訳よ、当然。
で、童貞のキモい弱者男性の俺は、ホント失礼だし最低だけど、これは(恋愛対象として)無いな、って…思っちゃったんだよね……
おい!弱者男性の癖に何様だよ!死ねよ!って思うよな…俺もそう思う。でもムリなんだよ。奇跡が起きて、ずっと好きでした!って向こうから告白されても、オバサンはちょっと…って断るし。20年前の俺が知ったら殺しにくるだろうけど、でもムリ。
で、で、もし彼女が結婚してて、昔の彼女にそっくりな小学生の娘連れてたとするじゃん?
ちょっと年上の男目線から。ちなみに自分はマッチングアプリやりまくったけど、結局趣味のサークルで知り合った友達が紹介してくれた人と結婚した。
・メッセージについてちゃんと研究したか怪しい。Googleの一ページ目に出てくるSEO対策された薄っぺらいサイトを全部眺めたら、どこでも書かれているし共通理解っぽいこと、腑に落ちること、絶対おかしいこと、いろいろ気づくと思う。少なくとも、聞き方が「調べてみて〜って書いてあって、〜という感じでやってみたけどうまくいかなかった」みたいな具体的な形になって有益なアドバイスももらいやすくなるはず。
3年くらい前にやっていたときは、メッセージは会うまでの手段にすぎなくて、いかにまっすぐ出会いに向かうか、しかしあまりがっつくと信用できないから他の話題で膨らませたり共通点や会いたい理由の共通理解を形成する必要がある、そのバランスが難しいがやっぱり出会いにこぎつけるのが大事、くらいの気持ちでやっていたけど、今は違うのかな。
・東京とか大阪とか京都とかは分からないけど、地方都市だと個人経営の飲食店でやっている文化系イベントとかはよかった。自分が文系出身だからかもだけど。
個人経営の飲食店に何軒も行く、話しかける店主とか他のお客さんとかいたら、適当なタイミングで、自分の趣味は〜で(本好き、音楽好き、体を動かすのが好きetc.)友達とか集まりを探している、みたいに言えば、何かアドバイスしてくれるんじゃないかしら。あとは、他によく行く飲食店とか聞いて飲食店情報集めるという観点でも、おしゃべりの練習という観点でも吉。
・習い事とか社会人サークルはいい。恋愛目的じゃないやつ。そこで広がった人脈が生きるから。直接恋愛対象と知り合えなくても、学校とか職場とか違う友達ができるのはよいこと。恋愛についてのフィードバックとかももらえるかも。
変化球だと読書会とか哲学対話とかもよくやってるよね、行ったことないけど。
・劇薬として、あくまでマッチングアプリにこだわるなら、女の子には絶対内緒にしなきゃいけないけど、ライブチャット(ノンアダルト)とかを上限決めてやるのもいいと思う。
金はかかるけど、正直でいれば、増田よりはよっぽど具体的なアドバイスをしてくれるし、自分で見えていない部分も聞き出してコメントしてくれると思う。
できるだけお堅い仕事もしてそうな(ライブチャットだけで生計立てて世間からずれてたりしないような)女性数人から聞く。一人だと偏る。話しかけてみてぴんとこなかったら(話が弾まないとか到底有益なアドバイスもらえそうにないなと思ったら)、丁重に挨拶してすぐ切っていい。
顔がタイプな女の子がいたら話してみたらいい。ガチ恋してしまうリスクもまるでないではないが、高確率で、顔がよくても話し合わない人とは楽しくないんだなと腑に落ちて先に進める。
自分は身体性も性自認も女だし恋愛対象も男なんだけど、性的興奮を覚えるのは女体なんだよね。
男の裸を見ても何も感じない。むしろ不快になることがあるくらい。
さすがに夫の裸を見ると「やりてえな」くらいは思うけど、興奮度でいうと自分の体を鏡で見る方がまだ興奮する。
自分みたいなタイプの女性はかなり多いと思うんだけど、そんな人ってみんなどんなものをオカズにしてるのかな?
昔は女性向けAVとか観てた時期もあったけど、イケメン男優のアップとかいらね〜と思ってしまう。
男性向けAVは小汚い男ばっかりで不快。しゃぶってるシーンも好きじゃない。
家電もIT機器も一通り持っていて、買い替えの時以外は特に欲しいものがない。
旅行についても日本全国行ってしまって、もうこれ以上旅行で金を使うこともないだろう。
しかし、こんな経済成長が止まってしまったデフレ日本でも、誰もがどんなに金を出しても手に入れたいものが残されている。
それは、やっぱり「容姿の美しい異性」の存在ということになるのだろうか。
家電もIT機器も旅行も供給過剰状態であるが、(各個人から見て)容姿の美しい異性については、圧倒的な「供給不足」になっている。
2020年初頭のコロナ禍初期の時のマスクのように、供給が不足している状態では、その価値が暴騰する(インフレって言うのか?)
実際に容姿の美しい男性・女性はその希少性から、今も昔もその価値は高止まりしている。
今まで一度も彼氏ができたことがなく、まともに恋愛したこともない。
最近、友達に「アセクシャルなんじゃないの?認めなよ」と言われた。
その友達は会うたびに私にアセクシャルなんだから認めろと迫ってくる。
確かに私は自分から恋愛の話はしない。話すこともないし、もし好きな人がいたとしても自分からその人の話をしたくない。
理由は彼氏がいたことがない自分から恋愛の話をするのはなんだか気が引けるし、そういうのは自分の中だけの問題にしていたいタイプだから。
なのにその友達は、今まで好きな人がいたことがないのか?それはおかしい。性欲もないんでしょ?もうそれはアセクシャルなんだから認めろと毎度欠かさず言ってくる。
今まで受け流しているけれど、さすがにうざすぎる。デリカシーなさすぎだと自分で思わないのか?
友達は私のような人の気持ちは理解できないだろうけれど、次に会った時のために言い訳を考える。
まず、私も人にときめいたりすることもある。
あの人かっこいいな、やさしいな、いい人だな、もっと知りたいな、と思う。
私が好きな人が私を好きにならないだろうし、周りから恋愛しない人だと思われているのを知っているので、誘っても「デート」だと思われないだろうなと思って気が引けてしまう。
また、都合よく自分がいいなと思った人から誘われるほどモテないので、発展しようがない。
「アプリを早く始めろ」とも言われるけれど、そこまで恋愛に対するモチベが高くないからやりたいと思わない。
好きな人と付き合いたいと思うけれど、付き合うための人をわざわざ見つけたいとは思わないから。
普通に一人の時間を充実させればよくない?まあそりゃあ、恋人と一緒じゃないとできないことはあるだろうし、そこでしか感じられない気持ちもあると思うよ。
でもその経験を得るために他人(彼氏)を巻き込むくらいなら私は一人でいいの。
あと疑り深い性格だから、アプリで写真とかプロフィール見ても「お前誰やねん」しか思えなくて会う気にならないんだわ。
きっと私は、傲慢で、なのに自信がなくて、恋愛に対するハードルを自分の中でめちゃめちゃ高く設定しているし、恋愛に幻想を抱いているんだと思う。
あとはお前らと違って人生の中で恋愛に対するウエイトが高くないんだよ。
彼氏ほしい気持ちはあるけど、別にいなくてもいいと思っているの。世の中にはそういう人もたくさんいるよ。
わかった?まあ年中頭の中が色恋であふれてるお前らには分からないかもね。
でもアセクシャルじゃない人の中にも多様性があるってことを分かってよ。
分かったらもう、私の恋愛のことはほっといて。