はてなキーワード: スコアラーとは
「女子高生スコアラー列伝」というWeb漫画がある。無断転載していいものか解らないので名前だけ伝えておく。一見登場人物の素行は面白く破天荒だが、登場人物のほとんどには実在のスコアラーが元として存在するらしく、こうしたシューティングゲームに偏執的な愛情を注ぐスコアラーさんを擬して面白おかしく描いた、絵こそ荒いが見てて楽しいよく出来た漫画である。
自分は自称シューターだった。元は格ゲーマーだったが、シューティングゲームも子供の頃やってたしちらっと店頭で見たスーパープレイから、興味があったのでやり始めたという感じだった。といっても、所謂スコアラーではなく、とにかくゲームのクリアを目指してプレイを続けるクリアラー。スコアに対しては、ああいう風にプレイできると楽しいんだろうなと思いつつ、「攻略に有利になりさえすればいい」「パターンが難しい、解らない、作れない」「BGMと進行が密着してるのに、処理落ちでズレる」と無興味のつもりだった。最近は環境の都合で2週間に1回程度しかゲーセンに行けていないが、その都合も関係ないほどにゲーセンに行きたいという気持ちが失せてきた。こと格ゲーに対しては読み合いで勝つことに限界が来ているという弱い考えが頭に出始め、シューティングゲームはそもそもやってて楽しいとさえ思えなくなってきた。学業すっぽかしてひたすらゲームをやっていた過去があるにも関わらず、自分はいつまで経っても下手である。まあ、そのすっぽかし方も一日中一つのゲームに張り付くといったものではないので、本当に上手い人からは中途半端に思われるかもしれないが。
最近、『斑鳩』というゲームをやった。2万円以上するゲーム機本体ごと購入してプレイを始めた。自分にとってはそれほどに惚れ込んでいたはずのゲームだった。このゲームはやろうと思えばとことん安全にも進めるゲームだが、やはり楽しむにはルールとパターンに添って得点稼ぎにこだわる必要がある。最初こそ楽しめていたものの、一般的に広まっている(自分が影響を受けた)プレイ動画のパターンはあまりに難しすぎるため、一部を端折って妥協をしていくが、ステージが進みパターンが複雑化していくにつれ、その妥協パターンでも凡ミスを起こしリセットというルーチンワークを繰り返す自分がみじめになっていく。開き直って、簡単なモードで残機は最大、稼ぎもしないという遊び方をすると全く面白くなく、さらにみじめになる。不安を抱えながらプレイするのが楽しくなく、続かなくなってくる。本当に好きなのはこのゲームなんだとさえ思って夢見たはずのゲームが、自分にとってそれほどのものではないという、理想と現実の差を感じ、同時に、スコアを稼ぐこと=ゲームを真剣に楽しむことの難しさを意識するようになった。
先に書いた「女子高生スコアラー列伝」で間接的に、blogなどで直接的に、ゲームの上級プレイヤーの背景を追っていくうちに、上手い人と自分の間にどのような差があるのか、大体結論は出た。腕前の問題もあるが、何より自分は上手い人に比べてゲームが好きではないのだ。確かに好きなはずだけど、それは大したことなかった。実際に足を突っ込んでみると、立てるぐらい浅い沼を、見た目から深い、底なしじゃないかと自分でも思い込んでいただけ。だからこそ、深いやりこみが時間をかけていてもできないし、スキルもついていかないんだと思う。スポーツ選手がおそらくそうであるように、上手い人達はゲームが本当に楽しいから続けており、それが腕前そのものやスコアに現れる。同じゲームを楽しむ者として彼らは圧倒的に上手であることに異論は無い。それとは対称的に幼少時からゲームが感覚的に好きだったはずの自分がゲームを真剣に愛していないことにギャップがあり、価値観の否定を繰り返し、思い悩んでは憂鬱になり、自然とゲームから足が遠のくようになった。
「好き」ならば上手くなれるといった単純な問題ではないことはわかっている。国数理英社五科目が全て好きな人などそうそういないし、器用な人は何をやっても器用にこなすとのことだし、ゲームが上手い人はキチガイの域に達してるって話はよく聞く。その上で、「好き」「楽しい」という感覚が、生まれた頃から今現在まで麻痺を続けている結果が、今の自分が無能を成している原因の一つなのだろうか。人間じゃないと評されるべきのは彼らじゃなくて自分なのかも・・・ゲームのみでなく、広範に興味と技能を持つ彼らを見て、好きではないとあらゆるものを忌避してきた自分の狭さと浅さに、戦慄する。
この文章は鬱病真っ只中で社会からドロップアウト済みで明日を不安に思いながら暮らす身分がひどく不安定な心境で書いたもので、単にゲームが上手い人たちに対して、ろくに「努力」もしてないヘタレゲーマーが、妬み僻みで愚痴ったものにしかなってない気もする。夢を追って挫折した人達は、このような憂鬱を抱えながら今を生きてるのだろうか。これも一つの人間の生き方として多数派である「挫折」の過程の一つだろうか。
極まったプレイヤーは、ゲームによっては稼働初日の初プレイでクリアしたりします。
・敵の攻撃が来ない安置探し
・無駄な動きをなくし、安全に攻撃を避ける
・敵が攻撃してくる前に出現地点の前に陣取って撃破
もちろん避け方、敵の出現地点はすべて暗記します。
上記で構築したパターンに、
・自機の攻撃の中で、最もスコアの高い攻撃方法を使う
・敵は全て撃破する
・アイテムもすべて取る
(他にも、ゲームによって稼ぐ方法は様々です)
全ステージのすべての敵やボスに対して、最もスコアを稼ぐ方法を考えます。
もちろん、どんなにうまいプレイヤーでも、理論値通りにスコアを出すことは困難です。
滅多に成功しない稼ぎポイントなどは、妥協することも必要です。
危険な要素は増え、より精密で大胆な操作が要求されます。
あとはひたすらやり込むだけです。
Wi-Fiランキングがある事を今日知った。試しにこの二日間のデータで挑んでみた所、11/9??11/15日の統計の合計歩数ランキングが25683歩で現在230位。最高歩数ランキングが13710歩で570位。所詮デスクワークの実力なんてこんなもんですよ。理系顔真っ赤にして憤怒しそう。
下がどれくらい居るのかさっぱりわからんから、自分の記録がわかりにくいのはちょっとなあ。下の人は下の人で、「14370位です」とか言われても上が5位までしか見えないからなあ。
でもこの「歩く」という人類の共通の事象の中で、スコアラーを除けば「ちょっとした努力をするとランキングでかなりの増幅を見込める」っていうランキング形式は純粋に良いと思った。順位に対して「これやばいんじゃ?」と危機感を感じたら、翌日から階段を使ったりちょっとした仕事の休憩中に歩いたりとかすると、それだけで一気に順位が上がって、更に翌日はもうちょっと頑張ってみようか、と良いスパイラルになっていく気がする。普段歩かない人とかは特に。
目標歩数をデフォルトの3000歩にして余裕で達成している人は、自分が平日((休日は余り参考にならない))どれくらい歩いているかを一週間良く見てみた方が良い。その平均より1000歩多く設定してみると、「今日はもう少し歩いておくか」と言う気分になって、しかもランキングも上がって頑張ったら頑張っただけ「実績」になる。他の人と競いたいと思う程意欲的じゃない人だって、自分と向き合って何かを成した結果がランキングに反映されているのは結構嬉しいもの。
因みにWiiFitを持っている家庭なら、目標歩数に届かなかった時の調整に踏み台リズムがまじでオススメ。もう私はWiiFit自体はソフトを入れず、簡易アプリで体重を量る以外は起動していない。だけど踏み台リズムだけっぽい事だけはWiiボードを使って自分で勝手にリズム取ってやってる。例えば、360のゲームをしてる時はWiiを起動させず、「ながら踏み台」もどきをボード使ってやり続けてる。これWiiFitに一切記録残らない訳だし意味がないようだけど、このボードを見ただけで「運動しなきゃな」って動機付けになるのが良い。しかも今は生活リズムDSがその記録を取ってくれるのは助かる。