はてなキーワード: タトゥーとは
なんかタトゥーが盛り上がってる?のかな?
「タトゥーが温泉に入浴するの断られるのおかしい!タトゥーはただのおしゃれ!怖い人じゃないから!」
みたいなこと言ってたんだけど、
「怖い人はタトゥーを入れてることが多いから、怖い人を婉曲的に表現しよ。怖い人が温泉に来るのは禁止」
ってことじゃないのかなって思ってた。
だからタトゥーとか入れ墨とかじゃなくて怖い人を弾ける魔法の言葉が別にあればその言葉に取って代わってくんじゃないのかなって思ってた。
今回は何が問題なのか知らないんだけど。
ちがうのかなー。あの討論番組なんだったんだろうなー。
一般的に、日本では「タトゥー≒入れ墨≒アウトロー」という意識が広く浸透しており、俺もその価値観を持っているので、幸せそうなタトゥーカップルの結婚式の写真を見ても「こいつら幸せそうに写真に写ってるけど堅気じゃないんだろうな」としか思わない。
下の記事を覗いて気づいたんだけど、ヤクザの入れ墨以上に気持ち悪いと感じた。
映ってる人には悪いが、個人的に蓮画像に類するグロ画像だと思うので、見るときはご注意ください。
http://blog.kaerucloud.com/entry/tattoo-wedding
なんでそう感じるのだろうと思ったら、カジュアルに自傷行為を誇示しているように見えるからだと気付いた。
体に意図的に刃を入れて傷を作り、その傷を着色する行為って文化的な下地がなければ、
全身をリストカットして意図的に傷を悪化させて傷跡を見せびらかすようなサイコな行為だよ。
そういう文化圏があることは尊重すべきだろうし、今は凄く安全になってるんだろうけど、
それを見た者が本能的にギョッとさせられるのは仕方ないと思う。
自分の中では気持ち悪いと感じる理由として納得感あるんだけど不当な考えだろうか?
反差別主義者を名乗る者ならギョッとするのを理性で抑えて対話しなければならないんだろうけど、
か弱い普通の人々はそこまで興味も正義感も無いし、そういうことを意識することすらないよね。
ハンセン病患者差別とか各種の人種差別とか、仕方ない理由による見た目で
不当な扱いを受けないように政府が啓蒙しなければならないのは当然だとおもうんだけど、
自由意思で他人をギョッとさせる表現をしている者がそれなりの扱いを受けるのは、正直まあ納得感ある。
入れ墨許容文化圏の人が軽い気持ちで入れ墨入れて、日本旅行に来て嫌な思いをするのは可哀想だと思う。
だからと言って気持ち悪いと感じているところに文化の押し付けされるのは納得いかない。
相互理解のために外国の文化はそういうものだと周知するのは良いことだけどね。
でもやっぱりギョッとするのでできればあまり見たくないと思う。そのうち見慣れて気にならなくなるんだろうか?
上の画像付き記事の反応に対して他の人がツッコミ入れてたみたいなので少し。
タトゥーに対する偏見や差別だけでギャアギャアいってる人達に思うこと
http://gem205.hatenablog.com/entry/2016/03/27/051820
「【タトゥーが嫌いな人へ】これを見て何を思いますか?」なんて記事を上げたら率直過ぎるコメントも来るでしょうよ。
普通はグロ画像見せられたと思ったら、黙ってブラウザバックする。わざわざコメント残してくれるとかやさしいとすら言える。
そういう一言コメントをピックアップして、たくさんの言葉で囲んで批判するのはあんまりフェアじゃない。
それに本人ともっと深く話し合おうとせずに一方的に他人を精神分析して攻撃するのは、問題の解決にはなにもつながらないでしょう。
まあ、ネット上でグロ画像見せられたと思った人を捕まえて、理由を聞き出すのはとても困難なので仕方ない面もあるんでしょうけども。
ポルノ生産者、ポルノ消費者に近づきたくない、関わりたくないと公言するのは差別に当るか否か
とか誰でも考えるよね
ポルノも反社会的勢力と関わりがあるし、何気にポルノとタトゥーは似てる問題だな
とか思ってたわけだが、考えてるうちに真逆のところを見つけた
ポルノ、特に性暴力ポルノの流通は、ゾーニング無しだと女性に対する脅威として機能してしまう
タトゥーは威嚇だ示威だ、と言う意見があったので、この辺も似てるなと思ってたんだが
社会における流通の大きさと、示威機能の強さの関係が真逆だと気づいた
性暴力ポルノの持つ示威機能はたぶん流通の規模が大きくなればなるほど強化されるけど、タトゥーのそれは逆に広まれば広まるほど弱くなる
breast-cancer-survivors-tattoos で検索すると画像出てくるな
胸に妖精と蝶のタトゥーを入れた女性の名前はKelly Davidson。
28歳の時に両方の乳房をガンで失った彼女が、乳房の再建手術を受ける代わりに選んだのは、この大きなタトゥーを入れることでした。
「私は私のままですが、私の身体は変わってしまいました。でもこの美しいタトゥーのおかげで、乳房を失ったことに悩まされたりはしないのです」
「このタトゥーは私の誇りです。私がどのようにガンの尻を蹴っ飛ばしてやったのかということと、人間としても女としても、乳房の有無で私が私であることは左右されたりしないということを表現しているのですから。」
病や体に残った傷跡やハンディキャップと戦ったり、あるいは受け入れたりするためにタトゥーを入れる人たちがいます。
http://blog.kaerucloud.com/entry/tattoo-wedding
オレはタトゥー好きか嫌いかと言われたら「どちらでもない」けど、するかしないかと言われたら「しない」かなあ。それは「嫌い」に分類されるのか。それなら「何を思いますか?」って聞かれてることにして感想言うけど、まあ「心底どうでもいい」だわ。
あのさー。アフリカで唇に皿入れたりする民族がいるじゃん? 東南アジアに首伸ばす民族とか居るし。そういう人らの結婚式見るのと同じような感じ。「ステキだなーって思わないの?」って。まあ「別に」だよ。
もう少し丁寧に言うと「ああ、そういう文化なのね」って思う。批判とか軽蔑とか、全然ない。ただ「そういう文化なのね」っていう感じ。正直言うと「一瞬ギョっとする」よね。そんで、奇異なものを見る目で見てしまうくらいは、正直勘弁してほしい。けど、もともと「ある文化に慣れた人の中でも、より一層他との差別化を図って行っているような装飾」である以上、初見の人間が一瞬固まることくらいは想定しておくべき範囲内のことだと思うんだよね。ちょっとギョっとする。で「別に」と。それ以上の感想を求めると、もう暴力だと思うんだよね。どういうことかって、もう少し説明する。
豚を調理する文化もあれば、豚を穢れたモノとして遠ざける宗教に基づく文化の人もいる。牛を調理する文化もあれば、牛を神様としてあがめる宗教に基づく文化の人もいる。後者の人に、前者の人が「ほら美味しいよ」って言うのって、どうなのかなあ。「ああ、それは美味しいのかもね。あなたのではね。」って言うのが最大限の譲歩だよね。ハッキリ言って「見たくない」のが本音じゃないかな。それに対して、いかにも「美味しい、って言わせよう」ってやり方で感想を求めるのは、もう文化的デリカシーが欠如してるなって思うし、場合によったらソレって暴力の域だよね。
肌の上に装飾をする文化の人もいれば、「何もない・清らかな肌」を美しいと感じる信仰を伝統的に受け継ぐ人もいるわけ。
入れ墨アレルギーの人に頭っから否定されたタトゥー愛好家は、そりゃ確かに腹立つとは思うんだわ。「このガラパゴス狂信者奴」って。けど、後者の人にタトゥー見せつけて「どうよ」ってやるのも、やっぱ同じ位暴力的だと思うんだわ。で、双方が無理に布教しようとすれば、結局戦争になるほかないわけ。それってあんまりイイコトじゃないと思う。
だから、まあ平和的に棲み分けましょうよって。要はそういう話。宗教的問題について「話し合えば分かり合える、説得できる」なんてそんなん夢物語(ふぁんたじー)ですよ。残念ながら、人間はまだそこまで進化してない。というか、それが/それこそが『人間』なんだと思う。
以前も書いたけど結局は今人権問題とかで取りざたされていることは
マイノリティが権益や表獲得のための道具にされてマジョリティを攻撃しているにすぎない
結局はそういうものを不快だと思う人間を排除して侵害することで得られる自由だろう
心は女性だから肉体が男性でも使わせろ、というのも不快に思う女性たちの人権を侵害しているにすぎない
問題はマイノリティがその3つ目のトイレを作るだけのコストを支払えるのか?ということだ
ふざけるんじゃないよ
いかにも主張に正当性があるように思い込んでいるけどそんなものはねーから
流れ読んでないでぶった切るけど
風呂の「刺青の人禁止」って、要はやくざや任侠の人来るなって直截に言えないから
円滑表現として使ってるだけじゃん。
本質的な問題としては「タトゥーをしてる」こと自体が問題なわけじゃない。
店が客の行いを業務妨害だと判断したら当然入店拒否する自由はあるんだよ
極端な話、男はレイプさせないことは人権侵害だ!レイプ魔を差別している!
っていう主張が通ったらどうなるの?
本当に嫌いってそれと同じくらいなんだよ
タトゥーに嫌悪感ある人間にとっては一緒に銭湯に入ることは、レイプされることに等しい
今まさにオリンピックを前にして
男である「タトゥーは一般的である文化」にレイプされそうになってる
それでも本当に正しいことだと言えるのか?
年末に待ちに待ったスターウォーズの新作を観たが、最低だった。
※ちなみに英語でしか観れる環境でなかったので、会話の内容はほぼわかってない。帰国したらきちんと吹き替えか日本語字幕で観たいと思う。
ーファンのつぶやき。ー
大好きだからこそ言いたい。
スターウォーズはファンからしたらもはや映画ではない夢なんだ!
スターウォーズはSFアクションであり、ラブロマンスであり、ドキュメンタリーというかモニュメンタリーであり、愛や友情、企業連合、民主主義の欠点まで描いた全てなんだよ。
もはや映画という娯楽の領域を超えるものであり、もう一つの世界なんだよ!
だが今回、ディズニーはそれをファンタジーとして描きやがった。
いや、今までもご都合主義あったよ?ファントムメナスでもタトゥーイン離れる時にちょうどダースモールに追われたりとかさ。
けどさ、今回は後の指摘も含めてご都合主義が多すぎだろ!ボケ!
偶然主人公と脱走兵が出会うとか。ミレニアムファルコン乗ってたらハンソロに捕まるとか。戦艦内で誰にも見つからず逃げるとか。
最後、主人公と悪役が戦ってる時にちょうど二人の間の地面が割れるってどういうことだよ!
フィクションなんだから気にすんなって?映画だからいいじゃん!だって?
いや、そういう細かいことに気を配って、ミスったり間違ってたら後で設定をつけるっていうのがスターウォーズなんじゃん。
たくさんあるけど、例えばこれ。
『映画エピソード2ではジャンゴがスレーヴ1に乗り込む際にヘルメットを扉にぶつける描写があるのだが、エピソード4でストームトルーパーがデススター内の扉を通過する際に同様にヘルメットをぶつけるシーンがある。 これについてはストームトルーパーがジャンゴの遺伝子を受け継いでいたためジャンゴと同じ癖を持っていたという事が公式にアナウンスされており、クローントルーパーが旧共和国軍に採用されてから22年経過した時点でもジャンゴのクローンがストームトルーパーの中に存在していることがわかる(ジョージ・ルーカス得意のお遊び)。』
全てフォースの導きで片付けろって?
無理だね。お前はやりすぎだ。アホ。
②ライトセーバーのバトルがしょぼい。
そのまま。アクション映画と言えない。ライトセーバーバトルがないスターウォーズはスターウォーズじゃないけど、これならない方がマシ。
百歩譲って主人公は訓練を受けていないためライトセーバーを振り回すしかできない。ならまだ理解できる。ok。
でも、あの素早いバトルアクションが俺は見たいんだよ!
→③に続く
③設定無視。
主人公がフォースを使う訓練を全く受けていないのにライトセーバーやマインドトリック、フォース・プルを使う。意味がわかんない。
まず、素人がライトセーバーを起動して使うことは可能なのは知ってる。グリーバス将軍やアニメ版クローンウォーズ中でバウンティハンターも使ってたし。
ライトセーバーは刃の部分に重量がないため素人が使うと自分の腕を落としたり怪我をすることがある。
つまり扱いにくい。ジェダイは幼少の頃から訓練に訓練を積んで技術を身につける。それに何種類もの型がある。
フォースの使えないグリーバス将軍はもともと戦闘能力が高いということもあるがダースティラナス(ドゥークー伯爵)に稽古をつけてもらって、ジェダイを何人も殺せるほどになった。
それでも将軍はオビワンやフィストー、メイス・ウィンドゥレベルになると負けた。
それなのに主人公や味方トゥルーパーの黒人は敵と普通にライトセーバーバトルを繰り広げる。
主人公は百歩譲って(譲りたくはないが・・・)okとしてなんでそこらのトゥルーパーがそんなこと可能なのか謎。しかも相手はジェダイとダークサイドの訓練をしてきた敵なのに。
ライトセーバーはこれくらいにして、マインドトリックとフォース・プルだ。
なんでなんも訓練してないのに使えるの?誰からも教わってすらいないよね?
あのフォースの強いルーク・スカイウォーカーだってヨーダの訓練があって物を浮かせられるようになったよね?それも相当苦労してさ。
訓練を受けていなくても、幼少期アナキンやEzra Bridgerとかは人間離れの反射神経やかすかな未来予知はできてたけど、そこまでできた奴今までいなかったんですけど。
なんなんですか本当に?
新しくフォースを使える人が出てきて、仲間と会って、デススターみたいな巨大な兵器を壊して、宿敵を倒す。みたいな。
ほんと旧三部作をつまみ食いしました。って感じ。新しさがないし、面白くない。
なんなら今回ルーク・スカイウォーカーはほぼ出てこなさそうだなって途中で読めたし。次回に取っておこう的な。
でもそれは正解だと思う。それなかったら次見る気も起きないし。主人公含め全てのキャラに感情移入できない。感情移入や思い入れを持てるほど親しみを感じないし。
この映画SWってブランドがなくて公開してたら、B級映画だよな。B級映画でもめっちゃ面白いのあるからこの例えはB級映画に対して失礼か。すみません。
まとめ
今までSWのターゲットは男だったのを家族とか万人受けするように作ったんだなーって思った。
新しいドロイドとか「ここでこうやって感情的な表現だしとけば〜、ここで笑いを取っておけば〜、こうすればうけるんでしょ?」「ファンはこうすれば喜ぶんでしょ?」みたいな制作意図見え見え。
まぁ確かにその家族とか万人受け路線をやっとけば、グッツ販売とか好調ですもんね!ディズニーさん!さすがっす!
別に大したことない映画作ってもSWのブランドがあれば興行収入もがっぽがっぽですもんね!ディズニーさん!さすがっす!
ピクサーとかディズニーは嫌いじゃない。むしろ好きな方だと思うけど、神聖なスターウォーズでそれをやらないでくださいよ。
本当に勘弁してください。お願いします。
<追記 1/7>
「まだ三部作の一話なのに」とか「英語で意味わかってないのに感想かよ」という指摘は十分承知だ。
野暮な事は自覚している。
でもこのゴミのような文を感情の赴くままに書かずにはいられなかった。
新作を作ると決まった時、嬉しい反面少し怖かった。
もし全てを変えられる力が手に入るなら私は暗黒面に忠誠を誓う