はてなキーワード: 夏休みの宿題とは
もしも話。
もしも、我が子がショッピングモールで走り回ったら、子どもだけで自転車で校区外へ行ってしまったら、夏休みの宿題を写しあっていたら、叱って、ダメなことをダメだと理解させることははできるだろうか。
もしも、いじめを傍観したら、いじめに加担したら、いじめの主導者になったら、叱って、いじめられる側の痛みを、理解させて改心させることはできるだろうか。
もしも、万引きをしたら、誰かに暴力をふるったら、もしも、誰かを殺害したら、親として子どもを殺して、自分も償いとして死ぬことはできるだろうか。いや、どうしたって償えないことではあるが。
とはいえ、宿題をうつしあいっこしたり、自転車で大冒険したり、いじめられる側にならないよう上手く生き抜いたり、狡がしこさは社会に出てからとても役に立つ。
全てを抑圧されて「良い子」で過ごしてきた私は、大人になってから上手くいかなくて苦しんだ。
子どもの頃は善悪の判断もつかなかった。今ならわかる絶対悪も、昔の私には分からなかった。それでも、叱られることに怯えて何も出来なかった日々はとても辛かった。
法律を犯すのだけはダメだ、分かりやすい。だけど、いじめられないためのいじめ加担は?どう教えればいいだろう。
分からないことばかりだ。子どものうちに失敗しておくほうがよかったりすることもある。
もしも我が子が許されない罪を犯したら、親として始末する責任を果たせるの?そこまでの覚悟を持って、子どもを欲しいと言ってるの?
ああ、そんなこと誰も考えないか。
よく、「発達障害には先延ばし癖がある」と言われるけれど、これって本当に正しいのかな?
自分の場合、子供の頃は先延ばしするのは学校の宿題それも夏休みの宿題の中の苦手なやつくらいで、得意科目は普通に提出していたと思うし
好きな事には寧ろ率先して早期に取り組む方なんだよね
それが大人になってからは、家を出発するのや履歴書の郵送やメールの確認、何もかもがギリギリあるいは定刻オーバーになってしまう。
これって発達障害の症状のせいというよりは単に、大人になって発達障害者の身の上に起こるのが嫌な事ばかりだから、嫌な事だから気が進まなくてそうなっているんじゃないのかって思う。
「発達障害の先延ばし癖」って、社会のレールを外れて落伍し、嫌な事ばかりが起きるようになった人に対して下される診断が「発達障害」だからあたかも、「発達障害によって先延ばしが引き起こされる」ように見えるんじゃない?実際には発達障害と先延ばしって直接の関係はないと思うんだ。
https://www2.shimajiro.co.jp/kodomo/member/jump/2023/
息子は2歳の誕生日にこどもちゃれんじの受講を願ったヘビーこどもちゃれんじユーザだ。
時にエデュトイのためにワークを重ね、ワークをしないことで親子で喧嘩し、それでもなんとなく机に向かって取り組むことは嫌がらなくなった。
来年は年長さん。そのままこどもちゃれんじを継続するつもりだったが、来年から新しいコースが追加されることが告知された。
さて、その前にまずこどもちゃれんじのコースについて説明させていただこう。
DVDと絵本、ワークブックがセットとなり、こどもがキラキラ目を輝かすエデュトイ(おもちゃ)が定期的に送られてくるコース。そもそもエデュトイが目当てではじめた息子はこのコースである。
しかし、ワークは年少の頃は毎月10ページくらいのささやかなやつらだったのに今や30ページ。一日1回はワークをやらないとあっという間に夏休みの宿題形式になる恐ろしいヤツだ…。
ワークがめっちゃあるやつ。
盤上遊戯ぽいのもあって楽しそう。向いてる子にはいいのかもしれない。
・絵本が毎月とどく
・工作キットがとどく
など、いろいろオプション課金コースも用意されてるぞ!!!!まんまと親がやりたくて化学実験コースを頼んだが、思惑通りには遊んでくれないぞ!!!
昨年からはデジタルワーク(アプリからできるやつ)が導入されており、とりあえずどのコースにはいっていても毎月数回に分けて配信されるワークは受講できる。これは課金不要。
そして、今回追加されたのが「タッチ(タブレット)コース」だ。
まず、タブレット(チャレンジにしかアクセスできない)が渡され、毎日3つのワークに取り組むことができる。
また、その分「エデュトイ」の数は減り、紙ワークは毎月でなく季刊、絵本なしとなる。
実際、エデュトイは消費期間が短い。
3ヶ月遊べばいい方で、次々送られてくるものだからそう大事にもしていない。
欲しい!と願って買ったおもちゃは大切にしている(戦隊モノだのポケモンだの)。しかし、送り付けられるおもちゃたちに愛着は湧きにくいのかもしれない。
(いや、私がそう思いたいだけなのか…)
2024も継続するとすれば、小学生コースのあたりで結局タブレットに移行するはずなので、まだおもちゃの手触りだの、工作だのでいいような気もするが…。ああああああー。多分スマイルゼミとかの囲い込みで早めにタブレット移行しようとしてるんじゃないかなあああ…。
こどもちゃれんじ受講してる年中親勢はどうする??
来月で三歳になる子供が水溜まりにはいって遊んで泥んこになって
服を洗ったけれども子供のお気に入りの服の汚れがとれなかった(洗いかたを調べてみたら私の洗いかたは間違えてた)
泥ジミだらけになった子供のお気に入りの服を子供に見せて「この汚れとれなかった。もう水溜まりで遊んだらだめだよ」って言っちゃったけど
子供が水溜まりのなかに入るのは子供にとっては自然な行動ってネットででてきて
私の行動は間違っていたのか……と落ち込んだ
子供のお気に入りの服はちょっとおたかめのブランドの服なので汚れがとれないと私が落ち込む
安い服だったらそんなに気にならないけど服のこだわりが激しい子供なのでお気に入りの服を着たがる……公園に行くときは安い服を着てほしい
はやく子供が大きくなって、こういう悩みとは無縁の生活が送りたいけど
子供が大きくなったらなったでテストが~夏休みの宿題が~入試だ塾だ部活だとまた別の大変なことがやってくるんだろうけども
夏休みの宿題を含めて始業式に向けた準備を見守っていたんだけど、子供が描いた絵が上手いと思った。
何の応募作品にするのかの相談には乗ったけれど、どういう絵を描くか決めたのは子供(小学校中学年)自身。
YouTubeで見たというスポンジでの描画や、ストローで絵の具を吹く描画方法なんかを取り入れて、楽しそうに絵を描いていた。描いている時もすごいと思ったけれど、出来上がったものを見てもいい絵だなと思う。デッサンは狂っているけれど、それよりも何を見せたいのか、それがどういう感情から発露されたものなのかが伝わってくる。
私は絵に詳しくないし、色眼鏡をかけている自覚もあるけど、やっぱりいいなと思う。
もとはそこまでお絵描きに夢中になる子じゃなかったけど、YouTubeで海外動画を始めとした図工系の動画は子供にとても良い刺激を与えてくれているなあと感じる。
地域地元の女子小中学生を公民館/公会堂に(希望者は高大学生も)集めて指導する。
夏期ジェンダー講習集中講座!
あまりにみんなが熱心にメモをとり、一部の子は自由研究まで発展し、地域の女子のみんなが夏休みの宿題でジェンダー問題をテーマとした作品を学校へ提出することに。
あまりに多くの子が取り組んだ結果、中には同じ題材を研究して同じ結論に至った子達も。
学校が違えばギリギリセーフだったけど、中には同じ学校に通いながら提出物の題材も結論も同じだった子達も!
本当に可哀想に!
先生から宿題の剽窃を疑われて押し問答となり、もつれにもつれこんで、留年こそ免れたものの二学期に入ってからも宿題の取り組み直しに。
昔からある夏休みの宿題の定番の自由研究だけど本当に嫌だった。
理由は、2つ。
一つ目は、自由研究しろといいつつやり方は誰も教えんというくそ仕様。アホちゃうか。やり方も教えず、フィードバック無いのに成長なんてあるか。
二つ目は、先立つものがないと出来ることも出来ん。なんかやろうと思ったら金が必要なんだよ。銭や銭が必要なんや。銭がないとまず工作系ができん。材料代がばかにならん。できるのは泥団子ぐらいや。次に実験系。これも、材料がそろわん。ついでに言うと、どっか行くにも交通費がかかったり本当にお金ない人には何も出来んのよ。
自由研究の自由なんて何もない。まずその研究に金が掛かるかどうかからスタートで興味なんて二の次やった。ほんまに自由研究なんてやめてしまえ
理学部で助教をやっている。社会人ドクターを取った後大学に戻った。
幼さを感じた。
増田は、頭というか論理的に考える力は高いんだろうが、この内容は身勝手すぎる話だ。まぁつまり、小学生のような幼さを感じる。自分のことしか考えられない幼さを前提にすれば、まぁ筋は通っているだろう。
結局言っていることは小学生が夏休みの宿題に対して「これなんの役に立つの?」って言ってるのと変わらない。
日本の大学なら18以上だよね?成人しているのだから、何が役に立つのかどうか、何をやるのかどうかは自分で判断せねばならない。
卒論が役に立たないというのならば、大学を辞めれば良い。そうすれば、研究なんてやらなくて済む。その代わり内定は無くなるかもしれないけどな。増田はそれが嫌だから、いやいや卒論を書いている、だから、こんな文章が出てくるのだろう。しかし、世の中はそんなに都合良くはできていない。
卒論をやって就職をするか。卒論をやめて就職しないか。その二択を判断しろ、という話だ。自分の納得できる選択肢がないから『おかしい』というのは、あまりに幼くないか?
お金を稼ぐために、自分には不要に思える仕事をやらなきゃいけないことなんて沢山ある。自分が不要だと思っても、本当は必要だったり、本当に不要としか思えないものもある(上司のプライドのせいで増えた仕事とかね)。その度に、教授に言ったように、そういう文句を上司や取引先に言うのか?そんな必要はない。今後の仕事につながる人間関係と、その仕事にかかる手間を天秤にかけて、やるかやらないか判断すればいいだけだ。というか、本当に不要なら、やらなくても問題は起きないだろう。
自分が何をやるかは自分で決定しないと、他人のせいになってしまう。この場合は自分の欲しい選択肢を与えてくれない教授や、大学のせいにしている。しかし、他人のせいにするのは楽だけど、自分の人生に無責任だ。
もちろん制度に不満があって、それを変えようとしている人は世の中に沢山いる。現状追認が大人の証などというつもりは全くない。だから、増田が学長や学部長に掛け合って、何らかの資格取得や、技術の開発を卒論に相当する単位としてくれるよう嘆願しているというなら応援する(当然教授1人にゲームの例え話をするのとレベルが違うのはわかるよね?)。
大学の教員としては、基本的に専門知識を学生に与え、その知識がちゃんと学生の中で有機的に結合し、能力として発揮できる状態になっていれば、大卒と言えると思う。授業の勉強だけしても、それぞれがつながっていて、かつ意味がある形で使える必要がある。微積線形があって初めて、微分方程式や関数解析ができる。その積み重ねだけではダメで、それらを使って何ができる人なのか?というのが大事だ。個別の知識だけなら本を読めば良くて大学は全然必要ない。何ができるかを確認するために卒論がある。
何ができるか?を問われているので、アイデアが既にあれば、それに必要なだけの知識さえあれば良い。アイデアもなく、b3までに知識を得てこなかった人は、当然それを発揮する場である卒論には苦労する。
それを踏まえて、数学科では普通卒論はない(研究できるレベルの最新の数学をやるにはb4では難しい)から、自分の修論の経験を語る。
修論の経験が社会人になって生きたか?というと、スキル的な意味では怪しい(研究職なら直接役に立つだろうが)。アナリストや記者など、文章の経験を役に立たせている人はいるだろう。また、コンサルやマーケティングなど自分のアイデアをpdcaで回す必要がある職の人も役に立つだろう。しかし、一般化できるとはとても思えない。
だから増田の言うことは増田目線では正しい。文系に行くから行列は要らない!とか、一生コンビニ店員でやってくから三角関数は要らない!言われたら、そうですか、と言わざるを得ない。
しかし大学は上で書いたような学生を養成することが目的であって、就職先で役に立つようなことは想定していない。そういう社会的要請があるのもわかるし、それに阿った判断をして卒論を無くしたりしている大学があることも認識しているが、社会で「一般に」活躍できる人材を輩出したい!と思ってるわけではない。もちろん、資格系や職業人が教授をやるケースなど、その分野で活躍する人材を輩出したいという研究室は存在するが、社会人として役に立つ教育ではなく専門家の養成を目的としている。
一般化できない以上、大学で学んだことをどう人生に生かすのかは、学生次第だ。学生が、自分の判断で、自分の将来に役に立ちそうな大学や学部、研究室を選ぶのだ。
大学が提供するプログラムは上の観点で設計されている。自分の人生に必要かは人によって違うということを認識する必要がある。その中で、そのプログラムでは、多くの学生にとって卒論が、教育上の能力の判定として役に立ってきたからこそ、必修として存在し続けているのだ。教育する側には役に立ってるかもしれない、という視点に立ってみて欲しい。能力の鍛え方が足りない者を大卒として認定するわけにはいかないんだ。
量は減らすべきだと思うけど、夏休みの宿題全てが問題ではないよね。
観察日記ってなんでやるか知ってる?
工作ってなんのためにあるか知ってる?
創作能力を高めるため、また物を作ることによって構造なんかを理解するためにあるんだよ。
そういうのってある程度育ってからのほうが良いって言うかもしれないけど、空の状態だから覚えやすいんだよ。ある程度育ってからやると基礎ご面倒くさくなって応用からやろうとして、うまくできない→もうやらないのコンボになるだけなんだ。
読書感想文だって、自分で感じた事を書く、文章構成を学ぶためのものだしね。
夏休みの宿題の量については、問題ありありだけど夏休みの宿題自体が罰ゲームって言ってる人は学習ってなんのためにあるか考え直した方が良いよ。