はてなキーワード: 再生医学とは
山中先生の専門は再生医学だから、感染症と公衆衛生の舞台である新型コロナ対策に上がってくるのはおかしいと思う。どれくらいおかしいかというと、イチローがサッカーの指導をするくらいおかしい。しかし、多くの人々はイチローがサッカーの指導をするのがおかしいことは理解できても、山中先生が新型コロナ対策に出しゃばってくるのがおかしいことは理解できないのだ。
これは、多くの人にとって医学がスポーツに比べて身近でないこと、医学をひとまとまりで認識していること、権威主義などの要素が関係している。
医学はスポーツに比べて身近ではない。スポーツ、特に野球やサッカー、相撲といった国民的なニュースは毎日報道されるし、テレビでも毎日放送される。しかし、医学のニュースは大きな発見がされたときしか報道されない。このことによって、野球とサッカーの違いは分かっても、再生医学と感染症学の違いがわからない市民が出来上がる。
多くの人は再生医学と感染症・公衆衛生の違いがわからず、一塊で「医学」と認識しているのだ。だから山中先生が何かを言えば権威主義的にそれに従ってしまう。
しかしこれは当然のことであり、仕方のないことでもある。例えば、私は建築学や文学やITの中にどんな学問があるのか知らないから、その分野の知識が必要になったらとりあえず有名な人に意見してもらおうと考えるだろう。実家から古文書が出てきたときに、古文の大学教授がいてくれたらなんと頼もしいことか。その古文書が例え漢文で書かれていたとしても。
だから医学の場合は、とりあえずノーベル賞で有名な山中先生に意見をもらおうというのは、当然であると言えなくもない。
このことは一般の方々にも言える。医学だけで細かい発見をいちいちニュースにしていたらいくら時間があっても足りないし、医学だけ特別扱いするわけにもいかないし、そもそも市民は医学の細々とした発見に興味がない。だから、市民が医学についての詳しい知識を持ち合わせていないのは当然のことなのだ。
問題点は、メディアなどが過剰に持ち上げることにある。ノーベル賞を受賞したといっても、山中先生は感染症学の専門家ではない。さらに臨床での新興感染症対策の経験もない。感染症対策については本質的には素人で、新興感染症について適切なアドバイスはできないということは本来なら理解できるはずだ。
だから感染症を専門とする先生を専門家として呼ぶのが正しいはずだ。しかしノーベル賞という看板に惹かれたか、そもそも感染症の素人であることがわからないのか、山中先生を新型コロナの専門家という立場に据える番組などが後を絶たない。終いには山中先生自身が「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」というサイトを立ち上げ、専門家会議(分科会になったんだっけ?)のメンバーとして祭り上げられてしまう始末である。
確かにノーベル医学賞を受賞し、有名なインフルエンサーである山中教授が新型コロナウイルスについての情報を拡散するのは理にかなっているのかもしれない。しかし短期的に見れば有効でも、長期的に見ると民衆を馬鹿にしている(ダブルミーニング)ように思えてならない。
SNSで見た主張として、「山中先生は新型コロナが出てからそれについて一生懸命勉強した。だから新型コロナ対策の知識は十分にある」というものがある。これに対して反論したい。
確かに山中先生は新型コロナについて、それが発生してから懸命に勉強したかもしれない。しかし、高々数ヶ月の話だ。日本は何年何十年と懸命に感染症について研究してきた専門家をたくさん抱えている。高々数ヶ月の勉強とは、文字通り桁違いの経験を積んできた先生方である。新型コロナに限らず、感染症対策に関する知識も、経験も、その言葉の重みも桁違いである。だから、「数ヶ月勉強したから知識は十分だ」という主張は、その分野で飯を食ってきた本物の専門家に対する侮辱にも等しいのではないかと思う。本来はそういった本物の専門家をお招きしてアドバイスをいただくのが正しい筋であるはずなのだ。だが、本物の専門家は往往にしてなかなか表舞台に出てこない。メディアが学問や専門性が高い分野を扱うときは特にそうだ。専門家は忙しいのか、恥ずかしがり屋なのか、報酬が割に合わないのか、はたまたメディアがそういった専門家を知らないのか・・・
ここまで散々ノーベル賞に乗っかる諸々をディスってきたが、私は権威主義を否定しているのではない。むしろ迎合するくらいである。
最近は「誰が」主張したかよりも「何を」主張したかについて主眼が置かれる風潮がある。確かに主張の内容は重要であるし、自身の専門分野や興味のある分野については、主張が正しいかどうかを精査するのは極めて重要である。
しかし一方で、我々のような一般大衆にとっては精査は仕事ではないのだと思う。自分の知らない分野に対してその主張が正しいかどうかを判断するのは難しいし、それに誰の主張についても考えていたらいくら時間があっても足りない。さらに、自分でどれが正しいかを考えると、自分の考えのバイアスがかかる。しかもそのバイアスがド素人のバイアスなので余計にたちが悪い。だから、自分が知らない分野については「何を」主張するのか考えるのはやめて、「誰が」主張するのかを考えた方が、幾ばくか合理的であるかもしれない。
そして私が最も強調したいのが、「その権威が正しい権威なのか」を考えることである。
権威が正しいのかを考えるのは、主張の内容が正しいのかを確かめるよりも簡単だと思う。例えば、建築の専門家が建築の指示をするのは正しいが、コップ製造の指示をするのは正しくないだろう。全ての主張についてこれと同様に考えれば、自ずとどの言い分が「正しい」のかわかる。
もちろん、この方法では間違えるかもしれない。例えばニュートンは「光は粒子である」と主張した。しかし実際は「波と粒子両方の性質を併せ持つ」ことは高校物理でも学ぶ常識であるし、高校物理をとっていなくても知っている方が多いと思う。しかしそれは現代の視点から見た話であり、1600年台後半の民衆にとっては光は粒子であることは「正し」かったのである。
科学は日々進歩するものであり、現代の「正しい」が後世にわたって永遠に「正しい」というものはない。そして、その分野特有の思考を持ち合わせない素人が、どれが正しいかを判断するのは難しいものがある。ニュートンでさえ間違えたのだから、その分野の知識がなく、興味もない素人ではなおさらだ。そんな中でひとまずの妥協点を見つけるのが科学者や専門家の仕事でもある。その仕事に乗っかるのもアリだろう。
自分の興味のない分野、わからない分野については専門家の言っていることに従う。しかし、その専門家は本当に「その分野の専門家」なのか、といったことをちょっと考えてみるのも重要だと思う。
始めに自己紹介を少しだけさせて下さい。私は医学部を卒業して(そして医師免許を取って)、すぐに博士課程に進学し、現在在学中の者です。
大学のMD-Ph.Dコースに入っており、世間で言われる所の「研究医」というのを目指しています。
最近、色々と考えてしまった事があるのと、MD-Ph.Dコース(後ほど細かく書きます)について本音ベースの情報があまりweb上に見当たらないので、進路を考える高校生や医学生の参考になればと思い書かせて頂きます。
とはいえ、それ以外の方が読んでも研究医の事を知って貰うのに興味深いと思う内容もあるので、読んで頂けたら幸いです。
深夜に書いているので所々まとまっていない所もありますが、ご愛嬌でお願いします。
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1.「あれ? 入学時は基礎研究に興味ある人もう少しいなかったっけ?」〜医学部の6年間〜
医学部というのは大学というには特殊な環境(否定的な意味はない)だと思います。学年は100人程度で6年間、ほとんど同じメンバーで過ごします。
それまで神童とも呼ばれて、そして実際ある程度のインテリジェンスをもった集団ではあるので、どこの大学でも入学時は将来に夢と希望を持った人が多いでしょう。
するとやはり「将来はどんな風になりたい?」みたいな話にもなり、「外科医になってバリバリ手術しまくりたい」「家の病院を継いで地域を支えたい」「なんとなく内科とか良いかな」「コウノトリを読んで感動した!」など様々な事を言う人がいる訳です。
その中に100人中5人くらいでしょうか、「iPS細胞凄い!再生医学やりたい!」「基礎的な医学研究をしたい」などと言う変わり者が混じっています。これらの人が医学の基礎研究に興味がある人達です。
さて、夢と希望ばかり語っていても何も始まりません。医学部という所は医学を学ぶ所です。入学すると教養科目→基礎医学→臨床医学→臨床実習という順で学んでいきます。
そして5年生くらいで「将来はどんな風になりたい?」ともう一度話すと、当初基礎研究に興味があった人も「市中病院に行って多くの症例をみたい」「マイナー科の医者の生活に憧れる」等の意見に変わっている訳です。
もちろん、意見や進路を変えることは誰でも持っている権利だと思いますし、それについては何も思いません。ただ「あれ? 入学時は基礎研究に興味ある人もう少しいなかったっけ?」という感想を持つ訳です。
つまり、気づいたら基礎研究を進路として考えてたのは自分だけになっていました。
ただ、やはり医学部の生活を経験した身としてはそれも分かるなと感じてしまう訳です。
そんな事を次に書きます。
医学部はやはり忙しいです。しかし、大量の試験や実習でも効率よく通すことのできる必勝法があります。それは「人と違う事をやらない」です。
実際、僕も試験勉強に関しては他の人と同じ事をしていました。正直、それって考えるコストを全て外注できてしまうので凄い楽なんですよね。
そこで「そうか、人と違う事をやらなければ、上手く行くんだ!」という考えを持つと、まず基礎研究という進路は無いと思います。
何故かというと臨床に進んだ場合の初期研修制度、専門医制度というのが(皮肉抜きに)非常に良く設計されているからです。
言い換えると「○年の内にするべき事」がリスト化されていて、それをクリアすると有効な資格が取れるので、非常に良くシステム化されている訳です。
極め付けは臨床実習で様々な科を回ると「学生さん、何科志望?」とほぼ確実に聞かれます。
聞いている方は特に意識していないと思いますが、つまりは「この研修システムの中に入って、最終的には専門医を取って、そして臨床医として働くんでしょう?」という空気感を臨床実習で浴びる訳です。「そうか、人と違う事をやらなければ、上手く行くんだ!」という考えがあれば、その空気感に飲まれて基礎研究は選択肢として無くなります。
そこで「基礎研究に進むつもりです」というと何と言われるでしょう?
答えは「(いきなり興味がなさそうに)ふうん、変わっているね」です。
もちろん全員ではないですが、感覚的に質問してきた人でこういう対応をするのは75%という所でしょうか。
まあ、しょうがないですね。でも、この空気感というのは結構辛いです。
僕は比較的気にしない方ですが、日本人なので空気とか読んじゃいます。
補足としていうと、卒後数年の待遇は研究or臨床で全く違います。
これに関してはもはや言うのも野暮ですが、月収30万円の研修医vs学費を払う大学院生という事です。
3.「ボクと契約して研究医になってよ!」〜MD-Ph.Dコース〜
遠回りしましたが、本題です。
とにかく医学部出身の研究者が少ない!と言われているらしく、偉い人たち(http://www.chnmsj.jp/kenkyuui_jouhou_corner.html)が様々な大学でMD-Ph.Dプログラムというのを始めました。これは医学部6年間と大学院3~4年間がセットになったものと考えれば良いです。
(書くついでに調べてみたら、文部科学省の強いpushがあったみたいですねhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/10/02/1352252_3.pdf)
幸いにも僕の大学でも始まり、参加しましたが...なんとも言えません。
学校によっては飛び級を認めたりしているらしいですが、少なくとも僕の大学では「授業料相当の奨学金を支給します」みたいな感じだけであり、HPを色々みても他の大学でもそんな感じらしいです。
正直、これだけ大々的に研究医不足の危機感を煽っておいて、実際の支援内容が乏しすぎると思います。
幸い、自分はこの2点に関して個人的な事情でどうにかなりましたが、初期研修並みに上記二点が保証されるシステムとして確立しない限り、基礎研究にいく医学部出身者なんかいなくなると思います。
少し、愚痴っぽくなってしましました。しかし、現在自分の置かれている状況は総合的に見ると満足しています。
医学部を卒業してフルタイムで没頭できるようになると、研究も本格的にできます。
更に幸せな事に、良い指導者を見つける事もでき、研究者として生きて行く事を応援してくれるような環境も手に入れる事も出来ました。
もちろん条件検討に次ぐ条件検討で上手く行かなかったりもしますが、新しいデータ(もちろん裏には大量のNegative result)が出たりすると最高にワクワクしますし、それをもとにディスカッションするのは面白いです。
一度振り切れてしまえば楽しいです。なので、もし読んでいる人で研究医になりたいという人がいたら、是非そのまま突き進んで欲しいと思っています。
指導者からは研究できるポストが無限にある訳ではないし、将来も不安定だよと言われたりもしますが、それでもチャレンジする価値はあるのかなと考えています。
以上の僕の経験から研究医になりたいという高校生・医学部生にアドバイスを送るとしたら
です。
また、もしこの文章を読んでる「偉い人」がいたら
もちろん、僕も今目指している過程なので、偉そうに言える立場ではないですが、少しだけその世界に足を踏み入れている分、思った事を書かせて頂きました。
ここまで読んでいただいた奇特な方へ、ありがとうございます。
店の名は「すたっぷ」。
「いらっしゃいませ」
暖簾をくぐると、店の女将、小保方さん(52)が割烹着姿で出迎えてくれた。
「実は、私も昔は研究者だったんですよ」
「あの頃は夢がありましたね。自分の研究で世界中を幸せにするんだって」
専攻は再生医学。日本有数の研究機関で実験三昧の毎日を過ごしていた。
そんな彼女に転機が訪れたのは、30歳の頃。
学会では存在すら疑われていた「万能細胞」なるものの精製に成功したのだ。
発表と同時に話題となり、マスコミにも取り上げられたという。
遠い目をする彼女。手に持ったお燗用の三角フラスコがかすかに震える。
発表を急ぐあまり生じた論文上の些細なミス。「神業」なるが故に誰も再現できなかった実験結果。
ついには「ねつ造」と決めつけられ、彼女は研究者としての未来を失った。
「だけど、おかげで気づくことができました。名誉や地位なんかよりも大事なものがあるって」
学会から身を引いた彼女が見つけた幸せ。それは一人でも多くの人を笑顔にすること。
そう思って始めたのがこの店だという。
「私にとっては、この店も研究の成果なんですよ」
研究に未練はないのか。そう尋ねた私に小鉢を出しながら彼女は言った。
伸ばしかけた箸が止まる。そんな私をいたずらっぽい目で眺めながら、女将はお猪口代わりのビーカーにお酒を注いでくれた。
(2036年3月14日)