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2011-10-14

メトロポイント

東京メトロ限定クレジットカードって書くと東京メトロしか使えないみたいだけど逆で東京メトロで使える唯一のカードの話なんだけど。

UCカードから永久不滅ポイントがつく。そんでちょっと前からUCギフトカードの換金率が下がった。1000ポイントが5000円だったのに4000円ね。なんだよそれ。じゃあnanacoにするかと思ったら200ポイントで920円なんです。なにその中途ハンパな中抜き

そんで他にないかと思ったらamazonは200ポイント1000円だった。でもnanacoに決めちゃったからここでamazonにすると浮気なっちゃうじゃない?10代ならそれもアリかと思うんだけどいい大人だし一途なとこを証明したいか中抜き込みでnanacoを受け入れようと思ったわけ。でも一応他も確認してみたらメトロポイントってのがあるわけよ。聞いたことない人ばっかだと思うけど定期以外の区間をチャージしたお金で利用するとチビチビ付く感じなのかな。でそのメトロポイントってのはちゃんと乗車券として使えるのか確認してみた。だって知名度低いからもしかしたら気が遠くなるほど貯めまくったあげくに南北線ストラップとか困るじゃないですか。銀座線ならまだしも南北線はねえだろって思うじゃない。そしたら使える500ポイントで500円分にちゃんとなる。でもnanacoを無視してメトロポイントPASMOになんか出来ない!と思ったら何ですアナタメトロポイントからnanacoに交換出来るじゃないですか。メトロポイント500がnanaco500円分ですよ。

永久不滅ポイント200ポイントメトロポイント1000ポイントになるのでそのままnanacoに移行するとnanaco1000円。やっぱ一途って大事だな!って話にはもちろんならなくて最初からnanaco1000円に換金させろよクソが。無駄コスト発生してねえかこれ。アッタマたから全ポイント動員して六本木ヒルズ 「二人だけの貸切上映」に換えてやったよ。一緒に行く人いねから一人だけの貸切上映だよどうだ思い知ったかバカヤロウ。

2011-08-13

ほぼ全レス返し「ネガティブなことは言ってはいけないのか」論争に終

まず、人は特性として自分の好きなものに向かっていく。

好きなものをその時々に応じて「価値がある」とか「美しい」とか「建設的だ」とか自分勝手に賞賛する

…いやごめん、それは憶測かもしれん。


でも高確率で人は好きなもの自分の周りに置こうとしたり、追い求めたりする。

わざわざ自分の嫌いな曲を集めて聴く人なんてまずいないし、

苦手な人と付き合うという人も…いるかもしれないけど苦痛だと感じているかもしれない。

自分が何かを嫌うという「対象への嫌悪」それ自体を好む人はいると思うし、実際にいる)。


ネガティブな発言は人を不幸の方向に導く。

幸せになりたい人なんてのはほとんどいなくて、みんな自分幸せになりたくて必死だというのが現状だ。

だって幸せになりたい。


金がほしいし、

恋人がほしいし、

仕事したくないし、

気ぃ遣うの疲れたし、

時間がほしいし、

休みたいし、

あのボケナス脊髄ひっこぬいてフニャフニャにしたろかっておもうし、

あー遠いなー 幸せって。


からまあ、どこの誰かも知らん人のネガティブ発言を聞いてるヒマなんかこれっぽっちもない。

ストレスばっかりたまっていく。


もうちょっと説得力のあるというか、全体の最大幸福のための話だと、

要するにネガティブな発言を吐いても、主体も客体もだれも幸せにならない。

建設的でないからそんなことを言うのはやめろ、

(私はいいけど)他の人が迷惑するからやめろ、という感じで主語が大きくなる。


ネクラではない「明日が楽しみな人たち」は、自分幸せだと周りも幸せになるということを知っている。

その逆の発想で自分の不幸を拡散すれば周りも不幸になってしまうじゃないかとかなり注意勧告される。


更に明日が楽しみじゃない人たちにとってもこの説はけっこう支持される。

糾弾されるのはネクラネガティブ発言をやめられない人たちだけになってしまった。

しか悲惨なことにその説はだいたいあってる。

ベテランネクラになると自分ネガティブな気持ちに落としこむことです快感になったりする。

人はだいたいどんな環境でもある程度慣れてしまうのだ)。


それでもネガティブな発言をする人はあとからあとからどんどん増えていく。

なんていうか、ネガティブになるしかないって状況だ。

仕事場や学校たまるストレス愚痴として発散するのと似ている。


みんな人生という仕事場でたまったうっぷんをちょっとでもごまかしたくてネガティブ発言をする。

世の中の理不尽ネガティブさを無視することができないのだ。

「イヤなら見るな」と言われてもムリだ。

ネガティブ発言禁止令が施行されたらきっと狂うだろう。


あーじゃあ、そういうネクラな人の心理状態を鑑みて、慎重になってネガティブ発言は見逃してあげるべきなんだろうか?


まったくストレスなく人生を送れる人なんていない。

友だちのグチを聞いてあげることは許して、ほかの人のグチは聞かないし許さないだなんて不公平なのかも?


そんな誰かが割を食うような解決方法はイヤだなあ。

ネクラな人だって「我慢してやってんねんぞ」みたいな態度を感じると気ぃ悪いわ。

できればwin-winの関係がいい。


もうちょい考えを深めてみよう。

論争が起こることのそもそもの疑問が二つある。


  • ネクラな人たちはなんでネガティブな発言がやめられないのかということ。
  • そうでない人たちはなんでネガティブな発言を許せないのかということ。



ネクラな人たちにとってこの世界は、悲しみとか怒りとか醜さとか無意味とか悪に溢れているように見える。

しかし、もっと冷静になって考えるとそれは世界の一側面でしかないことに気付く。

ネクラな人たちが見る世界と同じくらい、そこには楽しみとか喜びとか美くしさとか価値とか善がある。

世界は人が思っている以上に多様なのである


実際、自分を劣悪な環境に置いていれば、どんどんネガティブになっていくけれど、


ちょっと笑える話を聞いたり、

お酒を飲んだり、

気の置けない友だちと話したり、

引越ししたり、

仕事をやめたりするだけで、なんかちょっと楽しくなる。


環境改善する度合いが高ければ高いほど(つまり劣悪な環境から離れれば離れるほど)、

世界だんだん美しくなっていくように見える。


しかし、それは世界が変わったのではない。

自分しか変わってない

世界が変わるのを期待して待っていても、その前に狂うか死んでしまうかもしれない、

もっと悲惨なのは、より悪い方に世界が変わっていくかもしれないということだ)。


ぼくの書いたことがもし正しいとすれば、ネガティブな発言を我慢するだけでない、もう一つの道が見えてくる。


世界のことをよく知っている人がいるならば、この世界はどうしようもないと思っている人に向かって

「そんなことないよー、意外とこんな楽しいとあるよー」

と教えてあげることである

これがやはり根本的な解決となる。


できれば言葉で教えるだけでなく、一緒に楽しいことをするといい。

言葉による理論ではなく体験による感動で理解してもらうといいんじゃないかな。


しかしもう一つの疑問が残っている。


なんで、人はネガティブな発言を忌み嫌ってしまうのか?

人にはその避けがたい特性があるから、誰か忍耐強い人が世界の素晴らしさを説く前にケンカが起こってしまうのだ、

たぶんね。


しかし、だからといって個人的には「対象が嫌いだ」という感情封殺してしまいたくはない。

人はなるべく朗らかに、全てを愛する博愛主義者のように生きたほうがいいんだろうか?

そんなせまっ苦しい考え方のために人が生きているとは思えないし思いたくない。

人はもっともっと多様な価値観や考え方を持っていいと思う。


ニューギニアの島では弔いの儀式として食人文化があった気がする。

今はない?

かならずしも弔いのために用いられた儀式ではない?

まあなんでもいいけど、食人の習慣があったのは確実である


それを野蛮で邪悪な悪習だと言えるのは現地人でない人だけである

アフリカの牧畜民ヌアのコミュニティでは、不妊の妻にかわって姉妹が夫の子を生んだり、

またその逆や、あるいは夫が子を持つ前に死ぬと兄弟が亡兄の妻との間に子を作ることがある。

前者の場合は夫の子であり、後者場合は弟の精子で宿った命でも、亡き兄の子どもということになる。

この社会でいう夫とは、彼らの生業手段である蓄牛を婚資として支払ったものだ。


日本では親子関係は血のつながりなんだけど、彼らは牛のつながりであって、

ぼくらは彼らをバカにする時、彼らはぼくらをバカにするのだ。


「血のつながりってwwwwwつながってるわけないやろwwwwww」


ある事象価値があるとかないとかって判断してしまうのは多くの場合

特定のコミュニティ内でしか成立しない狭い考え方による独断と偏見しかないのかも。


あれ?ちょっとまてよ…。

ぼくさっき”個人的には「対象が嫌いだ」という感情封殺してしまいたくない”と書いたよねえ?


んで、

今その理由を書いたよねえ。世界はいろんな価値観を持った人がいて、

それを認め合っていいんじゃねーの?みたいな。

「みんなちがってみんないい」論法


でもちょっとまって。

ネガティブな発言をする人は、世界を(あるいは自分を)嫌悪している。

そして、そうでない人はネガティブな発言を嫌悪している。


バーロー「あれれー?どっちの人たちも{きらい}って感情は同じだねー。」


そうなのだ。

ネガティブな発言というのはポジティブ感情ではない。絶望とか嫌悪感の表出なのである

ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。


これはなんともバカバカしい話だ。

自分の嫌いは認められても、他人の嫌いは認められないと言っているのだから


ぼくは個人的にはみんなちがってみんないいと思ってるんやけど、

その前提が成り立つことを許してもらえるなら、

自分の嫌いを認めるなら、他人の嫌いも認めていいんじゃないか?」

ってことになる。

そうじゃないと「ネガティブ発言やめろ!」と言うたびに自分のクビを絞めてることになる。

ブーメランが飛んですぐに返ってきてる。「あんたがやめろよ…」と。


このバカバカしさは「ネガティブ発言をするな」という注意喚起のけっこうな抑止力になるかもしれない。

しか嫌悪する感情は否定されないことになる。

わーい!ぼくらは誰のことを嫌いと言ってもいいんだぞー!

○○のバカヤロー!!必死に走って間に合わずに目の前で電車のドアが閉まってしまえー!!!


というわけで




これでみんなハッピー?かな?

間違ってるかなあこれ?

2つ目は若干強引な感じもするから、もっといい方法あったら教えてほしいな~◎


ここまで読んでくれてありがとうございました。


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追記







現段階で寄せられたコメントにできる限り返答していきたいと思います

正直、賛同してくれる意見も多くて助かりますが、

どうしても批判のほうに目がいってしまって精神的にキツいです

考え方としてまだ稚拙で詰めの甘い部分もあるかと思いますが、

慎重に言葉を紡いでいきたいと思います




お前が一番ネガティブなんじゃね?って誰か突っ込んであげるべきだと思うの


ぼくはたぶんネガティブなんだと思いますポジティブそうに見える書き方になっていますが、

ネガティブさを排斥しようとする状況が見るに耐えられないのです

せめて「死にたい」ぐらいは言わせてほしいのです。ほんとに死なないために。




何か発言しよう、と思うとネガティブなことしか思いつけない病


そういう人がたくさんいると思うんです。たぶん。

殺したくないんです




増田みたいな奴は正直生きてる価値無いし死ねばいいと思うよクソが。安全地帯にいる奴は気楽でいいですね。


ごめんなさい。生きててすいません。

生きてるんじゃなくてまだ死んでないだけのような気がしています

ぼくはあなたのような人と共に生きたい。許しあいたい。強い人が怖い。

よかったらぼくのブログを読んでください。

http://d.hatena.ne.jp/yukkun1986/




新人の頃、意識的なマイナス思考仕事には重要だと教わった。物事のいい面よりも隠れた危険性を常に考えろという「かもしれない運転」的なやり方


建設的なマイナス思考ですか。たしかにそれはいいのかもしれないですね。

未来という不確定性を検証するための思考はプラスマイナス関わりなく可能性の一つとして考える余地があるのかもしれない。

ぼくはなんの役にも立たない(かもしれない)マイナス思考封殺したくない。

ぼくは人の発するマイナス思考にすごく救われています




あとでよむ


お願いします。




そうだね~、「いけない」ていう義務的じゃなくって、「いいたくないなぁ」ってね、うん。


ネガティブなことを言いたい人って実はあんまりいないのかも。

誰も傷つけたくないのですが、それよりも自分が傷つくことのほうが怖かったりします。




これに関して自分は結論がまだない


ぼくもたくさんの意見をいただいて、

これで終わりにすべきではないと思いました。




ネガティブであれポジティブであれその発言を自分感情だけで否定するよりまず相手の気持ちを考えれば少しは寄り添えるだろう


そうなんです。相手の気持ちを考えることができれば、ぼくらは少しは寄り添えると思います

問題は、双方にその余裕があるのかということです

個人的にはぼくたちはもうちょっと相手を褒めたり、甘やかしてもいいんじゃないかと思います

もうこれ以上人が病んでいくのは、堕ちていくのは耐えられない。




結論は俺も同じ考え。


ありがとう

現状が少しでもラクになればいいんです

死ねばラクになれる、みんながもっと優しくなってもきっとラクになれる。

ぼくはどうせなら後者のほうがいい。





わーい。ネガティブ発言してもいいんだー(違)


ぼくはそれを咎めません。咎められません。

あなたはもっとあなたらしく生きてほしいのです




とりあえず、うっかり口にしたネガティブ発言に対してネガ感情をぶつけてくるポジティビストは怖いなあと思う


怖いです。ほんとに怖いです

でも彼らを嫌いになれないのです

ぼくがもうちょっと社会的に弱い立場だったら、

その立場を利用して言い返すこともできたのに、だなんて

ゲスなことを考えてしまます。なんでこんなことに…。




【一番いけないのは、お腹が空いていることと、一人でいること】という話。


どこかで泣いている人がいたら、笑わせるんじゃなくて

まずは一緒に泣きたいんです孤独はとてもつらい。




バーローww


ちょっと悪ノリが過ぎたかも知れません。

でもあなたが喜んでくれるなら、それはよかった。




ここでコメントしてる人達同士は仲良くなれなさそう


クズ人間を集めて、ユートピアを作りたい。

クズでもYESと言いたい。




注意喚起くらいなら別にいいよ。強制力もないし、カウンターできるし。ポジであれネガであれ、みんなで同じ方向向いてるのが一番キモい


カウンターできません。

ぼくが正しいとか間違ってないなどとは思えないのです

ちきりんさんが最近おすすめしていた「若者殺しの時代」という本の中では

バブル経済のことを「国中上げて間違ったことはやってないだろうと思っていたのだ。」と表現していました。

ぼくが合ってるとも思えませんが、じゃあ世の中の望むべく方向が合っているのかと考えると、

それもぼくにはわからないのです




ポジティブ思考のイケイケで日本は負けただろwww / 「文句言う前に努力しろ」の一言で様々なデモが潰れちゃってるんだよね、それ一番言われてるから


ぼくはネガティブで、基本的にネクラだと思います(たまにはポジティブにもなりますが)。

 「文句言う前に努力しろ」の一言でいったい何人が死んでいるのだろうと思うと、ほんとうに恐ろしい。




暗い人は四六時中年中無休で暗いわけではなく、暗いことを言う確率が高いのでは。明るい人も同様。10回会って7回暗かったら70%の暗い人確率キャラってやつなのかしら


そうだと思います

ネガティブな発言が少しでもその人の気を紛らわせることができているのなら、

それでまだ死なないでいてくれるなら、死んでしまうよりははるかにマシだと思います




ネガティブな発言をしている人間ネガティブ志向解釈してしまう時点で説得力が無い。ネガティブな事をいう奴は人生面白がっている奴も多い。ポジティブバカのように人生を楽しもうとはしてないかもしれないが。


これはたしかにそうだと思いますネガティブ発言を風刺漫画のようにコメディ昇華する人はいると思います

(その喩えが適切かどうかはわかりません)。




読みにくいけど、今抱えてる問題意識に近かったので読んだ/かくして、「そんなネガティブ発言してると、世間からうざいやつだと思われちゃうよ」という太宰メソッドで注意勧告する羽目になって自己嫌悪するわけよ。


人間失格にある

(それは世間が、ゆるさない)

(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)

(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)

(世間じゃない。あなたでしょう?)


という言葉が印象に残っています

自己嫌悪するしかないほど逃げ場がありません。もう首を絞めつくしました。

ぼくはそれをどうにかしたい。




何かを貶める発言をするなら逆の考えの人達から反感を買うくらいは覚悟してないとそれは甘え。反感を買ってでもする意義があると思う発言だけすればいい。


甘えたいです。ごめんなさい。

ほんとは人をイヤな気持ちにさせたくないです。ごめんなさい。

自分ウソをついて「大丈夫です」と言う度に、自分が嫌いになっていく。




皆でネガティブ言い合って皆でそれを嫌い合う。それが公平なのかも。どちらかが我慢するのはどうかな?/寛容さは大切だと思うけど。。


例えば、学校デブな同級生に向かって「やーいデブ」と悪態をついて、

ひるんだり、へこんだりせずに「デブで悪かったな!」と言い返せることが対等で良い関係を作るのかもしれません。

乙武さんはそういうことをやっているので、みんなが彼のように強くなれればいいなと思いますが、現実はそうはいかないですね。

メンタルの弱い人に救済を。




嫌いな曲集めて聴く行為はたまにする。訓練と寛容のために。普段聴かないジャンルにもかじっておくぐらいの気持ちで


あなたは素晴らしい人だと思いますあなたのような人が救いになるんじゃないかと思います




出家するべき


徒然草を読んでから、山に草庵を建てて暮らしたいと考えて

今も思っています




ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。これはなんともバカバカしい話だ。」…「フジテレビが嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている人は多いね


誰のこともあまり嫌いになれない(苦手な人はいます)ので、嫌いだと言ってる人に遭遇すると混乱してしまます

その気持ちがわからないけど、否定したくないです




間違った部分を一つ一つ改善することなしに(長期的な)幸せなどあるものか。


長期的な幸せを望みます。それと同時に短期的な不幸・死の連鎖を止めたい。

それらが同時にこなせたらどんなにいいだろうか。

何が間違っているのかぜひ教えていただきたい。




前にポジティブシンキングだかの企業倒産したような。見えてる世界で綺麗醜いを言うことはプラスマイナスはないのかな。それをどう思って聞くか言うかでかわるのかな。


解釈の違いで人の反応は変わるかもしれません。

ぼくは今よりもう少し寛容な社会を望みます

そしてぼくはポジティブではないと思います。たぶん。




何を言っても気に入らなければネガチブだの暗い明るいに結びつけたがる人のそばにはいたくないなあとは思った。


そういう人たちは怖いですが、ぼくには彼らを叱りつける権利がない。

しかし、気に入らないという思いが誰かを殺しているのかもしれないならば、

ぼくはこのケンカをやめさせたい。




言ってもいいんじゃないかと思う。だってにんげんだもn…(ry


ぼくもそう思います

もし、将来ネガティブにならざるを得ない状況がひっくり返ったとしたら(つまり誰もが「明日が楽しみな人」になったら)、

根本的な解決になるかもしれませんが、その分ネガティブ発言への風当たりの厳しさは増すだろうと憶測します。

から、やっぱり「それでいい」ということにしたい。




ぼくはもっともっと慎重になりたい。

間違ったことをしたくない。だから

賛同する意見も非難する意見も助かります


ありがとうございます

2011-06-13

「二代目ロストジェネレーションが失ったもの。望み。そして、僕らは何からはじめるべきか」に対して

どうも。こないだまで就職王って名乗ってましたが、今は無職です

で、前回書いたコレhttp://anond.hatelabo.jp/20110429004257

なんかすごい真面目なトラックバックが来てたので、なんか書かなきゃなーと思いました。

今日結構真面目に書くので文体は素で。ネタ無し。

二代目ロストジェネレーションが失ったもの。望み。そして、僕らは何からはじめるべきか

http://d.hatena.ne.jp/thinking-terra/20110529/1306640590

で、これ読んで思ったんだけれども。

ぼくが思うに、現代日本若者における問題ってのは最早「価値観」の問題ではないと思うのね。

いうなら、それは生存の問題だし、もっと明確に言えばいかにクサレ年寄りから椅子をムシリ獲るかってことなんだと思うんだ。

既存価値観に乗ることは出来ない」とテラケイさんは仰る。でも、ぼくはそれは違うと思う。

むしろ、現時点に於いても生存戦略としては「既存価値観にドップリ漬かる」は限りなくベストに近い。

「世代」のことを考える前に、「自分」のことを考えて、グダグダ言わずに東大を出るべきなんだ。

もちろん、東京大学というのはかなり極端な例だけれども。

ミクロで考えるなら、まだ現代日本は個人の力で「なんとかなる」社会だとぼくは思う。

ぼくの「就職王」コラムは個人化戦略の極地のようなものだけど、実際あの程度でなんとかなってしまう。

でも、もちろんマクロで考えるとこれは明確に間違っている。

だって椅子の数が限られているなら誰かは必ず負けるんだから社会には一定水準の競争が必要である、という

命題を真であるとした上でも、社会を構成する一定層はそれなりの職を得て暮らしていけなきゃまずい。

それに、ぼくのような口先だけで逃げ切るやつが評価される企業の土壌というのも、あんまりよくない気がする。

やっぱり、社会は少しずつでも変えていかなきゃならない。ぼくらの世代が楽しく生きるために。

社会を変える」って言いにくい世代だよね、ぼくらは。上の世代が派手にコケたから。

どうせ社会なんて変わらない、馬鹿どもの轍を踏んでたまるか。そういうところがある。

デモやる?って言われても「それ頭の悪い年寄り大分前に失敗した」としか思えない。

カウンターアクションは必要だけれど、それはやはり時代に即したものでなければいけない、と思う。

少なくとも「就職クソッタレ」って言って変わるものがあるなんて考えられない。そうじゃないか

ウザイ自分語りで申し訳ないけれど。ぼくが就職したのは「箔をつけるため」だった。

今、起業をするために色々じたばたしてるんだけれど、やっぱりカネを出して貰うにはそれなりのものが必要になる。

少なくとも、「真っ当に勤めていれば生涯年収4億近かったですよ」くらいのことは言えないと、

与えられたカネの代わりに差し出すものとしては、とても足りない。実はこれでも全然足りないんだけれど、

それでも何某かのバックボーンにはなる。使えるモノは、使わなきゃ損だ。就職して数年踏ん張るだけで得られる

ステータスって、実は結構お買い得な気がする。ある意味大学名前以上に。

この日本社会は実にクソだと思うけれど、使えるものを使わずに戦うのはいかにも勿体無い。

価値観を変える」なんてのは、ヒッピーになるのと同じだ。ヨガをやってもマリファナやってもロックフェスをやっても、

実はどーにもならない。それは、かつてアホな連中がもうやった。ぼくらがそれをやる必要はない。


ぼくは巷で見る就職活動批判にすごく違和感を感じていて、つまるところそれはどこまで言っても

負け犬の遠吠え」としか認識されないんじゃないか、ってこと。

かつての頭の悪い年寄りには「世界同時革命」みたいな強烈なイデオロギーがあったから、「就活バカヤロー」よりは

スケール感もまとまりもあったけれど、ぼくらの世代にはそれもない。あるべき社会モデルすらない状態で、

価値観を変えろ」って言われても、それは「解脱しろ」とか言われるのと一緒だ。シャクティーパッドとかポアとか

そういう語感にしかならない。そんなことにはほとんど何の意味もない。

まりところ、それがミクロの問題であれマクロの問題であれ、既存社会からの断絶というのは不可能なんじゃないかと思う。

テラケイさんは価値基準を語るときに「外部」と「内部」という言葉を使っているけれど、ぼくには価値観に於いて明確な

「外部」ってのがあるとは思えない。テクストに外部はない、みたいな学問を専攻してたせいもあるんだけど

それを差し引いても、既存価値観を排除して生きていけるなんてとても思えない。そんな強くないからね。

ロストジェネレーション世代にニーチェじみたものを押し付けても、それは「レッツ自殺!」って結果しかもたらなさないのではなかろーか。

我々が目指すべきものは、この社会から乖離したものではなく地続きにものでなければいけない、と思う。

じゃあ、どうすべきかってことなんだけど。

とりあえず、まずは団結すべきだと思うんだ。勝ってる奴も負けてる奴も。

世の中はクソで、なんとかしなきゃ楽しい人生は送れそうもない、って意識を共有することだと思う。

ぼくはかつて、ものすごく貧乏大学の学費にもメシ代にも汲々としてた時期があったんだけど、

その時、やっぱり同じような奴らと相互扶助的に生きていて、それは例えば部屋を分け合ったりとか

僅かなカネを分け合ったりとか、電気釜を共有したりとかそういう話だったんだけど、そういうところからだと思う。

例えば、イタリアの話。イタリアは、失業率がアホほど高いけど、自殺率は低い。これは何故かっていうと、一説には

一族主義が強く根付いているからだ、と言われている。縁のある誰かが食えてなければ、誰かが食わす。そーいうところがあるらしい。

じゃあ、我々悲惨な現状にいる連中も、そーしとけばいいんでないかな、と思ってる。

とりあえず、屋根とトモダチがいれば死ぬことはない。ぼくはそー思う。

こうすることで何が得られるかといえば、リスクを取るのが非常に容易になる。

「1人が1のリスクをとる」ことと「10人がそれぞれ1のリスクを取り、リターンを分配する」ことは大分違う。

もちろん、10人全員が敗れ去るパターンもありえるけれど、かなりのヘッジが出来ることになる。

そして、何よりだけど精神的にとても楽だ。ぼくは「起業」の道を選んだけれど、他にもロースクールに行ったりとか

そういう道を選ぶことにもやはりリスクはつきまとう。金銭的なリスクもそうだけれど、孤独化してしまうことが何よりヤバイ。

官僚から政治家目指すぜ、みたいな道にしてもやはり同じだ。そういうとき価値観を共有出来るつながりがあることは

何より強いとぼくは思う。いや、今んとこカネを得て起業に漕ぎ出したところだから、この先なんかわかんないけどね。

仲間にも全部見捨てられて、一人ひっそり首を括るって可能性も全然あるわけだし。

それで、社会批判の話に戻るんだけれど。ぼくが「就職王」でやりたかったことは

就職活動批判」のちょっとスマートな形を提示するってことなんだ。

確かに、マクロ的に考えると我々は既存価値観に乗っかることは出来ないかもしれない。

しかし新しいマクロ価値観ライフスタイル創造することも、おそらく出来ないだろうってこと。

その行き詰まりの中でクリティカルなクリティークを社会にカマすとしたら、

既存価値観に乗っかって踊り狂いながら、同時にそれ自体を批判として成立させるしかないんじゃないかと思う。。

ダンスパーティー台無しにしたいなら、まず誰より上手く踊らなきゃいけない。そうでなければ、誰も話を聞いてくれない。

やはり、我々はこのクソみたいな社会で戦っていくしかないし、クソみたいな社会を否定したところで

クソじゃない社会青写真を描けるわけじゃない。それは、大分昔に失敗した。

から、このクソだめみたいな社会の集団的蛆虫として既存価値観と地続きの世界をサバイブしていく以外に多分道はない。

そして、九人がダメでも、一人が生き残れればそいつが他を引き上げればいい。もちろん、現実的にこんなことが上手く行くか?

ってところはあるけれど、独力で社会と隔絶された「価値観」を作り出すよりは、十人で価値観を「共有」するほうがまだ成功率は高い。

悟りを得た」人はそんなに多くないけど、「宗教にハマって死んだ」人は腐るほどいる。

その程度の価値観共有なら多分できるんでないか、そういう風にして戦っていくしかないんじゃないか、と思ってる。

人間、上手いこと価値観を刷り込まれれば飛行機ビルに突っ込めるんだから、それくらいできるんじゃね?と。

まー、なんというか。

これはぼくの戦略っぽく見せかけた誇大妄想から、なんのあてにもならないけれど。

とりあえず、若い人間はもーちょい戦略的に生きるべきだと思うし、また同時に団結すべきだと思う。

個人の内面ナイーヴな話に閉じてしまうのは、なんかどーなんだろーな、とぼくは思うんだよね。

これから具体的にどーするか、どのようにして生き残ってリスクを取っていくかを論じるべきじゃないだろうか。

まだまだやれることあると思うんだよね、実際。

ところで、死ぬほどどーでもいいけど、「ロストジェネレーション」って若い頃第一次世界大戦に遭遇して、何か価値観クラッシュしちゃったよーな世代の作家達を指す言葉で、「二代目」っていうとちょっとおかしいことになるよね。ロスジェネの「二代目」世代ったら、ビートの時代でケルアックとかギンズバーグとかを指すと思う。

不況なんかにぶつかった「貧乏くじ世代」を指す意味で「ロストジェネレーション」って語を使うと、今の世代は何代目になるのか、すごくめんどくさい議論が要るね。個人的に、「ロストジェネレーション」を現代の「失われた世代」に当てはめるのは色々ムリがある気が。字面はいいけど、原義から考えるとスゲービミョーな感じ。ロスジェネ論争とか言われると、今更ヘミングウェイとか論じてんの?って思っちゃうのはぼくだけじゃないと思う。

エクストリーム世代」とかなんかそんな感じの新語を誰か考えるべき。

2011-01-15

あなた伊達直人を殺したがる理由。

寄付流行ってるね!

 増田寄付は大好きだよ! 施すほうじゃなくて、受け取る方としてならね!

 なんだか一億総ポトラッチ化が進んできました昨今、増田が由緒正しきネトウヨであったら「ゲヒヒ、次は国を隣国に寄付ですか?」と揶揄の一つも売ってやるところだけどはてサは恐いし増田はそもそも右翼じゃない。ただの逆張りが好きな女子中学生だ。そう考えて読むと気分いいよ?

 

寄付disりが流行ってるね!

 流行ものをとりあえずdisとくのはウェブに生きる天邪鬼としてのたしなみだよ! みんなも若いうちは、無闇やたらに反発するといいんじゃないかな? 

 でも実際twitterとかでこの手の逆張りやってんのは三十代のピザデブハゲ女子中学生たちなので、きみたちの健康精神に大ダメージを与えるよ! 貧弱な想像力は時にみずからの命を助けるね!

 ところでなんでぼくらはタイガーマスクきどりどもが嫌いなのかな?

 不思議? ふしぎだよね!? だって寄付ってすごいいいことなんだよ? ただの偽善じゃない。誰も傷ついてない。与えるほうも貰うほうも、みんな得してる。死んだビジネス用語でいうところのwin-winってやつだね。そうそう、未だに会議win-winなんていう単語出してくる上司をみかけたら、さっさとその会社の四階から飛び降りたほうがいい。

 

まあ、とにもかくにもぼくらは寄付ブームが嫌いだ。

 なぜか。

 まあそんなことは上でさんざん申し述べてきたように、ぼくらが「どうしようもない天邪鬼だから」で済むんだけど、世間はそれじゃあ納得しない。反対するなら説明すべし。感情論は排してな。

 と、ぶっちゃけバカに理論的な説明求めるなんてバカなんじゃねえのと思うむねがあるかもしれない。けれど、ココは天下の往来はてな匿名ダイアリー。またの名を皆殺しの増田

 説明責任逃れは問屋がおろさない。せめて嫌悪感の根源くらいはつきとめないといけない。

 とはいうものの、「なぜ私は寄付ブームが嫌いなのか」を論理的に説明するのは、おそらくアジを三枚におろすより難しい

 この手の喧嘩でよく使われる殺法は「だって寄付者が迷惑がってるじゃないかやめてあげなよ白豚野郎」と「親切の押し売り、大きなお世話」を強調するやりかただ。

 ここでぼくら天邪鬼は施す物-施される物、という図式を瞬時にして加害者-被害者という関係に塗り替えることでスペクタクルカタルシスをおぼえるんだけど、それで非難される無辜の大学生ボランティアとかはいい迷惑だよね! いい気味ですね! 

 そう、善意の悪人は悪意を自覚している悪人よりも罪が重い。なんだかよくわからないけど、ぼくらはそう信じちゃってる。漫画か何かの影響ですよね。あるいはお母さんについて、何かトラウマがあるのか。

 まあ、ともかくしかし、タイガーマスクについてはなかなか「迷惑してる」という話は聞かない。少なくともビル・ゲイツより広くておーつねさんより狭い増田の観測範囲では、見当たらない。被害者存在しない。まあ「あの手の寄附行為ばっかり報道されて恒常的に寄付を行なっている人たちが無視されてる」って声もあるけど、そんなもん、もともと無視されてたわ。

 「みんなが得した」ここが、今回の件でやっかいなところだ。火のない所に煙は立たないし、煙が高いところにのぼらなければバカもまた踊れない。

 さて、実はここに今回のぼくらが抱えるフラストレーションの一端が隠されている。

 つまり、「いつもとおなじように偽善者を叩けると思ったら、おあずけくらってしまった」ってわけ。これってとってもストレスフルな状況じゃない? 犬みたい? 哺乳類と比べられるだけマシさ。

偽善者という言葉が出てきたけれど

偽善くささが嫌い」。

 よくタイガーマスクを批判する時に聞かれる言葉だ。

 偽善ってなんだろうね? 寄附行為に限定して考えてみよう。広辞苑定義を持ってくるのは、頭の悪い学生にやらせておけばいい。ぼくらには集合知の究極体、wikipediaさんがいるのだから

寄付(きふ、本来の用字は寄附。寄付は代用字)とは、金銭や財産などを公共事業公益・福祉・宗教施設などへ無償で提供すること」

 フリーミアム! 

 「無償」とはつまり、見返りをもとめないということだ。税金控除される時点で見返りもクソもないだって? まあ、それはここでは関係ないから頭から弾いてくれ。

 さて、タイガーマスクたちは偽善的な寄付であるか。

 この議論は彼らが「見返りを得ているか」の一点に集約される。

 もちろん、違うよね? 物質的な恩恵はもちろん、名誉すら得られない。だって匿名だもの。キャラクターだもの。「タイガーマスクはえらいですね」っていくら古舘さんがつばはいコメントしても、それは神奈川県在住の庭師・津田大介さん(48)を褒めたことにはならない。まあ、2chでアンカもらえたときたいに「存在すること」の承認を貰える快感はあるかもしれないけど、自己承認欲求そのものが満たされることはない。ランドセルは一個9000円。六つで54000円。あなた2chでアンカもらうためだけにこれだけの金額を払おうと思う?

 善意証明するのは極端に赤字な収支なんですね。

自分がいいことをやった」という自己満足キモイ

 でも、実際金髪……津田さん(仮名)は「いいこと」やったじゃん。子どもたちの反応はともかく、施設は受け入れてるじゃん。全然ひとりよがり自己満足ちゃうやん。

はいーみんなちゅーもーく、いまさっき高田くんがいいこといいました

自己満足キモイ

 はい、これ超重要

 自己満足っていうのは充足してるってことです。いわゆるリア充

 はいみんな思い出してー。

増田は他人の幸せがなにより大嫌いです。リア充っぽいのが大嫌いです。

 っていうか、今回に限らず「ボランティアフォビア」だの「NGO死ね」だの「人権団体とか環境団体とかバカヤロウ」だのを表層だけで叩いてるとか、

 っていうか、ぼくらが何者かを叩くときの原動力は、たぶんだいたい、コレ。

 だって妬ましいじゃないですか。嫉ましいじゃないですか? 死ねばいいじゃないですか?

 自分が善人だって自覚するのはなにより強烈なうぬぼれですよ? ましてや、ヒーロー自分をかさねて? 「悪ふざけだもん」ってみんなにバレバレな形で照れ隠ししてたりして?

 ハンッ!

 そんな綺麗事、罪じゃないわけないじゃないですか

 彼らはまごう事無き「善人」であるからこそ、叩かれるに値するのです

 だって、妬み深いクズですもの、ぼくらって。

 まあ、結局は、感情論ですね。天邪鬼の。

さて、クズであるところの増田さんたちはこれからどうあるべきか。

 死ねいいんじゃない

 それがイヤならアラを探すんだ。マスクどものアラを。徹底的にひとりひとりの素性を洗いだして、瑕疵を探しだせ。これだけいるんだ、ひとりふたり後ろめたいのやら奇抜なのやらは混じってるだろう?

 特殊な例を普遍化しろ。延焼させろ。大火がみたい。燃やし尽くせ。

 それがぼくらの帰納術。

 でも今回はそれが通じるかしら? しょせんは匿名が個人を葬るための技術

 匿名匿名を殺す、新しい時代戦争に対して、ぼくらはあまりに無知ありすぎる。

 

 

 

2010-11-25

彼女が死んだ話を受けて

http://anond.hatelabo.jp/20101125170955←このURLクリックすると、「彼女が死んだ話」という日本語で書かれた、小説らしきものが読める。

思うところは人それぞれだろうから、僕もこれから彼女が死んだことを書き綴ろうと思う。

僕は生まれも育ちも同じ県で、地方の市立小学校に通い、そのまま市立中学校に進学した。

僕は、友達がするから、という薄い理由で吹奏楽部に入り、黒いから、という浅い理由でクラリネットを選んだ。オーボーは先に取られた上での、消去法だ。金も銀も好きじゃない。だいいちあすこの喇叭は緑青がびっしりで、磨きに失敗して管体は凸凹し、リペアに頼らない修復をしたおかげかバルブがありえない方向に曲がっていた。それでもあれは死んでないらしく、バズィングを終えた後マウスピースを填めて息を吹きこむと、ぼへーという気のない音が部室に響いた。

さて、吹奏楽部には定期演奏会というものがある。いわゆるおけいこの成果を、街の皆様方にアピールしようというわけであるしかしそれは建前であり、実際のところは街のお店から広告費をせびり、部員家族うちで盛り上がろうという、極めてクローズな発表だ。広告主もたかだか三年むすこむすめがその部活に在籍していたというだけで、今後十数年、あいや数十年集られることになるとは、まさか夢にも思わなかったに違いない。

定期演奏会はまじめなコーナーとふざけたコーナーの二種類楽しめる、ニコイチのようなものだ。先述したよれよれの金属体が、ぼえーとむせぶ、ゆるゆるなたいこが、どぅゎんどぅゎんと悲鳴をあげる。ニコイチでオトクな気分になろうとしても、こんな音では身内とて地獄であろう。

その定期演奏会では大抵、三年生のひとりひとりがソロのようなものを任されるのであるソロのようなもの、というのは厳密にはソロではない、みんなで吹くところを無理に一人で吹かせたり、挙句には前に立たせて、キュプーと吹かせるのだ、たまったもんではない。足りないならば音楽の加工さえ厭わぬとは、正に儀礼、避けては通れぬというものだ。

では、実際私はどうだったか

クラリネットは全体で10人からなるが、なんとその10人分を私一人に押し付けたのだ。一人で10人分の仕事をしろ、というのである。どんな馬力だ。

だいたいクラリネットというのはそんなに音を重ねても重ねた人数だけ音が増幅されるわけではない。いや、重ねただけ共和せず、うわあんうわあんという不快な耳障りばかりだけが気になるようになるだろう。そんな楽器なのだ、クラリネットというものは。

それを一人で吹けというのだ、ありがたいことじゃないか

というわけで、私は一人で揚々とステージの前に立ち、バックバンドのきちゃない演奏に合わせて、これまたきちゃない、でも聴きやすい演奏をしたわけだ。

で、その時にどうやら僕に惚れてしまった後輩がいたようで、演奏会が終わってから告白され、付き合うに至った。これが10年前のことである

これは先日の話だが、その彼女葬式を執り行なった。喪主彼女の兄である彼女白血病で亡くなり、僕にはどうすることもできなかった。来年には結婚しようという、ながい交際も一区切りするかしないか、といったところだ。

彼女は高校、大学と付き合いを重ね、別な学校に行っても、別な地方に進んでも、毎日の便りは欠かさなかった。彼女にだけはディジタル年賀とは別に、葉書に依る絵と言葉を惜しまなかった。どうやら親にはバレていたようで、手段を変えてくれとメールで痛切に頼まれたものの、僕はそれをしなかった。思えばある意味常識に欠けた配慮だった。

彼女の容態が不安定になったのはつい一昨年のことであるが、大学回生で、卒業論文を控えていた僕はそれでも彼女の見舞いに時間を割いた。夕日を背景としてこちらを向く彼女は美しい彼女の一挙手一投足が僕の人生の肥やしとなっていたのは言うまでもない。

しかしもう彼女はいないのだ。僕も先月親会社倒産の憂き目に遭い、わずかばかり用意された最後賃金を受け取り、それでなんとか首の皮一枚繋がっている。先に逝った彼女は僕に死んじゃダメ、とムチャクチャ約束をさせた。彼女のために生きるというのもわからないでもないが、僕は僕だ。僕のやりたいようにやる。

そこで早速駅から降り、歩いて十分とかからないおっぱいパブというところへ足を運んだ。彼女は胸が平均的で、乳首が大きく、吸いついていたとき、揉んでいたとき誠に幸せだったのだが、そのパブは誠に僕のささやか幸せを叶えてくれた。

バカヤロウ、満たされれば誰でもいいのか、と言われるかもしれないが、けしてそういうことではない。あくまで僕のイマジンを促進してくれるために通うのであり、眼をつぶったとき、そこにいるのは間違いなく彼女なのだ。脱線などしようものか。バカヤロウはお前というものだ。

明日もまた通いたいのだが、どうしようか。指名しようかしまいか。悩むところである人生は愉快だ。

2010-11-17

本を読みなさい

内定でないのは本読まないからだとか。あほかっての。

本で読んだ知識は自分の知識って勘違いしてんじゃねーぞ。おめーの意見潰してどーすんだよ。

本に書いてあることは正しいって勘違いしてんじゃねーぞ。おめーと同じ人間が好き勝手に書いてるだけだぞ。

それと、読書は娯楽であって自己研鑚の類じゃねーからな。本読んでるこっちが恥ずかしーじゃねーかバカヤロー。

2010-06-22

初恋……?その後

http://anond.hatelabo.jp/20100107000853

1月に、「初恋……?」というエントリを書いた喪女です。

今更何だといった感じですが、あの後、ある程度の結末を迎えましたので、聞いていただければと思います。

 

 

なんというか、その……結果としては、

ダメでした。

振られた、というより告白まで、いきませんでした。

 

あの後、二、三度、二人だけで出かけたりしました。デートというとデートなのかもしれませんしデートじゃないといえばそうじゃないような微妙な感じでした。(その度に「行ってみたい喫茶店があって」等の言い訳?というか、そういうものがあったので。そのたびに「いいよ、つきあうよー」みたいな。軽いノリでした)

 

そんでね、まぁ私もさすが根っからの喪女というべきか、男性に対する耐性みたいなもんが全くなくてですね。

まあ思い返してみればこのまだ短い人生男性から優しくされたという経験がまるでからきしだったわけです。

だから、というのは言い訳になってしまうかもしれないんですけど、別にそういう人だからって、全員がそうなるわけでもないからね、ただ、まあそういう感じだったわけです私。

なんで、彼が、その「デートもどき」の最中に向こうから手をつないできたり、頭をなでてきたり、あまつさえ私があれだけ望んでた「可愛いよね」とか言われたりとか、最終的にほっぺたにきききスしてきたとかそういうことをしてきたとき

私はうっかり「この人私に気があるんじゃね!?あるんじゃね!?」と浮かれてしまったんです。はい。

喪女なのに……なんて馬鹿妄想をしてしまったんだろう。二次元と取り違えてた。これ、コナミが出したラブプラスGSとかじゃないってのに。三次元だってのに。現実だってのにさ。

もうね、なんていうか、これくらいで浮かれちゃったり喜んじゃったりする私ってどんだけ馬鹿なんだろうと思いました。友人は美人モテる方で、こうしたことは百戦錬磨なんですけど、まあ彼女だったら100パーひっかからないトラップですよ。堂々とひっかかってる私って……どんだけ落としやすい女なんだとwマジでなんだか情けなくなりました。

 

 

まあ「もしかして気があるんじゃね」「イケるんじゃね」と浮かれてからも、だからといって微妙メールを増やしたりまたこっちから誘ってみたり電話してみたりと地味に活動をしていただけで、告白するなど積極的な活動はしてなかったわけですけど。

そんなこんなで、「もうちょっと積極的になってみようかな」「告白してしまおうかなもう!」とか一人盛り上がってた最中サークルで、合宿みたいなものがありまして。5月中旬頃ですかね。それの最終日の前日、軽い打ち上げみたいなのを夜行いまして。

色々準備してたら、彼と、新入生の女子が二人して手繋いで部屋に入ってきたんです。

アレ?と。

アレ?おかしいな、と思った瞬間、彼の友達がですね、「大発表がありまーす!」とか、まあいって、結婚式の司会よろしく立ち上がってるわけですわ。

で、「〇〇君と△△ちゃんが付き合うことになりましたー!」と言うんですわ。

皆、「えー!」「マジでー!」「はえぇしwww」とか、大盛り上がり。

二人、照れながらもちゃんと手をつないで、そそくさと立ちあがって「いやぁどうも」な感じでそれに応えてて。

その新入生の女子がまた、よりによって、喪なんかの私になぜか懐いてくれてた子で。

マイナースポーツサークルなんだけど、その子は全然やったことないっていうから、色々教えてあげたりしてて。

「◇◇先輩(私のこと)、教え方上手ですよねー!尊敬します☆」とか、ちょ、言い過ぎでしょwwwっていうような事をいってくれてたりしてて。可愛い子でさ。

なんか、色々その辺の思い出がグルグル回って頭真っ白になりましたよ。

といっても数秒だけど、ほんと、「えっ?えっ?」って感じで。目の前の情景がよくわからない。周囲のはやし立てる声が小さく聞こえて、なんだか映画の画面でも見てるようだった。幸せそうなカップルを皆ではやし立ててる、青春によくありそうな図だなー、ってどこか遠い物としてみてた。そうやって多分10数秒なんだろうけど、ぼーっとしてたら、

「びっくりだよねー!!」

って突然大きな声で後ろの友達に言われて、そこからはもうなんか自動筆記状態つーか、「友達に恋人ができたという報告を聞いたときのごく普通の友人としての反応」みたいなのを自動的に演じるモードがカチッと入っちゃった感じで

「だよねー!!ほんとびっくりだし!!でも、お似合いのカップルだよね!!」

って言わんでもいいことまでペラペラと止まらなくなりました…

その後も皆と一緒に「全然分からなかったしー!早く言ってよ(笑)」「ていうか〇〇に△△ちゃんは可愛すぎてもったいないだろ(笑)」とか、ちょwww私とまんねwwwwバーサクモードwww状態。

幸せそうな△△ちゃんにも「まあでも〇〇君さ、優しい人だしよかったと思うよ!頑張ってねってのは変だけどさ(笑)よかったね」とか言っちゃう始末。何いい先輩ぶってんだよ私…。止まらないよ……。

 

もうそんな感じで後は頭真っ白なまま、オートモードで過剰なほどにやりすごして、なんか、全部終わって寝る時間になって、ふっと糸が切れて、無闇になきたくなったけど、ここは合宿で、家でもなくて、泣けもできずに。

でもどこかやたらに冷静な自分がいることも一方で感じていて、「このまま泣かずになんとか明日までやりすごせちゃうな」ってことをどこか悟ってしまっていて、そんな自分が更に「なんだ、そんな程度だったのか?」と微妙に悲しくなるやらで。考えていたらよくなさそうだったから、敢えて考えずに、自分担当じゃない片付け手伝ったりとか、色々してた。

 

で、合宿終わって、家に帰って、結局誰にも、彼どころか友人にすら私の想いは伝わることなくいつのまにか-終了-してたんだなwwwバロスwww喪女らしいわwwwwと思いながらなんとなくちょっと泣いてみた。でもなんかすぐおさまってしまった。あーあ、悲劇のヒロインぶるのもイマイチできねぇやと思いながら大好きなスルメをヤケ食いしてみた。

 

△△ちゃんがまた、普通にいい子で、なんか私なんぞを慕ってくれちゃったりしてるから、余計に憎めなくて。別に実際△△ちゃんが悪いとかいうわけじゃないし、ていうか別に誰が悪いわけじゃないしなぁ……だからこそ余計気持ちの持って行き場がなくて、なんだかなぁという気分。

△△ちゃんは何も悪くないのに、以前のように話しかけてくれたりしても、なんだか、どうしてもこう、ピリッとする。心の奥がっつーか。だって、話の中には当然「彼氏」の話も含まれてたりするわけだよ。ていうかジャンジャン含まれてるわけだよ。△△ちゃんは私が〇〇君をどう想ってたかなんて知る由もないからさ。彼とどこどこへいって、とか、こんなこといわれたんですよ、どう思います?とかさ。

〇〇君は〇〇君で、「女子意見聞けるの◇◇しかいないから」みたいな感じで、「彼女」との付き合いの悩み(?)とかを漏らしてくるわけですよ。それもまあ私が以前からサークル内でおちゃらけキャラだったがゆえに、割りとアレな、「もうホテル誘うとか、いやかなー」とかそういう悩みまで。つーかぶっちゃけセックスした事実を別口で二人から知らされたりしました。どういう罰ゲームやねん。それも私も「いい友人」「いい先輩」モードを抜くタイミングを逸したまま、「ちょwwそんな情報いらんわボケw」とか「そっかーついにしたんだー。大丈夫だった?なんか変なことなかったー?うんそれならいいんだー」とか(喪女なのに何言ってるんだっていうね)言っちゃって、二人からは相変わらずなんかラブラブノロケ的なものを聞かされたりでさ。

 

 

なんつーかもう、それ繰り返してるうちに、「恋愛」というものに冷めていく自分がいた。すっぱいブドウみたいな話なのかもしれない。ただ、なんだかスーッと冷めていった。

最近手にとっていなかった二次元を見て、「ああ、なんてことしてしまったんだろう」と思った。

喪なんだよ、あたしゃ。そうだったんだ。何忘れてたんだろうと。

男に優しくされたことなんて全くないから、ちょっと優しくされただけでのぼせたという、なんと悲しくなるほどありがちな話なんだろうかと。情けない。本当に情けない。悪い男にすぐひっかかるタイプだ。そうなる前に、気付けてよかった。

所詮そんな喪女だから、恋愛とか結婚とか無いだろwwwって割り切ってたのに、二次元バンザイ!って言ってたのに。

私は結局、ずっと支えてくれてた二次元を裏切ってしまったんだと、なんてことしてしまったんだろうと思った。

割り切ったつもりでいても実際リアルに人から優しくされると多分人間弱いものなんだ(私だけかもしれんがw)。

今までは覚悟が足りなかった。これからはそういうある種の誘惑にも負けないように、強く二次元を愛さねば。

 

ブコメとかを見たら、応援してくださった人もいたのに、告白する前にこんな結果で申し訳ないですが…

喪女にはいい勉強だったと思う事にします。読んでくれてありがとうございました。

 

 

<追記>

重要な事を書き忘れていました。彼が私のコトを好きだったというのは多分無いです。

彼から「◇◇ちゃん(私)は、異性としては見れないなぁ、親友って感じ」とあれから何度も言われるんですよwwwバロッシュwww私何も言ってないのにwwwwそんな念を押さなくてももう狙わないから大丈夫だってバカヤロウwwwww

 

多分はてな的に言うと、私は女性として承認されたかったっつーかそういうのに飢えてたんだろーなと思います。実際そういうの縁なかったしwwwで、それがやっと彼によってなされた!かと思いきや勘違いでした乙、というなんとまぁなオチだったという……。

2010-05-29

褒め屋

最近テレビでやってた「抱きしめ士」に似た発想で、俺には「褒め屋」のアイデアがある。

 以前TVドラマで「殴らせ屋」の話があった。路上パフォーマンスで、不満を抱えた人に有料で顔を殴らせてやる話。

 「褒め屋」は、落ち込んだ人を「エライ!」「すごい!」等、あらゆる前向きな言葉で褒める仕事生の声だけでなく、マイク大音量で褒めちぎるとか。昔、貨物列車コンテナを使ったカラオケBOXがあった。そんなコンテナの中でマイクを使って「褒め屋」をやる。名付けて「カラオケBOXボックス」ならぬ「褒めちぎりBOX」。

 「褒め屋」が職業になるとは思わないが、カウンセリングの一手法に採用したらおもしろいとは思う。現行カウンセリングは決して医師患者に積極的に働きかけたりせず、患者言葉を反復したり、それとなく誘導するだけ。これは「医師が原因を教えるのではなく、患者自身に原因に気付いてほしい」という、カウンセリングの基本的立場があるからだ。そのため医師がズバッと「ああしろ。こうしろ」と指示を出す事はマレ。医師は無理に患者を変えようとはせず、患者が自発的に良い方向に向かう手伝いが主な役目・・カウンセリングはそんな考えに基づいて行われる。しかしこうした医師の態度が時に患者に「まわりくどい」「早く結果を得たい」など悪印象を与える場合もある。

 俺の個人的意見では、カウンセリングはもう少し医師が積極的に患者に変化を促すよう働きかけを強めてもいいように思う。その一案として、俺が先に述べたような「何でも褒める事で患者の自信を促進する」という治療手法はどうかと思う。褒める内容は実に小さな事でも良い。例えば「1人でカウンセリングに来れて偉いねえ」「しっかり髪をセットしてからここに来たのかい?すごいねえ」など、一般人から見れば「そんな事」と思えるような事まで大げさに褒めてみせる。初めは患者も恥ずかしがるだろうが、次第に効果が出てくるのではないか。「次第に」とは言っても、従来の「ひたすら患者の変化を待つ」型の治療に比べ、はるかに短期間で効果が得られると思う。

 「褒め屋」と共に俺が考えたのが「不満発散BOX」。これも貨車コンテナカラオケBOXがヒント。不満がある人がコンテナに入り、マイクで「バカヤロー!」「ふざけんな!」など、不満を思い切り絶叫する。サンドバックを吊るし、気が済むまで殴る蹴るがOK。出てきた時に「ああスッキリ」というわけである。他人の憂さ晴らしを手伝う「ストレス発散ビジネス」である。

 「サンドバックでストレス発散」で思い出したが、そんな大げさな事をしなくても身近な物を使い少しずつストレスを発散する方法は多い。ガラスを割ったり壁を破ったり、再生不可能な物に当たるのはマズいが、壊しても大丈夫な物や再生できる物に当たるのは賢い工夫。例えば、組み立てたブロック玩具レゴ等)や積み木作品をガラガラ崩したり、使用済み楊枝や割り箸をバキッと折ったり、ハンカチをクシャクシャ揉み潰したり・・。とにかく不満は小出しに何度も爆発させる事が大事。不満を溜めこむばかりだと1回目の爆発がいきなり大爆発になる。それは避けたい。

 カウンセリングのあり方や、不満発散法について書いた。俺は大学で一応心理学を専攻したので、言った事はさほど的外れではないと思う。「臨床心理」ではなく「行動科学」を学んだだけだが、一応精神衛生の授業も最低限受けた。大学の事はまた期を見て書く。

2010-05-07

明日は、晴れるかな。

昨日も、そんなこと考えたっけ。

そして、明日もたぶん、同じことを考える気がするような。

おとといは、雨がどしゃ降りで、天気予報のお姉さん(推定25歳)も、「今日は傘が手放せない一日になりそうです><;」と苦い顔をしていた。

僕は、なぜかはわからないけど、「明日はきっと晴れるよ」と、目の前の平板に向かって声を発し、その音波を自分に浴びせ、酔いしれた。

明日はきっと晴れるよ。

あしたはきっとはれるよ。

アシタハキットハレルヨ。

「目の前の通りに、通い付けのバーがあるんだけど、そこの店主はどちらかというとラーメン屋にぴったりな、筋骨隆々の身体つきなもんだから、一度はみんなにオススメしたいと思っている」とは、僕の友人の言だけど、僕の感性としては、やっぱりバーというのは汗を落とす場だという認識があるから、そういうムキムキにいさんのいるところには一度たりとも通いたいとは思わない。

なんだい。

僕が狂っているって?

やっぱり一度ぐらい行くべき?

まいったなあ。

考えておくよ。

そして、僕はそのバーには行かないまま、今まで過ごしてきたけど、なにか自分に不都合なことが起こったか、身の周りに不幸なことがあったか、というと決してそういうことはなく、今日も日々をだらだらと、「またお前は取引先を怒らせたのか、バカヤロウ」という上司の御小言と、「いやあ、ついつい調子乗っちゃいましたよ^^」という僕の不遜な態度を、空気に溶かしつつ仕事に精進している次第で、実に平和なんです、ごくろうさま。

え?

それでもやっぱり狂っている、と?

仕事上の取引先を怒らせるなんてクビもいいとこだ、と?

上司にナメた態度を取る時点で社会不適合だ、と?

だから草食系なんだ、と?

はいはい。

肩が凝ってますね。

明日はきっと晴れるよ。

2010-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20100319153947

最後まで記事読めよバカヤロウ。

健康にいい、っていうのは男性ホルモン抑制されると

肌が綺麗になるとか、よく眠れるとか書いてあった、どっかに。

2010-02-27

mixiにもtwitterにもブログにもネガティブなことが書けないからココに書いてみる

あぁ。。。なんかいろいろやらなきゃいけないことが重なって、全部面倒…

無気力マウスになった気分。何をしても報われないって思っちゃう…

あーーー!教授バカヤロー--!!!

明日はやいから寝るかな。

失礼しましたw

2010-01-11

昨日オナラがとまらなくって、オナラするたび

「あぁぁああああ~~(ブゥ)」と声楽発声練習のように歌いながらオナラしてたら

旦那(精神科医なのですが)が

「アンタ、俺が診てる患者さんそのものだよ、歌いながら屁をするって・・

その状態じゃ注射して落ち着かせるんだけど、普通

と言われた。

ムカっっときて「私のどこを治すって言うんだよ~だバカヤロ~~」と言ったら

「それそれ!それもまさに患者が言う口答えなんだな・・」

入院したほうがいいのか?

2009-10-11

東大バカヤロ

いきなりですけど、友人に恋愛の不満はここに書くとよろしいと教わったので、ちょっと昔にあったことを書こうと思います。

信じていただけないかもしれませんが、決してネタではありません。

話は去年の4月頃にさかのぼります。当時の彼女と私は進路の話をしていました。彼女早稲田志望で当時の私は阪大志望でした。ちなみに、どうでもいいですけどその彼女性格から雰囲気からなにからなにまで『らき☆すた』のつかさにそっくりでした。で、その日は彼女と一緒に夜まで勉強し、学校の近くの彼女の家まで彼女を送りに行ったのですが、帰り道の途中でもう少し一緒にいたくなり、結局近くの地下鉄の駅でもう1時間くらい話し込んだのでした。

彼女志望校を教え合ったところ、まあそうなるだろうとは思っていましたが、『大学でもずっと一緒にいたいから近くの大学を受けてほしい』と言われました。私は当時阪大はA判定で東大はD判定だったのでけっこう迷いましたが、まだ時間はあるし、彼女のためなら頑張れると思って東大を受けることに決めました。

それから時間がたって体育祭の時期になりました。大勢で騒ぐのが好きな彼女は準備にもかなりの頻度で参加していたようですたが、勉強でそれどころではない私は全く参加できませんでした(夏休みの私は、本当に毎日16時間勉強していました)。正直これはまずいな...と思って彼女にそのことを話したら、私が勉強で忙しいのは分かっているから全然気にしてないと言ってくれたので少し安心しました。

その後、体育祭予定日に雨が降ったために体育祭は延期になりました。そして不幸なことに、その新予定日が塾の東大数学一日講座と重なってしまいました。私は数学がかなり苦手で、その講座はかなりためになるという噂を聞いていたので前から絶対に参加するつもりでいました。もちろん準備をしていた彼女のことを考え当日だけでも参加しようとは思っていましたが、それで東大に落ちたのでは元も子もないと思い、結局は講座の方を選びました。その旨を彼女に伝えたら『一緒に体育祭やりたかった、そばにいてほしかった』というメールが返ってきてしばらく連絡が取れなくなりました。

それから、なんとか会って話してもらう約束をして2時間くらい会って話しましが、やはり『寂しかった、私は自分が行事にも一生懸命参加するタイプだから、それが共有できないならこのままの関係ではいられない』と言われました。彼女の気持ちを分かってあげられなかった私がダメだったと思いましたが、すでに遅かったです。そうして私たちは別れました。

それから私は無気力状態になりかけましたが、これで東大まで落ちたら本当に話にならないと思い毎日彼女のことを思い出しながら勉強し続けました。勉強中もずっと彼女のことが頭から離れませんでしたが、合格したらもう一回会って、本当に反省していると伝えようと思って頑張りました。

そうして受験を終え、無事東大合格した私は合格発表日に彼女電話しましだが、その時彼女はちょうど部活打ち上げ中だったので日を改めることにしました。それから一週間後ぐらいに会ったのですが、久しぶりで緊張しながらでも一緒にいられて楽しかったです。ただその顔を見ていて、私がここでもう一回告白しても彼女に迷惑をかけることになるんじゃないかという気持ちが生じてきました。それで、結局そのときは散歩をして公園で話をしてバイバイしました。

その日の夜に高校の友達にそのことを伝えたら『何が何でも好きって言え』と言われました。人の意見で動かされるのもどうかと思いましたが、今まで頑張ったことを無駄にするのもよくないと思いその日の夜に彼女電話しました。電話では、まだ好きだということ、体育祭から毎日反省していたこと、これからは何よりも大事にすることなどを伝えました。彼女の返事は『すごく嬉しいが、またきっと前みたいになると思うから彼女にはなれない。一緒にいるとすごく楽しいのは今でも変わらないから、連絡もしてほしいし、私は全然男友達がいないから、そういう関係でこれからもいてほしい。』という感じでした。私も、これ以上だらだら話しても意味ないと思ったので『◯◯(彼女名前)がいたからここまで頑張れたし、◯◯と付き合わなかったら東大には行ってなかったと思う。本当にありがとう。これからも頑張って。』と言って終わりにしました。

で、それから今までだらだらと東大生活を送っている状態です。高校時代の友達の女の子に相談しているうちに、その子のことが好きになったような気がして2回ほどデートに行ったりもしましたが、それでも最近元彼女のことばかリ考えてしまいます。

こんな私はどうすればいいのでしょうかorz

2009-07-22

息子の言語感覚・六歳編

こないだプールで息子と一緒に遊んでいて、息子の浮き輪を面白がってくるくる回していたら

息子がキャーキャー笑いながら「おかあちゃんヤメテー!」というのでえへへ息子可愛いなあと思ってくるくる

「おかあちゃんやめて!キチガイ!ばかやろう!」

と息子が笑いながら言ったのであんまりの言葉遣いにふきだして腹がよじれるほど笑ってしまった。キチガイバカヤロウ!って六歳の愛らしい子供から聞いたらあまりの非現実感に笑う。しかし親なので笑っていてはいかん。

「なにそれどこで覚えたの?キチガイバカヤロウ?誰が使ってたの?意味解ってる?」

しんちゃんのお父さんがバカヤロウって言う」

しんのすけめ。あと、あの使い方はダンディに言うべき。

「うーんバカヤロウは微妙だなあ。あんまり使わないようにしなさい。じゃあキチガイは?」

「ワスレタ!」

「うーん、でもキチガイバカヤロウもあまり使ってて良い言葉じゃないから、もうちょっと違う言い方しようね」

「バカーバカーバカー!アホー!」

「やめんかい!」

「おかあちゃんのアホー!」

「ウム!使い方はよし!」

誰だキチガイって教えたのは…

2009-06-25

サラリーマンの詩

ガタンガタン

今日も蒸し暑い満員電車に揺られて、オフィスに行くのさ。

新卒1年目で、22歳さ。貴重な二十代は、オフィスで書類を書いてはんこを押す作業で終わっちゃうのさ。

昨日は部長にマジギレされて、真っ青な顔で仕事をしてたのさ。

最近は昼休みが30分しか無くて、飯の味も分からないさ。

酒の席では、1年目は奴隷扱いさ。酒つぎをやらされて、ストレス解消のはけ口になるのさ。

けちょんけちょんにけなされても、引きつった笑顔で応対するのさ

「おまえK大出てんだって?偉そうにすんなバカヤロー!」酒で濡らされてもいつものことさ。

だんだん家とオフィスの往復だけになる人生を考えると怖いさ。

小学生の頃、ぼくはどこまでもどこまでもいけると思っていたさ。

しかし結局、家から1時間オフィスまでが、俺のいける距離だったさ。

最近夢に見るのは、田舎での穏やかな生活さ。

毎朝ご先祖様にお祈りして、自分家族のためにおいしいご飯を作って、

たまには山に出かけて穏やかな日差し差し込む森の中で、ゆっくりと読書をするのさ。

明日もすっぱいにおいを発するオッサンに囲まれてガタンガタンと電車に揺られるのさ。

「ああ・・今日は金曜だ!」

それだけが僕の希望さ。

2009-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20090527163240

バカヤロウwwww実験じゃねえよwwwwwwww

当時は愛されてんだと思ったから、たまにはこういうのもいいよね。。。って敢えてそのコースを選んだんだ。

したら。。。



したら。。。。。。。。

2009-05-13

好きな人ができました。

大変だ大変だ!どうやら初恋をしてしまったらしい。

事件の発端は三ヶ月前、私の目の前に現れたある男の人。

彼の頭に詰まったあれやこれやに一気に惹きよせられ、

それが甘くて美味しくて、全部欲しくて夢中でお喋りした。

たぶんその時、私の心で「恋愛」というビッグバンが起きてしまったんだ!

そのせいで意識無茶苦茶。だいぶ迷惑していますよ、バカヤロー。

メールの返信がなかなかないだけでイライラしたり、

返ってきたらきたで「ショックなことが書かれてたら……」と素直に開けなかったり、

次の日会えそうってだけで頭が沸騰しそうになったり、不眠症に悩まされたりするんだよ!

私の日常が大損害だよ。

さてさて、この事件、どう落とし前をつけたらいいのでしょうか?

デート?告白?ラブレター?海へ行って忘れる?

悲しいBGMは聞きたくない!ハッピーエンドがいい!

2009-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20090508093632

ダボはクソバカヤロウを意味する方言です。

「こんダボが!」といった感じに、神戸あたりでよく使われます。

2009-04-17

http://gekkansunday.net/rensai/artist13/

バカヤロー!

予約一括発注で注文しちゃったら、8月まで到着しねぇじゃねぇか!

http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/solc_new?type=c&mm=1

こっちの情報、早く書き換えとけ!

2009-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20090221231751

てかちゃんと怒ってやれよ。

バカヤロウ、んなもん使っていいと思ってんのか、つって分かるまでキツく叱ってあげた方がお子さんのためだと思うぜ。

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