はてなキーワード: 建築学とは
心理学とか建築学とかが大学という接頭辞を冠することはないでしょ。
だから逆に「大学」とついてる学問は、大学で学ぶことが尽きちゃうって印象がある。
もちろん「高校」数学との対比としての意味以上のものはないのかもしれない。この場合大学数学とは高校までに扱わない数学全般を指していて、大学とはそれを教授する施設の代表に過ぎない。
でもそれならたとえば国語には大学国語はあるか?ということになる。国語学というものはあるけどそれは大学国語とは呼ばれない。
経済も高校では政経倫理とひとまとめに呼ばれることがあるだけで、高校経済も大学経済も存在しない。
こういうことから心理学とかに比べても数学は底の浅い学問ではないかという印象さえ持ってしまう。
むろん新規性を前提とした論文という点から考えれば、数学という学問の蓄積は決して底が浅いものであるとはいえないはずだ。
私が言いたいのは、研究するための道具立てとしての知識は、大学で教わることで一通り揃ってしまうのではないかということだ。
今この瞬間も数学的事実は新発見されているだろうし数学が厚みのある学問であることは自明だ。
しかしその発見のための研究に必要な知識自体は大学あるいは院で習うことで出そろってしまうのではないか。
それに比べ経済学は最近もMMTなんてものが発表されたように体系としての分野が新しくでてくるわけで、大学を出たあとも研究テーマによっては独自にそういった体系を学んでいかなければならないということがある。心理学とか医学だってそうだろう。
まず、「総合工学科」の5文字は無意味である。工学部に存在する学科は総合工学科だけであり、総合工学科の下に建築学コース、デザインコース、物質科学コース 、etc. といったコースが存在する。ここで問いたいのは、工学部には総合工学科以外の「学科」が存在していないということである。つまり、「総合工学科」の5文字は専攻を分類する要素として何ら役割を持っていない。XXコースという専攻の大分類が工学であるということは、学部名を見れば自明である。仮に工学部 XXコースと表記しても、所属は一意に示すことができる。
まず、融合理工学府というのは大学院の工学系の研究科のことを示す(工学研究科、理学研究科というものとニュアンスとしては同じ)。融合理工学府の場合も、XX専攻という部分を省いても、所属を一意に表現できる。ただし、XX専攻は、何種類か存在するので小分類としては一応意味がある。
ここで問題なのは「融合理工学府」の部分である。「融合」という単語の持つ意味合いとしては理学研究科と工学研究科をいい感じにまとめたということなのだろう。ただし、理学研究科と工学研究科をひとつにまとめるという時点で、両者をひとつの研究科にしたということは必然であり、「融合」の2文字の意味はあまり無い。単純に一緒にしたのではなく、「いい感じに」まとめたことは示せるかもしれないが。さらに言えば、英文名は Graduate School of Science and Engineering であり、「融合」の2文字が持つ要素は完全に消えている。英文名にも fused とか integrated とか入っていればよかった気がする。
まず、「総合工学科」の5文字は無意味である。工学部に存在する学科は総合工学科だけであり、総合工学科の下に建築学コース、デザインコース、物質科学コース 、etc. といったコースが存在する。ここで問いたいのは、工学部には総合工学科以外の「学科」が存在していないということである。つまり、「総合工学科」の5文字は専攻を分類する要素として何ら役割を持っていない。XXコースという専攻の大分類が工学であるということは、学部名を見れば自明である。仮に工学部 XXコースと表記しても、所属は一意に示すことができる。
まず、融合理工学府というのは大学院の工学系の研究科のことを示す(工学研究科、理学研究科というものとニュアンスとしては同じ)。融合理工学府の場合も、XX専攻という部分を省いても、所属を一意に表現できる。ただし、XX専攻は、何種類か存在するので小分類としては一応意味がある。
ここで問題なのは「融合理工学府」の部分である。「融合」という単語の持つ意味合いとしては理学研究科と工学研究科をいい感じにまとめたということなのだろう。ただし、理学研究科と工学研究科をひとつにまとめるという時点で、両者をひとつの研究科にしたということは必然であり、「融合」の2文字の意味はあまり無い。単純に一緒にしたのではなく、「いい感じに」まとめたことは示せるかもしれないが。さらに言えば、英文名は Graduate School of Science and Engineering であり、「融合」の2文字が持つ要素は完全に消えている。英文名にも fused とか integrated とか入っていればよかった気がする。
東京理科大学のミスコンに出る女子の出身学部は、経営・建築・生物・応用化学が大半である。
どうして建築学科が他の3学科と肩を並べるくらい女子に人気なのかよく分からない。そんなに建物好きの女って多いのか…?土木はあんなに人気無いのに…?
と思っていたが、どうやらデザイン系の学生が結構建築学科に行くらしいですね。なのであまり理系っぽくない女が多いと。
美大に行きたいけどそれでは食えないから建築学科に行く、勉強できる人はそれなりにいるらしいですね。
というか建築学科を出て、建築とはあまり関係ないデザイナーとして働くルートって結構メジャーなんですかね?知り合いにいないから分からないのだけど。
まあそもそも卒業後の進路のひとつである建築士だってデザイン力が問われるし、大学で模型製作とかするらしいし、デザインの素養のある人間は目指すか…そうか…。
思い書く事にした。
それはさておき、我はちょっぴり文房具に興味がある。
であるからして、この前少しお高いシャーペンを買ってみたくなったのである。何故高いのか、書き心地はどうなのか、製作者の配慮が感じられるものなのか。疑問だったのである。そこらへんで買ったクルトガで済ませるのに飽き飽きしたってのもある。それに一本買うだけで今までの日常が霞んで見えるような体験になるかもしれない。というかそれ口実にして外に出たい。go to ショッピングしてぇんだ。
回りくどいが、要は買いにいったのである。
ろくに調べずにフォルムが気に入ったのを買った。
個人的には重量感が少し違うなってのと太さが心地いいなと思った次第であった。後キャップが簡単に無くなりそうにないかんじだった。クルトガはそこら辺が気に食わなかったのである。値段は野口一枚程度。気に入った。清水の舞台に比べたら、階段5段程度の高さから飛び降りた気分だった。…ム?ってなる程度。これが買い物における中毒性の素になるんだなきっと。
体感クルトガの2倍くらいだったと思うので、それで文章書く時はテンションが上がった。さすがお気に入り。
で、父に見せびらかしたんだな。すると、「あ、あるねこれ。製図用だったよね確か。」
……マジで?製図用だったとは知らなんだ。製図しなきゃならんのかこれで。せいず?おいしい?それ。
調べてないので製図用なのかも知らん。
山中先生の専門は再生医学だから、感染症と公衆衛生の舞台である新型コロナ対策に上がってくるのはおかしいと思う。どれくらいおかしいかというと、イチローがサッカーの指導をするくらいおかしい。しかし、多くの人々はイチローがサッカーの指導をするのがおかしいことは理解できても、山中先生が新型コロナ対策に出しゃばってくるのがおかしいことは理解できないのだ。
これは、多くの人にとって医学がスポーツに比べて身近でないこと、医学をひとまとまりで認識していること、権威主義などの要素が関係している。
医学はスポーツに比べて身近ではない。スポーツ、特に野球やサッカー、相撲といった国民的なニュースは毎日報道されるし、テレビでも毎日放送される。しかし、医学のニュースは大きな発見がされたときしか報道されない。このことによって、野球とサッカーの違いは分かっても、再生医学と感染症学の違いがわからない市民が出来上がる。
多くの人は再生医学と感染症・公衆衛生の違いがわからず、一塊で「医学」と認識しているのだ。だから山中先生が何かを言えば権威主義的にそれに従ってしまう。
しかしこれは当然のことであり、仕方のないことでもある。例えば、私は建築学や文学やITの中にどんな学問があるのか知らないから、その分野の知識が必要になったらとりあえず有名な人に意見してもらおうと考えるだろう。実家から古文書が出てきたときに、古文の大学教授がいてくれたらなんと頼もしいことか。その古文書が例え漢文で書かれていたとしても。
だから医学の場合は、とりあえずノーベル賞で有名な山中先生に意見をもらおうというのは、当然であると言えなくもない。
このことは一般の方々にも言える。医学だけで細かい発見をいちいちニュースにしていたらいくら時間があっても足りないし、医学だけ特別扱いするわけにもいかないし、そもそも市民は医学の細々とした発見に興味がない。だから、市民が医学についての詳しい知識を持ち合わせていないのは当然のことなのだ。
問題点は、メディアなどが過剰に持ち上げることにある。ノーベル賞を受賞したといっても、山中先生は感染症学の専門家ではない。さらに臨床での新興感染症対策の経験もない。感染症対策については本質的には素人で、新興感染症について適切なアドバイスはできないということは本来なら理解できるはずだ。
だから感染症を専門とする先生を専門家として呼ぶのが正しいはずだ。しかしノーベル賞という看板に惹かれたか、そもそも感染症の素人であることがわからないのか、山中先生を新型コロナの専門家という立場に据える番組などが後を絶たない。終いには山中先生自身が「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」というサイトを立ち上げ、専門家会議(分科会になったんだっけ?)のメンバーとして祭り上げられてしまう始末である。
確かにノーベル医学賞を受賞し、有名なインフルエンサーである山中教授が新型コロナウイルスについての情報を拡散するのは理にかなっているのかもしれない。しかし短期的に見れば有効でも、長期的に見ると民衆を馬鹿にしている(ダブルミーニング)ように思えてならない。
SNSで見た主張として、「山中先生は新型コロナが出てからそれについて一生懸命勉強した。だから新型コロナ対策の知識は十分にある」というものがある。これに対して反論したい。
確かに山中先生は新型コロナについて、それが発生してから懸命に勉強したかもしれない。しかし、高々数ヶ月の話だ。日本は何年何十年と懸命に感染症について研究してきた専門家をたくさん抱えている。高々数ヶ月の勉強とは、文字通り桁違いの経験を積んできた先生方である。新型コロナに限らず、感染症対策に関する知識も、経験も、その言葉の重みも桁違いである。だから、「数ヶ月勉強したから知識は十分だ」という主張は、その分野で飯を食ってきた本物の専門家に対する侮辱にも等しいのではないかと思う。本来はそういった本物の専門家をお招きしてアドバイスをいただくのが正しい筋であるはずなのだ。だが、本物の専門家は往往にしてなかなか表舞台に出てこない。メディアが学問や専門性が高い分野を扱うときは特にそうだ。専門家は忙しいのか、恥ずかしがり屋なのか、報酬が割に合わないのか、はたまたメディアがそういった専門家を知らないのか・・・
ここまで散々ノーベル賞に乗っかる諸々をディスってきたが、私は権威主義を否定しているのではない。むしろ迎合するくらいである。
最近は「誰が」主張したかよりも「何を」主張したかについて主眼が置かれる風潮がある。確かに主張の内容は重要であるし、自身の専門分野や興味のある分野については、主張が正しいかどうかを精査するのは極めて重要である。
しかし一方で、我々のような一般大衆にとっては精査は仕事ではないのだと思う。自分の知らない分野に対してその主張が正しいかどうかを判断するのは難しいし、それに誰の主張についても考えていたらいくら時間があっても足りない。さらに、自分でどれが正しいかを考えると、自分の考えのバイアスがかかる。しかもそのバイアスがド素人のバイアスなので余計にたちが悪い。だから、自分が知らない分野については「何を」主張するのか考えるのはやめて、「誰が」主張するのかを考えた方が、幾ばくか合理的であるかもしれない。
そして私が最も強調したいのが、「その権威が正しい権威なのか」を考えることである。
権威が正しいのかを考えるのは、主張の内容が正しいのかを確かめるよりも簡単だと思う。例えば、建築の専門家が建築の指示をするのは正しいが、コップ製造の指示をするのは正しくないだろう。全ての主張についてこれと同様に考えれば、自ずとどの言い分が「正しい」のかわかる。
もちろん、この方法では間違えるかもしれない。例えばニュートンは「光は粒子である」と主張した。しかし実際は「波と粒子両方の性質を併せ持つ」ことは高校物理でも学ぶ常識であるし、高校物理をとっていなくても知っている方が多いと思う。しかしそれは現代の視点から見た話であり、1600年台後半の民衆にとっては光は粒子であることは「正し」かったのである。
科学は日々進歩するものであり、現代の「正しい」が後世にわたって永遠に「正しい」というものはない。そして、その分野特有の思考を持ち合わせない素人が、どれが正しいかを判断するのは難しいものがある。ニュートンでさえ間違えたのだから、その分野の知識がなく、興味もない素人ではなおさらだ。そんな中でひとまずの妥協点を見つけるのが科学者や専門家の仕事でもある。その仕事に乗っかるのもアリだろう。
自分の興味のない分野、わからない分野については専門家の言っていることに従う。しかし、その専門家は本当に「その分野の専門家」なのか、といったことをちょっと考えてみるのも重要だと思う。
皆さんご存知の通り、コロナウイルスの恐ろしいところは、その多くが無症状でありながら他人に感染させるステルス性です。
みなさんは基本家にいるときはマスクを着用しておりますでしょうか?できれば付けたほうがいいかもしれませんが
多くの方はマスクを着用していないと存じます。もちろん皆様は部屋の除菌などかなりのレベルで気を付けているとは思いますが
多くの場合換気はノーマークだと思います。そこで、日本建築学会の意見を参考に換気についてもチェックしてみましょう。
実は日本は世界有数の換気機構が普及した国です。古い家では風通しが重要視され、新しい家では建築基準法等で
換気関連はかなり厳格に規定されております。 たとえば換気関連の法律が2008年に制定された韓国は、ヨーロッパやアメリカと
比較しても比較的死亡者数が少なくなっております。アメリカはどうでしょう。たとえばキッチン換気扇を見てみると、アメリカは
空気を換気せさせるというより油の捕集に重点を置き、汚染空気は屋内循環しても良いのです。これは家の広さや気候の影響もあるので
一概に遅れているとはいえないまでも、コロナにとってはマイナスです。
死亡者が特に多いイタリアでは機械換気の普及率は約1割です。ドイツでさえ3割程度です。日本は同じ条件の換気設備なら7割弱程度です。
トイレなどのダーティーゾーンについては日本の換気設備普及率はほぼ10割となります。
コロナ対策では部屋内を負圧に保つ第三種換気が重要になります。これは現代でもローコスト住宅に採用されており、一番普及率が高い手法です。
省エネ性能ではハンデを抱えますが こと、コロナ対策では最強の効果を発揮します。第三種換気が確保できないのなら扇風機も有効な方法です。
皆様の部屋ではどのように対処すればよいでしょうか。
ワンルームならキッチン換気扇をつけっぱなしでもありだと思います。 部屋に換気扇があるなら換気扇はつけっぱなしがよいでしょう。
エアコンは換気機能がないので注意が必要です。特に次亜塩素酸ナトリウムを多用する除菌をする場合、換気をきちんとしないと、却って肺を痛めます。
建設業界で働いてる
工事現場にいた頃は、定時で帰る人なんてほぼ居なかった
土日も出勤してるし
毎日定時で帰る新人の女の子いたけど、上からの評価は散々だった
知識などほぼ無い
それに新人
仕事が出来ないのは当たり前
履歴書で分かってるはずだし
とりあえず現場行って覚えろは辞めて欲しい
正直それで何人も辞めてるんだから
それに定時で帰るのが何がダメなの?
仕事が終わってない??
何それ
知らんがな
人手が足りないなら仕事量減らすか人数増やせよ
何の為の定時だよ
残業は今よりも少ない話だったけど
ちゃんと仕事をやっただけ、評価してくれるところだといいな……
インターネット上に早稲田大学芸術学校についての情報が少なすぎるため、数年間当校に在籍した経験を基に入学を検討している人に向けて情報提供をしたいと思い記事を書くことにしました。いくつかの夜間建築学校などを検討している方などに向けた記事ですが、当校の入学決定者にも役に立つところがあるかもしれません。
また、当校は体制改革の最中ですので、もしかするとこの記事は古い情報である可能性もあることをご了承願います。
・入試について
・教育の質について
・最後に
インターネットを見ていると入試の内容、難易度に関して疑問や不安を感じている方が多いように感じますが、まったくもって心配する必要はありません。
入試の内容は、詳細には覚えていませんが、私が受けたときには「好きな建築(あるいは建築を学ぶきっかけとなった建築)を挙げ、その建築について述べなさい。」といったような内容だったと思います。これに加え講師との面接があり、その後入学が決定します。合格率は年によって異なるかもしれませんが、基本的には全入であると思われます(定員割れしていることが多いので)。ですので、入試に関しては特に心配はいりません。
これはもしかすると私の学年だけかもしれませんが、かなり多くの生徒が自主退学をします。退学者に理由を聞いて回ったわけではないので詳細な理由は知りませんが、おそらく日中の職業との両立の難しさ、そして建築を学ぶことへのモチベーションの低下などが主たる理由であると思われます。
カリキュラムについてはホームページやシラバスで十分な情報があるのでそちらを読んでいただければ問題ありませんが、率直な感想を言うと週5回の夜間学校は予想以上にしんどいです。これを読んでいるあなたが学生や社会人である場合、両立にはかなりの忍耐力が必要です。おそらく入学を前向きに検討している方はそのような覚悟もできている上で(私もそうでした)この記事を読んでいるかと思われますが、実際のところ本当にきついです。
まず平日18時過ぎに毎日必ず西早稲田に移動することができない方はまず入学を再検討したほうがいいかもしれません。授業開始時間に間に合わない社会人や学生も多いため、遅刻自体には寛容(成績的な評価で言えばほとんど影響はない)ですが、そもそも授業に途中参加することは確実にあなたの意欲を下げます。大学や高校でもそのような経験があるのではないでしょうか。授業の導入部分を聞けないということは、その授業全体の理解度に大きな影響を及ぼしますし、その授業についていけなければ当然次回以降も理解が難しくなります。また、欠席に関しても、シラバス上では全出席が基本とされていますが、実際のところはそこそこ寛容です。ですが、欠席を重ねていくうちに授業についていけなくなったり、本来は出席できるがサボってしまう「だらけ」が発生します。おそらく誰しもが平日に残業や飲み会、友人との食事などの機会があると思われますが、本校に通うとこれらへの参加と授業への参加を天秤にかけるようになります。強い意志で毎回授業に参加できる方は全く問題ないかもしれませんが、やむを得ないこともあるでしょう。しかし、いかなる理由でも欠席は建築を学ぶ意欲を削ぎ、モチベーションを失って惰性で学校に通う、または退学する原因となります。(実際にこのような人はたくさんいました)
生活リズムについても結構厳しいところがあります。18時15分に授業が始まり、21時25分の授業終了まで、休憩はわずか15分程度しかありません。その間に食べれるものといえばせいぜいコンビニの軽食ぐらいであり、これが週5回続きます。普段からコンビニ飯がメインな人にとっては大した問題ではないかも知れませんが、料理が好きな方や食事管理をしている方にとっては大きなストレスになります。もちろん食費も余計にかかります。
以上のように、想像以上に当校のカリキュラムは厳しく、ストレスを伴うものです。これらに耐える自信がない方は今一度入学を検討し直してみてください。
本校では「建築設計科」と「建築都市設計科」があり、それぞれ2年コースと3年コースがあります。3年コースに入学しても、2年間の授業は2年コースと全く同じで、2年コース+1年という授業形態です。2年コースと3年コースでは卒業後の建築士の受験資格や得られる学位に差がありますが、なぜ私が2年コースを勧めるのかと言うと、2年コースから3年コースには編入制度があるためです。仮に2年間建築を学び、やはり違うと思って建築の道を辞める場合でも、単位を取得していれば2年コースでは当然卒業になりますが、3年コース選択の場合は退学になります。3年コースから2年コースへの編入はできません。つまり、建築に進まないと言う選択をするリスクと考えると、わざわざはじめから3年コースを選択する理由は全くありません。2年間学び、やはりもっと建築を学ぼうという気になれば3年コースへの編入をすれば良い話です。編入審査は形式的なものでほぼ確実にできます。
このように、入学するなら絶対に「建築設計科」を選択することをおすすめします。
本校の教育は、基本的にはハイレベルで質の高いものだと思います。著名建築家である校長を始め、大手ゼネコンの上流社員、早稲田大学理工学術院の教授など、錚々たる講師陣が揃っています。また、副業として講師をしている熱心な若手建築家の方も複数人います。しかし、経歴の立派さが教育の質の高さにつながるとは限りません。実際のところ、実績はあってもあまり教育には熱心ではない(ように伺える)方もいらっしゃいましたし、生徒が必死に製図する中大声で談笑する講師陣の姿も見えました。また、自立した社会人が過半数を占める学校ということもあり、面倒見の良い学校であるとは言えません。そういう点を求めるならば別の学校を検討するのも一つだと思います。
少々棘のある内容となってしまいましたが、基本的にはやはり教育の質は高いと思います。仮にも歴史のある早稲田大学の関連組織ですし、実際に活躍されてるOBOGも多くいらっしゃいます。ただ一つ重要なことを補足しますと、当校は実用的なCADスキルや建築士の資格試験対策に重きをおいた学校ではなく、むしろ建築を中心とした芸術的センスと教養を育むことを重視しています。そのため意匠に興味がない方には非常に退屈に感じるかもしれませんし、最速で建築士資格の取得を目指しているような人には向いていないかもしれません。
以上が早稲田大学芸術学校について私が持っている情報です。ご参考になれば幸いです。
1000作品以上集めてわかった「マンションポエム」に隠された“ワナ” | 文春オンライン
http://b.hatena.ne.jp/entry/bunshun.jp/articles/-/10004
この記事では、マンションの売り文句にマンションを超えた詩的な表現が使われている多くの例が挙げられている。
建築業界にはマンションに限らず痛い詩的な表現が蔓延している。
この建物はいかに素晴らしいか、いかに洗練されたデザインか、そしてそれが施主に認められるかどうかで莫大な金が動く。
このような詩的な表現が多くみられるのは、マンションのような客に対する広告宣伝の場のほかに、個性的な設計をする建築家のプレゼンの場がある。
自分のまちの公共施設なんかの公開プレゼンに出向いたことがある人や、建築家に頼んで家を設計してもらったことがある人には実感があるのではなかろうか。
例えば新しく公共施設を建てようということになると
「水の軸、緑の軸、そこが交わるこの建物が地域の拠点となり賑わいの種となる」とか「エンガワのような集いの場」とか妙にひねった表現が横行する。
住宅であれば「ゆるく繋がる」とか「漏れだす光のぬくもり」とか何が何だかよくわからない。
一応これらの表現について説明すると、水の軸というのは川のこと。緑の軸は並木通りなんかを往々にして示す。
んで、その川と道が交差したここにみんなが集まってくるんですよ! (なんでだよ。集まってこねーよ。)
昔ながらの縁側に座って星を見るような雰囲気に仕上げたので、ここに人が集まるんですよ!
(集まってこねーよ。縁側がカタカナになっていることろもポイント。大体赤の他人と話さねーし)
使いやすい間取りや、周りのまちに溶け込まない個性的な外観を正当化させるために、ごまかしのようにコンセプトばかり考えたがる。これが建築業界に蔓延している癌である。
このような詩的な表現を用いるのは建築学科に通う学生時代からの慣例となっている。
建築学科の学生は記事のようなマンションポエム、表現系建築家に憧れ、育ち、ポエム付き建築を量産しているのだ。
こういう表現をコンセプトや売り文句に含む文化はデザインなんかが絡む建築や、グラフィックとか、映像とかそういう業界に多いように思うのだが
歴史ある有名どころから名前も知らないような新設校まで、在学生・卒業生の生の声を垣間見られてすごく興味深い。
鉱脈がありえんほど深い(Fラン大は小規模校が多いので口コミ総数の割にバリエーションが多い)ので自分もまだまだ掘り下げられてないけど、気に入ったのをいくつか紹介したいと思う。
(ていうかここなんで偏差値でてないんですかね?)
Fラン工業大学の女子学生という立場の辛さがひしひしと伝わってくる。
就職先が大手アパレルの販売職というのもバイト先にそのまま就職した的な感じが哀愁を誘い高得点。
全体的に無気力感ただようコメントがFランに漂う空気をリアルに再現しており評価したい。
可もなく不可もなくという感じである。
地味に自分で"Fラン"って言ってる口コミ少ないのでオッとなる。
資格まではなかなかとれないです。
身もふたもなくて草
新入生の9割が中国人だったりするところ。九州出身のおっさんおばさん的には"第一経済大学"のほうが通りがいいか。
就職先・進学先
えぇ…(困惑)
いかがだったでしょうか?この他にも数あまたの面白い口コミがみんなの発掘を待ってるから、各位どんどん探求してFラン口コミの魅力を堪能してほしい。
4歳上の兄が先日一級建築士の製図試験(2次試験)を受けてきた。まぁまぁの手応えだったようだ。
兄は中学生くらいの頃から建物を見たりデザインしたり、そういうのが好きで高校の進路選択も迷わず理系、建築系の大学を志望した。
ある意味、長年の夢の成否が、箱根駅伝で言えば、丁度、往路のゴールテープを切ろうとしているところなんだと思う。
兄は、頭が物凄く良かったわけではないが、クラスの人気者、運動神経もよく、部活も高3の夏引退まで続け、
その後猛勉強、中堅高校から現役でMARCHの建築学科に進学、まるで予備校のパンフレットに載ってそうなサクセスストーリーだった。
兄は、第一志望の国立大には残念ながら落ちてしまった。そこは物凄く悔しそうだったし、当時中学生の自分から見ても可哀想だなぁと思っていた。
兄は、大学で未経験ながらある体育会に入って、主将まで務めていた。理系で製図が大変そうなのに、寝る間を惜しんでバイトしたり、練習したり、辛そうだけど生き生きしていたとおもう。
もちろん、それの裏には血の滲むような努力をしていただろうことも十分わかる。
憧れの教授がいるとかなんだかの理由で英語ができないのに、授業が英語ばかりの研究室?院?に入学した。
学部時代の成績が優秀で、院の授業料は免除になっていた。お前、体育会の主将で、、何か才能を分けてくれよ。
それで、就職2年目、就職してから毎週末は建築士の勉強をした結果、今にも夢を叶えようとしている。
一方、弟である私は、兄よりは頭のいい高校に進学、そこそこの成績を保っていた。ただ、部活は途中で辞めてしまったし、クラスではどちらかというとインキャ軍団で少し輝いている程度だった。
多分、自分と同じくらいの成績の、高3夏まで部活もやってて、クラスの人気者タイプが自分の入学した国立大に受かって、自分が落ちてしまうビジョンが死ぬほど怖かった。
その国立大で叶えたい夢とか進路とかそういうのはまったくなかった。
ただただ、その、落ちて負けたくない、周囲に後ろ指を刺される感じが嫌だというインセンティブで勉強していたと思う。
そもそも、文理選択のときすら、なんとなく〆切前日になって理系から文系にチェンジしたし、これが得意とか、あれが苦手とか、そういうものもなかった。
大学ではそこそこの体育会に入って引退し、まぁまぁの企業に内定を貰い、可もなく不可もなくな人生を歩むのだろうと最近何となく思う。きっと。
特に、親友らしい親友はこれまでできたこともないので、そのまま会社に入っても適当な立ち回りで、下の上くらいのポストについて、そのまま死ぬんだと思う。
全てが中途半端。
兄より勝っている所、それはペーパーテストの点数と学歴くらいだったが、社会に出ればそんなのはもうほぼほぼ関係ないだろう。
夢に向かってバイタリティあふれる人間と、夢のないただ漫然と生きている人間の差をいよいよ痛感させられる時が間もなく来るのだろう。
お菓子なんて興味もないし、そもそもそれほど好きでもないし、大学に進学するのが当たり前のそこそこの高校だったから、そんな選択肢はすぐ捨象してしまった。
小学生、中学生と振り返っても「将来の夢」というような作文が大嫌いで、書くことが最後まで思いつかなかった。
「俺はパイロットになりたいんだ」「私は犬が好きだからペットの関連のお仕事がいい」「水族館で働いてみたいなぁ」
なんでこんなことを周囲が平気で口に出すのかわからなかった。
夢を語るのが恥ずかしいと思っていた節もある。
夢なんて殆どのやつは叶わないんだろう、って冷めた目で見ていた節もある。
でも、22歳になって、夢があるってかっこよかったんだなって思う。というか、羨ましい。
夢のない小学生なんて、可愛くもないし、絶望している虚しい存在、俺が親なら心配するはず。
兄はいよいよ往路のゴールテープ目前。復路は建築士としての更なる飛躍の人生だろう。
まだ大学生で働いたことがないからわかんないんだけど、仕事ってめんどくさくないの?
建築学科で設計課題をやってると、考えることがあまりにも多くて途中で投げ出したくなってしまう。
この壁はどういう材質でどういう仕上げでどこに窓が空いていて、どういう風に他の壁と繋がるか…
どういう人がいつどうやってこの動線を通るのか…
など、とにかく考えなきゃいけないことが多すぎる!もうやだ!!
そんでもって考えたあとは何か一つに選んで決めなきゃいけないわけだけど、これもしんどい。
ほかにもっといい選択肢があるんじゃないか…と決めあぐねてしまうし、決めたあとも本当にこれでよかったのか…他の人だったらもっといいのを思いつくんじゃないか…と不安になる。
決めるときにはいつもストレスを感じてしまう。これしかない!!と思っても、あとで本当に…?と疑ってしまう。
で、たぶん建築家になろうと他の職業に就こうと、何かを考えて決断するっていうのは絶対について回るものだと思う。
キツくないですか!?
選ぶ段階でいろいろ試さなきゃいけないのもめんどくさいし、仮で決めてみて失敗するのも嫌だし、決めないでいたら締め切りが近づいてきて焦るし…精神的にかなりキツイと思うんだけども。
社会人の方々は、こういうめんどくささとどう折り合いをつけているか教えてください!
めんどくさがらず日々努力できるようになりたい…
はてブでFラン大学を卒業した新卒がすぐ逃げて使えないという話が盛り上がっていましたが
そこでFランに対するさまざまな厳しい意見があったので、Fラン卒業生が答えてみます。
日本工業大学です。
あの木製ジャングルジムにおが屑を詰めて投光機から発火し、子供を焼死させた日本工業大学です。
日本にFラン大学数あれど、人死が出るほどのFランは我が母校だけでしょう。
私は建築学部ではないので詳しいことは分かりませんが、当時の学内の雰囲気は相当酷かったと聞いています。
Fラン大学といっても、上位大学でポストが無かったのでうちに来たという先生もいるので
先生方は物凄い業務量(何故か単位不足の学生の相談業務も行ってました)には疲れ果てていましたが
査読付き学会発表してきちんと成果を出す学生も出るので世間で言われるほど底ではないと思います。
全員履修する大教室講義はクソでした。とにかく落ち着きが無い。あれは酷い。
大学を減らし、高卒就職の門戸を広げるという提案もされていますが、学生にとっては
Fランでも大学に入って、能力を磨くという手が塞がれることになり、厳しくなるのではないかと思います。
私も現在学生支援機構の第二種奨学金を返済していますが、そんなに高くない給料ながらも返済しています
奨学金の返済はかなり長期に渡りますが、低利かつ月々の返済額はかなり低く抑えられているため返済しやすいです。
学生支援機構の奨学金の問題として感じるのは、まず返済猶予がかなり厳しい条件でしか申し込めないこと。
次に第一種奨学金(無利息)の返済を優秀な学生に対しては簡単に返済免除してしまうことです。
学生支援機構の奨学金はあくまで低利な学生ローンであるべきであり、優秀な学生を支援するのは別の枠組みで行うべきでしょう。
卒業後友人とも話しましたが、概ね給料は安めながらも安定して業務をこなせています。
就職支援課が「お前らは大手ばっかり受けるような寝言言うんじゃねぇぞ」と発破をかけるのも役立っていそうです。
(毎年数人は大手鉄道・重電・電機に受かります、推薦とのことです。)
それはケースバイケースでしょう。
いくらなんでもサンプルサイズが1で「Fランはすぐ辞める」なんて書いたら
我が母校のレポートですら不可です。