そのほとんどの番組構成が、食べたいものを食べることではなく、
「いかに元を取れるか」
を目標にしている。
「なんでそればかり食べてるんですか?」
と聞かれて、
「単価が高いから。」
と答える。
元を取ったぜ!と出演者が喜んでいる。
テレビは見せ物だからしょうがないとしてテレビでやっていると一般人もそうなる。
「バカ!ここに来てカレーとかフライドポテトなんて食うやついるか!肉を食え!」
と叱っている。
こういうのってどれくらいの女が残念なレベルに感じられるんだろう?
↓人が触れるものは優しく、透明感が無いといけない。
本音は、今のデザインに飽きちゃったから、新しいイメージで製品を売り込みたい
ただそれだけのことのように思う。
どのデザインにも一長一短があって、
慣れたものを変えたくない勢力と新しくしたい勢力が常に鬩ぎ合っている。
http://anond.hatelabo.jp/20151118225408
まず、本当にどうしようもない(不可抗力ではなくしょうもないという意味)理由として、その作者さんと編集者さんのアクセスできるラインに制約があります。文庫しかアクセス出来なければ文庫で出しますし、文芸書的な編集部ならその判型で出すというのはあります。作家や編集者は、どんな装幀の本でも自由に出せるかと言えばそんな事もなく、編集部の主戦場にしてる判型や書店の本棚というものがあるのです。営業が影響力を発揮できる範囲は書店全域ではありません。まあ、これは後付けのところのしょうもない理由ですね。
より本質的な理由としては、「想定読者数(≒初版部数)」の問題があります。もし、新書、四六判、文庫など自由な判型が選びうる編集部で企画が進んだ場合、問題になるのは、この本を何人くらいの読者が求めてくれるか? という点です。本を作る編集やデザインの作業というのは、どんな装幀でも実はさして大きくコストが変わるわけではありません(紙代や印刷費は変わります。部数が増えれば安くなるので、文庫本で部数が多いものは負担少ないです)。つまり、書籍の値段の本質は「(作者が著述に要したコスト+編集やデザインにかかったコスト+必要な利益)を初期読者がシェアして負担する。」ということなのです。
たとえば「5000人しかかってくれそうにない」「だったら3000円にしないとまずいな」「じゃあ判型は文芸で表紙もハードカバーにするか」というような展開で判型は決まります。この段階で幾つか疑問が発生すると思います。
Q.3000円の文庫本じゃだめなの?
A.読者の皆さんは3000円の文庫は買ってくれないです。読書体験は文庫でも四六判でも(内容という意味で)大差はありませんが、物質商品としては購入してもらえなくなります。出版人として自分が関わった3000円の本がソーシャルゲームのガチャ6回に劣るとは思っていませんが、やはり売れない物は売れません。
Q.値段を下げて、つまり判型を最初から文庫にして薄利多売を狙う企業努力はしないの?
A.もちろんそういう戦略判断をする場合もあります。ベストセラー著者が最初から文庫に殴り込みなどと言うのはそう言ったパターンです。しかし大多数の著者において「値段を下げる」というのは部数増加には結びつきません。たとえば作家Aさんの本が欲しい人というのは値段に関係なく買ってくれる傾向があり、逆にこのAさんに興味がない人や知らない人は、値段を下げても買ってくれません。
以上のような条件から、出版ビジネスの値付けは「初期読者(=おおよそ初版部数に相関)で製作費用と最低限の売り上げを確保する」という方向性になっています。増刷や文庫化というのは収益のボーナスステージであって、その段階になると利益がどんどん出て黒字になるわけです。しかし、おそらく読者の皆さんが思っているほど、このステージに行ける本は多くはありません。多くの本は、最初の売り上げ確保のステージに失敗して赤字になるか、もしくはなんとかトントン程度の収益になります。文芸畑ではより顕著ですが、ライトノベルなどの文庫でも、一部の売れっ子作家さんの書籍とそうでない多数の作家さんの書籍の二極化が深刻です。
こういう状況に問題を感じないのか? といえば個人的には感じています。本をもっと安くすべきだという問題意識ではありません(日本の本は世界的に見ても安価だと思います)。どちらかというと、初期読者の人に十分報いていないと思うからです。ある作家を(ひいては編集部や出版社を)支えているのは初期読者(=初版で買ってくれるような読者)です。彼らの数が予想部数を通して本の値段や判型を決める基礎材料になっているのです。しかし、実際には彼らは文庫化ではなくその前の段階の大きな判型で購入するなど、経済的な負担を大きく受け持つ構造になっています。映像作品などには「初回限定特典」のような概念がありますが、出版では一般的ではありません。その点は不公平で歪だと考えています。元増田氏の言及したコメントは、この不公平感にたいして「初期読者はいち早く読める」という点を解説したかったのだと思いますが、それに対してどこまで価値を感じるかという点は読者次第だとも思っています。このへんは個人的な感想なので、出版業界の中にもいろんな意見があると考えて下さい。
読書にたいしてお金を使う習慣のある方、書店を日常行動の経路に含んでいる方、読書家という人種はある意味非常に高尚で「紙の書籍を手にとる楽しみ」「装幀を愛でる楽しみ」という点に価値を感じて下さっています。それはすごく嬉しいしありがたいことです。そういう文化があるおかげで命脈を保てる出版社が存在することも事実です。しかし一方でそれに甘えてこなかったか? といわれればたぶんそういう部分もあると思います。こういった読者の方は、読者であると同時にパトロン的な性格さえ持っているのです。
今後十年から二十年かけて、その文化も徐々に変わっていくと思います。どうなるかはまだ判らないのですが、そういうアーリー読者&パトロン的な文化を完全否定する方向ではなくて、リスペクトやコミュニティに対する利益還元出来る方向の出版方式や企画などが(もちろん試行錯誤の残骸の中からの芽生えとして)産まれてくることを願っています。
■米に合う
レインボースパイス/ケニックカレー/ウミネコカレー/ghee
■癖になる
■ミールス系(神)
カルパシ/スパイスツリー/砂の岬/venus/MOROGORO(休業中)/いちじく(休業中)
■毎日食べたい
ハブモアカレー/シバカリーワラ/スワガット/エリックサウス/ダバインディア/ダルマサーガラ/アンジュナ
■コースでカレー
■酒にカレー
猫六/カマルプール/マリーアイランガニー/HATONOMORI
■〆にカレー
//追記(20151214)
Google Mapに纏めて貰いました〜〜〜!ありがとうございます。
ナンの役にも立たん。
そんなヒマないからその中でも必要だったところを抜粋して噛み砕いて紹介してくれてることを期待してるんじゃこっちは
結果だけ見せられてもなんとも思わんしどうでもいいんじゃ。
見てみてアピールばっかうざいんじゃ。
技術系のブログは何ができたかよりどう作ったかどこでハマったかの方が大事なんじゃ
読者のこと考えるならそういう書き方しろや
これって、夫が悪いんでしょ?食べないほうがいいもの食べちゃったっていう。
で、増田はそんなに改善したいわけではないんでしょ?また同じことがあっても、翌朝冗談言ってコミュニケが楽しめればOKなんでしょ?
増田的にはテヘペロで済む話なのに、ムキになって(増田の冷蔵庫の中身の管理がよくないと)責任転嫁してプライド守ろうとしてるだけやん?
そう深く考えんでも、「なによ~ムキになって~」って感じでええんやないかと思ったで
郵便局のサービスはクセがあるけどクセを覚えれば宅配便各社より断然使えるんやで
代々木だったら大きい郵便局だから番号が複数あるはず(03から始まる窓口業務の番号があると思う)だからそっちにかけてみよう
なぜならこれは「戦争」だからだ。アメリカもフランスも、この戦いを「戦争だ」と言っている。
イスラム教国側も「これはジハード(聖戦)だ」と言って攻撃している。
どこかの国の、なんちゃって報道番組(バラエティー番組)が「誤爆犠牲者から見れば、有志連合空爆もテロだ」といってるらしいが、戦争だから、これ。
あと、どこかの新聞の「誤報」については、その「誤報」による被害者(日本国及び日本人全員)から見たらっていう視点なんか、持ってるわけないか。誤報による被害はキレイな被害ですかね。
よかった(買ってよかった育児グッズ)
・おんぶひも
エルゴは、俺と嫁で使い分けるときにサイズ調整が必要だが、おんぶひもは必要なし。
・カラオケ
どんなに泣いていても、3曲も歌えば就寝。
・床に敷くジグソーみたいなマット
防音対策だったが、冬の廊下やフローリングの床が寒くなくなった。
・小さいラジコン
ハイハイ期に。
親の運転スキルも上昇。
・おでこで測る体温計
1秒で測れる。精度は怪しいが、実際より高くは出ない。
子どもが寝ていてもOK。
・布団乾燥機
・食洗器
家事軽減に。
必須。
・電動の鼻吸い器
親の健康を守る。
強くなりすぎないので、なれると子どもも嫌がらない。
後に爺さんも自分のために購入。
無駄だった(買って無駄だった育児グッズ)
・小さい哺乳瓶
すぐに200mlぐらい飲むようになるので、最初から大きいのを買った方がいい
買って二日目から電源は入れていない。
・こどもちゃれんじ
音楽が鳴るのだけはよく使ったが、本屋でもっといいのが売ってる。
・子供用の布団
寝ながら動き回るので1歳の時には大人用の布団になる。
・斜めにかける抱っこひも
・口で吸う鼻すい器
高くても電動式がいい。
生まれてこなきゃよかった、と思う。
自分は愛されているものと思っていて、父も、お前を愛しているといってくれていた。
けれど、思えば、妹に花を持たせるために遠慮をしろだとか、たった1人のかけがえのない妹の頼みは絶対に聞いてやれだとか、
父はわたしのことを事あるごとに愛してると言うし、もし虐められることがあれば何をしてでも守ると言ってくれた。
けれど、小中高全て、何かしらの嫌がらせを受けたとき、父は何もしてくれなかった。
頼りにならないことだけが分かった。父に自分のことを話すのをやめた。
高校の部活動で同級生と仲違いして無視をされていることを知った父は、お酒を飲みながら、半笑いで「いじめられてんの?」と言った。
学校に行こうとするとお腹が痛くなるぐらい辛かったけれど、父親に面白おかしく消費される方が気分が悪かったから、わたしは笑って「わかんないやー」と言った。馬鹿だなわたし
父は気分屋で、機嫌がいいと母やわたしへ愛の言葉をこぼす。
そうじゃないときは、怒鳴り散らす。わたしは父の顔を伺うのが癖になっている。
成績にも厳しく、100点以外はゴミだ。中学生の頃、同級生の誘いを全て断って取った100点のテストも、へえ、とだけ言って床に投げていた。
どうしたら、かわいがってもらえるんだろう。何をしても、グズ、鈍臭いと怒鳴られる。
去年の今頃は金になるからと、シルバニアファミリーのコレクションを全て売られてしまった。
泣きながらやめてとお願いしたけれどお腹を蹴られた上に、結局売られた。そのお金で焼肉食べに行ったんだって笑 ウケる
生まれてこなきゃよかった。生まれてこなかったらこんな風に、かわいがられたいとか思わないで済むし、自分の大事なもの売られたり、痛い思いしなくて済む。
機嫌を伺う癖がついて、何があっても笑っていられるんだけど、そうしたら何考えてるかわからないって父に気味悪がられる。
昨日は、お前は人間以下の家畜だから、飯はこれから残飯だ、と仕事から帰ってきた父が叫んでいた。
生まれてきたくなかった。そうしたら、ちちだって不愉快な思いしなくて済んだじゃん。
不幸の原因作ってごめんね、でも死ぬ勇気もないんだ、ごめんね、眠っているときに心臓止まらないかな。
唯一父に怒ってくれて、わたしをかわいがってくれたおばあちゃんは、鬱になって自殺しちゃったし、
わたしは、そんな大好きなおばあちゃんの存在意義にもなれない、死ぬのを思いとどまらせる存在にもなれない、生まれて来る価値がなかった駄目な人間です,
おばあちゃん、会いたいよ わたしを置いてどこ行っちゃったんだよ
生まれてこなきゃよかったよね、生まれてこなかったら何にもなかったけど、楽しいことよりも生きていくことに対する希望が見えないので、生まれてこなきゃよかったです
読んでくれた人ありがとうございました。
http://ameblo.jp/arikawahiro0609/entry-12095468256.html
一つの商品でできるだけ長く稼ぎたい・できるだけ利鞘のある商品を売りたいというのが商業上のセオリーだということは、働いている人ならご理解いただけると思う。そして、出版業界もそのセオリーに則って動いていることは、他業種と同じだ。
というのは一方的な都合であって「読者は理不尽に耐えてくれ」といっているだけだ。「顧客の理不尽を無視するから衰退するんだろ」以外の感想が出てこなかった。
「でも、最初は高い単行本で売って、後から安い文庫を出すなんてずるい」そう仰る方に思い出していただきたいのは、時間とお金は反比例するという資本主義社会における大原則だ。例えば電車。鈍行は安い。しかし、時間がかかる。移動に時間をかけたくない人は、特急を使う。つまり、時間をお金で買っている。「早さ」というサービスを受けようとすると、その分お金がかかるのである。
本当にこの理由しかないのであれば同じ値段でいいから単行本と文庫を同時に発売すればいい。
2年でも3年でも経った後に廉価版の単行本と文庫本を新装版でも新たな解説でもつけて売りだせばいい。
名のある文芸賞はだいたい単行本しか候補になることすらならない。だから賞をとったとしてもその時には単行本しか買うことができない。文庫しか読まない人は買う動機が一番高まっているであろうその時に買うという選択肢がそもそもなくなってしまっている。
なぜそんな数秒考えれば出てきそうなアイディアを実行しない? 理由は色いろあるのだろう。たとえば、単行本と文庫の部署がわかれていることが多い。その部署は収益も別々にとられているから本来協調をとるべき二者間がなぜかお互いがお互いの収益を食い合うライバル同士みたいになってしまう。もちろんこれが全ての原因などというつもりはないが、なぜ「こういう理由があるから読者は理不尽でしかない環境に耐えてくれ」なんて呑気にいえるのかと疑問に思う。