2009-09-09

ウラジオストック、ナホトカ紀行(その3)

人民元建て「中国ソブレン債券」を発行

 オフショアで60億元を調達し、ハードカレンシー化への第一歩

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英紙フィナンシャルタイムズ9月9日)速報に拠れば、中国オフショア市場で初めての人民元建て国債を発行する。

香港オフショア市場を利用して総額60億元を世界投資家から調達、発行は9月28日。ただし利率、償還期間の詳細は不明。

これは中国通貨戦略の具体的発動で、自国通貨ハードカレンシー化への第一歩であり、注目される。

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ウラジオストック、ナホトカ紀行(その3)

ロシア北朝鮮中国国境では何が始まっているのか?

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(承前)

ウラジオストックの中央広場にあるフェリー乗り場からおんぼろフェリールースキー島へ上陸して驚いた。

道路ぬかるみ、舗装は溶けて泥道、大雨のあとの水たまりの悪路を日本製ランドクルーザーが進むが、生い茂った森林の伐採作業場ばかりが続き、激しい凸凹道に車酔いを感じながら一時間後、ようやくイベント会場となる現場に到着した。

普請の騒音が高い。

現場日本製クレーンが林立している。ブルドーザ、シャベルカーも殆どが日本製だ。そうか、日本抜きにして開発は成り立たないんだ。

建設現場の横に長い看板、「2012年APECサミット会場」(ロシア語)がなければ何の工事かよく分からない。俄かづくりの観が否めない。アゼルバイジャンなどからの流れ者労働者が混在している理由も分かる。

建材や鉄骨が臨時の波止場に積み上げられ、労働者が居住するプレハブマンションが周囲に建っている。「でも冬は零下二十度になるというのに、あんな住宅大丈夫か」と問うと「真冬は工事が中断」という答えが返ってきた。会場になるコンベンションホール外国代表の宿泊予定のホテルも、まだ影も形もない。

ふたたび鋼鉄が錆びてぼろぼろのフェリーウラジオストックへ戻る。80歳を越えた老女がスターリン勲章を沢山つけて誇らしげに入ってきたので、意地悪な質問。大祖国戦争って何ですか。

ビルが林立して壮観だった

さて船から市内を眺めやるとウラジオストックは意外にも高層ビルが林立して壮観である。港には軍艦が三隻、写真を撮っても誰も咎めなかった。

瀟洒なレストラン豊饒なメニューの昼飯のあと、名物の「潜水艦C56博物館」を見学した。戦争博物館を兼ねる。

展示内容が「大祖国戦争」と「第二次世界大戦」ばかりでソ連軍満州侵略に触れていないのはロシア歴史観だから仕方がないにせよ、「日露戦争」の記述があまりにも少ない。ガイドに理由を問うと「あれ(日露戦争)は『小さな戦争』ですから」と答えたのには驚いた。

翌日、立派な高速道路を飛ばしてナホトカへ行く。

ナホトカは狭い町で展望台に登ると港湾全体が見下ろせる。

港は撮影禁止と聞いていたが、軍事施設もなく、石炭のバージ船が沖合待ちをしている程度、かつて日本のバック・パッカーの出発点だったシベリア鉄道の始発駅は閑散としていた。

ナホトカで一番大きなホテル中国資本の遠東大飯店(ユンドァン)という。わざわざ見学に行ってみたが、ほぼガランドウに近く、対岸側にあるチャイナ・タウンの長い長い商店街も人が殆どいない。門前の四階建てのホテル中華風のつくりだが、そもそも中国人客の姿がない。

チャイナタウンは火が消えていた

中華門の傍で焼き鳥を焼いている中年男に「中国人か?」と訊くと「そうだ」。

「商売はどう?」、「うぅん最悪に近いな」。「中国人を殆ど見かけないが?」、「そうさ、北朝鮮キルギスウズベキスタン、そしてアゼルバイジャンからの安い労働力に奪われ、殆どの中国人は帰ったよ」と言う。

われわれ四人組が泊まったのはナホトカで高級な、ガイドブックにも出ているピラミッドホテル。だが、これとて民宿に近い。地下のレストランは客も疎らで、ウラジオストックの繁栄ぶりに比べると天地の開きがある(ただし味は旨かった)。

ナホトカの町を歩いている女性のセンスも田舎風で流行遅れ所得格差が歴然としており市内唯一のデパート「グム」を見学して品数の貧弱さに唖然とする。書店絵本小説くらいしかない。村上春樹翻訳? ナホトカでは見かけなかった。

2006年に524人の遺骨が収容され、慰霊祭も行ったというナホトカの日本人墓地は台座が毀され荒れ果てていた。

慰霊祭から僅か三年後、お墓だった場所は草ぼうぼう、日本人墓地標識落書き、おそらく大理石だった台座がインテリアの飾りにでも使うのだろう、殆ど盗まれて、まるでハゲタカの被害にあったような荒廃ぶりである。

ウラジオストックにあったお墓のほうが立派で、墓園の入り口には花屋もあったのに。

ホテルの裏にこれ見よがしにあった日ロ友好の壁が虚しい気がした。

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 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

     平成21年(2009年)9月9日水曜日)貳

        通巻第2703号 

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