はてなキーワード: 絶滅とは
絶滅の森 〜アマゾン最後の民シクリン〜という番組でこういうシーンがあった
ある男「娘と結婚したい」
娘の父親「成人の儀式を受ければ認めてやる」
(翌日)
部族長らしき男「男として認められたければ、痛みに耐えろ!」
(踊りののち、スズメバチの巣へと向かっていく。男の母親は儀式の最中自分の体をナイフで傷つけていた)
シクリンという部族では痛みに耐えられない男は男でないという暗黙のメッセージが漂っている
日本でも、ぐちを言う男は嫌われ、ぐちを言いたくなる状況でも言わないように我慢してないと、女から恋人対象の男として見られることはない
男は男として認められたければ、どんな時も我慢して耐えるしかない
でも、我慢には限界がある
現実的に考えてみると、プッツン切れることは社会的に非常にまずい
下手すれば警察沙汰だ
それを避けるには自殺するかない
一部の国を除き、男性の自殺率が高いのは自殺する以外に手段が限られていることが原因なのかもしれない
男性の自殺率を下げるには我慢しないと男性として認められないという状況を変えるほかない
だが、フェミニストたちは男性の声を上げるだけで抹殺しようとする
それ以外の女たちも我慢しない男は男として認めない
頼るべくは周囲の男たち以外に道はないのだが、恋愛したければ、我慢しないといけない状況ある以上、頼りになりそうにない
リマインドしようにも、これを書いた人(=自分)の学力だと読めない本だったから無理。無理ゲーだった。
第一章
1
意味論的に透明なシステムと結びついた心の概念および計算機モデルを意味する。
この主義の限界を
2
チューリングの形式化が持っている特徴
(1)物理的組織によってではなく、記号操作の形式的特性によるメカニズムの集合全体を包括
(2)そのメカニズムがいかにすれば十分に明確化された問題すべてに取り組むことができるか示している
(3)万能チューリングマシンを定義する方法を示している
⇒ 素材は重要ではなく、形式的特性が能力を原理的に保証している
フォン・ノイマンがコンピュータを設計し、1960s、ジョン・マッカーシーがLISP(プログラム言語)を開発。
⇒ 研究開発が可能に
A・ニューウェルとH・サイモンが物理記号システムという概念を提出
⇒理論的に自覚化・明確化される
3
・物理記号システム
①適切に操作可能なトークンに対して任意に意味を割り当てることができるシステムであり、
②正確にプログラミングすればこの割り当てられた意味論的内容と細かい点においても一致した仕方で行動すると信じられるようなシステム
by 1976 ニューウェル & サイモン
・強い物理記号システムの仮説
SPSS strong-physical-symbol-system
「標準的な記号アトムのフォン・ノイマン型の操作を行っている仮想機械は、一般的な知的行為を実現するための直接的かつ十分な手段を持っている」
①仮想機械
そのプログラムに我々が命令を与える機械を模倣させるような「機械」
・記号を割り当てる
・変数を束縛する
・記号列の複写、読みとり、修正
等々
③標準的な記号アトム
④一般的な知的行為を実現するための直接的で必要かつ十分な手段
そうした機械は、それを支えている特定のアーキテクチュア(その基盤になっている他の現実的もしくは仮想的機械から)まったく独立に真に知的でありうるのであり、逆に言えば他のアーキテクチュアや機械をシュミレートすることなく真に知的でありうる
4
このような主張(標準的なLISPのアトムのごちゃごちゃした操作が、知能や思考の本質を構成しうるという見解)が、ニューウェルとサイモンのものだとできる動かぬ証拠は、彼ら自身の実践。
彼らの仕事の特徴(例:BACON)
・規則あるいはヒューリスティックス(発見的手法)の直列的(経験則を用いたも多少は運が左右する⇔体系的)適用に依存している
・そうしたヒューリステイックスの大部分が、かなり高いレベルで意識的に内省可能
・選ばれた課題領域を扱う
BACON:一連のデータから科学的法則を帰納する(ケプラーの第三法則、オームの法則)
・BACONが取り組んだデータをフォーマット化下のは、人間の労苦
・BACONは十分に構造化された課題にしか取り組めない。
ケプラーの第三法則は見つけられても、ペトリシャーレのカビとバクテリアの関係からペニシリンを発見する事はできない
・BACONが展開する知識とヒューリスティックスは、人間のプロトコルや実験記録に大いに頼り、われわれが自分自身の思考について内省する思考のレベルからかなり直接的にコード化されたもの
⇒この種の思考は原初的で瞬間的なプロセスの上に後から被せられたもの。理解するということを具体的な例で説明する事には役に立たないであろう
サイモン等は、人間の思考のすべてがただ一つの種類の計算アーキテクチュアに依存すると信じている。
しかし、筆者は違う考えを持つ。サイモンとラングレイの仕事では、洞察のひらめきといったタイプの認識を表現できない。
心は、多くの仮想的アーキテクチュアからなる複雑なシステムであると考える
知的課題や、感覚運動的な課題のような、なめらかに無意識的に行われるものは無視されている
5
古典的システムは記号アトムの使用に頼り、コネクショニズムはこれを避ける。
古典主義者:意味論的に透明なシステムの構築に対して、方法論的にコミットしている人々
STS semanttically transparent system
「システムの振る舞いについての記号的な(概念レベルでの)意味論的記述と、システムの形式的な計算活動の内的に表現された対象についての投影可能な意味論的解釈との間にきちんとした写像関係の記述が可能な場合にのみ、そのシステムは意味論的に透明であるといえる」
きわめて大ざっぱにいえば、あるシステムかSTSと見なされるのは、そのアルゴリズムの記述(レベル2)における計算の対象が、概念的レベルの用語で表現されたその課題の分析の記述(レベル1)と同型である場合である。
(レベル1:計算理論:(高い抽象レベルにおいて)どのような関数が計算されるかについての考え
レベル2:表現とアルゴリズム:それを計算する(具体的な)方法
レベル3:インプリメンテーション:現実の機械において計算がいかにして肉体あるいはシリコンなどで実現されるか)
(1)古典的理論は――コネクショニズムはそうではないが――統語論と意味論を組み合わせた記号システムを仮定している
(2)もし何らかの種類の構造化された表現が利用可能であれば、それらの表現についての計算操作を、その構造に鋭敏に反応するかのような形で規定できる。
もしそのような構造が存在していなければ、(すなわち、どんな記号表現も存在していなければ、)計算操作を規定することはできない
◎要するに、古典的システムは、統語論的に構造化された記号的表現を仮定し、そうした表現の構造によって、それに適用される計算操作を規定するものである
第二章
1
ドレイファス:古典的認知主義の問題は、人間の常識的な知識を表象として再現し表現しようとする形式主義の妥当性
サール:形式的なものと志向的なものとの間に、あるいは統語論と意味論との間にギャップが認められる
この二つの種類の懸念について検討する。
2
「あなたの持っているのはそんなにいいボールじゃないわ。それを私にちょうだい。そしたら私、このキャンディーをあなたにあげるわ」
この言葉を理解するために、ミンスキーちとパペートは膨大な概念のリストをあげる。
ウィノブラードのSHRDLUでは不十分。
・フレームは、常識がうまく対処している偶発的出来事のすべてをカバーしているとは思えない(バースデーケーキに立つ黒いローソクに、フレームは対処できるか?)
・フレームからフレームへの移行を促す規則(メタフレーム?)をいつ適用すべきか、システムはどうやって知るのだろう?
ドレイファス:互いに関連しあった特徴や可能性のすべてを、文脈に依存しない事実や規則によって形式的に把握するという課題には際限がないのではないか
3
・ドレイファスの二つの主張
(1)身体問題
「このシャンプーが目に入らないようにご注意ください。もし入った場合は、ぬるま湯でよく洗ってください」
コンピュータは、身体、欲求、感情、共通言語や社会習慣も持たない。だからコンピュータは、この文章が何を洗うように言っているのか理解できない
(2)コード化
人間は自分たちを取り巻く状況がどんなものかを絶えず感じ取ることができる。
このノウハウは、何らかの知識表現言語によって、一種の知識として表現できるものなのだろうか?
AIプログラム(=言語)が知識を表現する仕方が、現実の課題に対して根本的に不適合だと懸念する。
4
「強いAI仮説」を、サールは批判する
強いAI仮説:適切にプログラムされたコンピュータは、文字通り認知的な状態をとり、その際プログラムは人間の認知を説明するものとなる
Schank and Abelson 1977の、「ストーリーを理解するという志向的活動をシミュレートしているかに見える特別なプログラム」に対して、「中国語の部屋」を使うことで批判する。
サール:形式的に区別される要素に対する計算操作を行っているだけでは、どんなコンピュータも〈理解する〉ことはできない。したがって、そのような計算操作を規定するプログラムが、心の固有の性質について何かを示すこともあり得ない。
具体例:英語話者が英語を理解することと、中国語の部屋の操作者が中国語を「理解すること」の比較
「人間は何も理解していなくても形式的な原理に従うことができる」
以下、サールの誤りについて論じる
5
サールに対する仮想反論「脳シュミレーター説」
脳シュミレータ説:あるりプログラムが中国語を理解する実際の中国人の形式的な構造をモデル化したと仮定すると、そのときそのプログラムは間違いなく真の中国語の理解を構成したことになる
↑(サールの再反論)
(1)脳の形式的な性質は志向性を構成しない(三章にて説明)
(2)脳の形式的な性質が志向性を構成しないのは、ある種の素材だけが思考を支えることができるからである
↑(アナロジー)
光合成:光合成の形式的な記述を手に入れても、素材が違えば光合成は再現できない
では、思考をもたらすような脳の物理的性質とは?
:外因的および内因的な刺戟に対して脳に大規模な変動が引き起こされること
↑(コメント)
『中国語の部屋』が大規模な構造的変動を必要としないシステムなら、中国語の部屋による反論は無効
6
微視的機能主義
機能主義は、心的状態の本質を、
入力、内的状態の変換、出力からなるプロフィールと同一視した。
(適切なプロフィールを持つシステムはどんなものであれ、その規模や性質や構成要素にかかわれなく、当の心的状態を実現するであろう)
↑(批判)
(中国国家脳のような)心的状態を実現する見込みがないようなシステムも、「入力、内的状態の変換、出力」のプロフィールを持つシステムへと組織することは可能であるよように思われる。
こうした極端な寛大さは、機能主義の立場を掘り崩してしまいそう
・問題は、「入力、内的状態の変換、出力」の系列をどこに位置づけるか
×大まかなレベルに位置づけ
⇒感覚質の欠如、極端な寛大さ
△ライカンの「小人機能主義」
○微視的機能主義
・機能主義の批判はゲシュタルト盲に陥っているのでは Lycan 1981
:機能的な構成要素があまりにも大きい、極度に小さい、それらしくない等であるために、そうしたものからなるシステムに志向性を帰属させるという考えに抵抗するということ
(ライカン「小人機能主義」
:機能的な下位システムは、それがエージェントのために何をしているかということによって同定される)
微視的機能主義
内容や目的に関連づけからはかけ離れた用語で
記述しようとするもの
・諸関係が得られたとき、システムには大規模で柔軟な構造的変動が引き起こされ、またそれによってさまざまな創発敵的性質が得られるようになる
第三章
1
2
「民間心理学」
:自分や他人が、信じたり、希望したり、恐れたり、欲求したりしているということについての日常の理解
民間心理学は、行為・運動を説明するときに、信念や欲求という表現を用いる
「民間心理学は、人間の行動に先立つ内的原因についての素朴で原初的な科学」
3
(1)民間心理学は、偏狭な、特定の人々に限定されたような理解しか与えない。
民間心理学は、子供や狂人や外国人を前にすると、まごついてしまう
(2)民間心理学は停滞したまま、なにも生み出さず、長い間ほとんど変化も進化も発展もしていないところが他の諸科学と異なる
(3)民間心理学は、これまでのところ科学の主要部分にうまく統合されていくような徴候をまったく示していない。残念なことに民間心理学は自然を神経生理学的ないみで妥当な要素にまで分割することには関心がないようである
最近の分析哲学
:頭の状態に関する科学理論というゲームと、民間心理学というゲームを比較することが、そもそも不適当なのではないか
4
Daredevil believes that Electra is dead.
Mary hopes that Fermat's last theorem is true.
のthat以下を、心的状態の内容と言う。
心的状態が考えられる傾向
:われわれの心理学的状態が、本質的に、周囲の世界がどのような状態にあるのかということによって決まるのではなく、
われわれにとってどのように見えているかによって決まる
↓(言い換え)
我々の意識や無意識に何らかの形で影響を与えられないものはどんなものであれ、
本質的に我々の心的状態の正確な限定に関わることはあり得ない
⇒我々の心的状態が現に持っているような内容を持つものは、われわれ自身のあり方ゆえであって、
知られていないかもしれないような周囲世界の事実とは関わりがない……☆
・双生地球……☆に対して疑いを投げかける
双生地球で、「海に水がある」と発話される。
地球A:海にH2Oがある
地球B:海にXYZがある
この違い以外は同質だとする。
すると、
地球上の発話と双生地球の発話は、それぞれH2OがあるかXYZがあるかによってその真偽が決まる
(たとえば、地球Aの海にH2Oがなくて代わりにXYZがあるとしたら、地球Aでの発話は偽になる)
⇒
もし意味が真理条件を確定するのだとすれば、
自然種に関する表現(水、金、空気など)を含む陳述の意味は、
単に主体の限定的に規定可能な状態に言及するだけでは十分に説明できない……☆に反して
二つの選択肢
(1)心理学的な内的要素(地球の話し手と双生地球の話し手に共通)と、
世界関与的な外的要因(仮定上、二つの地球を越えて不変ではない(H2OとXYZ))の両方によって内容が決まるとする、意味と信念に関する合成説
(2)そういったケース(地球と双生地球のケース)は
〈心的状態の純粋に内的でまったく心理学的な要素(☆のこと)〉という観念にさえも疑いを抱かせるものであると考えることもできるだろう
プティ と マクダウェル
「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない。
しかし、
〈頭の中〉にあるものが心の状態に対して構成的関係にあると考え必要があるのだろうか?」
筆者
:あらゆる内容が根本的に世界に関与している(選択肢(2))ということが判明したとしても、
そのこと自体は必ずしも〈認知科学は心の理解に深く(ことによると構成的にではないかもしれないが)関わる研究である〉という主張を覆すものではない
その主張に対する仮想反論と、それに対する再反論をHornsbyは行った。
仮想反論
:「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、
内的構成に違いがなければならない。」
という考えを保持すべきである」とするならば、
心的内容は限定的に規定されねばならない(自然種を指示しない)
(「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、
内的構成に違いがなければならない。」
という考えを保持すべきである」までが、プティとマグダウェルの、「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない」に対応する。)
仮想反論の詳細
:仮定①:
二人の動作主の心的状態は、彼らの行動傾向に何らかの違いがある場合にのみ異なる
(そこに赤いボールがある、と信じなければ、ボールを投げようとは思わない)
仮定②:
行動が異なる(すなわち、行動が異なる)ためには、内的な物理的状態に何らかの違いかなければならない
結論:それゆえ、心的状態に対応する内的な物理的状態に何らかの違いがなければ、心的状態が異なるということはありえない
「(民間心理学的な心的状態を帰属させることは、限定的内容のみに関わることであるという)結論は、深刻な疑義にさらされることになる。
限定的内容といっても、それを妥当な概念として了解できるかは明らかではない」
なぜなら、
「民間心理学的な内容を(物理的状態に?)帰属させることは、身体的な動きを規定するような頭の状態についての独我論的な研究から引き出すことができるような切り口とは
まったく違った切り口で現実を切り取ることであるように思われる。
その具体的理由として、
ボールをひろうことは、「そこにボールがあると私は知っている」という心的状態と関連するが、そのときの細かな指の動きはそのような心的状態と関連するものではない。
5
筆者
:広域的内容を伴うによ伴わないにせよ、
頭の中で起こっていることに関することに関する科学的カテゴリーや分類に
きちんと還元されるなどということは
とてもあり得ないように思われる。
・民間心理学は、科学的心理学と同じゲームを行ってはいないかもしれない
→
世界を記述しない信念であり、なおかつ
ある人が同じ考えを抱いているといえるような別のケースに投影可能な述語が(科学的記述の上には)存在しないことも可能
6
民間心理学の道具立て(信念と欲求という概念によって、命題的態度を帰属せさるという道具立て)を用いて、心的状態を二者が互いに帰属させあうという日常の慣習(傍点)の目的は?
:
他人の頭の内的状態を追跡しようと試みることによって、
その人の身体の動きを予測し説明するための手段
民間心理学の主要な目的
:
世界の中で活動している仲間たちの行動を、(傍点開始)我々が(傍点終わり)理解できるようにすること
(予測したい対象であり主体である)われわれの仲間たちの四つの特徴
①世界に対する感受性、すなわち感覚や生得的な原書的概念の道具立てをわれわれと共有している
②世界をわれわれと共有している
③彼らは我々自身のもっとも根本的な関心と必要の大部分を共有している
④彼らの思考の有用性は、
(我々自身の思考と同様に、)
彼らが世界の実際の有様をたどっていることと関わっており、
彼らの思考作用が、世界の実際の有様に十分適応していると我々が(進化論的な理由から)考えるような目的と関わっている
この特徴があるので、
「~したい」という欲求さえ同じであれば、
・民間心理学は、脳の状態の違い(that かなり目の粗い、行動上の違いとしては現れてこないような)に対しては、敏感に対応しないように設計されている
・民間心理学は、個人の間の差異を覆い隠し、
さらには種の間の差異さえも覆い隠してしまう(長所であっても短所ではない)
7
筆者の見解
:私の見解では、われわれが信念を帰属させるのは、
行動の全体に一種の解釈の網をかぶせることによってである。
……関連する行動を可能にするものとしての、
根底にある物理的あるいは計算論的な構造がどのようなものであれ、
そうした構造における自然な区分に、網の結び目(すなわち信念と、欲求の特定の帰属)が
対応している必要はない。
――
ということは、Davidson(全体論者)に対するFordorの批判は、筆者の意見にも当てはまるのではないか?
<Fordor>
意識の全体論というのは、
「命題的態度の同一性――特に志向的内容――が、その認知的連関の全体によって決定される」
という考え方。
これに、Fordorは懐疑的。
(命題pの認知的連関というのは、主体がpの意味論的評価、すなわちその真偽の決定に関係するすべての命題のこと)
われわれは、信念や志向的状態を共有している。が、そのとき、すべての命題(認知的連関)を共有しているとは思えない。
信念は、その内容をそれぞれ別に持つ。
:信念がその状態を獲得するのは、脳の状態が逐一、世界と因果関係を結ぶことによってである。
「ある生物が『牛』という概念を持とうと持つまいと、その生物は『馬』という概念を持ちうる」
</Fordor>
筆者
:Fordorの間違い
全体論は、もしそうであれば、人間の心の理解が芋蔓式に進んでくれるのにという、いわば願望。
Fordorが軽蔑したものの通りに進んでくれるかは別問題。
Fordor:バラバラになったブロックを一つの全体に組み合わせるやり方が、全員同じになるはずがない。
筆者:一つのブロックの組み合わせ全体を理解するために、各人が別々のやり方でバラバラにしている
全体論という言葉の使い方が違うから、Fordorの批判は筆者には当てはまらない(という、批判をかわすための節)
7
一章3節での、チャーチランドによる民間心理学批判に、今では応答できる。
(3)に対して、
民間心理学の関心事は、他の主体の顕著の行動パターンだけを可能な限り効率的に分離することである。神経科学とつながることを目的とはしていない
(1)に対して、
民間心理学の道具としての適用範囲は、仲間。狂人の理解は、そもそも目標としていない
(2)に対して、
なので、その中核部分が時間的および地理的な次元を越えて相対的に恒常的であり続けてきたことは驚くべきことではない。
整理。
民間心理学には、きちんとした定義がある。
これまで「民間心理学」として使われてきた言葉の、新たな用語法:「素朴心理学」、「メンタリズム的な理解」
8
因果関係と、構成的関係の区別
構成的関係
:
研究の主題と何らかの形で密接に結びついているということ
因果的に関係
:
因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、
それらの要素を差し引いてもそれによって思考という観念そのものが存続しえなくなる
ということはない。
(チェス盤がなくなっても、チェスの続きは打てる。石を駒に見立てたり、口頭で)
9
・消去主義的唯物論:民間心理学が、心に関する科学に対して歪んだ影響を及ぼすのではないか。民間人は自分自身の心を知らないと、消去主義的唯物論は思っている
↑
(構成的関係)
↓
心
科学と心とを結びつける構成的関係。その得難さが二つのスタンスの対立を生んでいる。が、どちらの立場も同じく、認知という地形に同じ隆起とくぼみを見ている。
では、構成的関係とは何か。
構成的関係←→因果関係
構成的関係:研究の主題(この場合は心)と、何らかの形で概念上密接に結びついていること
因果的関係:因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、それらの要素を差し引いても、それによって思考という観念そのものが存続しえなくなるというひとはない
(駒はなくてもチェスは打てる)
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年金問題が少子化対策で解決するかのような言説を振りまいているブログを見つけたので、その問題点を指摘します。
世代間の不公平を煽るなかれ - 経済を良くするって、どうすれば
http://blog.goo.ne.jp/keisai-dousureba/e/7fc431fe1a914ef881dc23a173b67539
はてなブックマーク - 世代間の不公平を煽るなかれ - 経済を良くするって、どうすれば
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.goo.ne.jp/keisai-dousureba/e/7fc431fe1a914ef881dc23a173b67539
以上から言えることは、絶滅しないように、きちんと社会を維持していけば、賦課方式からは「得」しか生じず、「損」が表れることはないということだ。ところが、日本では、小黒さんが言うように「損」が出ようとしている。それは、日本では、緩やかな絶滅の過程である「少子化」が起こっているからだ。つまり、「損」が発生は、少子化を起こしたからなのである。
国民年金・厚生年金・共済年金という公的年金が行き詰っているのは、加速度的に進む少子化だけが理由ではありません。それ以上に、盲目的に信じた右肩上がりの経済成長率・予測が行き詰っていることが大きな問題です。つまり、官僚による経済政策の失敗です。
しかも、日本の高齢者世代は、過去に、給付に必要な以上の保険料を払って、小黒さんが言うところの「事前積立」を行っている。130兆円に及ぶ公的年金の積立金がそれである。
サラリーマンが主に加入する厚生年金の保険料率(保険料/所得)は、2010年に約16%でした。これに対して、1960年の保険料率はわずか約3%、1970年でも約5%でした。つまり、「日本の高齢者世代」は、現役で働いていた時代、今の現役世代よりも相対的にわずかな金額しか保険料を払っていませんでした。
しかも本来であれば、「130兆円に及ぶ公的年金の積立金」よりもはるかに大きな金額の積立金があるはずでしたが、これも官僚が、天下り、福利厚生、保養施設といった無駄遣いによって浪費してしまいました。2008年度には670兆円の積立金が残っていてもいいはずなのに、たった「130兆円」しか残っていないのです。
団塊ジュニア世代は、自分たちの人数の6割しか子世代を残していない。支える世代を、ここまで細らせてしまったのだから、十分な給付を受けられず、「損」を背負うのは、むしろ、当たり前ではないか。
それでは、今現在年金をもらっている高齢者たちへの給付額は半分にしましょう。「支える世代を、ここまで細らせてしまったのだから、十分な給付を受けられず、「損」を背負うのは、むしろ、当たり前」ですから。
それでも、今の高齢者世代は、自分らの孫や子である団塊ジュニア世代を不憫に思って、多少は「損」を減らしてあげようと協力してくれるとは思う。
仮に、持ち家や現金資産などを持つ高齢者世代が、自分たちの息子・娘、孫の世代に資産を残すことを選び、世代間の不均を解消するように動いたとしても、その選択と年金制度を破綻に追い詰めた官僚の責任、および年金制度の見直し(例えば目的消費税財源への切り替え)が喫緊の課題であることとは、何の関係もありません。
団塊ジュニア世代が、この窮地から脱するには、小黒さんの主張する、ほとんど現実性のない更なる負担増による積立金の強化より、少しでも少子化を緩和する努力をすべきである。その具体的な方法は、本コラムの基本内容の「雪白の翼」に記したとおりだ。「損」の本質は、高齢者世代の「得」ではなく、少子化にあることを見失ってはならない。少子化の緩和は、「損」を減らすのに、負担増より遥かに効果的である。
端的にいって、少子化対策は、仮にそれが効果をあげたとしても、それは20年以上先のことであり、その効果もわずかです。
なぜなら、今年生まれたこどもが働き出し、大学を卒業し、税金を納めるようになるには、少なくとも20年以上が必要だからです。しかも、子どもたちを育てるための育児費用、教育費用を負担しなければならないことを考えると、現役世代にさらに負担を押し付けることになります(だからこそ、国や都道府県による育児支援、教育支援の充実が不可欠なのですが)。
また、2010年現在において、高齢者1人あたりを現役世代の3人から4人で支えているとされますが、少子化対策がうまくいったとしても、40年語の2050年に高齢者1人を支える現役世代の数は約1.25人で、2010年の今よりもさらに厳しい状況となることには変わりありません。このまま少子化が進行した場合、支える現役世代の数は約1.1人だそうですが、どれほどの違いがあるでしょうか。せいぜいがやらないよりマシという程度のものです。
痛いニュース(ノ∀`) : 16〜19歳男の約1/3がセックスに「関心がない」「嫌悪感がある」…日本の若者にセックスレスの風潮 - http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1680405.html
skgctom
この調子で真面目な男性や童貞を笑い者にする風潮が絶滅すればいいが、
「なんで”ちゃんと”恋愛しないの?」と言う圧迫を受けた男が
圧迫を押し返せるような語調の強い説明・反論として
という不幸な流れもかなりあったと思うので
かなり同期して減っていくと思う。
もちろんこれと無関係のミソジニーはあるしそういうのは残るだろうけど。
上っ面じゃなくてちゃんとわかっている人教えてください。
▼モバイル版「Flash Player」の開発中止をどう見る?
http://japan.cnet.com/panel/35010348/300015677/
▼Adobeはなぜ失敗したか, Flash-Playerの敗退は歴史の必然だった
http://jp.techcrunch.com/archives/20111109why-adobe-failed/
今後来るhtml5をもてはやす必要もなく、
で“既に代替されている”
html5厨の中にはこのあたりごっちゃにして歓迎してるやつが多数いる
くどいけど、その他の機能はjsとかcssとかhtml5周辺の独自仕様で
解決してることが多いからな!
普通にhtml5が覇権取るにはオーサリングツールがいるんだぞ。
全部含んでるんだ。
html5が現状見えてるのは、
までだ。
「描画系の機能でflash(flex sdk)同等の仕様を用意することになるだろう」
ってだけじゃ劣化flashすぎんだろ。
あとadobe終わったっていってるやつ、
それを一社じゃなくブラウザつくってる各社が実装するんだからな・・・
お前らがflash嫌ってるのと同じ問題が発生して、
flash殺すのはいいけど、html5を中心とした代替環境できんのに何年かかるんだよ。
あと、リッチインターフェース作るのに、いつまでもなんのサポートも受けれないような
jsライブラリ組み合わせて、必死にカスタマイズとデバッグしなきゃいけないのかよ!
業務系のuxデザインつくっていくのに、flex使おうか、html&css中心で行こうか悩んでんだ。
誰か何かアドバイスくれよ…
flexは良いところが多くて工数も減るし、どこかでadobeの5オーサリングツールに乗り換えられるだろうから
普通のweb屋としては、htmlとjsで苦戦しながらも自己責任でスクリプトチマチマいじってる方が、
他にもこの中途半端な状況に困ってる奴いるだろ!
君みたいなタイプの女を
おだてて操ったりなだめて静かにさせたりしようとしてるだけだよw
ほんとに女が強いだなんて思ってないぞあいつらはw
女性は痛みに強いからとか、精神的に強いからなんていって、自分は男で、男って弱いんですよ。
なんていうやつはしねばいい。
このように、あいつらのおべんちゃらをまともに信じて心を動かしちゃうタイプな。
君はあいつらに反発してるつもりかもしれないが実はそうじゃないからなw
まんまとおべんちゃらが効いてしまってる上でいい気になっている。
君のその反応は「私はおべんちゃらがよく効くタイプです」と告白してるに等しいから気をつけな。
このタイプは怒ってる風に見えても更におだてて押しまくればコロンと行くのでちょろい。
強い女はいるだろうけど
「女が一律で強い」わけがないことぐらい落ち着いて考えりゃわかるよね?
あいつらおべんちゃら野郎どもは「女は一律で無能」とか言いたがる男が
ちょっと知恵をつけた存在に過ぎないわけ。
俺はおべんちゃら野郎は嫌いだよ。
一定数の君みたいな知恵の浅い人間が延々とそれを需要し引っかかるからだよ。
なにより
君達おべんちゃらコミュニケーションの共犯者集団が幅利かせてる限り
女にまともに向き合おうとする男やその逆も減るわけだ。
君はおべんちゃら男の言うことに心動かす前に周囲の女を見たほうがいい。
まともな知性の女なら「女は強い」なんてくだらない言説には眉ひとつ動かしてないぞ。
サムスンってすごいと思うのよ。
iPhoneやiPadといったAppleの世界的な売れ筋商品を臆面も無くパクって、挙句の果てに本家のiPhoneやiPadを差し止めようと訴訟とか。
俺個人はパクリモノの GALAXY は絶対買わないけど、日本の家電メーカーの Android 端末なんてもっと情けない代物。SONYのタブレット業界2番宣言とか、東芝のREGZAフォンのスレの惨状とか見てると情けなくなる。
こういう日本の負けっぱなしの状況を悲観して、去年は坂本龍馬なんかが流行ったわけだけど、結局お話を楽しんだだけで、坂本龍馬なんてどこにも現れず。
Amazonの日本進出で日本の出版業界が危ない!黒船だ!って今更何言ってんのよ。Kindleが最初に出たのは4年前の2007年、どう考えてもこの日が来るのは分かってましたぜ。
楽天のRaboo/SonyのReader/ガラパゴスあたりのどれかがiOS/Android端末、Windows PC/Mac(要は全端末)に対応する電子書籍プラットフォームになればいいだけ。
正直、システム構築とマーケティングはそれなりに大変だろうけど、まあ先が読める範囲に収まるし、掛けたコストをはるかにこえる儲けはある、って素人でも想像がつく。
それでもうちの端末でしか読めないようにしてくれとか、薩摩だ長州だ、と言っているうちに、その儲けは、Amazon親方の総取り、日本の出版は植民地になろうとしている。
家電はやられっぱなし、出版もやられる、じゃあ日本はいいとこ無しなの?っていうと細かいところを見るとそうでもない。
例えば、文房具とか、最近だと財布とか、そういうこまごましたものは日本が最先端を行ってイノベーションの塊だったりする。食も含まれるかな?
そういう業界は知恵と技術を発揮できているのに、家電や出版は上手くいかないのはなぜよ?
違うのは掛金の大きさ。イノベーションできてる業界は、それぞれの小さい会社でも自分のリスクでチャレンジが出来る。家電や出版のような規模の業界ででイノベーションを起こそうと思ったら、大勢の利害関係者を説き伏せて、大金を掛けてプラットフォームを作る必要がある。
足りないのは知恵や技術ではなくて、大金を掛ける度胸のある山師。サムスンの鼻息の荒さ。
とはいってもそういう種類の、鼻息荒い山師って実際日本から絶滅したような気がするのよね。
まずは、90年代前半のバブル崩壊で、そういう拡大志向の人間はだいたい表舞台から消えてしまった。2000年代中期のITバブルの頃にそういう機運もあったが、ホリエモン逮捕とともに消えてしまった。
もう日本に大きな事をやる奴は本当にいないのよね。知恵と技術のある奴は小さく手堅く掛けるし、度胸のある山師は、知恵や技術が無いのでテレビとか携帯電話で国内の情弱相手に荒稼ぎ、未来に繋がるプラットフォームなんて一片も築かれはしない。
実際のところ、日本では神格化されてる坂本龍馬だって、日本の発展を見ることなく若死にしてるわけで、そんなリスクとって国の英雄になるなんてメリット無いよね〜ってみんな思ってるんだろうけど。
それよか、みんなの日本という国への帰属感自体が怪しいので、知恵と度胸と鼻息があったら、米国の東海岸なり西海岸に渡って、日本をやり込める側に回るほうがいいよね、って感じかね。
http://anond.hatelabo.jp/20090509154903
の続き
今まで、Keyにはそれなりのファンサイトがあったのだが、Rewrite発売までに全滅したと言っていい
もはや、ペンペン草すら生えてない有様だ
Keyといえば、昔からそれなりに有名なファンサイトがあったものだ
それにやっぱりこまめに情報発信してくれるサイトがある事は有難い。
なんでこんな事になってしまったのだろうか
それはもちろん、VA(Key)が公式にファンサイト的ブログをやって、ファンサイトが潰れてしまったからに他ならない
公式しか入手できないようなネタを使って、ファンサイト的な記事を出してたせいで
ファンサイト管理人がやる気を失うのは当たり前 というのは以前書いた
チート相手にしてるとやる気無くすでしょう?って。
それに気づいたのかは知らないが、問題のVAのブログも
そして、1年後には更新が止まった
http://www.product.co.jp/?enter=1&page=0¢er=blog&id=65
公式が更新止めた後、これだけ経っても新規サイトは出てこないから、今後も出てくる事も無いだろう
また、更新止めたファンサイトも復活しないだろう。裏切られた気持ちなんだろうかな。
VAの戦略は、VAアンテナという公式サイトにPVを集め、情報発信を効率よく行おうというものだっただろう
ファンサイトを潰そうなどとは、夢にも思っていなかったはずだ。
しかし読みが甘すぎた。
あれだけの豪華メンバーで、しかも販促にもあれだけのカネを投じて(CMまでやってたぐらいだ)
やっと10万本いくか、いかないかという結果は、(エロゲにすれば凄い販売数とはいえ)
多少なりとも関係していると俺は思う
この状況、ちょっとまずいと思ったのか、
VAの社長は、「やらおん」という有名な2chコピペブログに媚を売ったり、
ユーザーサイドでの盛り上がりも必要だという判断なのだろうが、
あれでどれだけ効果が出てるのだろうか。
炎上すりゃなんでも良い記事じゃなく、我々には地味なKey関係の情報を、こまめに発信してくれるサイトが必要なのだ。
冷めてきているといっても良い
Keyの次回作がどうなるのかは知らないが、リライト並のビックリネタでも用意しない限り、
販売本数は10万割れ、へたすりゃ、5,6万なんて事もありえそうだ。
学寮の自由作文を頼まれると、自称読書家で元ブロガーは平気で制限を超える。
ものを書いたのは久々だが、気持ちよく書けたので記念に投稿してみる。
自由作文は難しい。大喜利なら書けることとウケること、この2つを考えればいい。しかし自由が与えられると、「自」も出る。自分にしかなしえない体験を、優越感たっぷりに書こうとする。書きたいこと、書けること、ウケること。これらをどう調和させるのか、ジレンマも生まれる。やがて面倒になる。白紙ができる。
自由はもてはやされる。マンガや小説やドラマ、物語は自由を求める。現実も変わらない。12時消灯より無消灯、時間帯の定まった食事より、各々の食事時間。自由最高。と、まあ例を挙げればキリがない。しかしそれは一面に過ぎない。
職業の話をしよう。英語には「職業」を表す"vocation"という単語がある。「これが、あなたが生まれてきて行うべき職業(使命)です」と神が呼びかけたから、との語源だ。なるほど「呼ぶ」のvocareと似るわけだ。だが今の日本に、神は声を残さない。かわりにわたしたちが声を上げる。わたしたちは自らの有用性を社会へ企業へ訴えかける。これが使命と感じた、とうそぶいたりする。社会は企業はそんな中から、選んだり、選ばなかったりする。勤労に義務はあるが、雇用にはそれがない。訴えるのは、全て自由だ。それに生じたもの、全てに責任だ。痛い目を見ても、そう、自分のせいだ。神の職務怠慢は、弱い人を苦しめる。自由は恐ろしい。
それでも全ては戯言だ。環境に適合できない生物は、絶滅する。そうやって今までご先祖様は勝ち抜いてきたのだし、そしてこれからもそうなるのだろう。
と、わたしが強者なら、こう断言しただろう。何が言いたいのかというと、
職が欲しい。
……泣きたい
「他者のヘイトは背景を斟酌して許容し、自己のヘイトは不合理なものとして自重する」っていう態度自体は、理性を重視するタイプの人々の間では割と一般的かと…
ヘイトに対してより大きなヘイトを!という国もそりゃあるにはあるけど、ヘイトに対して寛容に受け流すのが理性ある態度みたいな考えは別に「日本限定」じゃないでしょ。
アメリカなんか世界中からヘイト買ってるけど、だから反米主義者は物理的に絶滅させましょうみたいなことは大っぴらには言わない。いや共和党の一部には言う奴もいるけどさ。基本的な態度は、偉大なるアメリカ様ともあるものがあんなゴミがピーピー言ったからっていちいちキレてどうする、ってなもんだ。
イギリスなんかも時々旧植民地から恨み言言われたところで別段相手にしていない。あのような未開の人々の言葉に対しても寛容な態度で接するのがノブレス・オブリージュであり、つまり勝手に言ってろ土民、と。
これが格上の国の態度だよ。対等に扱ってるどころか、俺らは理性的な文明人だけどあいつら感情をコントロールできない土民だから仕方ない、というのが態度にあって、自分の方が遥かに格上であることが当然という認識が根底にある。
それで済まないケースというと、基本的に「同レベルで争っている」か「格上だった方がものすごく落ち目」かのどちらか。落ち目の国の貧乏人ほど反イスラム主義が台頭してたりするわけな。
いわゆるネトウヨの人たちはこの辺一歩引いて見てみるといい。あなたがサヨクとか言ってる連中の多くがあなたより遥かに韓国を見下してるから。
「韓国人がファビョるのは許せるけど、ネトウヨがファビョるのは嫌」ってのは「韓国人は理性で感情をコントロールできない土民だが、我々日本人は遥かに理性的な文明人であって韓国人並の土民が混ざっているのが不愉快」だからだし、韓国文化も「なかなかいいね」なんて言えるのは「日本の方が文化的な総合力で遥かに格上」であることが前提であって「ああ土民が一矢報いてきたか。がんばったね」という扱いなんだ。これが日本よりも総合力として格上の文化、例えばアメリカの大衆文化とか中国の料理文化とか、と直面したらこんな態度は取れない。あくまで「かわいそうな」韓国相手だから取れる態度。
逆に言うと、これで済まない人が増えてきたということは、それだけ日本が落ち目だということでもある。いや俺個人としては韓国なんてまだまだ文化的にはゴミであって「かわいそうな国が頑張ってる」扱いでいいとは思ってるんだが、少なくともテンパりまくっているいわゆるネトウヨはそうは思っていないわけだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110720180846
http://anond.hatelabo.jp/20110720182153
もう、わけがわからん。生理用品はエロじゃないから、TENGAとは関係ないとか、馬鹿なの死ぬの?商品がエロいかどうかを言ってるんじゃなくて、それが引き起こすセクハラ問題をいってるんだよ。エロいことはセクハラだけど、エロくなくてもセクハラになるんだよ。まさか、女から男へのセクハラは存在しないとでも思ってるの?それとも生理で頭がうまく働かないの?
男から女へのセクハラとは、女が関わりたくない話題を、女がいるような場所で男がすることである。
→TENGAについて、女は目にしたくないし、話も聞きたくない話題である
→故に、TENGAについて、男女のいる職場で盛り上がるのはセクハラである。
女から男へのセクハラとは、男が関わりたくない話題を、男がいるような場所で女がすることである。
→生理用品について、男は目にしたくないし、話も聞きたくない話題である
→故に、生理用品について、男女のいる職場で盛り上がるのはセクハラである。
女が月経をエロと関係ないと思ってるとか、女がただの医療用品だと思ってるとか関係ないんだよ。男女の性差に起因することで、異性が不快に感じるかどうかがセクハラの問題なの。バカマッチョ男からすれば、オナホなんて、それ自体はエロくもなく欲情させるわけでもない、ただの道具にすぎないものだろうし、バカマッチョ女からすれば、生理用品なんて、それ自体はエロくもなく欲情させるわけでもない、ただの道具にすぎないものなんだろうが、そうでない人もいるんだよ。月経はエロいからじゃなくて、グロいから不快なんだよ。
バカマッチョ男が「新品未使用のオナホぐらいで、何、顔真っ赤にしてんだよ?」って言ってそうなのと同様に、お前みたいなバカマッチョ女は「月経をシモとか言っちゃうのが許されるのって小学生までだよねー。キモーイ」って言ってるんだよ。
で、バカマッチョ男は問題視されるのに、バカマッチョ女はでかいツラしてはびこって、CMだとか薬局の店頭だとかで、のうのうとしてるのがムカツクんだよ。どっちも絶滅しろよ。