はてなキーワード: 固定資産税とは
毎年思うのは、コレ合筆してくれねぇかなぁ、ということだ。
土地の数の単位を筆という。目には見えないけれども土地は区切られている。大体の土地には1筆ごとに番号がついている。
これは「公図」というものを見ればわかる。公図は登記所や一部の自治体の窓口で有料で見る(もらう)ことができる。
昔、土地に番号をつけて管理をするということになったとき、多くはその時の土地の所有者や利用状況によって区切られた。
その頃の建物一棟の敷地とか、その時の田んぼ1枚とか(もちろん違うこともある)。
そこを後になって違う使い方をするとき、新しい使い方の一区切りごとに区切り直す。範囲を決めて土地を利用したり所有したりするには筆単位にしないと色々と面倒だからだ。
そのとき、新しい形を上書きするだけのことがある。もとからあったいろいろな線の上に、改めて四角形を書くようなイメージだ。
また、隣の土地を新たに自分の敷地に加えるというときに合筆(2筆の土地の間の線を消すこと)をしないということもある。
そうすると、今の1つの使い方をしている土地の範囲、例えば柵で囲われた住宅の敷地とかの中に、いくつもの筆があるという状況になる。
それの何が面倒なのかと言うと、一つには画地計算だ。
市街化が進んでいるところの土地は大抵画地計算法というやり方で固定資産税を課税するための土地の評価額を計算する。
この方法では土地の間口や奥行きを測らなければならないのだが、測る範囲は大抵は同一の利用をしている範囲だ。
同一の利用をしている範囲内にいくつもの筆があると、それぞれの測量図を引っ張り出してこなくてはいけない。
もちろん、画地計算が未だに電子地図上でできない(ウチが導入してないだけ)のが悪いのだが、仮に出来たとしても昔の測量図はスキャンしないと始まらないので面倒なのには変わりない。
測量図も含めて全部電子化してぇなぁ。でも上を説得したりするほどのやる気はない。
面倒な点の2つ目は評価だ。2つ以上の筆で1つの評価単位になる場合は処理がめんどい。
単に同じ評価にするだけでなく、何らかの形でこれとこれとこれはひとまとまりですってしておかないと課税システム上で特例適用地積の按分をすることができないし、
地図上にそれを表すことも出来ない。
これも地図システムから評価できるやつにできれば楽になるんだけどなぁ。例によって自分がやる気はない。
面倒な点の3つ目は、データの数が多くなること、データが重くなること。
ただ、コレに関しては一番の戦犯は国と自治体だ。道路がいけない。街区ごとでいいから道路を合筆してくれたらいいんだけどなぁ。無駄手間でしかないけど。
そういうわけなんだけど、一方では合筆はしてほしくない。
俺は結構地図とか地形とか歴史が好きだ。その点では、公図はかなり面白い。
「あ、ここ昔畑だったんだな」とか、「これが昔の道路だな」とか「この道路は拡張されたんだな」とか「ここに水路があったんだ」とか「ここ湧水だ」とか「池だったんだ」とか、
そういうのが透けて見える。
こういうのは全部今の利用の形に合わせて合筆されたら見えなくなってしまう。
極致は区画整理だ。一旦全部まっさらになるから昔のことは何も分からん。
もちろん昔の資料がなくなることはなく、単に現在の公図がキレイになっちゃうだけだけど、
それでも「史料」に当たらずとも今の土地の形から見えるものがあるっていう面白さが消えてしまうのは残念だ。
まあ心配いらないんだけどな。キレイにするためだけの合筆なんて金かかるだけで所有者使用者にはそんなにメリットはない、んだろう多分。ほとんど誰もやらないし。
田舎にはまともな家が無い。特に、自治体が「空き家バンク」に登録するような家は。
テレビに出てくるような風格ある古民家は家主が手放さないか、すでに誰かが手を付けており、残っているのは単なる安普請の「中古民家」だけだ。
戦後から昭和40年代にかけて作られたそのような家は、貧弱な設計と建材によって断熱性も気密性も低く、夏は暑く冬は寒い。
外壁は一様に茶色いトタン板で、屋根は青いトタン板。大家族での生活がまだあった時代のため、間取りは二間続きの十畳間など、不必要に広いものが多い。
またトイレも問題だ。下水道の無い集落では汲み取り式が標準で、ほんのちょっと改修してあっても簡易水洗式。どちらも外に突き出した臭い抜き煙突(臭突)でそれと分かる。
きちんと合併浄化槽にリフォームしたような家もあるが、そのような家は家主かその縁者が住んでおり、そもそも空き家にはならない。
さらに都会では引っ越しの際、家財道具はすべて運び出し、空っぽの状態で明け渡すのが常識だが、田舎はそうではない。空き家の場合、なぜそこが空き家になったのかといえば、
息子や娘が次々に就職や結婚で家を出て行き、最後に残った高齢者が介護施設に入所したからだ。こうした場合、高齢者は「いつか戻る家」をわざわざ片付けようとはしない。
息子や娘もそう考える。そうこうしているうちに高齢者は施設で死ぬ。空き家となった家には高齢者の家財道具がすべて残ったままだ。年に一回来るか来ないかの息子や娘も、
手間と金のかかる家財の処理を先送りにし続ける。家そのものを解体するにはもっと金がかかるし、更地にすれば固定資産税が上がる。
ただ放置することが合理的な選択となり、中古民家は補修もされず、しだいにおんぼろ中古民家となる。
そんな無価値な住宅を、都会から来るアホな移住希望者に当てがって賃料をとり、あわよくば売却しようというのが「空き家バンク」。
もんもこ力もなくなった
おうちと、固定資産税と 30万か40万 そんなこと はやくおしえてほしかった。
とにかく家を買って 固定資産税の目処をつけて 月3万円いきるのに 必要なもの
トイレ行くにもえっちらおっちら、げりげりぴーこんな人生になりたかったわけじゃないけど
これでもましなほうだからな
このコロナ禍の中にあっても、普通に給料もボーナスももらえる素晴らしい職場にいる。が、私は今の仕事が嫌いだ。他の職種の人に囲まれて、「文房具補充しとけ」とか「コピー機の調子が悪い」だのと文句を言われ、それらに対応する手配を終えてほっとしていると、今度は別の人から「○○がないみたいだから買ってくれ」と言われる。しかも彼らは昼間ほとんど席におらず、夕方から本気でデスクワークに取りかかるので、こっちが対応しようのない時間でどうしても翌日回しになる。うぜぇからまとめてもっと早い時間に言えといつも思う。私はあんた達の下僕じゃない。
できるだけ早く今の仕事を辞めたいが、辞めたあとに食べていけるようなスキルがない。別にスーパーのレジ打ちでもコンビニの店員でもやったって構わないが、臨機応変にスピーディーに対応するスキルが低いのでたぶん向いていないと思う。多少収入が減っても良いように、頑張って住宅ローンを終わらせたし、なるべく貯金もしてきたけど、それで老後まで生きていけるかというと微妙だ。とにかく労働時間を今の半分以下にして、あとは好きなことをして生きていきたい。
いくらローンが終わっていても、毎月修繕積立金と管理費は払わないといけないし、年一回は固定資産税を払わなくてはいけない。今の貯金を取り崩して暮らそうとすると、極力節約してなるべく旅行も外食もせず、今は面倒でやっていない自炊に励むようにしないとあっという間に貯金はなくなってしまう。
今は自由に旅行とかできる状況じゃないけど、好きなようにあちこち出かける自由な時間がほしいから辞めたいのだ。趣味にもお金を惜しみたくないし、結局自由になると今よりお金がかかるだろうという予測しかない。お金の専門家みたいな人にローンを終わらせたとか貯金がこれだけあるとかいうと感心されるけど、私の望む生活を実現させるにはたぶん足りない。
今の仕事を定年まで大人しく続けて、貯金を増やす努力をするのが一番正しいんだろうけど、自分の人生これだけで終わらせたくないという思いが消えない。世の中で自分の好きなことを仕事にできる人は一握りだろうし、自分にそういう才能はないような気はしているが、イヤなものはイヤだ。いわゆるフリーランスで好きなことを仕事にしている人も世の中にはいるが、彼らはこのコロナ禍の中、どうやって生きているのだろう。逆にサラリーマン人生に特に不満を感じていない人にも、どうやって自分の仕事人生を楽しくしているのか聞いてみたい。「家族を養わないといけないからしようがない」じゃなくて、「仕事が楽しい」っていう人はどのくらいいるんだろうか。
追記:その後、保険屋兼FPみたいな人に自分の貯蓄や年金のシュミレーションを作ってもらい、「これだけ貯蓄していれば大丈夫です。」みたいなコメントをもらったんだが、何だか安心できない。定年まで働き続けて、その後年金が出る年まで多少なりとも働いていれば大丈夫そうだが、早期退職して年金が出るまで10年間無収入とかだとやはり厳しい気がする。心配しすぎなのかな。
住居コスト、子育てコストは上京組よりも東京生まれのほうが安いだろうなとは思う。
上京組はまず多額のお金を住居コストにかけなくてはいけない。3LDKの狭小住宅を35年ローンでひーひー言いながら購入。
一方、東京生まれで親が土地持ちだと購入すると1億以上余裕でいくような5LDK以上の庭付き一戸建てを難なくゲット。
固定資産税が高いという人もいるが、同じものを賃貸で借りるのの5-10%程度の値段で居住可能なので上京組以上の家に住みながら、資金にかなりの余裕ができる。
子育ても上京組が夫婦で何とか回してあとは保育園くらいしかないのに対し、東京生まれだと困った時の親頼みが使える。
親が事業などをしていると、事実上親に子供を預けられたとしても、親が忙しいからと保育園ポイントを減らさないというチートが可能。
ひな祭りや誕生日会などのイベントで親を召喚して準備をしてもらえるので子供の行事は親の体力をそんなに減らさないでできる。
子供を合づけたり、食事などの差し入れなど、育児・家事にかける労力も親に投げることで減らせる。
何番煎じかわからないが子供がまだ小さいので教育費がかからないというところもあり妻視点で書き連ねてみる
駅近タワーマンション
これは夫婦共に地方出身であり終の住処を決める覚悟がなかったことから後々売却が見込めるだろうということと夫の通勤そして子供が成長していく上での環境から選択
住宅ローンは当然ながらかなり高め
およそ合計300万程度
ただ後述になる保険やidecoも一応資産に入るのでもう少し多いのかもしれない
夫はお金には興味が全くなくザルの私が管理をするという危険な状態
特にお金も使わない夫のため月に1万円程度渡すとそれで十分と言う
コンビニとかでは電子マネー決算をしているみたいだがたかが知れている
累進課税はとても恐ろしい
そのため無知な私でも出来るidecoやふるさと納税程度の節税はしている
保険は団信もあるため生命保険は主に掛け捨て、あとは外貨建て資産としてドル建て終身保険に加入
あとは適宜足りない場合に買い足したりで週1万円くらい
外食は別
これは家庭によって様々だと思うが私は海外旅行が趣味と言っても過言ではないため年2-3回は行く
アフターコロナでどうなるかわからないけれど、また行けるようになることを願うばかり
とにかく遊びたい
平日は基本的に私が全て作っている
土日はよく外食をしていたと思う
現在はテイクアウトに切り替えているが割と土日も作る頻度は増えた
現在な英会話以外はまだ特別なにかやらせてはいないので月12000円程度
幼稚園はまともに始まっていないが月5000円程度
学資保険は一応500万円になるものに加入して年払いしているが今なら入らず投資信託にしていると思う
そこに私のパート代を足すと年1160万
固定資産税や駐車場代も含めた住宅に関わるお金が300万、貯蓄が300万、住宅費を除いた生活費が360万(月30万)、保険や積み立てに100万、レジャーに100万
教育費や特別な支出やふるさと納税による支出なども生活費に含めていたり、分類のできない支出も当然ながらあるためこの通りにはなっていないだろうが概ねはこんな感じだと思われる
上を見たらキリがないが、上記の我が家の生活は一般的な家庭を考えたら十分に贅沢が出来ていると思うと同時に日々夫に感謝をしている
もっと住宅費を抑えたり、切り詰めてたくさん貯蓄している人の方が多いだろうし、我が家は贅沢をしているほうだと言う自覚もある
ただそれは我が家はまだ小さな子供が1人で、尚且つ今幼稚園児でお金がかからないことも大きい
今後は右肩上がりで教育費が増えていくことから削れる部分は削り、私も働きを増やして教育費の捻出をしていくことになるだろう
住宅に関してはある程度で売却の予定であることに加え、どんなに安く買い叩くことになってもマイナスにならないだけは一応資産はある
決して贅沢ができる収入ではないと言う意味も心から理解できるし、普段はそう思うことが多い
しかし必要なことにはお金を出すか出さないかの選択が出来る収入というのは贅沢ができているということなんだと思う
このことは忘れずに日々必死に働き、家族を養ってくれる夫に感謝したい
終わり