はてなキーワード: 貴族とは
痴漢されたことない。見たこともない。リアルで被害を聞いたのは2回ぐらい。
だから、痴漢されたことあるー!って会話を周りがしだすと死ねゴミどもって思う。
貴族の娘が恋人と別れさせられ金持ちジジイに嫁がされるのを嘆いてるのを聞きながら、百姓仕事して少ない雑穀をかっこんで年貢に苦しんでるような気持ち。毎朝痴漢されるとか、住む世界違うわ。都会のまんさん流石っす。
多分KKOと同じ気持ちなんだろう。車通勤すればいいのに、とか田舎に越せよ、とか始発に乗れよ、とか思うもん。そりゃ直接は言わないけど思うもん。だって毎朝痴漢とか信じられねえわ。
こういうこと書いたら、こないだ増田でフルボッコにされた。痴漢被害の恐ろしさを認めなきゃ思考犯罪扱いやん。痴漢より叩かれるやん。フェミ怖いわ。
まず単純に、名前の二文字目が「子」で固定されると、必然的に読みは三音になりやすい。
これは若干の異論がある。
どうも平安時代には、今では考えられない読み方をしていた例が色々あったらしい。
たとえば、藤原良房(皇族以外で初の摂政になったことで有名)の娘で文徳天皇の后、清和天皇の母だった藤原明子という女性は『あきらけいこ』と読み、
関白・藤原基経の妹で清和天皇の后、陽成天皇の母だった藤原高子という女性は『たかいこ』と読んだ。(四音の女性名になるね)
そして、地位の高い人の諱はあまり呼ばれない。これは今でもそうで、会社の上司に対しては一般には名字+役職で呼ぶ。
昔も同じで、諱(そもそも忌み名である)は呼ばれずに地位の高い女性は本名ではなく通称で呼ばれることが多かった。清少納言や紫式部も通称だ。
結果、女性の名前は記録にすら残っていなかったり ─蜻蛉日記の作者である藤原道綱母などはその典型だ─ 名前は伝わっていても、読みが分からなかったりする。
彰子、妍子、威子、嬉子(いずれも藤原道長の娘)などが典型で、名前の漢字は分かっているが読み方が分からないのでとりあえず音読みで呼んでいる(これを有職読みという)。
日本では個人の名前は「石川麻呂(いしかわまろ)」や「穴穂部間人(あなほべのはしひと)」といったふうに長い訓に漢字を当ててきたが、嵯峨天皇のころ遣唐使であった菅原清公の進言によって、男子の名前は漢字で二文字か一字、女子の名前は「○子」とするといった、漢風の名前の使用が進められ、定着した。
具体的な後世に残った事績としては、それまで和風だった人名のつけ方を唐風に改めたことが挙げられる。男子の場合「坂上田村麻呂」の「田村麻呂」のような形式から「菅原道真」の「道真」や「藤原基経」の「基経」といった二文字訓読みか「源融(みなもと の とおる)」の「融」や「源信(みなもとの・まこと)」の「信」など一文字訓読みという形式にし、女性の名前の「○子」という形式にすることは彼の建言によって導入されたものである。
まず単純に、名前の二文字目が「子」で固定されると、必然的に読みは三音になりやすい。
男性名だって、「○太」とか「○斗」といった形式だとだいたい三音で、二音や四音は少ないもんな。
で、貴族の実名に付けられるこの「○子」はいちおう庶民にも広まったらしいが、
室町時代からはそもそも女性に「実名」をつける風習がなくなり「通称」だけを持つようになった。
つまり「松」とか「亀」みたいな二音の簡単な名前がつけられて、
「お松さん」とか「お亀さん」とか呼ばれるようになった。
この傾向は江戸時代まで続いたけど、
貴族の名付けである「○子」は庶民の憧れだったので一気に増加する。
最初のうちは「〜〜氏」「〜〜女史」みたいなのと同じ敬称として扱われていて、
本名の「松」や「亀」に「子」をつけて「松子」「亀子」とか呼んでいたらしい。
それがだんだん本名として最初から「○子」と名付けられるようになった。
もとが二音、「子」を付けて三音、というのがここで増えていったわけだ。
明治安田生命 | 名前ランキング2018 - 生まれ年別名前ベスト10 - 女の子
「○子」のピークは1956年と言われていて、そこから「○美」が増えていったらしい。
なんでこの時期に「○美」が増えたのか分からんが、
高度経済成長時代に入って社会の雰囲気が変わったのもあるだろうし、
そのちょっと前から「由美子」「久美子」「恵美子」「美代子」「美智子」などと「美」入りの三字名の人気があったから、
1953年入団の宝塚歌劇団40期生あたりから「○美」が増えている気がする。
「当時、こういう名前がかっこいいと思われていた」という傍証になりそうだ。
(もうちょっと遡ってみたら33期生だけ特異的に「○美」が多いな…何かあったんだろうか…)
1970年代に入ると「美香」「美穂」「香織」「恵」「愛」などがランキング上位に登場してきて、
ようやくバリエーションが増えていったという流れ。
一方で、男性のほうのランキングを見ると、思ったよりも三音の名前が多い。
「清」「正」「茂」のような一字名はもちろん「正治」「和夫」「達也」なんかも三音。
四音の名前は「○一」「○郎」「○介」「○平」などの形になる。
これらはだいたい「生まれの順番を表す字」か「官位名に由来する字」なので、
女性名に見られないのは納得。
武士の時代が長く続いたなかで男性名だけが多様化していったのだと言えそうだ。
ちなみに「○郎」の由来は「○子」と同じく嵯峨天皇な。
社会的地位の低かった女性は人名接尾辞のバリエーションが少なかったからだ、
と言えるのではないか。
6月末までのクーポンだけど事実上今日までに使うのが一番オトクだったから
平日昼間は安いな―
ポテトが結構量あったから急いで食べたかったけど手づかみで食べなきゃだったから熱くて大変だった
今日はちゃんとデンモクのりれきを写メってセットリスト記録しといた!
時間も限られてるから、バンバン途中停止してとにかく1時間でできるだけたくさん歌うぞ―とがんばった
なんとなく好きだたこと思い出して入れてみた
AメロなんとかいけてBメロギリギリで結構いけるかもと思ったら、
あとやっぱり地味だったから途中で停止した
ハルヒの歌
ラスサビ前の間奏が長いのが困るけどサビまで飛ばす機能使えばok
全部いけると思ったらラストのくるくるうんたらーってのが全然わかんなくて停止した
テレビサイズならいけると思ったらかなりテレビと違うパターンですぐ停止した
2番まで歌ったところで合いの手と掛け声のところ飛ばしてラスサビだけ歌った
あゆ好きなの
この歌も好き
茜が一番好きなんです
でもやっぱり茜が歌うからいいんであってryってことで2番まで歌って停止
うーんやっぱり歌も好きだしもともと男の歌だから違和感なく歌えるのもいいなあ
試しに入れてみた
でもテレビサイズで満足して1番までで停止
サビ直前のてをのばーすうーーーージャンッのところで手を突き上げてぐいっとコブシつくるの気持ちよすぎwww
サビのキーが少し高くて歌うのきつかったから1番だけでちょうどよかった
自分の声質的にバラードとかこういうしっとり系のほうが合うし歌も好き
でも2番までで満足して停止
前回も歌ったけど今回も
うーんカラオケもうずっと行ってないせいでビブラートのきかせかた忘れちゃってるんだよなあ・・・
単なるアルバム曲だけど地味に好きな曲なんだよね
教養の部分について言うと、フランス革命以後は「良き市民像」みたいな規範が最上とされ、教養を持つ裕福な階層の人々がかつての貴族のポジションに収まったと。そこまでは世界史的な知識だが、面白い事にその良き市民達はエッチなものをけしからんとブチきれ出した。貴族は堕落しまくっていたからね。そこで紳士とはこうあれ、淑女とはこうあれという社会規範が芸術の域を取り巻くようになってきた。クラシックだのオペラだのが高尚でご大層な芸術様扱いになったのはそのせい、という指摘をいくつも証拠並べながらするような話ね。ざっくり言うと。まぁこの本の見所はそれだけじゃないんだが。
Herbert Gans “Popular Culture and High Culture: An Analysis and Evaluation Of Taste”
どの部分に興味持ったのか分からないけど、芸術のスポンサーが貴族から大衆になった経緯と、その過程でどう芸術自体が変化してきたかって話。階級社会って日本じゃ馴染みがないので非常に読むのが辛かった。
まあ例えば「簡単に火を起こす方法」ってのがあったときそれを「秘密」にすることで魔術になるんだよね。
この人、立法っていう難しい芸をした人なんだよね
いやたとえばね「法律」ってものがあったとき、今日本だったら e-govとか見ればすぐみれるじゃん?
それをみて、何が犯罪になるか、何が犯罪にならないか、どうやったら潜脱できるかを自分で考えれるわけだ(これは識字率が一定以上あるからできる芸でもあるけど)年金法だってそうだよ?見ればちゃんとわかるようになっている。
当然古代にはそんなものなくてさ、「お前は犯罪者だー」って、慣習法を知っているちょっと頭のいい人に言われた時、対抗できなかったんだよね、知らない人
この頃の知らない人ってのは庶民で知ってる人ってのは貴族なんだけどね
ルールが明文化されていないから、何がダメで何がいいかわからない、これをなんとかしたのがドラコンさんって人だったんだ、庶民にも生きるためのルールを明文化して、誰でもわかるようにするって、とても大事なことをなした人なんだよ。