はてなキーワード: 集中治療室とは
この間子どもを産んだよ。
でも、なんか突然破水して救急車で総合病院に運ばれて出産する羽目になっちゃったよ。
早産だからって子どもはNICUに入ったよ。新生児集中治療室って言うんだって。
なんでだろうね。産む3日前の妊婦健診では「順調ですね」なんて言われたっつーのにね。
なんて思いつつも、なぜこうなった!?って思ったよね。
同時期に子どもを産んだお母さんたちが集められたよ。
そこで助産師さんが
なんて言い出して、おいおい私救急車で早産でーす、なんて恥ずかしくて
言いたくないわとか思ったよ。
でも話し出したら、その場にいた全員トラブル抱えた出産だったわ。
前置胎盤で帝王切開、切迫流早産で5ヶ月以上管理入院、五十路間近での出産。
逆に元気に何事もなく産む人のほうが少ないんだねきっと。
っつーか、何事もなく普通に産めると思っていた自分は思い上がりも
何を持って十月十日お腹の中で育てて、ひっひっふーで安産で埋めると思っていたのかと。
とりあえず子どもの命があってよかった。
早く家に連れて帰りたい。
何年も鬱病で苦しんだ。
数年前にそれが行き着くところまで行って、まあ初めてではなかったけれども、自殺未遂、救急車で運ばれて気が付けば集中治療室、その後入院、と、散々迷惑をかけ心配をかけ。
退院はなんとなくヌルッと決まったような感覚だった記憶があって、その後どうなるんだ自分の人生、と思ったけれども、失業給付やアルバイトで食いつないでいる間にたまたま決まった仕事が妙に性に合ったようで、働き始めて二年を待たずに服薬が必要なくなるところまで回復した。病院に通わなくなったのは十年以上ぶりのことだった。とてもラッキーだったと思う。
もともと創作活動が好きだったのだけれども、鬱病が酷い時には創作どころではなかったので、何年も遠ざかったままだった。でも回復するにつれ自然に創作に向かうエネルギーも湧いてきて、たまたま外的なタイミングも合って、創作活動を再開し細々と行うようになった。
才能が無いなんてことはとうの昔に痛感していたので飽くまで趣味としてではあるけれども、趣味なりに本気で何かを創る感覚は久しぶりで、刺激的で、仕事やプライベートでうまくいかないことがあっても、創作が自分の支えになりつつあった。
評価は全然されなかった。自分の力では無理も無いと思う。年齢的な面もあって、年甲斐もなく何をやっているんだと思われていた節もある。でも本当に近しい人たちには、自分にとって創作が如何に大事なものかはわかってもらえていると思っていたし、そのうち少し良い作品ができたら、それなりに喜んでもらえるんじゃないか、なんて甘い考えを抱いていたりした。
とある賞で、予選を通過した。それなりの規模で行われている賞で、そういった機会で選ばれた経験が自分には無かったので、予選通過者なんて他にたくさんいたのだが、それでも嬉しかった。励みになった。それなりに浮かれてしまって、今となってはとても恥ずかしい。
そんなに盛り上がるなんてことを思っていたわけでもないけれど、七転八倒していた自分を知っている古い友人、近しい人々は、喜んでくれるんじゃないかと思っていた。でも甘かったらしい。
何の反応もなかった。何も。無理もないか、予選を通っただけだものね。作品のクオリティや方向性だって、まるで誉められたものじゃなかったのかもしれない、こんな自分の創ったものだから。
それでも、そうかここまでちゃんと形にできるところまで回復したんだね、今はやりたいことをやれてるのか良かったね、って喜んでくれる人もいるかと思っていたんだ。作品はまだまだ全然だけど、創れるようになったってことは本当良かったよ、なんて言ってもらえるんじゃないかって、思っていたんだ。
創る側の人間からしたら、ネガティブな評価もそれは勿論怖いけれど、評価が無いこと、誰からも無視されることがどれだけ恐ろしいか、身に染みてわかるんじゃないかと思う。それをわかっているはずの友人たちも、何のフィードバックもくれなかった。
コメントすることも憚られるほど作品が酷かったのか、気を遣って労いの言葉をかけることも煩わしいほど自分が嫌われていたのか、それともその両方なのか。何にしろとてもショックだった。とても。
他にすることも大してなかったんだけど、でもそれなりに色々なことを諦めたり犠牲にしたりしてなんとか形にした作品が、手元にある。でも結局誰にも届かないんだろうな。酷評にも値しない作品。
それでも自分が今死んだら、友人たちは葬いとして一応は作品に触れてはくれるだろうか?それなりに美化して、通り一遍でも褒めてくれるだろうか?
そんなことばかり考えている。作品が認められないこと、無視されることの苦しみに耐えることが出来ないなら、創作なんてする資格も無いのだろうけれどもね。そもそもちゃんと力があって、評価に値する作品が創れるならこんなことにはならない訳で、文句を言う筋合なんてない、こんなことは言ってはいけないんだろうなってこともわかっています。だから自分は駄目なんだ。趣味でこんなに消耗するなんて、バカだなあ。本当にバカだ。人生にはもっともっと大切なことがたくさんあるはずなのに。でもバカだから、もう死んでやろうかという気持ちになる。バカだなあ。
直立する赤井の下で斉木が左膝をついてしゃがみ、
「どうも〜赤色青いなあいうえお『信号機』です!」といってから漫才を始めるのがお決まり。
コンビ名は病的に顔色の悪い斉木と赤面症の赤井が並んだ姿を信号機になぞらえて命名されたらしい。
長らく先輩芸人であるチャンチャカチャンス高橋が名付け親だとされていたが高橋はこれを否定。
なお2人とも酒に弱く、飲むと斉木はより青白く、赤井はより赤くなっていくらしい。
語彙に乏しい。「腰巾着」と言いたいところを「ぶら下がり野郎」と言ったり、
「五臓六腑」と言おうとして「十二指腸」と言い、周囲に呆れられることもしばしば。
読書家として知られる又吉とのギャップをネタにすることもある。
そんな彼だが実はICU卒でアタック25に出場したこともある。
テレビ番組の企画などで度々対面しており、互いの連絡先を教えあう程に親交がある。
yahooニュースでも取り上げられてた、大橋巨泉のコラム「今週の遺言」の最終回
最後に「安倍晋三の野望は恐ろしいものです」「7月の参議院選挙、野党に投票して下さい」と書いてある。
こんなことを書くのは、よっぽど現状に不満があって、気合がないとできない気がする。
50代でセミリタイアした人とは思えない。
過去を美化して、過去を取り戻すことが未来だと思うのは勝手なんだけど、
その過去を知らない世代からすると、ただ途方にくれるしかないです。
昔、幸せな時代があって、その時代が終わってしまったことはよくわかりました。
みじかびの、きゃぷりきとればすぎちょびれ、すぎかきすらのはっぱふみふみ。
はじめに、このブログは、産まれたお子さんが心臓病と診断された親御さんに向けて書いている。同じような経験を知りたくて、少しでも安心材料がほしくて検索を繰り返したが、あまり見つからなかった。なので、自分の経験が少しでも、誰かの参考や支えになるといいと思う。
「大動脈狭窄」といって、文字通り大動脈が狭い。そのため血液を送るたびに血管と心臓に圧がかかり、酷いと手術が必要になる。
産まれたあとにわかったもので、最初は産まれた病院で様子を見ていたのだが、詳しく調べたほうがいいと循環器専門の病院を紹介されることになった。大きい病院で、日本でも有名な医師がいる病院だった。
七ヶ月になったある日、そこで受けたカテーテル検査で、検査の最中に心停止を起こした。
結果から言うと、今のところ術後の経過は良好で、子供は元気に育っている。もうすぐ二歳になる。
発達は少し遅いが、好奇心旺盛で、乗り物が大好き。よく笑い、よく食べ、自分なりに一生懸命しゃべっている。最近はイヤイヤ期なのか、自己主張も激しくなってきた。
話を戻そう。心停止を起こした数日後に血管の緊急手術、肺の状態が落ち着かずさらに数日間、胸を開いた状態で集中治療室(ICU)に入っていた。狭くなった血管と、弁の形成が手術内容だった。その間、人工心肺と輸血で命をつないだ。執刀してくださった医師、輸血をしてくださった全国の皆さんには、感謝してもしきれない。この場で心から御礼申し上げる。
集中治療室を出てからは、小児集中治療室(PICU)にうつった。人工呼吸と麻酔で眠る日が続いたが、徐々に麻酔を減らし、意識が戻った。うっすらと目を開けて、か細い声をあげる子を見て、涙が出た。生きている。生きるために、がんばって生きている。
幸い、術前に説明されていた感染症などはまったくなかった。人工呼吸から酸素管理にきりかえ、すぐにPICUを出たあと、一般病棟にうつる。そこからは一週間の入院で、早かった。
検査だけのはずだった入院から、ひと月ほどたっていた。退院後は在宅の呼吸管理も必要なく、入浴や生活の制限もなかった。
ただ、寝ていた日が長かったせいか、完全にすわっていた首は新生児のようにぐにゃぐにゃになっていた。それもひと月ほどで元に戻ったが、毎日注意して過ごした。
大きな手術を乗り越えて、麻酔で眠っていた時間も長かったので、発達や今後の病状に不安があるのは今でも変わらない。それでも、生きているだけで奇跡のようなものだと思っている。
長くなったが、親御さんには、たとえカテーテル検査であっても病院と医師選びをしっかりなさってほしい。うちの子は検査中に心停止を起こしたから助かったのだ。紹介してもらった病院も大きい病院で、運がよかったのだ。
一人でも多くの子が、病に負けずに元気になるように。一人でも多くの親御さんが、お子さんと穏やかな日を過ごせるように。それを願って毎日、子供と過ごしている。
久しぶりに恋に落ちた。
スペックはアラフォー独身の一人暮し。彼氏なんてこの10年以上いない契約社員だ。
自宅の最寄り駅で物凄く体調不良になって駆け込んだ病院から、手に負えないって事で少し遠くの病院に救急搬送された。
いろんな検査をされて病名がわかると、重症と診断されて集中治療室に運ばれた。たった一人で運ばれた知らない病院で心細くなり「このまま寂しく死ぬのかな」なんて泣いたりしたのを覚えてる。
一晩中生死の境をさまようと、投薬の効果でだいぶ楽になり、死ななくて良いんだとほっとした。そんな時に救急対応した医師が私の元に現れ、彼は私に現在の気分を尋ねると、現在の私の状態や翌日行う検査内容について説明した。どうやら私の主治医は彼らしい。一通り説明して立ち去ろうとすると、振り向き様に「投薬の効果でだいぶ数値が改善しているはずです。検査の結果を楽しみにしていてください。」と言って私の元を跡にした。
その瞬間、様々な管に繋がれて身動き取れないベッドの上の私に衝撃が走る。徐々に体中が熱くなり、動悸が収まらない。「え、何これ!?」と混乱する中で必死に理由を考え、「これって、もしかして恋?」と気付いてようやく落ち着きを取り戻した。
それにしても、色白で華奢なメガネ男子好きの私が色黒でヒグマみたいな主治医を好きになるなんて、きっと病気のせいなんだろう。恋は出会い頭にくるから困る。
そこからは、主治医が私の元に現れる度、良く観察するようになった。恋に落ちる前はあまり意識して見ていなかったけど、私と同年代らしく、結婚指輪はしていない。それがわかっただけで舞い上がった。
症状が改善して一般病棟に移ってからは、携帯で主治医の名前を検索して、Facebookに行き当たった。少しスリムで若いときの写真がトップページに載っている。2歳年下なこと、出身地、出身校、居住地…恋愛対象は女性、交際ステータスは独身になっていた。
そこからは、もう気持ちは止まらない。名前を見ただけで息が止まりそうになり、回診だけでなく病棟で姿を見つけてはうれしくなった。病気の治療に来て、恋煩いに悩む羽目になるなんて。
入院も3週間になり、そろそろ退院の話が出始めたころ、私は妊婦の看護師から、血圧と体温の測定を受けていた。そこへ主治医が現れ、検査の結果と具体的な退院の日取りについて話をする。退院の話が終わって看護師にお腹の赤ちゃんについてたずね、看護師が「先生のところもそろそろでしたよね。」と主治医に振ると「10月に。」と私に向かって照れながら返答した。私は動揺を悟られないように「おめでとうございます。」と言って作り笑いをするのがやっとだった。
まさかというショックとやっぱりという安堵がないまぜになって、頭の中をぐるぐるしていた。結婚指輪を最初からつけておけよとか、Facebook更新しろとか、八つ当たりに近い怒りと、姿の見えない主治医の妻と主治医が幸せそうにしている光景を想像しては嫉妬心に駆られ、恋に落ちたとき以上に動悸が収まらなかった。
でも、涙は全く出なかった。同じ斬られるのでも、うまい人に斬られた方が痛みを感じないらしいけど、それと同じなのかもしれない。
退院後もしばらくは検査と処方のためにこの病院に通院する必要があるのだけど、私の恋煩いもそのうち改善するのかな。恋煩いに効く薬も一緒に処方してくれれば良いのに。
だから、病院職員は暇でもなければ見舞客の接待担当でも警備担当でもないの。
見舞客なんていちいちチェックしてないの。
そもそも見舞い客は病院が管理するものだし、集中治療室に入っている場合や危篤の場合は特に厳格に管理され、親族じゃないとそもそも入れてもらえなかったりする。
それも実際は「親族以外面会謝絶」と病室の前に貼り紙出して終わりなの。実際に親族以外が入って来ないかずーっと見張るとかはしないの。というか無理だから。そんな暇ないから。
病人に会えるか否かを病院が決める場合はないけど、他の身内が配偶者が入るのを妨害することはあり、病院はそれを許すものだ、という主張なの?
そもそも見舞い客は病院が管理するものだし、集中治療室に入っている場合や危篤の場合は特に厳格に管理され、親族じゃないとそもそも入れてもらえなかったりする。本人が意識があるうちにパートナーだと病院に言ってくれたり、家族がパートナーだと認めてくれた場合はいいけど、そうでないと病院が会わせてくれないんだよ。同性婚が認められれば、本人が意識不明でも、家族が配偶者として認めてなくても、死に目に会いやすくなる。
面会が広く認められている場合でも、配偶者の面会を勝手に妨害するような身内(それこそ、病室の前で陣取って入ろうとする配偶者を妨げる身内)がいたら、トラブルを起こしているのはその身内の方だから病院が注意なり調整なりしてくれるよ。
http://anond.hatelabo.jp/20140217175047
うちの母がまさに「これ」で。
とはいえ、全財産をその宗教に投げ打つわけでも、熱心に信者になるよう誰かを勧誘して回るわけでも無く、
母の母の代から信仰してきた宗派だったし、心の拠り所を常に求めているような人だからまあ良しとしてきた。
けれど、弟つまり自分の息子があろうことか集中治療室で死にかけていた時に、
その宗教の偉い人だかを家に連れてきて、「夜通し祈りを捧げる」とか言い出した時には、あまりの身勝手さに、流石に怒鳴ってその偉い人だかを追い返してしまった。
そんなことより、弟が今何をして欲しいかを考えたり、それを笑顔でやってやるための自身の体力回復が先決だろう!と。
その辛い状況に直面したことで、自分の心にダメージを負うことが最も耐えられないから、だから祈ろうとしたわけだ。
あの一件で、わたしは母を心底軽蔑した。
あれごめん記憶違いかな? 確かに最初のケースは妊婦が死亡してたのは覚えてる。
当時似たような事件が何度か騒がれた。
http://facta.co.jp/article/200606057.html
東京地裁民事部は国内で医療訴訟を最も多く扱っているが、受理件数は年々増え、
93年に442件だったのが今では1千件を超えている。
02年に受け付けた訴訟896件のうち、内科26%、外科23%、整形外科15%に次いで、
産婦人科は12・25%。このうち胎児管理や胎児仮死など産科領域が圧倒的に多い。
一般に周産期医療をめぐる訴訟の3割以上は産婦人科関連といわれ、産科領域の訴訟は少なくないのだ。
家庭での自然分娩が大半だった昔に比べ、今はクリニックや病院での出産が増え、周産期死亡率も世界で最も低い。
ちょっと話がずれるが下記のような話もある。
体外受精に代表される生殖補助医療の急速な発達も、日本の産科医不足に影を落としている。
それに伴い出生体重1500グラム未満の極小未熟児、超未熟児が新生児の0・7%(約8千人)と、
体外受精導入以前の2倍に増加している。
多数の専門医と専門看護師による24時間監視・勤務体制の新生児集中治療室(NICU)でしか、
染色体異常、成長障害など多様な問題をはらんでいる。
増えている高齢出産でも、35歳以上の初産児出産は母子ともに急激なリスク上昇を伴う。
近い将来、周産期死亡率の悪化を招く恐れがある。
集中治療室とかに入ると1000万とか軽く飛ぶらしいよ。(2000万は記憶違いでした)
実費として1000万くらいかかることはあるみたいだ。
http://www.wowkorea.jp/QnA/View/QView.asp?Qid=2173
老人になったら医療費かかるだろうから払っといてもいいと思うけどね。
だったら、現在の年寄りとか病気の人を助けてると思うしかないな。
つうか年収2000万なら月6万なんてぜんぜんたいしたことないような…。
http://www3.nhk.or.jp/news/k10015975961000.html#
厚生労働省は、政府の行政刷新会議から今年度の補正予算をさらに見直すよう指示されたのを受けて、地域の医療機関で医師を確保するためなどに設けた基金の一部を執行停止にすることを検討することになりました。
今年度の補正予算をめぐって、政府の行政刷新会議は7日、執行を停止する予算の総額をさらに上積みするため、各省庁に対し、あらためて検討し、9日までに回答するよう指示しました。これを受けて厚生労働省は、地域の医療機関で医師を確保したり、新生児の集中治療室などの医療設備を整備したりするために設けた「地域医療再生基金」は、ほかの政策に比べて緊急を要するものではないとして、一部を執行停止にすることを検討することになりました。ただ、省内には、地域の医療態勢の維持に悪影響が出かねないとして、来年度必要な予算を確保できるめどがつかない現状では執行を停止すべきではないという意見もあり、さらに調整を進めることにしています。
じっくり思い出しながら書いてみる。
なので昨日はお婆ちゃんのお見舞いに行ってきた。
看護婦さん「今女性の方がお見舞いに来てますよ。その人の娘さんですか?」
ニヤニヤしながらこう返した。
「あのー、僕男です。お見舞いに来てる人は、親戚の人かな」
看護婦さんは慌ててこっちをチラチラ見ながら「あ、あぁー、男の子・・・」って言ってた。
見舞いに来ている女の人は、叔母さんだった。
叔母さんはトミーフェブラリーを太らせたような顔のぽっちゃり巨乳の人でたぶん歳は35ぐらい。親戚で一番仲いい。
叔母さんに会うのは一年ぶりくらいで、お婆ちゃんに会うのは三年ぶりくらい(意識ない時に会ったけど)。
お婆ちゃんはこっちを見て「誰?」って聞くから、「増田だよー」って答えた。
一日に二回も女の子に間違えられるのは初めてだから、嬉しくてニヤニヤ。
お婆ちゃんとは三十分くらい、近況だったりいろいろ話した。
叔母さんが車で送ってあげるっていうから、助手席に乗った。
そしたら「お昼ご飯食べた? どこか行く?」って聞いてきて、本当は軽くトーストを食べてたけど、高いものが食べられるんならって嘘ついた。
「肉が食べたい」って言ったらステーキ屋に連れてってくれて、一人前2400円するステーキを食べながらいっぱい話した。
看護婦さんにも女の子と間違えられたよ、って言ったら「増田くん、可愛いもんね」って言ってくれた。
「叔母さん(本当は下の名前+お姉ちゃん)も可愛いよ」って言ったら「毎回言うね」って言われてドキッとする。毎回言ってたのか。
「だって本当に可愛いから」って言ったら「わかったわかった」って照れ笑いする。
叔母さんが向かいから横に移動してきて、「指綺麗だね」って手を握ってきたり「髪もサラサラ」って撫でてきたりしてドキドキ。
また車に乗って今度は家の方に向かう。と思ったら全然知らないところで止まった。
叔母さんが「どう?」って指差す方向を見たら「ホテル××」の看板が。
「え?な、何が?」ってとぼけたら「何がじゃないでしょ」って手を伸ばして太ももを触ってくる。
しばらくとぼけたけど、「増田くん、私のこと好きなんでしょ?」とか言われて、結局「エッチしたい」って言わされてホテルに入った。
「私もう何年もしてないんだ。増田くんは初めて?」って聞かれて「何回か・・・」って答えた。
一緒にシャワー浴びて、タオルで拭き合いをしてベッドに仰向けに寝かされて上に乗っかってきた。ちょっと重かった。
首筋の辺りをリップでチュッチュッてされて、乳首を舐められた。
「今、私がやったようにやってみて」って言われて、ドキドキしながら肌に口をつける。
乳首を舐めていたら、だんだん固くなっていくのがわかった。その間、ずっと頭を撫でてくれて興奮してるんだけど安心感がありました。
おっぱいで顔を挟んだり、パイズリもした。パイズリは気持ちよくなかった。
叔母さんは喘ぎ声がすごかった。何というか絶叫しているみたいな。
腰を振ってる間「んー!!んー!!もっとぉ!!もっとぉ!!」「増田くん!!気持ちいいね!!気持ちいいね!!」「いいよ!!増田くん、いいよ!!」とかずっと言ってた。
その激しさもあって終わったときは達成感でいっぱいだったし、汗をかいていた。
汗を流すために二人でまたシャワー浴びたんだけど、身体見てたらまたムラムラしてきた。
もう一回やろうとしたら風呂の中では体勢が難しくて、ベッドに戻ってもう一回した。
終わってから、今度は本当に家まで送ってもらって、家の近くで止まったときにキスをせがんだら「ダメ」って言われて、電話番号交換したけど「絶対に周りに悟られないように。呼び方も変えて」って釘を刺された。
そんなわけで昨日はお婆ちゃんが元気になったし、女の子にも間違えられたし、叔母さんとエッチもできたし嬉しいことがいっぱいあった。