はてなキーワード: 政見放送とは
なぜ、いきなり政権交代って考える?
進まない政治とマスコミに揶揄されていたが、本来の政治は国会での議論だ。
与党が圧勝してしまう状態では、議論はなくなる。多数決の強行採決しても次の選挙でのダメージもゼロ。
ちゃんと議論したり、野党と調整したりという、「政治」をするのは、すべて次の選挙で票を得るためだ。
次の選挙でも票が入ると解っているなら、「政治」をする必要がない。
だから、政権交代でどこかの党が圧勝することなんて、そもそも望んでいない。
それより「政治」をしてもらいたい。それには、投票率が上がることが重要。
政権を取れるか、勝つか負けるかとか、そういうゼロイチ思考で考えているから、どこにも投票できなくなるんだ。
選挙公報を見ながら、消去法で選べばいいだけだよ。
まあ、あれは良いことしか書いてないけど、この主張は自分とは違うってのはあるから消去法には使える。
その後は、顔で判断で良いのでは?
選挙ポスターの顔はレタッチしすぎているので、できれば政見放送を見ると良い。
顔や喋り方に、その人の性格が出てくるので。
政策や制度の実現には約5年±2年ぐらいかかります。安楽死制度賛成派の人は、そもそも「安楽死制度がほしい」と考えるくらい困窮、生活に難を抱えているなど、賛成するだけの理由があります。
政策や制度の実現にはロビー活動が欠かせませんが、途方もない時間がかかるようなロビー活動をする余裕なんかありません。
それをするくらいなら自死するか、家族や医者に殺してもらうか、無敵の人になって死刑になることを考えるようになります。
これらは自分の実行力のみ(介助を受ける場合は周囲の協力を得ること)なのでロビー活動より楽です。
実は2019年の参議院選挙で「安楽死制度いるよね」というワンイシュー政党がありました。
得票を見てみると、約26万弱で得票率は0.5%。政党要件を満たせず消えました。
おそらくこの26万は安楽死制度がほしい人たちの数と見て間違いないと思います。厳しいですね。
ちなみに、2019年の参議院選挙では尊厳死制度反対の所属議員がいるれいわ党が228万、得票率4.6%でした。
まあ無理な理由あげてもキリがないので、「安楽死制度」をどう作るか考えたいと思います。
まずは政党を作る必要があるでしょう。現状、れいわ党は尊厳死制度反対の議員がいる政党になるので
安楽死制度反対と≒と思います。なので、それに勝る政党を作っていかないとスタートラインにすら立てないです。
最初から「安楽死制度を作る党」では勝てないことが2019年参議院選挙で明らかになっているので別方向から攻めます。
「犯罪被害者を救済する党」みたいなのを作って参議院選挙で戦うのが良いと思います。「犯罪被害者、被害者家族の救済」に反対する人はいません。
次に「政府や与党の犯罪被害者救済が不十分だ」ということをとにかく前面に出します。こうすることで政権反対勢力の支援を得やすくします。
もちろん犯罪被害者や犯罪被害者家族の中には表に出たくない人もいますが、「生きていた証を知ってほしい」とメディアに出ている人たちもいます。
あるいはちょっと別のケースとして、過労死やいじめ自殺で加害者側が犯罪者として裁かれず泣き寝入りしているストーリーは胸糞悪く、賛否両論になりづらいですね。
このような状況にあった人たちと接触し、意見や考えを政策に反映したり、宣伝させてもらったりします。なんなら候補者にしちゃいます。
「ニュース番組で何か言っても明日には皆忘れているのが日本でした」というような言葉を当事者から言ってもらえると心強いですね。
あとは犯罪被害者になると生活はどう変わるのかとか、被害者遺族になると生活はどう変わるのか、とか政見放送で話してもらいます。
「政党要件を満たすと6年で総額約20億円の政党交付金が入るので、この20億円を選挙対策と犯罪被害者や犯罪被害者家族の救済に当てます。」
というような感じでN党と同じ戦略であることをぶっちゃけます。N党はこうした戦略をぶっちゃけた上で政党要件満たしたので通用するはずです。
なんなら「得られた寄付金もこれらの取り組みに使っていきます」とかやっていきましょう。
政党要件が満たせたら「安楽死制度の重要性」も訴えていきます。犯罪被害者党をするなら「犯罪が起こらない社会にすれば犯罪被害者は0になるので、安楽死制度も重要ですよ」みたいな流れなので自然です。
(次の参議院選挙時までには世界各国でも安楽死制度が実現したり議論が白熱したりしてると思うので、政党ができるまでの間にデータを収集して理論武装しないとだめですね)
方法は分かりませんが、通り魔事件加害者から「安楽死制度があれば事件は起こさなかった」というようなコメントを引き出せると大きいと思います。
とくに重大事件であればあるほどです。ただ加害者が加担する政党ということになると賛否両論とかオワコンの方向に進むのでもし使う場合は慎重になる必要があります。
日本に安楽死制度を用意するなら、まずは政党を作らないと厳しい
↓
「安楽死制度党」は過去に参議院選挙で負けた実績があるのでストレートは無理
↓
ストレートじゃない形で政党を作って行動していくことが必要になるが、そもそもその資金力や行動力がある人の頭の中に
「安楽死制度の実現」とかない。「自分の人生をどう豊かにするか」とか「お金を増やすか」しかない。
現状を俯瞰するとこんな感じかなと思ってまとめてみた。
インターネットのスラム的な一部において、統一教会をネットのおもちゃとして表層的に消費しようという動きがある。とてもいいことだと思う。
私自身も「統一教会は野獣先輩の両親を解放しろ!! 」anond:20220717035358 という記事を書いたが、まず評価は棚上げして他にどんな作品があるのかを紹介したい。
https://www.youtube.com/watch?v=oZx3ogjca1M
https://www.nicovideo.jp/watch/sm40776732
素人が茶番劇を繰り広げるゆっくり解説において、珍しく専門家を招き、冷静な視点と正確な情報を与えてくれる貴重な動画。
https://www.youtube.com/watch?v=m3qDK-yy1Ns
https://www.nicovideo.jp/watch/sm40792096
https://www.nicovideo.jp/watch/sm40759900
世界で一番信頼できる政党であるNHK党が、統一教会について語っている動画。政見放送という場もあり退屈かもしれないが、情報については正確なので我慢して見てほしい。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm40751602
統一教会についての一次情報を翻訳抜きにして面白く理解させるという離れ業をやっけのけている。以下で紹介する作品はすべてこの動画の影響下にあるといってよい。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm40765548
統一教会とその背後にある若年労働者に対する性的搾取という問題の関係を指摘した快作。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm40761929
今年の5月から鮮明なMAD動画を挙げ続けてきた作者による事件を受けた新作。素材の蓄積が伺える。
ttps://www.nicovideo.jp/watch/sm40776541
深みのないただの日常系アニメが元ネタというのは残念だが、出来はとてもよい。(リンク多すぎて?怒られたのでurl削ってます)
ttps://drive.google.com/drive/folders/1Oe_ixJTGBj1qcG9IHqHZq9pacNwL19Ag
二週間前の俺に「お前、二週間後には『安倍晋三と自民党とマスコミは韓国のカルトに支配されている!』と言ってるひろゆきとフィフィを支持してるよ」と伝えたら「ありえないし、万が一そうなるのであればその前に自死を選ぶだろう」と答えただろうことを思うと、遠いところに来てしまったなあと思う。
「統一教会は野獣先輩の両親を解放しろ!! 」に対する「長い」以外で唯一の批判として「ここまで見えていながら文学ではなくミームによって認識しようという世界観が貧しい」というものがあった。完全にその通りであると同時に、これが20年前に東浩紀たちがアニメやエロゲーで世界を理解しようとした時に応答しなければならならかった、あるいはまんがや文学で世界を理解しようとした人々が応答しなければならなかった批判なのだなあと思った。
それで、こういうときに取り得る姿勢というのは「あなたの批判は全くの正当であるが、それはそれとしてわれわれはこのように生きざるを得ない」と平伏するしかないということは歴史的に明らかにされている。
2011年の東浩紀は「文化は残る必要があるのか、同時代の人だけで楽しめば良いのではないかという議論はあるが、仮に何かの作品が残らなくてはならないとなると、結局、コンテクストを剥奪されてどうするのかというのを考えなくてはいけないんですよね。つまり、『これは色んな知識を前提とすればすごく良くできている』という作品は、ちょっとでもコンテクストがなくなるとすごく弱いわけですよ」と言った。
この発言のコンテクストを全く無視して解釈すれば、「滅ぶべき何かがあればそいつから文脈を剥奪してやればよい」ということもできるだろう。
あの「所有概念をハッキリ」だろうが「統一教会ダンス」だろうが、おそらく「本来の文脈」的に解釈すれば大真面目であるばかりか感動や畏怖さえ呼び起こすものなのだろうとは思う。でも、ニコニコ動画に投稿された途端に面白くなってしまう。なら、どんどん面白くしていくべきだと俺は考える。
脱会者の人々の言葉を読んでいて思うのは、一度取り込まれたら完全に戻ってくることはできないのだろうなということだ。統一教会の教義は、統一教会に対する批判すらも先回りしている。これを「論破」することはまず不可能であることだろう。それが文脈の持つ力であると考える。
ある悪しき文脈に対する内在的な批判が不可能であるとき、唯一可能なのは他の文脈をぶつけることである。だからそれを行った。
俺の書いた記事や、ここで紹介したムーブメントを批判して「面白くなってしまわない」のは結構難しいだろうなと思う。それが文脈の力だ。
一方でわれわれは自身の文脈が正しいとはゆめさら思っていないし誰も思わない。しかしその正しくなさを認めている一点において、われわれは統一教会のみならず、だんまりを決め込んでいる知識人、統一教会を擁護しているメディアよりも正しい。そう俺は信じている。
li1ipqb0ooi1n いいことじゃねえよ。こうやって消費することによって統一協会が逆に社会に受け入れられるんだよ。KGB出身のプーチンがかつてネットや商業漫画でさんざんネタにされた結果、日本で人気を獲得したの忘れた?
これは正直言われるかなと思ってました。ただ、ニコニコ動画の例のアレカテゴリの終わりっぷりは商業やネットの表舞台には出せないレベルで終わっていて、ひたすら悪趣味を撒き散らす「悪い場所」なので大丈夫かなと思っています。創価学会のMADが原因なり遠因となって入信した、というのは相当無いケースだと思うので。
もう一個ありうる批判を先回りして「大丈夫かなと思」うのが問題だ、という点については自覚はあるのですが、とりあえず『嗤う日本の「ナショナリズム」』を再読してから考えたいと思います。
ドブ板選挙(ドブいたせんきょ)は、日本における選挙活動、戦術の一種。ドブ板戦術、ドブ板活動とも言う。
かつての選挙活動では、候補者や運動員が有権者に会うために民家を一軒一軒(場合によっては後援者の民家でミニ集会も行う)回った。その際、各家の前に張り巡らされた側溝(ドブ)を塞ぐ板を渡り、家人に会って支持を訴えたことが「ドブ板選挙」の由来である。現在公職選挙法では戸別訪問を禁止しているため、街頭演説等[1]小規模施設での集会や、徒歩で街頭を回り通行人に握手を求める等、選挙区の一人ひとりに直に支持を訴える方法で行われる。
一般に日本の選挙においては、三バン(地盤=後援会、看板=知名度、カバン=資金)の揃っている候補者が有利とされ、いずれかで劣る候補者は、支持拡大のための戦術のひとつとして、ドブ板選挙を選択する。田中角栄は「歩いた家の数しか票は出ない。手を握った数しか票は出ない。」と唱え、自派の候補者にドブ板選挙を強く推奨したほか、現在では角栄の影響を強く受けた小沢一郎などの政治家が、自グループの候補者にドブ板選挙を積極的に勧めている。一方で、青島幸男のように選挙公報作成と政見放送録画を除けばほぼ全く選挙活動をせず、ドブ板選挙の反対を行きながら、高い知名度を武器に公職選挙に当選するタレント候補も存在する。
戸別訪問が禁止されている現行選挙においてもこの用語が使われることがままあり、例えば2020年東京都知事選挙の報道では「街頭演説」をどぶ板と称している[1]。
選挙活動ではドブ板選挙、政治に関係なくただの支持を訴える活動などにおいてはドブ板活動と、用語を使い分ける場合が多い。 https://blog.goo.ne.jp/zitensyaoyazi2002/e/643a45df69709fd0562a578bafd0cddf
昨今の電力需要ひっ迫に関する記事に対するブコメで「火力発電所をパパっと作れよ!(意訳)」的な内容があり、
「いや、1、2年で大規模火力発電所出来たら苦労せんわ!」と思ったけど、
実際のハードルの高さはどの程度なのか自分でも正確にはつかんでなかったので、経産省のHPから確認した情報などを備忘録的にメモ。
https://www.meti.go.jp/policy/safety_security/industrial_safety/sangyo/electric/detail/thermal.html
神戸製鋼の石炭火力は2014年に計画段階環境配慮書を提出してから約8年後の2022年に運転開始。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202204/0015247534.shtml
北電の天然ガス発電所は2012年に環境影響評価方法書を提出してから約7年後の2019年に運転開始。
関電と丸紅が計画していた秋田港の石炭火力発電所は2015年に計画段階環境配慮書を、2018年に環境影響評価書を提出したが、2021年に事業中止。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC276AE0X20C21A4000000/
ということで、火力発電所を作るには概ね10年弱程度の期間は必要となりそうで、その間の社会情勢の変化によって事業中止なんてこともあり得る。
ちなみに、ブコメでガスタービンなら早いというコメントを頂いたが、調べてみるとどうも東日本大震災時の例外措置とのことで、現在は廃止済み(ガスタービンは売れたのだろうか?)。
https://xtech.nikkei.com/dm/article/NEWS/20110421/191338/
https://www.tepco.co.jp/fp/companies-ir/press-information/information/2018/1493574_8926.html
なので基本的にはLNGを使ったガスタービンのコンバインドサイクルでも、石炭火力でも発電所を作る期間はそんなに変わらないのは上記の通り。
ロシアによるウクライナ侵攻が起きてから世界情勢が一変し、特にLNGの確保が非常に難しくなっているのはニュースでも流れてるけど、
ちょっと前までは脱炭素社会の流れで、石炭火力発電所が更新や新設計画が撤回されている。
上述の秋田港火力発電所以外でも市原火力発電所(2017年事業廃止)、
高砂火力発電所新1・2号機設備更新計画(2018年事業廃止)、西沖の山発電所(2021年事業廃止)とかがあるけど、
天然ガスで事業が廃止になったのは清水天然ガス発電所のみ(2018年事業廃止)
https://www.sankei.com/article/20180328-PNCQ6INHLFI6FNZPJAMTEHGFRY/
余談だが、ガスプロムからガスを送ってもらう予定で計画していた名寄の発電所はまだ事業廃止届は出てないようだ…。
また、政治家が「脱炭素」を旗印に掲げるときに左右問わず石炭火力をやり玉に挙げる形になっている。
https://www.alterna.co.jp/49316/
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-02-13/2016021301_05_1.html
なお、小泉進次郎は電力の安定供給をどうするかはいつものぼんやりした総論的な話で特に踏み込んでおらず、
共産党は「省エネと再生可能エネルギー」で乗り切る方向性の模様で
今回の政見放送をざっくり見た限りやり玉になってたのは原発と石炭火力だったので、安定供給電源をどうするかという点は無いっぽい。
さらに、上記の神戸製鋼の石炭火力発電は住民訴訟を抱えている。
(ただ、これは清水のガス発電所も住民協議で潰れたので、石炭火力のみのリスクなのかは微妙鴨)
現状、日本電力の安定供給を担っている火力発電所は新設するために必要な期間が長く、
その間の社会情勢で建設が中止や凍結され、今回のように電力需給がひっ迫すると古い火力発電所を再稼働させる悪循環に陥ってるようだ。
後出しになるけど立憲民主党の政見放送(小選挙区用)を見て思ったこと。
立憲民主党の政見放送は枝野の「コロナ禍で経済的に困窮している人たちがいる。」という話から始まった。
コロナ禍で経済的に困窮している人たちを助けなければいけないという話。まあ普通だよね。極めて普通だけど妥当だと思った。
一方の後には、その前の話の反対の方向の話を持ってきて対比させるのが普通だろう。
「コロナ禍で経済的に困窮している人」と「森友・加計・桜問題で責任をとらない人」を対比させるべき人とは多くの有権者は思わないだろう。
立憲民主党が最初に発表した「衆院選で政権獲得した場合にすぐ着手する7つの公約」の
というのは上の方と下の方で並列に掲げるのはおかしいとか色々と言われてたけどきっと立憲民主党の執行部にとっては本心から並列に語るべきだったのだろうと思えて興味深かった。
「一方」と言ったら次に普通は逆の人たちの話をする。普通の感覚から言ったら「コロナ禍で経済的に困窮している人」に対比させるのは「コロナ禍でも経済的に困窮していない人」もしくは「コロナ禍で経済的に裕福になった人」だと思う。
こういう対比をしたら政策としては「経済的に困窮している人」を救うために「裕福な人」に課税しますになるのが自然な流れだろう。でも政権奪取を目論む政党の政見放送で課税強化しますなんて無闇に言っちゃだめだと思う。
言えないということは立憲民主党執行部もわかっていたしそれで言わなかったんだろうけど本当は言いたかったのではないか。だから「一方」という言葉が残ってしまったし、江田がNISAに課税なんて発言もしてしまったのではないか。
わざわざ実家帰って投票したけど、地元の選挙区は「まあこの人だろうな」という有名な政治家がいて順当にそいつが当選した。
対立候補はのうちの片方は「これまでの成功体験は何か」といったアンケート(なんのアンケートなんだよという感じだが)に「特に成功体験といったものはない」と答えていたがそんなんで支持得られると思うのか。(ほかに選択肢がないから投票したけど)
これを書いているのは衆議院選挙の投票が締め切られて4時間くらいに過ぎないが、自公で安定多数は確保されたようなので、そろそろ総括したい。
定量的な分析についてはこれから明らかになると思うので、それは別の方にお任せするとして、ここでは選挙戦の報道とSNSでの反応を通して、なるべく主観を排除したうえで(といいつつどうせ主観は残っているんだろうが)、野党共闘について語ってみたい。
与野党一騎打ちで小選挙区を戦う、これ自体は選挙戦略として間違っていない。選択肢としてわかりやすいし、なにより仲間割れ選挙になって漁夫の利とならずに済むから。しかしながら、野党からの視点からすると、そもそも共産党が勝てる見込みがありそうな選挙区(具体的に言えば沖縄1区くらいか)以外は出馬しなければいい話なのである。比例票を伸ばすために小選挙区で多くの候補者が討ち死にしていくわけである。今回のように取りやめをしていても、比例議席は大して減っているわけではなさそうだ。であれば、共産党がでしゃばるのではなく、敵は誰かを見据えて、空気を読んで取り下げればいいだけではないだろうか。
2009年の総選挙は共産党が出馬していても民主党の圧勝だった。無党派層が投票した「風が吹いた」選挙ともいえるのではあるが、今回は共産党に依存している以上、2009年と比べればそれだけ地盤が弱いとも言える。「ボトムアップ」というのであれば、そもそも地盤を固めることに徹するべきであったのに、弱者のパワーゲームに飛びついたことが、今回の負け(自公に負けた時点で負けですよ、ええ)につながったと思う。
これだけ風がそこまで吹いていないのはなぜか。それは共産党は日本人のマジョリティとして受け入れられないのである。個々でやっていることは是々非々あるものの、共産党とは一緒になりたくないのが多くの日本人の本音なのではないだろうか。連合や国民民主党がこれだけ毛嫌いしているのもうなずける。
旧民主党は多種多様な議員が揃っていたと思う。旧社会党系なリベラルな人もいれば、旧自民党系の保守系な人もいた。しかし、新しい立憲民主党では保守系の人が逃げてしまった。細野豪志氏や長島昭久氏のように自民党に「裏切る」人もいれば、自民党には行きたくないけど立憲民主党にも行きたくないとして「国民民主党」としてとどまる保守系議員もいる。なぜこうも分裂してしまったかを猛烈に猛烈に猛省してほしい。「右でも左でもない」と前回の選挙の政見放送で主張した結果がただの旧日本社会党のカーボンコピーにしかなっていないのではないか、というのは個人的な見解だ。細野氏や長島氏を失ったのは正直大きすぎるし、なにより管元首相と長島氏を選挙区で争わせたのは悲しい。今すぐにでも、枝野幸男は細野氏や長島氏、さらに国民民主党に土下座してでも、多種多様な第二勢力として信頼を取り戻す努力をしてほしい。
選挙に行きたいと思ったことがない。なぜならリターンが限りなくゼロに近いから。
自分の投票が選挙結果に影響を与えるのは、複数の候補者の投票数が同数か一票差になったときのみ。それ以外は自分が投票しようがしまいが当選する人間は変わらない。
だから選挙に行かない。コストとリターンを天秤にかけてコストのほうがでかいと判断したから。ただ、それだけ。
少し前にかっぱ寿司が半額キャンペーンをやっていて待ち時間が3時間待ちとかになっていた。そんなに並ぶくらいなら、別の日に並ばずに定価で食べたほうがいいと長時間並ぶ人をバカにする人がたくさんいた。非合理的だと。
ソフトバンクが牛丼一杯無料キャンペーンをやっていたときもそうだ。一杯500円ほどの牛丼のために何時間も並ぶなんて割にあわないと、そういった意見の人たちがネットでは大多数を占めていた。
個人的には、割に合うと思った人間は並べばいいし、割に合わんと思った人間はスルーすればいいと思う。まあ、私が思うとか以前に、ある事柄に対して各々が勝手に合理的かどうか考えて、参加するかしないか判断する自由があるなんて当たり前のことだ。
でも、何故か選挙だとこの当たり前が通用しない。なぜか選挙に行かないことが”良くないこと”になっている。
選挙で自分の一票に価値が発生する確率なんて、宝くじの当選確率のようなものなので、そういう意味では投票の利益はほぼゼロである。一方、かっぱ寿司半額キャンペーンや牛丼無料キャンペーンは何時間も待たされるものの、最終的には半額で食事を得るというメリットを享受できる。
なので、牛丼一杯のために何時間も並ぶなんて割に合わないと思うけど、投票という行為はそれ以上に割に合わない行為だと私は思っている。
こういう「選挙は非合理だから私は行かない」という話が出ると、「みんながあなたと同じように選挙に行かなくなったら、独裁者みたいな人が当選するよ?」という人がでてくる。
そんなことにはならない。だって、合理性で選挙に行くか行かないかを判断する人たちは、コストとリターンを天秤にかけて物事を考えているから。みんなが選挙に行かなくなって、自分の1票が選挙に与える影響が相対的に大きくなれば、逆に選挙に行ったほうがリターンがでかいと判断するのでむしろ選挙に行く。
例えば、クラスで文化祭の出し物を決めるときの投票は、自分の1票の影響がでかいので投票するが、全校生徒1000人が投票する文化祭のテーマ決め投票にはわざわざ参加しない、といった感じ。
世間は気軽に「みんな投票しよう」というが、投票という行為のコストは結構でかい。普段から新聞を読んで、政見放送を見て、各党のマニフェストを比較して。エネルギー政策や経済対策について、専門家でさえ意見が分かれるっていうのに、国の将来にとってどれが最適か?を自分で判断しなきゃならない。めちゃくちゃ時間がかかる。
投票するのにそこまでしなくていいという人もいるかも知れないが、そんな安易な気持ち投票するくらいなら、投票しないほうが国のためになると思う。なんとなくでの投票は国にとってマイナスでしか無い。そういう人がいるから、いつまで立ってもバラマキ政策やタレント政治家がなくならない。そういう人が多いから、選挙ポスターは爽やかな政治家の顔写真ばかりで、具体的な政策は一切書いてない。街宣カーは壊れたファービーみたいに候補者の名前を連呼する
「別に投票してもいいけど、投票しないんなら政治に文句言うなよ」という人もいる。これは、何故そういう論理になるのかよくわからない。
「投票する権利」と「政治に意見する権利」はどちらも国民全員に与えられた権利。「投票する権利」を行使した人限定に「政治に意見する権利」がプレゼントされるなんて、そんなルールはこの国にはない。
投票したい候補者が一人もいないから投票しなかったら、その人はその時点で「政治に意見する権利」をゲットできなくなるのか。それとも、白紙投票すればOKなのか。とりあえず、最もマシだと思える候補者を選べば「政治に意見する権利」を獲得できるのか--。そんなルールは存在しないし、あったほうがより良い政治になるとも思わない。
投票の利益はゼロに近い一方、投票のコストは存在するので合理的行為者は常に棄権するはずだが、実際には選挙に投票する人がいる状態を社会学では無投票のパラドックスとよんでいる。
https://www2.rikkyo.ac.jp/web/murase/paper/95vote.pdf
政治に参加する方法は選挙以外にもたくさんある。かかるコストも様々だ。
自分が政治家になるとか、選挙事務所のボランティアスタッフになるとか、投票はもちろんのこと、政治家の意見をリツイートするだけでも政治に参加できる。
政治家になるのも、選挙事務所のボランティアに参加するのも、投票するのも、意見をツイートするのも、全部やる自由もやらない自由もあるはずだし、各々がそれを判断する自由があるはず。
監視されてる時に政見放送見てると上司からの信憑に👺政治への関心が高い+2点でボーナスが入るらしいので政見放送ずっと垂れ流してる。
自作映画研究会の1年生が作ったようなクソ動画の乱射に精神が参りかけながらも漠然と感じたものを書くぜ
みたいな主張が得意技だぜ。
お前らのせいで色々アカンことになってるのにお前らに任せて大丈夫なのかよってツッコミが来る可能性を0コンマ0%考えていない。
圧倒的なまでのノーガードによって、「ガードする必要のあるような後ろめたさはありませんよ」アピールしてくるぜ。
こんな感じだぜ。
熱狂的な自民アンチって感じのコメントが多いがブーメランの本数はヤバイぜ。
その上で俺達だけが信用できるというアピールをかますのが凄いぜ。
勝ち馬に乗るのが当たり前になりすぎてそれが異常という感覚がもはやないぜ。
そもそも政教分離原則を破っていても大丈夫な人しか投票しないというかもはや信者しか投票しないから色々どうでもよくなってそうな感じだぜ。
言ってることは一見まともだけどコイツら自身がまともじゃないのがミソだぜ。
つうかコイツら実際に年齢見てくとマジで若い部類なんけどその若さでムーブが既に老人政治家のソレなのがマジで凄い。
昔と比べるとただただ頭悪い人がコピペで喋ってるだけって感じになってきてつまらん。
「とにかくめっちゃ金配るぜ!」
埋蔵金の話さえないけどとにかくどこからか金が出てくるらしいぜ。
多分。
「おらたちが~~~本物の政治家だっぺ~~」
「がんばっぺ~~~」
すまん。
いたはずなんだけど記憶にないわ。