2009-05-07

スコアラー自分の埋め難い差

女子高生スコアラー列伝」というWeb漫画がある。無断転載していいものか解らないので名前だけ伝えておく。一見登場人物の素行は面白く破天荒だが、登場人物のほとんどには実在のスコアラーが元として存在するらしく、こうしたシューティングゲームに偏執的な愛情を注ぐスコアラーさんを擬して面白おかしく描いた、絵こそ荒いが見てて楽しいよく出来た漫画である。

自分は自称シューターだった。元は格ゲーマーだったが、シューティングゲーム子供の頃やってたしちらっと店頭で見たスーパープレイから、興味があったのでやり始めたという感じだった。といっても、所謂スコアラーではなく、とにかくゲームクリアを目指してプレイを続けるクリアラースコアに対しては、ああいう風にプレイできると楽しいんだろうなと思いつつ、「攻略に有利になりさえすればいい」「パターンが難しい、解らない、作れない」「BGMと進行が密着してるのに、処理落ちでズレる」と無興味のつもりだった。最近環境の都合で2週間に1回程度しかゲーセンに行けていないが、その都合も関係ないほどにゲーセンに行きたいという気持ちが失せてきた。こと格ゲーに対しては読み合いで勝つことに限界が来ているという弱い考えが頭に出始め、シューティングゲームはそもそもやってて楽しいとさえ思えなくなってきた。学業すっぽかしてひたすらゲームをやっていた過去があるにも関わらず、自分はいつまで経っても下手である。まあ、そのすっぽかし方も一日中一つのゲームに張り付くといったものではないので、本当に上手い人からは中途半端に思われるかもしれないが。

最近、『斑鳩』というゲームをやった。2万円以上するゲーム機本体ごと購入してプレイを始めた。自分にとってはそれほどに惚れ込んでいたはずのゲームだった。このゲームはやろうと思えばとことん安全にも進めるゲームだが、やはり楽しむにはルールパターンに添って得点稼ぎにこだわる必要がある。最初こそ楽しめていたものの、一般的に広まっている(自分が影響を受けた)プレイ動画パターンはあまりに難しすぎるため、一部を端折って妥協をしていくが、ステージが進みパターンが複雑化していくにつれ、その妥協パターンでも凡ミスを起こしリセットというルーチンワークを繰り返す自分がみじめになっていく。開き直って、簡単なモードで残機は最大、稼ぎもしないという遊び方をすると全く面白くなく、さらにみじめになる。不安を抱えながらプレイするのが楽しくなく、続かなくなってくる。本当に好きなのはこのゲームなんだとさえ思って夢見たはずのゲームが、自分にとってそれほどのものではないという、理想現実の差を感じ、同時に、スコアを稼ぐこと=ゲーム真剣に楽しむことの難しさを意識するようになった。

先に書いた「女子高生スコアラー列伝」で間接的に、blogなどで直接的に、ゲームの上級プレイヤーの背景を追っていくうちに、上手い人と自分の間にどのような差があるのか、大体結論は出た。腕前の問題もあるが、何より自分は上手い人に比べてゲームが好きではないのだ。確かに好きなはずだけど、それは大したことなかった。実際に足を突っ込んでみると、立てるぐらい浅い沼を、見た目から深い、底なしじゃないかと自分でも思い込んでいただけ。だからこそ、深いやりこみ時間をかけていてもできないし、スキルもついていかないんだと思う。スポーツ選手がおそらくそうであるように、上手い人達ゲームが本当に楽しいから続けており、それが腕前そのものやスコアに現れる。同じゲームを楽しむ者として彼らは圧倒的に上手であることに異論は無い。それとは対称的に幼少時からゲーム感覚的に好きだったはずの自分ゲーム真剣に愛していないことにギャップがあり、価値観の否定を繰り返し、思い悩んでは憂鬱になり、自然ゲームから足が遠のくようになった。

「好き」ならば上手くなれるといった単純な問題ではないことはわかっている。国数理英社五科目が全て好きな人などそうそういないし、器用な人は何をやっても器用にこなすとのことだし、ゲームが上手い人はキチガイの域に達してるって話はよく聞く。その上で、「好き」「楽しい」という感覚が、生まれた頃から今現在まで麻痺を続けている結果が、今の自分が無能を成している原因の一つなのだろうか。人間じゃないと評されるべきのは彼らじゃなくて自分なのかも・・・ゲームのみでなく、広範に興味と技能を持つ彼らを見て、好きではないとあらゆるものを忌避してきた自分の狭さと浅さに、戦慄する。

この文章は鬱病真っ只中で社会からドロップアウト済みで明日を不安に思いながら暮らす身分がひどく不安定な心境で書いたもので、単にゲームが上手い人たちに対して、ろくに「努力」もしてないヘタレゲーマーが、妬み僻みで愚痴ったものにしかなってない気もする。夢を追って挫折した人達は、このような憂鬱を抱えながら今を生きてるのだろうか。これも一つの人間生き方として多数派である「挫折」の過程の一つだろうか。

  • >この文章は鬱病真っ只中で社会からドロップアウト済みで明日を不安に思いながら暮らす身分がひどく不安定な心境で書いたもの コレを最初の一行に持って来い。結論が遅いわ。

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