はてなキーワード: 貴族とは
「自分にできることは他人も当然できる(、だから自分には価値がない)」が真かどうかを確かめるには、他の組み合わせの時に「自己肯定感」が持てるかを考えてみると良いんじゃね
これは凹むよね。
「マラソンを一緒に走ろうね」って言ったのに、自分は体力が続かなくて棄権、友達は余裕で上位完走、みたいな。
んでも「出来る人」を目標に頑張るとかいうモチベーションを持つ人もいるんじゃないかな。
これ、一瞬マジ格好いい、と思うけど「出来ること」と「自分の意思」に相関関係があるってエヴァンゲリオン見てたら気づくよね。
プラグスーツ着てエヴァに乗っかるとか格好いい感じもするし、レイちゃんやアスカちゃんと仲良くなれるチャンスあるかもしんないって思うかもだけど、自分が心底嫌な事でも「自分にしか出来ない」という理由だけだったら果たしてモチベーションになるのかは、怪しいよね。
例えば天皇陛下のように「生まれた瞬間に宿命付けられて」いるようなケース。
天皇陛下は分かりにくいかもしれないけれど、イギリスとかフランスの王侯貴族の中には「王侯貴族」というだけで何の罪も無いのに殺されたり、傀儡として玉座に座らされた挙げ句に幽閉されるなんてケースは幾らでもある。掃いて捨てる程ある。
『他人は出来ないけれど、自分だけは出来る』というのは一瞬格好いい。でもそれは宿命でもあり、それを受け入れる事が出来なければスティグマとなりうる。
『自分にできることは他人も当然できる(、だから自分には価値がない)』と思う自由はある。
でもそこから抜け出したいと思うならあなた自身が「どのようにすれば自己肯定感が得られるのか」を必死に考える以外に道はない。
世の中の大抵の事は「自分以外の人が出来る」し下手すると「誰かのほうが上手くやれる」かもしれない。
あなたは世界に名だたる有名人や偉人ではなく、ただの凡人なのだろう。それは私も同じことだ。
それでもあなたに出来ることはある。歴史の教科書に名を残すような、テレビに出るような、そんな人でなければ「価値がない」などということはない。
あなたは、あなた自身とあなたの周りの人を楽しくさせたり、ニコニコしたり、面白いと思う事を共有したり、美味いモノを食ったりする事が出来る。
「自分にできることは他人も当然できる(、だから自分には価値がない)」が真かどうかを確かめるには、他の組み合わせの時に「自己肯定感」が持てるかを考えてみると良いんじゃね
これは凹むよね。
「マラソンを一緒に走ろうね」って言ったのに、自分は体力が続かなくて棄権、友達は余裕で上位完走、みたいな。
んでも「出来る人」を目標に頑張るとかいうモチベーションを持つ人もいるんじゃないかな。
これ、一瞬マジ格好いい、と思うけど「出来ること」と「自分の意思」に相関関係があるってエヴァンゲリオン見てたら気づくよね。
プラグスーツ着てエヴァに乗っかるとか格好いい感じもするし、レイちゃんやアスカちゃんと仲良くなれるチャンスあるかもしんないって思うかもだけど、自分が心底嫌な事でも「自分にしか出来ない」という理由だけだったら果たしてモチベーションになるのかは、怪しいよね。
例えば天皇陛下のように「生まれた瞬間に宿命付けられて」いるようなケース。
天皇陛下は分かりにくいかもしれないけれど、イギリスとかフランスの王侯貴族の中には「王侯貴族」というだけで何の罪も無いのに殺されたり、傀儡として玉座に座らされた挙げ句に幽閉されるなんてケースは幾らでもある。掃いて捨てる程ある。
『他人は出来ないけれど、自分だけは出来る』というのは一瞬格好いい。でもそれは宿命でもあり、それを受け入れる事が出来なければスティグマとなりうる。
『自分にできることは他人も当然できる(、だから自分には価値がない)』と思う自由はある。
でもそこから抜け出したいと思うならあなた自身が「どのようにすれば自己肯定感が得られるのか」を必死に考える以外に道はない。
世の中の大抵の事は「自分以外の人が出来る」し下手すると「誰かのほうが上手くやれる」かもしれない。
あなたは世界に名だたる有名人や偉人ではなく、ただの凡人なのだろう。それは私も同じことだ。
それでもあなたに出来ることはある。歴史の教科書に名を残すような、テレビに出るような、そんな人でなければ「価値がない」などということはない。
あなたは、あなた自身とあなたの周りの人を楽しくさせたり、ニコニコしたり、面白いと思う事を共有したり、美味いモノを食ったりする事が出来る。
女性とは比較にならない労働負担(長時間労働や肉体労働)を男性に押し付けてる。
男性よりはるかに低いホームレス発生率、男性よりはるかに高い幸福度、男性より長い寿命。
「立場が低い」などとは名ばかりで男性差別と女性優遇に満ちた社会で男叩きを続けてなお恥じることもない。
女性は「立場が低い」んじゃないぞ。「責任ある立場につかず、やりたい放題してるだけ」だぞ。
まさに貴族。
この国には、男性を差別するルールや社会制度は数あれど、女性を差別するルールや社会制度はない。
それが現実。
いやまあそのへんもだけどクリフトのあれなんかむしろくだらんくて
ゲームではおてんば姫とか言ってるけど好んで殺し合いに身を投じる血に酔った人間って実際はああだよねっていう
キングレオ城では人間の兵士をマーニャと競い合って笑いながら血祭りにあげるし
ライアンに王侯貴族に対する礼を取られて「本当はこうなんだぞ」って鼻をうごめかせながら他の仲間を見渡すし
ガーデンブルグでつっかかってきた戦士昏倒させて笑いながら「眠れよいこよ」とか言ったり
やっぱ男描く時より女描くときにキレキレなんだよなあ
あとマザーでは主人公と女の子の髪の色を堂々と逆転させてそこから入ってたりほんとやりたい放題だなこいつって子供心に尊敬した
まだ第一部終わっていないけど、近作での不満点がすべて解消されたことに感動したので書く。
FEは暁の女神を最後に十年以上ずっと携帯機でリリースされてきた。その評価は概ね、SLGパートは練りこまれており携帯機の狭い画面でも遊びやすいUI、プレイをじゃ生しないゲームリズムではあるが、絵(グラフィック)とストーリーがいまいちというものであった。携帯機のスペック上どうしてもキャラクターモデルを用いたシーンは人形劇のようにチープになり、結果的に没入感が得られなかったのが原因だと思う。おそらくハードウェアの性能が足かせとなって製作陣が表現したい品質に達していないかったのだろう。しかし今、ようやくハードウェアの足かせが外れて携帯機で培ってきた遊びやすさと据え置き機のスペックを十分に生かしたストーリー表現を手に入れたのだ。
まだストーリの先、いつものFEのように悪竜を倒すのかトラキアのように人間の戦争になるのか、は分からないけどゲームの節々から作り込みが伝わってきて期待大である。つまるところついにストーリーに期待できるぞということだ。
FEというと歯ごたえのある難易度、パーマネントデス、そしてそれらの要素を盛り上げる魅力的な登場人物という評価であった。
古くは、話すコマンドによる会話とボスとの掛け合い、支援システム以後は支援レベル毎の仲間内での会話。このコミュニケーションスタイルは代を重ねる毎にキャラクターを掘り下げる方向へ発展していった。ただ、if(Echoesやっていない)あたりになると、コミュニケーション有りきの幕間パートとなっており、王道シリアスなストーリーとその幕間が乖離していた。例えばifではストーリーでどんな衝撃的な展開があっても(次元の間という設定の)拠点は平和そのものであり、仲間達も遊んだり風呂を楽しんだりしており呑気なものであった(個人的にこのマイキャッスルおよび子供世代による外伝というフォーマットは失敗していたと思う)。
つまりストーリー展開に対してキャラクターコミュニケーションの側面が機能不全を起こしていた。
だがしかし本作では学園という箱庭を極めて精密に作り上げることで、この不整合を完璧に解消したように感じる。主人公はクラスの担任であり、仲間は生徒や同僚である。彼らが週末の時間を各々好きなように過ごしているのは当然であり、話をしたり、お茶に誘うのも普通の学園生活で不自然さはない。例えばある食いしん坊筋肉バカは食堂や訓練場におり、動物好きで信仰にすがる少女は厩舎や聖堂で見かける(どのクラスを選んだのかバレバレの例)。キャラクターが自由に動ける空間を用意したことはキャラクターの掘り下げの面で素晴らしい決断だと思う。
個人的にハードウェアの性能向上により一番恩恵を受けた部分は世界観だと思う。今までFEはSLGパートがメインで、章の合間にストーリーが挟まるという感覚であった。魅力的なキャラクター達による群像劇というストーリーは一定の面白さはあったのだが、やはり世界は語られるものであり読むものであった。
しかし、学園という箱庭世界を用意し、プレイヤー自らその世界の要素へインタラクションをすることで、世界観に対する理解をぐんと深めることができるようになった。例えば今まで設定資料はメニューからただ読むだけであったが、本作では書庫まで足を運んでプレイヤーの分身が本を手に取る必要がある。例えば学園の様々なところで生徒や先生達が己が時間を過ごしているのを近くから遠くから眺め、話しかけることができる。世界観への没入度の深化により、魅力的なキャラクター達とストーリーの間を埋めることに成功したのが一番の改善点だと感じている。
実はこの路線はifのマイキャッスルですでにチャレンジされていた。しかしハードの制約があり中途半端なものになってしまっていた(自室に招くとか恥ずかしいしハラスメントだし…)。学園というしっかりとストーリーに裏付けされた舞台を与え、ハードウェアの性能を生かしてリッチな箱庭体験を用意する。それができて初めてストーリーとキャラクターの両輪が回り始めたのだ。
共同開発のコーエーの力かは分からないが、本作はとにかくテキストの語彙が格調高い。貴女、貴君などいわゆる古風(田舎風やロココ風の風)な言葉遣いではなく、本当に古い言い回しを多用する。三十年近く生きてきてそれなりに言葉を知っているつもりだったが「疾(と)く」はフルボイスで読まれるまで分からなかった。また言葉の使い分けも見事で、例えば三人の学級長だと歴史ある帝国の次期皇帝である皇女はそれはそれは帝王学を納めた口調であり、騎士の国の次期国王は力強く青年らしいが高潔な言葉遣いで、つかみ所のない同盟連邦の嫡子はくだけた話ぶりである。(歴史ゲームとか昔の小説でしかないような単語や読みが多くて、声優さん大変だったんだろうなーって思った。)
この確かな語彙に裏付けされた会話は、普段はテキスト速度をノーウェイにしてばしばし読み飛ばす自分も、つい自動送りで全部聞いてしまう魅力がある。
いまのところ全てのピースが完全に合致しているFEだと感じている。気になる点としては釣り用の餌が全然手に入らないところ。散策する毎に駆けずり回って餌を集めている。釣りがしたいよ。
お気に入りのキャラクターは、鼻持ちならない貴族で行動言動すべてが面白い愛されキャラのローレンツくん(ウォッチ対象)と青い長髪を持ちペガサスナイトまったなしの薄幸少女マリアンヌ(推し)です。
本日ゼミで、選挙について若い人たちの見解を虚心坦懐に聞いた。
で、彼らは「よほど悪い状態にならない限り、みんなが平等に悪くなるならそれでよい」と感じているようだ。
どこまで状況が悪くなると動くかというと「戦場に送られそうになったら」みたいな感じだった。
多分もう手遅れ。
だから、税率がバンバンあがって行っても「どうにかなるっしょ」という態度は変わらないようだ。
むしろ集団とともにある安心感が大事なようで、自分だけが突出して動いて損をすることをものすごく恐れている。
たぶんそれまでの学校での突出した人物が受けた制裁の恐怖を見ているからだろう。
民主主義についてもあまり当てにしておらず、王政だろうが貴族政だろうが、
とにかく自分たちの現在の「幸福な」生活が維持されるのであれば、とくに気にならない、というような反応があった。
彼らは自分たちがいま「幸福だ」と思っているようで、それは周りの人と同じであることにかかってるようだ。
家畜のような位置づけでもいいの? とのある意味挑戦的な問いに対しても、とくに響くものはないようで、