はてなキーワード: ミニチュアとは
「あ」
これだけでも「大丈夫?」と言われたり、「頭大丈夫?」と言われたりする人。
もしくは、(あいつ何書いてんのやろ)って思われたりする人。
それか、無視される人。
世界という系を切り取ってみても、結局は、世界のミニチュアにすぎない。
小学校の教室という系も、地球という系も、マクロな視点では同じ。
教室内で楽しく談笑するグループ、アニメで盛り上がるグループ。
そして、机に伏せて寝そべっていたり、壁に向かって話続けていたりする人。
そういうものは、どんな年代が集まっても、どんな広い場所に居ても、変わらない。
そういう人はどこに行っても目の上のたんこぶでしかない。
本質を隠しても、何かしらで露呈する。
そうなれば、人は壁を作り、次第に疎遠になる。
何処の系にあってもそれは変わりなく。
そして、あぶれた人は、変わらない挙動を見せる。
かといって、もとからグループに属する能力がある人は、そんな挙動が無い。
低い確率で、その様な挙動を見せる可能性はあるが、グループからの追放でしかない。
昔なら、どこかで野垂れ死にするだけだった、何者か。
それが今では、家の中にひきこもっていれば食料もある。
家の中にひきこもっていてもネットで擬似的に誰かと繋がることが出来る。
この場合には、現実からもネットからも、二重の白紙化が起こる。
かといって、全てが許容されて透過するわけでもない。
都合の悪い言動は、全てが増幅される。
あぶれ者のあぶれ者。
切り取る系に何らかの外力が働く。
それによって、最下層民は更なる迫害を受けることとなる。
その外力は、親からの言葉、社会からの逃避概念、いらだち、嫉妬。
上位層はその様なことは考えず、ただ互いに互いを助けあう。
最下層は互いに互いを罵り合う。
富むものはより富む。
最下層は行き場の無い不平を、上に押し付けずに下へと与える。
結果、圧迫された最下層は、行動することすら出来ない。
あの頃の僕は、毒の唾で世界を汚すことが無常の喜びだった。本や
映画で得た受け売りの理論で身近な大人たちを追い詰め、彼らを軽蔑
することだけが生きているリアリティと感じていた。目で見える世界のほと
んどが許せず、ニ十歳まで生きていることはあるまいと本気で思っていた。
あの頃、高校時代、僕にはFという同級生のガールフレンドがいた。
正直、彼女を好きでもなかったのだが、女のひとりも口説けないのかと
周囲に思われるのが癩だったのでなんとなくつき合っていた。二人で観る
映画はいつも二番館の面倒臭そうなアート系の映画で、Fは僕に映画の
解説を求め、僕はそんなたわいないことで男のプライドを保っていた、どう
せ刹那的なつき合いだと酷く冷め、やがてくる彼女との別れの日をドラマ
チックにシミュレートして悦に入っていた。そんなある日、Fが僕を演劇に
誘った。芝居はテレビで紀伊國屋ホールを収録したようなやつを観たこと
がある程度で、それもおそらくそんな感じだろうとまるで期待していなかった。
が、打ちのめされた。体の震えが止まらなかった、舞台音楽が僕を子供の
頃の暗闇の恐怖にいざなった。その後、Fは地方に就職先を決め、卒業
の日、明るく「さよなら」と僕の前から去った、以来、彼女とは会っていない。
結局、見透かされていたのは僕のほうだった、そして間違いなく、あの頃、
彼女は僕の母だったのだ。今回、シーザー氏の歌に僕が固執したのは、
あの頃の無知な自分と母との時間を追体験したかったからかもしれない。
存在するものがこの世界にはある。我々の前では、美しすぎたり、
醜悪すぎたり、日常であったりして、正体は曖昧なものと感じられ
ているが、それは確かに、明確にこの世界に存在するはずなのだ。
私は、それをアニメーションという手段で整理分解して、判りやす
く伝えようとは思っていない。セル画で数値化、セリフで言語化でき
る部分だけを抜き出して、それを伝えようとは思っていない。むしろ
段を使って、混沌のまま明瞭に、確かに存在することを示したいのだ。
私は、光宗さんと上谷さんを尊敬している。二人は紛れもなく、
十四歳の頃、僕は学校が嫌いだった。いや、正確には、学校という名の世界での自分の状況が嫌いだった。
その頃は、いわゆる“校内暴力”なるものが全国的に取り沙汰されていた時期で、僕の通ってい
た学校も例に漏れず相当に荒んでいたと思う。生徒が教師の胸ぐらをつかみ上げ授業中断、など
ということも珍しいことではなかった。学校とは箱庭ではあるが、言うまでもなく「ひとつの社会」で
あり、「現実世界のミニチュア」だ。その社会の中で、僕は凡庸な者だった。休み時間にトイレでタバ
コを吸う勇気も、教師の胸ぐらをつかむ勇気もなかった。そして、僕はそのことが嫌で仕方がなかっ
た。子供だったが、凡庸が美徳だなんてウソだってことぐらいは知っていた。「ミニチュアの社会」の
中ですら凡庸な自分に控えている未来.凡庸な人生の予感に言い様のない絶望を感じていた。
あれから十数年。現実は残酷で、やはり僕は凡庸なる大人になってしまった。絶対に裏切って
はいけない人を、何人も裏切ってしまった。そうまでして手に入れたのが、凡庸なる自らの姿だった。
だが、いかなる夢も見ることを禁じられたこの世界で、僕はまだ密かに夢を見ている。まだ密かに
モラトリアムでありたいと甘えている。そのことを「少女革命ウテナ」はうまく表現できただろうか…。
J・A・シーザー氏の音楽を、僕は遥か十代の頃に体験した。氏の音楽はその時から、そして今も変わらず僕
シーザー氏と仕事の機会を得ることができたのは、ひとえに大月プロデューサーの手腕によるところだ。
いや、実はそのことだけではない。大月氏は、アニメーション作品「少女革命ウテナ」を世に送り出すために、
多大なリスクを負った。我々スタッフは、その彼のリスクの上に、完全な創作の自由を与えられたのだ。「自分の
若さと可能性を信じろ」などと言うインチキな大人には数多く出会ったが、リスクを負うと言うことを体現して
見せる大人に出会ったのは初めてだった。もちろん、僕自身もリスクは負っていたが、彼のそれは比べようもなく
大きかったはずだ。にもかかわらず、彼が僕にリスクを強要したことは一度もなかった。彼は、作品作りにおける
リスクの尊さを改めて僕に教えてくれた。そしてそのことは今回の作品制作において僕個人にとって貴重な
モチベーションになった。おそらく「少女革命ウテナ」という作品は、僕と大月氏の共同監督作品だったのだ。
だから、ある意味で僕は敗北者なのだろう。なぜなら、僕は絶対に裏切ってはならない友人を、数多く裏切っ
ただ、自分の考えとしてはやはり子供が考える「これって無駄でしょ?」に近い。
はっきり言って、それが子供っぽいと言われようが、俺はそっちほうが直感として正しいと思うんだよね。
時代を積み重ねたということに重きを置くのが保守だけど、俺はそこを否定してるわけじゃない。
何というか、もっと現実的な面で、つまり伝統を守るということが現実のこの時代に生きる人間の負荷になるのは困るという感じ。
俺は古代ギリシャの彫刻や文学、その他にも平安の文学やら万葉仮名やら建築や哲学その他多くの歴史を否定してはいない。というより肯定してる。
そういうのが出来るだけ残ってくれるのはありがたいと思うし、記録・保存する人たち(図書館司書など)には敬意を抱いている。
ただし。
それをこれでもかと押し付ける行為が気にくわない。
つまり、「これは時代の試練を経てきた名著だ、だから読め」って言って学校で強制的に読ませたりする行為。これが本当に嫌。
俺が言ってるのはそういうことで、実は祭りや伝統的な街並みそのものを否定してるわけじゃない。
興奮するとそこがごっちゃになることはあるけど、たとえば伝統的な街並みというのであれば、写真などの資料を残し、ミニチュアをつくって博物館に飾るとか、そういうことは大いにやってほしい。
ただ、現実の物理的な世界にそれをどかっと残し続けることは嫌だ。なぜなら、伝統的な街並みは歴史の中でのほんの一部分において「正しい」とされたモデルケースにしか過ぎないのに、まるで未来永劫その正しさが続くかのような雰囲気があるから。
高層ビルだって所詮はこの時代の価値観に基づく正しさにすぎないのだけど、少なくとも合理性や人々の居住というものに関する意識の変化から言ったら理にかなってると思う。
ヨーロッパの伝統的な街並みを見ていると、美しいと思う一方で、そこに住んでる人達は哀れだなと思う。仕事としてその家に住み続けているならまだしも、伝統だとかそういう付加価値を下手につけられてしまったために、壊すことも出来ないんだろうなと。もっと新しい世界を知りたい人達はこんな街に住みたくないだろうなと。
俺が言いたいのは必要のない伝統は記録・保存されるべきで、現実に無意味に干渉してくるなということなんだ。
伝統の多くが必要なくなったのは、それはまさに現代が「変化の時代」だからであって、それ以前の、変化しないように必死で頑張ってきた時代とは全く様相が違うからだと思う。
伝統みたいなものは、科学技術が存在せず、人々はただひたすら自然の脅威・具体的に言えば「風化」から身を守るために作ってきたんじゃないか?現代は、記録する手段や方法はいくらでもあるわけで、さらには科学技術のおかげでどんどん人間にとって都合の良い世界が作り替えられていく。
科学以前はそもそも世界を作り替えるどころか世界を制御する方法すらなかったから、変化を恐れるしかなかった。今はもう違う。なら、今の時代にあっていないものは、資料という形で物理世界からは切り離してほしい。そういう考えなんだよね。
俺が抱くもう一つの嫌悪感は、伝統を守りたい人々っていうのは、それがなぜ守られなければならないのかなんて考えたことなんかなくって、子供の頃から守れって言われてるから仕方なく守ってるっていうところにある。それどころか、守るために守るっていう感じで、もう伝統の意味なんかなくなってるんだよ。祭りみたいなものはものすごい長い歴史があるのかもしれないけど、その元々は雨乞いとかそういう超プリミティブなところから始まったんだと思う。今でも厄除けの祭りとかあるけど、あれだって完全にプリミティブでしょ。あれで厄除け出来るなんて信じてる人間はいないわけで、別に信じてもいいけど、少なくとも祭りがおこなわれるようになった古代というのはほとんど全員が信じていたからああいうのが成り立ったわけで、ほとんどの人が逆に信じていないような状況で厄除け祭りすることに何の意味があるんだと俺は思う。
アメリカ賛美するわけじゃないが、アメリカが素晴らしいのは歴史を持たないことだ。
だからあれだけアメリカは科学技術国として発展できたし、妙なしがらみからも解放されてる。
日本はアメリカの影響を受けたおかげなのか地震対策なのか、街並みを保存することにはあまり関心がないみたいだけど、良いことだと思う。
ヨーロッパの状況は良くわからないけど、伝統的な街並みは観光のために残しておくとして、そういうところと実際の経済活動が行われる場所は区別すべきだと思う。
ごっちゃにするから良くない。東京はそういう意味では、完全に作り替えてしまうべきだし、今も未来都市なんて言われてるみたいだが、未来どころか超未来都市くらいは目指すべきだ。アメリカがその面ではなんだか停滞してるみたいなので、「俺がお手本だ。良く見ろアメリカ!」と言えるくらい大胆なことはやってもいいと思う。
ttp://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1595589.html
ここの塗壁で話した事の個人的まとめ
これを読んだ時、俺はただの石と木の棒をどうやって売ろうかという事にわくわくしていた
そのレスに対して「商品を加工したらダメなんじゃないか?プレゼンさえ禁止されて、全否定じゃね?」と返された
なんかやるせないなと感じた
「石と木を売る」って命令に対してどう対応するかで所属の課が決まったらいいのになと思った
加工した奴は商品開発、前提条件や売る事自体を交渉したら総務や人事、そのまま売りに行ったら営業みたいに
研修目的で完全嫌がらせじゃないなら、何がダメで何が良いのかを模索していくのは面白いんじゃないだろうか
もしかしたら耐えさせる事が目的で、相手の社員論でも聞いていれば良いのかも知れない
ブラック企業に限らず早く一人前になって貰いたいだろうから、まどろっこしい事をしてられないかも知れない
その方法や体質で上手く行ってるならわざわざ変える必要なんて無い
相手が活用するのを苦手とするなら、こっちが活用されやすい形になれば良い
遜るまでいかなくても、可愛がられる人がいる
だったら、手札の切り方を変えればいい
そうですね。
そのあなたの問いに答える前に、あなたが この日記で、そう書きたくなった理由のほうを私は考えてみました。
他の人の答え(トラックバック)はともかく、あなたも・そして見ている人も ちゃんと考えられるお返事をしたいからです。
ひとつめ。
その結婚は、あなたにとって予定外の出来事・・・のようですね。
なぜなら「結婚することになった」のに、そして「いろいろ準備中」なのに、あなたは なぜか まだ指輪を買っていないからです。
つまり結婚が決まったときに、あなたはまだプロポーズしていなかった・・・という気がします。
ふたつめ。
お金を使う予定が、結婚の後にあることを強く意識していると思います。
つまり あなたは未来をよく見据えた結果、この疑問に到達したということですね。
みっつめ。
あなたは 自分でしっかり稼いだ、ある程度の金額の貯蓄を持っていますね。
なぜなら、自分の両親や 相手の両親に甘える気持ちがあれば、お金の額で これほど憤(いきどお)ることはありません。
あなたは、30万円を貯蓄するのに どれだけの苦労があるかを知っているから、その不条理に憤るのです。
買えないのではない、出したくない、と言っている。ここは大きなポイントです。
これらを勘案すると、あなたの実像は、
・予定外の結婚でもしっかりとそれを受けとめ
・責任感が強く
という 地に足をつけた、しっかりとした人物像が浮かびあがります。
あなたのパートナーは、あなたのその堅実さにも 魅かれたかもしれませんね。
そして、パートナーのほうが先に、あなたと一緒にいたい と願ったかもしれません。
以上は 私の勝手な推測かもしれませんが、上記の仮説の前提のうえで 私なりの答えを申し上げさせてください
私は40歳 すぎた男性ですが、婚約指輪については同様に考えたことがあります。
男性が「花」でたいして喜ばないのと同じように、指輪も「アクセサリーだろう」と思いがちなのが男性です。
じつは
同級生の女の子が、ビーズやガラス玉を 編んだり・身に着けているのを見ませんでしたか?
女の子は 背伸びや大人のマネだけで、あのようなミニチュアを楽しんでいるのではありません。
女の子は、きらきら 光るものに、本能的な好感と、あこがれを かきたてられるのです。
それらは「ファンシー」と呼ばれていますが、原初的に 女の子は魅かれるものだと思ってください。
たとえば「サン宝石」などはその専門店であり、男の子には まったく無縁なお店ですが、女の子でこういったお店に通わなかった人は、ほぼいないと思っていいでしょう。ぜひ あなたのパートナーにも、そういった思い出を聞いてみてください。
きっと目を輝かせて、いくつかのエピソードを並べてくれるでしょう。
それはともかく。
やがて 女の子は、お小遣いではもちろん、自分のお金では買えない「輝くもの」の存在を知ります。
それが
です。
金額だけをみれば、特に あなたでなくても、女性にとっても1~3か月分の給料で買えるにすぎないものです。
婚約指輪は、「あなただけ」が 彼女にあげられるもの。それこそが婚約指輪の特殊性です。
ここを取り違えないでください。
ひるがえって、私はあなたの 素晴らしいその堅実さが、彼女をさびしい気持ちにさせかねないことを懸念します。
あなたが 婚約指輪をあげなかったとしても、あなたがそう決めたのだったら、パートナーは納得してくれるでしょう。
しかし、あなたが 結婚後のしあわせのために、そのさびしい気持ちを犠牲にしたとしたなら、あなたは どこかで目的と手段を見誤っていることになるかもしれません。
金額ではありません。
こころをこめたものなら、おそらく5万円の指輪でも よろこんでくれるでしょう。
しかし たとえ 100万円のものでも、義務で いやいや買われたなら、その価値は無いに等しいものです。
では 30万円まで!なんて言い方をせず、こころをこめた30万円の指輪を 精一杯 えらんで、その中から彼女に決めてもらってください。
あなたの憤りは、30万円でも喜んでもらえないかもしれない…という不安もあってのことかもしれないけど・・・
いいえ、あなたの堅実さにほれたパートナーなら、自分のために 最高の「宝物」を選んでくれたあなたに、こころからよろこび満足してくれると思います。
だいじょうぶですよ!
おしまいに。
いいことを教えてあげようか。
告白したからダメなんだよ。
27歳童貞。
彼女ができないって悩んでいた。恋をして告白して振られを繰り返す。
http://anond.hatelabo.jp/20100212005436
恋愛は、告白したら9割がた失敗する。
例えば、お前が告白するとき、絶対にOKしてもらえるはず!
って思ってたか?
ダメもとで告ってみて、断られたらすっぱり諦めよう! なんて思って無かったか?
それ、完全に負けるパターンだろ。
恋愛上手な人は、絶対に告白なんてしない。
だって、いい雰囲気になる前に告白なんかしたら、友達以上恋人未満っていう、
女の子が大好きな、恋愛で一番楽しい期間を全部ぶっ壊しちゃうじゃん。
だから、経験値がたまった大人の恋愛では、完全に仲良くなる前に告白なんか絶対しない。
突然の告白が許されるのは、勢いだけで生きてる小中高生までなんだよ。
当たり前の話だろ。
特別に仲良くもない、異性として意識したこともない相手から突然
「好きです。付き合って下さい」なんて言われたら、重いよ!
ていうか、キモイよ!
仮に、ちょっと格好いいかも、って思ってたとしても、その行動だけで引くよ!!
だって、相手の気持ちを少しも考えてない行為じゃん。
そういう思いやりがなく、空気も読めない奴だっていう何よりの証明じゃん。
矢文で突然飛んでくる、果たし状みたいなもんだよ。
一方的すぎてコミュニケーションが成立してないよ。ディスコミュニケーションだよ!
そもそも、恋愛関係になる前に告白するのって、おかしいでしょ。
どこでそんなこと習って来たの、君は。
そりゃフィクションだから、断られるかわからない、ドキドキするような告白シーンを入れるよ。
その方が、ストーリー演出上盛り上がるもの。
1回やった後に、「私のこと好き?」「付き合おうか?」なんて言うパターンですら、
ましてや、現実にはかなり多いパターンの、告白も交際の宣言もしないで、
何となくデートを続けて、何となくセックスして、付き合い続ける関係なんて
めったに出て来ない。
だって、ドラマチックじゃないもの。
あれこそ、都合のいい妄想恋愛だけを描いた童貞ファンタジーだからだ。
フィクションに叩き込まれた、告白至上主義。
これこそが、非モテがますます非モテになる、最大の理由だと思っている。
こっちは、いい雰囲気になったら突然キスされたり、流されてセックスしたり、
三角関係とか浮気とか、結構リアルな恋愛模様だったりするわけで、
あとは、ねるとん紅鯨団など、テレビ番組の影響も非常に大きいと思われる。
あんなの時間内に恋愛の過程をミニチュアみたいに凝縮して番組を盛り上げるための演出なのに、
現実の恋愛パターンが思いっきり影響を受けまくっちゃったわけで。
勇気が必要なのは、最初にデートに誘う時と、最初にキスする時だけ。
他は、いい雰囲気に持っていく努力だけしてればいいよ。
キスも出来ないようじゃ告白しても無駄だし、ちゃんとキスが出来れば
それはもうセックスもできるってことだよ。
間違っても、自分から告白なんてするなよ!
2009年3月2日「月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力」より
まあ、肉がどれだけうまかったかっていうね、
デブらしい、すごくデブらしい話から番組入らせてもらいましたけども、
コサキン終わるってちょっとびっくりしたよね?!
なんなんだ、どういうことなんだろ?
あのー、まあ、若山弦蔵さんの「バックグラウンド・ミュージック」っていう、
もう、なんだろうな…あのー、突然吹き矢で首筋プッて撃たれてもそんなに動じないまま
曲のタイトルをちゃんと言うんだろうなっていう感じのね、若山弦蔵さん。
あのー…「バックグラウンド・ミュージック」の途中に忍びの者がですよ、
スタジオに入ってきてですよ、若山弦蔵さんの肛門にですよ、ハバネロのタバスコを
シュッってハケで塗ってっても、「続いての曲は…」っつって普通にね、あのー、
とりあえず曲の紹介をゆっくりしてから、この季節が来ると、こう…この曲を聴きながら
みたいなちゃんとしたねぇ、それからその、まさにその曲のバックグラウンドみたいな
何年ごろにこういう曲でって言って、できちんとその、前奏で収めて、曲が流れてきて、
その後、「アッヒィーーーーーー!!!!!」って言うぐらいの名DJですよ。
ね、落ち着いた、えーと、週末のお昼には欠かせない。
あと他局ではキンキンがね。キンキンが、俺たちの中では「死ね死ねブルース」でおなじみのキンキンが、ね、
TBSだと「ストリーム」…ストリーム…じゃねぇ、なんだっけ?えーと…
あのへんの番組も終わりをどんどん告げていくわけですよ。ね。
でなんかそれで思うんだけどさ、なんかこう…終わらせてどうすんの?っていうか
変な言い方なんだけど、ね。いや、なんかそれを終わらせると、この不況の中すごいスポンサーが来て
めちゃめちゃ儲かることが起こるみたいなことだったらば、俺たち文句も言えないんだけど、
スポンサー付かないから終わりますみたいなことって、なんか踏んだり蹴ったりな感じちょっとしない?
スポンサーが付かないのって、えーと…例えばコサキンのせいなの?
こんだけ今の世の中で、こんなにこう名前の浸透度の高いラジオ番組ってあんまりないと思うんですけど、
そういうこう、番組にスポンサー付かないんで変わりますって言われても、
いや、つまんないから終わりますはまあしょうがないかなって思う、自分とかでも、
つまんないから終わりますで、さらにその、つまんないのの基準とかが、
例えばほんとに聴取率がずっとゼロなんで終わりますって言われたら
悔しいけど、しょうがないなって思うけど、なんかこう、そこにお金の問題で、そのー、終わっちゃうとするならば、
こんなこと言うとたぶん嫌われるんだと思うんですよ、局内で嫌われるんだと思うんですけど、
やめるのは、こっちじゃなくね?って思うんだけど。聴取率があったり、ご愛顧頂いてたり、そこそこ評判になってたり、
えー…ていう番組が、お金の採算がどんどん合わなくなってきたと。
スポンサーを取ることができませんっていう時には、
一緒にスポンサーを取る課の人も辞めてくれるんだろうな?と思うんですけど…
…
あ、俺いますごい変なこと言ってるよ。ものすごい今変なこと言ってるよね?(笑)
…CMに行きましてですね、ちょっと違う楽しい話をしたいと思います。
いやしかしさ、番組開始早々さ、まあそのー、TBS批判みたいなことをさ、もう構成の渡辺さんが言え言えっつってさ!
これまずいですと、俺はもうこんなにお世話になってる局に対して、そりゃ構成の渡辺さんはいつでも
辞めるっていう覚悟でいてっからいいでしょうけど、僕はあれですよ、偉い人の靴を
いったんウンコをつけてから舐めてもいいっていうぐらいね、あのー、忠誠を誓って、犬ですから僕は。ね?
ワンちゃんですから。僕は。ね。あのミニチュア土佐犬ですから。
いやでもね、なんかね、そのまじめな話ね、やっぱりね、コサキンが終わるショックってすごいんだよ、
だって俺らがおっさんになっても、深夜の番組の喋り手をやってていいのかっていう悩みに対して、
「コサキンが続けてるんだぜ」っていうのは、他局にいた頃から、俺たちこんなただテンションだけで
礼儀も知らず話術もなくやってるけど、いずれどうなってくんだろうねっていう時に、
「コサキン今何歳だけどずっとやってんだぜ」っていうことの、そのありがたさっつったらないわけ。
でそのー、だから、さっきはちょっとその、エキサイトしてあんな言い方したけど、
一番美しいのは、今これを聴いてる企業の人が、「ウチ助けてやろうか?」っていうとこいてくんないかな、
いや知らないよ、もうそれは、そのー、今さら間に合うことなのかどうか知んないけど、
でもラジオのその、愛してくれる人の気質っていうものを僕はちょっと、そのー…甘えてんのかもしれないけど、
自分の好きな番組を、「あ、こんな義理のとこでこの企業が救ってくれたんだ」っていうのを
全面に出した広告打ってくれていいから、そしたらちょっと二社の商品で迷ったときはそっち買おうぐらいのことには俺なると思うのね。
それとやっぱ美しいのは、本人言いたいことかどうか知らないけど、
俺まだ直接会ってないんだけど、番組で長く構成してた鶴間さんっていうその構成のスタッフの人が、
その、内部の人たちが、「どうなの?今回終わっちゃう、ちょっとひどいよね」ぐらいのその言い方で入っても、
「こんだけ長くやらせてもらった局に感謝しかない」って言うっていうこの美しさ。
もう大体俺なんかはもう立つ鳥跡を濁すどころの話じゃないですよ。
ウンコをぶりまこうと思ったら大腸出ちゃったっつって、大腸だけ返してください!なんつって。
すいません大腸はまだ使うんです!でおなじみの俺からしてみたら、そんな美しい関係なら、
今価格以上に、すごく価値が上がってるのは、あのー、「コサキンやっぱり続けさせたほうがいいんじゃないの?
俺は財産だと思うよ?」っていう人が、会社が、たとえば電化製品の会社で、たとえばラジオの
CMを打てば、ラジオリスナーはラジオ買い換える時にはそこの買いますよ。おそらく。
…
あー…
ただまあね、明日伊集院くんそんなこと言ってっけどそこもだよって言われる可能性だってなくはないわけね。
…
自分の理想だけ追求したければ自分で金を払えばいいんだよ。
お客さんという人がお金を払っている以上、実現しなきゃいけない理想は君の理想じゃなくってお客さんの理想なんじゃない?
もちろんその理想は実際に仕事をこなすほうからしてみれば受け入れがたいものもあるだろう。
仕事をした人ならではの「こうしたほうが絶対いい!」ってね。
だから大工さんや建築士だって施工前にミニチュアつくってまで納得してもらうんじゃないか。
お客のいうことばかり聞いてたら柱の無い家ができあがる可能性だってあるだろ。
でも理想というものであれば、客と自分の理想の折り合いだったら、
自分の理想は一番あとまわしじゃないのかな?
増田は生真面目すぎる傾向があるからちょっと土日は散歩でもしてこいよ。
か、まったく仕事とは離れたワークをしてみるのも悪くないぞ。
みんなミニチュアだって知ってる。
子供だって知ってる。
ミニチュアは、視聴者を絵的に「瞞す」ためだけに、置いてるもんじゃないでしょ。
時間をかけて丁寧に創り出されてきたものが、実際に視聴者の目の前で、怪獣や戦闘によって、簡単に、瞬間的に破壊されてく。
その迫力。凄み。そして…儚さ。悲しさ。
そういうのを見てる。
スーツアクターさんたちは、本番撮影でミニチュアを壊すことになる。撮り直しは出来ない。一発勝負で「戦闘」に望む。それはもうリアルな真剣勝負ですよ。
ウルトラマンの戦闘には、アニメやCGでは絶対に表現できない、戦争がある。
あ ん た ぜ ん ぜ ん わ か っ て ね ー よ!!!
※それから「安っぽいのがいいんだ」みたいな声を、安易にこんな何も判らない人たちに届けないで欲しい。そういうのは、大きなお友達の間だけの話題にして。
http://www32.ocn.ne.jp/~japandollworld/index.html
東京都浜松町 都立産業貿易センター5階第一展示室
http://www.sanbo.metro.tokyo.jp/access/access_hama.html
【 開 催 日 】
2007年
6月 9日(土) 11時??17時
10日(日) 11時??16時
★ 同時開催 ★
ミニチュアショー』
http://anond.hatelabo.jp/20070310151536
http://anond.hatelabo.jp/20070310151957
http://anond.hatelabo.jp/20070310152056
http://anond.hatelabo.jp/20070310154234
みなさん、貴重なアイディアを頂き、本当に本当にありがとう。(まとめレスにて失礼)
オススメいただいたモノをメモって、明日集合前にジュンク堂に寄ろうと思う。
椅子のミニチュアは、ヴィレッジヴァンガードで見かけたような気がする。調理雑貨もここかな。ということでここもチェック。
明日が楽しみだ。
E子が念入りなフェラチオの後「瞬間湯沸かしケトル、ラジオ体操第二」と明るい声で言い、騎乗位になってベニスを垂直にヴァギナに差し込み変なラジオ体操を始めたのには困った。たーんたたたんたんと口ずさみ腕を振り上げダンベルを握るようにガッツポーズになり、腕をぐんぐんと曲げて重力を掛ける度、ペニスと下腹部にぎんぎん来た。止めてとE子に懇願した。高校、大学と体操選手だったE子の引き締まった身体に消化器ランプのように固定されていた乳房も揺れた。ひどい。下腹が痛いやら快感に堪え切れないやらでじゅっじゅっと射精した。それからコンドーム付けてないことに気が付いた。E子は沸きましたと言って僕の胸に乳房を押しつけてのしかかり笑いながらキスした。ひどいよ。ぐったりした。E子はしばらく身体を僕にぴったりと押しつけているのかと思ったら突然半身を起こして、ワッフルも上がりましたと言ってた。この女どういう頭しているのだろう。
先月夕立の中ショッピングバックを抱えて渋谷の古ぼけたラブホテルに入ったときもそうだった。エアコンを切って汗まみれのセックスをした。裸になるとE子の恥毛が全部剃られていたのでどうしたのと聞いてみた。浮気女の罰に剃る男がいることを思い出したが、E子は水着でマン毛がはみ出ないようにしているだけ、体操やった頃はいつもパイパンだったと言う。頬を擦り寄せるとざらざらとした感触がある。性器は広がった感じで奥まで見えた。酸っぱい果実のような匂いがした。汗と性器の出す粘液でシーツを汚した。悪いことをしたような気もした。そろそろ時間だとも思った。雨止んだみたいだよと僕が言うとE子は今日は子供の迎えは母に頼んであるから大丈夫と言って僕にのし掛かった。体力は僕の二倍くらいありそうだし、そのセックスに僕一人では耐えられない。萎えていると彼女は僕から降りてこんなのそそられる?と言って仰向けになり自分の右足首を手で持って引き上げ足先を頭の後ろに回して首に引っかけた。柔軟体操というよりヨガみたいだった。E子は両足やると完成と言って左足首も首の後ろに回しその両足首を結ぶように組んだ。脚が長く身体が柔らかいからそんなこともできるのだろうけど、完成した物は無毛の女性器を殊更に押し広げた淫猥な女の肉体だった。興奮した。そのまま僕はべちゃべちゃとE子の性器を舐め回し第二ラウンドに向けてペニスが勃った。でもE子が脚を解いてからは普通のセックス。というより何かの運動かもしれないけど。
瞬間湯沸かしケトル、ラジオ第二体操で結局中出してしまったので妊娠するんじゃないかとそれから数日気になっていた。妊娠したらしたでいいけど子供は僕の子供だろうか。考える内に奇妙な体操を思い出して笑った。
次の週まだ暑さの引かない夕方E子と代々木公園を散歩した。ミニスカートの上から尻に触るとリアルな感じがしてノーパンであるのがわかった。僕もE子もいい加減発情して木陰に潜んだ。傍からはただ抱き合っているだけに見えただろうけどセックスしていた。僕はジーンズとトランクスを降ろして硬直したペニスを出し座位でE子に差し込んだ。性器の感触に浸りながらキスした。またコンドームを忘れた。もうどうでもいいや。E子は自分の意思で性器の中を動かせるのだろう。ペニスが吸い込まれるような閉めつけるような刺激があって十分もしない内に射精した。ペニスを抜くと少し血が付いていてた。E子は平然と生理と言った。ハンカチで拭いて立ち上がるとE子は鞄のなから生理用具と専用のパンツを取り出して履いた。子供は産まれない。
E子との関係はそう長く続かなかった。一緒にいると高校生気分で楽しかった。E子は僕より年上だろうけどまだ三十代前半だろう。秋になり連絡が途絶え自然に関係は終わってしまったみたいだし、僕は僕で区の図書館の司書の子と付き合い始めていた。セックスが上手な子ではないけどいろんな本を読んでいて話が楽しい。クリスマスは今年はこの子と過ごすのだろう。
Bunkamuraでその子と映画を見終え東急の前で信号待ちしていると小学生六年生くらいの娘を連れたE子に会った。娘はE子のミニチュアみたいにくりっとした感じだった。E子が僕に気付いた。E子は帽子を被っていので僕は一瞬誰だろうと思った。あらK君とおばさんぽく呼びかけ、僕といる女の子を見た。体操クラブのコーチが新入部員の身体を吟味する目だ。元気だった?とE子は聞いた。元気だよ、E子さんは元気? 引っ越して買い物中なのよ。家が片づいたらまた電話するわねと言い残して娘とデパートに入って行った。司書の女の子は僕らの関係には気が付かないだろう。説明するとしてもどうしていいかわからない。
僕は広島県の神から見捨てられたようなニュータウンに住んでいるのだけれども、僕の街はそんなに広島に遠いところではない。これは実は中国地方の街に住むものにとっては、かなり大きいことなのだ。広島というのは、軽い中華思想にまみれた街なのだwこれはどれくらいの人が共有できる感覚なのか分からないのだけれど。
中国地方は『田舎』である。この『田舎』というのに、注意しなければならない。これは実は(広義の)政治的なものなのだ。日本の『田舎』が北海道でもなければ、沖縄でもなく、九州でもないことに注意しなければならない。寒村風景というのは日本人においては昔話にも出てくるような"原風景"であるが、それは、本土の風土(北海道では『北の国から』になってしまうわけで)、それもより亜寒帯よりの温暖な気候という中国地方的な風景なのだ。
やっと本題だが、しかし、広島は違う。広島はイケているのだ。広島の街は実際歩いて見ると分かるのだが、東京のデフォルメされたミニチュアのような感じがする。例えば、その象徴としての横川シネマ。ここは所謂、オサレ系の映画を広島の街ではこの映画館が、ムービー・コンプレックスとして一手に担っているのだ。つまり、ここは広島において、「オサレ映画」の象徴の具現化なのだ。当然、東京のようによりもっと深くとはいかないのだけれど。
この街は、楽だ。オサレを追求する必要もない。まだ、広島にも"中国地方"的なものが残っているのだ。オサレとそれを上手く折り合いをつけていけば、広島的なライフスタイルは、広島人にも、東京人にも、有効である。ここは、街と村の境目なのだ。昼間は横川シネマ行くナウいお嬢さんが、その日の午後にはしゃもじ踊りしてるっていうその感覚は分かってもらえるだろうか?パトリオティズム、それも農本的なもの、それこそ、"中国地方"的なものと僕が呼ぶものだ。それが東京のミニチュアのような都市にまとわり付いている。その広島的なカルチャー(サブカルチャーも含め)を、僕は否定する気はないが、受け入れてあげる気もない。はっきり言うと、その中途半端さが嫌いなのだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//gigazine.net/index.php%3F/news/comments/20061207_wii_1inch/
2006年12月07日 guesthouse ここは海外ネタでもリンクしない上に写真全コピとかよくしてますし
2006年12月07日 bricklife これはひどい 引用元ぐらい書こうな>http://www.kajisoku.com/archives/eid751.html
2006年12月07日 kwmr これはひどい ここのパク● 引用元→http://www.kajisoku.com/archives/eid751.html
2006年12月07日 konaze game 焼き直し。→ http://www.kajisoku.com/archives/eid751.html / それはそれとして、こういうミニチュアしかも動く!って、超ツボなんだよな…(*゜ー゜)
YouTubeにuploadしたのはhttp://www.kajisoku.com/の中の人ではないだろうし、そこで既出であるからどうだという問題なのかね?
正直[これはひどい]とする理由が分からないのだけれど。