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はてなキーワード: ミスリードとは

2012-02-11

スキャンダルネタは簡単じゃなかった

けっこう前に告発系の記事を書いたのだが、数か月たった今の状況を見てもあんまり盛り上がらなかったようなので反省をする。はてブ10いかないってのは失敗。んなもん自演で頑張れる範囲だっての。俺ってこういうセンスがないのかな。それとも努力不足なのか。とりあえず反省していこう。

 

やっぱり面白くないといけないみたいだ。一応やらおんと萌通についての記事を参考としたんだけど、ただ事実を列挙しても相手が小物だったから盛り上がらなかった。これは誤算。コンテンツとして物足りなかったようだ。執拗なまでに証拠を揃えていたので「これが事実なの?」って意見はつぶすことができたけど、同時に「わりとどうでもいい」という感想を抱かせてしまうことなった。やっぱり優先されるのは面白さ。面白くないと犯罪だってニュースに登場しない。もっとアイデアを捻れば良かったと思う。そもそも「記事」として面白くなければ話題にはなり得ないのだ。面白い事実なんて存在しない。解釈と肉付けあってこそ。

記事の書き方もまずかった。個人的な狙いとしては未来のためにソースとなる記事と、その事実がどういった意味を持つかを書きたかった。記事を読んだだけで何が起こっているのか、どう判断したらいいのかが分かるような記事。しかし、これらの二つを組み合わせるのは案外難しい。慣れないもんだからところどころに綻びがあった。それに詳細のリンクを踏んでくれる人は少ないから出来れば一つの記事にまとめるべきだったのだろう。分かりやすくないとまず読んでもらえない。読んでもらっても理解されない。みんな暇じゃない。

 

盛り上がらなかった要因としては初動の遅さが大きな原因。はてな匿名ダイアリーが注目されるのって、例外なく「影響力のある人が言及して」からみたいだ。俺の記事はそれがあまりに遅かった。おそらく投稿するのが適したタイミングとかあると思うんだけど、それがいまいちからない。これはもう運だと思う。だから仕方ないといったら仕方ないんだけど、せめてこちらか記事を拡散するように働きかけるべきだった。自演垢ではてブ三つ付けるくらいのことはしないと。まあ俺が影響力があればいいんだけどね。地道に努力しよう。 

それと大事なのが愉快犯として突き通すこと。書き手の属性ツッコミどころがある最悪な奴で良い。これを学べたのは一番の収穫。下手に倫理観に則っていても、かならずツッコミどころががある。それくらいなら始めから悪意を込めて、恣意的な記事にすべきだった。私はこう思う。君たちはどう思うか。なんて面倒くさいことはせずに「消えちまえwwww」とか書いとけば良かった。俺はピエロになるべきだったのだ。しかも思っていなくても正義に訴えかけていたら、本当にそんな気がして悪いことをした気持ちになった。これも気を付けたい。ひたすら腑抜け野郎を煽っていこう。まずは自分で草生やして自分燃えろ

 

で、良かった点。これはミスリードを狙ったこと。まんまと相手が引っかかった。別に大した意味はないけどただ気持ちいい。絶対に特定されないからどうでもいいんだけど。これから告発系の記事を書くときミスリード採用しよう。なんか悪あがきって感じで恥ずかしいけど楽しいのでアリ。


今後の告発に備えて切り込み隊長の記事でも読み返して煽りのセンスでも鍛えてくる。今思うと、相手が小物すぎたんだよな。どれだけえげつないことを暴露しても、マイナー人間がやってたら話題にならない。それでも記事の書き方次第では注目されると思うから、今度はまた機会があれば頑張っていこうと思う。書いてみないと分からないと思うけど、たまに話題になる告発系の記事ってわりと難しい。読んだ人に「これはスキャンダルや!!」って思わせるのはそう楽じゃない。あれって様々な工夫がされてある。不勉強でした。

http://anond.hatelabo.jp/20120211084313

老人の負担増やすなら年金所得控除やらマル優なくすほうが効果あるのに

年金から所得税とられないかのようにミスリードして

「だから現役世代にとっては所得税より消費税上げたほうがいい」とかいエコノミストはよく見かけるな

2012-01-22

グローバル化って言葉が生み出す誤解について

先に結論から書くと、グローバル化のことは、「外資系社員ではなくて、中小企業オヤジに聞け」ということ。

外資系の人は、大企業人間に聞くよりはマシだろうけれど、かなりのポジショントークにならざるを得ない。



http://togetter.com/li/245090

上のtogetterもしかして善意なのかもしれない。

日本が好きで、日本のことを思い、本当にヤバいという焦りの気持ちを、叩かれるのを覚悟で率直に伝えてくれたのだとしたら

私はむしろ感謝すべきなのかもしれない。それでもあえて苦言を呈したい。

論点が盛大にずれている。というかこれポジショントークだよ。

彼は正しく現実を観て、正しいことを言ってるとは思うけれど、意識的にか無意識的にか、自分ポジション価値を上げるよう誘導する表現をしている。




グローバル化についてはドラッカーがまだ邦訳されてない論文でこういうことを言っている。適当に要約するとこんな感じ。



最近グローバル化グローバル化とわめきちらすやからが多い。

まるでグローバル化そのもの価値があって、それに適応することが自分価値を高めるかのようなことをまくし立てる愚か者のことだ。

グローバル化と呼ばれる流れで変わるのは、単に競合が国内にとどまらなくなるということだけだ。

どれだけ価値を生み出せるか、どれだけ高い生産性を保つか、という今まで私がしてきた問こそが重要であるという事実は変わらない。

英語技術や最新のテクノロジーそのもの大事なのではない。

新しい競合と比べて、より高い価値提供できるか、それだけが問題なのだ

英語や最新のテクノロジーをみにつけても価値提供できない奴は結局職を失うことになる。

グローバルという言葉に踊らされ、目新しいことをそのもの価値があると信じて意味のない努力をするのではなく、

今まで通り、目の前の客に少しでも価値のある仕事提供するに自分をどう磨いていくかを考えろ。

繰り返す。グローバル化や最新テクノロジーそのもの技術の変化にすぎず、イノベーションではない。

イノベーションとは現在サービス価値を高め、新たな顧客を生み出す変化のことであり、それこそが重要なのだ

考えなしに新しいテクノロジに乗り出せば成果が得られると思うやつは、考えなしに多角化して失敗した一世代前のエグゼクティブから何も学んでいない。




言ってることは上のtogetterと同じだ。でも印象が違ってくるのではないか

どちらの説を取るにせよ価値のない仕事をしている、競合と比べて費用効果が悪いバックオフィスは切られる。この結果は変わらない。

結果が同じならそれでいいじゃないか、という人もいるかも知れないが、そういう考えだと、外資系の人だけが潤うだけだ。

ドラッカーは上の人のように、グローバル化に乗り遅れなければ助かる、というようなミスリードはしていない。

英語なんぞを頑張るよりは、世界に誇れる仕事をして、新しい価値を生み出すことを考えろ。

何でもアメリカルールに揃えようとするな、それよりは自分らしいやり方で独自の価値で勝負しろ、と言っている。




上記記事は、失礼ながら形だけ見たら植民地化された国で、まっさきに奴隷監視役を請け負って中間支配でおいしい目を見ようとする類の人と変わらないように思う。

彼は善意でこういうことを書いてくれたと思うからこそ、この手の微妙な話は伝え方に気を使って欲しい。ちゃんと真実を、誤解のないように伝えて欲しいと思う。

ぶっちゃけ、彼の言いかただと日本やばいですよと煽った挙句に、問題は解決しないどころかよりドツボにはめる結果になりそうだ。

そして彼のような人だけが儲かる結果になる。そういう結果になった時、自分の言った発言に責任が取れるのだろうか。

せっかく外資系で、日本の中に閉じこもってる人より世界現実を見てるんだったら、

いかにして日本アメリカ流に屈せずに自立自存の道を歩めるかまでちゃんと「自分の頭で考えて」それを伝えて欲しい。そういう議論ができるのが外資系のいいところとちゃうの? 

これって日本を知らないアメリカ人自分たちの作法が絶対的に優れてるという前提で語ってることを、日本人側として素直に受け入れちゃってるような気がしてならない。





上の記事の人にはすみません言いがかりみたいな記事を書いてしましました。完全に憂さ晴らしです本当にありがとうございました

私が勤めてるSI企業ってのは、この人の何倍も腐ったアメリカマンセーコンサルタントさんがですねうわなにw

いや、でもホント中小企業で頑張ってる人に話を聞くべき。 

なんだかんだ偉そうに言ってるシステム屋より、実際に海外と勝負して売れる価値を作ってる彼らのほうが偉いし、ずっとよく物事を考えてる。

2012-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20120115005706

マーケティングや商品開発に使いたいから、ってのもあるけど、

webサービス提供からしてみたら、コストなしで勝手コンテンツができあがっていくCGMというものが、

非常にウケがよかったってのもある。

その際に、便所の落書きみたいな書き込みされたとき

厄介だね、ということにサービス提供側が気づきだして、

身元がはっきりした人からの書き込みじゃないと、落書き抑止力にならないか

ダメだねっていうのが、facebook流行り出したまさに今。

でも、増田つかってるひとなら判ると思うけど、

匿名じゃないと書けないことなんていっぱいあるわけで、

実名だけのデータを信じてたらミスリードすると思うんだがなー。

2012-01-03

基礎年金改革を断行すれば10兆円の財源が出てくる←いやその理屈おかし

http://www.taro.org/2012/01/post-1140.php

消費税を全額基礎年金の財源にすれば10兆円の財源が出てくる

とか書いてあるんだが、

全額基礎年金にして国庫負担10兆円が不要になっても

それまでほかの用途に使ってた消費税が使えなくなるからプラスマイナスゼロじゃないの?

意図的なミスリードなのかただのおっちょこちょいなのか気になるところ

2011-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20111228124639

なんで加齢と30の話がごっちゃになってるんだ?

ミスリードすんなよww

誰も年食った爺さんの性欲が落ちてるとか言ったらそりゃ大多数は納得するけどよw

30で性欲が無くなるのが普通とか言ってる奴に対してそりゃおかしいって突っ込んでるだけだろwww

馬鹿かお前は

2011-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20111221132659

ミスリードしてたのは認めるのか。

そういうの責任転嫁って言うんだぞ。

2011-11-23

岡田女史にもAya Sakaguchiにもなんの問題もない。問題があるとすれば、それは歪んだ感性事実を把握するしかできない人のほうだろう

http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html


なんか必死に「この子普通じゃない」と連呼してるブログが話題になっていたので、元記事(http://nanapi.jp/topics/68)を読んでみたけど、そんな意図的な演出や露骨ものがあるとも感じられなかったし、この子の顔だって十人並みで、どちらかというと地味な方だ。もっとかわいいはいくらでもいる。


真性引きこもりの人は、引きこもってるせいで世の中の女性というのをちゃんと見たことが無いのではないだろうか。


女の子って、基本的には化粧でかなり誤摩化せるから男のキモオタみたいに、みているだけで周りを不愉快にさせるほどの厳しいルックスの人というのはほとんど存在しない。


の子早稲田別にとりたてて可愛い方ではないだろう。嘘だと思ったら早稲田キャンパスで一日過ごしてみればいい。

今の早稲田女子は基本的にすごく可愛い高学歴=メガネデブスみたいなステレオタイプ女の子はもうどこにもいない。


岡田女史(ちなみに僕は面識はない)がとりあげた意図も、内容も特にミスリードを誘うようなものではない。

問題は、この女の子が「普通女子大生ではない!なぜなら可愛くて高学歴から」という主張をしたくてたまらない真性引きこもりの人自身だ。

名前がずるいとか、もはや言いがかりを通り越して、病的な気配さえ感じられる。

率直に言って気持ち悪い。


元記事にも、それを書いた岡田女史にも、もちろんこの女の子にも悪いところはひとつもない。あるとすれば、これを見て素直に受け取れない歪んだ精神構造の人だけだろう

http://anond.hatelabo.jp/20111123090858

本来の三行要約は、情報処理効率を重視した目次的な役割であるはずなのだが、

そうだっけ?

今北産業って、祭り会場に乗り遅れたヤツが発してたのに受けて

おもしろおかしく三行で返すってヤツで

正確さより、ミスリード上等なもんでしょ

まあ久しぶりのテキストサイト時代の薫風に興奮すれども

要は顔だろと最初の一段しか読んでないコメントが多くて

がっかりする気分は分かるけど、

今北産業とか「分からいかジョジョで説明してくれ」とかの

デバイドをデバイドとして楽しむ文化は楽しめばいいんじゃない

そもそも元ネタは、ライフハックとかじゃなく純文学の類なんで

文学の要約って古典文学みたいな教養として価値がないと

情報として無意味だし

2011-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20111114205535

横だけど、アンタね、「最低」と人に言うだけの理由があったのが分からないの?

個人の大切なものを平気で踏みにじるような人間に対して牙を剥いてはいけない理由があるの?

なんていうか、アンタも結局イジメを平気でやっちゃうタイプ人間なんだろうね


※追記:ちょっとしたミスリードがありました、すみません。「最低なやつに最低と言えば、そりゃ最低な仕返しが待っているであろう」ということには同意


ただ、『学校行かなくてもいいんじゃない?』っていうのには部分的に同意

今の世の中では、学歴っていうものがある程度ハバを利かしているから、簡単に放棄していいものでもないんだけど

一番大切なのは自分の身であるということを元増田には心がけてほしいね。無理はしないようにさ

2011-11-02

http://anond.hatelabo.jp/20111102131421

「実際に言ったのは考えにくい」という主張を、意図的に「実際にそうであることは考えにくい」にミスリードさせようとしてる感じがしたから。

http://anond.hatelabo.jp/20111031215258

昨日出てたネタバレ画像を見る限りでは、お願いだけじゃなくおねだり(対価)の軽重基準にもミスリードがあったんだな。

「重い」と思われていたあのおねだりも、「○○ごっこ」の体で叶えてやれば問題なかった可能性が高い。

正確に応えなくても喜んでくれればそれでよかったんだ。

2011-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20111004095545

これは北朝鮮日本海沿岸と言うからおかしくなるのであって、北朝鮮東岸と言えば何の問題もない。

テレビスタッフボンクラなのか、あえてのミスリードなのかはわからんが。

2011-09-04

yuhka-unoさんの文章に見る自己矛盾

http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472

まず全体の内容についての感想

タイトルが結論があるかのようにミスリードしているが、書き手本人自身が未決着の感情について(本人がコメント欄でそう書いている)書かれたものである

今はこう思ってるけど将来どうなるかわからん、程度の話なんだと思って読めばどうってことはない。



ただこの人の文章の書き方は少し気になる。

例えば「困った母親」、「親切な方々」などいろんなレッテルを張って、自分側とそうでない側を誇張的に二分していること。

特にこの人の母親に対する描写は、相手を理解しようという姿勢意図的に排除されている。

まさか分からない人はいないと思うけれど、書き手が言ってる「母親の気持ち」は

あくまで書き手が自分経験から推測というか決めつけを行っているものである

実際の気持ちがどうであったかはこの文章からは判断することができないのだ。

から、「この人はちゃんと母親の気持ちを考えている」とは言えない。

この人は終始自分の側から観た自分のことを語っているだけにすぎない。

この人が語る母親像は、この人にとっての真実にすぎない。




書き手の人が決めた設定を強調するものに限られている。

構造」や「レッテル」を重視して、相手の内面をあまり重視していないように思える。

おそらく説明のための具体例を挙げるという趣旨の為だろうが、この記事だけ読むと、書き手の人にかなり冷たい印象を持つと思う。

まり、これによって母親自分の気持ちを理解してくれなかったと書いている割に、

この書き手も、自分から一方的に分析をしている(というか、自分の正しいと思うことに従って物事を整理している)だけで、

母親の気持ちを理解しようとしていないではないか、という指摘ができそうに思えてくる。





もちろん私はこの記事だけ読んでこの書き手の方が、他人の気持ちを思いやれない人だと決め付けるつもりはない。

ただ、この文章の中だけで、コメント欄のような「あなたは、あなたが求めるように母親の気持ちを考えてるんですか?」という反応が出るのは

極めて自然なことであると思う。

そのあたりを全く自覚しないで「しんせつな方」などといやみを言う辺り、

書き手の人とその母親は、相手の意見聞く耳を持たないという意味で似たもの同士であると「この文章からは」感じた。





色々書いたけど私が言いたいことは以下の引用

きわめて単純なルールがある。作文の内容は真実でなくてはならない、というルールだ。ぼくらが記述するのは、あるがままの事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない。

たとえば、「おばあちゃんは魔女に似ている」と書くことは禁じられている。しかし、「人々はおばあちゃんを<魔女>と呼ぶ」と書くことは許されている。

「<小さい町>は美しい」と書くことは禁じられている。なぜなら、<小さい町>は、ぼくらの目には美しく映り、それでいて他の誰かの目には醜く映るのかもしれないから。同じように、もしぼくらが「従卒は親切だ」と書けば、それは一個の真実ではない。というのは、もしかすると従卒に、ぼくらの知らない意地悪な面があるのかもしれないからだ。だから、ぼくらは単に、「従卒はぼくらに毛布をくれる」と書く。

ぼくらは、「ぼくらはクルミの実をたくさん食べる」とは書くだろうが、「ぼくらはクルミの実が好きだ」とは書くまい。「好き」という語は精確さと客観性に欠けていて、確かな語ではないからだ。「クルミの実が好きだ」という場合と、「おかあさんが好きだ」という場合では、好きの意味が異なる。前者の句では、口の中に広がる美味しさを、「好き」と言っているのに対し、後者の句では、「好き」は一つの感情を指している。

感情定義する言葉は非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け、物象や人間自分自身の描写、つまり事物の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。

本人の良し悪しは分からない。でも文章には問題がある。そこのところは多少自覚してもらいたい。

2011-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20110820224415

ぼくもお答えします。

だんだん難しくなってきたのでついていけるかわかりませんが…

わかる範囲で答えたいと思います。誤解があったらすいません。

でもやっぱりちゃんと理解されるほうが嬉しいです

音楽を聞いて感動することはでき」ると私も考えていますですから音楽表現場合は私の述べた理解から共感に至るまでのプロセスはそもそも通用しませんし、最初から文章表現に限定した話をしたわけです。(書いてないことを取り上げて批判することは簡単ですが、それは藁人形論法という詭弁であることを指摘しておきます。)

絵や写真音楽のような表現なんかは良し悪しや感動するしないがハッキリしていて理解や共感がしやすいけど、文章表現はそうじゃないという話です

それもそうか…。音楽と文章を同じものとして扱っては余計わかりにくくなるのかもしれないね




あと「徹頭徹尾、理路整然としてなければいけない」なんていうのは思ってませんし、そういう話はしていません。

①人に文章表現共感してもらうには②人から理解が必要で③そのためには発信者が正確で、分かりやすく書いたほうが望ましいという話であり、誰に対しても(自分自身に対しても)「徹頭徹尾、理路整然としてなければいけない」というのは思っていないわけです

①②③の理路が正しいかは判断不能なので留保しておきますが、私はそういうロジックで文章を書きました。

そういう話じゃなかったのならぼくの誤解だったね。ごめんなさい。

ぼくはこう思うって話と

あなたはこう思うって話がとりあえず明らかになったのかなあ。





「この人の言ってることはよくわからないけど、なんとなく切羽詰まってる感じが伝わってくる」と書いてもらえれば大分理解しやすいです

蛇足ですが、そういう人が現実生活にいた場合、相手の状態に拠って励ますか慰めるか共感するといった行動を個人的には取りますね。

文章だとそれが分からないので(文章だと相手の気持ちが分かったつもりになるのでそれは避けたい)、たぶんスルーしてしまますが。

わかりやすかった?よかった^^

そうだよねーぼくも同じ立場だったらどういう対応をするかちょっと悩むなあ。





完璧論理的な文章を書くことのほうが難しい」のはもちろん同意です。というか難しいのではなくて不可能です

「文章を書きたい」という気持ちは誰にも邪魔できません。そして文章を書くという行為自体は「敷居の高い行為である必然性はありません。

ですが「何かを伝えたい」という目的がある場合には話は変わります。「何かを伝え」るということには当然のことですが他者の存在が必要です

文章を紡ぐ行為の先に他者がいるということは必然的に文章が公共性が生まれ、責任が生じてきます

そうした場合にはミスリードによって翻弄される他者も出てきます

こういう事態に直面した時に取りうるスタンスは少なくとも2種類あります

①「理解してくれる人はしてくれるし、してくれない人はしてくれない。」から誤解した人はスルーするというスタンスと、

②「理解してくれない人(大多数だと思います)に理解に近づけさせる」ために対話を続けたり、根気良く文章を紡いだりというスタンスです

私は後者スタンスです。そして前者のスタンスも認めています

ただし前者のスタンス採用している人たちには「人を翻弄している可能性を放置している」という事実直視していただき、他者がいる文章表現に否応無く、避けがたく存在している責任ハードルをぜひ自覚していただき、自覚の上でハードルの下をくぐるなり、きちんとハードルを飛び越えるなりご自由に行為を選択していただけたらなあと思います

(念のため言っておくとハードルの下をくぐる場合でもヘイトスピーチなんかは避けてください。ヘイト野郎はどんな場合も美しくないと思いますので。)

ぼくは①と②のどっちのスタンスなんだろうなあ。

理解してほしいからなるべくミスリードのないように

わかりやすいように書きたいとは思うけど

それもある程度でしかいかなあ。

しかに翻弄している可能性あるなあ。

翻弄してしまうのはイヤだけど

かといって「ある程度」以上の努力をしてしまうのもイヤなんだよなあ、わがままかなあ^^;

ハードルは飛び越えられたらいいなという願望はあるけどめんどくさかったらやめてるかも…。




「この世に神様なんていなければ世の中の宗教ほとんど詭弁だってことになる」と仰る意味がよく分かりません。

「この世に神様なんていなければ」という仮定が良く分かりませんし(だって神様存在するか否か、実在するか否かなんて真偽の水準では判断不能ですし)、

「世の中の宗教」という言葉組織としての宗教なのか、制度としての宗教なのか、人々の信仰対象としての宗教なのか、など

宗教の多様な存在形態のうちのどのような形態を指しているかが具体的ではないので分かりません。

とりあえず宗教と文章表現は異なりますという簡単な指摘だけで留めておきましょう。

これもやっぱり例にあげて比較するべきじゃなかったかな^^;

要するに、ぼくは詭弁を弄することが悪だとは思ってないってことかな。

でもそれだとあなたの質問に答えてることにはならないか

読者に文章を理解させようとする気があるのなら

詭弁のような不当な推論はなるべくやめたほうがいいんじゃない

もし、詭弁を使うつもりなら留保を付記しようって話だったかな(合ってる?)

うーん…。ちょっと考えてみる。

理解してもらいたいとは思ってるけど

からといって詭弁を言ってはいけないのかどうかもわからないし

留保を付記したほうがいいのかどうかもわからない。

詭弁があればミスリードを誘う…

ミスリードは理解を困難にする…ような気がする。

もしそうなら、詭弁はなるべく少ないほうがいいってことになる?

うん、ウソはつきたくない(詭弁ウソは同じじゃない?)。

ウソはついてないつもりだけど「つもり」なだけかもしれない。

なるべく詭弁を書かないつもりでいたいなら

書かないようにする努力というか勉強をしたほうがいいのかな?

この理解であってるなら、それに対するぼくの答えは

まず書いてしまいたい!ってことかな。

そして、勉強はしないかもしれないw

したくなったらやろうかな~。

ちょっと勉強する手間を惜しんでいるだけで

かなり間違ったことを言ってる可能性はあるのかもしれない。

いまは、勉強する気になれないかなあ。

そんなこと言ってる場合じゃないのかなあ。





私は貴方の「悲しいなあ」に関する表現を「『こいつはウソを言っている』と思われた場合、悲しい」と解釈しました。

それで今回の返信に「悲しいのは事実なんだよ。」と書かれてました。

私の解釈と貴方の書いたことを総合すると、「こいつはウソを言っている」と(私に)思われようが思われまいが関係なく「悲しい」ということで良いんですかね(繰り返しますが私は貴方が嘘を言っているとは思いません)。

いや、勝手な推測ですが、誤解されること自体が悲しいのでしょうか。

どういう経緯で「悲しい」と感じたのか仰っていただけると、こちらもそちらに配慮できるかもしれないので、うれしいです

悲しいまでの経緯か~うーん・・・

的確に表す言葉が思いつかないけど

頭に浮かんだのは「理屈感情は違う」ということかなあ。

頭では誤解されることは仕方ないことだと思うけど

でも、実際に誤解されたときにはっきりと心がきしむ。

頭と心は分離できるものなのかよくわからいか

そう言いながらも実は「わかりあえるはずだ」と思っているのかもしれないけど。

「こいつはウソをついている」と思われているのならぼくは悲しい。

そう思われていないなら悲しくない。これはたぶんハッキリしてる。

誤解されること自体が悲しいということだと思います

それは「(あなたに)誤解されることが悲しい」と言ったわけではないのです

ぼくも「あなたに嘘つきだと誤解されている」とは思いません。

「もし誰かに誤解されることがあるとするならば、それは悲しい」ということです

うーん・・・わかりにくかったらまた言ってください^^;





他者に「どう思ってくれてもいい」と思いながら「他者からどう思われてるかということを気にせずにはいられない」という感覚ってどんなものなんですかね。

「どう思ってくれても構わないけど誤解されると悲しい。でも誤解だろうがなんだろうが何でもオッケー。悲しいけど否定はしない。」ってスタンスなんでしょうか。

私は「ある程度こちらを理解してくれたらどう評価しても良い。明らかに誤解されてる場合は理解してもらえるよう努力する」みたいなスタンスなので後学のためにどんな感覚なのか理解したいです。いや、やっぱり書かなくて良いですよ。この辺でお話はやめておきましょう。

おおむねそんな感じです

悲しいけど否定しないんです

でも、諦めるってことでもないなあ。なんだろう。

理解してもらえるように努力はしたいししますが

やはりそれもある程度の努力でやめてしまます

ある程度の努力をしてみて

どこかにボーダーがあって、もうそれ以上は努力をやめようという気になる。

あれ?矛盾してる?

うん、「否定しない」はたぶん違う。

否定しないんじゃなくてぼくと相手の理解を近づけようとする。

それで…どこかはわからないけど

ぼくが相手に対して「この人はわかってくれたかも」と思ったら

理解を近づけることは一時停止する。

「この人はまだわかってくれてないかも」と思ったら

引き続き理解を近づけようとする。

でも、「まだわかってくれてないかも」と思う人でも

ぼくは理解を近づけることを一時停止することがある。

そのスイッチがどこにあるのかわからないけど、そんな場合があります

そして、そんな場合の時は悲しいけど否定しないようです

「まだわかってくれてないかも」と感じるだけでも悲しくなります

加えて、「わかってくれたかも」と感じる人でも

賛同してくれない場合、否定される場合は悲しくなります

こんな感じです

んー…ウソがあるかもしれない…。

あらゆる状況下でぼくの言ってることが

必ずしも再現されるかというとそうじゃない気もします。

まだわからなかったら遠慮なく言ってください。







長々と述べてきましたが、言いたいことは以上です。もしハードルの下をくぐるような無責任な文章を書いていくつもりならこれからもどんどん批判や指摘を行っていきますし、ちゃんと責任意識した文章を書いていくのなら批判や指摘もしつつ応援していきますので、よろしくお願いします。増田ではなくてブログツイッターなどのご自身のフィールドでやるなら批判も指摘も何も書きません。何れの文章記述スタイルを貴方が採用するにせよ、私は貴方を応援しています

批判や指摘は大歓迎です(でもやっぱり心がチクチク痛いです)。

わーい応援ありがとう^^




私も人が死ぬのは嫌ですし、弱い者の味方でありたいし、弱い者が弱いままで生きられるコミュニティを実現するかもしれない連帯の可能性を信じたいですから

ちょっと救われました。ありがとう

よかったらどうにかして繋がりましょう。

2011-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20110820182034

私自身は読者が誤読をしていたらなるべく指摘するようにしているので、一応いくつか誤解を指摘させてもらいます




音楽を聞いて感動することはでき」ると私も考えていますですから音楽表現場合は私の述べた理解から共感に至るまでのプロセスはそもそも通用しませんし、最初から文章表現に限定した話をしたわけです。(書いてないことを取り上げて批判することは簡単ですが、それは藁人形論法という詭弁であることを指摘しておきます。)

絵や写真音楽のような表現なんかは良し悪しや感動するしないがハッキリしていて理解や共感がしやすいけど、文章表現はそうじゃないという話です




あと「徹頭徹尾、理路整然としてなければいけない」なんていうのは思ってませんし、そういう話はしていません。

①人に文章表現共感してもらうには②人から理解が必要で③そのためには発信者が正確で、分かりやすく書いたほうが望ましいという話であり、誰に対しても(自分自身に対しても)「徹頭徹尾、理路整然としてなければいけない」というのは思っていないわけです

①②③の理路が正しいかは判断不能なので留保しておきますが、私はそういうロジックで文章を書きました。




「この人の言ってることはよくわからないけど、なんとなく切羽詰まってる感じが伝わってくる」と書いてもらえれば大分理解しやすいです

蛇足ですが、そういう人が現実生活にいた場合、相手の状態に拠って励ますか慰めるか共感するといった行動を個人的には取りますね。

文章だとそれが分からないので(文章だと相手の気持ちが分かったつもりになるのでそれは避けたい)、たぶんスルーしてしまますが。




完璧論理的な文章を書くことのほうが難しい」のはもちろん同意です。というか難しいのではなくて不可能です

「文章を書きたい」という気持ちは誰にも邪魔できません。そして文章を書くという行為自体は「敷居の高い行為である必然性はありません。




ですが「何かを伝えたい」という目的がある場合には話は変わります。「何かを伝え」るということには当然のことですが他者の存在が必要です

文章を紡ぐ行為の先に他者がいるということは必然的に文章が公共性が生まれ、責任が生じてきます

そうした場合にはミスリードによって翻弄される他者も出てきます

こういう事態に直面した時に取りうるスタンスは少なくとも2種類あります

①「理解してくれる人はしてくれるし、してくれない人はしてくれない。」から誤解した人はスルーするというスタンスと、

②「理解してくれない人(大多数だと思います)に理解に近づけさせる」ために対話を続けたり、根気良く文章を紡いだりというスタンスです

私は後者スタンスです。そして前者のスタンスも認めています

ただし前者のスタンス採用している人たちには「人を翻弄している可能性を放置している」という事実直視していただき、他者がいる文章表現に否応無く、避けがたく存在している責任ハードルをぜひ自覚していただき、自覚の上でハードルの下をくぐるなり、きちんとハードルを飛び越えるなりご自由に行為を選択していただけたらなあと思います

(念のため言っておくとハードルの下をくぐる場合でもヘイトスピーチなんかは避けてください。ヘイト野郎はどんな場合も美しくないと思いますので。)




「この世に神様なんていなければ世の中の宗教ほとんど詭弁だってことになる」と仰る意味がよく分かりません。

「この世に神様なんていなければ」という仮定が良く分かりませんし(だって神様存在するか否か、実在するか否かなんて真偽の水準では判断不能ですし)、

「世の中の宗教」という言葉組織としての宗教なのか、制度としての宗教なのか、人々の信仰対象としての宗教なのか、など

宗教の多様な存在形態のうちのどのような形態を指しているかが具体的ではないので分かりません。

とりあえず宗教と文章表現は異なりますという簡単な指摘だけで留めておきましょう。




私は貴方の「悲しいなあ」に関する表現を「『こいつはウソを言っている』と思われた場合、悲しい」と解釈しました。

それで今回の返信に「悲しいのは事実なんだよ。」と書かれてました。

私の解釈と貴方の書いたことを総合すると、「こいつはウソを言っている」と(私に)思われようが思われまいが関係なく「悲しい」ということで良いんですかね(繰り返しますが私は貴方が嘘を言っているとは思いません)。

いや、勝手な推測ですが、誤解されること自体が悲しいのでしょうか。

どういう経緯で「悲しい」と感じたのか仰っていただけると、こちらもそちらに配慮できるかもしれないので、うれしいです




他者に「どう思ってくれてもいい」と思いながら「他者からどう思われてるかということを気にせずにはいられない」という感覚ってどんなものなんですかね。

「どう思ってくれても構わないけど誤解されると悲しい。でも誤解だろうがなんだろうが何でもオッケー。悲しいけど否定はしない。」ってスタンスなんでしょうか。

私は「ある程度こちらを理解してくれたらどう評価しても良い。明らかに誤解されてる場合は理解してもらえるよう努力する」みたいなスタンスなので後学のためにどんな感覚なのか理解したいです。いや、やっぱり書かなくて良いですよ。この辺でお話はやめておきましょう。




長々と述べてきましたが、言いたいことは以上です。もしハードルの下をくぐるような無責任な文章を書いていくつもりならこれからもどんどん批判や指摘を行っていきますし、ちゃんと責任意識した文章を書いていくのなら批判や指摘もしつつ応援していきますので、よろしくお願いします。増田ではなくてブログツイッターなどのご自身のフィールドでやるなら批判も指摘も何も書きません。何れの文章記述スタイルを貴方が採用するにせよ、私は貴方を応援しています。私も人が死ぬのは嫌ですし、弱い者の味方でありたいし、弱い者が弱いままで生きられるコミュニティを実現するかもしれない連帯の可能性を信じたいですから

http://anond.hatelabo.jp/20110820144450

相手から文章を理解してもらい、内容を批判的に検討してもらい、受容されるというプロセスを経ない限り、文章に真に共感してもらうということはできないのではないでしょうか。

んーそうなのかなあ。わからないなあ。

だってさぁ、音楽を聞いて感動することはできるでしょ?

あれって感覚だけのおおざっぱな理解なんじゃないかなあって思うんだよ。

あんまり言ってる意味が分からないけど、なんとなく心があたたまるような詩ってない?

徹頭徹尾、理路整然としてなければいけない」なんてことはないと思うんだー。

もっと人の自由な感性を信じてるよ。ぼくは。





日常会話であればこうしたプロセスを経ずに共感(した振り)してもらえる可能性は残されています(そもそも日常会話においてでさえ共感してもらうというのは中々に困難であり、共感は僥倖ですが)。発信者が内容の理解しやすさに配慮しない場合でも、です。何故なら相手の誤解をコミュニケーションによって即時的に取り除くことが可能だからです

あーたしかにそれはあるね。

口で話すより、こうやって文章に表したほうが伝わりにくくなってる気がするよ。




しかし文章表現であれば、発信者と各受信者で使ってる語句の定義や用法が異なるので、発信者側が文章を極力正確に、シンプル記述し、理解へと促さないと共感など到底望めません。例を挙げると

「なんかわかるかも」って感じ

「難しいことはわかんない」って感じ

庶民感覚

という語句が曖昧すぎて何を含意しているかからないので個人的には共感以前の状態です(理解できれば共感するかもしれませんが)。

うんwこれは何言ってるかわかんないかもねw

例えば

「この人の言ってることはよくわからないけど、なんとなく切羽詰まってる感じが伝わってくる」とか

そういう理解でも充分かな?

文章表現にすると伝わりにくいっていうのならなおさらね。

もっとシンプルに書ければいいんだけど難しいなあ。

それは書いて練習したいなーって思うよ。



よって読者(受信者)に文章を理解(そして共感)させるには、文章を破綻させたり読者をミスリードさせたりする詭弁のような不当な推論はなるべく(能力的に可能な範囲で)避ける必要があります。もし詭弁表現を使うのであれば留保を付記してから用いるのが良いでしょう。

もちろんここまでの水準での共感を望んでいない(つまりみんなに共感した振りをしてもらいたい)場合には別にどのように記述してもよろしいかとは思いますが、全うな読者の多くからトンデモだと思われる可能性は覚悟しなくてはなりません。

トンデモだと思われる可能性は常にあると思う。

ぼくはむしろ、完璧論理的な文章を書くことのほうが難しいんじゃないか?って気がしてて

それで、「文章を書きたい」とか「何かを伝えたい」って思い、行為

そんなに敷居の高い行為でなくてもいいんじゃないか?とはぼくが個人的に思うところだよー。

理解してくれる人はしてくれるし、してくれない人はしてくれない。

ぼくはそれでいいかな。





ちなみに私は「こいつはウソを言っている」とは思いません。

(私が他者の文章表現で嘘だと判断するのは事実とは異なることが堂々と書かれていた場合以外あまりありません)

ほんとに??

それだけでもすごい助かるよー!

あ、でもぼくは「あなたウソだと思ってる」とは思ってなかったけどね。

そっか~少なくともあなたにはウソとは思われてなかったのか~^^





「この人は言説に詭弁を用いてる自覚があっても言説を真だと思える人なんだろうなあ」(私は詭弁があると真偽の判定以前の問題だと思うので)

うーん。どうなんだろう。

そうかもしれないなあ。

この世に神様なんていなければ世の中の宗教ほとんど詭弁だってことになるけど

ぼくはどっちでもいいなあ。





「他者から批判された時に『悲しいなあ』というフレーズで自身の文章表現のまずさの責任を他者の誤解へと転嫁してしまうことを恥じない人なのかなあ」(そもそも他者が誤解するのは当然というか必然ですし、きちんと理解されることの方が異常ですから他者の誤解に一々落ち込む意味などあまり無いのですが)

恥ずかしくないよー悲しいのは事実なんだよ。

転嫁というかぼくにはどっちなのかわからいかなー

文章がまずいのか誤解してるだけなのか(自分の文章がまずくないとは思わないけど…)

自分の文章がうまくなくてもいいって思ってるんだ。

相手の理解力にあまり期待もしてないし。

わかりやすいようには書いてるつもりだけど、自分が書きたいって思う気持ちを優先させてる。

からといって、「まず人様に見せられるちゃんとした文章じゃないといけない」なんてことは思わないか

それなりの努力しかするつもりがない。

から、誤解されるのは仕方ないけど

やっぱり悲しくなるなあ~凹んでしまう。

ぼくも仕方ないから気にすることないだろうと思ってたんだけどね…。

どうも、他者からどう思われてるかということを気にせずにはいられないみたいだ。





「批判をきちんと検討しない(もしかすると自分が間違うことを認められない、許容できない)人なのかも」

と単純に思うだけですね(誤解であって欲しいところですが)。

どう思ってくれてもいいんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20110820144450

相手から文章を理解してもらい、内容を批判的に検討してもらい、受容されるというプロセスを経ない限り、文章に真に共感してもらうということはできないのではないでしょうか。



日常会話であればこうしたプロセスを経ずに共感(した振り)してもらえる可能性は残されています(そもそも日常会話においてでさえ共感してもらうというのは中々に困難であり、共感は僥倖ですが)。発信者が内容の理解しやすさに配慮しない場合でも、です。何故なら相手の誤解をコミュニケーションによって即時的に取り除くことが可能だからです



しかし文章表現であれば、発信者と各受信者で使ってる語句の定義や用法が異なるので、発信者側が文章を極力正確に、シンプル記述し、理解へと促さないと共感など到底望めません。例を挙げると

「なんかわかるかも」って感じ

「難しいことはわかんない」って感じ

庶民感覚

という語句が曖昧すぎて何を含意しているかからないので個人的には共感以前の状態です(理解できれば共感するかもしれませんが)。



よって読者(受信者)に文章を理解(そして共感)させるには、文章を破綻させたり読者をミスリードさせたりする詭弁のような不当な推論はなるべく(能力的に可能な範囲で)避ける必要があります。もし詭弁表現を使うのであれば留保を付記してから用いるのが良いでしょう。



もちろんここまでの水準での共感を望んでいない(つまりみんなに共感した振りをしてもらいたい)場合には別にどのように記述してもよろしいかとは思いますが、全うな読者の多くからトンデモだと思われる可能性は覚悟しなくてはなりません。






ちなみに私は「こいつはウソを言っている」とは思いません。

(私が他者の文章表現で嘘だと判断するのは事実とは異なることが堂々と書かれていた場合以外あまりありません)



「この人は言説に詭弁を用いてる自覚があっても言説を真だと思える人なんだろうなあ」(私は詭弁があると真偽の判定以前の問題だと思うので)

「他者から批判された時に『悲しいなあ』というフレーズで自身の文章表現のまずさの責任を他者の誤解へと転嫁してしまうことを恥じない人なのかなあ」(そもそも他者が誤解するのは当然というか必然ですし、きちんと理解されることの方が異常ですから他者の誤解に一々落ち込む意味などあまり無いのですが)

「批判をきちんと検討しない(もしかすると自分が間違うことを認められない、許容できない)人なのかも」

と単純に思うだけですね(誤解であって欲しいところですが)。

2011-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20110818093246

債務額自体が嘘とまでは思わないが、その対策で何をやるべきか将来どうなるかはかなりミスリードしてる面があるように思う

もう十年以上前から財政破綻が騒がれてトリプルAじゃなくなってから10年以上たっててるのにインフレ率も長期金利世界最低水準で円高進行してるし

電力に関しても需給予想自体は嘘じゃないだろうけど、そのために家庭がやるべきことに関しては膨らましてる感じがする

2011-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20110731233424

ミスリードでもなんでもない。

嫌韓あいだの論点の主な一つだっただろ。

フジタイムテーブル見せて韓流ドラマばっかりだなって言ってただろ。

で、それに対する経済的合理性の反論が出てきて

それだけじゃ論理が弱い、まさか海外コンテンツを法規制しようという方向にも行けないか

まえからあったサブリミナルって論点(これも弱いけど)やステルスマーケ批判が主題になってきたのがここ1週間の話だろ。

じゃあなんで韓流ドラマスポンサーになってる花王やり玉にあげられてるんだよ。

自己欺瞞もいい加減にしろ。

http://anond.hatelabo.jp/20110731180019

「泥棒なんか来ねーよ、何必死でカギかけてんのwwかっこわるいwww」

などと誰かにいわれたときには、むしろ厳重に戸締りをしたほうがいい。もし俺が泥棒ならばやはりそう言う、家主がそんなたわごとを信じてくれると非常に都合がいいからだ。まんまと盗みを働かれたとき「カギをかけてはいけないと思った」と言っても誰も同情してはくれないしアホだと思われる。

 

2011/8/2の台湾・自由時報では次のようなことが報道された。

国家通信伝播委員会NCC)「テレビ局ちゃんとやれ。韓流の比率を減らせ。番組宣伝CM、あれもいい加減にしろ。あと視聴者要望おろそかにすんな。約束どおり基準と倫理委員会の整備やれよ。報道番組でわざとミスリードさせる実験とかやるといいと思う。あと各局こないだ罰金とられたの忘れんな。いいか?韓 国 ド ラ マ 多 す ぎ ん だ よ !」(意訳)

http://www.libertytimes.com.tw/2011/new/aug/2/today-life10.htm

外国コンテンツの比率を制限して自国文化を守る動きが台湾にあると日本でも話題になっている。でもむしろ台湾が気にしているのはテレビ番組CMを「操作」して視聴者に与える影響のほうなのかもしれない。外国コンテンツ依存するということは自国でコントロールしにくい比率が上がってしまうことになるという懸念だ。そして外国の中でもあきらかに韓国けが名指しで警戒されているのがわかる。

韓国マスコミ歴史捏造やら反日やらを日常的にやってることは日本語ででも確かめることが出来る。韓流ドラマK-POPけが輸入されているうちはまだいいが、韓国のいいなりになる日本テレビ局などが出現してしまったら”韓流マスコミ”が日本国内に出来るようなものだ。台湾規制しようとしているのもおそらくそういうことだ。

フジテレビ韓流マスコミ化なんかありえねーよ、何必死で防ごうとしてんのwwwかっこわるいww」

などと誰かに言われたときは、むしろ必死で防ごうとしたほうがいい。もし俺が韓流マスコミ手法を使って日本をどうにかしようと考えたならばやはりそう言う、日本人がそんなたわごとを信じてくれると都合がいいからだ。まんまとしてやられたとき「まさかそんなことになるとは思わなかった。日本マスコミを守ってはいけないと思っていた」と言っても遅いしアホだと思われる。

2011-07-31

最近流行の議論の方向をミスリードする方法

http://news.livedoor.com/article/detail/5749573/

『そんな中CXがお昼の時間帯に韓国ドラマをかけているのは、別に韓国陰謀でも電通陰謀でもなんでもなくて、

単純に安いから。そしてその割に視聴率をとるから。(もっと言えばCM枠量設定も多い。)』

韓国ドラマの多さが問題じゃないけど、

論点があたかドラマの多さであるかのように見せかけて

それについて冷静に判断してみせる。

茂木健一郎のやり口も、ロンブーも同じ。

問題になってるのはドラマの多さじゃなくて、

笑って良いとものランキングとか、空港での人数とか、韓日戦とか

サブリミナル的な仕掛けとか、アメリカでは違法ニュースに見せかけた広告とかだよね。

(ちょっと追記

茂木経済合理性原理主義者がいう市場原理だけに任せたら、

記事に見せかけた広告であふれちゃうの目に見えてるよね。

これを経済合理性のお題目で許してたら駄目なのは誰でもわかるはずだけどね)

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110719/221544/

失言で辞任、松本復興大臣を惜しむ声』

これも失言が問われたんじゃなくて、脅迫が問題になったんだよね。

あと藤沢一樹と池田信夫が大量のゴミ情報ばらまいて混ぜっ返すとかもしてるね。


この路線最近はやってるからもっとたくさん事例あるけどとりあえず、すぐに目についたのを。

結論書くのの忘れたから追記。

から、みんな「ステルス広告」とか「脅迫」とか、

ちゃんと事実表現する言葉を使うようにして

さらには、「熱愛」「風評被害」「事象」「想定外」みたいな代理店が用意した言葉を使わないようにしようよ。

2011-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20110722215400

>論旨がズレてるのに気付かないのか、気付いてるけどミスリード屁理屈つけたいだけ

これが正解。そもそも「論」だとも思わなかったけど

http://anond.hatelabo.jp/20110722211635

視覚的にも能力的にも劣等。

元増田ですが、やっぱりこういう人は見た目を重要視するんだなぁ、とよくわかるレスでした。

「(痩せてないと)女を連れて歩けない、恥しい」と言う人もいたな。

他人の目ばかり気にして何になるのか俺にはよくわからないけど。

あとここで言われてる能力は、女としての実用性および機能性にはまったく関係ない。

論旨がズレてるのに気付かないのか、気付いてるけどミスリード屁理屈つけたいだけなのかわかんないけど。

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