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2012-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20120203224503

元増田にとっての「幸せ」って、相対的なものしかないのか?

それってただの優越感じゃないのか?

元記事の、(世の中には~な人もいるのに)を(もし自分が~だったら、もし~がなかった・いなかったらと思うと)に置き換えてみ。

子供の頃、朝ご飯心配をする必要がなかった、

それは家にお母さんが居て、お母さんが料理を作ってくれる人だったからだ、

食べ物に困らなかったのは、お父さんが家計を支えてくれていたからだ、

スーパーで簡単に食べ物を得られたからだ、

スーパーで簡単に食べ物を得られたのは、...(ry

気が滅入っていた時に嫌な事を忘れられたのは、彼女がいつも通りの明るさで接してくれたからだ、彼女がいつも明るいのは彼女の親御さんや友達の影響だ、

勝手で打たれ弱い自分を許せたのは、あの時彼女がキレて、そして許してくれたからだ、

等々、実在する不幸な人との比較なしに、自分境遇幸せに思えるはず。

「世の中には~な人もいるのに自分は(貴方は)...」って言い方がよくされるのは、自分より辛そうな状況の人を見た時に、世の中ではそんなことも起こりうるのかと、自分現在境遇を再確認する人が多いからだと思いたい。

そこには差別意識はない。ただ未知の事例に驚いて、自分の生における奇跡を感じているだけだ。

不幸か幸福かなんてのは、主観しかない。

自分価値観では辛いことが、ある人の価値観では幸せだったりする。

アイドルに恋い焦がれてヲタ芸に走った結果童貞のまま死んでいった男とか、

ホストに金をつぎ込んだ結果借金地獄に陥った女が、必ずしも「不幸」とは言えない。

貧困やら格差幸せを生んでいるように見えるのは、

個人の嫉妬やら高慢やら下らない執念やら疑心暗鬼やら言葉の綾が絡み合って増幅したせい。

やれあいつよりはマシだ、

やれ俺こそ至上・異論は認めないだ、

やれどーせ私はデブスで低学歴ですよーだ、

やれあの方は私を見下してこんなこと言ってるんですよ!だ、、、

貧困格差も原因を突き詰めていくと、土壌や遺伝子情報量の違いで、各人の罪ではないんじゃないかと思う。

本当は各人の違いを尊重して単純に助け助けられしながらわいわいできたらいいのに。

2012-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20120118174747

自分以外の他者全般の幸せを願うのはおかしいことではないが

あなたは明らかに犠牲になるべき他者の存在を欲している。

自覚があろうとなかろうとそれは差別主義。

どんなに小ざかしい異論を挟んだところでそれは絶対変わらない。

2012-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20120108104601

 ビジネスならそれが正しいと思うんだが、クールジャパンビジネスとしても文化輸出としてもずれてる感じがする。なんでだろ

よその国じゃあ、誰かにほめられようがほめられまいが関係なく「うちのは超クールだぜ!お前らもありがたく観ろ!聴け!金払え!認めないやつは糞!異論は認めない!」ってスタンスから

文化輸出ってのは、裏を返せば輸入先の文化破壊からな。向こうの既存文化を根絶やしにする勢いでやるのが常道。

その代わり受け入れられなかった時の切捨てっぷりもすさまじいけどな。

2011-12-31

震災現場で頑張っている総務官僚をおとしめる記事 誰得

小松 秀樹氏の現場を知らないひどい記事を読んだ

南相馬市放射能検査をやめさせた総務省

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34121

この記事を書いた小松氏は、総務省(旧自治省から南相馬市に出向している官僚が知り合いの医学生に宛てた記事を丸裸。

これじゃ、総務官僚はもう気軽にメールなんかできないね

しかも、今は南相馬市副市長という立場であって、総務省うんぬんではない。

内容は、医学生給食ミキサーにかけてホールボディカウンターで計測したら?という提案を南相馬市に出したことが発端。

きちんと手順を踏まえて提案するならまだしも、思いつきで出した内容に対して、総務官僚は、筋を通して話をしてくれっと言っただけ。

それを、この小松は、「総務省がやめさせた」となった。

もうね、ひどすぎる。本当にひどい。

やさしく解釈すれば、一方的な現場を知らない論調による見解の相違。

現場で長期に踏みとどまって本気で考えている立場と一時的な思いつきで考える立場の違い。

給食ミキサーにかけてホールボディカウンターで計測する」

実施することはいいことだと誰もが思う。誰も異論はない。

しかし、この検査をいつまで誰が実施し、そのデータをどのように公表し、その結果を踏まえてどのように対処するか、ヒト、モノ、カネ、情報の流れが明確ではないのが問題。

しっかりと最後までのフローを明確にしなければ、単に不安を煽るだけで、提案した側の自己満足しかならない。

から、総務官僚は、きちんと筋を通して提案してくれっと回答しただけ。

 

計測すれば、たしかベクレルとして表示される。

毎日計測した結果をどこに出すのかわからないけれど、子供たちに放送するのかい

今日は、何ベクレルです。

今日は、何ベクレルです。

子供メンタルケアは誰がするの?

 

それに、こうした情報を親は「本当に」知りたいのだろうか。

知りたい親もいる。しかし、知りたくない親もいることも事実

きちんとニーズ調査をしたのだろうか。

押しつけの提案ではないのか。

知りたくない親に対して、バカだとかアホだとか言う人もいるかもしれない。

しかし、実際、この地域に残って住んでいる人は、低線量の被爆覚悟している人たち。

実際、不安な人は、市外へ、県外へ自主避難している。

今、残っている人(踏みとどまっている人)は、もう被爆については、耳を閉ざしている人たちなんだよ。

この医学生の提案は低線量の被爆覚悟して現場に踏みとどまっている人たちに対して、不安をあおるだけではないのか。

 

現場に踏みとどまらず、離れたところから勝手な思い込みと押しつけによる支援ほど、迷惑ものはない。

それが、この小松医師医学生にはわからない。

総務官僚 村田副市長の奮闘を願う。

南相馬市民より

2011-12-29

http://anond.hatelabo.jp/20111229215919

俺もストーリーこそが魅力だと思っていたよ。

ただ、最近ちょっと違うかもしれないと思ってる。

歩いて一周出来るような地球と、主人公パーティのほか全てのNPCを含めても現実世界の小さな村くらいの人間しかいない世界人口

当時の最先端技術で作れた世界が、あの程度だったことは逆に幸運だった。

かつて暴走族の抗争漫画が一世を風靡したのと根っこは似てるのかもと思うんだ。

政治戦争も愛も友情も、全てが自分の近くで完結するあの感覚

イッツ・ア・スモールワールド

もしも世界100人の村であったら。

そういう感じ。

あの小さな世界からこそ、たかだか20~30時間プレイ時間に、世のあらゆるテーマを詰め込むことが出来た。

からRPGの衰退は当然と言うか、あのRPGが全盛期は奇跡だったんだ。

と、思う。

異論は認める。

2011-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20111215193419

恐ろしい職場もあったもんでさ。マジでパソコン大先生」とか揶揄られるのに毛が生えたレベル技術しかないんだけど、それが評価されて採ってもらったんだよ。

でしょう?

パソコン大先生上等だ、そんな卑下することない。

パソコン大先生であることを精一杯アピールして、運よく色々なことが噛み合ったから入れてもらえた。

もしパソコン大先生であることをちゃんと説明しなかったら今のとこに入れなかったよ。

すごく大事だったわけだ、それが。

しかし障害はそれとは違うんだよ。嘘や誇張で誰も得しない。つうか本当は健常者でも嘘と誇張じゃ得しないんだけど。

元増田は障害の大枠についてはきちんと伝えたんでしょ。

で、具体的な話をされたと。

君のパソコン大先生に対してだって、答えにくい個別具体例の質問とかはありうるよな。

それに対して悩んで詰まっててもしょうがない、「出来ますよ!(…たぶん)」とか答えるよな。

で、現場に入ったら想像と違って出来ませんでした。

「すいません、面接とき想像したのと違いますねえ」

これで済む話だ。

そんなもんは嘘と断定するのすら難しい。




パソコン大先生にせよ、障害者採用にせよ、

「その人が期待と違ったら業務が止まっちゃう!」なんてとこに配属はされないよ。

もしそんな配属をする経営者がいたら経営者が悪いんだから気にしなくていい。

障害者パソコン大先生より更にそのへんの融通の用意はある。

生え抜きプロパー幹部候補生採ってんじゃないんだ。

しいて言えば嘘・誇張オーケー派のお前の認識からかな。

しいて言わないと根拠がない話なら言わなくていいよ。

元増田でも立ち会いがあったらしいすねwそれはこっちの認識がアレだったな。

別に芝とか付けて誤魔化さなくてもいい。

そして「でも親でも医者でもねーじゃん」というのがそっちのポカだ。

なんか自分の間違いや知識不足を「アレ」だとか、

その失地を取り戻すべく相手にも「ポカ」を作り出そうとするだとか、

そういう不毛なことはやめようよ。戦ってんじゃないんだから

親はまずないでしょ。だって専門家でもないし、「割といけます」とか言ったって身内の欲目と思われかねない。

別に立ち会ってくれる人は「フェア」である必要はないんだよ。

元増田面接には職安障害者担当の人が立ち会ってくれたそうだけど

この人は元増田サポートするために来てるんだ。中立の必要はないし中立じゃない。

採用担当だってそれはわかってる。

何度も言うけど別に元増田採用担当は、戦ってんじゃないからね。

健常者だって面接で泣くやつはいるよ。理解の齟齬で。でも誰も代弁しない。障害とか関係なく、代弁できるわけがねえ。

泣いてる本人にも答えが無いと思うようなこと、誰にも代弁なんか頼めやしない。

そう。

からある意味障害者は有利でもあるんだよ。

採用担当も酌量の用意を持って聞いてくれるし、立ち会ってサポートしてもらえる場合もある。

お前面接官側に立つつもりのくせに

その「面接官側に立つつもり」っていうのはどこから出てきたの?

このあたりは流さず具体的に書いて欲しい。

(書けないことに気付いたら自分の思考パターンを少し疑って欲しい。)




そしてもっと大事なことだが、

そもそも「面接官側」というのはいかなる立場なんだ?

面接官側」はいかなる目的インセンティブを持ってるんだ?

この話に「元増田側」「面接官側」なんていう対立する利害とかがあるのかな?

病名からググるくらいのつもりもなかったのかよ…。

情弱乙としか

医者でもない人間が病名でググっただけの知識で

かい病態について突っ込んだコメントするなんて、馬鹿げてると思うよ。

なんでそんなことをしたいのかさっぱりわからない。

ちゃんと聞いてみた。やっぱ説明してるんだよ面接では。

そして、「もっと細かく」と言われて詰まった、と。

そら詰まるよそんなもん。健常者でも詰まるかもよ。

健常者だって詰まる質問ぐらいされるよ。

相手に圧迫の意思があるとき別にそんなんじゃない時も。

それで泣き出して面接を頓挫させて、

帰ってきてからも対策も立てずに「orz」なんて自分を哀れむ作文してても

ネガティブになるだけだったり、採用担当を敵と勘違いする馬鹿げた思考に嵌ったり、

いいことは何にもないから、

たとえば「適当に言っとけ」という現実的なアドバイスをしてるの。

福祉は余剰の産物ってことですか。まあ否定はしない。歴史的に、マクロ的に。

ただし不貞腐れてんのはどっちかというとお前だというのは取り違えないでほしいなw

元増田にできれば就職成功して欲しいと思ってるのが俺で、

ただ企業採用担当を憎んだり見下したりするような思考ばかりヒートさせてるのが君だよ。

君に異論を述べる人間まで「採用担当だな!?」とか言い出したり、シンプルで破滅的で人を憎む方向ばかりだ。

配慮とか温情とかって、「これ以上健常者の我々に何を負担させたいの?」的うんざり感が透けててアレだ。

これもそうなんだけど、

「配慮」「温情」という言葉にそんな強烈にネガティブイメージが湧くのは

君の思考にそういうパターンが出来上がってるだけで、

君以外の誰かや世間は君を助けられない。

負担自体は最悪もういいから、具体的に最初から何が要るのか要求してほしんだけど」みたいな。

「それが一発でできたら話は早いんだよボケ」という部分を「一発でできるはずだ」で譲らない傲慢さが。

君は何か今の生活や過去に嫌なことがあるのかもしれないけど

それと無関係な相手に恨みやストレスをぶつけようとする行動パターンは上手くいかないと学ぶべきだ。

いつも、怒りが返ってくるか相手にされないかどっちかだったろう。優しくしてはもらえないはずだ。

これが戦いだったとしたら、お前という糞無知想像力の枯れ果てたアホと、俺という糞無知想像力の枯れ果てたアホの戦いでしかない。

から、戦いじゃないよね。

最初君は障害についてそれなりに詳しいから話に入ったのかと思っていたけど

俺より知識がないようだし、君も今それを認めてる感じだ。

ただそのかわりに「自分には想像力があるんだ」「身につまされたんだ」と豪語する。

そして俺と違い、元増田に対して何かアドバイスしようとしてるわけでもない。

じゃあ何をしたくて入ってきたのか?




君は、

元増田の辛い体験の文章を触媒にして

自分記憶や日ごろのフラストレーション共鳴させてしまってるだけじゃないのか。

カケラも書かれていないことについて「お前はああ言ったこう言った」みたいに言い出すのも

おそらく君の脳に蓄積された辛い体験や恨みが吹き出ている。



身につまされた俺

他人の事情が「身につまされる」のは美点になりうるけども

君はそこから人を明るい方向に引っ張り上げて元気付けるようなエネルギーを持ってない。

発想のパターンが拗ねる方向・不貞腐れる方向ばかりに行ってる。

たとえば元増田にとって、君の思考パターン同調するのは甘美で有毒な麻薬になる。

君は身につまされた相手と、せいぜい一緒に哀れみあって同調心中しちゃうようなタイプだ。




すべては君が君自身に起こった問題をまだ全然乗り越えてないせいだと思う。

それが何かは聞かないし勘繰らないけど。

2011-12-12

[]飲みニケーションは「コミュニケーション成立比率」を測る指標

ちきりんさんの本「ゆるく考えよう」に「コミュニケーション成立比率」というものがあります


100%

A氏はB氏の発言を常に正しく理解し、一切誤解しない。逆もまた同じ(理解するとは「同意」の意味ではなく「わかる」の意味


90%以上

日常会話、業務上の会話に加え、感情感覚の説明も、ほぼストレスフリーで理解し合える。

感情擬態語についての捉え方も受信者の理解は発信者意図と極めて近い。前提を省略しての会話も問題なく成り立つ。


70%以上

日常会話の他、業務を共にする上でも一切ストレスを感じない。ただし、感情感覚の説明、擬態語擬声語を用いだコミュニケーション、前提を省略した会話については時に誤解が生じる。


50%以上

日常会話に問題はないが、ともに仕事をするにはお互いに注意深いコミュニケーションが必要。業務の場合は、おたがい話すだけでなく文章化や図解による確認があれば安心できる。

30%以上

日常会話は成り立つが、仕事や議論では、相手の言っていることを理解するのに時間と手間がかかり、お互いに手間がかかり、フラストレーションを感じる。誤解や軋轢が頻繁に生じる



20%以上

日常会話においても、様々な誤解が頻繁に生じる



20%未満

相手の言っていることが理解出来ない場合が多い。自分の言いたいことも伝わっていないと感じる。思考構造が違う。





ここから先は私の個人的な考えで、異論反論大いに歓迎です。




飲みニケーションが有効に機能するコミュニケーション比率はどのあたりか?

おそらく、飲みニケーションが最も有効に機能するのは50%以上から70%前後であると思われます

年寄りの、特に役職持ちあたりが一番飲みニケーションを楽しんでいることからも明らかでしょう。

価値観感覚は共有しており、情報や前提といった部分にお互い共有が足りない所がある場合、飲みながらのコミュニケーションというのは楽しく、かつ有用ものになります



70%を超えだすと、酒の力を借りずとも、コミュニケーションそのもの有用になるでしょう。

もちろん酒があっても楽しいしょうが、こういう人達ランチタイムでも十分活用できるはずです。



30%~50%ゾーンの人も、何も考えずに「飲みニケーションをやればうまくいく」などと甘い考えでなければやり用はあるでしょう。お互いに相手との違いや問題意識をしっかり持った上で酒の力を借りればうまくいくこともないとは言えない・・・ような。




飲みニケーションが上手くいかないどころか逆効果になるコミュニケーション成立比率もある

言うまでもなく、30%以下の関係ですね。

これは飲みにケーションで何とかしようとしないほうが良いと思います


まず最低限会話に必要な知識や、仕事の進め方についての共通認識がありません。

このあたりは、教科書的に教えて共有すべき、あるいは仕事場で先輩を観察しながら学習していくべき内容で、

酒の席で教えるものでもないでしょう。

むしろ「うまく振舞おうと思ってもできない」状態で、無理に適応するよう進めると、反発につながると思います



飲みニケーションで何とかする」でなくて「飲みニケーションが楽しめる」ような関係を目指したい

私自身は、どうしても自分職場では20%とか30%の関係でいたいんだ、という人はもうしょうがないと思う。

それでも、最初はこちらから20%から50%くらいになるまで、職場コミュニケーションをとっていき、

見込みがありそうだったら、飲みニケーションに積極的に招待する、というやり方でいきたいと思ってます


今の「飲みニケーション」の運営は、ふるい落とし方式のようになっていると思います

努力して50%ラインまで登って来られる奴は可愛がってやる、そうじゃない奴は知らん、というやり方。

就職活動で篩いにかけられて、職場でもまたふるいにかけられる。それに頑張ってしがみついても、ふるいが常に意識に張り付いて、仕事コミュニケーションも楽しく感じられない、というのはもったいないですね。

出世を目指すような人間は、当然これに耐えるべきだと思いますが、普通の人はもうちょっと自然仕事できるようにしたいですね。






おまけ  twitter若者間でのコミュニケーション成立比率

これは更に私の勝手な考えなんですが、

最近大学生は、友達間でもコミュニケーション成立比率が低いような気がします。

から見るとすれ違いまくっているのに、なんとなく成立しているような振りをしている、というか。

とりあえず会話の投げ合いがあればそれで満足というか。キャッチボールになってんのかいな、と。

この「低いレベルでのコミュニケーション」に慣れているというか、満足してしまうと、

仕事で求められるレベルコミュニケーションがしんどく感じられるのかもしれません。



友達といっても、一緒に同じ目標に向かって取り組んだり、というのをやっていなければ

50%以上の成立比率を要求されるようなことは殆ど無いでしょう。

大学時代はそれでも困ることはあまりない人もいるかも知れませんが、

仕事では最低でも50%以上のコミュニケーションを知っていることは必要です。

このレベルまで相手との関係を深めるということに嫌悪感を感じているように見える若い人を見かけると、

もったいないなーと思ったりもします。

必要だから、というだけでなく、最初は戸惑ったり窮屈に感じるかもしれないけれど、

「内側」の感覚というか、周囲と強い結び付きをを味わいながら仕事できるようになると、

楽しいと思えるようになると信じているのですが、こういうのはもう古いのでしょうか?

2011-11-24

宇野常寛連合赤軍っぽい?

http://togetter.com/li/218491

なんかまたいつものように、宇野常寛東浩紀がかけあい漫才やってるみたいだけど、この議論って連合赤軍の人たちやラジカルフミニズムの人たちが、さんざん昔にやってきた話を、繰り返しているように見えて、だから僕は東浩紀の言う「宇野常寛は古風で倫理的」ってのはまさにそのとおりだなあ、って思った。

 

例えば連合赤軍の議論に変換するなら、「父」を「プチブル」とか「帝国主義者」とかに言い換えてみればいい。

私たちは誰もが(男性であっても女性であっても)誤った、矮小帝国主義者である。「帝国主義者」になることは達成ではない。(続く) 私たちは否応なく「帝国主義者」にされてしまうのであり、あとはこの不可避の条件にいか対応するか、という問題だけが残されている。帝国主義の回復は、既に自動的に達成されたものであり、それはもはや想像力の仕事ではない

というわけだ。宇野常寛文脈では、「父」ってのはフェミニズムにおいて批判的に語られる「近代的な傷つける主体としての権力者」っていう意味隠喩を受けてるから、この(「父」⇒「帝国主義者」の)言い換えはそれほど的を外したものではないだろう。帝国主義者に(あるいはプチブル)になる/ならないの二項対立は無効であり、もはや現代においては全ての人間がプチ権力者でありプチ「傷つける主体」なのだ、だから誰もが否応なく帝国主義者になってしまうのだ!! という議論は、はっきり言うが全く新しいものではない。倫理的煮詰まっちゃった昔の活動家人達の多くがたどった道だと思う。連合赤軍にしろ、東アジア反日武装戦線にしろ、ラディカル・フェミニズムにしろそうだ。

 

さらに言えば、彼らの多くが「ナルシシズムの徹底的排除」を掲げていたのも、宇野常寛と二重写しになる。東浩紀が言っている

「だれもが父である」ということと、「父になってしまう」ということは違うんだよ。宇野君が主張したのは前者。それは父になる/ならないの二項対立を回避するためのアクロバティックな論理。でも「だれもが父である」んじゃ、もう「父」の意味がないじゃん。ぼくの言っているのはそれとは違うの。

というのは言ってみれば典型的プチブルの思想だ(東浩紀プチブル権化であることには皆異論はないだろう)。「全ての人間帝国主義者だってあんたらは言うけど、でも突然、個別具体的な権力とか責任とかを負わされちゃうことだってあるよね」って連合赤軍に向かって言っているようなものだ。そのような個別具体的な(たとえば出来ちゃった結婚通俗的な意味で「父になってしまう」ような)例を挙げるのは、社会根本矛盾から目を反らすためのナルシシズムであると、連合赤軍ならそう言ったに違いない。個別具体的な実例において「父になってしま」い、そのことについて個別具体的な議論をするようなナルシシストは、「総括」するのが彼ら/彼女らのルールだったのだから

 

これはちょっと極端過ぎるたとえかもしれないけど、宇野VS東って赤軍派VSプチブルって捉えると、自分としてはすごく分かりやすいんだよね。

2011-11-20

社畜になって学んだ20のこと

学んだというか、社畜生活を通して思ったことですが。

サラリーマンって書くと文字数が多いので社畜と書きました。

なので、社畜サラリーマンと読み替えてください。


基本的に思い込みです



1)2年間働けば何かしら身に付く

僕は社畜生活が2年間だった。

時間に換算すると、8時間×365日×2年で5840時間になる。

5000時間集中して取り組めば何かのエキスパートになれる説があり、

僕も、自分の体験上、この説を支持している。



2)残業するのは効率が悪い証拠

3)ただし効率が良くても残業することになる

基本的に、社畜残業するのは効率が悪い証拠だと考えている。

残業お金目当ての意図的なものであることもあるし、

本人のスキルが足りてないからかもしれないし、原因はいろいろ。

もちろん情状酌量の余地はあるものの、残業は悪だ。


ただ、効率が良いからといって、残業せずに済むほど社会は甘くない。

効率が良くても誰かに足を引っ張られて、残業することも多々ある。

僕も、50代のおっさんが頻繁にタバコ吸ってるせいで残業したことがある。

「いい加減にせい、お前は」とキレそうになった。



4)お金時間は両立しない

お金があったら、時間がない。

時間があったら、お金がない。

それだけ、はい



5)社畜になることは楽をすること

社畜になるというのは楽なことだと思う。

線路の上を走っている限り、何も考える必要がない。

意思を捨てれば良い。それだけで楽な人生が待ってる。



6)学生とは比較にならないほどの責任感が身に付く

社畜は、お金をもらって何かをしている以上、責任感が違う。

ある日職場放棄することなどしてはいけない。建前上は。

仕事責任もって完遂することで次の仕事が手に入る。

途中で投げ出したり、適当にやったりする奴に仕事はない。


ただし、責任感が身に付いたと思ったら、

残念ながら、それはあなた社畜になった証である



7)飲み会楽しいものとは限らない

忘年会送別会幹事だといろいろ気を使うのである

めんどくさいルールはあるし、話の合わない人とも話さなきゃいけない。

ただ、うちの会社は、上司が払ってくれるのでタダ飯は食えた。

それを差し引いても、決してすべての飲み会楽しいわけではない。



8)金曜日希望に満ちている

土日という社畜にとって至福の時間を前にした金曜日

頭の中は、業後のことでいっぱいである。

ただし、社畜には休日出勤というオプションがあるのでこの限りではない。



9)歯向かう相手は慎重に選ぶ

干されます。気をつけましょう。



10会社に使われるのではなく、会社を使う

僕が前職で一番尊敬していた人の言葉

自分はどうなれるのか。その過程会社をどう使えるのか。

それを考えて、会社を利用することが、社畜にできる数少ない抵抗。

逆に、これを考えないと、本当の意味での社畜に成り下がる。



11)デキる人ほど辞めていく

12)ただし辞めた人がデキるとは限らない

経験則的に、これは正しい。

今の時代、デキる人なら転職しやすいから、

より条件の良いところを見つけて移る。

しょうもないのばかりが残るので、中途採用を行う。

ちなみに、前述の尊敬する人も、僕の入社後数ヶ月で辞めた。


一方、僕のように、デキないのに自分能力を過信して辞める人間もいる。

しかし、これは、あながち間違った選択ではない、たぶん。

デキないのにデキないことを自覚せずに残るよりはマシだと信じてる。

どんなダメ人間でも、外に出ることで、自分ダメさ加減を認識できる。



13)資格なんて役に立たない

~検定1級持ってます

で?

TOEIC~点です

で?

ごく一部の難関資格でない限り、持ってるだけじゃ役に立たない。

資格セルフブランドするためのツール。ツールは使えてなんぼ。



14)社畜には仕事を選ぶ権利がない

15)ランチ自分の想いを伝えるチャンス

社畜特に若年層の社畜仕事を選ぶ権利はない。

試しに「その仕事はちょっと…」と言ってみると良い。

その仕事をやってくれる中国人インド人は世の中に五万といる。

仕事ベースは信用。嫌な仕事でもやらないと信用は得られない。

逆に、信用を得られれば仕事をある程度選択できるようになる。


とは言え、自分のやりたいことがあるのが普通社畜である

その想いは、ランチ時間に伝えるのが正解だと思う。

業務時間中に言ってもスルーされるし、

飲み会中に言っても忘れられることが大半。

酔ってないけど砕けて話せるのが、ランチなのである



16)自分だけ特別扱いされることはない

これは、自分退職する時に陥りそうになった罠。

僕がFPとして働きたいと役員のおっさんに言ったら、

好きな部署やプロジェクトに移してやると言われた。

退職するって言って好きに異動できるなら、皆やってるわい。

よほどのことでない限り、自分けが特別扱いされることはない。



17)親の喜ぶ顔が見れる

思いつき。社畜=安定と考える親にのみ通用する。

少なくともニートになるよりかは親孝行になる。



18)中途採用の人は出世できないけど能力が高い

うちの会社の決定的にダメな部分。

新卒入社の中間管理職層はしょうもないのが多かった。

一方で、中途の人は優秀であることが多かった。

なのに新卒の方が出世するスピードが速い。


もう少し一般化して考えてみる。

経験値というものは、社会に通用するものとその会社固有のものに分けられる。

そして、その経験値というのは、1:2くらいの割合で貯まっていく、たぶん。

新卒で入った場合は、会社固有の経験値がかなり貯まる。

中途で入ってきた人は、社会に通用する経験値がそれなりにある。

から新卒は社内で出世しやすい。

が、結果的に年を経るほどに新卒は自社にしがみつくしかない。

一方で、転職数回の中途の場合、固有の経験値が少ないものの、

そもそもその固有の経験値にバラエティーがあるから

気がつくと社会に通用する経験値に転換されている。



19)社畜は格好の搾取対象

源泉徴収という制度がある限り、搾取は避けられない。

年金未納が増えたからって、未納者の保険料増額は非現実的。

なら、確実に納めてくれる社畜保険料を増額すれば良い。

世の中にたくさんある所得に関する税制もすべてそう。



20社畜になることは不安定な道を選ぶこと

会社がなくなったら、どうするの?

社畜生活ほどリスキーものはない。

自分の腕一本で食えるようになるのが安定というもの




以上、異論反論は多々あることかと思います

あくまで、僕の乏しい経験上での思い込みですのでご容赦を。

2011-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20111116161939

いやだから、発動確立があるって言ってるのに。

からTRPG上のルール・細則は知らんと言ってるのに。

TRPGは未プレイで、小説に書いてあることだけを読んで論じていると何回書けばわかるんだ。

TRPGプレイヤーであろう君を尊重して、ゲームゲーム外のフィールドの違いについても書いた。

その発動確率云々の説明も

多分TRPGでは、操作即死の力はもう少し使い勝手や性能が悪かったんじゃないかね。

としてさっき推測してみせたのがズバリじゃねーか。




TRPGダンゲロス」の話はしていない。

小説ダンゲロス」の話をしている。

最初から一貫してそう断っている。




異論反論は大歓迎だが人の話や前提条件を聞かないアホだけは勘弁してくれ。

それともそういう能力魔人なのかお前は。

2011年ボジョレーヌーボーキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!! : 2のまとめRより。

95年「ここ数年で一番出来が良い」

96年「10年に1度の逸品」

97年「1976年以来の品質

98年「10年に1度の当たり年」

99年「品質は昨年より良い」

00年「出来は上々で申し分の無い仕上がり」

01年「ここ10年で最高」

02年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」

03年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」

04年「香りが強く中々の出来栄え」

05年「ここ数年で最高」

06年「昨年同様良い出来栄え」

07年「柔らかく果実味が豊かで上質な味わい」

08年「豊かな果実味と程よい酸味が調和した味」

09年「50年に1度の出来栄え」

10年「2009年と同等の出来」

11年「50年に1度の出来」

これを出来の良い順に並べる、というのに挑戦してみる。


まず目につくのが「○年に一度」という表現。例えば11年の「50年に1度の出来」だが、これを過去50年で最高とするのは早計。そもそも同種の短評が、ここに上げた17例の中に5例ある。同じような「○年に一度」の中では数字が大きいほど出来がよいとみるだけに留めるのがいいだろう。

よってその5例については以下の様になる。


  1. 03年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」
  2. 09年「50年に1度の出来栄え」
  3. 11年「50年に1度の出来」
  4. 96年「10年に1度の逸品」
  5. 98年「10年に1度の当たり年」

ちなみに評価が同等の場合は、醸造技術進歩なども考慮して年度が古い方を上とした。

さらにこれらの5例との比較が明示されているものピックアップしてみる。


  1. 99年「品質は昨年より良い」
  2. 10年「2009年と同等の出来」

99年は98年より上ということであるが、これが09年や11年同等の50年に一度、あるいはそれ以上の出来であるならば、「昨年より良い」などという評価でお茶を濁すとは思えないので、それよりは下にするのが妥当だろう。「09年と同等」と評価された10年については先述した通り、同等評価なら古い方が上の原則を適用し、出た暫定ランキングが以下。

  1. 03年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」
  2. 09年「50年に1度の出来栄え」
  3. 10年「2009年と同等の出来」
  4. 11年「50年に1度の出来」
  5. 99年「品質は昨年より良い」
  6. 96年「10年に1度の逸品」
  7. 98年「10年に1度の当たり年」

次に注目したいのが、05年の「ここ数年で最高」ここ数年というのが過去何年なのかが曖昧だが、前年よりいいだけなのであれば99年のように、「昨年より良い」でいいはずなので、少なくとも過去2年よりも上と解釈すべきだ。すると100年に一度であった03年を上回る。翌06年も05年と同様に良いということなので、これも03年よりは上とする。よってここまでで

  1. 05年「ここ数年で最高」
  2. 06年「昨年同様良い出来栄え」
  3. 03年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」
  4. 09年「50年に1度の出来栄え」
  5. 10年「2009年と同等の出来」
  6. 11年「50年に1度の出来」
  7. 99年「品質は昨年より良い」
  8. 96年「10年に1度の逸品」
  9. 98年「10年に1度の当たり年」

ここからが若干難しくなるのがだが、まずは

97年「1976年以来の品質

について考えてみる。

96、98年の評価は「10年に1度」級であるが、最初に言った通り「このレベルものはここ10年なかった」などと読むべきではない。だが、97年については96年よりは上でなければならない。99年とどちらが上なのかについてはひとまず保留。


  1. 05年「ここ数年で最高」
  2. 06年「昨年同様良い出来栄え」
  3. 03年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」
  4. 09年「50年に1度の出来栄え」
  5. 10年「2009年と同等の出来」
  6. 11年「50年に1度の出来」
  7. 99年「品質は昨年より良い」 / 97年「1976年以来の品質
  8. 96年「10年に1度の逸品」
  9. 98年「10年に1度の当たり年」

次に

95年「ここ数年で一番出来が良い」

だが、1976以来の出来である97年よりは下であるのは間違いないのだが、「10年に一度」である96年と比較してどうなのか。統計的に解釈すれば「10年に一度」というのは「全ての年に序列をつけたならば上位10%に入るであろう」とも読めるのだが、95年以前がどうであったのかが分からないのでどうにも判断のしようがない。単位が違うので比較するのは少々乱暴ではあるが、「数年」よりは「10年」ということで、96年より下とする。

  1. 05年「ここ数年で最高」
  2. 06年「昨年同様良い出来栄え」
  3. 03年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」
  4. 09年「50年に1度の出来栄え」
  5. 10年「2009年と同等の出来」
  6. 11年「50年に1度の出来」
  7. 99年「品質は昨年より良い」 / 97年「1976年以来の品質
  8. 96年「10年に1度の逸品」
  9. 98年「10年に1度の当たり年」
  10. 95年「ここ数年で一番出来が良い」

まだランキングされずに残っているのは

00年「出来は上々で申し分の無い仕上がり」

01年「ここ10年で最高」

02年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」

04年「香りが強く中々の出来栄え」

07年「柔らかく果実味が豊かで上質な味わい」

08年「豊かな果実味と程よい酸味が調和した味」|<

02年 > 01年であることに異論を挟む必要はないだろう。さらに01年が「ここ10年で最高」であることから、99年以下に入るはずはない。99年の一つ上は11年の「50年に1度の出来」である。どちらを上とするか。最近10年の内、「50年に一度」以上の評価が5回も出現するあたり、この評価の尺度の信ぴょう性にはいささか疑問があるのだが、「ここ10年で最高」程度が「50年に一度」を上回るというのも考えにくいので、それよりは下とする。したがって、ランキングは以下のようなものとなった。

  1. 05年「ここ数年で最高」
  2. 06年「昨年同様良い出来栄え」
  3. 03年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」
  4. 09年「50年に1度の出来栄え」
  5. 10年「2009年と同等の出来」
  6. 11年「50年に1度の出来」
  7. 02年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」
  8. 01年「ここ10年で最高」
  9. 99年「品質は昨年より良い」 / 97年「1976年以来の品質
  10. 96年「10年に1度の逸品」
  11. 98年「10年に1度の当たり年」
  12. 95年「ここ数年で一番出来が良い」

残ってしまった4年度については、恐らく「大した出来ではないが今年の特徴は〇〇である」ということを、ぼやかしたものであろう。よって、95年以下で、順位については飲む人のお好みで、とするのが妥当ではないか

保留にしたままの97年と99年であるが、50年、100年に一度の出来がここ十年で5度も出現するほど醸造技術は年々進歩しているのだろうということで、とりあえず99年を上とする。

最終的なランキングは以下のとおりである

  1. 05年「ここ数年で最高」
  2. 06年「昨年同様良い出来栄え」
  3. 03年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」
  4. 09年「50年に1度の出来栄え」
  5. 10年「2009年と同等の出来」
  6. 11年「50年に1度の出来」
  7. 02年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」
  8. 01年「ここ10年で最高」
  9. 99年「品質は昨年より良い」
  10. 97年「1976年以来の品質
  11. 96年「10年に1度の逸品」
  12. 98年「10年に1度の当たり年」
  13. 95年「ここ数年で一番出来が良い」

越えられない壁(以下は順不同)

  • 00年「出来は上々で申し分の無い仕上がり」
  • 04年「香りが強く中々の出来栄え」
  • 07年「柔らかく果実味が豊かで上質な味わい」
  • 08年「豊かな果実味と程よい酸味が調和した味」

2011-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20111114211153

おおむね同意しつつ、以下は個人的に異論のある部分



RPGはセリフと音楽大事。今思い出せるゲームはこの辺りが秀でていた。

音楽同意だけど、セリフはそんなに印象に残ってないなあ

それよりも、個々のシーンの「演出」のほうが大事だと思う(もしかしたらストーリー全体よりも大事かも)

これはちょっと偏った例だけど、いわゆる「トラウマゲー」で語り草になってるのは、セリフじゃなくて演出

ストーリー性の低いRPGモチベーションが保ちにくい。

ロマサガシリーズなんかはストーリー性は低めだけど、探索と成長がモチベーションを保ってくれてた

冒険自体が楽しければ、ストーリーが淡白でも案外平気

RPGでもアクションの要素があった方がいいと思っている。

俺はアクションがあっても平気だけど、瞬発的判断が苦手な人には、アクティブタイムバトルシンボルエンカウント苦痛らしい

あと個人的には、ボタンを押して崖をジャンプ、みたいなギミックはすごく邪魔に感じる

2011-11-06

なぜ比較生産費説は失敗しているように見えるのか

比較生産費説は自由貿易を通して富が増加する=豊かになることを説明した理論です

ここでまず踏まえておかなければならないのは豊かになるとは誰が、何に対してかということです。物財の市場における総供給量が増え、需要者、つまり消費者が豊かになるということです

ここのところでの異論はあまりありません。説が唱えられてから既に200年の「実験」の蓄積があるのですから、上記の点については事実として扱ってよいでしょう。

比較生産費説が最近、ホットトピックになっているのは、TTPの問題があるからですが、アメリカでもTTP反対論は根強くあるようです

抗議に参加した人々はTTP協定が仕事環境に与える潜在的な影響に対して注意喚起したかったと言っています

「私たちは雇用を求めるためにここにいます」とロレーヌ・アシュビー(66)(シカゴの南東側からの引退した公務労働者)は答えています

「小さなビジネスを行って、本当の雇用を作り出す人々がここにとどまることが難しくなってきているのですTTP雇用を作り出す人々を後ろからナイフで刺すようなものです

「あまりにも多くの過去貿易協定は普通の人々犠牲にし、ウォールストリート大企業の役立ちました」と彼は言いました。

「私たちは、この地域から海外へ送られた何十万もの給与仕事を見ました。また、私たちが必要とするものは、シカゴで、および世界中労働者生活水準を実際に改善する貿易協定です

http://gigazine.net/news/20111105_tpp_trade/

日本TTP反対派の人たちもこの言い分には深くうなずくでしょう。日本でもアメリカでも互いを敵視しながら同じような言い分を言い合っているわけです

こうした言い分に対し、経済学の人たち、というよりもサミュエルソンっぽい新古典派総合っぽい人たちが、誤謬誤謬もっと勉強しろよって膝寄せて鼻を突きつけているわけですもっとも、その人たちも完全に歯切れがいいわけではなくて、「それは別の話」とか「一時的な痛み」とか、言及している「部分」もあるわけです

それが果たして別の話なのか、一時的な話なのかというのが、本当は問われるべき問題であろうと思います


80年代のレガノミックスは、一般に言われているのとは違って、大規模な財政支出と減税による「需要刺激による」景気刺激策でした。レーガンは言っていることはともかくやっていることは無茶苦茶ケインジアンでした。アメリカはそれ以後、蕩尽的消費社会突入してゆくわけですが、基本的に好景気インフレですしかし実際にはインフレ率はそうでもなかった。需要の増大を上回る供給がもたらされたかです。つまり輸入拡大です。この構造レーガン政権以後、現在まで基本的には続くのですが、では、81年から比較して、「一般アメリカ市民所得」は増えたのかどうかという話です。全消費者の消費可能量が増えたかどうかという話ではないですよ。リカードさんのおっしゃるとおり、全消費者の消費可能量は増えた、つまり市場は豊かになったに決まっていますしかしそれが、「一般アメリカ人所得」の増大につながったかどうかという話です

レーガンから現在までの話ですからね、すでに30年間の記録があるわけです

決して「一時的な話」ではありません。

結果は言うまでもありませんね。「パパはなんでも知っている」の頃は、パパがフルタイムで働けば子供大学に行かせられました。今では、ママも働いて、それどころかダブルワーキングをしても、かつかつの生活をしている人が大半になっています。そういう人たちに向かって、理論は正しい、おまえたちが間違っていると言っているのがサミュエルソンのシッポの人たちであるわけです


比較生産費説の理論完璧さにもかかわらず、どうしてこのような現象が生じてしまうのでしょうか。

答えは簡単で、産業ごとの特性が異なるからです比較生産費説は産業ごとの特性をならして、「単位」扱いするところからまります産業ごとの特性の問題には最初から対処しきれないというか、扱っている領域そのものが違うのです

例えばA国とB国がそれぞれ半導体カカオ豆に特化したとしましょうか。しかしこの両商品はそもそも需要量が違います。必要度合いも違います産業スタートさせる難しさの度合いも違います。他産業を発展させ、雇用を創出する能力も違いますもっと言えば収益性も違うわけです

不安定、低収益、低需要、低波及力の産業に特化した国、つまりモノカルチャーの国が国際経済の荒波にゆられて「豊かになる」どころの話ではなかった原因の根本はここにあります

労働集約的-資本集約的、高収益-低収益で相に分ければ4つの相が分かれることになります

国民雇用を確保し、そこそこ安定的な経済環境を構築する」のを目的にした場合もっと効果的なのが労働集約的-高収益産業です。ありていにいえば製造業第二次産業です

国民経済にとってはコアとなるこの産業が奪われたからこそ、「全体としては経済成長をしながら、格差の増大をもたらし、一般国民の貧窮化を招いた」のがアメリカの姿であるわけです

これに対して次のように説明するサミュエルソンのシッポがいます

給与の高い仕事転職するということは、比較優位産業労働力移転しているということである比較生産費説は労働者経済行動の中にあらかじめビルトインされている」

から雇用喪失は起きない、起きたとしても一時的な調整期間中ものだ、というわけですね。

あなた、30年間を調整機関と呼ぶ神経って、なんていったらいいんでしょうね。

東大に行っているあなた卒業したらゴールドマンサックスに入りたいなんて思ってるでしょ。給料いいですもんね。給料がいいってのは、生産性が高いということです。もうひとつ労働需要に対して供給が追いついていないということですあなたと同じレベルの人を400万円で雇用できるならそうしますよ、ロックフェラーでも。そうしないのは、需要に対して供給が追いついていないかです

失業率10%以上あってもそういう状況だと言うことです

農民が工場労働者になり、事務員になり、というところまではまあそこそこアメリカ労働者でも対応できたかもしれません。もちろんその過程でも脱落していった人はたくさんいるわけですが。

比較生産費説が言っているのはこういうことです製造業新興国に特化しても、先進国はさらに生産性が高い産業・職に移動してゆけばよい。みんながジョブスになれば1000万のアップル誕生して、たくさんのiPhone を手にできるよ!ということです

それが100年、200年のスパンならばあるいはそういうことも可能かもしれません。しかし現代においては変化はあまりにも急激でありすます


TTPを巡る議論で私が非常に気にかかるのは、TTP賛成派があまりにも気軽に「経済学」を看板にしたがるところです。そしてそれは、「おまえは経済学を知らない」と相手を貶めるために用いられているように見えます現実事象について具体的な論拠を求められれば、「経済学深淵でおまえには分からない」とばかりに現実の問題には何も答えないまま、モデルの話でけむにまきます

経済学はそういうものではありません。少なくとも、そういうものけが経済学ではありません。ガルブレイスが生きていたら、なんというでしょうか。

そうした言論的脅しに屈せずに、みなさんは分からないものは分からないと言ってください。納得できないものは納得できないと言ってください。説明できないのは説明できない人の責任であってあなた頭が悪いからではありません。

2011-11-04

今年の覇権エロゲは穢翼。異論は認めない。

2011-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20111101124506

お前以外全員なんてありえない、だって

増田だけでも何度も統失認定されてるのに、その間誰一人として「こいつは統失じゃない」って言ってないじゃねえか。

お前が統失なことは誰にも異論はないんだよ。

2011-10-30

TPP導入で農業補助金ますます増える

TPPの導入で色々と議論があるが、メリットの1つとして日本農業競争力強化がある。

外国産農作物に対抗するために、日本農家企業努力をするというのだ。

しかし、異論を唱えたい。



友人が農家をやっているのだが、今の農業というのは農協から補助金で生活している人がほとんどだという。

作った野菜キロ数百円という重量で(品質ではない!)生活できない値段で買い叩かれて、農協からくれる、あるいは農協から借金で生活している。



友人が作っているもの付加価値のある果物なので、農協を通さなければそれなりの市場価格で売れるのだが、農協を通さないとなると地域の目もあるし、なによりなにか起きたとき農協の手助けを得られない、農協に金をもらったほうがラク、農協に潰されるなど政治的な問題で農協依存から抜け出せないのが現状とのことだ。



このように付加価値のあるもの生産している努力している生産者えこれが現状である。いわんや、コモディティ化した野菜生産している業者にとって、農協がなければ農業は存続出来ないことは明白だろう。



考えてみて欲しい、八百屋で得られている一個100円のキャベツ。この値段に疑問を抱かないだろうか?

これ、たとえ1万個作っても100万円にしかならない。毎月1万個作れるなら年商1200万円として事業としては継続できそうな気もするが、農作物はそのような工業製品とは違う。




そう。そもそも、日本野菜果物税金ですでにとっても安く手に入るようになっているのだ。




補助金農業を延命させている手前、今後TPPが発足したところで、さらなる税金が投入されて市場に出回るのは日本の作物だろう。

どうせ大量の税金を投入してすでに安価な値段にしているのだから100円を50円にしたところでたいして変わらない。



補助金をなくして農家を潰してしまえばいいという意見もあるが、そうなったら大量の失業者はどうなる?

現状で全仕事に対して、10%も人が余っている状態で、別の仕事をさがすことはかなり困難である

そうなると生活保護となるが、それが幸せな判断だろうか?それより産地直送のおいしい野菜を作ってもらったほうが良くないだろうか?



また、一度安い外国野菜や米を手に入れた消費者は、それを買い続けるだろう。カルフォルニア米は食べたことあるが、安い無洗米と比べてほとんど味は変わらない。そうなると、わざわざ高い国産を(しか放射能に怯えて)買う必要があるだろうか?


TPP所得中間層が手痛い思いをするため、高級国産野菜を買える層は少数になる。例え農家努力しても、すべての農家を食わせるだけの市場日本国内だけでは成立しないと思われる。


やるならまず中国国産野菜が輸出出来るほどの技術をつけさすのが先である

それには農家への補助金制度を見直して、減らすべき。そして市場競争力をつけさせることに農協は力を入れる。農協中の人がわからないのなら、コンサルタントでも雇えばいい。

そのような努力をして中国野菜や米を売って国内供給が減って値段が高くなって庶民が買えない!となったときに初めてTPPに参加すればいい。

今参加したら補助金が増えるだけである。順番が違う。まずは企業努力競争力強化、国内供給が減ったらTPPだ。


スローガン

中国インド富裕層ガンガン輸出しよう!」


民主党の人はそこまで考えているかな?

2011-10-29

ちょっと気が早いけど…

今年の流行語は、「想定外」で決まりだろうな。

不謹慎だ」という異論は、受け入れる。

2011-10-19

http://anond.hatelabo.jp/20111019121741

人格否定は否定できる人格があって始めて否定できる。

異論反論の類がすなわち人格否定に繋がることよりも、その当人の人格を探る(存在するかどうかを確かめる)当てこすりも多くあるんじゃないかなあ。

そのため、仕方なく反論のための反論がいくつか出るのはまあ、仕方がないことだとは思うよ。

乙武さんが2ちゃんねらー化(ν速民化)してきたかもしれない件

これ、何かに似ていると思った。

http://togetter.com/li/199415

昔の2ちゃんねらーへの人間ができ過ぎた対応はどうなったんだ?!と思ったら・・・

乙武さんは、一部の2ちゃんねらにしか過ぎない人を2ちゃんねらだと思ってるし、それを評価してるし、だんだん同化しつつあるようなのを、検索してたらなんとなく感じた。

乙武 2ちゃんねら などで 検索すると いろいろ出る

褒めてたり、煽り耐性がついたとか、ツイッタなんか2chに比べると余裕とか・・・

2ちゃんねらへの温かいことば

「若くして世に出てしまった僕に強く物が言える人」で検索すると出る

乙武さんが2chをいやν速意識してるのがわかるらしいバンド

http://watch2ch.2chblog.jp/archives/3811689.html



何事に対しても、斜めでやりすごすというのも、道化やふざけ、からかい、中傷で対応する、(時には罵詈雑言)  というのも、一種の自我防衛本能ではないかと思うが、防衛しなくてはいけない何かがあるのかもしれないし、それは別の守られ方をした方が良いのかもしれないけど、

何も乙武さんまで真似しなくても・・・ 嫌な事は嫌と言えばいいんじゃないの?



嫌じゃないのかもしれない。本当に好きなのかもしれない。

から、こういう風に言うのかもしれない

「「2ちゃんねる」において、僕は不思議と愛されているようで、」

http://blog.livedoor.jp/yumemigachi_salon/archives/51422547.html

でも、こんな事↓するくらいなら、名誉毀損で黙らせた方が良かったのではないか?(註あり)

http://togetter.com/li/199415



どっちもかまってちゃんなのに、



しかも、彼が取った手法は、3行でで済ませてしまったり、一部を切り取って見せることで、全体をわからなくさせ、物事の本質や深い理解を遠ざけてしまったり、一面的な事実や、一部の義や理によって断罪するやり方 断罪ではない断罪 罪とは言わないがやられた方は、場合によっては、罪のある人と同じような罰を受けたりする事もある。 精神的だったり社会的だったりするが。←これに近いものがある。

ツイッタは文字数が限られているので、そこで話すには適さないことも当然ある。

しかし、逆にそれを利用して、断定的な言い方の多様やイメージ戦略みたいなもので、人々を惑わす人たちもいる。

というか、惑わすと言うと言葉は悪いが、宣伝営利目的でやっている人や会社も多いだろうし、それを推奨している面もあるようだ。ツイッタの本にもそういう使い方が載っている。スパムはまずいが自然拡散を狙って宣伝する方法もありますよー登録して下さいよーというふうにツイッタ自身が言っている。

から、ツイッタ的にはイメージ戦略も大いにけっこうなのかもしれない。もともと商業用だからw というかそれを禁じてるわけじゃないから。



商業主義に乗せていいのか疑問があるものもあると思うし

なんだかなあと・・・





(名誉毀損でというのは2ちゃんねらたちをという意味です)

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かまってちゃん というのは、かまって欲しくて悪さする人 のこと 気を引こうとしたり

乙武さんは、かまって欲しくて悪さする2ちゃんねらたちの中に、自分に対して救済を求めるような何かでも感じたのだろうか?

両方ともかまってちゃんだとしても、一般女性の方は、真面目で切実なものがあるかまってちゃんではないのかな

(一般女性の方をかまってちゃんとするのは、異論があるかもしれないが、あのまとめたやり取りに対する見た人や乙武フリークのような人のあの一般女性の捉え方は、「絡んできた人」精神的な問題があるから言ってはいけない事してはいけない事をした人 という捉え方で、彼女自分タイムライン(TL)で自分独白のように吐き出した事も言ってはいけないことのように捉えているから、まあかまってちゃんと仮に呼んだ。)

自分のTLでつぶやいた事で、かまってちゃん認定もすごいと思うが、その意見はそこまで悪いものとして封じられなくてはいけないものなのだろうか?初期乙武批判の2ちゃんねらの何がしかの義に近い論旨で、誰でも言いそうな気づきそうな指摘だった。誰でもいいそうと言うか当然気づく乙武さんに対する矛盾や疑問も含んでいた。言わなくてもいいことだし、言われた方は良い気はしないかもしれない。しか乙武さんは2ちゃんねらに対しては言われたら不快に感じる誹謗や中傷や人格否定を許しているのはどういうわけだろう?

乙武さんに関して、論理的に冷静にものを考えれば当然気づく素朴な疑問を、言うと、まるで天皇批判でもしたかのように、ν速手法断罪されるなんて恐ろしいw 

ν速民が彼をおかしくしてしまったのだろうか?



論理的にというほど大げさに言わなくても、子供でもわかる理屈で、「あの人、なんかしたん?」何か具体的に実用性がある情報提供したり社会技術的に役立つ情報を発信しているわけではない。ある程度以上の知能はあるにしても学問的に貢献したとか言うわけでもない。

しかし、そういう人は他にもいる。実用的な情報以外流布しなくなったら、すっきりして良いかもしれないが、他に支障が色々出るような気もするし、それはそれで良いと思う。害にならなければ。

女子供が好むものなんて、大抵そういうものだ。と書くと偏見助長してしまから良くないが。

和田アキ子さんが昔昼の番組で、乙武さんの就職に関してだったか、本を出した後もメディアに出る方向に進んだ事に関して、ちょっとアレ?っと思ったような言い方をしていたが、そんな事を言う人は今はいないのだろう。

それに、最近乙武さん関係で目にするのは、このようなちょっと残念な事か、気を衒ったような事か、意外性みたいな事が多いような気がする。だから誰もそんな事言わないのかもしれない。

2011-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20111012142050

これは「子供向けと大人向けは区別する必要がなく、よって命上置も子供向けのテーマではない」という反論だ。

ああ、言われてみれば、Bの一行目だけだとそう読めるッスね。

あれは「命上置はそもそも『子ども向け』のテーマではないので、子ども向けと大人向けで区別する必要がない」という論旨だったんだけど。

Aに反論して「大人向けにも入ってる」例と一緒に「子ども向けだけど入ってない」例を出してるでしょ。

例に使ったのが「想定視聴者と実際の視聴者齟齬がある」プリキュアだったってのはまずかったけどw


これは「プリキュアはあくまで子供向けの作品であり、Bの意見は無効だ」とする意見だ。

Bへの反論になっていない。

Bの主旨はプリキュア子ども向けかどうかということではない。


ただし、Bが論拠として挙げた「プリキュアは大人も子供も楽しんでいる」について異論が提出されていることは理解していただきたい。

事実として成人間で根強い人気があんだから異論へったくれもないんじゃね?

言葉遊びに過ぎない。

http://anond.hatelabo.jp/20111012140035

http://anond.hatelabo.jp/20111012113744(以下、Aとする)

これは「自分の命や人生より何かを上に置くこと(以下、命上置と略す)は、主に子供向けのテーマである」とする意見だ。

注:「大人向けでは見られない」という主張ではない



http://anond.hatelabo.jp/20111012115110(以下、Bとする)

これは「子供向けと大人向けは区別する必要がなく、よって命上置も子供向けのテーマではない」という反論だ。

そして、その根拠としてプリキュアを挙げている。



http://anond.hatelabo.jp/20111012121753

これは「プリキュアはあくまで子供向けの作品であり、Bの意見は無効だ」とする意見だ。

注:Aの意見に賛同するものではない



以上から、「作品が大人向けか子供向けかと、命上置の有無に、どんな関連があるのか?」という問いに対しては、「Aに聞いてくれ」と答えざるを得ない。

ただし、Bが論拠として挙げた「プリキュアは大人も子供も楽しんでいる」について異論が提出されていることは理解していただきたい。

2011-10-05

ウィキペディアイタリア語版 停止のお知らせ

http://it.wikipedia.org/ (http://it.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:Comunicato_4_ottobre_2011) より

読者の皆様



ウィキペディアイタリア語版は長年に渡って有用サービス提供してきました。

皆様もそれを期待してここに来られたことと思いますが、

このたびウィキペディアイタリア語版は閉鎖を余儀なくされる可能性がでてきました。

現在のところは、お求めのページは隠蔽されているだけの状態にあります

しかしいずれ削除をしなければならなくなる可能性もあります



この10年間、ウィキペディアは中立的で自由で、そして独立した知識源として、

数百万人のインターネットユーザーの皆様の生活の一部となってきました。



本日、誠に残念ながら、ウィキペディアを支える柱である中立性・自由・検証可能性が大きく損なわれる懸念が強くなりました。

その原因はDDL intercettazioni通称通信傍受法」として知られる法案の第29段落にあります



この法案に関して、イタリア議会現在様々な観点から議論をしていますが、

なかでももっとも重要なのは当事者が自らの名誉を傷つけると判断したコンテンツについて、

どんなウェブサイト48時間以内に訂正を公表しなければならない、という事項です



法案では、当事者の主張を第三者が検証することは残念ながら求められておらず、

名誉が傷つけられるという意見さえあれば、訂正が強要されることになっています



したがって、ブログネットニュースウィキペディアで公表されたコンテンツから不快感を感じた人は誰でも、

問題のコンテンツおよびその情報源の内容が真実であったとしても

「訂正版」の公表を要求することができるようになります



ウィキペディアの利用者(ご存知のとおり、ウィキペディアには編集責任者はいません)たちは、長年に渡って、

コンテンツへの異論があったときプロジェクトの中立性と独立性を尊重しながらも、必要に応じて調査と修正を続けてきました。

ごくまれに、意見を踏まえて項目として成立させられなくなった場合にページそのものを削除することもありました。



訂正要求を議論と検証なしにそのままサイト上に掲載しなければならないという第29段落要請は、

ウィキペディアの自由と独立性にとって受け入れがたい制約となります

自由な百科事典としての基本原則を曲げることになり、

私たちが知る「水平」な編集の仕組みを停止させることになります



あらゆる当事者名誉と名声を守ることは私たちにとって言うまでもなく重要なことです

しかし、イタリア市民はすでに刑法595条によって名誉毀損から守られていることも事実です



今回の声明で、私たちは読者の皆様に対して、あらゆる当事者が自らの名誉についての性急な保護をみだりに強要できるようになることから生まれる危険について、注意を喚起したいと思います

そうした制約を受ければ、「面倒を回避する」ため、インターネットユーザーは特定の話題や人々に触れることを控えるようになるでしょう。



私たちは、自由で誰にでも開かれた百科事典提供し続けたいと思います

私たちの記事は皆さまの記事でもあり、だからこそウィキペディアは中立です

なぜそれを止めなければならないのでしょうか?



ウィキペディア利用者一同



関連リンク

2011-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20111004100805

これはもっともなことで異論なし。

ただ本文では、東海という名称を”国際的に”使用すべきかという議論に対してどういう心構えで望むべきかについて論じました。

2011-09-30

何かを相手に言って、それに対し相手が疑問を差し挟んだり、異論を唱えたとしても

噛み付いてきた

は無いんじゃないw

そこに何だか、変な空気と言うか、パワハラモラハラ的なものを感じる。

http://anond.hatelabo.jp/20110930092150





噛み付いてきた、まで言うから、体面を重んじる役所みたいな印象 と書いたけど

( これも人格攻撃とまではならないだろう )



その前にも、噛み付くにあたるような相手の人格を否定したり攻撃したりするような事をしたわけではなく、矛盾を感じる部分や、実際に無理な部分はそう言っただけなのに、””噛みつかれた””と受け取ってしまうところや、””手を差し伸べてやった”” と書いてしまうところは、非常に問題ではないだろうか?

モラルハラスメント



フォローを取り消して、社会問題として考える意識や、人権意識がないのは残念というツイットは、そいつ宛ではないけどしたが、それは人格否定じゃない。何で噛み付いたになるのかわからない。

噛み付いたと言う方は、ひたすら自分のいう事を鵜呑みにしてくれる存在というのを、求めていたのではなかろうか?  求めていたというか、そういう人なんだろう。 普段からずっと。

そういう奴も論って行こうwww

騒ぎになってメリットがあるのは、立場無き立場の方なんだから


弁護士についても、ページで見たら、弱者救済に関してよい事を書いてある所はあったけど、そこを信用してよいかからいから、みんあで見張るという形を取れば動くかもしれない、というところは見つけてる。 そこまで話が行かなかったが。。。

これだって全然考え方が違う。弁護士には一部悪い人が居ても信用できる人間と強固に言い張ってくる。そういう人は居てもそこに行き着くまでが危ない。だから、みんなで見張ろうという論理になるのだが、そうはならないらしい。





一人で行かない、証拠を残す!!

医者弁護士やくざの一部に対応する時のやり方

ブックオフ立ち読みした暴対法の啓蒙マンガに描いてあった。

これは確かな事だと思う。今回だって、ある政党無料相談弁護士は賠償金数十万の訴訟は嫌がるとか、費用効果 もっと言うと労力対報酬だわな と平気でぬけぬけとぬかしやがったので、それ以来必ず録音する事にした!!!

録っといて良かった。www

その政党相談も支部に紹介されて行ったのに、弁護士議員より力を持ってるのか、威張り倒していた。あの政党は、まず内部から浄化した方がいい。  何かする力があるとは思われて無いだろうけど、外に向けて言ってる事は、自分とこが協力関係にある弁護士に言った方がいいんじゃないのかwと思う。

2011-09-13

厚生労働省連合高齢者優遇しろ、若者死ね!」

希望者全員、65歳まで雇用へ 継続の選別基準撤廃

http://www.47news.jp/CN/201109/CN2011091201000871.html


ドイツ経済の勝因は 左派政権の「小泉改革」にあり

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1422

ドイツでは「解雇」をしやすくした結果、短期的には失業者が500万人を超えた。

>ところが長期的には、雇用流動性が高まり、逆に労働市場が拡大して失業者は減った。

しかもこの厳しい改革を行ったのは労働組合を支持母体とするシュレーダー政権だった。

>硬直化した日本労働市場にとって、ドイツの事例は何よりの教訓になる


 では、日本はどうか。お気付きの通り、どうやら日本は逆の道を進もうとしている。

厚生労働省の「今後の高年齢者雇用に関する研究会」は6月7日2025年度をメドに定年を60歳から65歳に引き上げ、

希望者は65歳まで雇用するよう企業に義務付けることを求める報告書をまとめた。

高齢者の活用や「生涯現役」に異論をはさむつもりは毛頭ない。だが、65歳まで働ける社会と、

65歳までの雇用企業に義務付けることはまったく違う。

 企業雇用を義務付けることは雇用流動性を失わせ、労働市場を硬直化することにつながるだろう。

定年の延長は企業の活力を削ぎ、グローバル経済の中での競争に打ち勝つ力を失わせる。

労働市場が流動化すれば、いくつになっても働ける社会はやってくる。

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1422?page=2

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