2014-04-26

結局僕の中には何もないのだろうか。

小学校中学校小説を書いていた。

とても拙い、どこかで読んだことがある内容が陳腐表現で綴られていく、思い返すだけで赤面するような文章だ。

確か小学校卒業文集には「将来の夢:小説家」と書いたはずだ。

中学校から高校にかけて作曲をしていた。

C、G、AmEm…程度のコード進行に捻りのない恥ずかしい歌詞を乗せていた気がする。

ストローク奏法しかできないくせに、HistoryのアコギとかTokaiレスポールなんか買って舞い上がっていたのもこの頃だ。

途中でDTMにも興味をもち、初音ミクを導入し、MidiキーボードやI/Fを購入したものの、アウトプットされる曲のクオリティは変わらなかった。

大学はいって自由にインターネットが使えるようになり、またいろいろな人と関わるようになってから小説を書いていた、とか作曲をしていた、とは言わなくなった。

僕のやっていたことはファッションの域をでていなかった。

ワナビにすらなれなかった。

それでもなお、クリエイターに対する漠然としたあこがれがある。

部屋を見返せば何年も触っていない楽器や機材が点々とし、PCの中には2000字も書かずに筆を投げ出した小説もどきが沢山保存されているにも関わらず。

あと一年すると、僕は働き蟻になる。

vorkersをみると90時間20%だから、自由な時間を確保することは難しいだろう。

から、今が最後のチャンスだ。

この期におよんで、楽器掃除でもなく、小説の続きを書く訳でもなく増田を書いてしまうあたり、僕の底は知れている。

「きっと何者にもなれない」。

根拠のないプライドを捨てて、自分能力と向き合ったとき、この焦燥感から解放されるのだろう。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん