はてなキーワード: サイレントマジョリティとは
俺だ俺だ!俺だった!
在日やらなんやらのノイジーマイノリティがのさばって左翼を牛耳ってるせいで、サイレントマジョリティはいつまでたっても救われない。
こういうのいるからサイレントマジョリティーのオタクは政治の話したくなくなるんだ
理想と現実を混同してるやつらがSNS上でポリコレ国家感を出してるだけで、実際に何かを決めてるのはサイレントマジョリティたちだからな。
サイレントマジョリティ、ってほどではないだろうけど、猫好きの声が異常にでかいから犬好きが少なく見えるだけで半々くらいじゃないの
声あげてるやつが目に見えるだけで、サイレントマジョリティは増田と同じ意見で同じようにうまくやってるんだよな
サイレントマジョリティが1億人くらい命令を聞き入れているのでその指摘はハズレです。
唐突であるが、月ノ美兎というバーチャルアイドルを知っているだろうか。
先日ついにアマガミの実況配信が終了したが、全話通して死ぬほど面白かった。VTuberで生放送をする方達の中では正直一番面白いと思う。
唐突にダッチワイフのお店に行った話をしだすし、涼宮ハルヒの圧縮とかいうワードがいきなり飛んでくるぐらいカオスである。
そんな彼女の魅力はなかなか言語化しづらいけど、中でもすごいところはインターネット老人会の皆さまのハートを鷲掴みにする力である。
僕を含め、彼女の動画を好む人たちはある程度インターネットを熟知しているんじゃないだろうか。
小中学校時代におもしろフラッシュ倉庫に夢中になり、それ以降ニコニコ動画を見るようになり、オンラインゲームにハマったり、vipなどで日々くだらないスレを立てたり。
そんな人間が多いように感じる。そして現在は大学生なり社会人になり、過去の楽しいインターネッツとはおさらばしかけている。
そこでその懐かしき記憶を思い出させてくれるのが美兎ちゃんである。彼女は僕たちが忘れていたようなことも簡単に言語化する。先の涼宮ハルヒの圧縮とか。
このタイプの魅力は彼女とコラボしていたARuFaさんや、ダ・ヴィンチ・恐山さんのようなインターネット界のスターたちと同じタイプである(匿名ラジオはマジで面白いのでみんな聴こう)。彼らのような面白さに女性やVTuberという意外性の要素が加わったのだから、もはや無敵としか思えない。
美兎ちゃんの魅力はここまでとして、それぐらい僕はVTuberが好きだし、もちろん他のVTuberも好きである。
ただ最近、窮屈に感じていることがある。それはツイッターを中心とした周囲のファンたちの環境である。美兎ちゃんのような人気VTuberたちには熱狂的なファンがいる。そして彼らはコミュニティを形成し、VTuber界を盛り上げるために尽力している。一方で、自分はコミュニティ内で人と絡むのは苦手なタイプである。同じVTuberのファン同士なので彼らと相互フォローはするし、ときどきリプライを送りあう程度には社交性はある。しかもVTuber界隈はみんな優しい。しかしながらそれ以降の、オフ会のような一線を超えたような繋がりを持つ気にはなれない。そこまでして馴れ合っても時間の無駄のように感じてしまう。
けどそのような気持ちがあるはずなのに、ツイッターで、リアルイベントでオフ会をしている写真がタイムラインに流れてくると、なんだか自分は置いていかれたような気持ちになる。そしてなんだか不安な気持ちになる。いっそツイッターをしなければいいじゃんとは思うが、大抵のVTuberは前提としてツイッターを多用するので、結局見てしまう。
この考えは間違っているということは自覚している。コンテンツの主体はVTuber本人であり、ファンとの交流ではない。
これは他のコンテンツでももちろん当てはまる。音楽系アーティストの熱狂的なファンを見てもそう思う。ライブに行くと、最前列のあたりの人たちはみんなすごいのだ。そして「自分は彼らのようにはなれない。熱中できないんだ。」という気持ちに謎の悔しさを覚える。グッズを全部揃えたり、遠征するつもりもない。自分の中途半端さに若干ムズムズする。
そういう人間的な弱さを認めた上で、最近は無理に交流することを諦めた。一線から退いた気分である。ツイート数は減り、気になったときだけいいねしたり、リプライを送るようになった。生放送を無理して追うことも諦めた。まして時間が被っている複数の配信を同時視聴する(複窓)ことなど論外である。アーカイブも倍速で見たりすることが頻繁になった。ニコニコの切り抜き動画にはすごい助けられている。
こんな風にテキトーに見るようにするとかなり気持ちが楽になった。所詮娯楽なのだから暇な時に見ればいい、全てのアーカイブを見て配信を追うことが正義ではない。熱狂的なファンがコミュニティでは目立つだけで、大抵はサイレントマジョリティー的なファンばっかなのである。熱狂的になれないことを悔やむことはない。
結局のところ、自分にとってはいい感じにバランスをとって界隈と接触することが、好きで尊敬しているVTuberさんたちを安定して応援でき、それが結局自分の幸せに繋がっているのである。
「着たい服がある」
という漫画を読んだ。
着りゃあ良いと思う。
もっと社会が成熟してそんな問いかけは成立しなくなればいいと思う。
個人が着たい服を着てもいいし
まー、じっさい身近に居たら
(「なるべく接触しない」と
「いじめ・無視」の境界はよくよくデリケートにあつかわねばならないが)
みんな最初から好きな服を着ている状態で遭遇したら、互いに避けやすい。
機能性とか悪そうだし
通気性も悪そう
事故とか多そう。
服で自分の個性を表現せねばならないほどの人は、なにかをある種の不安を抱えていそうな気がする。
(すまない。書き手も人間だから、どうしても偏った見方からは脱却できない。自覚はあるから増田に書くわけだ)
「ちょっと知人の友だち」ぐらいなら一緒に接することができるだろうけど
それより身近な距離感に入ってしまうと…無用の争いが生じそうだ。
(「なるべく接触しない」と
「いじめ・無視」の境界はよくよくデリケートにあつかわねばならないが。二度目。)
おたがいなるべく寛容でいたいから
気が合わないのが最初からわかっているならば、遠ざかっていたほうがよい。
自分はサイレントマジョリティみたいだ。
誰か個人に向いたりしていない。
「会いたくて 会いたくて」西野カナ
「365日のラブストーリー。」Sonar Pocket
「R.Y.U.S.E.I.」三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE
「私以外私じゃないの」ゲスの極み乙女。
「シュガーソングとビターステップ」UNISON SQUARE GARDEN
「シャルル」バルーン
「U.S.A.」DA PUMP
「Lemon」米津玄師
サイレントマジョリティとか言い出されたらかなわんなあ。
ラブライブが流行ったのは、もちろんスクフェスがスマホ音ゲーとして成功した先駆者だったのもあるが、
アニメのもつ思想性、メッセージ力が、オタクというよりは一般寄りの価値観をもつライト層に刺さったからだ。
平たく言うと少女たちの葛藤や成長で視聴者を泣かせる作りが巧かったから。
ミュージカルくさくて飛躍や省略の多い構成が良さを理解できない人を生む原因だろうと思われるが、
高坂穂乃果や高海千歌のような、現実なら叩き潰されるような隙だらけのイノベーター型主人公が、
善良な友人の協力を得て、周囲を巻き込んで、大きなことを成し遂げるというストーリーが、不寛容な現実の息苦しさに対する救いになった。
それのみならず、アニメの中だけでなく現実でも、東京ドーム公演まで漕ぎ着けるサクセスストーリーを演出して、
リアルタイムでファンたちが成長物語に巻き込まれていった。そのオーバーラップこそが一番の肝だと思う。
加えて、キャストの方々が本当に真摯にハードなダンスや体当たりな生番組などに向き合ってくれたこと。
いい歳した声優さん達が、全力で青春を魅せつけてくれたから、ファンは作品にリスペクトを抱けているんだろう。
そういう面ではアイマス作品なども負けていないのだが、ラブライブが独特なのは、「スクールアイドル」であるというコンセプト。
営利企業の支援を受けて、ファンのために輝くアイドル像ではなくて、自分たちの問題意識から発足し、自発的に活動している。
そしてあらゆる局面での選択、決断は、「自分たちはどうなのか」を第一に置いている。
これはもう現代の若者の生き方を問うものだ。悪意に飲み込まれず、善く生きる方法論を描いていると言っていい。
そこがこの作品の粋な部分だ。
そういったラブライブismが、多くの人に、言語化されないまでも魅力として伝わった結果がこうなのだと思う。
そのismをNHKが汲んで後押ししてくれたことも大きいだろうし、純粋に曲や詞が良いのもある。
実際、複合的な要因でないと説明できないのは、スクフェス前までのアニメは特にバズらなかった事からも言える。
自分はアニメが最大要因かのように書いたが、アニメ自体の評価は、展開がアクロバティックなのもあって、
レビューをするような几帳面な人たちにとっては賛否両論となっているのが常で、表面上はアニメがすごいとは言いにくい。