はてなキーワード: あるじゃんとは
セスローゲンの this is the endは最後にみんなであの世でBSBの back to backを踊り狂うのが同世代って感じで好き
生理痛がしんどいと「男は死ね」って呪詛りながら鎮痛剤貪ってたわけだが。
最近の分断工作のせいで「人生において一度も生理を経験する予定のない性別で生まれたヤツは死ね」になりがち。
トランス女性と女性を同じ扱いしたがるヤツって、ようするに女から排除の対象にさせたいわけでしょ。
実際、声の大きいクソのせいで迷惑しているトランス女性が多かったとしても、デカイ声のやつが目立つ上にクソな活動家が女子トイレに女装のオッサンを送り込もうとするんで。女は脅かされる恐怖に、自衛として反発するしかない。
という建前で取り敢えず生理がしんどいので八つ当たりの対象になる。
現実的な運用として、女性専用であるべき施設を同じように使わせるのは間違っている、というお気持ち。
男女関わらず同権の現代において、男女で別のトイレが必要とされてきたんだから、そこは分けようぜ。
なんで一緒にするんだよ。
男女のトイレが同じだと、最悪のケースとして男性加害者の性犯罪とか、腕力的な意味で優位の男性加害者の強盗とか発生しかねないから、男女はトイレが別なんだよ。どっかの途上国ではトイレに行くとレイプされるのでなるべく少ない回数にしている話とか、嘘か本当か見たことは無いけど、あるじゃんね。なんで問題にならないと思ったんだろう。
日本だと、当時の公衆トイレ的なヤツで逢引してる春画あるよ江戸とかに。いい具合に人目がないって事だね!あと局部まるだしにするからね!
トランス女性は治療具合によっては男の腕力だし、治療してても男として育った骨格で筋力なので女性より身体的な暴力性において加害者側として扱われるのが当然でしょうが。スポーツ界でさんざんやられてるでしょうが。
女装の男とトランス女性の区別なんか付かないんだよ、その場ですれ違っただけの人間には。見分ける必要も無いんだよ。何なの?全世界の人間に自分の生い立ちを説明したいの?
そんなもん、何かしらの事情がある女だって、世界中に主張しまくるの面倒だし意味ないからテキトーに擬態して生きてんだよ。そういうもんなんだよ社会活動って。
だいたい、生理になった事ないヤツに生理のしんどさは分かんないんだよ。
生理があるヤツだって個人差の両極端だと分かりあえないんだよ。生理が軽い女も死ね。お前の基準で運動させるな、生理軽いから体育教師やってる女が、スポコンに巻き込むな。ほんと死ねよって学生時代に呪詛った思い出。
昔は生理で見学とかメジャーじゃなかった。というか人目を憚って休んだけど、1日2日で終わらないし、後半になると「なんでまだ休んでるの?」みたいな話になる。イテーし、まだ血も出てるからですけどー?お前は軽いのかも知れないけど、婦人病じゃなくても体質によっては血が出っぱなしなんで走れないんですけどー?というか思春期の学生に成人済みのお前と同じような規則正しい生理を求めるな、保険体育でやりませんでしたか?体育教師。自分が軽いからって教科書を大げさだと思ってませんか?個人差ですよぅ!
心の中の性別がなんだろうと、社会的に男として扱われ、溶け込もうと生きてきたなら、その常識は男であって女じゃないんだわ。
女として生きてきた人間と同じ共同体でやっていくには苦労するに決まってるんだわ。
なんで女子トイレにはサニタリーボックスが常設なんですかね、生理の女が使うからですね!
同じ女同士でさえ、生理用品見られたらウゲってなりがちな所あるのに、生活として生理用品が身近にないトランス女性に見られると思うと、それだけでもウゲってなる。
生理用品の入ったポーチもってトイレ行く意味が分からない男ってわりと居るんだから、トランス女性だってピンと来ないんじゃない?分かるもんなの?
ポーチ持ってるからって化粧直しに籠もってるわけじゃないんですよ、たれなさがれる血を拭いてナプキン変えてゴミ処理して、匂いが漏れないか気にしたり、服に血がついてないか気にしたり、個室にこぼしてないか気にしたり掃除したりしてるんですよ。だからトイレが長くてもタバコ休憩とは違うんですよ。分かれや。
トランスは女じゃないって主張じゃない。
男女同権の世の中で男としての権利持ってるんだから良いじゃん、女じゃなくてトランス女性として男とも女とも住み分ければいいじゃんというお気持ちなだけだ。
完璧に女と同じ扱いじゃないと嫌なもんなの?
朝あてたナプキンで夕方までいけるので換えを持ち歩かない女と、1時間ごと何なら30分ごとあるいは姿勢を変えたら噴出したので数分で換えたいので、いっそ10個以上入ってる買ったままのパッケージごとナプキン持ち歩きたい女とは分かりあえないんだが?
なんでそんな分厚くて長いナプキンが必要なの?それ夜用じゃね?みたいな顔の生理が軽い女は死ねと呪詛るわけだが?
ああ、夜用を昼に使ってるよ。薄型なんか使い物にならねーからな!長くないとパンツがビショヌレになるからな!死ね。
朝起きたらシーツに漏れてて布団の染みが取れなくてクソな気分になって、寝起きから血痕を落とそうと手洗いする女の気持ちなんか分からないでしょ。
門前払いにされることがない、と言うが、それが本当なら障害者雇用制度の対象にしなくてもいいよね。
でも実際には障害者雇用制度を儲けなければ就労できないと言う様なハンディキャップがある訳だけど。
就労支援制度で精神障害者などの採用が少ない事が問題だ、と言うのはわかるんだけど、そこで車椅子利用者を腐す理由が分からん。
障害者年金も所得制限あるじゃん。所得が平均賃金以上になると半額に減免され、更にそこから100万プラスになると停止になる。これは障害者年金を含む値だから、実質一般の給与より100万円程度低い給与所得を受けた時点で半額になる。
だから、車椅子利用者だけ年金と両方得られてお金が有り余ってる、と言う主張は構造的に間違ってるよね。そんなことは起きない。
普通にみる様な気がするんだが……。もちろん、車椅子利用者が利用しにくいような場所では見ないけど、イオンモールとかではよく見るけどなあ。
これもちょっと理解に苦しむ。というのは、障害者の人って周りに助けてもらえないとできないと言う意識があるからか、無茶苦茶お礼言うよね。車椅子の人も例外なく。
もうそんなに言わなくてもいいよ、ってくらい言うよね。
この間、加山雄三、最後のコンサートのドキュメンタリーを見たんだが、昔の様子に比べて無茶苦茶「ありがとう」「ありがとう」を連発している様子が出ていて、なんか胸が苦しくなった。脳卒中やってからだと思うけど、そういう風になるのが普通で。俺の身近な人はみんなそうなってるよ。
だから増田がそう言うのは、なんか特殊な相手だけなのでは。もしくはピック病のように、精神疾患からくる感情の乱れである可能性も。
俺も給料的にすげー割に合わない仕事してたことがあったけど、その時が一番充実してたと思う。
洗脳とかじゃなくて、本当に子供の頃からやりたかったことをやれてたから。
でも体力的にキツかったのと、貯金の出来なさ、そして両親が少しずつ体調を崩していくことへの不安で辞めた。
いわゆる「普通の仕事」って感じのについて、「普通の給料」を貰って、生活水準あんま変えないでいたらみるみる貯金は溜まった。
親がいよいよ片方アカンくなって、もう片方だけだとしんどそうだから今は「普通よりちょっとヌルい仕事」してるけど、それでやってけてるのはその貯金があったからだ。
あの頃に「自分のなりたかった仕事」を辞めて「普通の仕事」に就いたのは人生全体で見れば正しい判断だった。
だけど、毎日のように「もしも実家が太かったら、俺はずっとあの仕事が出来たのかな。体力的に耐えられる範囲ぐらいにペースは落ちてたかも知れないけど、続けることは出来たのかな」って頭の中でうわ言をブツブツしてる自分がいるのを感じるんだよ。
こういう話すると「社畜が洗脳された結果だー」って言うんだろうけど、俺そこやめてももう結構経ってるのに今でもそう思ってるんだから、これは多分俺の内側から出てきてるものなんだよ本当に。
教員って大変だと思うけどさ、やりがいは本当あるんじゃねえかな。
皆ゲームでキャラクター育てるのとか、他人の人生眺めるのとか結構好きじゃん。
教員ってのはひたすらずっとそれだけやる仕事なんじゃねえかと思うわけよ。
小遣いバンザイって漫画で「俺にはまるで生の映画を見てるみたいだよ」ってセリフがあったけど、まさにそれが毎日見れるんじゃねえかって。
社会人になるとそういうのって皆隠したがるっていうかさ、仕事場に持ち込む私情は待遇の相談で解決できる範囲にしろみたいなのがあるじゃん。
学生ってそういうのがかなり薄いっていうか、家の事情さえもガンガン学校に持ち込んでくるわけじゃん。
別に金八先生みたいにバッタバッタと問題家庭をどうにかしていけってわけじゃないけど、そういうのに対して何か出来る瞬間が人生でめっちゃ訪れるわけじゃん。
一部の人には滅茶苦茶刺さるんじゃねえかって思うわけよ。
つうか人にモノ教えるだけでも楽しいじゃん。
俺もそれぞれの職場で後輩に色々教えてきたけど、自分の説明で納得してくれてそれによって相手の出力が変わる瞬間ってちょっと脳汁出るんだよな。
まさに相手が自分のアクションに対してリアクションを返してきてるわけで、なんかこう社会的動物としての本能から快楽物質が貰えるんだよ。
教員って年中ずっとそれなわけじゃん。
脳汁出すぎて耐性ついちゃう人も多いんだろうけど、人によっちゃずっと毎年毎日のように脳汁出し続けられる体質というか精神構造の人もいるんじゃねえかな。
そういう人にとっては、単に待遇の良し悪しだけで辞められるような環境じゃねえと思うのよ。
俺がやってた仕事に比べたらずっとずっと待遇は良いと思うわ実際。
そう考えるとさ、教員っていう職業が何だかんだなる人間が大勢いるのも別におかしいことじゃねえんじゃねえかな。
こういう仕事に対して「こんな待遇でやるのは変な夢見て騙された馬鹿ぐらいだよ」みたいに思う人って、可愛そうだわ。
だって、待遇気にする以外で仕事を選ぶ軸が持てないような人生送ってきたってことじゃん。
まあそういう人も単に「自分の好きなものが今の社会で職業として成立している様子が全く想像もできないような趣味の持ち主」とかなのかなもな。
そう考えるとまあ……やっぱ可愛そうだと思うわ。
歌とかでもさ「一人さみしい眠れない夜」とかの後に「OH YEAH」とかついててそれ「オーイエー」じゃないだろみたいなのあるじゃん
ネットが議論に向いてないのは関係ないガヤが論でもなんでもない思いついた音を入れてくるのとそうやって反応するとこだと思うよ
議論って論を言う義なわけでいわゆる定型化した情報の侖された言葉をライブで突き合わせる言うという場面の儀の属人的な部分を抜いた式としての義をあわせた言葉だと思うんだよね
自分の持ってる哲学みたいなのが論としてあってそれを相手の論と感情抜きに突き合わせるのが議論ってことにしたとして
外野がそんなふうにいまその話じゃないとか音がにてるからとか思いついた言葉を合いの手みたいにいれてきてそれにつられてこう返事しちゃって儀から抜けていたはずの人の感情やらがはいってきて
結局なんかものいう人間の坩堝になっちゃとこが開かれた場のデメリットでもあるわけじゃん
ネットの上でむしろ増田で文章公開してレスがつくことを理解してる上でとしたらまた最初の話に戻してくる奴がいたり関係ない話をしたりあおってきたりすることがあっても普通になりえることじゃない?
そういうなんか雑念のかたまりみたいなところがアイデアの出発点にでもなるチャンスが万が一にもあるかもしれないってところが増田の意義みたいなとこじゃないかな