はてなキーワード: 婦女とは
今の異世界転生ものといえば「自分が最強の能力を持ってて」「愚かで低級でかわいい異世界人を相手に圧倒的優位に立って」「かわいい女に囲まれてハーレム作って」と、見ているこっちが恥ずかしくなるくらい男の夢が詰まってるけど、女性作者が異世界転生して自分の欲望を全部詰め込んだら一体どうなるだろうか。
単純な予想だと、「自分がむちゃくちゃ可愛くて高貴な姫みたいな立場になって」「地位と名誉と金を持った若くてイケメンの王子たちが全員自分のこと好きでチヤホヤされて求愛される」みたいな感じになりそう。でもそうならない事は婦女子界隈見てれば分かる。こんな異世界転生物語は存在しない。婦女子はどうせイケメンがホモセックスする話が好きなわけで、女性登場人物は主人公でさえ邪魔なんだろ。
韓国が反日ストーカーだとか、国際法も守れないだとか、言われているのだけど
そっちから見ればそうだろう
しかしな、韓国の現政権が正当な良いものだと担保するには反日しかないんだよ
今の韓国のありとあらゆるものが日本が作ったものの土台の上で出来てる。実は言葉もほとんどが日本語からできたもの
市民が日本統治時代の方がよかった。今の政権(支配層)はどうしようもない
なんて言い出したら国の為に多くの人は税金払って働いているから成り立たんのよ
日本統治がひどいもので、人権の蹂躙を行って、婦女子に悪いことをしたということにしとかないと
国が成り立たないのよ
封建社会では前王朝の支配に対してあることないこと全否定するのが伝統
問いたいのは
そりゃ、当時の大日本帝国にあっては、直接的に皇軍に加わりアジア諸国を侵略したわけじゃなくとも、多かれ少なかれ悪事に加担はしていただろう。
工場勤務の青年は、他国を侵略する兵器を作っていたかもしれない。銃後の婦女子であっても、息子や夫を戦地に送り出して侵略の片棒を担いでいたかもしれない。軍人とは縁遠い教師が、軍国主義を子供たちに吹き込んでいたかもしれない。
あるいは生まれたばかりの赤子であっても、その子に乳を含ませた母親は、植民地から収奪してきたコメを食べていたかもしれない。とすればその赤子の幸福もまた、植民地の人びとの血と汗の上に成り立っていたことになる。
『この世界の片隅に』で主人公が泣き崩れるシーンを想起されたい。あのシーンは、自分たちの「平穏な日常」が植民地からの収奪の上に成り立った「暴力」であると気づくシーンであり、主人公に自覚していなかった「責任」を突きつけるシーンだった。
そういう意味で「無辜の人々など本当に存在したのでしょうか?」という問い自体は正しい。が、同時に、その問いを「この文脈で」持ち出すのは間違っている。
第一に。なるほどそういう意味で「責任」はあろう。だが、それは核の炎で焼かれても仕方ないほどの「罪」なのか。
ホロコーストを計画・実行した連中だって、生きたまま焼かれはしなかった。ニュルンベルク裁判で死刑宣告を受けた死刑囚たちは、どれだけ残虐なナチであろうと絞首台に吊るされる程度で済んだ。
それなのに、戦争犯罪や侵略を命令したわけでも実行したわけでもない、せいぜい「喝采を叫んだ」「止めなかった」「のうのうと暮らしていた」程度の人たちが、あんな殺され方をしていいのか。
罪には軽重というものがあり、罰はそれに応じたものであるべきだろう。
被抑圧者の膏血を絞って暮らしていたことに対して、下の世代から糾弾され反省を迫られる程度のことは受け入れるべきだ。でも、原爆で焼き殺されてもいいなんてとても思えない。
第二に。その論理を敷衍していくとヘイト野郎やテロリストどもにお墨付きを与える結果になるだろうが、それでもいいのか。
たとえば現在の中華人民共和国による少数民族への迫害に、中国人民は責任を負っている。外国に観光旅行に出かけるような都市部の裕福な人びとの暮らしを支える資源の一部はチベットから収奪してきたものだし、彼らの享受するテクノロジーは新疆でウイグル人を監視することによって発展してきた側面もあるし、彼らの抱くチベット人やウイグル人への偏見は政府による民族弾圧を側面からアシストしている。
では、彼らには迫害や弾圧への責任があるから、秋葉原で楽しく観光しようとしたときにヘイトスピーチを浴びても仕方ないと、暴力的なデモによって威圧されても仕方ないと、そういえるのだろうか。あるいは、だからテロで殺されても仕方ないといえるのだろうか。
アメリカは悪の帝国だから、その経済的中枢にあるニューヨークの人びとがビルに突っ込んだ飛行機に殺されても正当性があることになるのか。イスラエルはパレスチナを侵略しているから、イスラエルの空港で銃を乱射して民間人を虐殺しても正しいといえるのか。
世界貿易センタービルにいた人びとは、アメリカ帝国主義による他国への侵略や経済的収奪に責任の一端を負っていた。ロッド国際空港にいたイスラエル市民は、イスラエルの植民地主義に加担していた。だから彼らは崩れ落ちるビルに巻き込まれても仕方なかったのか。だから彼らは自動小銃で撃ち殺されても仕方なかったのか。
無辜の人々など存在しない。現に私たちは今も外国人技能実習生の汗と涙で育った安いレタスを食べ、ブラック企業にすり潰された人々の血で染まったシャツを着て、過疎地に押し付けた発電所から電気を供給されて暮らしている。現代日本で豊かな生活を送る私たちには責任がある。だがそれは、私たちが惨たらしく殺されてもよいことを、決して意味しはしないのだ。
どこだかの高速道路で、200 km/h以上のオーバーで捕まった奴がいるらしい。
事故になってないのはよかったが、無駄に周囲のリスクを上げる行為には変わりがないし、
高速走行者が常に単独事故で跡形もなく消えてくれるなら別にいいんだけど、
実際には下らないカーチェイスの末に無関係な一家をほぼ皆殺し、みたいな酷い事故も起こってるし、
いい加減「公道で車を飛ばす遊び」自体を減らさなくてはならない。
ただ問題は、厳罰化とか取り締まりの強化には、大した効果がないことだ。
免許を取り上げたって乗るやつは乗るし、取締りにも限度がある。
自動運転とか、車に速度抑制装置をつけるとかも考えられるけど、
民衆の自由を奪うのはそう簡単に出来るものではないので、難しいだろう。
自由意志にもとづいて、公道でスピード出すやつを減らすしかない。
「公道で車を飛ばすのが楽しい/カッコいい」という文化そのものを薄めるのだ。
そこで、「公道で車を飛ばす遊び」の内容を分析してみる。すると、
という三点に分解して考えることができる。
いいですか、ドライバーのみなさん。
「公道で車を飛ばすのは、電車でチンポをしごくのと同じ」です。
私に続いて唱えてください。
わかりましたね?
どうしても愛車の性能をお試しになりたいのなら、
ご来場お待ち申し上げております。
タイトルでムキムキ日本人と想像しただろうけど、そういうことじゃなくて
アイドルの追っかけでも、宝塚でも、ローカルルールに縛り付けてファンがお互いを監視しあってる
地下に潜ってスラッシュで検索避けとかもそうだし、破った人見つけると界隈で突撃してツイッターやらで晒しあげて脅す
こういうのが男がやってる活動にイラついたらキズナアイみたいなことになるんだなって思ってる
勇気がなくて新しい分野に飛び出すことができないからだっていう
とりあえずやってみようっていう人がでてくると
何か起こったらどうするんだって言い出す連中がわく
日本人の特徴と言われるゼロリスク志向だけど、とりわけ女はそうで社会的成功しないのもこれだよね
男がまず特攻かまして場所作って家作ったあとに、成功したとわかったら女も入れろとか言い出す
男の特攻が失敗したら?男ってなんで野蛮なの?っていうよねw
亭主関白文化だから男がうぜえ、って話だとしたらまだ分かるんだが、そっちは外では抑えててまあ問題はないのよ。抑圧されてる婦女子がヤバい。客の立場とか店長の立場とか、ちょっとでも解放されてて自分が上だと認識すると下層民と認識した物体に向かって怒鳴り散らすの。何が寛容だよ普段がデタラメだから差分膨らむだけだろ。