はてなキーワード: コンベンションとは
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
ボーカロイドの海外進出に将来性はあるのか。そういう視点から初音ミクのLAライブを見ている外国人は結構いる。今回紹介するのは、その中でも明確に「ビジネスとしての初音ミク」のあり方について論じている事例だ。日本人が読むと高すぎるハードルを設定されているような気がしないでもないが、確かに商売としての初音ミクを考えるべき時が来ているとの指摘には一理ある。日本でもまだ確立したとは言えないビジネスモデルをどのように海外で成功させるか考えるうえで、一つの材料になる。
urlは以下の通り。
http://cjblackwing.wordpress.com/2011/07/08/mikunopolis-christmas-in-july-and-world-conquest/
数日前、私はロサンゼルスのアニメ・エキスポ2011から戻ってきた。私の旅行のうち、すぐ後悔するに決まっているレベルの買い物を物販コーナーでしでかしたこと以外のハイライトと言えば、初音ミク関連全部だと言わざるを得ない。ミクがらみ全ての中で頂点はどう見てもミクノポリスだったが、週末のあらゆるパネルを通じてミクに関するたくさんのことを知ったのは楽しい経験だった。ロサンゼルスに向かう前から私はもちろんヴァーチャルアイドルのファンだったが、週末に入るまで私は何を予期すべきかについて実は知らなかった。出立後、ミクのファンになることがいくつかの理由でサンタを信じることに極めて似ているのに気づき、私は衝撃を受けた。
まず、クリスマスが持つ意義と同様、ミクは君が何をしたいかによって君が望むどのような存在にもなれる。世の中にいるあらゆる変態のために彼女が無限の衣装を持っているかのように見える点について話しているんじゃない。いや、それも一部かもしれない。今なおファンはミクに関する新しい歌、アニメーション、あるいはキャラデザをつくり、他の者がインターネット使用を通じて楽しめるようそれを世の中に送り出すことができる。けどクリスマスが単にキャンディー棒と橇の鈴だけではないのと同様、ミクも音楽だけじゃない。この週末、ほぼすぐ私にとって完璧に明らかになったのは、ミクがごく簡単に商業主義の同義語になり得るということ。色々な意味でこれはいいことだ。こうした起業家精神こそが、ゲームやフィギュアに登場するミクをファンにデザインさせることになるし、たとえ分権的なビジネスモデルを通じることになるとしてもなお企業がミク製品に資金を使うのを許すのだから。そして商業主義に関するあらゆるものの真実の意味において、ミクはしばしば決して純粋とはいえない姿に描き出されている。
クリスマスの比喩を続けよう。子供はしばしば小さいうちはクリスマスという概念を理解するのが困難だ。2歳児がただの贈り物を受け取る意味を理解する必要はないが、数年内にそれは子供の世界における中心的イベントになる。この週末、私はミクを理解するうえでそれと同じ感覚を味わった。明らかにアニメ・エキスポに来た大勢の人はミクが何であるかについていくらかの考えを持っていたが、大多数にとってこれはミクに関するあらゆる知識を大量に服用した最初の経験だった。ヴァーチャルアイドルに対する興味は週末を通じてゆっくり増大していくように見えたが、私が思うに大半の人が本当にミクの真価を認め始めたのは彼女のコンサートの間だった。当初、選ばれた一団の人々のみが歓声を上げさらに少ない人だけが立っていたようだった。だがコンサートが進むに連れより多くの人々が言わばグルーヴに身を任せるようになり、そしてその夜の終わりにはノキア・シアターのほぼ全員が立ち上がり、ミクにアンコールのため戻ってくるよう肺の中から叫んでいたかに思えた。サンタ・クロースとミクを含む人生における多くのこと同様、何が起きているかを理解するには多少の時間がかかるが、ひとたび理解すればそれは何か特別なことになるのだろう。
私は日本企業がミクの人気を増すために行ったこと、つまりクリエーター個人がその製品の中で比較的自由にミクを使えるようにすることでファンのデザインをコンサートやフィギュアに実装したところからこの週末のコンサートまで、その全てに敬服している。そして成功するためには他の国民もミクに関する彼らのモデルに追随すべきだと日本人が感じていることも何となく分かるが、それは正しい方法ではないと私は思う。世界中の人々が異なるやり方でクリスマスとサンタを祝っているのと同じように、我々はミクと他のボーカロイドを祝すべきだ。将来において他の言語でもソフトが使えるようにするのは正しい方向性だが、それは分かりきったことに過ぎない。心配なのは、ミクが米国あるいは他の西洋諸国のより幅広い聴衆に必ずしも利用されず、あるいはよく知られないままになるのではという点だ。現状、普通のアニメ、J-ポップ、その他のファン以外の人々が本当にミクのファンになるのは不可能だと思うが、米国で例えばniconico.comといった感じの新たなサイトを作っても、米国が中東に民主主義を紹介しようと試みているのと同じような前進しか期待できないだろう。
ミク(及び彼女の調教師)が本当に世界を征服したいと思っているのなら、まず彼らがオタクのファンベースを幅広く、Narutards[NARUTOの熱狂的ファン、キモオタの代名詞?]からミクを見るために国中から集まってくる人々に至るまで全ての人を(支持母体として)征服することが完全に必要である。エキスポで参加したいくつかのパネル及び私が過去に話した人々を見る限り、アニメ業界が彼らのオンライン製品をよく知らしめるためにいい仕事をしてきたようには思えない。コンベンションで出会った何人かの人はCrunchyrollが無料アニメを提供していることを知らなかった(はっきり言えば、合法違法を含めオンラインでアニメのストリーム上映を見られることを知っている人は極めて少ない集団にとどまっていた)。つまりniconico.comや新たに告知されたMikubookを習慣的に人々が見ることは決して所与の前提ではないし、まして部屋の中にユーチューブという名の500ポンドのゴリラがいる状態ではそんな事態は期待できない。
私がビジネスコンサルティングの授業から学んだ一つの教訓は、製品を作り出すのを手助けするのに必要なリソースを既に持っている企業と一緒に働く能力を君が備えているのなら、自らチャレンジして必要な能力を発達させるよりも、その企業と一緒に仕事をした方がいいってことだ。もし製品を外国に紹介しようとしているのなら、ジョイントベンチャーの利用はより重要である。確かに私はミク関係の人々がアメリカに拠点を置くウェブ企業とある種のジョイントベンチャーを作ろうと試みたのかどうか知らない。だがもしやったことがないのなら、それは彼らの犯した重大ミスだろう。普通のアニメ/J-ポップファンがniconicoやMikubookに気づくまでに使われる時間と金にはそれだけの価値があるようには思われず、そしておそらく普通のアメリカの消費者の注意を惹きつけることなど忘れてしまうほどかかるだろう。その代わり、既に有名なアメリカのネット媒体でミクの特別販促を行うことを日本企業が本気で考えたのなら、ミクは既に彼女を知っている者にのみ検索されることもなくなるだろう。
ミクが日本以外では失敗を運命づけられていると言っているのではない。日本で発展したビジネスモデルは間違いなく機能しているように見えるし、彼らはそのための偉大な製品を持っている。ミクがもっと一般的になるのを見たい人間として、米国でのトヨタCMである程度はやったように、彼女を宣伝するため日本企業がもっと米国企業と一緒に働くのを見てみたい。さらに、これらの取り組みは単なる単発的仕掛けにとどまってはいけない。既に確立したテレビメディアを通じてミクを人々に知ってもらおうとする取り組みを継続する必要がある。さもなくば最終的にビジネスのコストが高くなりすぎ、慌てて逃げ出さざるを得なくなるだろう。
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初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
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初音ミクのLAコンサート、外国人感想その4。今回は初音ミクという存在についてかなり真正面から書いたものを紹介する。筆者はコンサートだけでなくアニメ・エキスポで行われたいくつかのパネルにも参加したようで、日本から行った関係者の発言も引用しながら初音ミクとそれを取り巻く現象に関する考察を述べている。これを読めば「初音ミクとは何か」について一通りもっともらしい話ができる程度の情報が盛り込まれた、なかなかいいまとめだ。
urlは以下の通り。
ヴァーチャル・ディーヴァ(仮想の歌姫)になるということは、正確にはどういう意味を持つのだろうか? 初音ミクの人気について真に理解できるようになる前に、彼女が正確には何者なのかを確認するのがおそらくは最適だ。しかしながらこのテーマは思いのほか扱いが難しい。最も簡明な言い方をすれば、彼女は明らかにセガとヤマハによって発展してきた音楽制作ソフトのために藤田咲の声を録音しデジタル化した商品のパッケージ用にデザインされたキャラクターだ。だが同時に、彼女が本当の意味では存在していないという主題もそこにある。我々がミクの歌について話している時、我々は厳密に言えば生きていないものに対して隠喩を使っている。思うに初音ミクとは我々が理解しているより遥かに複雑なものなのだ。
アニメ・エキスポ2011は間違いなくミクの全てを取り上げていた。ミクノポリスは、それがノキア・シアターで行われ、かつ売り切れた唯一のものであった点だけを見ても、明らかに週末最大のイベントだった。他のゲスト――クリプトン・メディアの伊藤博之と佐々木渉、ダンスロイド、及び小林オニキス――はミク登場のおまけとして呼び寄せられた。アニメ・エキスポがコンベンション全体のテーマに「ファンの年」を選んだのは、ただのお遊びではない。結局のところボーカロイドは、ヤマハの剣持秀紀マネジャーがコンベンション3日目のパネルMirai no Neiroで言及したように、ファン、製作者、及び消費者の間にある障壁を切り裂いている。
ミクがいくらか人間っぽい性質を備えているのは明らかだが、同時に彼女の存在はメカニカル(機械的)かつヴァーチャル(仮想的)でもある。歌姫という用語は、技術的な能力をほのめかしているのみならず、高い人気という意味も示唆している。だがミクの人気はピンポイントで捉えるのは難しい。小林オニキスがアニメ・エキスポ2011の2日目にミク・カンファレンスのパネルで発言した内容によれば、彼女の成功は3つの要素に拠っているという。ミク自身、制作過程での自由さ、そして世界規模のインターネットだ。私がオニキスの判断に異論を唱えないのは確かだが、彼の指摘した3つの点をさらに分析すれば初音ミクの存在について興味深い事実が判明すると思う。
トヨタの初音ミク・カローラCMを巡る謎がついに明かされた時、トヨタが特にアニメ・エキスポを念頭に置いて若い客に対する濃密な市場調査を行ったことが判明した。トヨタはアニメ・エキスポ2011に2台のitasha(アニメやゲームのキャラを描いた車)、スタッフチーム一そろい、車の前でミクのコスプレをする可愛い女性、そして小さなカローラの絵の上で可愛らしく微笑む子供のようなミクを描いた何千枚ものポスターを持ち込んだ。ミクはただソフトに特色を出すため作られたキャラに過ぎないという事実にもかかわらず、彼女は自動車企業の公式看板娘となるのに充分なほど人気があった。アメリカにおける市場性の存在にはかなりの疑問があったものの、この宣伝活動はミクにとって大きな一歩だった。
初音ミクの生まれは、実際にはどこの馬の骨とも分からないものだ。彼女は、自身が市場に出ることとなった新しいVocaloid2シリーズの、箱に描かれたイラストとしてその生を始めた。つまるところ、それが彼女の全てだ。だが、日本中の製作者たちが楽しく、突飛で、面白い歌を書き、彼女を描いたり動かしたりすることで彼女に性格を付け加え始めたため、彼女はすぐ自らの命を手に入れた。最終的に彼女のイメージにはネギが伴うようになった。
これがなぜ重要なのか? ミクが東方シリーズに出てくるキャラとどれほど似ているかについては、おそらく指摘する必要もあるまい。ゲームに出てくるキャラの多くが極めて限られた背景情報しか持たず、それゆえにキャラの性格をさらに発展させるため製作者とは無関係にファンダム自体が自由に想像をめぐらせる余地があるという事実に、東方厨の一部は対応してきた。同じようにミクの仕様に存在する欠落は、歌やビデオという形式をまとった小さな物語の発生を許し、それが巡り巡って単なるキャラを超えた命の有り様をを彼女にもたらした。彼女は利用者が作り出す製品の力に具象化された肖像であり、概念だ。
そのインターフェイスは、比較的直感的に使える。音楽用語を使う代わりにこのソフトは、メロディーを生み出すためピアノの音程と一致したいくつかの棒の上に長い音符を置く。ピッチとテンポは製作者の目的に合うように変更でき、ビブラートと発音も自由に変えられる。完全な楽曲を作るため、ドラム、ピアノ、ギターなど追加の伴奏も付け加えられる。
ヤマハの音声技術開発チームを率いた剣持秀紀によれば、初音ミクは作曲家と歌手にとって伝統的に必要なものを補完する革命的なソフトの顔を務めたからこそ、ヴァーチャル・ディーヴァなのだという。ミクは、かつてデジタル楽器がやったのと同じように音楽世界のあり方を変えたソフトだと、彼は主張する。それが楽譜制作だけでなく、自然言語における発話パターンの複雑さまでまねしようと試みていることを踏まえるなら、おそらくそれ以上のものと言える。
剣持はプレゼンの際に彼の議論の核心を効果的に実証してみせた。まず彼は、人間の耳とって自然な音をボーカロイドに生み出させるのが、どれほど困難かを説明した。次に英語のボーカロイドソフトSweet Annを使い、極めて短時間でハッピー・バースデーのメロディーを生み出してみせた。そしてボーカロイドは単純に人間の声をコピーしようとしているものではなく、その特別な性質故にある意味で音楽の未来を示しているのだと強調した。極めて広範囲なジャンルにふさわしいものにするため、ライブラリを変更することができる。人間の耳が言葉を理解できないほど速いレートで音を生み出すのも可能だ。どんな歌手より長く引き伸ばして歌うこともできる。最も有名な初音ミク曲の一つ、初音ミクの消失を見るだけでいい。ボーカロイド史の比較的初期段階からソフトが持つこれらの側面を製作者が上手く利用していたのは明らかだ。つまりボーカロイドは、その人間に似たヴォーカルと同じくらい、その機械的側面も売り物になっていたのである。
プロの音楽家とアマチュアの双方に販売されることで、ボーカロイドは間違いなく伝統的に音楽に存在した境界線を壊し、比較的音楽知識の乏しい者たちが数千から数百万ものビューを稼ぐ歌を作り出すのを可能にした。アーティストだけでなく、ネットに詳しい個人がよく知っている視聴者に合わせた歌を作ることもできるようになった。
ニコニコ動画が日本におけるボーカロイド活動の主要拠点であることは否定できない。この動画シェアサイトには、他の種の動画ランキングに加えて人気のあるボーカロイド曲のランキングもある。つまりミクの成功は、彼女自身と製作者あるいはソフトの能力だけではなく、日本のユーザーが新たに作られた歌に関する集計された情報を見つけるのが容易である点にも依存している。
ミクの人気は彼女の声だけにとどまらない。ボーカロイド・コミュニティーから抱き合わせでニコニコ上に出てきた他のコミュニティー、例えば「Utattemita」(歌ってみた)、あるいは「Odottemita」(踊ってみた)などは、それらの人気故に今やニコニコのメーンページにある案内バーにそれ自体のカテゴリーを載せるまでに至っている。国境を越えたアニメ及びゲーム・コミュニティーへのウイルスのようなミクの拡散は、製作者及びファンの双方で似ている情報拡散能力に頼っている。
最初の質問に戻ろう:ヴァーチャル・ディーヴァとはつまり何か?
ミクの「仮想性」は要するにオニキスの言う1番目と3番目の要素に起因する。彼女は世界中の数百数千という人々の想像力に根っこを持ち、一方で彼女の側は人間としてのどのような制約も持たない、骨格だけのキャラだ。同時に、インターネットにおけるファンに基礎を置いて成長するボーカロイド・コミュニティーには、それを統制する法的な枠も基盤も僅かしかないという事実故に、彼女は著作権問題からも比較的影響を受けない。実際、利用者が生み出しファンが作り出す素材に対して日本企業が示す寛大さは、英語を使うユーチューブ・コミュニティーが慣れ親しんでいるものに比べれば衝撃的なほどに大甘だ。技術的にも、誰もが歌わせることのできるミクの束縛のない能力は、有名になるためどんな歌姫にも必要とされる人気と広い支持とを提供する。
理論的にはミクのスターダムへの道は、彼女が完全に作り上げられたキャラではなく、その中身が欠落しているという点にある。オタクの行動様式とポストモダンにおける消費パターンに関する東浩紀の著作から引くなら、ソフトの利用者が作り出した歌と動画に描かれた個人的で小さな物語を生み出すためのデータベースとしてボーカロイドと初音ミクが使われている。同時に人間の声を合成することで達成された技術的偉業が、音楽産業内における伝統的役割に新たな裂け目をもたらした。あらゆる種類の消費者、製作者、ファン、音楽家、個人的技術者が、あたかも300年前にルソーが思い描いた政府のように有機的なコミュニティーへと参加している。
初音ミクとは2つの面を持つ現象だと私は主張する。ミク自身は、情報的に遍在する世界の中にいる個人たちの行動様式に根ざしており、世界的コミュニティー総体の想像力によって生み出されている。一方、ソフトは技術的革新による製品で、それは技術がミクの成長にどれほどの役目を果たしているかを過小評価するのが間違いであろうと言えるほど、過去にあった境界を超越してのけた。
ミクノポリスの会場で照明が落とされ、初音ミクが最初にステージに姿を現した時、聴衆の中で数千のファンが上げた叫びを誤解することは不可能だ。堅実で具現的な光学的幻想を生み出すスクリーンに投影され、ミクはボーカロイド商品の箱を彩る二次元画像という起源から、サイエンスフィクションのポップスターへと素早く進化する。来るべき年月におけるボーカロイド発展への将来性を踏まえるなら、Mirai no Neiroパネルこそまさに新たな造語にふさわしい:「未来の音色」
The Nihon ReviewとAnime Instrumentalityはアニメ・エキスポにおけるミク関連のリポートを協力して提供する。コンサートそのものに対する詳細な報告は、Anime Instrumentalityに掲載されているzzeroparticleのエントリーをご覧いただきたい。
使用画像はPixivにある。この画像がコミケット80で使われたことについて、Moccyにお祝いを申し上げる。
http://www.pixiv.net/member.php?id=191242
この週末にアイデアを論じるという楽しみを分かち合った数十人、同僚のライターであるShinmaruとEternal、同じくAlex Leavittと、そして日本へ戻ったミクノポリス/未来の音色のスタッフに、心からの感謝を。
http://dph.ninja-x.jp/index.html
ミクについてよく知らない人へ、ネット上には利用できる多数の英語資料がある。おそらく外国のコミュニティーを本当に制限している唯一の問題はニコニコ動画への簡単なアクセスができない点であろうが、十二分な興味を持っていくらか賢い検索をユーチューブで行えば、ニコに投稿されたほとんど全てを見つけだせる。
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初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
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初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
テーマ:多角的に考える
・インセンティブの持っていき方を考える
・義援金の正しい使い方を考える
経済のケの字も知らない俺だが無い頭をひねって考えてみた。
「ヒトモノカネが流れる所は『勝手に』発展していく。」というのは事実だと思う。
そこで、被災地が最も早く復活するために、その考え方で発案してみようと思う。
ヒトが多く訪れる方法を検討しよう
Q.ヒトはどんな所に集まるのだろうか。
A.欲望を満たしてくれる所だ。
・普遍的で継続性のある満足を与えてくれる所にヒトは多く集まる。
・集まるコストを低下させるとすそ野が拡がる(母体数が増える)。
・滞在コストを低下させるとヒトは継続してそこに残ろうとする。
スポーツ会場、イベント会場やカジノを作るのはどうかな。描いた絵図はこう。
①「スポーツイベント、コンサート、秋葉系コンベンション等を被災地近くで開催する。」
大規模なイベントに対応出来る設備を自治体等主導で作る。その会場使用料を自治体が負担する。
- 周辺の消費需要が増す。(輸送、移動、滞在、宿泊、飲食、土産等買い物)
- 参加者が行きたくなる仕組みが必要
→ これは被災地域の費用負担を下げ、参加者のインセンティブを高めるために輸送、移動コストを低減する。
- 新幹線やJR特急の料金を下げる。(往復の場合のみ等にしないと踏み台にされる?)
→ それにより、安くいけるんだから(行った先、すなわち被災地で)ちょっとぜいたくしよう。という
インセンティブにもつながる。
②「カジノを常設する」
- 治安の悪化を防ぎ、安心して利用出来るような環境作りを行う。
- 現金への換金率よりも被災復興券への換金率を上げて被災地で多く使ってもらうようにする。
→ 被災復興券は特別債権の役割を果たす。こちらもしっかり自治体と国が管理する。
- パチンコは禁止
③「税負担を下げる」
- 住民税を低減させ、そこに定住するヒトを増やす。
- 消費税も被災3県で段階的に設定する。
→ 本各被災地域=0% / 周辺地域=3% / 同県内=5% / 他県等は現在議論されている段階的に引き上げの対象
ヒトが多く訪れる場所にはモノが沢山必要になる。
モノを多く流入させるためにも、前述の輸送コスト低減策が効いてくる。
- 輸送コストは商品コストに反映される。安価で小売業者が仕入れ出来れば値下げもしやすく、また利益の拡大にもつながる。
→ 被災地での商売は儲かるというインセンティブになり、そこで商売するヒトが増える。
→ よりモノが必要になり、ヒトも増加していく相乗効果が期待出来る。
→ こうしてカネも動くようになり
- 宅配便等にも補助金を出して集配所の運営費を自治体等で負担する。
被災地で商売するとすごく得をする仕組みを用意する。
→ 本社を被災地に置き、総従業員の勤務地として最も多い人数を設定させる事で脱税目的の移設を防ぐ対策が必要かもしれないけど。
◎結論
ヒトを集めるだけで、モノとカネは自動的に集まってくるんじゃないかな。という事
素人だけど、こんな考え方がもし復興の参考になったら、それはとっても嬉しいなって。
1.で何もかも自治体や政府負担を勝手に描いた。そんなに都合良くお金がポンポン出てくるわけがない。
だからそこに義援金の多くをあてがう方法ではどうか。お金の都合は主に以下で行う。
・義援金
・消費税段階値上げ分の充当
債権は少しづつ自治体と国で返済していく形しかないだろうけど、金余りの不況が長く続いた今、長期の優良債権は確かに需要があると思う。
まがりなりにも円が対米ドル高めで推移しているから外資も食指を伸ばしてくれそうだし…(というのは甘々か?!)
私のクラスタでは東電解体!とか電力の寡占許すまじ!な空気があったりして、概ね賛成なのだけれど、ここは一つしばらく放置と言う案はどうか。
東電は電力株と呼ばれ市場では高配当で株価が安定していると定評があった。
都バスが電力株の配当で経営を維持していて赤字転落のニュースは記憶に新しいが、本来高配当安定株だった。
じゃあ、いうなれば、東電は元々そのビジネスモデルで銀行からいくらでもカネを引っ張れる優良企業の筆頭だったわけ。
今回潜在的リスクが莫大な被害と損害をもたらしたわけだけど、その業務継続にどれだけ不安があるのだろう。
1兆でも10兆でも銀行から借りて、50年でも100年でもかけて返済するプランを作ってはどうか。
有利子負債を多量に抱えるので経営は苦しくなるしこれまでのように従業員や幹部にぜいたくはさせられないけれど、それでも事業は継続していけるんじゃないかな。
そのお金で補償や放射能除去、原発の今後の運営にかかる費用をまかない、しっかり返済していくのがいいと思う。
前述した復興券と同様、市場に不足した長期安定商品になると思う。
トンデモ案かも知れないけれど、東京以外の電力6社にもカネを出させると言う手があるかもしれない。
もし東電解体なんてことになればお前らも道連れだぞと脅す形で。
電力全社上げたら10兆ぐらい行かないかな。その辺のスケール感覚皆無なので適当書いてます。
放射線量が高い地域を思い切って封鎖して、その土地から建物までを東電に買い上げさせてはどうか。
立入は自己責任で。封鎖後のエリアは消防警察その他一切行政の支援は受けられない。
ここまで言えば必要なものを持ち出した上で人は住まないと思う。リアル北斗の挙状態だから。ヒャッハー
そして、原発を含むその地域を浄化する事、その一点に集中して力を注ぐ。
世界中から実用化済技術をどんどん試そう。眉唾や実験的なものでもいい、どんどん受け入れてみてはどうか。
既存のフィルタ除去方式やひまわりのタネ撒きまくリング方式、イスカンダルに設計図取りに行ってもいい。
この機会はまたとない実用実験なんだ。どんどん募集して世界に貢献し、技術に助けを求めてみてはどうだろう。
日本の独自技術として放射能除去を実現すればまさに「日本の奇跡」として核抑止力に対する一定の影響力を持ち、100年の悲願、国際発言力に貢献するかもしれない。というのはまさに夢物語ではあるが。
こんな文章を書いたのは日本政府が、被災者を含め日本人が、あまりにも長く思考停止+場当たり対応に終始していて、とても不満で不安でしょうがないからなんだけど、書いた内容としてはみんなヒトモノカネの動きをちゃんと考えて行動しようよ。
ってことなんだ。
無理やりカネを流し込んで復興するのか?
大声で「がんばろう東日本!」と叫んで頑張れるのか?
おれは、ちがうとおもったんだ。
東京都議会の条例改正によって影響があるアニメ・漫画・ゲームの例
http://tokyo.cool.ne.jp/jfeug/siryou/togikai_eikyou.html
http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/10_eiga_tosyo_ichiran.html
東京都の規制の対象は、「児童ポルノ」ではないです。「18歳未満のキャラクターの性表現を肯定的に描くこと」です。
ポルノに限ってはいません。それを「児童ポルノ」と報道すると印象が変わり、報道によるミスリードが起きています。
http://twitter.com/honeyhoney13/status/10545935767
http://blog.livedoor.jp/nob_kodera/archives/2487793.html
http://tadashiniji.blog54.fc2.com/blog-entry-36.html
アメリカのコミックコードと同じく、台湾にも1966年頃に"漫畫審查制度"というのがあって。
しかもコミックコードよりたちが悪い。"現実にありえないこと"も禁止されました。
アメリカはスーパーヒーローと喋るマウスが生き残ったけど、台湾はほとんど全滅。
その間に日本の漫画が輸入されて、日本の漫画がメインになりました。(海賊版ですが…)
1987年頃に漫畫審查制度が廃止されたけど、台湾の漫画界はもう一からやり直ししかない状況になりました。
1992年頃に新著作權法が実行され、出版社が日本からライセンスをとって、日本の漫画が表舞台に躍り出ました。
そして、台湾の子供は翻訳した日本の漫画とともに成長し、今に至る。
日本でも、児ポ法はエロゲーだけではなく、アニメと漫画も影響されると思います。
さすがに台湾のようにはならないと思うですか……
http://www.geocities.jp/laugh_man_is/dai4kai.htm
http://www.konest.com/data/korean_life_detail.html?no=2882
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%BC%AB%E7%94%BB
韓国も1966年合同出版社が設立、1968年に児童マンガ倫理委員会が発足(のちの刊行物審議倫理委員会マンガ部)し
厳しい事前検閲が行われた結果、質の低落と海賊版マンガの流通に拍車をかけた。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0903&f=national_0903_016.shtml
日本では多様なジャンルの漫画が発達しているが、韓国はなぜそのようになれないのか
http://blog.naver.com/gato_tv?Redirect=Log&logNo=90065895023
http://wiredvision.jp/archives/200307/2003072408.html
40年前にこの法律があったら、ハレンチ学園はかけなかった。マジンガーZなどは国際的にも評価されているが、ヒロインの性的な魅力がポイントになっている。
たとえば違う犯罪があって家宅捜索されたときに、別件でしょっぴくことはあり得る危険な法案。日本のマンガが発展し、アキバに外国人が押し寄せてきているのは、日本は魅力的コンテンツが自由に描けることが大きかった。韓国では規制が厳しく、マンガの発展が30年遅れてしまったといわれている。
日本にはハリウッドと同じぐらいの宝がある。これは世界のコンベンションでもよく言われる。若い人がそういうものを描いてみたいという思いが、可能性を広げている。
日本は資源がない。知財は未来に重要。規制されてマンガ産業が疲弊してしまった、らつまらない国になる。おもちゃ、テレビ業界などに影響をおよぼすものである。
http://news.livedoor.com/article/detail/4201570/
http://www.menscyzo.com/2009/07/post_137.html
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2788.html
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2788d.html
Rapes (per capita) by country. Definition, graph and map.
http://www.nationmaster.com/graph/cri_rap_percap-crime-rapes-per-capita
http://kangaeru.s59.xrea.com/G-youjyoRape.htm
http://okwave.jp/qa/q3118668.html
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-2221
日本と外国との比較で、なぜ、外国の性犯罪率が高いのでしょうか?
http://okwave.jp/qa/q5541554.html?order=&by=
エロゲが性犯罪の増加に関係ないなんて証拠はあるの!グラフの見方で変わる統計学
http://plaza.rakuten.co.jp/fantag/diary/200907030000/
非実在青少年なんて、こんなのネタだろと思っていた。出版社でもどうせ民主党が反対するだろうと言っていた。
しかし状況を聴くと、このままだと通るということがわかってきた。宮台真司 氏、東浩紀氏にも相談したが、このままだと通るという。その時点で全然報道されていない。検索したが、当時痛いニュースぐらいしか出てこなかった。
そこでいろいろ情報をまとめて、ブログはやってなかったのでMixi日記にあげた。知り合いの記者に連絡したが、記者もこの問題を知らなかった。知ってたのは1人だけ。知ってはいるけど通らないんじゃないかというぐらいのことだった。
このような性急なスケジュールの中で、条例が決められていく。規制したいとしても、このような形でこんな大きな影響を与えるものが決まって良いはずがない。都の方では「強姦」や「みだりに」といった表現で押さえているという。
改正案に元々ある8条1号には、図書以外にゲームなども入っている。実際もう規制は行なわれている。今まで野放しになったものを取り締まるというが、嘘である。「みだりに」は、いくらでも「みだりに」解釈できる。
東京都に問い合わせた人によれば、「規制対象など細かい規則は条例が通ってから考える」という。たとえば16歳の女性と30歳男性の真摯な恋愛をどう扱うかと質問したところ、「今後検討する」という。16歳と30歳の恋愛は、議論の余地があると都は考えているということだ。
問題にしているのは、18歳未満に見えるキャラクターの性を肯定的に描くこと。子どもを守るのをお題目に、道徳的な取り締まりをしたいだけではないか。さらに児童を18歳未満と規定していることも問題。児童ポルノといえば、ものすごく小さな子どもを対象としているイメージがあるが、それをそれを利用しているのである。
本当に取り締まったら犯罪が減るのか。逆の統計のほうが多い。規制強化すれば性犯罪は増える。一概にこれが原因とは言い切れないが、事実。
たとえば性犯罪による犯罪率は、韓国11人 米国6人、日本1人。規制が厳しい順に犯罪率が高い。たとえば食べ物が潤沢にある場合は人のものまでとらないだろう。つまりは同じことである。
欧米では規制強化が高い。世界で一番発達したマンガ文化と市場を持つ日本から、発信していくべきだが、現状は全く逆。ブラジル会議では、日本5000億円がマンガ産業、このほとんどが児童ポルノでしめられていると報告された。実際には本当に一部である。
今後この議論は、また巻き起こってくる。表現と社会について、論議を深めていくことが求められる。表現の自由は、戦前に自由にものが言うことができないとどういうことになるかというのを、日本人は一番知っている。どこよりも大事だと知る文化がある。それがこんな文化を産んでいる。
表現には、悪いことも描かれている。悪い感情も抱き止める力になる。自分のマイナスの感情をどこにいっても否定されたら、犯罪者になるしかない。マンガがそれを抱き留める力を持っているから、日本の性犯罪率がこれだけ低いと考える。
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英紙フィナンシャルタイムズ(9月9日)速報に拠れば、中国はオフショア市場で初めての人民元建て国債を発行する。
香港のオフショア市場を利用して総額60億元を世界の投資家から調達、発行は9月28日。ただし利率、償還期間の詳細は不明。
これは中国の通貨戦略の具体的発動で、自国通貨のハードカレンシー化への第一歩であり、注目される。
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ウラジオストック、ナホトカ紀行(その3)
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(承前)
ウラジオストックの中央広場にあるフェリー乗り場からおんぼろフェリーでルースキー島へ上陸して驚いた。
道路はぬかるみ、舗装は溶けて泥道、大雨のあとの水たまりの悪路を日本製のランドクルーザーが進むが、生い茂った森林の伐採作業場ばかりが続き、激しい凸凹道に車酔いを感じながら一時間後、ようやくイベント会場となる現場に到着した。
普請の騒音が高い。
現場は日本製のクレーンが林立している。ブルドーザ、シャベルカーも殆どが日本製だ。そうか、日本抜きにして開発は成り立たないんだ。
建設現場の横に長い看板、「2012年APECサミット会場」(ロシア語)がなければ何の工事かよく分からない。俄かづくりの観が否めない。アゼルバイジャンなどからの流れ者労働者が混在している理由も分かる。
建材や鉄骨が臨時の波止場に積み上げられ、労働者が居住するプレハブのマンションが周囲に建っている。「でも冬は零下二十度になるというのに、あんな住宅で大丈夫か」と問うと「真冬は工事が中断」という答えが返ってきた。会場になるコンベンションホールも外国代表の宿泊予定のホテルも、まだ影も形もない。
ふたたび鋼鉄が錆びてぼろぼろのフェリーでウラジオストックへ戻る。80歳を越えた老女がスターリン勲章を沢山つけて誇らしげに入ってきたので、意地悪な質問。大祖国戦争って何ですか。
▲ビルが林立して壮観だった
さて船から市内を眺めやるとウラジオストックは意外にも高層ビルが林立して壮観である。港には軍艦が三隻、写真を撮っても誰も咎めなかった。
瀟洒なレストランで豊饒なメニューの昼飯のあと、名物の「潜水艦C56博物館」を見学した。戦争博物館を兼ねる。
展示内容が「大祖国戦争」と「第二次世界大戦」ばかりでソ連軍の満州侵略に触れていないのはロシアの歴史観だから仕方がないにせよ、「日露戦争」の記述があまりにも少ない。ガイドに理由を問うと「あれ(日露戦争)は『小さな戦争』ですから」と答えたのには驚いた。
翌日、立派な高速道路を飛ばしてナホトカへ行く。
ナホトカは狭い町で展望台に登ると港湾全体が見下ろせる。
港は撮影禁止と聞いていたが、軍事施設もなく、石炭のバージ船が沖合待ちをしている程度、かつて日本のバック・パッカーの出発点だったシベリア鉄道の始発駅は閑散としていた。
ナホトカで一番大きなホテルは中国資本の遠東大飯店(ユンドァン)という。わざわざ見学に行ってみたが、ほぼガランドウに近く、対岸側にあるチャイナ・タウンの長い長い商店街も人が殆どいない。門前の四階建てのホテルは中華風のつくりだが、そもそも中国人客の姿がない。
▲チャイナタウンは火が消えていた
中華門の傍で焼き鳥を焼いている中年男に「中国人か?」と訊くと「そうだ」。
「商売はどう?」、「うぅん最悪に近いな」。「中国人を殆ど見かけないが?」、「そうさ、北朝鮮、キルギス、ウズベキスタン、そしてアゼルバイジャンからの安い労働力に奪われ、殆どの中国人は帰ったよ」と言う。
われわれ四人組が泊まったのはナホトカで高級な、ガイドブックにも出ているピラミッドホテル。だが、これとて民宿に近い。地下のレストランは客も疎らで、ウラジオストックの繁栄ぶりに比べると天地の開きがある(ただし味は旨かった)。
ナホトカの町を歩いている女性のセンスも田舎風で流行遅れ、所得格差が歴然としており市内唯一のデパート「グム」を見学して品数の貧弱さに唖然とする。書店は絵本と小説くらいしかない。村上春樹の翻訳? ナホトカでは見かけなかった。
2006年に524人の遺骨が収容され、慰霊祭も行ったというナホトカの日本人墓地は台座が毀され荒れ果てていた。
慰霊祭から僅か三年後、お墓だった場所は草ぼうぼう、日本人墓地の標識は落書き、おそらく大理石だった台座がインテリアの飾りにでも使うのだろう、殆ど盗まれて、まるでハゲタカの被害にあったような荒廃ぶりである。
ウラジオストックにあったお墓のほうが立派で、墓園の入り口には花屋もあったのに。
ホテルの裏にこれ見よがしにあった日ロ友好の壁が虚しい気がした。
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通巻第2703号
コンベンションに参加してての実感として、やはりCRPG(コンピュータ・ロール・プレイング・ゲーム)の影響が強すぎ。
街に行ったとき、単に「話を聞く」とかをすれば情報が集まると思っていたり、モンスターと遭遇したら何も考えずに「戦う」と選択してしまったり。
状況に対しての選択肢が、演じずに選べるコマンドレベルに限定されてしまっている。
もちろん演じさせる手段としては、NPCが訳のわからない話を延々として、対象と会話をしなければ引き出せるはずが無いことに気付かせるとか、モンスターに重要な役割を持たせて殺すと解決できない事が「最後に」わかるとか、そもそも突っ込むと死ぬとか、いろいろありますが、それでは教育効果は薄い。
つか楽しくないよね。
かといって、それらを説明してしまうと「コマンドが増える」だけで、やはり意味が無い。
GM側も、これまでの話の積み重ねや場面説明で罠の存在に気付けるように仕向ける、つまりは「物事にきちんと意味を持たせる」ようにしないと、先に進むたびに六尺捧で地面を突くはめになる。
状況に応じて判断し、なるべく自然な、そしてベストと思える行動を選び、そうしたシーンの積み重ねで物語を作って行く、その課程にはサイコロを振るような要素は少ないほどTRPGは楽しいのだと思うけれど、それをとくとくと説明しても、きっと楽しくない。
ロールプレイは医療分野でも効果が認められているし、教育で使うのも悪くは無いと思うけれど、TRPGで「楽しめる」レベル域に達するのはかなり大変ではなかろうか?
でもまぁ、浅いレベル(モンスターを倒す、強い武器が手に入る等)から楽しめる「ハック&スラッシュ」が売りのTRPGとかから入って、徐々に会話中心にしていくって手もありはするのかな。
気の長い話だけど・・・・
「クトゥルフの呼び声」みたいな「お約束」を楽しむTRPGとかは、教育効果薄いだろうな。w
いあ!いあ!くとるぅふ!ふたぐん!!
いあ!いあ!くとるぅふ!ふたぐん!!
いあ!いあ!くとるぅふ!ふたぐん!!
http://anond.hatelabo.jp/20070620001103 を書いた者です。
エホバの証人が応えるんじゃなくて、あくまでもオレが応えるということでお願いします。
まずは http://anond.hatelabo.jp/20070620002148 から
あー、あるかもしれないなあ。エホ証内では男性信者("兄弟"と呼ばれる)は色んな役割("特権"と呼ぶww)を与えられるんだけど、オレも集会で協会の出版物を朗読する当番が当ったりするのね。で、時々、翻訳調の面白い言い回しがあって笑いそうになったりする。というのも、協会の出版物はアメリカの世界本部にいる偉い人(皆平等という建前ではあるけど)が書いてるはずなので、どうしてもアメリカ視点が入るんだと思う。挿絵とかの人種に関しては、最近のはアジア系もきちんと書かれてる気がしますけどね。写真は確かに黄色人種少ないかも。書いてて思い出したけど、何年か前の地域大会(一年で一番規模の大きいコンベンション)の主題が「神の命の道」から「神の生き方」に変わったことがあったんだけど、これは"God's way of life"の訳し間違いだったらしい。アメリカ主導なんやなって思ったのを思い出した。
工業系の高専しか出てないのであまり知識はないんだけど、イスラムってイエスをメシアと認めてないんでしたっけ、その辺気になるんじゃないっすか、"キリスト"教としては。というか、同根だけどいがみ合うものなんていくらでもあると思います。元祖・本家の争いとか。キリスト教とイスラム教 の対立じゃなくて キリスト教徒とイスラム教徒の対立なんじゃないっすか? 人ですよ人。
・教義も知識であり、経済知識も知識である点について(勉強して、他人を受け入れる素地さえあれば経済系につよい弁護士かフィナンシャルプランナーに相談すればよかったのでは?)
確か借金に関しては弁護士に相談してたはず。そっちにもっと感銘を受けてたら今頃司法試験に受かってたかもしれないですね。でもそれは「たられば」だし今結果として自分の状況があるわけだからそれを否定する気にはなれないなあ。
お金を持っている人ほど他人に寛容、他人を信用するという話がある、その良循環に外から飛び込むツールとしては宗教はよくできているが、政党という形になって(特にアメリカで)科学的、論理的な事柄に対して圧力を加えるのがマイナスである。もっといいとこ取りすればいいんジャマイカ。たとえば、奥さんも子供さんも神権うんぬん以外の実用になる資格を取るつもりはないのか。TOEIC800点とか、それだけアメリカの時事に詳しければとりやすいぞ。
ふむ、宗教一般としての話ですか。宗教が政治に圧力を加えるのはどうかという事なんだろうけど、宗教以外の圧力団体はどうなんでしょう。アメリカだと、ライフル協会でしたっけ? その辺とか。圧力をかける根拠が宗教上の信条より金儲けしたいという気持ちの方が理解しやすいって事なんですかね。そのどっちがいいのかはよくわかりません。あと、読み違えられたのはこっちも悪いんだけど、オレは結婚してないし、開拓してるのはオレの母とオレの妹です。それと、アメリカの時事に詳しいというのはどこから?
http://www32.ocn.ne.jp/~japandollworld/index.html
東京都浜松町 都立産業貿易センター5階第一展示室
http://www.sanbo.metro.tokyo.jp/access/access_hama.html
【 開 催 日 】
2007年
6月 9日(土) 11時??17時
10日(日) 11時??16時
★ 同時開催 ★
ミニチュアショー』
テーブルトークRPGってのは想像以上に手間と時間と気力を使うので、かなり意識的にやっていこうとしない限りは仕事や家庭を持つようになっても定期的に続けるのは難しいよね。
全くTRPGに限った話じゃないけど、お互いの人生観や人間に対する見方とか問題解決のやり方とか、要は世界の解釈の仕方が垣間見える(ような気のする)遊びだし、俺はひたすら内輪でサルのようにやっていたんで、コミュニケーションも濃密になるし、キャンペーン何本も走らせたりしてるとエピソードの蓄積もかなりの量になる。だから、就職したり結婚したりして全国に散ってしまって、時間も10年以上経った今でも、たまに会う度にその頃の話してはゲラゲラ笑える。
むむ、こうしてみると、TRPGが楽しかったというより、ダベるネタ生成装置として機能してたんだな。最近どっかで読んだ「コミュニケーションには肴が必要」ってやつか。
TRPGをするために生きているような時期さえあって、メジャータイトルからマイナーなものまで結構あれこれ手を出していたのに、コンベンションに行ってみようと思ったことすらない。TRPGが内輪のコミュニケーション強化のツールになってて、実はツール自体はどうでも良かったんだろうな。自分の中の際限のない妄想にある程度の規制をかけて他人と共有できるようにするために、システムのジャンルとか、ダイスとか、能力値とか、キャラシートとか、戦闘ルールがあった。
馴れ合いしまくりの面子の割には、たとえ厳密に適用すると展開として盛り上がらない方向になってしまったとしても結構ルールとか判定にシビアだったのは、そこがいい加減になると共有することが困難になってしまうことが何となく分かっていたからかも知れない。
多分今はMMORPGがその役割を果たしてるんだろうなあ。もちろん、色々違う面はあるんだろうけど。液晶ディスプレイの前で、あんまりそのゲームと関係ない話をチャットでしたりしながら、それぞれダベってたりするのかな。現実との境はTRPGよりもはるかにはっきりしてるから(その分、帰ってこなくなってしまう事もあるらしいけど)、少なくとも場所に関する制約からは解放されてるから、TRPGよりはやりやすい面もあるよな、きっと。
やたらと重たいルールブックは大半処分してしまったし、20面体のサイコロなんてもう一生使うことは無いかも知れないけど、多分20年後でも、あのセッションの時の事しゃべってバカ笑いできる。楽しかったよ、ありがとな。