はてなキーワード: バイアスとは
うちも100%テレワークだけど、チーム内の雑談会の時間を設けてる。
それがどのくらい効いているかは分からないけど、今のところ会社を辞めかねないトラブルは起きてない。
あと、うちのリーダーがすごく気を遣ってくれるところが増田には足りてなさそうと思った。どういう点かというと、とりあえず相手が間違っててもまずやったこと自体は肯定すること。その上で、でもここは違うから直してと伝えてくれるところ。
全くのエスパーではあるけど、増田目線で間違ってる仕事でも、A氏はそれが正しいと思ったからこそやったわけで、そのA氏なりの正しさをボキボキ折られたらそりゃ心も折れると思う。
全体的に見るとA氏の逆恨み感はあるけど、増田の言葉というバイアスを差し引くと、A氏の仕事を全く肯定しないところが増田にはあって、そこがA氏にとっては尊厳を踏み躙られたと感じたんじゃないかと思う。
うちは同棲はじめるときに両親にカミングアウトした。運良くどちらの両親も認めてくれてパートナーを見つけたこと自体を喜んでくれた。
自分が同性愛者であること自体にバイアスがかかって卑屈になる部分があったから(死にかけるレベル)、同性であることで変にバイアスがかからない自分達の両親に驚いたし、おかげで自分も変に卑屈にならないようにしようと思えた!
増田に対してのコメントとかみると、また卑屈になりそうになるけど、ちゃんと返事して向き合う増田は偉いなぁ。
日本スゴイでもスゴクナイでもいいんだけどさ、マンガファンとしては海外にもこういう凄いコミックがあってね・・・という話をして欲しいよな。
俺個人としては日本スゴクナイの方がむしろ嬉しい。知らないコミックが沢山あるってことだから。海外に目を向けても、知ってる日本のマンガが席巻してるなんて白けるよな。統計データの話でスゴクナイんだ、スゴイって言ってるのは袋小路なんだっていう自戒的な説得より、いやいやこういう凄いコミックがあるんだから読んでみてよ・・・って言われた方が、オタクとしては気になるじゃんか。椎名ゆかり訳の『モンストレス』スゲエ面白いんだぜ? 中国系アメリカ人原作(元マーベル作家)と日本人作画(と言っても活躍の場は主にマーベル)のマッチアップで、アメコミで想像されるマッチョなテイストを感じさせつつもクトゥルフ的幻想SFを背景にイヌネコ半人間達が築き上げた文明世界で権力者の思惑に巻き込まれながら戦う、少女の話なんだ。日本語版は3巻で止まってるんだけどな。『ファン・ホーム』は……まあかなり人を選ぶっていうか、多分に衒学的すぎると思うからよく訳したなって正直凄いと思ったよ。あれを心底楽しめる人間は相当稀だろうな。作者名を取ったベクデルテストとかいう名前が独り歩きしてジェンダーバイアス測定の指標みたいな面してるの、正直英語圏のやつらは作品を鑑賞する時にいちいち杓子定規を持ち出して、ベクデルテスト、うーん…合格! とかやってると想像すると、あきれてしまう。そこまで数値的な規範に頼らないと何のバイアスがあるか無いか判断できないって、それはもう手前で作品を楽しむこと自体が不安なんだろうな。
話が逸れたけど、そういう個別作品の話をもっとして欲しいんだよ。それを「北米の(グラフィックノベル市場全体ではなく)一般書店で売られている紙の単行本に限定したベスト20でMANGAと呼ばれる商品が独占している」だけだから結論を導くことは出来ない、実際に北米で一番売れているのは「子供向けグラフィックノベル」のカテゴリーだ、って言われても、途端に何が真実という話なのかよく分からなくなるよ。その抗弁もするだけ苦しいっていうか「子供向けグラフィックノベル」って要は児童向け絵本のことでしょ? スマーフとか想像しちゃうけど、カートゥーンネットワークで放送してるアニメのボリュームゾーン。そのジャンルと比較して、いや日本の漫画は売り上げで及ばないし……って言われても、なるほどそんな市場規模ならコミック読んでる奴は精神的に幼いみたいな受け止め方もされるかって思うし、それにMANGAが次いで更に小規模なスーパーヒーロー・大人向けグラフィックノベルってマジで小さな市場なんだなってなるよね。実はゼロカルカーレの『コバニ・コーリング』がシニカルなサトリ世代の戦時ドキュメンタリーになってて新鮮だとか、ティリー・ウォルデンの『スピン』がヤングアダルトジャンルで出色なんだとか、いやいやMariko Tamakiの"Laura Dean Keeps Breaking Up With Me"が外せないとか、そういう話で盛り上がって欲しい。
こういう愚痴をユーロマンガも誠文堂新光社の『アイデア』も黙らせてくれるので、感謝してます。読みます。海外マンガであるというだけで正直かなりの下駄履かせて面白がってるように感じちゃうけれど、知らない変なコミックに出会えるというだけで高評価せざるを得ない。非凡な人は全世界にちらばってるので、そういうのを見つけて楽しむのによい。そう思います。
下手だけども文章を書いていく。
ただの救われない男の戯言なので面倒だと思う人は見なくて構わない。
HSPと一緒で傷つきやすかったり敏感でありながらも、平穏を求めずに刺激を求めるとかゆう自爆タイプのかわいそうな人間である。
刺激を求め飛びついては傷ついて疲弊して考えんこんでしまうのが当たり前とかゆう馬鹿な人間。
正直かなり辛い。
これまで刺激的な体験がしたくていろいろなことをしてきた。
ライブをしたくてバンドを組んだりしたのだが、自分の歌が人を魅了できるほど上手くないとわかっているのでメンバーや観客の顔色を気にしては疲弊し自己嫌悪に陥る。
高校の頃漫才の大会に出たが、あまり笑ってもらえず頭が真っ白になりネタを途中でやめ退場。
またも高校の時に、舞台祭といって体育館の舞台でいろんな演目をやる行事の司会のひとりとして出たこともあるが、司会が4人もいたので下手に入り込むとぐちゃぐちゃになりそうだとか、司会の二人の進行がうまかったので必要ないんじゃね?と勘ぐり一言も発せず退場。
その他にも好きゆえに飛びついては下手なところを意識しては自爆して自己嫌悪に陥り鬱っぽくなってやる気が出なくなる日々が多い。
ここまできたら人前に立ったり、誰かを挟んで何かをすることが向いてないのはわかっている。けどそこができなくなるって考えるだけで生きる希望がなくなってしまう。
誰かに称賛されたいわけじゃなくて、本当は自分のしたいことや想像したビジョンを現実化したいだけなんだ。
間っ子であることも要因の一つで空気を読んでしまいがちだし、これに加えてHSPの敏感さを兼ね備えたせいか、何事にも相手の顔を伺ってしまうし、こうした方が周りにとって都合が良いと思える立ち回りが浮かんでしまう。
良い立ち回りが浮かんでもそこに注ぐエネルギーは膨大な上、自発的では無いからやったとしても本当にメンタルを削られる。
ランチをした店の店員さんときさくに話す横で自分も混じったりしないといけないだろうなとか、楽しくいろんなことを話してくれる彼女に向けて自分ももっと話さなきゃいけないんだろうなとか考えていた。
そんな時ふと思う。こんな俺が彼氏で良いと思ってくれているのだろうか?
彼女はすごく綺麗で性格も本当にいい。そこも相まって一緒にいることに懸念がある。
考えすぎだとか、人と比べちゃいけないってのはものすごく理解している。
けどどうしても敏感ゆえにチラついてしまってバイアスが消えてくれない。
今日は楽しい一日だったのに、そんな些細なことでも楽しいことを悲しく捉えてしまうようになってしまっていた。なんだかもう死にたい。
表現規制なんて自民議員が唱えたら自民支持者でも叩くネタの鉄板だし
オリンピックだって野党支持者のハードランディング論に反対してるだけで、なるべくなら実施してほしくない人が多いだろう
あと数時間したら出社だ。
一年前にマッチングアプリをやめて、ゲームと風俗が二大時間潰しコンテンツだったが、どっちも飽きたり限界に直面していて、新しいことをしたいが、興味を引かれることが見当たらない。
アウトプットしないから澱みまくっているので、文章でも書いてみようと思う。
いない歴年齢日記的には、いない歴年齢を覆す必要があるが、それには適切な相手と適切な出会い方をする必要がある。
相手が適切かどうかは知っていかないとわからないので、できるのは適切な出会いを待つこと。
待つということについて、あまり文章を書かれているのを見たことがないし、自分でも考えが足りていない部分があるように思う。
やる気が出ないならやる気が出るまで待てば良いし、何か達成したいことがあるなら達成できる機会まで待てば良い。
しかし、自分の場合は意識的に待つことをあまりした記憶はなくて、だいたい待てなくて他のことに意識がいっている。
何かをすることが尊ばれる世の中にあって、何もせず待つことは、あまり重要視されない。
大きなことを待てなくて小さなことにいってしまうより、待ってでも大きなことに向き合うべきだろう。
諦めることを待って欲しいと、他人事なら言う。他人事ならもう少し待てばきっと良いことがあるよと言えるのに、自分にはそう思えない。自分に対するマイナスなバイアスがかかっている。
期間を決めて待つのはどうだろう。
1週間何も面白いことが起きなかったら、その時にまた考えよう。生きてれば良いことあるって言うし。良いことあるか1週間観察してみよう。
人間は女子供は保護しようとするけど、知らない男性を保護しようとは思えない、というアレ。
薄汚いおっさんを救うための募金なんて(ストーリー無しでは)絶対に集まらないけど、イルカを救うための募金は集まってしまうというやつ。
赤子、子供>女性、高齢者>知り合いの男性>犬猫>イルカ、動物、美しい大自然>清潔感ある男性>>>>超えられない壁>>>>誰だか知らない不潔な男性、魚、虫>害虫
みたいな順で「守らなきゃ」と思うように出来ている。
昨今はてな界隈で話題の弱者男性問題を考えるには、まずこのバイアスを皆が自覚し、知性で補正して考えようとしないと議論が歪んでしまうと思うんだよね。
(しかしネット上の議論でその前提を満たすのは困難なので議論で何かを得るのは諦めた方が賢明だろう。)
弱者だろうと弱者でなかろうと認知バイアスによる差別は行われるが、その影響を受けやすいのが社会的孤立や貧困の状況にある弱者男性だという話。